アジア地域における労使関係

～緊密なコミュニケーションこそが健全な労使関係構築の基礎である～

２００３年７月２２日
（社）日本経済団体連合会

はじめに

アジアの諸国で労使関係をめぐる課題が最近とみに多くなっている。その背景には産業構造の変化、グローバル化に伴う民主化や政権の交代、通貨危機など社会・経済の変化があるであろう。こうした労使関係の変化の中で、いくつかの国では労使紛争の当事者として日系企業の名前も挙がるようになっている。その要因を明らかにして、今後の紛争防止のために日本企業は何をすべきかを考えるというのが、本報告書の問題意識である。東・東南アジア地域に加え、南アジアを検討対象とし、アジアの労使関係動向の特徴と企業としての留意点をとりまとめた。
一般的には、東・東南アジア地域の国々では労働組合運動は従来それほど活発ではなかった。政府の力によって労使関係の安定がもたらされ、特に経済開発への貢献という大きな役割を期待されてきた外資系企業、日本企業にとっては労使関係を特段に意識する必要に迫られなかった時代もあった。現地の労使関係への対応は、経営課題の中でそれほど大きな問題として浮かび上がってこなかったのである。
他方、南アジアとりわけインドでは1947年の独立以前から労働組合運動は盛んであり、独立後も、労働組合出身者による政党結成など、組合運動と政治運動が密接な関係を持つ傾向があったため、労使関係への対応はかねてから経営上の重要課題の一つであった。
今日では、東・東南アジア地域においても、安定的な労使関係は所与のものではなく、企業が自らの努力によって健全な労使関係を構築しなければならなくなっている。紛争の未然防止という観点だけではなく、企業グループ内の人材を国籍を問わず活用して企業の国際競争力を高めていくという積極的な観点からも、現地の人事労務管理のあり方を本格的に考える時が来ていると言えよう。日本が築いてきた、緊密な労使のコミュニケーションに基づく信頼関係構築というアプローチの意義を、改めて考えるべきだと思う。
日本企業が心がけるべき点として挙げたものは、決してアジアに進出している企業に限定して適用すべきというわけではなく、普遍性を有するものであるが、アジアにおいては、特に、人事労務管理分野に改めて関心を向けて取り組む必要性や、現地の文化や慣習を理解する必要性があることを強調しておきたい。本社としては、ローカルなものに対する理解と視点を保持すると同時に、企業グループ内の求心力を高めるために企業の理念や基本方針を定め、隅々に徹底していくという役割にも心しなければならない。
本報告書が、良き企業市民として現地に根付こうと努力している企業の海外活動の一助となれば幸いである。

I．アジアにおける労使関係の動向

アジア諸国では1997年の通貨危機に相前後して、労働組合の組織が変わったり大きな紛争が起きたりして、労使関係が大きく動いているように見える。現地に進出している外資系企業、日系企業もその影響を免れることはできない。こうした中で、各国の労使関係をなるべく実態に即して把握しようというのが、当報告書の問題意識である。
アジアを構成する国々はその歴史や社会の成り立ち、文化や宗教など多様性に富んでおり、労使関係もこうした社会の基底の上に成り立つものであるから、それぞれの固有の特徴を有するものであるが、グローバリゼーションという世界を取り巻く環境からの影響も確実に増している。そこで、各国固有の事情と時代からの共通の要請というものを整理して、その上で日本企業としていかなる対応をとるのが良いのか考えるという立場でヒアリングや現地調査を行ってきた。
東南アジアと東アジア地域を対象に、インドネシア、フィリピン、マレーシア、タイ、ベトナム、中国、韓国について検討した中間報告（2002年5月）に続き、今回はインド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカという南アジアに対象を広げ検討を行なった。
アジアは多様性に富んだ地域であり、労働組合のあり方や労使関係についても一括りにすることは難しい。個別の事情は後段の各国の労使関係事情に譲ることとするが、そのような多様性の中にもいくつかの国に関して共通の軸を見出すことができる。
一つは、植民地支配の影響である。例えば、インドやマレーシアにはイギリス、フィリピンにはアメリカの影響が労働法や労働組合組織に色濃く残っている。そして、独立運動と組合運動との結びつきが強く、組合運動が政治運動化しているという特徴がある。とりわけインドでは独立直後の民主主義体制下で、労働組合指導者が政治家に転進したこともあり、かねてより政治と労働組合との結びつきが強く労働運動は活発であった。
他方、東アジア・東南アジアでは強権的な政治の下で組合運動が抑圧されてきたという歴史がある。例えば、インドネシアのスハルト政権やフィリピンのマルコス政権では、経済開発優先政策により組合運動が抑制されるというようなことが行われた。韓国では、経済優先主義に加えて北への脅威を背景に組合運動が政府の管理下に置かれた。
東・東南アジアにおいて労組活動がそれほど活発でなかったもう一つの背景としては、産業化の遅れにより、農業やインフォーマルセクターなどが大きな人口を抱え、組合の母体になる労働者が多くはなかったことや、組織率が低いことが挙げられる。８０年代になってアセアン諸国では急速な産業化が進み、工業労働者が増大するのであるが、この急成長は外資導入に大きく依存しており、そのため、政府が投資誘致の方策として、労使紛争の防止や労働面での環境整備に力を入れたということがある。
他方、中国やベトナムなど社会主義国では、組合は党の一機関である。その活動は労働者の意見を代弁するというよりも、国の政策の実現に重点が置かれており、企業の安定的発展に貢献することをめざしている。上記の諸国とは違った意味で、国のコントロール下にある組合という性格を有する。
グローバル化は外資導入による経済発展を進展させたが、他方で、民主化を促し、労使関係においても国際標準への収斂を求める動きとなっている。労働分野においては、「結社の自由と団体交渉権」「雇用平等」「強制労働の廃止」「児童労働の廃止」を中核的労働基準として、普遍的に守るべきだという国際的なコンセンサスが出来てきた。1998年のＩＬＯ総会で採択された「労働における基本的原則と権利に関する宣言」はこの四つの原則・権利に対する加盟国のコミットメントを示したものである。この宣言を踏まえ，国連のグローバル・コンパクトや2000年に改定されたOECD多国籍企業ガイドラインでは企業に対してもこうした原則の尊重を働きかけている。
こうした状況の下、独裁政権に代わって誕生した政権は、民主化の旗印として人権尊重、言論の自由などと合わせて結社の自由を推進する必要に迫られている。国際機関や国際世論からの強い圧力でインドネシアや韓国では労働法を改正して複数組合の承認へ向かった。労組の数が増えると、労組同士の競争、対抗が生じる。インドネシアのように民主化の過程で、労働運動がますます政治運動と結びつきを強くしている国も見られる。インドは前述のように、民主主義体制のもと独立以後も労働運動は活発であり、そもそも労組法で一企業内の複数労組の設立が認められていることから、どの組合が経営側と交渉権を持つかについて紛争に発展することもあった。
通貨危機からの回復の過程で、政府が復興計画の策定のために三者構成による協議機関を設置したりして、これまで労働問題に限られていた労働組合の発言力がマクロレベルで増大したところもある。また、通貨危機克服を挙国一致体制で行った国では、その後の回復において、労働組合が過去の譲歩に対する見返りを求めるところも出てきている。
グローバル化の下、競争力増大のため進められている構造改革に大きな影響を受ける労働者が、不満を爆発させるということもある。社会主義国の中国では、工会という労働組合が紛争を主導することはないが、国有企業の改革によって生じた失業問題に対して、工会を通さない労働者の直接の抗議行動が最近頻発している。グローバル化の進展する中、インドでは90年代初頭にそれまでの社会主義的経済運営から市場経済化への転換を進めたことから、労働組合も過度な要求は通り難い現状を認識し、労使紛争を企業内で解決することの重要性を意識するようになってきた。
多くの国が高い失業率、厳しい雇用情勢に直面しており、雇用を拡大するためにも、経済発展のためにも外資に期待を寄せている。海外からの企業の誘致にとって良好な労使関係は不可欠な条件であり、マクロレベルでは、政府や労使の間で良好な労使関係の重要性は認識されている。これをいかに企業レベルで具体化していくかが課題であろう。
近年いくつかの国で、日系企業の労使紛争について耳にするようになったが、これは日系企業に特異に表れている現象というよりも、上記のような大きな経済・社会変化の中で現地の労使関係に生じているひずみが反映されたものと見ることができる。
かつては、政府の強権など企業外の力によって労働組合の動きが抑制され、労使関係の安定が担保されていた時期があり、その傾向は特に外資系企業にとっては顕著であったが、現在はそうした外からの力による平穏維持ではなく、企業が自らの努力によって健全な労使関係を構築しなければならない状況になっている。人任せではなく、それなりの配慮やコストをかけた対応が必要になっているのであり、現地の人事労務管理のあり方を本格的に考える時が来ているといえよう。

II．日本企業として留意すべき点

以上のような問題意識から、日本企業のアジア展開にあたっては、現地企業における人事労務管理のあり方について、本社としての留意点並びに現地進出企業の留意点を次のように考える必要があろう。当然ながら、認識として両者が共有すべきところが多々あり、峻別は難しい面もある。
各国のおかれている状況には、国家の体制、発展段階、国民性の相違等があり、自ずと日本企業として留意すべき点についても適格性や軽重において差異がある。ここでは、あえて共通項と思われるポイントを整理してみたが、個別の事項については国によって一部適応しない部分もありうることをご理解いただきたい。

本社としての留意点

１．世界に通用する企業としての魅力を高めること

企業が優秀な人材を引きつけるためには、労働条件のみならず、企業の魅力という観点が重要となる。働く人々に夢や希望を与えられる経営理念や企業としてのビジョンを確立し、企業グループ内の現地企業にも浸透させ、外に向かっても適切に発信していくことが求められている。そのひとつの手段として透明性、倫理性、アカウンタビリティを大切にするコーポレートガバナンスの確立も重要である。
各地で日本企業のプレゼンスが大きくなっている。多国籍企業に対するステークホルダーからの期待は高く、それ故に、他方で企業を見る目が厳しくなっていることを十分承知して、また、国際的に共有されている普遍的な価値観を尊重しながら社会的責任を積極的に果たしていくことが必要である。

２．優秀な人材確保と維持のために人事管理制度を改善すること

労使関係というよりもより広い従業員との関係として、日本企業の労働市場における人気について考える必要があろう。日本の現地企業は、最低賃金を守るなどの遵法姿勢は当然のこととし現地企業に比べ比較的高い労働条件を提供していることに加え、人材育成の面で高い評価を得ている。しかし、日系企業における教育を転職のばねにしたり、あるいは、よその企業が引き抜いていくという状況も出ている。人材育成に力を注ぐことは社会的責任の観点からもおおいに胸をはってしかるべきであるが、せっかく育てた優秀な人物を留められないのは何故なのか考える必要がある。
昇進が遅い、現地人に対してグラスシーリングが存在する、将来が見えないなどの不満が現地従業員にはあるようである。年功制度や給与体系の見直しなど人事・賃金制度の工夫、さらに優秀な人材を国籍にかかわらずグローバルタレントとして企業グループ全体の中で活用していくという本社・グループ企業を含めた人事制度一体化の発想が必要であろう。日本国内では従業員の定着率は高いのであり、今日のビジネス環境に照らして国による雇用慣行の違いを超えて、適用できるノウハウは何かを整理・追求してゆくことも検討に値するであろう。
さらに、派遣された人材が本社に戻った後の活用も重要な側面である。せっかく得た貴重な経験が充分に活かされるような配置や専門家の育成という観点が必要である。これは本社として考えるべき根本的な課題であると言えよう。

３．本社として現地人事労務管理の重要性を認識すること

多くの日系企業では海外進出の際に技術、販売、財務などに注力して人事労務の重要性に対する認識が充分でないことが多い。企業の成功の鍵を握るのは何と言っても人材であり、経営における人事労務管理や労使関係の重要性を派遣前教育などで徹底しておく必要がある。それに加え、本社としても現地からのヒアリングなどを通して現地の人事労務事情の理解を深めるとともに、企業グループの基本方針としての経営理念や労使関係のあり方などを指導することも必要であろう。さらに進出後のフェーズに応じて、つぎに述べるように現地企業は独立した存在であるとの認識のもと、経営陣の現地化も進めなければならない。
言い換えれば、経営に関する基本理念、人事管理の根本方針は企業グループ内で共有化が図られるべきであるが、具体的な人事労務管理制度は現地の法規、文化、慣習に立脚して、現地で定められるべきという原則を、現地と同様に本社としても認識しておくことが必要である。

現地進出企業の留意点

４．進出企業は独立した現地の法人であることを認識すること

進出企業は、あくまでも進出先国の企業であり、ナショナルアセットとして現地にどのように貢献すべきか、貢献できるかを考えなければならない。また、何か問題が生じた場合でも、その解決は現地で主体的に図られるべきである。
そのような基本的理解に則れば、経営の現地化の必要性もおのずから明らかとなる。日本人派遣社員にかかるコストの面からも、進出後の経営の成熟度合に応じて、適切に経営の現地化を進めるべきであろう。
現地社会の一員として、現地経営者団体に加盟して経済社会の構築に積極的に参画することや、社会貢献活動に尽力することの必要性を認識すべきである。

５．各国の労使関係には、それぞれの歴史や文化に基づく特徴があることを理解すること

アジア各国の労使関係に見られる多様性も、グローバル化の下で方向性としては一定の収斂を求められているものの、それぞれの労使関係の背景には各国の社会の成り立ち、歴史や文化が根深く存在することを理解するように努め、そのような姿勢を相手にも明確に示すことが重要である。同じように見えても単に現象面のみで判断するのではなく、その背景にまで思いをいたすことが求められる。国別の配慮や、各国の事情に合わせた労務管理を実施することが必要となっている。

６．人事労務担当責任者には優秀なローカルの人材を充てること

経営の現地化の重要性、現地の文化を踏まえた労務管理の必要性や言語の面を勘案すれば、可能な限り能力・人格ともに優秀な現地の人物を人事労務担当責任者とすることが望ましい。しかしながら、現地組合からは、問題が発生すると自分に権限はないと逃げてしまうという現地担当者の資質について問題視する声もある。担当責任者には、日本人派遣者との二人三脚の経験などを通じて自社の人事労務の基本方針を充分に理解させた上で、責任に応じて権限の委譲を行う必要がある。即ち、ローカルな人材でありながらグローバルな視野を持ちうるようにするということである。この点で、日本から派遣された現地の経営陣が人事労務の重要性を認識し、恒常的に担当責任者と緊密な連絡をとっておくことが重要である。そうしたことが、労使紛争を未然に防ぐことにもつながり、また、紛争時における適切な処理につながることを認識すべきである。

７．企業レベルでの労使関係の構築・改善に努力すること

労組を有する企業であっても、経営者と労働組合の間で労働条件などについての実質的な話し合いができず、労使関係が確立されていないところもある。また、地域によっては紛争処理を外部に求める傾向が強いところもある。労組側にも経営を考えた発想と課題の共有ができるように成長を期することが必要である。企業の存続と発展があってこそ従業員の生活水準の向上が図られるという点の理解を、経営管理層のみならず組合役員を含めすべての従業員に徹底しなければならない。

８．緊密なコミュニケーションによって良好な労使関係、従業員関係を実現すること

労使関係、従業員関係を良好なものとするには、トップから末端に至る緊密なコミュニケーションの構築に向けて不断の努力が必要である。労使協議会などにおける情報提供・意見交換や、小集団活動、改善運動などを駆使するとともに、遠足やスポーツ大会などの文化活動も有効である。キメ細かな職場管理によって、労組、従業員との信頼関係を構築しておくことが重要であろう。
労働組合がない場合や、労組はあっても社会体制や習慣の違いにより、労働者の意見を吸い上げるという機能が充分に果たされていない場合、さらに、企業や仕事に対するコミットメントを強く求めるためには、組合とは別の形でコミュニケーションのチャンネルを作ることも必要である。
グローバル化の進む中、国際競争は激しさを増しており、企業経営としては、競争力維持のため生産性向上の必要性がより高まっている。こうした要請に応えていくには、労組や従業員の協力が不可欠であり、そういう意味でも緊密なコミュニケーションによって労組や従業員の理解を得ることがますます重要になっている。また、緊密なコミュニケーションが企業レベルでの良好な労使関係構築に欠かせないことを認識すべきである。

９．企業を超えた情報交換に努めること

地域レベルや日本人商工会議所などにおける他社との情報交換に努め、最新の労使関係動向について承知しておくことが必要である。とかく日本の企業は日本人同士のみの情報交換を重視しがちであるが、現地の経営者団体の活動に参加し、経済社会の発展への寄与、それを通じた労組ナショナルセンターとの意見交換なども相互理解を深める上で有効かもしれない。現地経済に占める日本企業のプレゼンスの大きさを考えれば、市民の一員として現地の経営者団体活動、国レベルの協議などに参加することを考えるべきである。
そのためには、日本企業にとって現地の経営者団体の活動に参加することに積極的な意義が見出せるよう、日本経団連としても当該団体の強化・育成に努めたい。

１０．日本の労使関係に関する理解促進のため発信を行うこと

日本の良好な労使関係については海外でも良く知られているが、そのイメージが先行して、日本の本社では労組と良好な関係を結んでいるのに現地では扱いが異なるというような不満が現地企業の労組側に生じやすい。良好な労使関係構築に必要な条件、相互理解と相互信頼に基づいた成熟した関係のあり方、労使こそ社会の安定帯であることなどについて、より具体的な情報を発信するとともに、進出先で実践していくことが必要であろう。日本から学ぼうとする姿勢を強く持っている国も多い。そうした期待に応えるためにも、実践を通じて正しい情報を提供していくことがより必要となっている。

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III．各国の労使関係事情

１．東南アジア

（１）インドネシアの労使関係

概況: スハルト政権下では、全国レベルの労働組合は単一組織にまとめられ、自由な労働運動に制限が加えられた。こうした状況に対して、国際的な批判もあったし、国内でも反体制的な労働組合が生まれていた。スハルト政権崩壊後、ハビビ政権は民主化への取り組みを進め、1998年から2000年にかけ、ILOの基本条約を一気に批准し、結社の自由が認められるようになった。これを契機にナショナルセンターは何十と乱立し、大小様々なストライキも発生している。日系企業でもストライキが生じている。メガワティ政権発足後、一時はストライキ発生件数は急速に減少、2002年には件数は再び増加しているが、規模としては縮小しており、概ね短期終結の傾向が見られる。かねてよりオランダ領時代の条例などをベースにした現行法と実態との齟齬や、頻発する労働者のデモやストを規定する法律が未整備であることが、投資環境の悪化に繋がっているなどの懸念がもたれている。このため労働者保護や経済危機後の経済状態に即した新しい法律の制定が労使双方から望まれ、2003年2月25日には６年越しの議論の末、新労働法(労働者保護法案)が成立した。当初は労使紛争解決法案と合わせて二法案の成立を予定していたが、内容に関する反発が労使双方から相次ぎ、最終的には労働者保護法案のみが新労働法として成立した。労働者側からは、政労使三者構成での協議内容が充分に反映されていない、労働者保護の観点が不十分であるとして、根強い反対がある。
労働市場の概要: インドネシアの人口は、２億1,350万人（2001年）。15歳以上の労働力人口は9,881万人（2001年）で、失業率は8.1％である。しかし、インドネシアでは、インフォーマルセクター（国家統計上にあらわれない経済活動。行商や露店など）における就労者の比重が高く、実質的に失業状態にあると見られる週15時間未満の就労者と失業者を合わせた割合は、13.8％にのぼる。
就労者の約45％は農林水産業に従事しており、サービス業が39％、工業で働く者は16％にすぎない。また、雇用労働者は就労者の30％となっている。
労働運動の流れ: スカルノ時代は多くの労働組合、連合が活発に活動していた。共産系のSOBSIや自由主義を標榜したGASBIINDO、SARBUMUSIなどが隆盛をきわめた。1967年からのスハルト体制下、労使関係は国家基本哲学と言えるパンチャシラの精神を基に労使協調路線が敷かれた。
パンチャシラとは、インドネシアの建国5原則で、(1)唯一至高神への信仰、(2)公正にして開化した人道主義、(3)インドネシアの統一、(4)協議制、代議制における英知によって指導される民主主義、(5)全インドネシア国民のための社会正義、を意味する。
1974年には、この5原則に則った「パンチャシラ労使関係」が主唱され、労使はこの原則に基づいて国家開発に協力するとされた。すなわち、「労働意欲、生産性の向上を通じて労働者の成長を促進させ、さらに発展の成果の公平な分配を促進する」として、労使間の協力によって生産を促進し、国家の発展に寄与することが奨励された。（しかしながら、概念が抽象的で普及は進まず、1985年には改めて、パンチャシラ労使関係を実践するための方針として協力３原則が掲げられたが、1998年以降の政治的混乱の中では影が薄くなった。）
労働組合はパンチャシラ原則の下で再編成され、1973年には全国の中央産別労組23組織がFBSIという連合体に参加して一旦統一が実現した。この統一の動きは官主導であった。1985年FBSIは、産別労組の連合体から単一組織に再編成され、SPSI（全インドネシア労働組合）が誕生した。SPSI以外の連合体を結成することは禁じられた。産別労組はSPSIの部門となって、力をそがれた。こうした政府の強引なやり方にICFTU（国際自由労連）は批判的で、またILO（国際労働機関）も改善を求める動きを示した。1990年にSPSIは国際世論や批判に応えるべく、組織の再改編を行い、1995年に加盟組織を産別とする連合体FSPSIに衣替えした。
1994年には「企業レベルの労働組合に関する労働大臣規則」が公布され、一年以内のSPSI加盟を推奨するという条件付きで、上部組織に属さない単組の結成が認められたが、一つの企業には一つの労組しか認められなかった。
FSPSIの労組独占やスハルト体制下の労働者弾圧などに対して、労働者の権利や結社の自由を求めて反体制的な労働組合が生まれた。1990年11月に労組「団結」（SBM－SK）が、1992年4月にはインドネシア労働福祉連盟（SBSI：パクパハン委員長）が設立、デタ・サリ女史のグループなども結成された。政府はこうした団体の否認を続け、民主化運動を目指す知識人グループや欧米諸国の強い反発を招いている。非公認であってもSBSIは、最低賃金の引き上げや、労組としての合法化などを求めてストライキやデモなど活発な活動を行った。
スハルト政権が1998年5月に崩壊し、その後成立したハビビ政権はILO第87号条約を批准し、結社の自由や団結権が認められることになった。1957年に批准済みの第98号条約に加え、1998年から2000年にかけて、インドネシアはILOの基本8条約をすべて批准した。それまで結社の自由について再三ILOで問題にされてきた国が一気に優等生になってしまった。このように政府がILO基本8条約を批准した背景には、ILOや国際労働団体からの強い働きかけがあったこと、インドネシア通貨危機対策の過程でIMF(国際通貨基金)や世銀なども正常な労使慣行を間接的に期待したこと、ハビビならびにワヒド政権は、民主化路線を世界にアピールして国の信頼回復に努める必要があったこと、100万人にのぼると言われる海外在住のインドネシア労働者の人権、基本権保護を求めるために自ら率先して範を示す必要があったことなどが挙げられる。
2000年７月には、国民議会は新労働組合法案を可決した。以前は、労働組合を結成するには、25人以上の労働者の合意、使用者の同意と労働省への登録が要件であったが、新しい労働組合法の下では、最低10人の労働者の合意と、労働省への届け出で組合を結成できるようになった。ただし、同法では、労働問題が長期化し、問題の解決が困難な場合には政府が裁判所を通じて労働組合の解散を命じることができるとしており、ILO第87号条約に反するという批判がある。各種労働団体の設立が認められることにより、労組の乱立という事態を招いている。企業内に複数の労組が存在することもおおいにありうることになる。
ナショナルセンター: 現在、労働・移住省に登録された全国規模の総連合は、全インドネシア労働組合総連合（KSPSI、旧FSPSI）が唯一かつ最大のもので、議長はヤコブ労働・移住省大臣が兼任。組合員数は200万人規模（公称510万人）とされる。一方全インドネシア労働組合連合改革執行委員会（SPSI REFORMASI）から分裂し、国際自由労連アジア太平洋地域組織（ICFTU-APRO）の支援を受け2003年初頭に第１回全国会議を開催して結成されたインドネシア労働組合総連合会（KSPI、2003年4月現在登録手続き中）は組合員数170万人。総連合としては以上の２つが存在している。ハビビ政権下の民主化で結社の自由が広く認められるようになり、ナショナルセンター（いわゆる連合体）が乱立して、今日では70を数える。KSPI傘下にあり、国際金属労連（IMF）加盟のインドネシア金属労働組合（SPMI）には、電機、自動車、鉄鋼、金属など日本企業内の多くの組合が加盟しており、日系企業における労働争議と関係する場合が多い。
新しい労働組合法によれば、最低10人の労働者を集めれば労働組合を設立でき、5つの労組で連合会、3つの連合会で総連合を設立できることになっているため、様々な背景やイデオロギーを元に労組が設立されている。FSPSIから分裂したもの、スハルト政権下で認可されていなかった労組が復活したもの、さらにまったく新しい組織などがある。
労組設立の背景には、政治活動、宗教、人権運動などがあり、労働者の生活水準向上を援護するというよりも政党とともに政治活動に力を入れる組合が少なくない。むしろ、政党が支持者形成のために労組を組織しているとも言われる。ハビビ政権下の民主化の中で多数の政党が新設されたが、労組の乱立はこうした政党の動きに附合するものである。
政労使の三者協議に参加できるのは、工場レベルに組合を有するナショナルセンターと定められている。現在、ナショナルセンターに加盟する組合員数は劇的に増加しているが、多くのナショナルセンターは工場レベルで組合員を擁しておらず、三者協議の場で労働者を代表すべき組織を判別するのは困難になっている。
ILOに代表を送る使用者団体としては、インドネシア経営者協会（APINDO）がある。同協会は、1952年に設立されたインドネシア全国経営者社会経済問題協議会（PUSPI）が1985年に名称を変更したものである。インドネシア商工会議所（KADIN）から、労働問題については全面的に取り扱いを委譲され、労使関係、人材に関わる三者委員会に使用者を代表する組織として認知されている。活動にあたっては、パンチャシラの精神、共存共栄のための合意形成を目指す話し合いの優先、相互尊敬・相互寛容・開放的精神、あらゆる形の暴力行為の回避、法規則の遵守を原則として掲げている。27州に支部を有し、会員は国営企業から民間企業、協同組合まで約5,400を数える。
紛争処理: スハルト政権時代には、労使紛争に軍や関係者が介入することも多く、紛争は早期に収束された。現在はこうした手法は厳しい批判を浴びるようになり、労使紛争やストの解決に時間がかかるようになっている。労働・移住省の調停システムを活用して、(1)労使の自主的話し合い、(2)調停官を含めた三者の話し合い、(3)政労使三者の地方レベルの調停、(4)中央での調停、(5)調停の受け入れという流れに沿って解決を求めなければならない。しかし、2001年１月からの地方分権推進により、地方出先機関であった労働事務所が州政府の管轄下に入ったため、労働・移住省の調整機能は低下している。
労使紛争: 「労働紛争終了に関する1957年法律第22号」の下で正式に許可されるストライキは、調停官の立会い・調停のもとで社内で労使が話し合い、それでも解決しない場合、または、会社側が一切話を聞かない場合に、地方政府の窓口である地方労働紛争調停委員会（P4D）と会社に通知を行い、P4Dから通知を受け付けた旨の書面交付（通知受領後１週間以内に発行）を受けて実施するという非常に煩雑な手続きを経て実施される。このため、現在行われるストライキのほとんどは、正式な手続きを踏まない違法ストである。
ストライキ件数は90年代に入って増加している。その内容の大半は最低賃金を下回る給与水準への抗議や賃金不払い問題、長時間労働や不当な女子労働や待遇改善を求めるもので、韓国企業やプリブミ企業（純民族系企業）のなかに多かった。インドネシアでは、団体交渉が未成熟で、「最低賃金」が「標準賃金」化している。そのため最賃違反が後を絶たず、賃金問題に端を発したストが多い。
1994年4月には北スマトラのメダンで最低賃金引き上げなどを要求するデモが行われ、華人系住民を中心に死傷者の出る暴動に発展した。SBSIのパクパハン議長が労働者を先導したとして1994年11月、禁固3年の刑を言い渡された。
1996年にはストライキ件数が346件にのぼり、1997年（234件）、1998年（276件）も通貨危機とスハルト政権崩壊で現地企業・外資系企業を問わず全国的に多数発生した。1999年には一旦125件に減少したが、これは、経済危機が深刻化して労働者が雇用維持を第一としたためと見られる。2000年には再び増加している。部門別では製造業が中心で、従って地域としては、製造業の集中するジャカルタや西ジャワ地区などに多い。繊維や電気機器関連の企業で大規模な争議が発生している。最近では外資系企業でも増加しており、日本企業にもその影響は及んでいる。
しかしながら、日系企業で特に労使紛争が多いという訳ではなく、激しいストライキは華僑系の現地企業で見られる。ストライキは金銭面での労働条件向上を求めてという単純な理由が多い。70％の賃上げというような非常に高い要求が出されることもあるが、理論的な根拠に基づく要求というよりも、より多くの賃上げをという発想で行動している場合が多いようである。日系企業における労働争議にはSPMIが関与しているものが多く、ひとたび労働争議に発展すると上部団体を通じて全世界的に大規模な抗議運動を展開するなど、事態が拡大する傾向にある。
労使紛争増大の背景: 基本的人権の尊重や言論の自由、権利の主張は、独裁体制から民主化への方向転換という一連の動きの一環と見ることができる。デモは、民間企業の労働者のみならず、農民、国家公務員などでも行っており、欲しいものは何でも要求し、その要求も暴走してしまうような社会的混乱が広がっているということである。
今後も、地方分権で中央政府の指導力が低下し、また、軍や警察もかつてのような力を持たないことから、労働争議も含めて種々の社会問題の発生が予想される。
複数組合が可能となって、一つの企業に背景の異なる労働組合が存在すると、労組同士の対立が紛争につながる場合もある。外部の人間が組合活動に介入するケースもあるし、工業団地では一企業の争議が他の企業へ飛び火することもある。
1998年以降の民主化の流れの中で、政労使とも新しい労使関係を模索している状態であるということができよう。
紛争の直接の原因は、2002年にはインセンティブ、福祉に関する要求が最も多く、続いて最低賃金に関わるものが依然として多かったが、この背景には最低賃金の引き上げ率がジャカルタで38％と大幅であったことから最低基準に抵触するケースが増えたためと見られる。
文化的な背景: インドネシアの組織・社会には親子関係というか、親分－子分の関係が根強い。裕福な人が貧しい人に分け与えるのは当然という考えがある。従って、「偉い人にぶら下がれる人がおいしい目にあう」という事態が生じる。かつては財団ビジネス（公務員が財団を作って、副業を行い裏給与の財源とする）が盛んで、正規の給料は低くても裏の給与が大きく、生活に事欠かないという状況であった。経済危機の中でこの資源再配分メカニズムは崩壊してしまい、それが社会的混乱の一因にもなっている。
企業の中でもこうした親子関係が期待される。企業は裕福であり、当然分け与えてくれるものと考える。工場ができれば地域住民が自分達を雇って欲しいと当然要望する。特に外資に対する期待は大きくふくらむことになる。
組合の中でも、親分－子分関係の期待感が、労働運動の指導者とその支持者の間に生じる。少しでも良い待遇や収入を確保してくれる人が良い指導者と思われる。このようなことも過度の要求の背景として考えられる。

（２）フィリピンの労使関係

概況: 労働法は米国の影響を強く受けている。労働組合の結成から団体交渉、紛争解決まで、法律の手続きにウエイトが置かれており、労働争議は裁判所に持ち込んで争うというパターンが出来ている。労使関係の問題が第三者によって解決されることで、労使関係は成熟せず、敵対的になり易い。
最近は、左翼系の過激な組合「5月1日運動」（KMU）が台頭しており、この組合が関与するストライキが多く発生している。
労働市場の概要: 人口は8,010万人（2001年）。労働人口は3,393万人（2002年）で、失業率は11.4％（2002年）、組織率は26％（2002年）。エストラーダ政権末期の政治的混乱に起因する経済停滞で失業率は2001年４月には13.3％（446万人）を記録したが、その後回復傾向を見せた。しかしながら、平均して10％と高く、また、不完全就労（就業はしているが仕事量が著しく少ないなどの理由で低収入に甘んじている状態）が17.5％と大きな問題になっている。雇用労働者が48.9％。産業別では、農業が37.2％、製造業が16.2％、サービス業が46.6％を占める。
労使関係の特徴: フィリピンの労使関係法は、労使関係を完全に労使の自治に委ねるのではなく、政府が組合結成、団体交渉、労働争議の場面で介入するように定めている。
労働組合は、正当なものと認知されるためには、労働関係局地方事務所への登録が必要となる。登録のためには交渉単位における全従業員の20％以上の支持が必要である。一般職と現場管理者の2種類の労働組合設立が一般的であるが、どちらの場合もそれぞれの対象職員の20％以上の支持があって初めて組合設立が可能となる。一社に規模の小さい組合が多数存在することが可能であり、相互に競合して組合全体としての力が弱いという状況を生んでいる。
団体交渉は、アメリカの交渉単位制度を導入している。単位内の労働者の過半数が選んだ労働組合が、その単位を代表する唯一の団体交渉権限を持つ。労働協約は特に定めのない限り5年間有効である。一方の当事者の書面による団交申し入れがあった場合、10日以内に回答を出さなければならない。紛争が生じた場合には、いずれの当事者も10日以内に調整会議開催を要請できる。これによって解決しない場合、全国斡旋調停委員会（NCMB）は、当事者双方または一方の要請により、あるいは職権で介入することができ、直ちに双方を調停会議に召集しなければならない。NCMBは紛争を平和的に決着させるとともに、また、当事者双方が事案を任意仲裁人に委ねるように努力しなければならない。
労使紛争: 労使紛争を解決する機関は、全国労使関係委員会（NLRC）、全国斡旋調停委員会（NCMB）、労働雇用省地方支部、労働雇用大臣などがある。強制仲裁の時代は、多くの紛争が訴訟に持ち込まれて解決に時間がかかり、労使関係も悪化したため、法律至上主義への反省から任意仲裁制度として80年代にNCMBが設けられた。労使紛争の原因によって取り扱う機関が異なっているが、基本的に、第三者による解決、しかも法律的な解決に依存しているところに、労使関係が敵対的になり易い素地がある。
ストライキ発生件数はピークであった1986年の581件から毎年減少してきている。2001年は43件であった。1989年3月に新労働法が施行され、ストライキに対する規制を強める方向が打ち出された。1990年5月には、ストライキやロックアウトの発生を抑制し、生産性を向上させるため、政府、使用者団体、労働組合の三者間で産業平和協定が締結された。
全体的には、紛争の数が減少してきているものの、最近では日系企業も巻き込まれており、背景にはKMUの存在が大きくのしかかっている。2001年4月アロヨ大統領は貿易産業省と労働雇用省に労働争議を早期に解決するための対策部会を設置した。紛争が生じても早い段階で解決を図り、問題が拡大するのを未然に防ぐためである。労使関係が不安定な国とのイメージが出来てしまうと投資を受け入れる機会が減少するとの危機感が背後にある。
ナショナルセンター: ナショナルセンターとしては、マルコス政権下で唯一認められていたフィリピン労働組合会議（TUCP）が最大である。TUCPは、戒厳令体制に対して、労働者の支持を得る必要性を感じていたマルコス政権が主導して23の労働組織により1975年に設立された。現在は、官公部門から、農業、民間産業まで広い分野に亘る27の産別組織からなり、組合員数は約125万人。国際自由労連に加入している。結成当時から、指導層には官僚や政治家の経験を有する弁護士が多かった。逆に組合幹部の経歴を活用して政府や議会に転出する例も多い。
このほかにキリスト教系の自由労働者連合（FFW）、共産党系の「５月１日運動」（KMU）などがある。KMUは、80年に設立された最左翼の労働組合で、組合員約80万人を擁するとされている。反資本主義で、外国資本やブレトンウッズ機関によるフィリピン経済の支配を強く批判している。アロヨ大統領の誕生につながった「ピープルパワー２」には、労働組合も積極的に参加を行ったが、KMUはこれによって発言力が強くなったと言われる。
使用者側の全国組織はフィリピン経営者連盟（ECOP）である。1974年11月に発効したフィリピン労働法典の中で政労使による三者構成主義が採用され、政府の各種委員会において労働者代表とともに使用者の代表となるために、政府の勧告により全国的な業界団体の上部組織として、1975年に設置された。それまで、フィリピン商業会議所と工業会議所のそれぞれの労働雇用委員会として活動していたものを合体させたものである。会員は、40の産別委員会と地域別の商業会議所、500超の企業からなる。

（３）マレーシアの労使関係

概況: 比較的古くから団体交渉制度が発達しているが、労使関係は国のコントロール下に置かれている。多民族国家であることが労使関係にも影響を及ぼしており、政府によって民族間の所得再配分のメカニズムが実施されてきたことも労組弱体化の背景となっている。
政情の安定を背景に、通貨危機においても失業率やストライキの増大は見られなかった。
労働市場の概要: 人口は2,453万人（2001年）。組織率は約8％。失業率は2.9％（2002年）。
マハティール首相の下で工業化が急速に進行しており、90年代には就業構造でも農民より工場労働者が多くなり、また、高度成長で人手不足に陥った。失業率は80年代は7～8％であったが、1992、93年には3％台に改善、アジア通貨危機の影響が出た1998、99年でも3％台であった。人手不足のため、外国人労働に頼っており、有効な就労許可書を保持していると推定される人数だけで200万人といわれている。人員整理のバッファーはこうした外国人であり、組合自体もそのような状況を認めている傾向がある。
労働運動の流れ: 組合運動は植民地時代の1920～30年代にゴムのプランテーションや錫鉱山で結成されたのを端緒とする。1954年には全国プランテーション労組が結成された。ナショナルセンターは、独立前の1950年にマレイ労組評議会が結成され、これがマレーシアの発足に伴ってマレーシア労組会議（MTUC）となり、今日にいたる。
マレーシアでは、輸出振興のため、パイオニア産業を認定し、税制などの面で優遇している。このパイオニア産業に属する企業では、組合の組織化や賃上げ交渉は禁止されてきた。70年代に急速に発展した電子産業がパイオニア産業として認定された。電機産業組合が電子産業の労働者の組織化を試み、1973年に組合員資格条項の変更の登録申請を行ったが、別の産業であるという理由で認められなかった。そこで電子産業だけの組合を結成し、1978年登録申請を行った。アメリカの圧力もあり、政府は1988年9月にこれを認めたが、10月には電子産業では企業内組合だけを認めるという方針を決定した。背後にはルックイースト政策で日本の企業内組合を基礎とする協調的労使関係が生産性向上に寄与したとの認識があったためと言われる。
労使関係の特徴: 60年代以降、団体交渉による賃金決定が発達した。プランテーションにおける産業別交渉や、組合のある大企業での団体交渉が一般化している。3年ごとに賃金改訂交渉が行われる。
組合と団体交渉の管理について国の介入が強いのが特徴で、英国の植民地時代に労使関係への直接介入の慣例が作られた。投資をひきつけるための経済政策が優先され、組合承認、団体交渉の対象事項（採用、解雇、昇進、配転など経営権に属す事項としてはずす）、ストライキ、紛争解決に関する法律などで組合の影響を制限している。産業を超えた組合活動はできない。産業の定義が狭いので、組合の規模は小さい。
マレーシアでは強制登録制度を採用している（1959年労働組合法）。労働組合として活動するためには登録をしなければならない。登録が認められなければ違法な団体となり、労働法上の保護を享受できない。経済発展を実現するために必要な政治的安定を得るために、組合の強制登録制度は必要と考えられている。政府はこの登録制度を運用して、民間企業の個別の労使関係に介入することもある。
労働組合は、かつては基本的に産業別・職種別で、企業別組織は認められていなかった。しかし、1989年政府は労働組合法上の労働組合の定義を改正し、企業内組合を公認した。労組法上の登録をしているものだけが団体交渉のテーブルにつくことができる。ナショナルセンターは、労組法ではなく、結社法に基づいて登録しており、組合員を代表して団体交渉のテーブルにつくことはできない。
労働組合の組織率は8％と低いが、社会的な影響力は有している。特にアジア危機克服の過程で、三者構成主義が強固になった。MTUCは復興計画を策定する経済政策協議会に参加した。それまでも三者構成の協議会はあったが、労働分野に限られており、経済政策の策定に加わったのは初めてである。
ナショナルセンター: マレーシア労働組合会議（MTUC）の設立は1950年。マレーシアで一番古いナショナルセンターで、主として民間の労働組合を傘下におさめる。加盟組織は180組合、組合員数は50万人。設立当初から国際自由労連（ICFTU）に加盟している。特定の支持政党はない。1994年にはライバルのマレーシア労組組織（MLO）に加盟していた組合員の多くがMTUCに加盟し、MLOは解散した。公的セクターにおいては官公労連会議(CUEPACS)がある。
MTUCは産別が基本で、各事業所に支部がある。事業所の団体交渉の場には産別の書記長がスポークスマンとして参加する。従って、同業他社の動向について詳しく掌握しているため不当に突出した要求は出てこない。
労働協約の適用労働者は少ない。産業により適用率に差がある。協約期間は3年である。
使用者側の全国団体はマレーシア使用者連盟（MEF）である。1959年に結社法に基づいて設立された。企業会員3,480社と10の産業別団体を擁する。使用者の利益を擁護し、推進することを目的とするが、会員へのサービス活動とともに、今日では政府の各種審議会に使用者側を代表し、国の長期政策策定に参画するなど、活発な活動を展開している。
労使紛争: 労使紛争が発生した場合、労使間で解決が望めない時には労使いずれかが斡旋を申請する。社会的影響が大きいと判断して労使関係局長が職権で斡旋に乗り出すこともある。斡旋が成功しなければ、人的資源大臣が労働裁判所に付託する。紛争は連邦政府の直接所管する事項になっている。このように労使紛争に政府が介入する度合いが非常に高い。人的資源省が労働者の立場をかなり守っているので、労働側は不安が抑えられている。通貨危機の際には解雇に関する三者委員会を設置し、使用者は人的資源省に事前通知をする義務ができた。また、人員整理で解雇された労働者の再就職についても人的資源省が支援を行うといったことが行われたため、通貨危機の際にも失業率は上がらず、紛争やストライキの数もほとんど増えていない。2002年に調停のため人的資源省に持ち込まれた労使紛争はおよそ3万4,000件で、ストライキの報告は0件。紛争の大半が交渉によって解決されるため、このうち労働裁判所の仲裁を要したのは2,400件のみであった。紛争の中身は労働協約の改訂、労働条件をめぐるものが多い。

（４）タイの労使関係

概況: タイの労働運動は70年代後半から80年代前半にかけて大きな力をもったが、中心となっていた国営企業の労働組合が禁止されたことで、運動は衰退した。現在はリーダー同士の分裂によりナショナルセンターが多数できているが、社会的には大きな力を有しておらず、社会不安につながったり、政治の問題になりそうな大きな労働問題は起きていない。むしろ、政党政治に依拠するタクシン政権では、直接投票に結びつかない労働問題には関心がもたれていない。
労働市場の概要: 人口は6,350万人（2002年）。都市部の人口は28.6％と少ない。労働力人口は3,312万人。1999年の数字で雇用労働者は2.9％で自営が70％と圧倒的に多い。産業別では、農業が48.5％、工業が18.4％、サービス業が33.1％を占める。組織率は2～3％と低い。
失業率は、90年代中ごろは2％近傍と低水準で推移していたが、通貨危機の影響で1998年は4.0％、1999年は4.2％と上昇、その後は少しずつ改善して、2002年は2.72％となっている。
労働運動の流れ: 1972年まで労働運動は厳しく制限されていたが、外資導入による工業化政策との整合性を確保するため、1973年以降組合の活動が認められるようになった。1975年には労働関係法ができ、組合結成の要件などが定められた。1978年から1985年にかけて労働紛争が続発し、1981年1月にはスト禁止令が解かれた。組合運動が最低賃金の引き上げなどに力を発揮したが、中心になっていたのは、国営企業の組合と銀行組合である。
しかし、1991年のクーデター（軍が内閣・国会を掌握）で労働運動には再び厳しい時代となる。国家安全維持評議会により1991年に労働関係法が改正され、国営企業の組合活動が禁止された。当時は国営企業に外資を導入するねらいから民営化が課題とされていたが、国営企業労組はそれに抵抗していた。法改正により、国営企業の組合活動は公益に反するという理由で国営企業労組130組合が解散させられた。これに対して解散反対を叫んだタイ労働会議（LCT）のタノン委員長が突然行方不明になるという事件も起きた。
国営企業労組は組合員18万人を擁する有力な組合で、民間企業を含めた組合員数の6割近くを占めていた。国営企業の労働者は、互助会的な従業員団体としての活動しかできなくなり、組合運動では国営企業労組が大きな役割を果たしていただけに、民間の運動へも深刻な影響を与えた。
労使関係の特徴: 労組の多くは企業別で、団体交渉は企業別で行われる。労働協約や就業規則の中に苦情処理に関する規定を置くことが法律で定められており、実際に、紛争が発生した場合でも、できる限りストライキを抑制するための手続きが用意されている。連合体組織は、多数の産業別、全国組合に分裂しており、非常に弱い。これは軍事政権下で組合活動が実質的に禁止されていたことなどによる。
組織率は2～3％程度と低く、しかもそのほとんどが首都圏の都市部に限られている。組織率が低いのは、そもそも労働者の人口比率が低いこと、タイ人は対立を好まず、生活条件の改善には集団的な力を頼まずに自力で達成するという傾向があること、労組結成に必要な「10人以上の発起人が必要」という条件を満たせないことなどの理由による。
労組の数は通貨危機後若干減ったが、最近また少しずつ増えている。民間の企業別労働組合は1999年末現在で1,056を数える。
2000年４月には、新しい労働関係法が施行された。従来の1975年労働関係法と較べて新しい点は、労使関係の改善と発展のため、従業員50人以上の企業に労使合同委員会の設置が義務付けられたことである。また、ストライキの禁止される分野が旧法では、電力、港湾、通信、配電、水道、石油、病院の７分野であったが、新法では、これに商業銀行、金融機関、私立高等教育機関の3つを加え10分野とした。
紛争処理: 労使紛争の処理は、労働関係委員会（LRC）と労働裁判所で行われる。いずれも三者構成である。LRCは1975年に設立されたが、国家の安全を脅かす可能性のある紛争を取り扱う。労働裁判所制度は1979年に開始され、軽度の紛争を処理する。
統計には合法的な労働争議やストライキ、ロックアウトの件数しか表れない。労働争議は1995年をピークに減少しており、1999年で180件となった。ただし、違法なものについては、1997年に向けて増加し、年間500件を上回ったと見られる。ストライキは合法的なものは1998年以降一桁台で、年間4～5件程度である。表立った労使の対立はほとんど見られないという状況である。
しかしながら、労働裁判所への訴訟の数を見ると、通貨危機前は１万件程度であったものが、1997年以降増加し2万件程度になっている。労務管理上の不満や異議は、ストライキなどに訴えるのではなく、直接に労働裁判所に持っていくというケースがもともと多く、それが通貨危機以降は解雇や賃金問題を背景にさらに件数が増えているということである。
ナショナルセンター: 労働組合ナショナルセンターに相当するのは、タイ労働会議（LCT）、全国タイ労働会議（NCTL）、全国自由労組会議（NFLUC），タイ労働組合会議（TTUC）、タイ産業労働評議会（TCIL）及び全国労働会議（NLC）、タイ全国民間従業員会議（NPET）、タイ労働連合（CTL）、国営企業職員協会連合会（SERC）の9つである。法律的には、労働組合が10以上（旧労働関係法では15以上）集まれば労働組合連盟が結成できることになっているため、容易に設立することができる。TTUCはLCTから分離独立し、NLCとCTLはTTUCから分裂した。また、NPETはNCTLからの分裂であり、このように数多く分裂しているのは、基本的な路線上の相違というよりも、むしろ派閥や設立者間の個人的な確執によるといえる。ナショナルセンターは、こうした状況により、充分機能しているとは言えない。タイ労働会議（LCT）は1978年に結成。加盟組織は、3産別で87組合、組合員数は9万人（1999年）。国際自由労連に加盟している。1997年初めには、LCTとTTUCが中心になって、５つのナショナルセンターと国営企業従業員連合が将来の連携をめざすという動きが生じたが、同年の夏には通貨危機が発生し、合同運動は挫折することになった。
使用者団体も連合体が複数存在するが、主なものは、タイ経営者連盟（ECOT）とタイ産業貿易使用者連盟（ECONTHAI）である。ECOTは1976年に設立。タイ商工会議所とタイ工業連盟が1974年に共同で設立した産業研究所が、1975年の労働関係法に基づいて、使用者団体としてのECOTに改組した。民間の産業を代表する43の産業別団体と1,200社を会員とする。ECONTHAIは1994年に設立。27の産業別団体と117社の企業を会員とする。労使団体共に結束感の欠如が問題とされている。
日系企業: 1992年民主化流血デモの1ヵ月後、6月中旬から8月にかけて、日系企業が多く進出しているバンコク郊外のナワナコン工業団地で労使紛争が続発し、日系の電機部品メーカーや自動車部品メーカーなど10数社に広がったという経験があるが、その後は、全体的な労働運動の低調化の流れの中で、特に問題は生じていない。
今日では、日系企業はおおむね良好な労使関係を築いていると受け止められている。

（５）ベトナムの労使関係

概況: ベトナムの人口は約8,000万人を数える。都市と農村地帯の人口比率は1対３だが、年々都市の人口が増加している。ベトナム戦争の後遺症で、人口構成は若者が多くて（25歳以下が約50％）高齢者が少ない（55歳以上が約10％）正ピラミッド型になっている。政府は二人っ子政策で人口増加を抑制しようとしている。
労働人口は約4,000万人（2002年）。工業に従事するのは、約15％にとどまる。ハノイの労働者の多くは官庁関係機関に勤め、経済活動が盛んで外資企業も集まる南には民間志向の有能な人材が集まる。
社会主義経済体制のため国営企業中心の産業構造であり、公共部門は労働者では60％、GDPでは約40％を占める。国営企業の改革では、現在の5,600社を民営化により2005年に2,600社に削減するという方針である。ただし、航空、電力、港湾運営、交通システム、電気通信、メディア、医薬品などの基幹的分野については国営を維持する。
国営企業改革の推進によるリストラによって、失業率が悪化しており、1999年には7.4％のピークを打った。その後は改善を見せているが（都市部の失業率　6.0％　2002年）、潜在的な失業者もかなり多くいると見られ、公式なデータに表れない数字を加えると実態としては15％に達するという見方もある。また、最近では、世界的な経済不振の影響で南部のドンナイ州の工業団地では、管理局に対して企業からのレイオフ申請が続いているという。
労使関係の特徴: 1994年に労働法典が成立し、1995年1月から施行されている。従前の労働関連法を集約したもので、内容もその踏襲となっているが、労働者のストライキ権が容認された点が大きな変化である。ストライキ権の容認は社会主義国では珍しい。
長期のアメリカとの戦争により周辺諸国に比べ経済発展が遅れたことを背景として作られた、以前の労働法では開発優先の志向が強く、また、採用や労働紛争解決など様々な労働問題を国家が調整するという政府介入の度合いが強い法制であった。ドイモイ政策で市場経済システムの導入が進むと、採用や労働条件設定の自由化などが求められるようになり、社会主義体制から逸脱しないことを前提に、労働契約法（1989年）、労働組合法（1990年）、労働保護法（1991年）などが相次いで制定された。こうした各種の法律を集大成する形で1994年に労働法典ができた。さらに、2002年に労働法典が改正され、2003年1月より施行された。これまで、政府が国有企業に対して縛りを厳しくしていた給与決定方法が改訂されたり、外資系企業について、ベトナム人労働者を雇用サービスセンターというベトナム側の機関を通さずに直接雇用できるなど、使用者および労働者の責任と権限が明確化された。
労働組合は1990年に施行された労働組合法に基づいて結成される。新規に会社を設立する場合は、操業後6ヶ月以内に組合を結成する必要がある。（5人以上で設立可能。ただし従業員が組合結成の意思がなければ設立しなくてもよい。）労働組合はベトナム共産党の指導の下に、行政機能の一部を担いつつ、労働者の物質的、精神的な生活水準の改善を図る責任を有するとされ、国営企業のほとんどに結成されている。組合組織率は11％程度である。労組の関心事項は、福利厚生の充実にある。労働者の不平不満や要望が組合経由で寄せられるよりも、労働者個人から会社に対して直接寄せられることが多いようである。
団体交渉の結果は、労働組合代表と使用者が署名し、地方労働機関が承認してはじめて有効となる。
ナショナルセンター: 労組のナショナルセンターはベトナム労働総同盟（VGCL）で、省レベル、市レベルに組合事務所がある。設立は1929年。組合員数約410万人。20の産業別組織と61の地方組織が加盟している。基本的な活動理念は、労使関係を良くすることにより、企業の安定的発展を図り、労働者の生活向上をめざすというものである。
ベトナムで使用者を代表する主な団体は、ベトナム商工会議所（VCCI）とベトナム協同組合連合（VCA）である。VCCIは、1975年に設立され、投資、貿易の促進を主業務としているが、1999年に「使用者部」が設立され、使用者代表の機能を果たすようになった。会員数は、民営企業、外資系企業を合わせて約1,100社である。使用者部は、ハノイの本部とホーチミン支部にあり、労働法や社会保障法など法律改訂に際し、使用者の意見を政府に提言するなどの活動を行なっている。ベトナム政府は、VCCIとVCAの両者を使用者代表として見ており、ILO総会には両者が交互に参加している。
紛争処理: 個別の労使紛争を解決する権限を有するのは、基礎労働調停協議会または県レベルの労働局労働調停委員会、省レベルの労働仲裁協議会、そして人民裁判所である。労使紛争が生じた場合、法律では従業員10人以上の企業は調停協議会を設けなければならないことになっている。企業内で解決できない場合は省レベルの仲裁協議会にかける。労働者は労働仲裁協議会の採決に同意しない場合は、人民裁判所に解決を要請するか、またはストライキを行うことができる。ストライキは労働者の過半数が賛成した後、単位労働組合執行委員会により決定される。ただし、経済や公共の安全に多大な影響を与えると危惧される場合は、首相がストライキの延期や中止を命じる権限を持つ。なお、公共セクター、国民経済もしくは国家の安全保障に不可欠な事業体については、ストライキは禁止されている。
VCCIの話によれば、労使間の紛争はまだ少ない。ストライキは民営企業、外資系企業で起こるケースが多く、外資系企業の中では、韓国や台湾の中小企業に多いということである。ストライキの原因には、残業代未払いなどの給与問題、社会保険の不払いなど労働者の権利を損ねるもの、ベトナムの文化・習慣に対する認識不足などがある。一方で、労働者側に充分な労働法に関する知識がないために生じるものもある。外資系では、給与や経営者の態度に由来する紛争が多い。VCCIの公表した1995年から2000年の間に発生したストライキの件数は、外資系企業が174件、国営企業44件、民営企業128件となっている。ストライキの多くは違法なものである。法律上は、組合を通じて経営者に事前通知する必要があるが、少数のグループレベルでストライキを勝手に起こす場合もある。
日系企業: 日本企業に対しては、歴史的なしがらみがないことなどから評価は高い。管理職の現地化が期待されてはいるが、南と北の確執があるので、トップが日本人であることが幸いすることもある。地縁や血縁を大切にするお国柄であり、労使関係担当者は現地人にまかせるのがよい。

２．東アジア

（１）中国の労使関係

概況: 社会主義体制下での市場経済推進にまい進しており、労働法の実態的運用は経済発展を重視し、その牽引力としての外資系企業を優遇したものになっている。労働組合（工会）は、企業の安定的発展に貢献することをめざしており、また福利厚生活動を中心としているため労働者の権利保護活動はあまり活発ではない。逆に従業員の声を吸い上げるメカニズムを工夫することが必要になっている。
現在、高学歴者をめぐる人材確保競争が激しく、外資系企業では優秀な人材の引き抜きが盛んに行われている。特に優秀な若い中国人労働者は高給志向が強く、欧米企業と比較して年功序列的な人事制度を採用している日系企業は人気が低いという問題がある。
労働市場: 中国の人口は約13億人、労働力人口は2000年末で７億1,150万人。都市部には約5億人の人口がいる。農村部には約1.5億の過剰労働力があるといわれ、そこから都市部へ「出稼ぎ」という形で若い労働力が流入している。就業構造は、農林水産業が約50％と高く、工業は20％程度にとどまっている。改革開放以前は、都市部の就業者の約8割が国有セクターに就職していた。現在では約4割に減少し、私営企業、個人経営、外資系企業などの非国有セクターの比率が高まっている。
国有企業改革の推進により、多くの失業者が発生している。政府統計では、1985年に1.8％であった失業率が2002年には3.9％と上昇している。この統計には農村部の失業者や国有企業の下崗（一時帰休）労働者は含まれていないので、実際の失業率はより大きいものとなるであろう。
労使関係の特徴: 1994年7月に「中華人民共和国労働法」が全国人民代表大会で採択され、翌1995年に発布されている。同法は1978年以降の改革開放により中国が従来の計画経済から市場経済へ転換していく過程の中で起草されたものであり、中国の労働問題を管理・調整する基本的法律である。労働者の基本的権益を保護する目的の下、各種の規定が盛られているが、労働関係の確立と調整や労働争議など、いわゆる労使関係についても規定がなされている。個々の労働契約や就業規則とは別に会社と労働者代表が取り交わす基本的労働条件に関する「労働協約」、労使協議制を意味する「平等協議」などが規定されている。
従来、中国や旧ソ連など社会主義国では、建前としては労働者が主人公であり、労働者と使用者が対立する構図はありえないというイデオロギー的な観点から「労使関係」といいう言葉を使うことができず、「労働問題」という言い方をしてきた。
中国では、労働組合を「工会」と呼んでいる。改革・開放政策の下、工会改革に関する議論が行われ、1992年4月に「中華人民共和国労働組合法」（工会法）が発布された。ここでは、工会は労働者が自由意思で結合する労働階級の大衆組織であると規定されている。工会の団体交渉と団体協約締結権も明確に規定されている。しかしながら、工会は基本的には中国共産党の下部大衆組織として党の指導下に置かれている。中国総工会の主席は共産党のナンバー2が担っている。2001年10月には、工会法が改正され、工会の団体交渉権と労働協約締結権が一層明確に認められた。工会法は、従業員25人以上の外資系を含むすべての企業に組合の組織化を義務付けている。また、希望があれば25人におよばなくても設立できることを明らかにした。しかしながら、罰則規定がないため、従業員25人以上でも設立していない企業も多数存在するようである。
企業単位の工会数は、1999年で約51万、組合員数は約9,100万人である。工会の会費として、企業は総人件費の2％を納めなければならない。工会メンバーは個人として一般的に給料の0.5％程度を支払う。
工会は、実態的に労働者の意見を代弁するというよりも、“福利厚生係”という色彩が強いと言われている。福祉・報償基金の配分や合理的な利用、政治的学習、冠婚葬祭などの行事、娯楽などの諸活動を行っている。企業内の問題発生を未然に防ぐべく、経営陣と労働者との橋渡しの役割も担う。外資系企業においても同じ役割を担っている。むしろ、中国の社会主義経済の達成には外資系企業の進出と発展が重要な役割を果たすという認識から、工会指導者は外資系企業に関する理解を労働者に働きかけ、労働紛争の解決に協力的な態度をとっている。
ただし、工会は企業内労働組合というよりも、あくまでも共産党の下部組織であることから、企業内の情報管理といった面から警鐘を鳴らす識者も少なくない。総経理（社長）以外は全員が工会のメンバーとなる。通常、工会の役員は、専従でない限りは上級管理職が兼務するため、労働者の不平等や意見を吸い上げる機能が弱い。そのため、従業員のフラストレーションを把握できずに山猫スト（組合の正規の機関決定を経ないで行う争議行為）が起こる場合がある。90年代初頭に日系企業で起きたストライキのほとんどはこういうケースであった。
労使紛争と紛争処理: 社会主義では経営者も勤労者であるという意味で、労働者の仲間と考えられ、経営幹部も工会のメンバーとなる。従って、本来経営者と労働者の間に基本的利害の対立は存在しないということになる。問題が生じれば「企業内部の矛盾」として処理されてきた。
しかしながら、90年代になると、中国経済の発展とともに労働紛争やストライキが数を増した。これらは主として国有企業で発生したものであり、給与、解雇、福利厚生などが原因となった。
1993年には日系企業で大規模なストライキが続発した。珠海市で1993年5～7月に発生したストライキは12件、参加者7,000人に達した。労働局の調停により収拾されたが、これらのストライキの主な原因は、インフレによる賃金の目減りに対する不満である。もともと外資系企業の魅力は国有企業に比べて高い賃金や、能力、努力次第で給料が増えることなどである。反面、外資系企業は、仕事がきつく残業もあり、福利厚生施設の面でも国有企業には及ばない。一部の国有企業が、人材確保のため大幅賃上げを実施した結果、格差が縮小し、魅力が色あせてしまったことに起因するストライキであった。
珠海市は、こうしたストライキに対し、労働争議防止策を発表した。これに続いて中央政府においても労働部が市場経済の導入に対応する形で、労働争議の調停に関する規定を改訂し、外資系企業や私営企業へ調停制度の適用を拡大し、取り扱う争議の範囲も拡大した。
労働争議の処理にあたる調停・仲裁機構については、企業内に調停委員会（労働者、経営者、労働組合委員会の代表）が、また、省、自治区、市に仲裁委員会（各レベルの労働行政機関と総工会の代表者）が置かれる。争議発生後は、まず調停委員会が調整し、これがうまくいかない場合に裁判で争われる。多くの場合企業内の調停委員会によって解決される。
工会が紛争を主導することは今のところ考えられないが、昨今、国有企業改革の影響を受けて職を失った人々による抗議行動が頻発している。外資企業が雇用の受け皿となって発展をしている南部には生じていないが、特にそうした発展から取り残された北東部の大慶などで失業手当や年金支払いを求めてデモが繰り広げられ、地域運動にも結びつく可能性がある。WTO加盟によって一層厳しい国際競争に巻き込まれていくと、否応なく格差が拡大し、社会混乱の種となることも考えられる。
ナショナルセンター: 工会の全国的組織は、中華全国総工会である。1925年設立されたが、国民党によって全国的な組織化を妨害されて、1927年以降農村地帯で活動を行っていた。1949年の新中国建設とともに労働組合は共産党の下部組織として位置付けられた。文化大革命時には、活動の一時停止を余儀なくされ、1978年改革開放政策によって活動を再開する。傘下に、産業別工会の連合体と地域別工会の連合体を擁す。政府の法律作成や条例立案に協議の形で参加している。
使用者団体は、中国企業連合会（CEC）である。1979年に設立された中国企業管理協会が1999年に名称を改めた。現代的な企業管理の理論と実践を探求し、これを普及させることにより企業改革を推進すること、企業家の団結により、政府と企業のパイプ役となることを目的としている。会員は企業（国有、独資、外資）、地域経営者団体、産業別経営者団体などで、傘下の企業数は約43万6,000社にのぼる。
日系企業: 中国人従業員による日系企業の評価は、労使関係が良好というもので、日本人管理者の勤務態度、技術水準、管理水準、中国人従業員への態度についても肯定的である。法律・契約の遵守や人権尊重も評価されている。しかしながら、人気度という点では欧米企業に劣る。教育訓練を受けて入社1－2年後に外資系企業に転職するケースが多い。その理由は、日本・日本人嫌いと高収入志向である。日系企業の賃金水準は欧米企業に比べて2～3割低い。年功序列的色彩が強く、管理職の現地化も遅れている、ホワイトカラーの管理があいまいとの指摘がある。優秀な現地従業員を定着させるため、昇進計画や研修計画など将来の青写真を提供することが必要となっている。
中国では、給与に関する透明性が高い。従業員同士にとどまらず、社内外で同郷や同窓などの間で情報が行き交う。評価の基準は明確にしておく必要がある。
合弁企業の場合は、日本側が資金と技術を提供し生産管理を担当、中国が現物支給で建物や土地を提供し、労働総務関係についても中国側のパートナーが担当することになる。これによって党組織と工会の関係が組み入れられていく。独資の場合でも時間の経過とともに、工会が組織され、党委員会が形成されていく。日本企業にとって最初はわずらわしい人間関係、すなわち人材の募集から地域の労働局との交渉などにおいてパートナーの国有企業の共産党書記や工会主席の援助が得られ、円滑にことが進むということで重宝に感じられる。しかし、こと従業員の解雇や雇用調整の問題になると、工会の影響力は大きくなり、こじれると他国と比べ物にならないほど、複雑になってしまうことに留意すべきであろう。
中国では、工会の位置付けが、労使関係のなかで不明確であり、労働争議が発生しても、解決のシステムが十分に制度化されていないのが現状である。また、現行法のもとでは、現実的には進出外資系企業の経営者側に不利な結果が出ることも予想され、今後この法制度面での不備は新しいリスク要因の一つとなりつつある。

（２）韓国の労使関係

概況: 韓国では、60年代から80年代半ばまでの長い間、軍事政権の下で、過激な労働運動は共産思想の温床となるという危惧、ならびに経済発展のためには政治的安定が不可欠との前提から、労働者の政治体制への参加などを著しく制限し、労働運動も抑制してきた。企業別組合と労使協議会を中心に政府主導で労使協調主義が目指された。
1987年6月の民主化宣言により労働運動が開放され、累積してきた労組の不満や問題点が一挙に噴出し、労働運動が激化した。その後、順調な経済成長の下で賃金水準が上昇、労使関係は安定傾向にあったが、通貨危機の影響で再び争議件数が増加した。
1997年の労働法改正は独裁体制下の独特な労使関係制度の払拭をめざすものであったが、労使間の利害関係調整がいまだに続き、完全実施には到っていない。
2003年、新政権発足に伴い、従前の強便闘争路線から対話と妥協といった、新しい労使協力体制の構築に向け、動き出している。
労働市場の概要: 2000年の人口は約4,700万人。労働人口は約2,200万人で、就業構造は農林水産業が11％、工業が28％、サービスが60％となっている。1999年初頭の経済的ボトムの時点で失業率は8.6％に上がったが、以降急速に改善を示し、2001年末の失業率は3.7％、82万人となった。2002年に入ると、景気回復に伴い失業率は2％台で推移した。
労働運動の流れ: 1945年に全評（朝鮮労働組合全国評議会）が形成されるが、1948年大韓民国政府樹立とともに消滅、以後は反軍事政府運動として野に下る。1946年には、大韓労総（大韓独立促進労働総連盟）が結成され、これが現在の韓国労総（韓国労働組合総連盟）の前身となる。右派の大韓労総は、全評打倒時に政府や企業から積極的な後援を受けたため、与党自由党の基幹団体として働くことになる。
1971年の非常事態宣言に続く一連の措置により労働三権の行使は禁じられ、集団的労使関係法令が改訂された。こうして70年代に正常な労働運動が禁圧されると、労働者の抵抗も過激になり、労働運動は闘争的、暴力的様相を示すようになる。従来の労働組合運動が正常な機能を発揮できないことに対して、学生や知識人がこれを批判し、その一部が労働運動の現場にあらわれて直接関与するという第三者介入問題が生じる。
全斗煥政権は、より強圧的な労働政策をとる。1980年の労働関係法の改正により、単位労組の結成は企業レベルでのみ認められ、その結成には厳格な要件が課された。労使協議会法を制定し、罰則付きで労使協議会の結成を強制、労使協議会を軸に労使協調を図ろうとした。企業労組は、上部組織との実質上の繋がりを失う。こうした動きに対し、労働運動を指導・支援する労働団体が企業外で結成され始める。
1987年の民主化宣言で労働運動は新しい局面に入る。労働法改正により組合設立が自由化されると、組織対象の広がりと組織形態の多様化が進んだ。それまで、もっぱら製造業で働くブルーカラー労働者の企業別労働者団体と認識されていた労働組合であるが、1987年以降はホワイトカラーの組合が相次いで結成され、また、中小零細企業では企業の枠を超えた地域別、産業別、職種別組合なども登場する。これまでの抑圧から解き放たれて、各地で労働争議が噴出する。
左派として野に下っていた勢力は、労総を体制順応派とみなし、全国的な統制力をもった新しいナショナルセンターを求めて、1990年に全労協を結成する。1993年には全労代と名前を変え、1995年11月、ナショナルセンターとしての民主労総（全国民主労働組合総連盟）が結成される。複数労働組合禁止により非公認組織であったが、組織拡大を続け、他方で韓国労総からは大企業労組が相次いで脱退した。
1996年金泳三大統領は新労使関係構想を発表した。従来の対立的労使関係のままでは、国家経済の発展は望めないとして労働法の改正をめざした。改革のポイントは、それまで三禁と言われてきた(1)複数労組の禁止、(2)第三者介入の禁止、(3)労組の政治活動禁止を廃止することである。労働法改正の背景には、OECDへの加盟問題もあった。1995年に韓国はOECDへの加盟申請を行ったが、その加盟審査の際に、複数労組の禁止や公務員・教員の団結権禁止という労働法の規定が障害として指摘されていた。1996年12月に政府は労働法改正法案を強行採決、これに反発した労組は二つのナショナルセンターとも大掛かりなストライキに突入し、1997年3月に再改正が行われた。
これにより、複数労組が許容されたが、上級団体は即時、単位事業場レベルでは、5年猶予して2002年1月施行（2001年2月の政労使合意で更に5年延期）となった。また第三者介入が許容され、労組の政治活動が解禁された。併せて、独特の労使慣行も改められることになり、労組専従者賃金の支給禁止（5年間猶予）、スト期間中の代替勤労の許容、ストライキ中の賃金支払い義務廃止などが定められた。
2003年盧武鉉大統領新政権では、主要労働政策の新たな方向が打ち出され、国際基準に合わせた労使関係法制度の整備や、労使紛争は労使間の自立的解決に拠るなど、前政権の政策路線を継承しつつも、現場主義型（対話および妥協による合意形成）を目指すとされている。
労使関係の特徴: 開発独裁下で経済開発が短期間に成功しただけに、労使間でのひずみが大きい。労使関係に対する過度な政治的介入、労働組合管理法的な性格を持つ労働立法、労働立法が政権に左右されることなどが特徴となっている。
多発する労使紛争に対しては、政治的決着でかたをつける傾向が強い。1998年8月の現代自動車における整理解雇をめぐる労使紛争では、労組の工場篭城によって操業不能となり、会社も無期休業を決定した。政府・与党は経済に与える影響を憂慮して、労働部長官が仲裁に入った。このような政治介入に対して、経済団体やマスコミが政治倫理の優先による他律的な妥結と批判し、政府も今後は介入しないと明言した。
他方で、労使関係の安定を醸成しようとする努力もたびたび試みられている。1980年には全斗煥政権が労使協議会の設置を義務づけた。当時は従業員59人以上の事業所を対象としたが、1997年の労使協議会法改正で30人以上の事業所に対象が拡大された。法律上では四半期毎に協議会を開催する必要があるが、実際には形骸化している。
1999年の内閣改造で就任した労働部長官は、「新労使文化」（法治の原則に基づいた労使自治の定着）の構築を労働政策の中心に掲げた。先進国の一員として国際競争に伍していくために、これまでの労使慣行を改め、力によらず対話と協議に基づいた労使関係を築くことが生産性の向上と国民生活の向上につながるという発想である。こうした政策の下、労使関係のすぐれた企業の表彰が行われている。
労使紛争: 1987年の民主化宣言は、労働運動に新しい展開をもたらす。これまでの工業化の過程で蓄積された労働者の不満と欲求が一気に噴出し、労働争議が全国的に発生する。労働争議件数は1986年の276件から、1987年には3,749件、1988年1,873件となった。その後は落ち着きを見せたが、通貨危機、構造改革を背景に再び増加し、2000年には250件、2001年には235件、2002年には322件を数えた。
ナショナルセンター: 労働組合は、穏健派の韓国労総と、過激派の民主労総が二大勢力となっている。韓国労総は穏健といわれるがゼネストを積極的に展開するなど、日本と比較すると労働運動は激しい。在野で活動していた民主労総が1999年11月に正式に認可され、現在二つのナショナルセンターの間で競争が生じている。
韓国労総（韓国労働組合総連盟、FKTU）は1946年結成。加盟組合は4,051、組合員数は115万人。国際自由労連（ICFTU）に加盟。
民主労総（全国民主労働組合総連盟、KCTU）は1995年結成。加盟組合は1,362、組合員数は65万人。国際自由労連（ICFTU）に加盟。組織対象に財閥や大企業が多く、資金が豊富であり、民主労総の方が労働組合運動全体に対して力が大きい。労使関係運営の主体は5,700の企業別組合である。団体交渉も企業内交渉で行われる。労使のナショナルセンターはそれぞれガイドラインを提示する。ただし、最近では、産別交渉、地域別交渉に対する要求も生じている。労働組合組織率は1990年以降低下傾向にある。1980年の20.1％が1985年には12.4％、1987年の民主化宣言を経て1990年には18.4％に回復、1995年には13.8％、1998年12.6％、2000年は12.0％となった。
使用者側の組織は、韓国経営者総協会（経総　KEF）である。1970年に設立され、経営者の利益を代弁し、労使関係の安定と産業平和を築くことを目的としている。会員は企業会員、13の地方団体と50の産業別団体からなる。直接の企業会員と地方団体を通じた間接の会員を合わせて4,000社を超える。
国際的慣行へのさや寄せ: OECD加盟に際して、三禁の慣行見直しが求められ、労働法改正の推進力になったことは先に述べたとおりである。労働法改正問題はILOでも取り上げられた。1995年12月に民主労総が、1996年12月に国際自由労連が、教員、公務員の団結権の禁止、複数労働組合の設立禁止、解雇者に対する組合員資格の禁止などについて、ILOの結社の自由委員会に申し立てを行った。同委員会は数回に亘り審議を行い、韓国政府の取り組みに一定の評価を与えつつも法制上の改善を要請労組活動を理由として逮捕されている組合リーダーの釈放などを要請している。
通貨危機克服のため、韓国は1997年11月末にIMFの資金支援を仰いだが、IMFは760億ドル支援の条件である構造調整プログラムの一つとして労働市場の柔軟化を求めた。金大中大統領は労使の合意を引き出すため1998年1月に労使政委員会を発足させ、2月には整理解雇基準の緩和、派遣労働制の導入、失業対策の拡充、労組の政治活動容認などについて合意が達成され、関連法令が成立した。
このように国際機関からの働きかけもあって、三禁は解除され、労使関係は法律が支配するという欧米型の理念が導入されたが、韓国的なものをすべて排除した訳ではない。いまだ伝統的な慣行が残っている。例えば、退職金が法律上の制度となっており、1997年、法が設けた中間精算制度により、借金の穴埋めや住宅ローン、学資などに使われる。また、18歳未満の労働者を雇う30人以上の企業は教育設備を設けるか、奨学金をださなければならない。在籍専従者の給与支払いも法的には禁止されたが、未だ猶予状態であり、残るかもしれないとする声もある。
日系企業の労使関係: 現地の労働運動の動向に応じて日本企業も労使紛争に巻き込まれてきた。過去の植民地支配が尾をひいており、かつては、日本企業に就職して日本語を使うことへの苦痛手当、親戚に肩身が狭いことへの特別手当が要求された。企業の側にも後ろめたさがあるせいか、古くから韓国に進出した企業ほど組合に対する譲歩が大きいと言われている。こうした点を是正しようとする動きが労使紛争につながることもある。
ソウルジャパンクラブは韓国政府に対して建議を行っているが、投資促進の阻害要因の一つに労働問題を挙げ、韓国独特の労使慣行の是正などを求めている。

３．南アジア

（１）インドの労使関係

概況: インドの労使関係を一括りに表現することは難しい。多様性に溢れているからである。国土は約329万平方ｋ㎡（パキスタン、中国との係争地を含む）で日本の約8.8倍に相当し、人口は約10億2700万人(2001年)と中国に次ぎ世界で2番目に多い。28州、デリー首都圏および6直轄地で構成され、中央政府と州政府からなる連邦体制をとっていることから、地域により政権政党は異なり、労働慣行も異なる。さらに、言語や文化、カースト、宗教など多様な社会的集団の枠組みが存在している。こうした様々な要因がインドの労使関係にも影響を与えている。インドの労使関係を考える際、この多様性を念頭に置く必要がある。
労使関係を律する労働法は複雑多岐にわたり、その性格は労働者保護の色合いが強い。労働組合の多くは企業別組合の形式を取っているが、労働組合からは自社の実態にそぐわない過度な要求が経営側に対しなされることが多く、労使双方の意見が合わない場合は交渉が長期化し、労使紛争に発展するケースも少なくない。また、労働組合法により企業内組合員以外の人間の労働組合幹部への就任が3分の1まで認められているため、そうした外部指導者が団体交渉に関与し、問題を複雑化させることもある。さらに、労働組合は政党・政治家とのかかわりが深いことから、労使紛争が政治問題に発展する場合もある。ひとたび労使紛争に発展すると、所管の政府が問題解決に向け介入してくる。
以上のような特徴・問題点をもつインドの労使関係だが、近年はグローバリゼーションの影響から労使を取り巻く環境は大きく変化しており、労働組合側にも意識の変化が見られる。こうした傾向は、1991年の経済自由化以降、特に目立っている。ストライキ件数も減少しており、労使関係は対立的な関係から協調的関係になりつつあるようにも見える。1999年頃からは「第二世代（第二段階）の経済改革」が盛んに議論されるようになり、その中で労働法制が効率的な資源配分の足かせになっているとの認識から、労働法制の見直しが現在議論されている。
一見、インドは遅々として進んでいないように見えるが、経済改革に限らず労働法の分野においても変化は着実に起こっている。
経済情勢: インドは、1947年のイギリスからの独立以降、社会主義的混合経済を堅持してきた。しかし、1990年の湾岸戦争の影響による外貨危機（中東で働くインド人からの海外送金が激減したため）や中国やパキスタンとの緊張関係にともなう軍事費の支出、高インフレによる膨大な財政赤字の発生などにより、インド経済は破綻寸前にまで追い込まれた。そのため、国民会議派のナラシンハ・ラオ政権は、1991年7月に国内投資の自由化、外国投資・外国為替管理の自由化、貿易自由化、国営企業改革、金融改革などの経済自由化を打ち出し、経済政策の大転換を行った。この経済政策の転換が、その後の労使関係に大きな影響を与えている。
実質経済成長率の推移を見ると、経済自由化後の最初の5年間（1992―1996年）は平均6.7％の成長率を達成し、その後についても、1997年4.8％、1998年6.5％、1999年6.1％と高い水準を維持している。2000年こそ4.0％にとどまったが、2001年は5.4％に回復している。
近年、IT分野の発展が目覚しく、ソフトウェア輸出額は1995-2000年の間、毎年50％以上の上昇を維持している。2001年におけるインド全輸出に占める割合は約15％を占める。これは日本の自動車輸出が全輸出に占める割合とほぼ同じである。ただし、IT分野は直接の雇用創出効果をあまり期待できないことから、インドでは多くの雇用を生み出す労働集約型産業の発展が課題となっている。
労働市場の概要: 総人口約10億2,700万人のうち、就業者は約4億人となっている。インドでは、公共部門に属する全ての事業所と民間部門で10人以上雇用する事業所からなる組織部門（organized sector）とそれ以外の非組織部門（unorganized sector）の2つに大分している。組織部門は約2,800万人、非組織部門は約3億7,200万人となっている。
失業者は、国営企業改革の影響から増加傾向にあるといわれている。しかしながら、そもそも組織部門の割合が労働力人口に比べて極端に低く、さらに統計に不備があることから、実態の把握は困難である。失業率も同様である。
インドの人口構成は、若年者が多い正ピラミッド型を形成している。そのため、若い労働力は量的に豊富である。
労働法: インドの労働法の数は、中央政府が制定したものが80以上、州政府が制定したものが160以上存在する。労働法は、基本的に中央政府が制定する。ただし、憲法により中央政府と州政府の共同管轄事項に定められているため、州政府は中央政府の許可を得た上で内容を変更することができる。
中央政府が制定している主な労働法としては、労使関係を規定している労働組合法（The Trade Unions Act, 1926）、労働争議法（Industrial Disputes Act, 1947）、労働時間や安全衛生について規定している工場法（The Factories Act, 1948）などがある。
労働法の主な適用対象は、組織部門（organized sector）のブルーカラー（ワーカーレベル）である。ホワイトカラーについては、多くの場合、労働法は適用対象外となる。また、産業別ではITなどサービス産業の多くは対象外となっている（金融など一部の産業は対象となる）。
さらに、企業の規模、産業により管轄が中央政府になるか州政府になるか異なる。公的部門や州をまたがって活動するような大企業等については、中央政府の管轄となる。
各法律は、制定された時代背景などにより性格が異なる。独立以前に制定された労働関連法の多くは、統治者であったイギリスの影響を受けている。一方、独立以降に制定されたものは、インド人資本家から労働者の権利を守るため、労働者保護の性格を帯びている。たとえば、100人以上を雇用する事業所が事業所を閉鎖したり従業員を解雇したりする際には、労働争議法により所管の政府の許可を必要とする。その際、政府は許可をしないのが実態である。
労働法改革の動き: 労働法改革については、政府、使用者、労働組合で構成される第二次国家労働委員会を設置し、労働者保護の色合いが濃すぎる労働法の改正を目指し議論がなされ、2002年9月に1,700ページ以上に及ぶ報告書が発表されている。焦点になったのは、労働争議法の解雇・レイオフ・事業所閉鎖に関する条項や請負労働（規制および廃止）法の改正、非組織部門への社会保障の拡大などの問題であった。なお、9月に発表された報告書の内容は、(1)法律の見直し、(2)非組織部門における包括的立法、(3)グローバル化の影響、(4)社会保障、(5)女性および児童労働、(6)技能開発、訓練および労働者の教育――の6つの研究グループを設置した上で検討したものである。報告書は、政労使それぞれの意見をバランスよく盛り込んだ内容となっている。
しかしながら、労働法改正はなかなか進んでいないのが現状である。その理由としては3つある。
一つは、インドの政党と労働組合が密接に関わっているため、ひとたび労働者が不利になるような労働法改革に着手すれば、その政党は間違いなく次期選挙で敗北するといわれていることである。
二つ目は、インドは社会保障が未整備なため、政府は労働法の改革の必要性を十分に理解しているものの、解雇や事業所閉鎖を容認する改革に着手しづらい状況にあることである。
そして最後は、コンセンサスの得られづらい環境である。インドは連邦制のため各州により政権政党が異なる。そのため、各州により労働法に対するスタンスが異なり、労働法改革に対するインド全体のコンセンサスを得るのが難しい。例えば西ベンガル州は共産党系の州であり、労働者保護の色が強いといわれている。バンガロールのあるカルナータカ州は、外資誘致に積極的であり、労働法改革に前向きな姿勢を示している。
このように、労働法改革に積極的な州が存在するとともに、労働組合自体もグローバル化の影響を適切に捉え、企業の生産性向上・競争力強化を前向きに捉えるようになってきており、こうした傾向は企業内組合にはより強く浸透してきていることから、労働法を取り巻く環境は確実に変化しはじめているといえる。
労働組合: インドにおける労働組合の組織化の対象は、大部分が組織部門である。ただし、非組織部門（unorganized sector）へ拡大する動きも見られる。労働組合の組織率に関する正確なデータは存在しないが、約4億人の労働者人口のうち、労働組合に組織されているのは7％程度（非組織部門も含む）といわれている。公共部門における組織率は約90％、民間部門は約60％である。
労働組合は、基本的に企業別組合である。ただし、事業所別、産業別、地域別、職能別、カースト別など様々な形態の労働組合が存在する。
インドの労働組合の特徴としては、次の3点が挙げられる。
第一は、インドの労働組合が政党、政治家と深くつながっていることである。労働組合の組織化が始まったのは20世紀になってからといわれている。しかしながら、労働組合指導者の多くが政治運動や独立運動に傾斜していたため、労働組合運動はなかなか成熟しなかった。イギリスからの独立後、独立運動に携った労働組合指導者の多くは、政治家に転進している。現在も労働組合と政党の結びつきは強く、政党の支持基盤拡大のために労働組合が利用されることも少なくない。また、労使紛争が政治問題にすりかわる場合もある。
第二は、外部指導者（outside leader）の介入である。インドでは、労働組合法により企業内労働組合員以外の人間が組合幹部に3分の1まで就任することが認められている。こうした外部指導者は、上部団体の人間や弁護士などであることが多く、会社の実態を無視して上部団体の意向をそのまま押し付けたり、会社に関する労務問題以外で争議を誘導したりする。
第三は複数労組の問題である。労働組合法には、「100名以上もしくは従業員の10％、ただし、少なくとも7名以上が集まれば、政府に届出をすることで労働組合として認められる」という規定がある。したがって、一企業内において複数の労組を設立することが可能となっている。各ナショナルセンターは、組合員を増やすためにオルグ活動に積極的である。企業によっては、100以上もの企業内労働組合が存在することもある。
労働組合法は、企業に対し団体交渉の相手となる労働組合の承認を義務付けていない。このことから、企業内に複数の労働組合が存在する場合、どの組合が団体交渉権を持つかということをめぐり、しばしば問題になることがある。
ナショナルセンター: 現在、インドには10以上の労組ナショナルセンターが存在する。その多くは政治的影響を受けている。本来、労働者の利益を代表することが最も大きな役割であるが、実態としては政治的色彩が極めて強いナショナルセンターが数多く存在する。
統計の不備や過大な自己申告数などにより正確な数字の把握は困難であるが、一般的にはインド全国労働組合会議（INTUC = Indian National Trade Union Congress）が現在も最大の労組ナショナルセンターといわれている。1947年に設立され、組合員数は約680万人。国際自由労連（ICFTU）に加盟している。支持政党は国民会議派である。
そのほかには、インド労働者連盟（HMS = Hind Mazdoor Sabha、組合員数約450万人）、インド人民党（BJP）の労組ナショナルセンターといわれるインド労働組合（BMS = Bharateeya Mazdoor Sangh、同320万人）がある。
また、共産党系の労組ナショナルセンターとしては、全インド労働組合会議（AITUC = All India Trade Union Congress、同340万人）とインド労働組合センター（CITU = Center of India Trade Union、同280万人）が存在する。双方とも外資系資本の導入や国営企業の民営化に反対しており、CITUは特に過激な運動を行うといわれている。
労働運動の流れ: インドにおいて最初に結成されたナショナルセンターは、AITUCである。1947年の独立まで唯一のナショナルセンターとして存在していたが、第二次大戦中にAITUC内の共産党派と国民会議派がイギリスのインド政策の評価をめぐり対立し、独立後、国民会議派が政権についたのを期に国民会議派がAITUCから分離し、1947年にINTUCを設立している。このINTUCは1996年に国民会議派が政権を失うまで、インド最大のナショナルセンターとしての役割を果たした。労使協調路線を取り、労使の対話による問題解決を重視している。現在は政権がインド人民党に移ったので以前ほどではないが、依然として影響力を保持している。
一方、国民会議派分離後のAITUCは共産党系との結びつきをさらに強め、その影響からグループ内の社会主義指導者が分離し、HMSが誕生している。
1955年にはジョン・サン党によりBMSが設立されている。表向きはいずれの政党にも属していないと主張しているが、実際にはインド人民党（BJP）系のナショナルセンターだといわれている。
共産党系のナショナルセンターは、AITUC以外に1970年に設立されたCITUがある。同センターは共産党がインド共産党（CPI）とインド共産党マルクス主義派に分裂したことをきっかけに、インド共産党マルクス主義派が設立したもの。一般的にナショナルセンターの中でも強硬的といわれている。
使用者団体: 全国的な使用者団体としては全インド経営者機構（AIOE = All India Organisation of Employers）とインド経営者連盟（EFI = The Employers' Federation of India）、公企業常設会議（SCOPE = Standing Conference of Public Enterprises）の3つが挙げられる。この三団体はいずれも国際労働機関（ILO）や第二次国家労働委員会など国内の政労使による三者構成会議に使用者側として参加している。AIOEとEFIはともに民間企業を会員としており、SCOPEは公的部門を代表している。そして、この三団体を取りまとめるゆるやかな連合体であるインド使用者協議会（CIE = Council of Indian Employers）が存在する。
この他にも、製造業における中小企業を会員とする全インド製造業主団体（AIMO = All India Manufactures' Organisation）が存在する。
労使関係: 団体交渉による協約期間は3～4年が一般的なようである。協約の内容は、賃金やボーナスに加え、インド企業の場合は日本の企業と異なり、基本給のほかに30項目からなる様々な手当てが存在する。労使双方の意見が合わない場合は、交渉が4～7ヶ月におよぶなど長期化することも少なくない。
インドでは、団体交渉の仕組みは根付いているものの、団体交渉によって労使間の問題が解決されることは少ないといわれている。それは、労使双方の意見が合わないケースが多いことや、裁判や政府による介入が多いためだが、最近は外部に解決を求めるのではなく、団体交渉で解決を図る動きも見られる。インドの労使間には強い不信感が存在していたが、90年代後半には信頼関係を構築して労使が協力する方が得策との認識が醸成されはじめ、新しい労使関係が構築されつつあるようだ。
自社の組合が上部組織に加盟している場合、その上部団体の指導者が団体交渉に立ち会うことが多い。その際、上部団体の指導者により、自社の実態にそぐわない過度な要求がなされることが多い。外部団体の指導者が企業内組合の幹部に就任することは法律上可能であることから、経営側が拒否することはできない。労働組合が外部指導者を幹部に受け入れる背景には、労使紛争が発生した場合に、調停の際に政府が介入してくることから、交渉にあたり政治的な影響力をもつ外部指導者の支援が必要なこと、あるいは複雑なインドの法律面への対応として法律に詳しい専門家が必要となるなどの事情がある。ただし、最近では、外部指導者が本当に自分の企業の利益を代弁してくれるのかなど、政治色の強い外部指導者のやり方に対し疑念を抱く労働組合も出てきているようだ。
インドには、労働争議法により労働問題専門の紛争解決制度が存在する。団体交渉が不調に終わった場合、労使は、外部機関に調停、仲裁を求めることができる。ストライキ、ロックアウト、解雇、事業所閉鎖、労働争議の解決法としての調停と仲裁については労働争議法に規定している。団体交渉から労使紛争に発展すると、多くの場合政府が介入してくる。そして、労働争議法に基づく調停の手続きを踏んだ場合、政府は労使に対して調停案を提示してくる。労働組合は、労使交渉に公的な意味を持たせる為に、あえて政府の介入を求める場合がある。
調停、仲裁で解決しない場合は、裁判で争うことになる。調停、仲裁のステップを踏まずに直接裁判をすることもできる。最近は労使紛争に関する訴訟において、企業よりの判決も出ていることから、場合によっては裁判により解決を図ることも選択肢として念頭に置いておく必要もあろう。ただし、判決がでるまでには相当の時間がかかる。
また、インドの法律は弁護士の数と同じだけの法解釈が存在すると言われるほど複雑であり、インドでは法的裏づけが非常に重要になることから、多くの企業が信頼の置ける労働関連法に強い弁護士を確保しているという。
ストライキ件数は減少している。1970年代は労働側の勢力が強く、ストライキが多発したが、1980年代以降はその形勢は逆転し、1991年の経済自由化以降はストライキの件数もさらに減少している。ストライキの理由としては、「賃金・手当て」「人事・ボーナス」が多い。1991年以降のストライキ件数の推移をみると、1991年は1278件、以降、1994年808件、1997年793件、2000年426件、2001年372件となっている。こうした背景には国際競争の激化と、それを背景とする労働組合自体の意識変化がある。
人事労務管理: インドでは、組織部門におけるマネジャー層やエンジニアは転社を通じてキャリアアップを図り昇進昇格を目指すものが多く、管理職のポストには外部の人間を採用することが多い。しかし、進出している日系企業の中には、社内で育成し管理職に登用するなど、日本で行われている人材登用の仕組みと同じものを現地にも導入することで、ワーカーのモチベーション向上に結び付けているところもある。
インドにおいて日本の生産・品質管理は高く評価されており、カイゼンやQCサークル、5Sなどといった手法がインドの現地企業、とりわけ大都市の大企業の間でも採用されている。
従業員数100人以上の事業所の場合は所管の政府の許可を必要とし、多くの場合政府は許可しないなど解雇の難しいインドにおける人員調整の手段としては、多くの企業が希望退職募集制度（VRS = Voluntary Retirement Scheme）を活用している。VRSとは、割増退職金など従業員に通常の退職規定よりも有利なパッケージを提案し退職者を募るというもの。通常の退職金（法律では、解雇する際、一ヶ月前に労働者本人に通知した上で、勤続年数1年につき15日分の給料を支給しなければならない）に加えて勤務一年ごとに一定の日数分の賃金を上乗せしたものが一般的なケースといわれている。ただし、従業員100人以上の事業所は、政府の許可が必要となる。外資系企業が提示するパッケージは、通常のものよりも従業員に有利なケースが多いようである。
ここ数年、VRSが盛んに用いられる理由は、各企業が競争力強化のために生産性向上に注力し、その結果生じる余剰人員を削減するためというのが多い。
VRSを実施する際、割増退職金に加え対象者に対する就職支援など、各人のニーズに合わせたサポートをしている企業もある。
日系企業の対応: 労働組合は通常、自社の実態にそぐわない過度な要求をしてくることから、日系企業の多くは労働組合の要求に安易に応じず、企業の経営状況など情報を従業員に開示し、論理的かつ粘り強く話し合うことで問題解決を図っている。労使のコミュニケーションを深めるため、団体交渉のほかに従業員や労働組合と話し合いを持つ場を設け、情報の共有に努めているところも多い。大手インド企業でも様々な社内コミュニケーションの場を設けているところが見受けられる。社員旅行や懇談会、非公式な労使コミュニケーションを通じて社内融和を図ることもインドにおいては有効だという。
インドの場合、労働組合自身が十分に労組の役割や存在意義を理解していないことから、労働組合の教育・育成も労務管理上のポイントとなる。日系企業の中には、労組リーダーに対し労働組合の存在意義やどのようにして組合員の利益を代表するのか、組合員の意見の収集方法などについて教育しているところもある。
また、インド独特の労働慣行に対応するため、現地の優れた人事担当者と十分に連携を取りながら対応している企業が多い。
このように労働問題に関して様々な対応を取っているものの、多くの日系企業が労使紛争を経験している。その内容としては、雇用条件をめぐるものや外部指導者による扇動、事業閉鎖や工場移転に反対してのものなどがある。しかしながら最近は、ストライキを起こしても結果的に労働組合側に得るものがないといった認識が労働組合内に広まっているようだ。

（２）パキスタンの労使関係

概況: パキスタンは1947年にイギリスから独立。1971年に東パキスタンであったバングラデシュが分離し、現在のパキスタン・イスラム共和国となっている。国土は79万6095平方キロメートル（日本の約2.1倍）で、4州・1地方からなる。首都はパンジャブ州にあるイスラマバード。パキスタン最大の商業都市であるカラチはシンド州にある。人口は約1億4000万人で、国民の97％がイスラム教徒である（ヒンドゥー教徒1.5％、キリスト教徒1.3％）。統計上に現れる女性労働者の数が極めて少ないことや不完全就労者（underemployment）と呼ばれる低所得労働者が存在することなど労働市場の特徴として挙げられる。労使間には深い不信感が根付いており、労使関係は敵対的といえる。パキスタンの政労使は、三者による対話の重要性を認識しており、国内にいくつかの三者協議機関が存在するが、効果的に機能していない。2002年現在の日系企業進出数は18社。
経済動向: パキスタンの経済は、農村部における伝統的農業部門と、都市部における近代的産業部門の二重構造となっている。主要産業は農業および綿工業。2000-01年（パキスタン政府統計の会計年度は7月1日～6月30日）時点で農業部門はGDPの約24％を占める。ただし、農業部門は天候に左右されやすいという脆弱性を有している。パキスタン政府は独立以降工業化を積極的に進めているが成果は上がっておらず、製造業のGDPに占める割合は17％にとどまっている。恒常的な財政赤字と貿易赤字を抱えており、外国援助に多く依存した経済体質となっている。
GDPの推移を見ると、1992年2.1％、1993年4.4％、1994年5.1％、1995年6.6％、1996年1.7％、1998年4.2％、1999年3.9％、2000年2.6％、2001年5.4％（暫定値）と浮き沈みは大きい。ただし、2002年については、農業生産、輸出ともに好調に推移している。
労働情勢: 2002年における労働力人口は約4,154万人（総人口の約29％）、そのうち、就労者は約3,829万人、失業者は約325万人（失業率約7.82％）となっている。農業部門の就労人口に占める割合は48.4％で、依然としてパキスタンの就労人口の約半数を占める。一方、鉱業・製造業部門は11.6％にとどまっている。減少した農業部門と鉱業・製造業部門の労働力は、サービス部門に吸収されている（1990-91年12.2％→2000-01年15.02％）。
農村部には封建地主と呼ばれる地主が存在し、不利な労働条件や賃金水準で働かされている不完全就労者（後述）と呼ばれる農業従事者が多数存在するという。
他国と比較して、パキスタンの統計上の労働力人口の少ない理由は、出稼ぎ労働者や統計上に表れないインフォーマルセクターに従事する労働者が多いことだけでなく、女性労働者が統計上の労働力人口に極めて少ない数字でしか現れないためである。労働力調査（1996/97年）によると、女性の労働力率は9.0％と極めて低い。パキスタンには女性を隔離する社会的風習があり、よって女性の社会進出が妨げられているといわれている。ただし実態は異なり、農業部門における賃金の伴わない家畜の世話や綿花栽培などは女性の仕事となっている。単純労働の分野において女性が就業しているケースも見られるという。
パキスタンの失業率は約6％であるが、必ずしも実態を表したものではない。パキスタンには、前述した不完全就労者と呼ばれる低所得者が存在する。パキスタン政府の定義によれば、不完全就労者とは一週間の労働時間が35時間以下の労働者を意味する。そして、一日一時間しか働かない労働者も失業者とはみなされずに不完全就労者として就労人口に含まれる。不完全就労者は就労人口の約10％を占めるといわれている。こうした不完全就労者は地方に多く存在し、都市部に流入してくる現象が起きている。また、絨毯織り工場などで児童労働が多く見られることや、特に中東産油諸国への出稼ぎ労働者が多いことも特徴といえる。
現在、パキスタンが抱える最も大きな問題の一つに、優秀な頭脳の海外への流出が挙げられる。パキスタンには博士号取得者や大卒など高学歴者の就職先が少ないため、そうした優秀な人材の多くが、国際機関や海外に就職先を求める傾向が強いといわれている。
労働法: パキスタンの労働法は（カッコ内の数字は施行年）は、(1)「工場法」（Factories Act, 1934）、(2)「西パ作業所・事業所法」（West Pakistan Shops & Establishment Ordinance, 1969）、(3)「西パ商工業雇用法」（West Pakistan Industrial Commercial Employment Ordinance）――の3法が基本となっている。工場法は従業員10名以上の事業所に、事業所法は工場法が適用されないすべての事業所に、雇用法は従業員20名以上の事業所に適用される。この3法は、勤務時間、休憩、賞与、退職、解雇などについて規定している。
労使関係を律する法律としては、1969年に施行された「労使関係法」（Industrial Relations Ordinance, 1969）が存在する。同法には、労働者の労働組合を結成する権利や、使用者と労働者に対する禁止事項、労働裁判所や労使による協議機関の設立、同法を違反した場合の罰則などについて規定されている。
ナショナルセンター: パキスタンには、主に次の3つのナショナルセンターが存在する。いずれのナショナルセンターも国際自由労連（ICFTU）、同アジア太平洋地域組織（ICFTU-APRO）に加盟している。
パキスタン全国労働組合連盟（PNFTU：Pakistan National Federation of Trade Unions）は1962年に設立。2002年現在の組合員数は20万人。2002年現在で90の産業別組織が加盟している。
全パキスタン労働総同盟（APFOL：All Pakistan Federation of Labour）は1971年に結成されている。2001年現在の組合員数は38万人。1999年現在の加盟組織は315組合。
全パキスタン労働組合連盟（APFTU：All Pakistan Federation of Trade Union）は1972年に設立。2002年現在の組合員数は59万7000人。1999年現在の加盟組織は500組合。
使用者団体としては、パキスタン経営者連盟（Employers' Federation of Pakistan）が存在する。1950年に設立され、国営、民間、多国籍企業を会員としている。
労使関係: パキスタンの労使は、相互不信が根強く残っており、関係は敵対的といわれている。ただし、最近では労使は相互が伝統的な労使関係に固執することなく経済成長のために協力していく必要があるとの認識をもっているようである。
労使関係を律する法律は前述の通り労使関係法であるが、実際には多くの民間部門、団体、農業部門、インフォーマルセクターで労働組合の活動が認められていないなど、同法が実態としてはほとんど機能していないとの指摘も見られる。
また、労働組合の活動は、法律では認められているものの、実態として必ずしも自由が約束されているわけではない。全ての政党が封建地主あるいは宗教団体と関わりがあり、政府から健全な労働組合活動の阻害となるような圧力がかけられることもあるようだ。また、ほとんどの政党がお抱えの労働組合を有しており、それらの労働組合は往々にして健全かつ独立性のある労働組合活動をしているとはいえない状況にある。
パキスタンは、ILO第144号条約（国際労働基準の実施を促進するための三者協議に関する条約）を批准していることから、国内に複数の政労使三者による国家レベルの協議機関が存在する。その内の「The Pakistan Tripartite Labour Conference」（PTLC）と常設労働委員会「Standing Labour Committee」（SLC）は、労働法制・政策等に関する問題を取り扱っている。双方ともメンバーは州の労働大臣と州および地方の政府、労使の代表で構成されている。しかしながらこの2つの委員会は長期間開催されておらず、代々の政府は同委員会に重要な役割を与えて来ていない。PTLCが最後に開催されたのは1988年であり、その際には労働政策の草案について議論された。常設労働委員会は1993年以降、開催されていない。
この他には、「Labour Advisory Board」「National minimum Wage Board」「Productivity Council」「National Council on Health and Security」といった協議機関が存在する。また、公共部門や特定の産業において国家レベルの三者協議機関も存在する。
また、使用者、労働組合の2者間で話し合う新しい動きとしては、2000年に設立されたWEBCOP（Workers Employers Bilateral Council of Pakistan）の存在が挙げられる。労使でグローバル化や急速な産業発展がもたらす様々な問題に対応することを目的としており、パキスタンの様々な国家・州レベルの三者協議機関にも意見を提出している。
労使紛争: 労働組合は労使関係法により、10日前に使用者に事前通知することで団体交渉を行うことができる。団体交渉により解決に至らない場合は、14日前に使用者に事前通知することでストライキを実施することができる。労働組合の要求としては、ボーナスや賃金に関するものが一般的なようである。
政府は、労使関係法により労使間の労使紛争を解決させるための調停員を派遣する。調停員を介しても問題が解決に至らない場合は、労働組合はストライキ、もしくは労働裁判所に解決を求めることができる。
労使紛争の解決法として労働裁判所の存在があるが（労使関係法に規定）、解決には非常に時間がかかる。仮に不当解雇された労働者が労働裁判所に訴えた場合、解決するまでには5―10年の時間を要することがあるという。また、高等裁判所や最高裁判所に追訴した場合も、同様に相当な時間を必要とするようである。
ILOの統計によれば、パキスタンにおけるストライキ件数は少ない。1970年代前半は300件近いストライキが発生していたが、1977年以降は減少している（1977年81件、1982年26件、1986年26件）。これは、80年代のハック軍事政権が戒厳令規則に基づきストライキやロックアウトを禁止したためである。最近の傾向は、1996年30件、1997年30件、1998年20件、1999年9件、2000年4件、2001年4件と件数は大幅に減少している。

（３）スリランカの労使関係

概況: スリランカは1948年にイギリスより自治領として独立、1972年にセイロンからスリランカに改称している。国土面積は65,610平方キロメートルで、日本の約0.17倍である。総人口は約1,873万人。首都はスリ・ジャワルダナプラ・コッテだが、実質的な首都機能はコロンボにある。以前はプランテーション経済と称されるように農業に大きく依存する国であったが、1977年に経済改革に着手、経済の自由化や民営化を推し進めている。しかしながら依然として農業が経済の基盤となっている。労使関係の特徴としては、インドやパキスタンといったほかの南アジアの国々にも見られるように、労働組合と政治家・政党との結びつきが強い。また、政府が労使関係に積極的に介入してくることも特徴の一つといえる。
経済情勢: スリランカは南アジアの中で最初に経済自由化に着手した国である。経済改革を開始したのは1977年で、GDP成長率は改革前の1970～1977年の年平均2.9％から1978～1982年の6.0％と増加している。1983年には国内の民族対立から経済成長は一時鈍化したものの、1990年以降は再度の経済自由化（第2段階）を進め、南アジアで最も自由化の進んだ国となっている。外資系企業への門戸も開いており、1990年からは輸出加工区以外にある外資系企業に対する各種規制も緩和されている。
1989年からは国営企業の民営化が始まり、製造業部門の国営企業の多くが民営化された。しかしながら、公共部門は依然として非効率なまま残っている。
最大の経済基盤は茶やゴム、ココナッツなどを生産しているプランテーション農業である。しかし、1977年の経済改革以降は産業構造に大きな変化が見られる。産業構造別にGDPに占める割合を見ると、製造業は、1960年代で約5％だったものが、2000年には17％まで増加している。農業は依然として20％を占める。最も割合が大きいのはサービス業（銀行、保険、不動産、運輸、通信）で54％を占める。
GDPの推移を見ると、1996年3.8％、1997年6.3％、1998年4.7％、1999年4.3％、2000年6.0％と過去5年間は平均約5％の成長を記録している。ただし、2001年は世界経済の景気減速による製造業の輸出の減速、降雨不足による国内農業の低調、政情の不安定化、水力発電供給量の減少による計画停電の実施等特殊要因などによりマイナス1.4％と独立後初めてのマイナス成長となった。
労働情勢: 2001年の労働力人口は約677万人、そのうち就労者は624万人。産業別に見ると、農業32.6％、個人的労務提供（契約の当事者しか履行を提供できない種類の労務）18.5％、製造業17.0％、貿易・サービス13.0％、その他18.9となっている。雇用されている労働者の多くが、プランテーション農業などに従事している。失業者数は約54万人、失業率は7.9％となっている。
産油国への出稼ぎ労働者が多い。スリランカの場合、インドやパキスタン、バングラデシュと違い、女性の割合が著しく高いことが特徴といえる。こうした女性の出稼ぎ労働者は20～30歳代が中心で、主に単純労働に従事している。
南アジアの中では識字率は比較的高い。
労働法: スリランカには約50の労働関連法が存在する。約677万人の労働力人口のうち、インフォーマルではない部門に就労している労働者は全体の半数程度である。それゆえ、残りの労働者のほとんどは労働法の保護の外にある。また、ほとんどの労働法は経済自由化以前に制定されたものであるため、いくつかの法律は自由経済に対応できない内容となっている。主な労働法は次の通り。
労働者の労働条件、安全衛生、福祉などに関するものとしては、「店舗・事務員法（雇用・賃金規定）」（The Shop and Office Employees(Regulation of employment & remuneration) Act）、「工場法」（The Factories Ordinance No.45 of 1942）がある。
労使関係を律するものとしては、労働組合の登録や管理について規定している「労働組合法」（Trade Unions Ordinance No. 14 of 1935）、「労働争議法」（The Industrial Disputes Act No. 43 of 1950）、「解雇法」（Termination of Employment of Workman(Special Provisions) Act No.45 of 1971）などがある。
現行の労働法では、文書による雇用契約が求められている。労働時間は1日8時間、48時間を超えて勤務させる場合は、割増賃金の残業手当を支払う必要がある。ただし、午後10時以降の女性の深夜労働は、特定の業種を除いて許されない（許される業種であっても、文書による同意が必要となる）。また、雇用主は、職場における実際の労働時間について記録を作成し、必要に応じて公表しなければならないとされている。労働者を解雇するには一ヶ月前の事前予告が必要となる。
労働争議については、現在見直しの作業が行われている。焦点になっているのは、労働争議、解雇、団体交渉、調停・仲裁制度、労働裁判所の機能の見直しなどに関するものである。なお、公共部門の労働者については、労働争議法は適用されない。
労使関係: アジア諸国の中でも比較的労働組合運動は盛んであったが、1977年の統一国民党政権は、外国資本の誘致のため、労働組合組織を徹底的に弱体化する政策を取っている。1999年時点で活動している労働組合数は1,532組合、組合員数は69万3,513人となっている。ただし、ほとんどの労働組合は労働法が適用されない政府部門の労働組合である。
また、政府の労使関係への介入度合いは強く、政府は労働法あるいは裁判の判決を理由に介入し、労使関係をコントロールしようとする傾向がある。
労使紛争: 過去5年間のストライキ件数の推移を見ると、1997年156件（うち農業78件、製造業78件）、1998年122件（同63件、59件）、1999年125件（同42件、83件）、2000年87件（同24件、63件）、2001年92件（同31件、61件）と減少している。
労働争議への労働者の参加人数は、1997年57,632人（うち農業27,383人、製造業30,249人）、1998年43,343人（同15,468人、27,875人）、1999年42,346人（同16,018人、26,328人）、2000年25,858人（同8,408人、17,450人）、2001年42,344人（同26,069人、16,275人）となっている。
ナショナルセンター: セイロン労働者会議（Ceylon Workers' Congress）は、1940年5月に設立されたセイロン・インド会議が1950年に改名した。組合員数は31万8,000人。スリランカの茶、ゴム園労働者の大半を組織している。国際自由労連（ICFTU）、同アジア太平洋地域組織（ICFTU-APRO）に加盟している。
インドやパキスタンと同様に、ほとんどの労働組合が政党と結びつきを強くしている。労働組合の設立の際には、政治家・政党からの強力な援助がなされることが多いため、労働組合に対する政党の影響力は大きい。1960～1980年代は、野党が政治的支援を得るために労働組合を利用していた。労働組合のリーダーは職場の代表ではなく、バックの政党の利益を代表するものが就任することから、多くの組合員が自身の労働条件などに関することではなく、政治目的の濃い労働争議に駆り出される。
従って、団体交渉の際には多くの労働組合が影響力の強い政治家に頼る傾向がある。
スリランカを代表する使用者団体はセイロン経営者連盟（The Employers' Federation of Ceylon）である。勢力を強める労働組合に対応するため、セイロンの商工会議所を中心に1928年に設立された。会員企業は400社。

（４）バングラデシュの労使関係

概況: バングラデシュは1947年に西パキスタンとしてイギリスから独立。1971年にパキスタンから独立し、現在のバングラデシュとなっている。国土面積は143,998平方キロメートル。2000年の総人口は約1億2,700万人、日本の2分の1以下の国土に日本と同じ程度の人口が生活をしている。首都はダッカ（約340万人在住）。労働組合と政党の結びつきは強く、ナショナルセンターのほとんどが何かしらの政党と結びついている。バングラデシュ政府は経済改革、非効率な国営企業の民営化を推進しているが、これらに反対する労働組合のゼネストなどにより改革は思うように進んでいない。民間の縫製産業の国際競争力は高いが、紡績産業など国営企業の国際競争力は低い。転職した場合、前職と同等の労働条件の職場を見つけることが難しいことから、労働者は賃金よりも解雇されたくないと考える傾向が強い。
経済状況: 経済の中核を成すのは農業である。産業別にGDPシェアをみると、1992-93年における農業は36.0％であり、次いでサービス業が34.0％となっている。製造業は10.4％にすぎない。バングラデシュは西パキスタンに支配されていたため、ほとんどが西パキスタンの資本で工業化がなされており、独立時にその工場を国有化したという独特な経緯を持つ。国営企業は非常に非効率的であり、IMF、世界銀行は融資の条件として国営企業の民営化、経済の自由化をバングラデシュ政権に迫っている。
バングラデシュにはNGOが非常に多い。最大規模のNGOの予算の方がバングラデシュの中央政府の予算規模よりも大きい状況にある。天然資源に乏しく、地理上、ガンジス川等の氾濫などにより国土の3分の1以上が水没することもある。
GDP成長率の推移を見ると、1997年5.2％、1998年4.9％、1999年5.9％、2000年5.3％、2001年4.8％と、過去5年間は平均5.2％と比較的高い経済成長率を記録している。これは、主な輸出先である欧米の好景気や、縫製産業の輸出が増加したことなどが要因となっている。
労働情勢: ILOの統計によると、2000年における労働力人口は約6,030万人（総人口の47.3％）。そのうち、就労人口（15歳以上）は約5,180万人。男女別では、男性は約3,240万人、女性は約1,940万人となっている。産業別にみると、農業・狩猟・林業・漁業部門が最も多く約3,220万人、就労人口の約60％を占める。製造業は約380万人で7％程度とその割合は少ない。失業者数は約175万人（男性は約108万人、女性は約67万人）、失業率は3.3％となっている。
バングラデシュの労働力は極めて安価であり、大野昭彦・青山学院大学国際政治経済学部教授によれば、ベトナムの半分程度、中国沿岸の4分の1程度だという。また、民間の縫製部門が盛んであり、バングラデシュの賃金は世界で一番安く、生産性もインドと同等レベルであることから、製品当たりの労働者コストはインドの2分の１程度となり国際競争力は高い。まもなくMFA（先進国の自国産業保護のための多国間繊維協定）が廃止されることから、縫製拠点としてバングラデシュの存在が注目を浴びる可能性は高い。民間の縫製工場の労働者のほとんどは、イスラムでは珍しく女性である。インドやパキスタンとは対照的に、バングラデシュでは女性の労働市場への進出が見られる。
ただし、国営企業の労働力コストは高い。賃金はインドと同程度にも関わらず、生産性はインドの半分以下であることから、製品当たりの労働力コストは南アジアで最も高い水準となる。国営企業の賃金は民間の2倍程度といわれており、労使の団体交渉で決められた賃金が成果に関わらず一律に支払われるため、国営企業労働者の生産性は低いという。ちなみに、外資系企業の賃金は一般的に国営企業、民間企業よりも高いといわれている。
また、高校卒業者は10％程度であり、バングラデシュの労働力の教育水準は高いとはいえない。
労働法: 労働法としては、工場法（Factories Act, 1965）、労使関係法（The Industrial Relations Ordinance, 1969）などがある。工場法では、安全衛生、労働時間、休暇・休日の賃金などについて規定されている。同法によれば、工場内で働く労働者は週48時間、1日9時間を超える勤務は禁止されている。また、1日9時間、週48時間を超えて超過勤務をさせる場合は、通常の賃金の2倍を支払うよう義務付けられている。ただし、バングラデシュには労働基準監督官が少なく、訓練されていない者も多いことから、規定が徹底されていないとの指摘もある。
労使関係法には、労働組合の設立ならびに登録、団体交渉権、労働不当行為、労使協議、調停、ストライキ、ロックアウト、仲裁、労働裁判所、法律を違反した場合の罰則などが規定されている。
ナショナルセンター: 1990～91年時に政府に登録されていた労働組合数は約3,800団体。組合員は約160万人といわれている。20以上のナショナルセンターが存在し、そのほとんどがいずれかの政党と密接な関係を持っている。主なナショナルセンターは以下の通り。
バングラデシュ・ジャティヤタバディ・スラミク・ダル（Bangladesh Jatiyatabadi Sramik Dal）。1979年に従来の産業別組織を統合して設立された。組合員数は約25万人。7つの産別組織と325組合が加盟している。最大のナショナルセンターの一つといわれている。国際自由労連（ICFTU）、同アジア太平洋地域組織（ICFTU-APRO）に加盟している。
ジャティオ・スラミク・リーグ（Jatio Sramik League）。1969年に設立。2002年現在の組合員数は約35万人で、315の組織が加盟している。政府とは対立してはいないが、経営者とはあまり良好な関係にはない。
この他にも、バングラデシュ自由労働組合会議（Bangladesh Free Trade Union Congress）、バングラデシュ全国労働者連合（Jatiya Sramik Party）などがある。また、労働者・事務員統一評議会（Sramik Karmachari Oikya Parishad）は、国営企業の従業員で構成され、最低賃金の保証を求めたり、民営化に反対したりするなど、様々な面で労働争議の中核となっている。
使用者団体としては、バングラデシュ経営者連盟（Bangladesh Employers' Federation）が存在する。1998年に使用者のナショナルセンターとして登録されている。民間企業と主要なナショナルレベルの使用者団体を会員としている。
労使紛争: バングラデシュでは頻繁にゼネストが起こる。その理由は、賃金決定に関するものや政府の政策への反発によるものが多いようである。世界銀行から金融支援の条件として経済改革、民営化の要請を受けているが、政府が何か政策を打ち出すと直ぐに反対のデモが起きるため改革を上手く実行できないでいる。既述の通り、政党と労働組合の結びつきは深い。政府が国営企業改革に着手しようとすれば、反対する野党は影響力の及ぶ労働組合にストライキの実施を指示をし、改革を邪魔しようとする傾向がある。個別企業レベルでの労働争議の実態については、調査・統計等がないことから、実態の把握は難しい。
ただし、近年、統計上で見る限りはストライキ件数は減少傾向にある。1996年1件、1997年0件、1998年1件、1999年4件、2000年4件となっている。労働争議への労働者の参加人数は1998年6,490人、1999年2,296人、2000年1,698人となっている（すべて製造業部門）。

以上

参考資料

アジアにおけるＩＬＯ基本８条約批准状況（2003年6月現在）

【凡例： ○⇒批准済　×⇒未批准　△⇒廃棄】

国　名	結社の自由・　団体交渉権		強制労働の禁止		雇用及び職業における差別の排除		児童労働の廃止
国　名	８７号	９８号	２９号	１０５号	１００号	１１１号	１３８号	１８２号
インドネシア	○	○	○	○	○	○	○	○
フィリピン	○	○	×	○	○	○	○	○
マレーシア	×	○	○	△	○	×	○	○
タイ	×	×	○	○	○	×	×	○
シンガポール	×	○	○	△	○	×	×	○
ベトナム	×	×	×	×	○	○	○	○
中国	×	×	×	×	○	×	○	○
韓国	×	×	×	×	○	○	○	○
インド	×	×	○	○	○	○	×	×
パキスタン	○	○	○	○	○	○	×	○
スリランカ	○	○	○	○	○	○	○	○
バングラデシュ	○	○	○	○	○	○	×	○
日本	○	○	○	×	○	×	○	○

＜注＞
ILO基本8条約とは、ILOが加盟国に対し優先的に批准を求めている基本的労働基準のこと。(1)結社の自由と団体交渉権（87号、98号）、(2)強制労働の禁止（29号、105号）、(3)雇用・職業上の差別の排除（100号、111号）、(4)児童労働の廃止（138号、182号）――の四分野（各2条約ずつ）に関する8つの条約を指す。
ILOは、WTOとの貿易と労働基準をめぐる議論の中から生じた「労働基準の問題はILOが中心的な役割を果たすべき」とする国際的な付託に答える形で、1998年に「労働における基本的原則及び権利に関するILO宣言」(通称：ILO宣言)を採択し、四分野の原則・権利を中核的な労働基準と定め、その実現に向け推進活動を行なっている。同宣言により、ILO加盟国はこの8条約の批准の如何に関わらず、これらの諸原則を誠実に尊重、促進、実現する事を約束した。

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