高度情報通信人材育成の加速化に向けて

―ナショナルセンター構想の提案―

2007年12月18日
(社)日本経済団体連合会

I.はじめに

近年の急速な技術革新によるハードウェアやネットワークの高性能・低価格化、そして高度な機能を実現するソフトウェアの役割の増大により、ICT #1 の適用領域は社会経済のあらゆる場面へと拡大している。今や情報通信システムは、企業活動及び国民生活の基盤として不可欠なインフラとなっているのみならず、自動車、携帯電話、テレビ等の製品の中に搭載された組み込みソフトウェアが製品価値に質的な影響を及ぼしている。
また、産業分野に加え、行政、安全保障、医療福祉、金融等の領域でも、ICTの有効活用は不可欠な要素として捉えられており、ICTの重要性は分野横断的に拡がっている。その結果、ソフトウェアがわが国の産業の国際競争力や国家の発展をも大きく左右する要因にまでなっている。
一方、わが国のソフトウェア産業の現状を見ると、圧倒的な輸入超過状態にある中で、アジア諸国での海外ソフトウェア開発が拡大しつつあり、二重の脅威に晒され危機的状況にある。斬新な発想やイノベーションが鍵となるICT産業においては、人的資源の優劣が国際競争力に直結しており、ICTを活用して新たな付加価値を生み出せる人材を育成することが極めて重要である。
しかし、産業界が求めている高度ICT人材は質・量の両面で不足しており、産業界が求める人材と大学が輩出する人材との間には、大きなギャップが存在する。アジアや欧米諸国では、高度ICT人材を育成するための大学教育にいち早く着手しており、着実な成果をあげつつある。わが国が今後、他のICT先進諸国と伍する国際競争力を付けていくためには、高度ICT人材教育に関して、産学官が連携し、国家戦略として強化を図る必要がある。
このような状況に対する危機感から、日本経団連は2005年より本格的に高度ICT人材育成に取り組み、産学官連携の下、本年4月より筑波大学、九州大学の大学院修士課程において、競争力のある日本経済の構築に必要とされる産業界のニーズに対応した新コースを開設した。本コースは、質においては企業が欲する高度ICT人材の供給源となることが期待されるが、わが国が必要とする高度ICT人材を量的に確保するためには、この取り組みを全国の大学に普及拡大し、更に加速するための新たな体制を産学官で構築する必要がある。本提言は、これまでの産学官の取り組みを次なる段階へと展開し、国家戦略の下で高度ICT人材育成の全体最適化を図るための具体的方策を提案するものである。

II.これまでの取り組み

日本経団連は、2005年6月に提言「産学官連携による高度な情報通信人材の育成強化に向けて」 #2 を発表し、わが国のICTにおける人材不足深刻化への警鐘を鳴らすとともに、「世界レベルの先進的ICT教育拠点」の設立を提案した。

【図1.従来と将来のICT人材の育成過程】

図1の左側の三角形は、日本の大学及び大学院においてICT分野の教育を受けた人材の多くは、入社後さらに2−3年の社内教育を受けないと業務に従事できない現状を示している。すなわちスタートラインに立った時点で、ICT先進国標準と比べて遅れたスタートとなる。右側の日本経団連が提案する「世界レベルの先進的ICT教育拠点」における実践的ICT教育では、基礎力と実践力を兼ね備え、短期間で企業トップの人材となる潜在力を持つイノベーション人材の育成を目標としている。
その第一段階として、日本経団連は、まず既存の大学院の中から先進的教育拠点を選定し、産学官連携による高度ICT人材育成の先進モデルを確立することを当面の目標とした。日本経団連は2006年2月、実践的ICT教育の実現を志す大学を募り、重点協力拠点2校(筑波大学、九州大学)と協力校7校 #3 に対して支援を行うことを決定した。そして本年4月から、重点協力拠点2校において産業界のニーズに対応した高度ICT人材育成のモデルコースが始動しており、産業界からは主に以下のような支援を行っている。

<産業界の支援>

ここに挙げた支援の多くは、企業組織としての取り組みといえども、各関係企業の担当者の自発的努力に支えられており、その精神は大いに尊重されるべきである。また、大学側においても、産業界のニーズに真摯に応えたモデルコースを立ち上げた例はごく稀であり、重点協力拠点等の取り組みは画期的であると言える。また、新コースに所属する学生達も期待に応え目覚ましい成長ぶりを見せており、我々も1年目ながらその教育モデルの実証に着実な手応えを感じている所である #7
一方、政府においても、2006年1月に決定されたIT新改革戦略の下で、内閣官房が全体的な方向性の取りまとめを行い、文部科学省、経済産業省、総務省が以下のような政策を実施している。しかし、その取り組みの規模は個別レベルにとどまっており、IT新改革戦略にある「2010年までに産業界における高度IT人材の需給のミスマッチ解消」実現という目標の達成のためには、国家として総力をあげて財政支援を行う抜本的な展開が必要である。

<現在までの政府の主な取り組み>

なお、各省とも従来の取り組みでは効果が限定的であることを認識しており、本年9月から10月にかけ、文部科学省と経済産業省が合同で「産学人材育成パートナーシップ」を、総務省は「高度ICT人材育成に関する研究会」を新たに設置し、国としても主体的に高度ICT人材育成の加速化を図る方策の検討を始めている。日本経団連としても、国家戦略の下で、施策の全体最適化が図られるよう、産業界の立場から協力している。

III.高度ICT人材育成の加速化に向けた課題

1.高度ICT人材育成に対する認識の共有

我々の社会経済生活へのICTの浸透がますます進む中、特に、高性能なハードウェアやネットワークを活かし、付加価値を生むサービスを実現する役割を担うソフトウェアの領域において、わが国の国際競争力向上を図ることは喫緊の課題である。また、ソフトウェアは社会における人々や組織の間の協働や知的生産活動の形態を大きく変革させ、次世代の社会の仕組みやルールを形成しうる可能性をも秘めており、そのインパクトは、産業革命に匹敵すると考えられる。従って、ICTで国際競争力を有する諸外国では、国家的なICT戦略や人材育成戦略を策定し、国家予算を大規模に投入し、成果を挙げてきている #8
一方、わが国では、全ての国民にとってICTが身近な存在であり、日常生活のあらゆる場面でその恩恵を享受しているにもかかわらず、ICTが国家や企業の競争力を支える重要な分野であり、ICTに携わることは社会基盤を根底から支える創造性とイノベーションに富んだ魅力的な仕事であるという認識がまだまだ不十分であると言わざるをえない。
今後、ICTが対象とする領域の拡大やわが国を取り巻く環境を考慮すれば、わが国の高度ICT人材のあり方に関し、長期的な需要の変化を踏まえて以下のような認識を共有すべきであろう。

【図2.ICT人材需要の構造変化】

図2の左側の三角形は現在のわが国のICT人材の構成を示しているが、高度な知識集約型ではなく、労働集約型の構成となっており、トップ人材層の薄さを表している #9
ICT人材の裾野拡大に向けた取組みは継続的に進める必要があるものの、将来的なICTの役割の拡大や高度化を考慮すれば、わが国の人材需要は右図へと移行しなくてはならない。量的に不足する部分については海外人材との積極的な連携を進める一方で、わが国の人材には、現場の把握力や実践力を有しつつ、より主導的な立場を果たす高度な能力が求められる。つまり、現在のICT専門職種を中心とする構成ではなく、ICTを武器にして社会を変革できるトップ人材の層も必要である。また、そのような人材は、経営(CIO等)、行政、金融、バイオ等とICTとの融合領域において一層需要が高まると考えられる。日本経団連が重点協力拠点で実践する高度ICT教育とは、そのような層の人材育成のモデル実証である。今後、そのモデルの早期確立と全国展開に向けた体制整備が将来的な人材需要を満たし、国際競争を勝ち抜く鍵となる。

2.産業界が取り組むべき課題

世界各国が重要性を認識し、リソースを集中的に投入するICT分野では、グローバルな競争が激化している。それに伴いICTが実現しうるイノベーションには無限の可能性が拡がっている一方で、それを支える人材に必要とされる能力も格段に高度化し、この分野を担う人材は、厳しい国際競争を勝ち抜いていかなくてはならない。学生に対しても、このような厳しい現状とともに、ICTがそれに勝る社会的意義や充実感を感じられる分野であることを、産業界として熱意を持って伝えていく必要がある。
また、筑波大学、九州大学のモデルコースでは、意欲的なカリキュラムの下、一般の大学院修士課程よりも格段に質の高い充実したコースが設定されており、学生らはその努力が将来のキャリアの糧となることを期待している。一部企業では、志の高い学生達がより集中して勉学に励めるよう、企業奨学金の提供、就職時の選考過程の短縮等の環境整備に取り組んでいるが、このような取り組みをより広く普及拡大していかなければならない。
人材育成と併せ、産業界がICT人材の活用の場を用意することが、高度ICT人材の育成において大きな成果を上げるために重要である。能力に応じた採用のあり方の検討・導入や、現在の産業界内のICT人材の能力強化や活躍の場の拡大を図り、優秀な人材が能力を存分に発揮しうる人事処遇制度等を整え、輩出学生らが早期にトップ人材へと成長しうる環境を構築していく責務がある。
加えて、産業界としては、大学との関係構築において、従来の研究面での交流ばかりではなく、技術者教育の面での関係を強化し、教育の場面から学生や教員との接点を増やすことにも努める必要がある。

3.大学が抱える課題

大学は、少子化、独立大学法人化、運営費交付金の削減などの環境変化に応じた変革に懸命に取り組んでいるところである。一方、新たな試みを行う場合には、硬直的な組織体制や旧来の価値観や序列等が障壁となり、組織としての総力を発揮する上での障害となっているとの指摘が、大学関係者からもある。こうした中、社会のニーズに応えた高度ICT教育を新たに立ち上げた大学関係者の尽力の背景には、大学としての強い危機感と教育を重視していく決意があると察することができる。
しかしながら、そのような危機感と決意の下に立ち上げられたプロジェクトの多くは、競争的な政府補助金に依存している。したがって、補助金交付終了後の自立運営への移行において、限られた運営資金からの予算割当、つまり既設コースの学生や人員の縮小を伴わざるをえず、現実的には別の外部資金が必要となり、多くの取り組みが補助金交付の終了と同時に消滅しているのが事実である。
加えて、政府からの財政支援において競争的資金の比重を増やす昨今の傾向は、大学の研究面での競争力強化を促進する上では有効といえるが、継続運営が求められる教育に変動要素の大きい競争的資金を充当することには一定のリスクが伴う。政府は、研究を中心とした競争的資金の拡充だけではなく、大学の使命の両輪でもある教育に対しては、安定的予算の拡充をすべきである。また、大学としても、継続的に競争的資金が獲得できる実力の確保や、安定的な外部資金の導入等に取り組むべきである。
さらに、大学においては、研究論文等の学術的成果に繋がらない教育に取り組む動機付けがそもそも欠如しているという問題がある。本来はエンジニア教育である高度ICT人材の育成においては、大学教員が教育に専念できるような環境が必要であり、専門職大学院のような枠組みを使い、既存の大学教育の抱える課題を克服していくことが重要である。

4.持続可能なメカニズム構築の必要性

重点協力拠点2校におけるモデルコースについては、現在、前章で挙げたような支援が行われているが、これらは危機意識を共有している一部の企業と関係者の自発的な努力の上に成立している #10。今後とも、企業からの一線級人材の派遣を継続・拡大するには、合理的判断を促す何かしらの動機付けが確保できなければ、持続可能な産学連携とはならない。
日本経団連を中心とする企業と大学側とで議論を重ね、何とか開始にこぎつけた両大学の新コースは、教育の分野においては過去に例がないほどの規模の産学連携ともいえる。産業界と大学の多大な努力、そして政府の財政支援が結びつき、いわば三位一体による成果でもあり、そのどの一つが欠けても存在しえなかったものである。文部科学省の「先導的ITスペシャリスト育成推進プログラム」による財政支援が終了する2009年度末までには、大学での産学連携の成果を継続して発展させるとともに、蓄積された教育アセットを全国レベルで有効活用する安定的かつ持続可能な体制を確立することが急務である。

IV.高度ICT人材育成加速のための具体的方策

1.ナショナルセンターの必要性

現在、高度ICT人材の育成に向けた取り組みは、第一段階であるモデルコースの立ち上げと当座の運営には目処がつき、次に乗り越えるべき課題の洗い出しも終え、いよいよ第二段階に移行するところまで来た。第二段階の目標は、筑波大学、九州大学への支援を含めた現在の取り組みを安定的かつ持続可能な体制で運営することと、高度ICT教育を全国横断的に普及させることである。
これらの目標を達成するためには、日本経団連を中心とした取り組みに加え、他団体が別途実施している大学への支援も含め、人材、教材、予算等の資源を一箇所に集約し、自発的努力による取り組みを継承し、高度ICT人材育成の実践と推進を使命とする組織を国として新設することが不可欠である。
韓国においては、過去に現在の日本と同様の状況に直面し、「ICTでトップ人材を育成することができなければ、国家の弱体化は免れない」との強い危機感を産学官で共有し、政府の強力なイニシアチブの下、1997年に情報通信大学(ICU)を設置した。この9年間で実に730億円もの予算をICUに投じることにより、高度ICT人材の教育体制確立に成功している #11
また、高度ICT教育の普及拡大を図るためには、教育アセットの集中的な洗練を行いつつ、企業−大学間の連携をコーディネートし、人材や教材の大学間共有等を円滑に行うためのハブ機能を持つ組織が必要である。
以上の要件を満たす組織を本提言では「ナショナルセンター」と称し、筑波大学、九州大学等と共に実践的ICT教育の確立と普及拡大を図るための牽引役として、国が中核となって新設することを要望する。

2.ナショナルセンターの機能

わが国の高度ICT人材育成の推進役を担うナショナルセンターが果たすべき機能として、具体的には以下の項目があげられる。

  1. (1) 実践的ICT教育に関する研究
    高度かつ実践的ICT教育の例として、PBLやインターンシップ等があげられることが多いが、その要件についての認識は一律ではなく、単に現実の案件や実務を経験させることとの誤解もある。限られた期間でトップ人材候補生たる素養を効率的に身につけさせるには、PBLのベストプラクティスの収集分析や、ラーニングサイエンスの見地からのPBLテーマや環境要件を研究していく必要がある。また、実在する大規模な情報システムの成功・失敗事例を分析し、学習用に汎化させた事例研究題材を整備することも有効である。こうした教育による擬似経験の積み重ねにより、知識教育に偏らない実践的ICT教育のモデルを強化・洗練させていく必要がある。
    加えて、今後の社会において高度ICT人材に求められる役割の多様性を考慮すれば、ICTの専門的な知識やスキルは必要条件でしかないことは明らかである。教育の各場面において、コミュニケーション力などのいわゆるソフトスキルや、論理的思考力といったコンピテンシーの強化を図り、またICTの社会的な位置づけを学生と共に議論することで持続的な自己発展への動機付けへと結び付けていくような手法を蓄積していくことも必要である。
    さらに、海外の研究機関や大学院との交流を通じ、先進的な教育手法やノウハウの蓄積・研究にも努める。

  2. (2) モデルカリキュラムの策定
    将来的に必要な高度ICT人材像、及びその育成に必要なカリキュラムを長期的展望の下で策定し、付属・連携教育機関の教育課程での実施・検証を通じ、その内容を全国の大学に対して、モデルカリキュラムとして提示する。その策定にあたっては、情報処理学会、情報処理推進機構、米国ACMなどの専門家コミュニティが継続的に提供している多くの有用な教材やカリキュラム #12 を参考にしつつ、高度ICT人材育成に適した内容を定めていく。また、融合領域を重視し、経営(CIO等)、行政、金融、バイオ等の領域とのダブルディグリーの取得を他大学院との連携を含めて可能にするようなカリキュラムを設定する。
    本センターは、これら国内外のコミュニティの成果に実践的ICT教育に関する研究実績を加えることで、トップレベル人材を育成する大学院教育の形として展開していく役割を果たす。なお、カリキュラムの内容は高度な専門性を備えているだけでなく、高度ICT人材たる素養を身につけるための題材でもあるとの観点が必要である #13

  3. (3) 全国の大学と支援企業のコーディネーション
    産業界からは、本センターおよびそれを通じ全国の大学へと一線級人材を積極的に派遣することとなるが、その限られたリソースを有効に活用するためには #14、常勤、非常勤、スポット的な派遣形態を組み合わせていくことが持続可能な連携の方策であり、本センターはその全体的な制度整備やコーディネーションを行う。
    また、大学教育に関わりたい意欲のある社会人に対し、それを支援することを通じ、より多くの人的リソースを確保できるようにする。付属・連携教育機関での模擬講義などのトレーニングを施した上で、担当テーマと講師のセットを一覧公表し、全国の大学からの要望に基づいて派遣することで、高度ICT教育の普及拡大を促進することも期待できる。
    これら人的なコーディネーションに加えて、企業が持ち込む題材とPBLとのマッチング、中長期インターンシップの窓口機能など、複数企業と複数大学との連携が効率的に行えるよう、本センターが産学官連携のハブ的な役割を果たす。

  4. (4) 教育アセットの展開
    日本経団連が支援するモデルコースを含めた大学支援の取り組みの成果や、今後開発される各種の教育アセットの有効活用の促進のためには、コンテンツとその流通を仲介するプラットフォーム的機能が必要とされ、それは本センターの中心的機能でもある。教材の流通や再利用を促進させるためのテキスト化、著作権ルールの策定、教材著作物の預託と許諾管理等の作業を担う。流通・再利用可能な教育アセットは、大学や大学院のみならず、企業研修等にも幅広く活用できるようにする。そうすることにより、企業の教育リソース提供やナショナルセンターへの協力が一層進むことになる。
    ただし、発展途上でもある高度な実践的ICT教育の中には、非属人化し一般的に流通させることが困難な教材や、急速な技術進展に応じて随時メンテナンスが必要な教材もある。従って、その共有・展開にあたっては、表1に示すような分類を参考に、有効活用促進の方法を検討する。

    【表1.教材の分類例】
    属人度教材のタイプ対応可能な教員
    非属人的情報工学系の知識
    (NW、OS、Java初級等、誰が教えても同じもの)
    教科書、e-learning、既存大学教員等
    情報工学系のスキル
    (ソフトウェア工学、UMLモデリング、Java上級など演習セットのもの)
    若手大学教員に展開できる可能性あり
    IT・ビジネス戦略動向講義
    (学生に考えさせたり、新しい気付きを与えることが主目的。講師独自の視点に依存する)
    講師とテーマがセットであることが必須
    属人的PBL
    (内容よりも指導方法が重要で、教材だけの転用は難しい。テーマの再利用は可能だが、行われる授業は教員に依存する)
    高度な専門知識・技術と「教える技能」を兼ね備えた講師
    (教員を養成していくことが必要。長期的には非属人的に対応できるようPBLの研究を推進する必要あり)
  5. (5) ファカルティ・ディベロップメント(FD)機能
    表1の通り、実践的ICT教育の中心となるPBLや「考えさせる教育」を推進する上で、最も重要なことは優秀な教員の養成であり、そのためのFD機能の整備を図る必要がある。まず、継続改善のための指標として、教育効果の可視化を行うことが第一歩であり、授業評価や成績評価の厳格化は当然のこと、入学から卒業までの間での学生の能力向上の度合いを測定する評価ツール等 #15 の開発と導入を行っていくこととなる。
    一方で、技術者教育の質保証に関してJABEE #16 が定めている指針等を参考としながらも、我々が必要とする多種多様な高度人材は、標準化された教育プロセスを適用するだけでは生まれてこない事を認識し、指導者の創造性が発揮できるエリート教育のための仕組みを構築していくことが鍵である。
    それには、教員への動機付けとして、教育を重視した人事評価制度を構築することが不可欠であり、また実践的ICT教育に関する研究を社会的にも学術的にも認知された一つの研究分野として確立させていく必要もある。さらには、全国の意欲ある教員に対して、本センターや支援企業での長期実習や、PBLに企業の実課題を委託研究の形で実施するなどの機会提供を積極的に行い、FD向上を促進させる。加えて、実務経験豊富かつ指導能力にも優れる企業人材の教員登用を促す環境整備も図る。,/P>

  6. (6) 融合型専門職大学院の附設
    本センターによる実践的ICT教育に関する研究の成果や、本センターが策定したモデルカリキュラム、提供するFD機能も、それらを実践し、検証する場がなければ機能し得ない。すなわち、ナショナルセンターの機能を有効活用するためには、その有効性を実証する場として、専門職大学院を附設し、教育コースを提供することが不可欠である。なお、この専門職大学院は、単に高度なICTの教育を行うのではなく、ICTを武器として社会に貢献する人材を育てるため、他分野(他大学院が提供するものも含む)を同時に専攻できる融合型大学院とすべきである。そこでは、先進的な高度ICT人材育成のモデル化を極めるため、企業や全国の大学から優秀な教員を選抜し、3学期制や4学期制などの短いタームでの教育、履修単位数の大幅増、中長期インターンシップの必須単位化、修士論文に代わる修士開発の導入、企業の特別採用枠など、既存の大学の枠組みを超えた教育課程を創設する。
    学生募集にあたっては、エントリー時点で必要な知識・スキルレベルを定義・測定し、面接等もあわせた学生選抜を行い、可能な限り高い資質を有する学生を集める。また、新卒時点から能力に応じた処遇をもって産業界に迎えられる学生を輩出すべく、修了時点において産業界の求めるレベルに達していることを保証するため、成績評価や修了要件の厳格化といった出口管理の強化を図る。

3.ナショナルセンター附設融合型専門職大学院の設立・運営方針

  1. (1) 融合型専門職大学院の附設形態
    専門職大学院の設立・運営にあたっては、優秀な学生を確保する観点から、ナショナルセンター及び既存の大学の附設教育機関として設置する。そして、柔軟な組織運営を担保するため、独自の権限責任規定や人事制度を明文化し、トップダウンによる意思決定や前例に捉われない制度変更などを可能とする。また、ICTの扱う領域がますます拡大しているため、既存大学のコンピュータ関連の専攻に捉われずに、新しい融合領域を扱う独立した機関と位置付けられるべきである。一方、学位については、附設先の既存大学と互換性のある学位を提供することが望ましい。
    既存の国立大学の内部に設けられながら、全く独立したルールによる運営を行う教育機関の参考例としては、ドイツのポツダム国立大学内に附設されたハッソ・プラットナー・インスティテュート(HPI)がある。HPIは、民間・州政府・大学のパートナーシップ協定により、その教育内容や組織運営については既設大学組織からの独立性が保たれ、そのユニークな教育内容や新たな仕組み、そしてポツダム国立大学からの学位付与によって、優秀な学生を輩出することに成功している。

  2. (2) 融合型専門職大学院の財政基盤
    専門職大学院では、ナショナルセンターの成果を実証し、それを実際の教育現場に最短で還元し、期待に応える高度ICT人材を育成することが期待できる。その点では、前述の韓国のICU同様にわが国の国際競争力を支える上で不可欠な存在であり、財政面においては政府がその安定的財政基盤の中核を担うべきである。また、企業は、主に教員、教材提供、共同開発といった人的及びコンテンツ面での支援を主導することになるが、必要に応じて財政面での貢献も自発的に取り組むことが求められる。
    ナショナルセンターを設立することにより、そのハブ的機能によって企業協力の垣根が下がり貢献しやすくなること、企業としてもセンターに蓄積されたノウハウ等の活用ニーズがあることなどから、より多くの企業の支援がセンター及び専門職大学院に集まることが期待できる。

V.高度ICT人材育成の加速化に向けたタイムフレーム

1.急がれるナショナルセンターの立ち上げ

日本経団連は、2005年に公表した提言「産学官連携による高度な情報通信人材の育成強化に向けて」の中で、足元で年間約1,500人、将来的には約3,000人の高度ICT人材が必要であると試算しており、総務省も年間3,000人体制の構築を目標に掲げている。それに対し、現状では筑波大学、九州大学のモデルコースが緒に就いたばかりであり、一学年の在籍者数は二大学合計で50名程度である。他大学等の取り組みを含めても、年間の高度ICT人材供給人数は数百名程度と思われるため、目標を達成するには、ナショナルセンターを中心として、現行の数倍のキャパシティを擁する実践的ICT教育体制を確立しなければならない。
なお、産業界と危機意識を共有する関係省庁の中でも、例えば総務省は、本年4月に取りまとめたICT国際競争力懇談会の最終報告書において、「ナショナルセンター的機能を有するICT専門職大学院の設立」を検討項目として挙げているが、ナショナルセンターの実現に向けた取り組みにあたっては、従来の縦割りを排し、国を挙げての推進体制をもって臨まれることを期待する。

2.タイムフレーム

ICT先進国に大きく水をあけられているわが国の現状を踏まえると、国家戦略として出来ることから前倒しで着手していかなければならない。文部科学省の「先導的ITスペシャリスト育成推進プログラム」の成果を切れ目なく継承していくため、2009年度末までにナショナルセンターを中心とした体制を整える必要がある。特に融合型専門職大学院に関しては、準備期間を勘案すると、設置場所、組織のデザインを早急に確定しなければならない。ナショナルセンターについても、2008年度から一部の機能の運用を開始し、2009年度初頭にはナショナルセンターの本格運営を開始するのが望ましい。さらに、設立・運営に係る費用を捻出するためには、国家予算以外の外部資金を2008年度中から募り始める必要がある。
ナショナルセンター及び融合型専門職大学院の設立までの具体的な検討すべき項目・時期を以下に示す。

【図3.高度ICT人材育成の加速化に向けたタイムフレーム】

VI.おわりに

冒頭にも述べたように、ICT分野では現在、わが国は世界市場で劣勢に立たされている。しかし、ICTで優位に立っている国の中には、韓国、アイルランド、フィンランド等のように、危機感をばねに高度ICT人材の育成に集中的な国家投資を行い、その国際競争上の地位を高めた国がある。ICT分野においては人的資源の優劣が国際競争力の優劣に直結しており、ICTを武器に社会を変革できるトップ人材を質・量とも十分に輩出できる教育体制を確立すれば、わが国がICT分野でトップに立ち、ひいては国家全体を支え、国際競争を優位に戦うことができる。さらに、ICT分野における産学官連携の教育モデルの実証は、今後、他の分野にも広く応用できるなど発展性を有するものである。本提言はまさにそういった教育体制を確立するための具体的な提案である。
日本がICT分野で形勢を逆転できる唯一のタイミングを逃すことなく、わが国の将来のためにも産・学・官の関係者が桎梏を振り払い、英断を持って一致団結し、本提言の実現に取り組まれることを期待したい。

以上

  1. Information and Communication Technologyの略で、日本で普及しているIT (Information Technology)とほぼ同義。国際的にはICTの方が一般的に使われており、日本でも徐々に定着しつつある。
  2. http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2005/039/index.html
  3. 東海大学、立命館大学、静岡大学、信州大学、東洋大学、琉球大学、新都心共同大学院(宇都宮大学、埼玉大学、茨城大学、群馬大学による共同大学院)
  4. Project Based Learningの略。実際のシステム開発案件のように様々な解決策が存在するような課題に対して、プロジェクトチームを組み、種々の制約への対応や判断をしながらソフトウェア等の成果物を作り上げる。そのプロセスの中で、実践的な能力と必要なスキルを習得することを目的とした学習形態。
  5. 筑波大学、九州大学においては、IT産業の社会的重要性や意義、魅力を伝えることを主目的とした科目を提供しており、さらなる学習意欲向上へとつながっている。
  6. 九州大学の常勤教員を3月より1名増やし、3名体制にする予定。
  7. これら成果は、メディア等にも重ねて取り上げられている。
    (http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20070627/276005/等)
  8. 例えば、アイルランドは1980年代には農業依存度が高い西欧最貧国の一つだったが、1990年代に入って積極的に海外企業を誘致し始め、1990年代半ばには産学官が協議した末、ソフトウェア企業の重点的な誘致と優秀なICT技術者の育成に注力することを決定した。その結果、著しい経済発展を遂げ、現在ではソフトウェア輸出額は世界一、国民一人当たりGDPは欧州第2位となっている。また、フィンランドでは1990年代前半の経済危機を契機として産学官が一丸となってICT立国を目指し、教育省においてICT産業の成長に合わせた人材育成施策を実施した結果、今や世界最大の携帯電話メーカーであるノキアとその関連企業を中心として目覚ましい経済発展を遂げている。なお、フィンランドのヘルシンキ大学は、1991年に在籍していたリーナス・トーバルズ氏がLinuxを開発したことで世界的に知られている。(出典:「欧州高度情報通信人材育成調査ミッション報告書」 2007年5月 (社)日本経済団体連合会)
  9. 日経BP社が1万人のITエンジニアを対象に行った調査でも、全体の平均スキルレベルは7段階中の2.9であり、約半分がプロフェッショナルとしてのレベル3に達していない。
    (参考:http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20061226/257811/)
  10. 例えば、協力企業から派遣している延べ100名規模の非常勤講師は、その大半が旅費や宿泊費を企業側で負担しているが、このような自発的努力のみに頼っていては規模の拡大に限りがある。さらに、これらの大学に産業界から派遣され、中心的な役割を担っている常勤教員の人件費は、文部科学省が実行している「先導的ITスペシャリスト育成推進プログラム」による補助金および企業補填に依存している。
  11. ICUでは、1998年に大学院課程を、2002年に学部課程をそれぞれ立ち上げ、2005年10月時点で在籍者数は944名(うち学部404名、大学院修士318名、博士222名)。卒業生に対する企業側の評価は高いという。予算額は4,354億ウォンを購買力平価で換算。そのうち7割を政府が、3割を企業が負担している。ICUに関するデータの出典:「高度IT人材育成への提言」(山下徹編著/NHK出版)、「韓国・高度IT人材育成調査報告書」(2005年11月 (社)日本経済団体連合会)
  12. 米国ACM(Association for Computing Machinery:国際計算機学会)はIEEE(Institute for Electrical and Electronic Engineering:米国電気電子技術者協会)と協同で、情報系の学部教育に関する標準カリキュラムを策定しており、最新の「CC2005」では、情報系教育を5つの分野に分類している。日本の情報処理学会も、CC2005を日本の状況に合せたカリキュラム「J07」を策定している。また、情報処理推進機構(IPA)も、経済産業省と連携しスキル標準の改訂を継続的に行っている。
  13. 例えば、データモデリングにおいては、モデリング手法という表層的な知識だけではなく、実際の活用場面や社会への影響を、またアーキテクティングにおいては、システムのライフサイクルや経済性を考えさせるような、本質的な問題発見と解決に資する実践力の習得に重きを置いたものでなくてはならない。
  14. 特に高度な組み込み技術者については、産業界全体を見渡しても絶対的な不足状況にあるといわれる。
  15. 重点協力拠点では、教育品質の評価のために学生の入口出口調査を実施することとし、教育効果測定のためのツール開発・試行に着手している。専門知識やスキルの習得状況は当然のことながら、高度ICT人材に不可欠なコンピテンシー評価や適性診断の機能も含む。
  16. JABEE(日本技術者教育認定機構:Japan Accreditation Board for Engineering Education)は、大学や高等専門学校等の高等教育機関の技術者教育プログラムの審査・認定を行っている。

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