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産業競争力の強化に向けたバイオ・ナノシミュレーション
技術の活用について

2003年2月18日
(社)日本経済団体連合会

産業競争力の強化に向けたバイオ・ナノシミュレーション
技術の活用について 概要
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1.はじめに

シミュレーションは、様々な現象を模擬的に実現することであるが、産業競争力の観点からは、理工学上などの問題に対してコンピュータ上で模擬的な実験を行い、その結果を研究開発や設計に活用していくことが極めて重要である。
構造解析、流体解析などのシミュレーション技術は、20世紀後半において技術革新の原動力となってきた。米国や欧州は、10年以上前から、産業競争力の強化と国家安全保障の観点からシミュレーションがきわめて重要であると認識し、国家戦略として、シミュレーション技術の研究開発に継続的に取り組んでいる。この結果、米国はシミュレーション技術全般で世界をリードしつつあり、EUもソフトウェアに関しては米国に匹敵する水準に達している。
日本経団連では、これまで、提言「ナノテクが創る新産業−n-Plan2002」などにおいて、シミュレーションの重要性を指摘してきたところであるが、シミュレーションは、分野横断的な共通基盤技術であり、かつわが国産業がバイオテクノロジーやナノテクノロジーといった先端技術分野で、国際競争力を確保していくためには不可欠な技術であることから、シミュレーションソフトウェア開発・活用への道筋や、今後重点的に取り組むべき分野等について、産業技術委員会 重点化戦略部会 バイオ・ナノシミュレーションWGで検討を行ってきた。
以下は、その成果を提言としてとりまとめたものである。この提言が、わが国におけるシミュレーションの戦略的推進にあたって、参考となることを期待したい。

2.シミュレーションは、様々な産業分野で、広く活用されている。

  1. シミュレーションは、現在、様々な産業分野で広く活用されており、製品の開発・設計に不可欠となっている。
    シミュレーションが開発・設計に活用されている分野は、例えば、自動車、家電製品、磁気ストレージ、半導体、レンズ、エンジン・タービン、金型、建設など幅広く、その目的も、強度設計(構造解析)、放熱設計(熱解析、流体解析)、電気機器設計(電磁界解析)、回路設計(電流・電圧特性解析)、製造過程設計(プロセス・シミュレーション)など多岐にわたっている。

  2. 将来の経済社会に大きな影響を与えると期待されているバイオテクノロジーやナノテクノロジーなどの分野でも、新たにシミュレーションが活用され、実験を行うべき対象の大幅な絞り込みや、実験が困難な部分の代替など、実験の効率化・高度化が図られ始めている例も少なくない。
    例えば、バイオテクノロジー分野では、大量の化合物の群の中から、医薬品の候補化合物をスクリーニングするにあたって、優先順位付けを行うために、ミクロなシミュレーションが活用されている。
    ナノテクノロジー分野では、高い電気伝導性など新しい機能を持つ材料が、シミュレーションを用いて開発され、製品に活かされたり、シミュレーションを活用して開発された新しい触媒が、実際の化学プロセスに活用されている。さらに、ナノデバイス分野では、ミクロなシミュレーションが、超低誘電率材料や超高誘電率材料の開発に用いられるとともに、新しいデバイスの開発にも活かされている。

3.今後、バイオテクノロジーやナノテクノロジーを中心に、企業の実際の活動にシミュレーションが活かされる範囲はますます拡大し、産業競争力に大きな影響を与える。

  1. バイオテクノロジー、ナノテクノロジーにおいては、原子レベルでのメカニズム(物理化学現象)の解明が重要であるが、理論と実験のみによる把握は困難である。シミュレーションの活用によって、研究開発や設計の大幅な効率化・高度化が可能となる。
    現在のシミュレーションのレベルは、バイオテクノロジーやナノテクノロジー分野において実際の事業に役立てるには必ずしも十分ではないが、今後、高速アルゴリズムの開発やシミュレーション理論の進展により、シミュレーションの有用性が大きく高まることは確実と思われる。また、コンピュータの能力がさらに向上すれば、シミュレーションの適用分野は大幅に拡大すると期待される。

  2. 例えば、バイオテクノロジー分野では、創薬におけるレセプタ―リガンドの相互作用を用いたライブラリーからの化合物のスクリーニングや、候補化合物が代謝を受ける酵素の同定など、薬物動態や毒性の予測へのシミュレーションの活用が大いに期待される。これらは、食品、化学分野などにおける酵素反応シミュレーションについても同様である。
    また、たんぱく質のシグナル伝達のシミュレーションも、将来、医薬分野への活用が期待され、循環器系のシミュレーションなども、医療の質の大幅向上をもたらすと思われる。
    ナノテクノロジー分野では、ナノカーボンや高強度の鉄鋼などの新しい材料の開発、廃棄物が少なく省エネルギーが達成できる高選択性触媒などの開発、化学プロセス設計において、今後とも、シミュレーションによる大幅な効率化・高度化が期待できる。高効率太陽電池に必要な色素増感剤、自動車用燃料電池に不可欠な長寿命分離膜材料の開発、ストレージや光デバイスなど新しいデバイスの開発などにおいてもシミュレーションの果たす役割は大きい。

4.バイオテクノロジーやナノテクノロジー分野で世界をリードするためには世界最高水準のシミュレーションソフトウェアの開発や活用が不可欠である。

  1. バイオテクノロジーやナノテクノロジーなどの先端技術分野において、重要なのは研究開発のスピードである。世界に先駆けて性能や使いやすさの面で優れたソフトウェアを開発し、活用すれば、いち早く研究開発や設計に要する時間を大幅に短縮することができ、人件費を含む研究開発費の削減にもつながる。
    さらには、シミュレーションソフトウェアを自ら改善することで、世界市場で競争力のある製品の開発も可能となる。
    わが国が、先端技術分野の産業競争力を高め、優位性を確保するためには、シミュレーションは不可欠な技術である。

  2. 現在、わが国の産業界で使われているシミュレーションソフトウェアはほとんどが外国製である。欧米では、米国IT R&Dプログラムに代表されるように、実証ソフトウェアの開発を含めて、国家の戦略の下、シミュレーションの振興に取り組んでいる。外国の有力なソフトウェアの大半は、国家プロジェクトや大学での実証レベルの研究開発をベースにベンチャー企業などが事業化したものである。

  3. 一方、わが国では、大学などにおける先端的なシミュレーションの基礎研究は欧米と互角のレベルにあるが、基礎研究レベルにとどまり、産業活用につながる実証的な取り組みは殆どなされていない。
    バイオ、ナノ分野のシミュレーションの開発、活用はまだ始まったばかりであり、ソフトウェアの実証研究を積極的に進めるとともに、これらのソフトウェアを産業で実際に活用できるようにすることで、産業競争力の強化を目指すべきである。

5.シミュレーションを産業競争力の確保に活かしていくには、わが国としての戦略的な取り組みが不可欠である。

  1. シミュレーションソフトウェアについて、基礎研究から実用化にいたる継ぎ目のない開発戦略が必要である。

    1. わが国の基礎研究分野の優れたソフトウェアを、実証ソフトウェアに作り上げるとともに、テストベッドを設けて、ユーザ企業にとって使いやすい技術の開発、人材育成を行うことが必要であり、そのためのシステムを確立すべきである。
    2. 企業が活用する実用ソフトウェアは継続的な維持・改良が必要であるが、政府による永続的な維持・改良は現実的ではない。実用化の初期段階においては政府の支援を得るとともに、民間への移転を図ることにより、ベンチャー等による事業化など、維持・改良のコストを回収できるようにする体制の整備が必要である。
    3. シミュレーションは、分野横断的な共通基盤技術であるが、これまでは、個別プロジェクトの一部として扱われる傾向が強く、そのことが、シミュレーションの強化に一貫性をもって取り組みにくい原因の一つとなっている。今後は、シミュレーションを独立したプロジェクトとして取り上げ、その強化をはかる必要がある。
    4. 継ぎ目のない開発戦略を進める上では、大学、公的機関と産業界の連携、ソフトウェア開発者とユーザ企業の連携が不可欠である。またシミュレーションは幅広い分野に関係するため、関係府省等の連携もまた不可欠である。

  2. 競争力の強化に資するシミュレーションに重点投資すべきである。特に、バイオテクノロジー、ナノテクノロジー分野が重要である。

    1. バイオテクノロジーやナノテクノロジーは、これから本格的に実用化が進む分野であり、わが国も重点投資を進めている。これら分野の産業競争力の強化につながるシミュレーションに重点投資を行うべきである。
    2. バイオ分野では、例えば、創薬におけるレセプタとリガンドなどの相互作用、薬物動態、毒性の予測等において、シミュレーションは重要である。また、たんぱく質の構造予測、化合物のスクリーニング、酵素反応の分野でもシミュレーションの活用が期待される。
      ナノテクノロジー分野では、n-Plan2002で取り上げた12産業のうち、例えば、ストレージ、ネットワークデバイス、次世代半導体、高選択性触媒、分離膜材料など燃料電池用材料、高強度鉄鋼材料、ナノカーボン、MEMSについてシミュレーションが重要である。さらには、高分子材料設計、化学プロセス設計、太陽電池用の色素増感剤も、シミュレーションの活用が大いに期待できる。
    3. なお、バイオテクノロジー、ナノテクノロジー分野以外でも、わが国の産業競争力強化の観点から国として重点的な取り組みが進められている分野で、戦略の一環としてシミュレーションが明確に位置付けられている場合は、積極的な推進が求められる。

  3. ユーザとソフトウェア開発者の連携、データベースやコンピュータ環境の整備、人材育成など、シミュレーション活用にあたっての基盤整備が必要である。

    1. 実証・実用ソフトウェアの開発や改良には、ユーザとソフトウェア開発者の連携が不可欠であり、特に、実測した結果などユーザの意見がフィードバックされるような仕組みが重要である。
      また、シミュレーションの実用性は、コンピュータの能力に大きく依存しており、扱う現象の大規模化、複雑化に伴い、コンピュータの計算能力の向上が必要である。シミュレーションを活用した設計、開発の効率化、高度化に対応した中長期的展望の下、ハイエンドコンピュータ環境の整備や継続的な開発が望まれる。
      併せて、シミュレーション活用の観点から、データベースの整備、維持、改良も重要である。データベースの整備にあたっては、シミュレーションソフトウェアとの整合性の確保にも配慮する必要がある。
    2. 大学においては、シミュレーションの評価を高めるとともに、シミュレーションの結果を解釈し、実験にフィードバックできる人材や、シミュレーションソフトウェアを開発できる人材を育成すべきである。

6.産業競争力の強化に向けて、官民の適切な連携と役割分担のもとに、シミュレーションソフトウェアの開発と活用に積極的に取り組むべきである。

  1. 民間の役割

    1. シミュレーションの積極的活用による競争力の強化
      シミュレーションを積極的に活用し、国際競争力のある生産システムの技術革新や、付加価値の高い製品の開発に取り組む。活用するソフトの開発に際しては、産業競争力に役立つシミュレーションについて、ユーザとしての意見の積極的な発信を含めて、世界をリードする実用ソフトウェアの実現に積極的に参加すべきである。
    2. 実用ソフトウェアの維持・改良
      シミュレーションを事業化し、国の研究開発成果を国内・海外の市場で継続的に維持、改良、発展させる体制を確立する。
      例えば、政府の研究開発をもとに製作された実証ソフトウェアをベースに、大企業、ベンチャー企業等が維持、改良を行い、その成果を販売・提供するとともに、継続的な維持・改良のための費用を回収できるようにする仕組みを構築すべきである。
      また、ユーザ企業が協力して、大学、公的研究機関、独立行政法人と連携しながら、ニーズの発信によるフィードバックなどに取り組み、ソフトウェアの維持・改良の仕組みを作っていくことも大切である。
      さらには、政府の研究開発のもとに製作された実証ソフトウェアを活用したソリューションサービスも、インターネットの活用を含め考えられる。
      開発成果の扱いにあたっては、民間が維持、改良費用を回収しやすい仕組みが必要である。
      ソフトウェアを責任をもって維持・改良する民間主体は、実証ソフトウェアの開発に参加したものであることが現実的と思われる。
    3. 異業種・異分野の交流とシミュレーションの普及
      業種を超えたシミュレーション関係者の意見交換、シミュレーション研究者と実験研究者の交流など、異業種・異分野、さらには、産学官の交流を促進する。また、人材研修の受け入れなどを通じて、シミュレーションに対する理解の普及に努める。

  2. 政府への期待

    1. 実証ソフトウェアの開発と成果の民間への移転
      1. 実証ソフトウェアの開発
        基礎研究の優れた成果をもとに、特に、バイオ、ナノ分野を中心に、実際の産業活動などへの利用を視野に入れた実証ソフトウェアを開発していくべきである。開発に際しては、民間への委託、産学官連携など、民間の参加が必要である。大学側も、TLOなどにおいて、シミュレーションソフトウェアの民間への移転に取り組むことが期待される。
      2. シミュレーション・テストベッドを用いた実用問題への適用、設計方法・製造プロセスの研究開発など
        実証ソフトウェアのうち、産業競争力向上の観点から必要性の高いものについて、産学官が連携して、研究機関とユーザ企業の橋渡しを行うテストベッドを設け、ソフトウェアを実用問題に適用し、フィードバックを通じて整備・改良を行うとともに、データ解析方法など解析技術の開発に取り組む必要がある。さらには、テストベットにおいて、入出力方法の開発、マニュアルの整備(英語版を含む)や利用側の人材育成等のユーザ環境の整備、先端的シミュレーション技術を活用した革新的な設計方法、製造プロセスの研究開発を進めるべきである。
      3. 実用化されたソフトウェアの積極的な活用
        公的機関において、上記ソフトウェアのうち、効果が十分に期待できるものについては積極的に活用すべきである。また、一般的な入札の際には、過去の生産高などをベースに資格が決められているが、上記ソフトをもとに事業を行うベンチャー企業も、入札に参加しやすくすべきである。

    2. バイオ、ナノ分野への重点投資
      1. バイオ、ナノ分野におけるシミュレーションの強化
        バイオテクノロジーやナノテクノロジー分野において、産業競争力の強化につながる実証ソフトウェアの開発に積極的に取り組むべきである。また、ナノマテリアル・プロセス技術におけるシミュレーションなど、プロジェクトの一環としてシミュレーションに取り組んでいる場合は、その成果をもとに、必要なものは実証化・実用化のフェーズに移行させることが必要である。
      2. シミュレーション分野における研究開発の強化
        バイオ・ナノを中心にシミュレーション分野における基礎研究を、引き続き積極的に進めるとともに、血液凝固・溶解等の細胞内シグナリングシミュレーション、全身の循環器系シミュレーション、免疫系シミュレーション、統合プラットフォームなど、産業競争力の向上や国民生活の質的向上につながる研究開発への取り組みも重要である。

    3. 研究開発基盤の整備
      1. コンピュータ環境の活用・整備
        実証ソフトウェアの開発、テストベッド等においては、公的機関によるハイエンドコンピュータ環境の活用・整備も求められる。
        シミュレーションソフトウェアの活用のためには、グリッド技術の開発、ハイエンドコンピュータ(専用コンピュータを含む)の整備や開発等、コンピュータ環境の整備も重要である。
        また、公的なハイエンドコンピュータ環境について、産学官連携の視点から、政策目的との整合性、公開性と企業秘密との関係にも配慮しつつ、民間企業が活用できるような方策も検討すべきである。
      2. データベース整備への継続的支援
        バイオテクロジーやナノテクノロジーの競争力向上や、シミュレーションの強化に必要なデータベース(例えば分子の力場など)については、その維持、更新を含め、積極的な支援が求められる。また、データベース活用のための技術開発も重要である。
      3. 人材の育成
        人材育成面では、大学における評価の多様化の中で、ソフトウェアの開発も評価の中で十分に位置付けられるようにすべきである。シミュレーションに関しては高度な実用ソフトウェアの開発やハイエンドコンピュータの設計、先端的なシミュレーション技術を産業に応用できる人材が不足しつつある。新振興分野人材養成ユニットや、スキルスタンダード、育成カリキュラムの作成事業等を活用し、産業現場が真に必要とするスキルを備えた人材を育成する必要がある。

7.おわりに

シミュレーションは産業の共通基盤技術として広く利用され、20世紀後半の技術革新を支えてきた。今後のわが国の中核産業として期待されているバイオテクノロジーやナノテクノロジーの分野においては、実験で観測することが困難な原子、分子の挙動を把握する必要があり、シミュレーションは従来にもまして重要となる。今後、わが国がこれらの分野で、世界をリードする付加価値の高い新製品を多数生み出していくためには、シミュレーションの研究開発および産業への応用が不可欠であり、今後求められるコンピュータ環境も、現在のテラFLOPS級からペタFLOPS級に拡大すると見込まれる。シミュレーションを活用した技術革新は、様々な分野の技術の融合のもとに、大学等の研究機関と産業界が一体となって実現するものであり、国としての戦略的取り組みが不可欠である。この提言が、シミュレーションに関するわが国の戦略的取り組みの参考となれば幸いである。

以 上

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