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第2回企業倫理トップセミナー

日時2003年10月21日(火曜日)14:00〜16:00
場所経団連会館 11階 国際会議場
次第
1.開会挨拶奥田 碩 日本経団連会長
2.講演「企業不祥事の変質と企業経営の課題」
日比谷パーク法律事務所代表 久保利 英明 殿
3.パネルディスカッション
司会:武田 國男 日本経団連副会長・企業行動委員長
パネリスト:久保利 英明 日比谷パーク法律事務所代表
早房 長治 地球市民ジャーナリスト工房代表
松崎 昭雄 森永製菓相談役
4.閉会挨拶大歳 卓麻 日本経団連企業行動委員会共同委員長

奥田会長開会挨拶

奥田会長開会挨拶

第2回企業倫理トップセミナーの開会にあたり、一言ご挨拶申し上げます。
日本経団連では、相次いで表面化した不祥事によって企業に対する社会の信頼が大きく揺らいだことを受け、昨年10月、「企業行動憲章」を改定しました。以来、多くの企業において、改めて、企業倫理の徹底に取り組んでいるものと存じます。
しかし、残念ながら現実には、その後も、組織ぐるみの隠ぺい、公共入札をめぐる問題、株取引をめぐる問題など、さまざまな不祥事が報告されています。そして、そのうち1件については、先月、日本経団連としての措置をとりました。
申し上げるまでもなく、社会の「共感と信頼」を得ることなしに企業が存続することは不可能です。そこで日本経団連では、今年から毎年10月を「企業倫理月間」とし、会員企業に社内体制の総点検をお願いするとともに、皆様の取り組みを支援するための催しを集中的に開催することといたしました。本日のセミナーは、その一環として開催するものであります。
何よりも重要なのは、個々の企業における自発的かつ継続的な取り組みであり、様々な不祥事を教訓とし、自社の問題として取り組んでいただきたいと思います。
この機会に、安全管理についても、お願いいたします。昨今、製造現場における大規模な事故が相次いで発生しており、安全の面でも、社会の企業を見る眼は、一層厳しくなっています。企業行動憲章では、第1条において、「安全性に十分配慮」する旨を明記しています。安全管理は、企業活動の基本であります。会員企業におかれては、トップ自らが先頭に立って職場の安全管理を徹底するなど、安全対策の再点検を行い、万全の対策を講じていただくよう、改めてお願いします。
いずれにいたしましても、経営トップの責任はますます重く、多様になっています。本日のセミナーでの議論を参考に、企業倫理の確立に、これまで以上にご尽力いただくようお願いいたします。

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久保利弁護士講演

久保利弁護士講演

本日は、企業を取り巻く環境が激変していること、その結果、最も痛ましい思いをしているのが企業のトップの方々であること、したがって企業のトップがひどい目に合った時は企業は大きく傷つくので、企業を守り、企業のトップを守り、すばらしい業績を前向きに上げていくためにすべきことの変化について実態を申し上げたいと思います。

一言で言えば、企業不祥事が変わったということです。私は弁護士になって33年になります。その間に、日本の経済は大きく変化しましたが、とくに大きな変化は、バブルを挟んで起こったといってよいと思います。たとえば、バブル崩壊前までは、不祥事は、ほとんどトップによる犯罪だったと思います。不祥事とは品のよい表現ですが、一口で言えば企業犯罪です。本来、不祥事とは天から降ってくる不吉な出来事という意味ですが、この場合は、トップが蒔いた種が企業の不幸せにつながった、ということでしょう。
別の言い方をすれば、バブル以前には、パワフルな企業トップがおり、そのパワフルなトップがとんでもない犯罪を自ら犯したということだったと思います。トップが逮捕され、拘留され、中には命を絶つ方まで出た。そういうトップの犯罪だったと思います。
ところがバブル崩壊後は、トップ自身というよりは、むしろ現場で手抜きが起こったり、業績至上主義がはびこったりして、トップの歯止めが利かなくなってきています。トップとしては、変だとは思いつつも、順法意識が不足しているため、すばやい歯止めがかけられなかった。こういう事件がしばらく続いています。
たとえば、公共入札の談合事件、あるいは海外における金融機関や商社における違法取引が次々と発生しました。これらの事件では、全てトップがやれと言ったわけではありませんが、トップが知らなかったというわけでもなく、あるいは知らなかったことが過失であるということです。しかも現場の方は、それなりの人が企業業績を上げようという、本来であれば何ら問題にならない考えに基づいて、結果的に違法行為をやってしまうという事件でした。談合がよいとは誰も思っていません。しかし、「それをしなければ業績はどうなるのだ」ということで、全社的に手を染めていく。そして企業のトップも自ら少し前までそういう部署にいたことがあって、そうなる可能性があることを知りながら自分がトップになった時に、あれは止めろと言えなかった。知っていながら止めなかったということです。だから当然トップとしての責任を問われるのです。

しかし、ここ数年の事件を見ていると、どうも性格が違うようです。少なくともトップが認識をしていた、あるいは自ら担当者をしていた時にそういう実態があった、といったものとは全く違います。
たとえば食品の偽装事件です。トップはどのような指示をしたというのか。何もしていない。トップは偽装を知らなかった。隠蔽事件の場合、トップがデータを隠蔽していないし、隠蔽していることを認識していたこともない。また最近多く起きている本業における過ちの事件で、そういう基本動作を怠れとトップが言ったことはないし、トップはそういうことがあると認識してはいなかったはずです。
そうすると、偽装事件も隠蔽事件も、みな同じ構造なのではないかという気がしてまいります。私自身、業務の中で何がおきるか全くわからない。みな同じ立場でこれから取り組まなければならない状況に直面しているのではないかと思います。
その問題ですが、「ヒラの怠慢」という言葉がございます。これは日経の論説副主幹をやっていた田瀬さんがお使いになった言葉ですが、「最近の事件は、トップの劣化とヒラの怠慢・無責任・無能力によって起きる」と喝破したことがあります。うまいことを言うなと思いましたが、いわゆる現場担当者が信頼できなくなってきている。しかもその人たちが、事件を起こしたときに、たとえばノルマが果たせないとか、上司から怒られるとか、業績が振るわないと自分がリストラの対象になるのではないか、というようなつまらないことを考えて犯した罪であり、かつてのように日本国を揺るがすような巨大事件と比べれば、犯罪の規模でみると、取るに足らないような小さな事件ばかりです。そしてそれら全てが内部告発により発覚しています。逆にいうと、トップだけがそれを知らない。トップが情報の過疎地に置かれています。マスコミも捜査当局も監督官庁も知っているのに、企業の最高責任者が情報を得ていないのが特徴です。
もうひとつの特徴は、マーケットによる商品排斥の迅速性があがっていることです。たとえば食品において、何か問題があれば、あっという間にスーパーやコンビニの店頭から撤去されてしまいます。私自身の経験からも、今ほど消費者運動も不買運動もなく商品がマーケットから消えてしまう時代はなかったと思います。いまやマーケットそのものが、ものすごい速さで回転している。そういう中で、特定のメーカーの商品を撤去すると判断された瞬間から、そのメーカーの商品は売れなくなる。ユーザーがどれだけその商品を欲しても届かない仕組みになってしまいます。マーケットの巨大化は恐ろしい効果をもっており、店側がそういう商品を置くと消費者から指弾されるのではないかと、風評を先取りしながら行動しているので、その迅速さはものすごいものになるのです。たった一週間で、それまで半分近いシェアをもっていた商品が、たった数パーセントまで落ちてしまいます。こういう恐ろしい時代に何故なったか、こういう時代に何をしなければいけないか、そういうことに真正面から考え取り組んでいかなければなりません。
また、ヒラの犯罪であったり、子会社や関連会社の犯罪であったとしても、トップは許してもらえません。本社のトップに責任が集中してしまいます。昔は「トカゲの尻尾きり」といって、末端を切り捨てて本体は生き延びてきました。たとえば総会屋に対する利益供与事件でトップが逮捕されたということは少なく、大半は総務部長か総務課長、もしくは裏総務といった人間、すなわち尻尾を切って終わりにして生き延びてきました。しかし現在では「シャッポきり」になっていて、社長、会長などトップの首をとれというのが、現在の世論です。したがって企業不祥事がおきるとトップのクビが簡単に飛んでしまうという、恐ろしい時代になりました。行ったのは末端でも、責任は全てトップが取らされます。

なぜこのような時代がきたのでしょうか。ひとつは、会社の形が連結経営になったことがあります。不祥事も、子会社や関連会社、単体のものとは言えない時代になっています。たとえ親会社が持ち株会社になっていなくても、その中心企業のブランドを各社が使っている以上、会社は一体だと理解されるからです。連結経営は、本来、トップの権限を委譲するのですが、その責任は委譲された側がとる体制にはなっていません。権限を委譲した以上は、セットになっているはずの監督義務によって、その権限が適正に使われているかをチェックする必要があるのですが、それが行われていません。このアンバランスが大きな問題になってきているのです。
もうひとつ、各社はブランド経営を行っていますが、この看板・商標を共有して使っていれば、消費者は子会社であろうと本体であろうと気にしないので、言い訳も利きません。まさに法的存在を超えて一体として経営していると理解されるわけです。そうなると、子会社や関連会社が起した問題は、一気にグループ全体におよぶ。そういう時代になりました。
さらにトップの責任は、起こったことに対してではなく、起ったときにトップがどこまで認識し得るか、認識できる制度をつくっていたかどうか、未然防止のための内部統制制度の構築を怠っていたかどうか、が追及の対象となるのです。

これらのことは既に多くの判例で明らかになっています。現在、企業でなんらかの問題が起きれば代表訴訟が起きるのは、もはや必然であると考えられています。訴訟に対して絶対に負けるという立場に追い込まれた経営者は和解を求めますが、その際、和解条項や条件に裁判官が「所見」を付け加えています。私の経験では、裁判官が和解の際に所見を付け加えることは、これまで殆どありませんでした。しかし最近になって、裁判官は積極的に代表訴訟の和解に関与するようになってきています。そして、最後、和解に追い込む際に、「もう判決文はできている。あなた方が和解に応じない場合、判決を下す」といって、それを見せています。これが裁判所の所見に変わるのです。
これは、ある製鉄所の総会屋に対する利益供与事件のケースですが、役員たちは、株主に対して3億数千万円を弁償させられました。トップがこれに関与していたか、命令していたかの明確な証拠はありませんでした。しかし裁判所は和解を勧め、結局、成立しました。その所見の中には、「大企業の場合、職務の分担が進んでいるため、他の取締役や従業員全員の動静を正確に把握することは事実上不可能であるから、取締役は、商法上固く禁じられている利益供与のような違法行為はもとより、大会社における厳格な企業会計規制をないがしろにする裏金捻出行為等が社内で行われないよう、内部統制システムを構築する法律上の義務がある」とありました。他の人の動静を認識することはできないから、取締役には内部統制システムを構築する義務があったのにそれをしなかった。だから知らなかったとしても、それを許すことはできないということです。
この事件以外でも、裁判所は企業におけるリスク管理体制、いわゆる内部統制システムの整備が取締役の法的義務だといっています。それをしなかったから弁償しろ、またはクビを差し出せということになってきています。

そう考えると、ブランドが崩壊したり、内部統制システムが問題にされたりするのは、全てコンプライアンスの不在から起こっています。コンプライアンスとは、単なる遵法の問題だけでなく、社会的存在としての企業が要請されるものをすべて満たしているということであります。あの会社はおかしなことをしているという後ろ指を刺されずに王道を歩んでいるということが、コンプライアンスだと思います。法律の問題を避けて逃げて通っているということではなく、堂々たる経営をしているということが、コンプライアンスであります。そのコンプライアンスが欠けると、ブランドが崩壊します。素晴らしい会社でも、一瞬にして業績が低下します。まさに日本におけるブランド崩壊は、企業の存立を危うくします。企業は、少々収益力が落ちても、そう簡単には潰れません。また持ち直すということも十分ありえます。しかしコンプライアンスがないとされた会社の場合、そのブランドは完全に崩壊します。私は、これは当然のことと考えます。
たとえば、暴力団の経済的効率性はものすごいものがあります。殆ど原価をかけず、人件費もかけず、30階建ての本社ビルもいらない。コストのかからない経営で、得たものは殆ど利益です。銀行からカネを借りることもありませんし、借りても元本ごと踏み倒します。あの収益力と闘うことは、普通の企業ではできません。しかし暴力団は株式市場に上場することはありません。しない理由は、コンプライアンスがないからです。コンプライアンスがない会社は、まともではなく、リスクがありすぎます。法律に違反している企業が長続きするはずがありません。だからこそ暴力団は上場できない。まともなマーケットで相手にされません。
よって、違法行為でもなんでも儲かるからやろうというのでは、暴力団そのものです。日本経団連の会員企業があの連中と違うのは、コンプライアンスがあるかないかです。その一線が、まともな企業かどうかを区別しているのです。よって、コンプライアンスがなくなった企業が崩壊するのは当然です。

今のような状況の中で、偽装事件や米国での失敗例であるエンロンやワールドコムから我々が何を学ぶべきでしょうか。偽装事件から学ぶべきものは2つあると思います。ひとつはリスクマネージメントに関する問題、もうひとつはクライシス・マネージメントに関する問題です。
リスクマネージメントは未然防止です。リスクの存在を察知し、それを抑えるようにシステムを構築し、そのリスクを減らそうとすることです。
クライシス・マネージメントは、リスクを管理してもうまくいかなかった場合にクライシスが発生しますが、それにどう対応していくかということです。
どの偽装事件の場合も、リスク管理としての情報収集と、違法行為が起きないようにするシステム構築が上手にできておらず、実際、マニュアルもなければポリシーもありませんでした。そこで、末端の社員がふとした出来心から小さな詐欺事件でもやろうと思った時に防止できる制度が何もありませんでした。
そういう意味において、基本的なリスク管理の体制ができていませんでした。これをいかに築くか、これが第一に学ぶ点だと思います。
もう一つは、世間を騒がせる大事件になった場合に重要となるクライシス・マネージメントです。事前に訓練できるわけではありませんが、トップのリーダーシップと説明責任を果たすという姿勢、そしてコミュニケーション能力があれば、クライシスを早く収め、小さくまとめることが可能となります。しかし、実際にこれまで発生したケースでは、うまくいっていません。ポイントは4つです。(1)早く調査して公表します。(2)すぐ謝罪をして処分をします。(3)原状回復を行い、再発防止策を実施します。(4)それらはトップが自ら発表します。これがクライシス・マネージメントの要諦です。
アメリカでのエンロン、ワールドコム事件の教訓はなんでしょう。これら2つの事件は、アメリカの本質を極めてよく示していると思います。アメリカの本質は、プロフェッショナリズムです。すなわちCEOは経営のプロ、社外取締役はモニタリングのプロ、会計士は会計監査のプロで、その代わりたくさんお金をとります。現に、エンロンの場合、アーサーアンダーセンは32億円の監査フィーをとっています。コンサルタント・フィーの方が37億円で若干多いのですが、会計事務所は両方あわせて約70億円のフィーをとっていました。日本の会社で3億円監査料を払っているところは殆どないでしょう。それだけとりながら、アメリカの公認会計士に何ができたのでしょうか。また、エンロンは内部に200人の弁護士を抱え、外部に650人の顧問弁護士を抱えていました。にもかかわらず、あのスキームが違法だといった弁護士は一人しかいませんでした。こういうことを考えると、いくらプロだといっても、倫理観がなければ全くだめだということです。これがアメリカの失敗の意味です。しかしアメリカは、この事件に対して、アメリカらしい解決をしました。関係者を厳罰に処すことがひとつで、25年という禁固刑までつくり、規制を強化しました。もうひとつは、プロ中のプロであるSECがだらしなさ過ぎたという判断から、SECに予算をたくさんつけました。それまで約4億7千万ドルだった年間予算を、7億ドルを超えるまでに拡大しました。そしてそのお金を人材に投入して、強いSECになれというクリアなメッセージを送ったのです。これが日本だと、弱いところを見つけても予算を倍増しようとは思いません。日本の証券取引等監視委員会の年間予算は7億円に過ぎず、100倍も違います。まさにこれはアメリカらしい失敗に対して、アメリカらしい解決策を出した例だと思います。

それでは、日本はこれらの偽装事件に対してどのような解決策をとったらよいのでしょうか。私は、やはり、地道にコンプライアンスを確立するための組織戦略をつくっていくしかないと思います。各企業が実践計画をつくることです。これは、よそから借りてきてもだめで、各社の業態や人材のあり方に相応しいシステムを、自分の頭で考えてつくり、運用しながら修正していくしかありません。身の丈にあった服をつくることが必要であるということです。第二に、コンプライアンス・マニュアルを周知徹底させ、守らないものに対する懲罰を行うことです。いわゆるコンプライアンス部といった部署をつくり、徹底してやることが必要です。日本でいつも問題になるのは、問題が発生すると努力をして対策マニュアルをつくり、できあがるとそれを神棚にあげて柏手を打って、納めて終わりにしてしまう。これはよくないと思います。マニュアルは不磨の大典ではなく、日々会社の業務で使う武器です。武器を磨きたて、日夜それを振りかざして練習しないと、もたないのです。
加えて内部統制システムをつくることが必要です。弁護士を活用するのもいいでしょう。しかしそれも真似事ではなく、自社のニーズに基づいたものでなければなりません。
今日、委員会等設置会社が増えていますが、そういう会社にすればコンプライアンスがよくなるのではありません。不祥事が起きるということは、会社の中に神経の通わない部署があったからです。神経が切れれば、そこが腐り、痛いという感覚すら脳に伝わらなくなります。内部統制システムは、会社にとって神経です。したがって、どこかで何かあったら「痛い」という情報を伝達するシステムを張り巡らすことが必要です。日本経団連も取り組んでいらっしゃいますが、「スピークアップ」とか「ホットライン」とか「ヘルプライン」とか呼ばれる内部情報を通報する制度は、極めて重要となります。既に半数ほどの企業が導入しているようですが、「通報イコール密告」だと考えるのは間違っています。内部通報してくれる社員は、会社にとって恩人です。これが内部告発として社外に出て行ってしまったら、突然外部から騒がれてしまいます。内部通報がしっかりしていれば、情報は社長に伝わります。外部にヘルプラインの受け皿をつくる理由は、その人が社長に伝えてくれるか、社長を制裁してでも言うことを聞かせてくれるだろうという期待があるからです。そうすれば、神経の通い方は随分違ってくると思います。
内部通報制度が機能するかどうかは、トップの迫力あるメッセージが社内に伝わるかどうかにかかっていると思います。多くの会社が行動基準を作っています。私も、読ませていただきました。感動するのもあったし、ぬるま湯のような基準で、この会社は本当にコンプライアンスをやる気があるのかどうか疑わしいものもありました。それらの中で、ひとつだけ紹介したいのはIBMの「ビジネスコンダクト・ガイドライン」です。
IBMのすばらしいところは、「もしあなたが法律または倫理に反する事態に気づいた場合、それについて知ったこと、聞いたことの全てをIBMに報告しなければなりません。IBMは報告をした社員に対する脅しや報復行為は決して許しません」と言い切っていることです。ここまで書いてあれば、社員も、「よし、報告しよう」という気になると思います。
しかし残念ながら、私がみてきた会社のいくつかでは、「報復行為や脅しがないように最大の努力を傾けます」となっています。そこまでしか書けないのはわかりますが、それを「許さない」と言うか、「できるだけの努力をする」と言うかは、社員の側では大きく違います。「努力はしても守ってはくれないのでは」と思うのではないでしょうか。このあたりのメッセージをどこまで出すかは各社次第で違って当然なのですが、一番大事なのは、「コンプライアンスを守れ。守りきれなければわが社の明日はないぞ」という経営トップの方々の倫理観とメッセージ、そして自分の会社に相応しい手作りの内部統制システムが必要なのではないでしょうか。日本経団連の会員企業は、もともと力のある会社ですから、こうしたことを断行していただければ、ブランドの崩壊など起こるわけがないと確信しております。

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パネルディスカッション

武田

パネルディスカッション さて、このパネルディスカッションは、久保利先生のご講演を受けた形で、進めてまいります。久保利先生のお話は、数点にまとめられると思います。
まず、ここ数年の変化として、企業不祥事が起こっているのは、企業の中枢というよりも、むしろ営業や製造など企業の最前線になってきていること、しかし、経営トップが「現場のことは知らない」では済まされなくなっていること、経営トップは、不祥事防止のために、内部統制のための社内体制を構築する必要があること、各企業が手作りの内部統制システムを作らねばならないこと、しかも社内体制は、より良いものを目指し常時見直す必要があること、そしてコンプライアンス体制抜きで得られた利益は、社会的に認められないことなど、大変示唆に富む講演だったと思います。
まず、早房さんと松崎さんからも、最近の企業不祥事をどのように受けとめておられるか、お考えを伺います。
早房さんから、お願いします。

早房

久保利さんのお話に、90%ぐらい同意いたします。ひとつだけ違う感じをもったのは、「バブルの前まで組織的経済犯罪が多かったが、最近は現場の末端の違法行為が目立っている」とのことでした。確かに現象的にはそうですが、組織ぐるみのトップが関わっている巨大犯罪の素地がなくなったのかといえば、そうではないと思うのです。
最近、国のお金を2兆円も注ぎ込まれて倒産せずに済んだ銀行がありましたが、もしあの銀行が倒産していたら、犯罪行為が暴かれていたと思います。これから経済がよくなれば、そういうケースは目立たなくなりますが、かつてとんでもない財務報告書を作っていたような例が、まだまだ隠されていると思います。
今年の一月にアメリカに行って、コンプライアンスの関係で企業や弁護士や公認会計士やSECを取材してきましたが、結局のところ、とんでもない強い米国企業改革法が昨年7月施行されて、それに基づいてSECの規制がほぼできあがりました。そのポイントは、日本とは理由が違いますが、「内部統制システムをしっかりやり、機能させろ」ということです。日本とは会社のシステムも違いますが、「社外取締役がやることは、内部統制システムを作り、それが機能していることを監視することだ」といっています。しかもSECがそれをさらに監視し、うまくいっていなければ処罰を課すということです。
では日本がどうすればよいかということになりますが、やはり内部統制システムをいかに強めるかがポイントになります。内部統制システムとは、社長やCEOがつくるものですが、監査役会や監査委員会の方も、内部統制システムを機能させないといけない。また、監査法人も、内部統制システムがないと監査に必要なデータを集められない。つまり立場は違っても、皆同じ資料がほしいので、まとめて作るか、ばらばらに作るかという問題はあるとしても、いずれにしても必要だということになるわけです。
もちろん、今でも各社に何らかの形の内部統制システムはありますが、細かいルールもマニュアルもないという会社が全体の90%以上だと思います。それから、久保利さんも触れましたが、一罰百戒などということはなく、違法行為をしても罪が非常に軽い。せっかく内部統制システムを作っても、細かいルールもなく、一罰百戒でもなければ、役にたたないと思います。
もうひとつ大事なことは透明性です。コーポレートガバナンスの面から考えると、ステークホルダーからみてきちんとした会社であると見えるようにし、同時にきちんと利益があがるようにしないといけません。しかし、それらが秘密になっているのでは、どうにもなりません。いかに透明性を確保し、内にも外にもわかってもらえるか。人間は、常に背中から見られていると思うと、悪いことはできないものです。悪いことをするのは、隠せると思うからです。そこで、企業活動をすべて透明にしてしまえば、隠せると思わなくなり、悪いこともしなくなります。
ただし、どんな社内ルールを作っても、社長やCEOが悪いことをやって隠そうとしたら、それは隠せるものです。よって、最後の最後は企業経営者の倫理が必要となります。儲けることは必要だが、倫理観が最後の支えになるのです。

松崎

今日のお話をはじめ、ここのところの企業不祥事を目の当たりにして、一言でいえば、大変情けないと思っています。企業経営者をふくめ、日本人がこのような状態になってしまい、情けないということです。しかし、この問題は難しいもので、規則を作り、従業員に伝え、研修をつめばよいという単純なものではないとも思います。
経団連は1991年に企業行動憲章をつくっておりますので、それから12年もたっています。各社が行動憲章をつくって実践する機会は十分にあったはずです。しかし、それがなかなか守られない。やはり「絶対に悪いことはしない、させない」というトップの覚悟が必要だと思います。
企業が直面する問題としてはいろんなケースがあるでしょうが、利益と倫理の衝突が最も大きいと思います。経営者は、社員に対し「売上をあげろ、利益をあげろ」と言います。利益なしには従業員も雇えないし税金も払えません。しかしそれが従業員のところまで降りてくると、悪気があろうとなかろうと、ぎりぎりのところに行ってしまいます。
わが社でも行動憲章をつくりヘルプラインも敷いて責任者も決めているのですが、20年以上前のこと、わが社の業績があまりよくなかった時期があり、その中でどうしても売上をあげろということで、無理な営業をしたことがありました。目標が達成できない時、顧客にリベートを支払い、無理をいって製品を引き取ってもらったのです。ただこれは麻薬と同じで、ある月にそれをやると、次の月にも、またリベートを払う。これがどんどん膨らんでいくのです。
これを是正するために、お客様あてに出荷した商品分しか売上をたててはいけないという社内ルールをつくりました。ところが、それまでの経緯があるので、こちらがいくら強くいっても売上をたてようとする。そうなると徹底的にチェックするしかありません。こういうことをしている営業所の売上を日別にみると、必ず月末に大きな金額が出てきます。私は、見つけ次第担当者を左遷してしまいました。私が感じたのは、コンプライアンスにしても何にしても、いくらルールを作っても説明をしても、なかなか機能しないということです。しかし人事情報は、ものすごく早く伝わります。社長が細かいことまで知っていて、悪いことをやったら左遷されるという話は、あっという間に社内に伝わります。それでも、わが社の場合、問題が解決するまでに2年もかかってしまいました。
そこで私は、「売上をあげろ、利益をだせ、ただし正しい経営で」と、最後の部分を付け加えました。その「正しい経営」の意味は、法と社会の常識に反しないこと、発表数字が正しく内容を表すようにすること、消費者第一主義を守ること、そして長期的視野を忘れないこと、です。どうしても売上・利益第一にすると設備の補修が必要なところを後回しにして利益を出して、それが次期に響いてしまいます。それでは元も子もありません。わが社には「森永ライフ」という社内報がありますから、そこにも書きましたし、あらゆるところで言って歩きました。そうすると、社長は本気だなと思ってもらえます。思ってもらい続けることが一番効くと思います。

武田

お二人の意見をまとめると、不祥事を防止するには、ルールに則った、透明性のある内部統制システムを作らねばならない。しかしルールを作っても、社長が悪いことを考えていれば隠すこともできる。最後はやはりトップの倫理観と覚悟の問題ということでしょうか。久保利先生、お二方のご発言をお聞きになって、何かございますでしょうか。

久保利

今のお二人のお話は、全くそのとおりだと思います。早房さんは、私の話のうち10%ぐらい、つまり今でも大規模な企業犯罪はあるのではないか、ということでしたが、私もあるかもしれないとは思います。ただ、私のイメージしている事件というのは、上から下までみんなで粉飾をしていたということではなくて、バブル以前は、たった一人の社長が行ったことで会社がひっくり返ったり、日本全体が大きな影響を受けるような、ものすごいパワーをもった社長が会社を引っ張っていって、結果はよいことではないのですが、「すごい経営者がいたぞ」という意味で申し上げました。
逆に最近は、そういう力をもった社長がいないから事件も小さいという、いいような話なのかもしれません。つまり、上から下までが変な大事件は減っていないという点で、早房さんのお話とは、さほど差がないのかな、とも思っています。
松崎さんのお話は、社長のメッセージ性がいかに大切かというお話ですが、まさに現役の経営者でなければ言えないことだと思います。日本の経営は、フロントとバックはきちんとしている。フロントでは、営業も開発も製造も、ものすごく頑張っている。そしてバックオフィスも、それなりにしっかりやっている。しかし、どうもミドルオフィスが組織の中に正確に位置付けられていないのではないでしょうか。
たとえば銀行には検査部があります。メーカーでは製品検査や製造管理はしていますが、違法行為やコンプライアンス違反をチェックして回るところは殆どありません。やはりCEOにぶら下がっているミドルオフィスでも、内部統制のために一生懸命動く層が必要です。日本には監査役がいますが、監査役が3人いても5人いても、大会社のすべてをみることはできず、組織的な無理がミドルの部分にかかっているのではないでしょうか。
ゼネラル・カウンセルにしてもそうですが、アメリカではいない会社がない。しかし日本では、社内弁護士はいても、彼らはフロントラインで業務円滑化のために働いていて、ゼネラル・カウンセルのようにコンプライアンスを中心に社内全体をみているわけではありません。そういう点からいうと、日本という国は、常に「ゼロ戦経営」のように、コストを削減して機敏に動くがガードが弱いという感じがします。これからはミドルもしっかりしていないとうまくいかないところがでてくると思います。経営論的にも組織論的にも、これまでは確かに弁護士の数が少なすぎるという問題がありましたが、これからは毎年3000人の弁護士が生まれますので、できる限り弁護士をゼネラル・カウンセルとしても使い警告を出す機能を持たす必要があると思います。その意味で、ミドルオフィス系のプロの育成を重要視していく時代が、そろそろきているのではないでしょうか。そういう組織の構築と、松崎さんが言われるトップのメッセージがセットになれば、日本の企業はもっと強くなると思います。

武田

日本経団連が会員企業の皆様を対象に実施したアンケート調査の結果では、企業倫理担当役員を設けておられる企業は、導入予定の企業とあわせて約80%、また企業倫理担当部門を設けておられる企業は、導入予定とあわせて約90%ということでした。
しかし、企業のこのような取り組みにもかかわらず、不祥事がなくなったわけではございません。企業としては、今、何をすべきなのか。また、企業の経営トップとして、いま何をすべきなのか。パネリストの皆さんからご意見を伺いたいと思います。
最初に松崎さんから、森永製菓では現在どのような取り組みをされておられるか、また、企業や経営者はどのように行動すべきなのかを伺いたいと思います。

松崎

わが社では、コンプライアンス委員会を作って取り組んでいます。そして各部署、事業所にコンプライアンス責任者を置き、その下にコンプライアンス推進リーダーを設け、社員・従業員につながっています。ヘルプラインも社内相談窓口と社外相談窓口を設けており、社外の方は、久保利先生のお話にもあったように、顧問弁護士にお願いしています。おそらく各社の取り組みも同じようなものではないかと思いますが、この体制を維持して事故がないようにするようにするのが目標です。
先ほどの久保利先生のお話の中で気になったことがございます。かつては経営者が悪いことをして捕まっていた。今は下のほうが悪くて捕まるということですが、私は、やはり経営者が一番重要であると思います。
当社の話をさせていただきますが、森永太一郎という創業者が、アメリカで菓子の作り方を学んできました。アメリカに渡った際、子どもがキャラメルを食べていたとのことです。こんなにおいしい、栄養のある、衛生的な食べ物があるのだと知り、それを日本に広め、そして利益がでたら、とても熱心なクリスチャンでしたので、キリスト教の伝道をしようと思っていたそうです。実際に社長を退いてから、「われは罪びとの頭なり」と表題を掲げて全国を伝道して歩いたという事実がございます。
そういう人なので、いろいろな逸話がありますが、当時のお菓子は、すべて上げ底だったそうです。森永太一郎は正義感が強かったので、上げ底ではないお菓子を作った。当時は洋菓子屋がなかったので和菓子屋に売りにいくわけですが、そうすると、「森永さんのは上げ底になっていないから小さくて売りづらい。もっと上げ底にしてほしい」と言われることが多かったそうです。しかし、絶対にそういうことは認めなかった。第一、上げ底にすると、それだけ材料が余計にかかる。資源の無駄遣いです。それから、折角もらった人が大きいと思っても実際には少ししか入っていない。それではお客様を騙すことになってしまう、ということです。太一郎は正義のためには売れなくてもやるという信念をもっていました。そういうDNAがわが社には残り、今でもそれは伝えられていて、社会のためになる企業でありたいと頑張っております。そういう考え方の下に新しいシステムを作って、事故が起こらないようにやっていきたい。しかしそうは言っても、人間がやっていることなので、久保利先生は神経が切れるとおっしゃいましたが、まさに人間が神経そのものなのです。ミドルの神経が切れないよう、先の方の神経が切れないよう、一人ひとりが正義感をもって仕事をすることが必要であることは言うまでもありません。ただ、世の中が変わってきて、昔は正規従業員が多かったですが、今では臨時社員、パート、外国人も工場では使っています。そうするとなかなかコミュニケーションがとりづらいので、さらにシステムを強化していかなければなりません。
それから、先ほど「グリコ森永事件」についてもご紹介いただきましたが、ご承知のとおり、グリコの社長が誘拐されて、「怪人21面相」という犯人から「菓子に毒をいれる」と脅迫されました。その年の9月頃になって、当社にも脅迫状がきたという報告が私のところに届きました。それまでも何度かあったのですが、みな偽者でした。警察に届けると、偽者はすぐに捕まってしまったのですが、今度はどうも本物らしいということで、すぐに対策本部を設置しました。本部長は社長の私がつとめることにして、当時副社長1人と専務が3人おりましたので、その5人と秘書でスタートしました。その時点ではまだ情報がオープンになっておりませんでしたから、警察には連絡をしましたが、それだけに留めました。
ところが、しばらく経って、他にも数社に脅迫状がきていたのですが、表ざたにはならず、わが社だけが表に出てしまったのです。犯人は怒りました。わが社だけに集中してきてしまった。その時点で対策本部がしたことは、絶対に裏金は払わない。それから従業員を守る。つまり会社を潰さないという、2つの原則を決めました。
これは大変難しいことなのですが、まずやったのは、もし売上がゼロで何年給料が支払えるかを計算しました。当時、幸いにも工場を新しくしようと160億円集めておりましたので、2年ぐらいは何とかなるということでした。そこで従業員を集めて、「当社はこういう会社なので、裏取引をして解決するようなことは一切しない。皆も苦労するだろうが協力してほしい。ただし、わが社は売上ゼロでも2年間は給料を払える。今まで終わらなかった事件はなく、必ず終わる。それまで頑張ろう」と、社員に語りかけました。
おかげさまで、大変な損害でしたが、わが社の製品を売っていただけない小売店がでてきましたので、従業員が自主的に1000円パックをつくって、東京や大阪をはじめ、全国で苦労して売り歩いてくれました。そして半年たって、犯人から「許したろ」という手紙が届きました。
なんで我々が許してもらうのかわかりませんが、当時の高木副社長は、自宅にあるお父上の墓標を毎朝拝んでいたとのことで、それが新聞にでました。私は、鶴見の総持寺に月に一回ずつ座禅を組みに行っておりましたのですが、記者がついてきて、禅堂へ歩いていくところが写真に撮られて週刊誌に掲載された。そんなことで犯人の心が動いたのかもしれません。
当時、一番のポイントだったのは、マスコミ対応です。私は最初と最後は出ましたが、後は、高木副社長が1日2回、会見室を設けて定期的に会見をしていました。記者はたまっておりましたので、次第に仲良くなれるというおまけもつき、当社に対しては好意的な記事が書かれることが多くなりました。やはり、その時の対応がよかったからだと思います。
大変苦労はしましたが、何とか解決できました。当時は皆様にも1000円パックをお買い上げいただいたことと思います。この場を借りて改めて、御礼申し上げます。

早房

先ほど申し上げたことと重複しますが、企業がすべきことは、内部統制システムをしっかりと構築することです。ただ、いい加減なルールは幾ら作ってもだめなので、社員から、こんな細かいものを作って、我々のことを疑っているのでないか、と言われるぐらいのものにしないと、意味がありません。別の言い方をすれば、社員が異なる解釈をしうるようなルールを作っても役に立たないということです。ですから、どう読んでも異なる解釈のしようがないぐらい細かいルールでなければなりません。
先ほど松崎さんがおっしゃった、他の社員にもわかるように左遷してしまうというのは、サラリーマン社会にとって最も有効な罰だと思います。左遷だけが方法ではありませんが、違反したら絶対に情状酌量の余地なしにやるんだというトップの決意が伝わるようにすることが絶対に必要です。
また、せっかく作ったルールを徹底するために、ビデオを作るのは良い方法だと思います。そうすれば、わざわざ担当者が説明に回るまでもないと思います。
先ほど久保利さんがIBMの内部告発制度のことをお話しされておられましたが、やはり内部告発者を守るきちっとしたルールが必要です。ただ私は、日本の会社でそんなにたくさん内部告発者が出るということには懐疑的です。今までいろいろ不祥事が起こっていますが、知っていても見ていても誰も何も言いませんでした。日本人ならそんなものかと思うかも知れませんが、外国人からみれば異常な状況です。なぜおかしな状況があるのに何も言わないのか、誰もがおかしいと思うはずです。内部告発者をきちんと守るルールを作れば、少しは良心の趣くままに声をあげる人が出てくるかもしれません。
たしかに、現場の思い違い、ヒラの怠慢に伴う事件の責任を全てトップがとるのはかわいそうですが、トップの責任を回避したいというのならば、疑いようのない厳しい内部統制ルールを作り、悪いことをした社員を厳罰に処すことを、社内だけでなく、社外に対しても発表していくべきです。そうすれば、あの会社は、あそこまで努力していたが、それでも悪いことをした社員が出ると思ってくれるようになります。そうなれば、株主代表訴訟等があっても、トップに対する免責の可能性がでてくると思います。
しかしそれを隠していたら、後になってから公表したとしても、裁判官の心証が悪くなり、和解を求められてしまうのではないでしょうか。コンプライアンス体制だけをガラス張りにしてもだめで、組織全体をガラス張りにすることが必要です。とくに日本の企業は人事が密室で決まっているところが多いので、人事もガラス張りにするぐらいの覚悟がないといけません。透明性ということは、組織全体に求められることです。これを可能とするには、トップの決断が必要です。

久保利

松崎さんの話から思い出したことですが、企業のミッションは何か、何のためにこの企業はできたのかを確認することが重要だ、ということです。何かを判断する時に常に基本となるミッションに立ち返ってみるのです。ミッションをいつも忘れないことです。忘れてしまうと、会社がどこかに行ってしまいます。安全な商品をサービスするのが何より大切なのだということに、常に立ち返るということも必要です。
早房さんには、私の言い残していたこと、つまりコンプライアンス確立のための組織戦略として、きっちりとコンプライアンス経営をしていれば、おかしなことをする輩がでてきた時に、「あれは不心得ものだ、決して組織ぐるみでない」と断言できることを言っていただきました。組織としては、「これだけの仕組みをつくり、これだけの研修をやり、日々徹底し、これだけの懲罰があるとやってきたのに、それでも事件が起きた。誠に残念だが、これは例外中の例外のことだ」と説明ができるようにすることによって、トップは無事免責となりうるのです。そのためには、これだけやったということを積み上げなければだめです。行動指針をつくって、あるいは借りてきて神棚にのせてしまうだけではだめなのだということを、言いたかったのです。
そういう点で、透明性については、全くそのとおりだと思います。とくに退職慰労金について一任決議で算式だけ言っておしまいにしてしまおうというのがどこの会社でも現状だと思うのですが、少なくとも野村ホールディングスではそういう慰労金を廃止し、その時その時の働きに応じた業績連動型のお金を「報酬の2」として、ROEにスライドして差し上げるということにしています。
人事も報酬も透明化していく中でしか、コンプライアンスの透明性を確保するのは難しいというのは事実でしょう。企業全体としての透明性が高まっていけば、コンプライアンスも、ヘルプラインも、従業員がもっと気軽に言ってこれるようになります。私も幾つかの企業のヘルプラインの社外の受け皿を受け持っておりますが、会社によって連絡のくる件数には、大きな差があります。全ての会社が透明性向上に率先して取り組むところから、日本の企業風土も、もう一皮むけるのではないかと期待しています。

武田

時間も差し迫ってまいりましたが、最後に、日本経団連に対しての注文、あるいはアドバイスをいただきたいと思います。

松崎

継続することが何よりも重要です。日本経団連としても、「企業倫理月間」の取り組みを継続していただきたいと思います。

久保利

とくに注文はありませんが、お忙しい中、これだけ大勢の企業関係者が集まり、コンプライアンスに関心を払っていただいたということは大変なことです。継続は力です。これからも頑張っていただきたいと思います。

早房

企業の内部統制システムを作っていただくと同時に、外側から法律でコンプライアンスに厳しい風を吹かせないといけないという意味で、日本経団連には日本版SECの設立を推進してもらいたいと思います。
もうひとつ嫌なことを申し上げますが、不祥事を起した企業のトップが、トップを辞めた後も、あちこちのパーティに出ていって、他の企業の方と挨拶をしていらっしゃる。そして、周囲から大変でしたねといわれながら、和やかにやっていらっしゃる。これは、日本ではあり得るのかも知れないが、アメリカではあり得ない。そういう人たちは、誰にも相手にしてもらえないから、会合に出て行きません。一緒にやってくれる人がいないから、ゴルフにも行けません。それが不祥事を起した企業のトップの身の処せられ方です。日本経団連のように大企業のトップが集まっているところで、そういうところから変えてくれないと困ります。未だに多くの企業では、辞めたと言っても車もある、秘書もいる、部屋もある、外の会合にでれば皆が挨拶してくれるのが普通です。何も変わらない。これはおかしいと思います。

武田

まだまだ議論もつきませんが、時間となりましたので、これにてパネルディスカッションを終了したいと存じます。久保利先生、早房さん、松崎さんには、貴重なご意見をありがとうございました。

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大歳共同委員長閉会挨拶

大歳共同委員長閉会挨拶

本日、最も重要なご指摘は、「とかげのシャッポ切り」という話題がありましたが、「経営者が知らなかったでは済まされない」ということでございます。トップ自ら率先して社内における企業倫理の確立に日夜取り組んでおられていると思いますが、重要なことは関連企業、協力企業の隅々にまで浸透徹底させることではないかと思います。言い方を変えると、全体が常に見える状況にしておくことが重要です。何か起きた時も、社長までがその情報を共有して対応する、行動することが重要だと思います。
申し上げることもなく、不祥事を起してしまった企業は、社会の信頼を一瞬にして失うわけですが、その影響は一企業にとどまらず、場合によっては業界、あるいは経済界全体に対する社会の信頼そのものが揺らいでしまうというリスクを我々は抱えております。
その点で、本日の講演とパネルディスカッションは、大変示唆に富んだよいものであったと存じます。是非、このセミナーで得られたヒントを持ち帰っていただき、実践に結び付けていただければと存じます。
日本経団連といたしましても、企業行動委員会を中心に、今後も皆様の取り組みを積極的にご支援申し上げてまいりますので、今後も積極的なご参加をお願いいたします。

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以上

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