インターネットに代表される情報通信技術(ICT)は、この10年程で爆発的に普及し、経済、社会の構造に大きな変革をもたらしてきた。二十一世紀を迎えた今日において、インターネットは、経済・社会活動に不可欠な情報インフラとなっている。また、ICTを最大限活用している国家・企業等では、新たな価値を創造することで、さらなる経済成長、生活レベル向上を達成しており、ICTの利活用が国際競争力を決定する重要な要因となりつつある。わが国においても、e-Japan戦略の下で世界最高レベルのブロードバンド環境を備えた国家となり、現在はe-Japan戦略IIの下で、官民協力して利活用の推進を図っているところである。
一方で、このようなICTの発展に伴い、新たな問題も生じてきている。まず第一に、国際的なデジタルデバイド#1の問題がある。ICTの活用レベルが経済発展レベルに直結してきているため、従来から存在している先進国と途上国の間の経済格差が、ますます拡大する傾向にある。第二に、頻発するネットワーク経由での個人情報漏えい、ウイルスやスパム#2の問題、そしてDDoS#3攻撃等の社会・経済の重要インフラに対するサイバー攻撃など、インターネットのセキュリティ確保が大きな課題となっている。電子商取引等のインターネットを基盤とするビジネスや、新たな利活用の形態が一層普及していくためには、インターネットを始めとするネットワークを安心かつ安全に利用できることが必要不可欠であり、これらは世界各国共通の課題である。ICTを利活用して、国際的に調和の取れた形で情報社会を発展させる上で、インターネットのグローバルな運用体制が安定し、今後も成長していくことは極めて重要であり、国際社会、各国政府にはそのための取り組みが求められている。
インターネットにより、膨大な量の情報が国境を越えて瞬時に、自由に流通するようになったが、それによって生じるさまざまな課題に対して、国際社会としてどう対応すべきかは明確になっていない。インターネットがなかった時代に作られた国際社会のルールを、そのままでは適用することはできず、また各国ごとの個別対応では十分な成果を得ることが難しい。従って、これらの課題を解決するためには、国際協調による取組みを可能とする、新しい制度、解決策が必要となっている。
国連もその認識のもと、下部組織である国際電気通信連合(ITU)を事務局として、世界中のステークホルダーが議論する機会を設け、情報社会に関する共通のビジョン確立を図るとともに、基本宣言および行動計画を採択し、その実現を目指すために、世界情報社会サミット(World Summit on the Information Society:以下WSIS#4)を開催することを決定した。
2003年12月にジュネーブで開催された第1回会議では、デジタルデバイド解消のための諸施策、メディアの重要性、インターネット管理のあり方、セキュリティの確保、知的財産権の保護と利用のあり方など、インターネットに関する幅広い分野に関する議論が行われた。ここで策定された基本宣言および行動計画では、国際協力の重要性およびデジタルデバイド解消の必要性等の基本的な認識について一致を見た。しかし、政治的に対立している案件、特にデジタル連帯基金#5の創設およびインターネットガバナンスの問題は、具体的内容の討議が、本年11月にチュニスで開催される第二回WSISに先送りされた。従って、同会合は今後のインターネットガバナンスのあり方を考える上で重要な意義を有している。
現在、多くのビジネスがインターネットをインフラとして利活用している中で、インターネットの今後のあり方を国際機関、各国政府や市民社会の代表の議論に委ねているだけでは、産業界のユーザーとしての声が十分反映されるとは考えられない。従って、同会合においては、各国の企業ユーザーが連携し、その考え方を明確に提示していくことが必要である。
今回のサミットにおける主要テーマである「インターネットガバナンス」の定義をめぐっては、人によってその意味や範囲が異なるため、準備会合においても繰り返し議論が行われている。第1回WSISでは、狭義のインターネットガバナンスの問題として、ドメインネーム、IPアドレスなど、インターネット運用の基本となる識別子#6の資源管理のあり方が一貫して議論の中心となっていたが、それ以外にも広範にわたる、様々な課題が対象として考えられる。WGIG#7最終報告書では、インターネットガバナンスを「インターネットの展開と利用を形作る、共有化された原則、標準、規則、意思決定手続き、プログラムを、政府、民間部門、市民社会がそれぞれの役割において、開発し適用すること#8」と、広くとらえた定義付けを行っている。
我々はインターネットの問題を考えるにあたり、単に技術面や制度面にとらわれず、もっと幅広い、インターネットに関連する問題全般を取り上げるべきだと考えており、今回WGIGにおいて、このような定義をまとめたことは評価できる。
WGIGでのインターネットガバナンスの定義から、WSISではインターネットに関する課題全般について議論することが妥当であり、特に国際協力が必要となる問題が、その中心テーマとなるべきと考える。
この点について、WGIG最終報告書では、インターネットガバナンスのメカニズムを「フォーラム機能について」「グローバルな公共政策課題と監督について」「組織間の連携について」「地域間・国家間の連携について」の4つに区分し、それぞれ課題を指摘のうえ対応について提案を行っている。また、その他インターネットに関連する問題として、スパム等のセキュリティに対する脅威への対処、表現の自由、データ保護とプライバシー、消費者権利などについても、提案を行っている。これらの中で、最も対立が予想される論点は「誰がどのようにインターネットを管理・運営するか」というインターネット管理#9の問題である。
現在、IPアドレス#10の割り当ては、米国の民間非営利法人であるICANN#11が米国政府との契約(MOU)に基づいて管理を行っている。またドメイン・ネーム・システム#12の中心となるルートサーバー#13は、全世界に13台あるうちの10台が米国において運営されており、共に形式上は米国政府の監督下にある。これらは米国においてインターネットが開発され、発展してきたという歴史的な経緯からのものであるが、現状を見て、EUや中国、あるいはブラジル等の発展途上国の多くは、米国を中心とした管理体制から、国際機関などの公的機関が管理する体制に移行することを主張している。一方、わが国や米国等は、現在インターネットが問題なく機能していることから、その改善はともかく、公的機関による新たな管理監督は必要なく、また国際機関の管理となった場合、各国の意見調整に時間がかかり、迅速かつ柔軟な対応が難しくなると考えられることから、民間部門が管理することが望ましいとしている。WGIGの最終報告書においても、この問題については4つのモデル#14(別紙参照<PDF>)を提示するに止まっているので、今後さらに議論を行う必要があるものと考えられる。
しかし、管理の問題はあくまでインターネットガバナンスの一部分にすぎない。しかもこの問題についての議論が、技術面や制度面の問題についての討議よりも、政治的、あるいは感情的な対立に基づいた方向に流されてしまっている。この議題が強調されすぎると、本来WSISが果たすべき諸課題が取り残され、情報社会の発展に向けて真に効果のある議論を行うことができなくなってしまう恐れがある。
既に、インターネットなくしてビジネスが成立しないと言っても過言ではなく、例えばインターネットが地域で分断されるようなことになると、社会・経済に深刻な影響が発生することが懸念される。WSISは、山積する課題を、少しでも解決の方向に進める大きなチャンスである。その機会を十分生かして、世界市民が平等に情報社会の発展の恩恵を受けることを願い、全てのステークホルダーへ向けて、日本の企業ユーザーの立場から、次のとおり提言を行う。
われわれは、世界中の誰もが、いつでも、どこでも、何でも、そして安心して、ICTの恩恵にあずかることができる、ユビキタス(ubiquitous)ネットワーク社会を実現することを究極の目標としたいと考える。
ユビキタスネットワーク社会では、世界中の一人一人が情報発信主体となり、コミュニケーションを発達させることで、相互理解を深めることができる。また、距離と時間の制約から開放され、かつ情報へのアクセス可能範囲が拡大することで、高度な研究等の知的活動が活発化し、その結果として、新たな価値創出を通じて、経済的にもますます発展し、人々の豊かな暮らしが可能となる。
そのような情報社会を、一日でも早く全ての地域で実現し、かつ、常に発展し続けるためにどのようにICTを活用すればよいか、世界中の人々の叡智を結集しなければならない。
情報社会の根幹をなすインターネットの管理を考える上では、ICTの利活用による経済発展や福利厚生の増進を、利用者の立場で考えることを基本とすべきである。また、これまでもそうだったように、今後も民間部門の活力が、インターネット発展の原動力となることは間違いないと思われる。以上を踏まえて、WSISでは、デジタルデバイドの解消、セキュリティ対策、流通するコンテンツの知的財産権の確保など、信頼できる利活用環境を整備するために国際社会としての対応が必要である課題について議論すべきであり、国際機関、政府、民間企業、市民社会が各々の役割を明確にし、パートナーシップを通じて、その役割を確実に果たすことが重要である。
今回のWSISがこの視点に基づき、インターネットの利便性・安全性を向上させるとともに、世界中の人々がICTの恩恵にあづかるための、有意義な話し合いの場となることを切望する。
デジタル・デバイドの解消
情報化の恩恵を受けている先進国と、そうでない途上国との間での格差、すなわちデジタルデバイドは拡大する傾向にあり、その解消に向けた国際的な取り組みは緊急の課題である。
最先端のICTを利活用することは、現在、発展途上にある国家にとって、経済的な繁栄を享受するまたとない機会であり、国際機関や先進諸国は必要な支援を行う必要がある。しかしICTは万能ではないので、まずは既存の制度を最大限活用し、産業としての基礎インフラを整備することから始めるべきと考える。その上で国際組織、各国政府、民間企業、市民社会がパートナーシップを構築・強化して、ICT分野における途上国の人的資源の育成やインフラ整備を行うことで、民間部門の新規進出による事業機会拡大、雇用の創出、そして途上国における利活用能力の向上という好循環を作っていくべきである。
安心、安全なネットワークの構築
安心、安全なネットワークは情報社会の基盤であるが、そのセキュリティ対策は、まだ各国が体制を整備・強化している段階にあるため、取り組みのレベルはまちまちであると考える。しかし、全世界がネットワークで結ばれている今日、セキュリティ対応レベルの低い箇所があると、そこがセキュリティホールとなるため、ネットワーク参加者全員が協力して脅威に対処しなければならない。
政府部門は、セキュリティ文化の醸成およびセキュリティ人材の育成に努めて、当事者意識の向上および社会的な対処能力の向上を図るとともに、悪意を持つ加害者、サイバーテロ等の犯罪者に対する抑止力を強化しなければならない。後者の目的のためには、国際社会との協調が必要不可欠であり、国際的に調和のとれた適切な罰則を設けた法律の制定、条約の締結によって、犯罪行為を明確にしていくべきである。また警察機関等の国際協力体制を強化して、犯罪者を確実に検挙できるようにすることで、犯罪の抑止力を向上させることが望まれる。ただし、検閲などの行き過ぎた国家管理により、インターネットがその魅力を失うことにならないよう注意する必要がある。
一方、民間部門においては、単に法律に準拠するにとどまらず、例えば高度な認証技術等の新技術の開発、あるいはセキュリティ対策のベスト・プラクティス・モデルの自主的な策定などにより、全体の底上げ役を担う必要がある。市民社会も自身の問題と認識して、積極的な関与が求められる。
インターネット資源の管理
グローバルなインターネットは、分散処理を前提に、民間主導で発展してきた経緯があり、今後とも、その管理については、国家の枠組みに制約されないことが望ましい。なぜなら各国政府が主導する国際機関により管理運営が行われる場合、意見がまとまらないことで迅速な意思決定、環境変化への対応ができなくなり、結果、自由な言論やビジネスのインフラとしての機能を損なう恐れがあるからである。また、今後IPv6の本格的な普及などの技術革新、あるいはその他の環境変化により、新しい管理体制が必要となる可能性もあるため、変化に柔軟に対応できる制度・システムが必要となる。従って、現実的で素早い対応を行うことができる民間部門が、インターネット資源の管理を担当することが妥当と考える。
現在、IPアドレスの割り当てやドメインネームの管理などは、ICANNにより効率的に運営されており、その実績は十分信頼に値するものと考える。従ってわれわれは、既存のネットワーク環境を確実に維持することを重視する立場から、現在のスキームの継続を支持する。
ただし、インターネットがグローバルなインフラ資源となっている今日において、その管理運営にあたり手続き上の透明性、公平性が重視されることも事実である。ICANNは、指摘されている問題の所在を明確にした上で、今まで以上に世界中のステークホルダーに開かれた組織となるよう、制度の改善を推進すべきである。
さらなる利活用のための環境整備の推進
ユビキタスネットワーク社会を実現するためには、一層の利活用環境整備が必要である。例えば国際的な電子商取引ルールや、RFIDの仕様の共通化・標準化のため、あるいは喫緊の課題となっているデジタルコンテンツの著作権侵害に対応するため、関係者が協議して、早期に調和の取れたルールの策定を推進すべきである。
また、今後新しい技術が続々と開発されることが予想されるが、技術革新の目をつまないように、政府部門は技術中立の姿勢を明確に打ち出すべきである。
ポスト・サミット
今回のサミットのように、多くのステークホルダーが一堂に会し、情報ならびに意見を交換することは有益である。事務局を勤めたITU、討議に参加して「基本原則」等をまとめ上げた第1回サミット参加者、第2回サミット開催に向け、議論をペーパーとして整理したWGIGの委員、その他全ての関係者の努力に敬意を表する。
我々は今回の第2回サミットで議論を終わりにするのではなく、今後も、政府部門・民間部門等が一緒に検討する「フォーラム」が存在することは必要と考える。「フォーラム」では、インターネットに関する事項について広範に議論するとともに、より適正なインターネットガバナンスの実現のため、ICANN等の活動にも関心を持ち、インターネットの管理について改革が必要とされる場合には、提言を行うことが望ましい。
なお、多くの既存組織がこれらの問題を取り扱い、一定の成果を挙げていることを踏まえ、「フォーラム」の事務局として新組織を創設する必要はないものと考える。また、「フォーラム」はあくまで議論の場、コンセンサス形成の場として位置づけることが重要であり、そこでの結論に強制力を持たせる必要はない。
民間部門の役割
情報社会の主要なプレイヤーである民間部門は、自らが情報社会の発展のためのキープレーヤーであること認識し、求められる役割を適切に果たす必要がある。それはセキュリティ確保に向けての自主努力やベストプラクティスの開発、研究開発、そして適切なインターネット管理など多岐にわたる。デジタルデバイド解消手段の1つとして、途上国の国民でも利用できるような、安価なICT端末等を開発し、提供することも、民間部門の役割と言えるだろう。
われわれも、情報セキュリティ対策や、IPv6時代の情報家電の接続ルールや管理スタイル確定のための討議等に積極的に参加し、情報社会の発展のため、関係者との協力に基づき、確実に役割を果たしたいと考える。
われわれは、ICC(国際商業会議所)をはじめとする各国の経済団体等と連携し、インターネットガバナンスの問題について議論のうえ、その結果をここに提言するものであり、その内容は、ICCおよび各国の産業界等と、基本的な価値観および主要論点における意見の多くを共有している。
本提言における日本の企業ユーザーの意見が、サミットでの討議において十分に反映されることを強く要望する。