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これからの教育の方向性に関する提言

2005年1月18日
(社)日本経済団体連合会

はじめに

教育は国の発展の基盤である。特に資源やエネルギーの乏しいわが国にとって、国内外を問わずさまざまな分野で活躍できる志と能力のある人材を育てていくことは、最優先の課題である。
わが国では戦後、国民に均等な教育の機会を提供し、平均的に質の高い人材を社会に送り出してきた。こうした戦後の教育は、わが国の経済・社会の発展と繁栄に大きく寄与し、いまや日本経済は世界のフロントランナーとなった。
一方、21世紀は、創造的な製品やサービス、アイデアを不断に提供しなければ、競争力を維持・向上することができない時代である。新たな価値を創造する力が、国や企業の競争力を左右する。このような時代においては、個々人の創造性を最大限に発揮することが求められる。画一的な人材を供給するいままでの教育ではもはや対応できない。均質な人材を育成する教育から、個人の個性や能力を最大限に伸ばす、多様性を重視した教育に転換しなければならない。
しかしながら、実際の教育現場では個性や多様性を目指すどころか、教える力(教育力)をも低下させている。先に発表されたOECDの学習到達度調査結果などからも明らかなように、子どもたちの学力は低下傾向にあり、教育力の衰退は否定できない。子どもたちの塾通いも常態化しており、塾や予備校の存在なしには、学校の授業が成立しないような状況に立ち至っている。塾などの経費を含む教育費の負担が少子化の原因のひとつともなっている。
また、戦後から最近に至るまで、学校教育の現場では日本の伝統や文化、歴史を教えることを通じて、郷土や国を誇りに思う気持ち(国を愛しむ心)を自然に育んでこなかった。これを育むことは、海外の人々との交流が活発化する国際化時代には必須といえよう。また、個人の権利や自由の尊さを浸透させてきた点は戦後教育の成果と評価できるが、半面、権利には責任と義務が伴うという点を教育現場で教えることは徹底されず、公共の精神の涵養は不十分であった。
こうした状況を放置したままでは、わが国が築いてきた豊かさと繁栄を維持し、さらには21世紀の国際競争を勝ち抜き、国際社会に貢献していくことはできない。いまこそすぐれた人材を育てるため、社会全体でわが国の教育力を高めるための行動を起こさなければならない。
以上の考えに立ち、教育基本法など基本的な枠組みを含めた抜本的な教育改革について提言する。

I.教育への期待と教育力低下の要因

1.教育への期待と現状

われわれは、2004年4月に公表した『21世紀を生き抜く次世代育成のための提言』(以下、「2004年4月提言」と略す)の中で、「志と心」「行動力」「知力」の3つの力を備えた人材を求めた参考資料1。この3つの力を向上させるため、以下の4点を期待したい。

(1) 社会で必要とされる知識と判断能力の養成

「行動力」と「知力」については、実社会で必要とされる知識と判断能力を身につけさせることが不可欠である。たとえば、急速に進むIT化に対応するための能力や技能を磨くとともに、インターネット上を飛び交う情報の真贋を見極める能力や交信にあたってのマナーなどを身につけることが求められる。また、グローバル化に対応するため国際コミュニケーション能力の向上が必要となる。さらに、わが国の競争力の源泉でもあるものづくりの優位性を今後とも維持していくためにも、理数系教育の拡充など、高等教育機関のみならず、初等中等教育段階から取り組むべき課題は多い。現状を見ると、多くの教育機関において、社会との関わりを意識した授業になっておらず、また最新の知識を十分に教えていない。

(2) わが国の伝統・文化・歴史に関する教育の充実

「志と心」と「知力」については、戦後教育において十分な配慮がなされなかったわが国の伝統・文化・歴史に関する教育の充実が必要である。グローバリゼーションの進展に伴い、諸外国の人々と交流する機会が今後とも増えることは確実であり、日本の伝統・文化・歴史を身につけ、自らの考えをはっきりと持つことは、国際人としての不可欠の要件である。しかし、現状では大学を卒業しても、わが国の伝統・文化・歴史に関する知識や常識に欠ける事例が見られる。

(3) 3つの力を身につけたリーダーの養成

「志と心」「行動力」「知力」の3つをバランスよく身につけたリーダーの養成が必要である。高い志を持ち、世界の舞台で活躍できる人材を、さまざまな分野で生み出していくことが求められる。しかしながら、高いコミュニケーション能力、構想力と決断力、幅広い教養、高い倫理観や責任感など、リーダーに必要とされる素養を伸ばす教育がほとんど行われていない。

(4) 家庭や地域社会における基本的なしつけや道徳教育の徹底

「志と心」にかかわる点として、家庭や地域社会での基本的なしつけや道徳教育の徹底が望まれる。基本的な倫理観や道徳観の低下は、いじめや学級崩壊、青少年の生活態度の乱れなどに如実に表れている。教育の現場や家庭などで、このような問題に適切な対応がとられているとは言いがたい。

2.教育力低下の要因

以上のような教育に対する期待に応えていくためには、何よりも学校や教員の教育力を上げていかねばならない。しかし、先のOECDの調査に見られる通り、教育現場は教える力を低下させている。教育力低下の根本的な要因として、次の5点を指摘したい。
第1に、現行制度では、学校経営や教育のノウハウを有する主体が新規参入できない。このことが学校間の競争の低下に結びついている。現在の制度は、公教育は公立、国立学校が担い、私立学校は補完的存在に留めるという考え方に基づいている。
初等中等教育、とりわけ義務教育段階で顕著に見られるこうした考え方は、画一的な公教育の普及に重点を置いた高度成長期までは適合したが、次第に社会の多様なニーズに対応できなくなっている。
第2に、児童・生徒・学生や保護者をはじめ社会のニーズに適切に応えなくとも、学校が存続できる構造になっている。
初等中等教育では、教員数などを基準に教育予算や助成が拠出される仕組みとなっており、学校や教員が自ら問題点を見つけ、自律的に授業内容を改革し、教える力の増強を促すようにはなっていない。高等教育においても、国からの財政支援はもっぱら教員数など規模に応じて行われており、教育や研究への取り組み評価に基づいた財政支援の割合は低い。
第3に、特色ある教育を実施するための環境が整備されていない。
初等中等教育では、国は「特色ある学校づくり」を求めながらも、そのための手段や権限を教育委員会や学校に十分に与えておらず、教育委員会、学校、教員が創意工夫を発揮する余地は乏しい。高等教育においても、各大学が人材養成機関として特色ある方針を立て、これを実施することが課題となっている。
第4に、学校が組織的に管理・運営されるようになっていない。初等中等教育、高等教育ともに、学校や教員の取り組みを評価し、評価を踏まえて改善するというシステムが根づいていない。切磋琢磨する環境になかったといえよう。また、学校の方針に従って、各教員が努力するという組織となっていない。さらに、外部の人材を活用するなど、実社会との交流を通じて教育を充実させようという意識に欠けていた。
第5に、学校教育以前の問題として、家庭が社会生活上必要な倫理観、道徳観などを教えていない。家庭と地域社会の教える力も低下し、家庭や地域社会で教えなければならないことまで学校任せにしているのが実情である。

II.教育の今後の方向性

こうした状況を変え、社会全体の教育力を向上させるには、2004年4月提言で指摘した「多様性」「競争」「評価」を基本に、大胆な改革を実施していかねばならない。各学校に特色を発揮させ、学校間はもとより教員間の競争原理を働かせれば、21世紀に必要とされる人材育成が可能となろう。同時に、家庭や地域社会が教育の主体であるという自覚を持ち、何もかも学校任せにしないことも重要である。
以下、具体的な改革の方向性を、(1)教育機関(だれが学校の設置・運営をするか)、(2)教育予算(どのような考え方で教育予算を拠出するか)、(3)教育内容(何を教えるか、だれが教える内容を決定するか)、(4)学校運営のあり方、(5)家庭や地域の役割、の5つの側面から指摘したい。

1.教育機関間の競争促進

初等中等教育段階では、小中学生の9割以上が公立学校に在籍している。公立学校は基本的にほぼ同一の方法で、標準的な内容を教えることとされているため、個々の学校が多様なニーズに応えて、特色ある試みを行うことは難しい。一方、私立学校は、それぞれの建学の精神に則り、独自の教育を展開することができる。
多様な教育を実現し、教育の質を向上させるためには、新規参入者を増やし、学校間の競争を促進しなければならない。公立・私立を問わず、相互に競い合うことが必要である。
具体的には、まず義務教育は公立学校が担うという考えから脱却し、私立学校の設置を進めるべきである。また、私立学校のみならず、株式会社立学校やNPO立学校など、多様な主体による学校設置も認める必要がある。さらに、公立学校の運営を学校法人だけでなく、株式会社やNPOに委託する公設民営の手法も活用していくべきである。
このような観点から、学校の設置・運営主体にかかわる現行の基本的枠組み(教育基本法第6条1項、学校教育法2条)を改正し、多様な主体の教育への参入を促進すべきである。教育基本法第6条1項について、「法律に定める学校は、公の性質をもつものであって、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる」という規定から、「公の性質をもつもの」という部分を削除するなど、株式会社やNPOによる学校設置・運営ができるようにする必要がある。

2.受け手のニーズに対応した教育予算

(1) 初等中等教育での予算配分のあり方

現状では、学校がどのような教育を提供しているかという質の問題はほとんど考慮されずに、教育の供給者に対し予算が配分されている。教育の供給者ではなく、児童・生徒・学生や保護者など教育の受け手に予算を配分し、社会のニーズに応えることが必要である。
公立の小中学校の場合、既存の学校を存続させることを前提に、教員の配置と予算の配分を行っており、学校ごとの教育内容や成果に応じて、教員数や予算を決めるという意識は低い。
私立の小中高等学校については、学校の規模、教員数などに基づき、補助金が支出されている。この中で、教員数に基づく助成割合が最も高く、生徒数が定員割れとなっても、教員さえいれば学校の存続は可能ともいえ、学校側の取り組みを評価した形での助成とはなっていない。
小中高等学校への予算措置や助成を、教育の受け手の評価に基づく形にするため(本提言4.組織的な学校運営の確立(1)参照)、生徒や保護者などの選択結果を反映して補助金を交付する教育バウチャー制度を導入することを求めたい。
その際、憲法89条(「公金その他の公の財産は、…… 公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」)の規定を、私学助成の根拠を明確化する観点から見直すべきである。
教育バウチャーは、生徒や学生など個人を対象とする使途制限のある補助金を国がクーポンの形で交付し、個人が学校を選択し、学校はクーポンの額面分の補助金を国から受け取るものと定義できる。その実施にあたっては、生徒数に応じて学校に補助金を交付する形も考えられる。制度設計によっては、公立・私立を問わず、各教育段階(小中学校、高校、大学・大学院)で導入することも可能であろう。
とくに小中学校については、児童・生徒や保護者の多様なニーズに応えておらず、また学校間の競争も十分とはいえず、早急な対応が必要とされる。こうした点に鑑み、義務教育段階でのバウチャー制度の導入を早急に検討すべきである。バウチャー制度の導入に伴い、校長はじめ管理職の予算、人事、教育課程などの権限を拡大することが求められる。

(2) 高等教育での予算配分のあり方

GDPに占める高等教育予算の割合は、わが国は0.5%に留まり、米国の1.1%、英国1.0%、OECD平均の1.2%に比べ、大きく下回っている(『教育指標の国際比較 平成16年度版』)。わが国の高等教育予算を主要先進国並みに引き上げた上で、ばらまき型の予算配分ではなく、メリハリの効いた予算編成を行うことが期待される。たとえば、国立大学に対する運営交付金を配分するにあたっては、各大学の取り組みに対する厳格な評価を踏まえて行うべきである。
その上で、大学間で競争する環境を整備するために、教育の受け手である学生に予算を配分することも必要である。具体的には、高等教育関連予算を教育と研究に大きく分け、教育部分についてバウチャー制度を導入すべきである。まず、各大学に共通に設けられている講座について、単位互換性を持たせた上で、早急にバウチャー制度を導入すべきである参考資料2。併せて、奨学金制度の見直しと充実により、学生の選択の幅を広げることなどを提案したい。また、入学定員など大学の規模に応じて財政支援を行う形から、教育、研究、社会への貢献などの分野について評価を行い、その評価結果に基づいて予算配分することも求めたい。

3.国際化時代にふさわしい教育内容のあり方

これからの教育を考えるにあたり、まずは、基礎学力(特に理数系)や、国際コミュニケーション能力、IT時代に対応する能力・技能など新しい時代のリテラシーを充実させることが必要である。なお、情報化社会の進展が子どもたちに及ぼす悪影響など負の側面への対策も十分に考えなければならない。
さらに、国際化時代を生きる日本人に必要となる素養を身につけるという意味で、これまで十分な配慮がなされてこなかった以下の点を、初等中等教育から重点的に取り組んでいくべきである。

(1) 教育内容面で今後重視すべき点
  1. 日本の伝統や文化、歴史に関する教育
    第1に、日本の伝統や文化、歴史に関する教育である。伝統や文化、歴史を学ぶことを通じて、郷土や国を誇り、日本を他国の人にも魅力ある国にしようという気持ち(国を愛しむ心)が自然に生まれる。自国の伝統や文化、歴史を学び、また国旗や国歌に対する理解を深めることは、国際的に活動をする上でも最低限必要な知識であり、けっして偏狭な国家主義の復活を意図するものでない。諸外国の人々と交流していくためには、わが国が歩んできた近代史の正確な知識を持っておくことが不可欠である。
    また、今後、国内外を問わず、自分の価値規範とは異なる文化を背景に持つ人々と交流する機会が日常的に増えることは確実である。自らのアイデンティティの確立なしには、異文化を理解することは難しい点を認識すべきである。
    こうした観点から、教育基本法に示された教育理念の中に、伝統、文化、歴史を教えることを通じて、国や郷土を誇り、諸外国の人々にとっても魅力のある国をつくろうとする気持ちを育むことを盛り込むべきである。

  2. 社会の構成員としての責任と義務
    第2に、社会の構成員としての責任と義務に関する教育である。
    戦後の教育は、権利の尊重を過度に重視してきた。その結果、自らの権利のみを主張する弊害が目立つようになっている。権利と義務は表裏一体の関係にあることを踏まえ、権利意識とバランスのとれた公共の精神、つまり社会の構成員、あるいは組織・団体の構成員としての責任と義務を教育の中で強調していくべきである。また、自らの選択には責任をとるという自己責任についても理解させ、自立した個人を育成することが不可欠となっている。
    こうした観点から、教育基本法に示された教育理念の中に、社会の構成員としての責任と義務を教えることを追記すべきである。

  3. 政治に関する教育
    第3に、有権者教育としての政治に関する教育の充実である。政治教育について規定した教育基本法第8条1項には、「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない」とあり、これに基づき、国政の意思決定の仕組みなどが社会科の授業などで教えられているが、表面的な知識を教えるに留まっている。
    すなわち、(1)政治が社会を舵取りし、国民の生活を左右しているという政治の重要性、(2)有権者としての権利行使や政治活動への直接参加など、民主主義社会を成熟させるための有権者教育は十分とは言いがたい。有権者としての権利の行使、義務と責任について理解を深めるとともに、よりよい社会にするために、自ら行動し働きかけることの重要性を教えるべきである。このため、教育基本法第8条に、有権者教育としての政治に関する教育の重要性を追記すべきである。

  4. 宗教に関する教育
    第4に、宗教に関する知識や意義を教えることが必要である。教育基本法第9条2項にあるように、公立学校では、「特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」という基本原則は尊重すべきである。しかし、現状を見ると、歴史的に有名な神社仏閣などの見学が宗教教育に該当するおそれがあるとして、修学旅行のコースから外されるなど極端な運用がなされることもある。
    自然や生命に対する畏敬の念や宗教的情操心を養うためにも、また日本の伝統・文化・歴史を伝える意味でも、社会生活において宗教がどのような役割を果たしてきたかを考えさせることは重要である。
    国際的な観点からも、宗教に関する教育は必要である。国際化が進む中で各宗教に関する基本的な知識は、異文化理解の重要なベースとなる。さらに、最近の生命科学の発達を踏まえると、生命倫理について考える上で宗教に関する教育は重要性を帯びてくる。
    こうした観点から、教育基本法9条1項の規定に、社会生活における宗教の持つ意味を理解することの重要性をより明確に示すべきである。

(2) 特色ある教育の実現

上述の基本的教育内容を踏まえた上で、各学校が特色ある教育を行うため、国は大枠の方針を示すとともに、地方や現場の裁量を拡大する方向で改革を図る必要がある。
初等中等教育では、国が策定する学習指導要領は、日本人として身につけるべき素養や知識などに関する最低基準とすべきである。また、発展的学習については、国は方向性を提示するに留め、具体的内容に関しては地方や各学校が決めるようにすべきである。さらに、地方教育行政(広域化した教育委員会)や各学校が、学級編成やカリキュラム内容、教授法について、独自に決定できるよう制度改革を行う必要がある。
なお、日本経団連は2004年4月提言において、教育委員会制度を抜本的に改革すべきだと主張した。具体的には、専門知識を有する人材を登用し立案機能を高めることや、教育委員会を再編し広域化することなど教育委員会改革について提言したが、これらの改革が早期に実現することを求めたい参考資料3
教育基本法第10条(教育行政)は第1項で、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである」と規定している。この中の「不当な支配に服することなく」の表現が、一部教員による教科書や学習指導要領の無視や、校長など管理職の管理を拒む根拠となったことに鑑み、国が教育内容の方向を示すことについての正当性を明らかにすることが必要であり、長年にわたる条文解釈をめぐる教育現場での混乱を解消することが望まれる。
こうした改革を進めていけば、各学校において、習熟度別授業を実施するなど、きめ細かい指導を行う環境が整うものと期待される。塾通いをしなくても、学校での勉強だけで必修とされる最低限の知識を身につけられるようにすべきである。また、将来、世界の舞台で活躍するリーダーを育成することに主眼をおいた教育を実施する学校や、児童・生徒の個性や特性を踏まえ、とくに秀でた能力を伸ばすことに積極的に取り組む学校などが生まれることも期待される。

4.組織的な学校運営の確立

学校が目標に向けて組織的に活動するための仕組みを確立し、質の高い教育を実現するためには、以下の取り組みが必要である。

(1) 学校評価と教員評価の徹底

教育主体の多様化、教育予算と教育内容の改革が、学校や教員の教育力向上に結びつくためには、学校や教員に対する評価を徹底することが不可欠である。

  1. 初等中等教育
    初等中等教育では、自己評価の実施が義務づけられているが、その結果を公表している学校は約4割に留まり、評価内容の面でも大きなばらつきがある。また、外部評価については、学校行事についてのアンケート調査などが多く、肝心の教育内容(カリキュラムや教材など)について外部評価を受けている例は限られている。このような状況を改善し、評価を徹底するため、都道府県教育委員会あるいは広域化した市町村教育委員会が、評価制度とその運営方法を見直し、実効性のあるものとする必要がある。
    評価にあたっては、保護者、地域社会など多様な評価者が、多面的に学校や教員を評価することが求められる。その上で、(ア)学区制を廃止するなど、評価結果を踏まえた学校選択を可能にする、(イ)評価に基づいて教員の処遇を行う(表彰や能力給の採用など)、ことが必要である。
    また、学校運営にあたる管理職を増やすとともに、意思決定のプロセスなどを明確化するほか、校長などに予算、人事、教育課程編成などの面で裁量権を与えることも重要である。その一方で、改革の実施責任者としての能力に基づいて処遇をすべきである。

  2. 高等教育
    高等教育の質を高めるためには、評価システムが今後適切かつ効果的に機能することが前提となる。その意味で、認証機関による大学の機関評価だけでなく、教育活動や研究活動の分野別評価を行うことが必要である。その際、研究だけでなく教育にも力を注ぎ、各大学が掲げた教育面での目標が達成されたかどうかを厳しく評価することを求めたい。これに関連し、生涯学習の時代における高等教育機関の教育機能の重要性を教育基本法に新たに規定すべきである。
    各大学に対しては、(ア)上記の評価結果を踏まえての改善、 (イ) 教員評価の実施、(ウ)大学の教育研究、財務状況、評価結果の情報開示、などを求めたい。
    特に、国立大学では、独立行政法人化後の運営が注目されるところである。国立大学に対する評価制度が、透明性の高い形で実施されるとともに、社会に対する説明責任を果たすことを期待したい。

(2) 外部人材・ノウハウの活用

今後の学校運営にあたっては、外部ノウハウ・人材を積極的に活用することが求められる。初等中等教育、高等教育ともに、学校経営、社会との関わりを意識させるプログラム、IT教育、実践的な専門教育や英語教育などの面で、外部の人材やノウハウを広範に取り入れることが必要である。
産業界としても、たとえばものづくりの現場での学習やインターンシップ希望者の受け入れ、企業人の学校派遣などに積極的に協力することが求められる。実社会で取り組んでいる最新の問題を児童・生徒・学生、教師に紹介することにより、社会との関わりを実感させるとともに、職業観や勤労観の涵養にも役立つと思われる。

(3) 小中高等学校の教員養成、研修制度の見直し

教員評価を徹底するにあたり、教員の学びなおしの機会を増やすなど、教員養成や研修制度の見直しが必要となる。

  1. 教員の自己研鑚の強化
    教員に最も求められる資質は、教育に対する情熱と、子どもたちを思いやり、慈しむ気持ちであろう。教科指導や生活指導能力などは、必須の要件である。また、保護者や地域の人に学校の活動について説明する能力を身につけることも求められる。加えて、情報化の進展に対応するとともに、コンピュータを活用した授業を行う上でも、教員はITリテラシーの向上に努める必要がある。
    これらを実現するために、教員には不断の自己研鑽が求められる。採用後の研修は、自己研鑽の刺激剤とし、これを強化すべきである。
    このような観点から、教育基本法に、教員の自己研鑽の必要性を明らかにすべきである。現行の教育基本法第6条2項には、学校の教員について「自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない」とだけしか規定されておらず、教員の自己研鑽の努力義務についても踏み込んで規定する必要がある。
    なお、人格的にも、能力的にも疑問を抱かざるを得ない教員が存在し、これが学校教育への不信の原因となっている。研修を重ねても改善が見られず、教員としての資質を欠く場合には、現行の不適格教員に対する措置に加え、教員免許更新制により、教職以外の選択を行うよう促すべきである。

  2. 教員養成方法の改善
    教員の専門性を高めるために、学部教育の延長線上に専門職大学院が構想されている。しかしながら、いま優先的に取り組む課題は、高度な知識を有する少数の教員の育成ではなく、教員全体の社会性や倫理観、教育への情熱を高めることである。まして、それを修了することが教員免許を取得するための実質的な要件となってはならない。いずれにせよ、専門職大学院を設置しても、学校や教員に対する不信感を解消することはできない。むしろ、教員採用にあたり一定期間の社会経験を義務づけるべきである。

  3. 教職員組合の本来のあり方への回帰
    学校が教育の場として円滑に機能するために、教員は授業内容や方法の改善に全力を尽くすべきである。ところが、一部には自らの政治的思想や信条を教え込もうとする事例が見られ、これらが長年、教育現場を混乱させ、教育内容を歪めてきたことは否定できない。教職員による組合は、一定の範囲での職場環境、待遇の改善に取り組むという本来のあり方に徹すべきである。
    各教育委員会には、教育基本法第8条2項の「特定政党を支持し、または反対するための政治教育そのほか政治的活動をしてはならない」という規定の趣旨を徹底させるために、必要な措置をとることが求められる。また、勤務時間内の組合活動の禁止など、学校教職員が国民の信頼を保つために必要不可欠な基本的な就業ルールの徹底を図るべきである。

5.家庭や地域の役割の強化

(1) 家庭の教育力の向上

家庭の教育力が低下し、保護者自身が子どもをしつけるどころか、保護者としての自覚に欠ける行動をとるケースが増えている。教育の基本は家庭にある。基本的な生活習慣や倫理観などを身につけさせるのは保護者の義務である。とくに、就学前の幼児教育は重要である。
現行の教育基本法では、家庭教育は社会教育の一部として奨励されるだけの位置づけになっている。生涯教育の中の重要な要素として、家庭教育を位置づける必要がある。
また、児童・生徒・学生や保護者は、教育サービスを受ける権利とともに責任をも有し、学校と協力して教育をよくしていくという意識を高める必要がある。規律を遵守することなど、教育サービスを受ける側の責務を教育基本法に規定すべきである。

(2) 学校、家庭、社会の交流・連携

家庭でのしつけを補う上でも地域社会の果たす役割が大きくなっている。社会生活に必要な基礎的しつけを保護者だけに任せるのではなく、時には保護者に代わり、子どもを誉め、叱り、慈しむ地域社会の役割に対する期待が高まっている。また、地域において、地元の施設や職場を学校の教育活動に役立てるとともに、学校は「開かれた学校」を目指し、積極的に地域社会との交流と連携を図り、地域全体で教育力を高めていくことが求められる。
産業界も次世代を担う人材の育成に自ら取り組み、カリキュラム開発への協力、インターンシップ希望者の受け入れ、学校への講師派遣など、教育の充実に積極的に協力する参考資料4。このように、教育力の向上に向けて、学校、家庭、社会が交流・連携することの重要性についても、教育基本法に規定する必要がある。

以上

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