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いま、社会の一員として

─ 地域社会との共生をめざす企業と市民団体 ─

愛知県刈谷市
(No.45 1999 February)

 今回訪ねたところは愛知県刈谷市です。名古屋駅から約30分、西三河と呼ばれるこの地域にはトヨタグル−プの関連企業が数多く所在し、本社を構えています。訪問企業はアイシン精機とデンソ−。ともに自動車部品を基幹事業とする総合メ−カ−であり、トヨタ自動車の大手グル−プ企業です。
 自動車1台には、車種にもよりますが、2万から3万点の部品が使われています。アイシン精機は走行・駆動・機関(エンジン)・車体・電子系の自動車部品約1万点の開発、製造、販売が主事業。また培った技術を活かし住空間、ファッション、医療機器、エネルギ−・環境関連にも事業領域を広げ、13社のグル−プ企業、オ−ルアイシンによる有機的な組織経営を行う企業。従業員数は本体が11,400名余、オ−ルアイシンで28,700名。国内14の事業所、海外には20社30拠点をもってグロ−バルな事業展開をしています。
 デンソ−は冷暖房機器、電装品・制御機器、燃料噴射装置の他、クルマ社会の新しい社会基盤をつくる高度道路交通システム(ITS)に取り組み、情報関連事業、環境関連事業にも領域を拡大し続けている企業です。従業員数41,000名、海外法人を入れると57,000名。国内工場12(愛知県内に9)、営業拠点21、海外法人51、地球のさまざまな場所で事業を展開するグロ−バルなネットワ−ク経営をめざしている企業です。
 刈谷市に本拠を置くこの両企業は共に1%クラブの法人会員として、社会との共生をめざした活動を着実に実践しています。今回は、アイシン精機「さわやかふれあいセンタ−」の活動を同センタ−主担当である山田竜一郎氏に、デンソ−の企業市民活動について総務部企画課長の岩原明彦氏に伺いました。市民団体は、両社との関わりの深い財団法人 勤労センタ−「憩の家アステ」と「刈谷少年発明クラブ」、障害者の自立生活を支援し、ともに生きる地域社会をめざす活動を実践している「ユ−トピア若宮の会」を訪ねました。


Be With(共に生きる)を合言葉に
アイシン精機の企業市民活動

「さわやかふれあいセンタ−」の誕生

 アイシン精機に社会貢献活動を推進する「さわやかふれあいセンター」が設置されたのは1995年2月。企業も地域社会の一員としての自覚を持ち積極的に地域活動に参加する必要がある、との認識にもとづくものでした。実は、アイシン精機はセンターが誕生する以前に、社会貢献の本質にふれる活動を行っていたのです。昭和40年代(1965年〜)、当時「金の卵」といわれた中学卒の若者達が豊田市にも全国から集まりました。地方都市はまだ貧しく排他的な面もあり、若者達を暖かく迎える余裕も遊び場もありません。そこで立ち上がったのが地元の婦人ボランティア団体でした。若者達を母親代わりに面倒をみて、彼らの成長に少しでも役立ちたいと活動を始めました。この中心に豊田寿子氏がおられました。地域社会と婦人ボランティア団体の強い要請を受けて、昭和41年(66年)、青少年のための勤労センター「憩の家」がアイシン精機初代会長 渡部新八氏の尽力で設立されたのです。当初は運営経費も渡部会長の私財で賄われました。全国にある勤労青年センターの中で「憩の家」だけが唯一の民間施設。当時としては画期的なことでした。
 山田竜一郎氏はこの「憩の家」で11年間、事務局業務に従事していました。そして「さわやかふれあいセンター」発足時に、スタッフ3名の一人としてアイシン精機へ異動になりました。山田さんは「憩の家」で培った、市民団体との幅広いネットワークと経験、ノウハウを活かし地域に根ざした幅広い活動に大車輪で取り組みました。「とにかく1年目が勝負。いろんなことをやりました。これだけの社員が働く企業。今さらボランティアをしましょうではなく、すでに活動している人がいるはず」と、まず最初に、ボランティア活動をしている社員を訪ね歩くことから開始。幸い安全衛生環境部でカウンセラーをしている山本克英氏が仕事柄、各事業所を回りその辺の情報もご存じでした。山本氏に教えられ、一人一人を訪ね歩いたと言います。実は、この山本氏も「憩の家」時代の元上司。そしてセンター発足時の上司、藤井完晏氏は現在「憩の家」の事務局長です。「さわやかふれあいセンター」と「憩の家」を企業市民活動の両輪にしたい、これが山田さんの思いです。

ボランティアグル−プ「Be With」を結成

 訪ね歩いたボランティア経験者を核に結成されたのが「Be With」と呼ばれるボランティアグループ。毎月第三月曜日の就業時後に部署、職位を離れ個人として集まり、センターで企画する自主行事などの企画運営に参画して活躍します。「Be With」はボランティア活動の合言葉・キャッチフレーズとして最初は使われていました。それがボランティアグループの名称となり、社内報の名前にも採用されるほど、企業の中に浸透していきました。「Be With」の結成と平行して始めたのが「さわやかふれあい講座」の開催です。山田氏が「憩の家」で培ったネットワークをフルに活用して西三河地域の社会福祉協議会や市民団体と手を組んで企画したもの。ボランティアをしたいと思っても、何をしてよいかわからない社員も沢山いることがアンケートで分かりました。「講座から始めようと考えたのですが、会社で開催するといつも同じ顔で代わり映えしない。せっかくするなら地域の人々にも参加していただきたいと考えて、各市の社会福祉協議会に話を聞いてまわりました」と、山田さん。こうして企業と行政、地域の人々と社員の交流・結びつきが深まるボランティア講座がセンター発足の年に早くもスタート。刈谷市を含む8市の社会福祉協議会や国際交流団体、市民団体との共催事業は毎年継続されています。

グランドを地域に開放、「フリ−マ−ケット」を開催

 また95年には、センターにとってエポックメーキングな大行事がありました。愛知工業と新川工業とが合併して新発足したアイシン精機の30周年記念行事の企画が「さわやかふれあいセンター」に任されたのです。センターではこの行事企画と運営を、社内組織を使わず「Be With」を核に個人として行事参加を希望する社員ボランティアを募って実行しました。今まで社内にはイベントは楽しませてもらうものという意識がありました。これを「自分で考えて行動するイベントに変えたかったのです。自分で考えて自分で行動しないと何も楽しくないし、何も出来上がってこないから」と山田さん。グランドを地域社会に開放して実施したフリーマーケットは大変な賑わいでした。当初の予想をはるかに上回る1万人以上の地域の人々、社員が参加。マーケットの出店は180、グランドは溢れんばかりの大盛況。会社の行事を地域の人々も対象に実施するのは初めてのことでした。会社という一つの価値観だけでなく、さまざまな人々の中で多様な価値観を理解すること。自ら考えて行動すること。この2つにアイシン精機が企業市民活動を実践する意義があります。

「企業市民活動」はボランティア活動を核に

 1997年、アイシン精機では2005年に向けた経営ビジョンを策定、その中で「社会貢献」という表現を「企業市民活動」に変更しました。何かをしてあげるというニュアンスから、企業も社員も、共に社会に生きる一市民として社会参加を進めていこう、との思いが込められています。「企業市民活動」の重点テーマは、(1)地域発展、(2)教育発展への協力、(3)環境保護・緑化推進、(4)ボランティアの育成と活動推進の4つ。このテーマのもとに地域との交流行事や「Be With」が企画運営に参画するさまざまな自主行事、社員へのボランティアの紹介など、多様な活動を展開しています。そのひとつ、「このゆびとまれ!」をご紹介しましょう。「ボランティアに興味のある人、この指とまれ」と呼びかけるこの行事には、社員ばかりでなく、地域の人々も大勢集まります。10キロのウォーキングに挑戦した「ウォーク&ウォーク」には450名が参加。子どもからお年寄り、車いす、視覚障害の方々も柿狩りや昼食などを楽しみました。こうした催しではボランティアや障害者を含む全員から参加費を徴集します。集まった参加費に企業もマッチングで同額を上乗せし、施設や市民団体に寄付を行うのです。寄付先は参加者自らが選べるよう仕組んであります。参加費を取るのは「招待する側とされる側」に分かれず、企業を含む参加者全員が一体となって行事を作り、寄付をする意識をもっていただくためなのです。

「オ−ルアイシンNPO活動応援基金」の創設

 さまざまな知恵を働かせて自主参加型の活動を推進する山田さんが「是非広めたい」と考えているのが「自動販売機で寄付」というもの。本社や工場にある自動販売機の1台を寄付用の機械にして、通常100円のジュースを110円で販売、そのプラス10円分が寄付に使われます。今年は夏のボーナスの後10日間で9千本が売れました。10円なので大きな額にはなりませんが、これに会社がマッチングギフトを上乗せし盲導犬育成活動へ寄付をしました。
 話題の最新ニュースは「オールアイシンNPO活動応援基金」の創設です。毎年オールアイシンから共同募金会に提供してきた寄付金の約半額、150万円を直接地域のNPOに手渡し応援するもの。4〜5団体に活動資金の一部が支援金として渡されます。
 最後に是非ご紹介したいのが、センターを担う「ひと」のこと。「さわやかふれあいセンター」の設立当初から、ユニークなアイディアを生み出しビジョンを作り上げてきた山田主担当。その山田氏がこの人と見込んで、組織を動かして獲得した人材が20代、元気溢れる渡辺治さんです。工場勤務7年の彼は「さわやか」が企画したボランティア活動に参加し、「こんな仕事ができたらいいな」と思っていたところ、突然異動の声がかかったと言います。全身でもごとに対処する「さわやか」にぴったりの渡辺さんを山田さんは「ここ一年で育てよう」と鍛えています。組織として適材を配置して企業市民活動を推進するアイシン精機。これからの企業と地域社会とのあり方を、さまざまなかたちで私たちに提示してくれるでしょう。

社会の共感を呼ぶ企業づくりをめざして
デンソ−の企業市民活動

社会貢献活動委員会で検討を重ねた1年目

 デンソーは1990年12月に経団連1%クラブに入会。トヨタ自動車の後を受け早い時期から社会貢献活動への取り組みを開始しました。1%クラブに加入した翌91年には、「企業として具体的にどのような活動をするか」と、社内に社会貢献活動委員会を設置して活動の進め方や内容の検討を重ねました。しかし具体的内容はなかなか決まりません。「私の立場からは辛い一年でした」と岩原明彦企画課長。デンソーでは総務部企画課が社会貢献の担当部門です。岩原さんは1989年に総務部へ異動、一貫して同社の貢献活動を担当されています。当時の西三河地域は社会貢献という言葉もない環境で、地域や町内からの依頼に対応している状態でした。1%クラブに入会し、経営として社会貢献活動に取り組んでいこうと意思決定したものの、最初の1年は年間6回の委員会開催で経過しました。ようやく形の出来上がった92年から自主プログラムを立ち上げて、少年発明クラブ、地域の中高生を対象としたサンデースクールや大分国際マラソンへの支援を始めました。94年には企画課の中にボランティア支援センターを設置(スタッフ3名)、社員によるボランティア自主グループ「ハートフルクラブ」を結成してボランティア活動の推進にも力を入れました。

活動の見直し−めざす方向は本当にこれでいいのか?

 自主プログラムもボランティア活動もスタートして活動を重ねたものの、「本当に自分達の目指しているところはこれでいいのか? 社会ニーズに合っているのか?」何か確信がもてなかったと、岩原さんは96年から97年を振り返りました。厳しい経済環境の続くなかで、社会貢献関連の予算も確固たる明確な方針と実績がなければ獲得できません。「デンソーにとって社会貢献とは何かを、もう一度きちんと整理しよう」と、議論を重ねました。再スタ−トのためには理論武装が必要でした。「丁度タイミングよく我々の活動見直し時期と、デンソーの中期経営ビジョン『ビジョン2005』の策定の時期とが一致しました。トップマネジメント自らが企業の目指す姿を議論する過程の中で、デンソーとして社会貢献にどう取り組むかも大いに議論されました」。デンソーの「ビジョン2005」の中に経営理念の一つとして『社会の共感を呼ぶ企業づくり』がうたわれ、従来の「お付き合いとして仕方なくする経営上のコストではなく、時代にマッチした企業経営を進めるためのインベストメント」として経営とリンクされたのです。
 この基本理念をうけデンソーでは企業市民活動を広報戦略の枠組みの中に位置づけました。「社会にやさしい」というイメージが商品性を持つようになりつつある社会情勢を見据えてのもの。基本目標・方針、重点分野、活動形態を明確にし、情報公開と活動評価のしくみ作りも課題に加えました。これが再スタートの大きなポイントでした。

明確な方針のもとで力強く企業市民活動を推進

 新たな出発では重点分野を (1)障害者福祉、(2)青少年育成、(3)環境保全として、自主企画活動、ボランティア活動、寄付活動の三つの活動形態をとっています。デンソーは蒲郡に「デンソー太陽」という福祉工場を持ち、従来から障害者の雇用と福祉に力を注いでいました。しかしデンソー社員たちはデンソー太陽のことを知る機会が少ない。そこで年1回、「ナイスホリデー」という交流プログラムが誕生しました。初回は産業記念館の見学会。デンソー社員がボランティアとして250名、デンソー太陽は車いすの人たちが150名参加。400名の移動には名鉄もJRも協力を惜しみませんでしたが、エレベーターの無い駅ではボランティアが車いすを担いで乗り換えました。このほか障害福祉分野では、バリアフリー社会を目指した環境作りにも力を注いでいます。
 技術者たちはモノ作りで培った技術を活かそうと、インフォーマルな組織「デンソー技術会」を結成していました。彼らは、モノ作りの楽しさを子どもたちに伝えたいと、発明クラブやサンデースクールでボランティア講師を務めています。創造力に溢れた次世代を担う子どもたちは未来の貴重な資産です。
 環境問題ではこの地域にある天然記念物のカキツバタの自然群落地の保全やゲンジホタルの郷の環境を守る活動などがあります。地元にある市民団体をデンソーのハートフルクラブのメンバーがボランティアとして支援・協力する形で年々活発な活動が行われています。
 94年に発足したハートフルクラブも見直し時期にメンバーとの懇談会をもちました。その結果メンバーの要望を入れ、クラブメンバーが自主的に企画・運営する組織として再結成されました。クラブは各事業所ごとに世話人と企画運営スタッフを選出し、ボランティア支援センターが運営事務局を担当します。クラブの活動はデンソーの組織外で実施するインフォーマルなものですが、マッチングギフト・ファンドの企画運営、自主企画活動、会員交流活動、地域ボランティア活動への参加についても意見を提出し、自主参加できる仕組みとなりました。

企業とNPOとのパ−トナ−シップの構築へ

 再スタートを切った97年後半から着実な企業市民活動を展開してきましたが、情報開示と客観的活動評価が次の課題でした。「これなくして社会貢献活動を戦略的に進めることは不可能」と岩原さん。情報開示については総務部、広報部をはじめ各工場で地域活動に参加している社員も加わり、情報開示を推進する検討会を設置して「Corporate Citizenship」と題するパンフレットを製作。ホームページも開設してインターネットでの情報開示にも着手しました。客観評価では地域の人々へのアンケート調査を実施してデンソーの企業市民活動が地域にどのように受け止められているのか、また、地域の社会的ニーズは何かについての調査も始めています。
 もうひとつが地域のNPOとの連携。岩原さんによれば、「うちは、この部分が遅れています。デンソーと連携できるNPOを早く見つけ、共同したプログラムを数多く作っていきたい」。ただし「一過性のイベント協賛ではなく、NPOの基盤が強化されるような支援。継続性のあるプログラムを増やしたい」と新たな企画への抱負と意欲を語りました。同社では本社敷地内に15階建の新ビルを建設中です。障害者福祉に力をいれバリアフリー社会の実現をめざす同社では、新ビルの各階に車いす専用トイレを設けエレベーターも車いす用にして数十名の身体障害者を採用していくことが決定しています。現在の障害者雇用は350名ほど。殆どが聴覚障害者に偏り職場も製造現場に特定されていました。「今後は事務・技術系部門にも車いすを含めた障害者を採用配置して雇用率2%を目標にしたい」と、岩原さんの言葉に力がこもりました。
 基本理念を明確化して理論武装をととのえたデンソーの企業市民活動は、21世紀に向けてこれから大きく羽ばたくと期待がふくらむ取材でした。

企業の支援と連携で育つ地域の市民団体

財団法人勤労センター「憩の家」

 「憩の家」は豊田市本町の畑に囲まれた静かな環境の中にあります。昭和49年に増設された本館が、現在憩の場の中心となり、クラブ室、研修室、工作室など様々な施設が整っています。この他、体育館、テニスコート、茶室、母さんの家などが点在する広々とした所。「憩の家」設立の母体である豊田ボランティア協会は、常に憩の家と共に歩み、今もここに集う人々に暖かい目を注いでいます。そして諸行事に参加し運営にも加わっています。  現在の「憩の家」は設立の精神を守りつつ、時代と社会環境の変化に合わせ、地域との共生をめざすボランティアセンター的な存在として、青少年から高齢者までが集い、交流し、啓発しあう場となっています。全国の勤労センターが時代とともにその存在を失いつつある中、民間のここだけが地域に根ざした「憩の家」として、地元の企業、市民、ボランティアに支えられ今も活発な活動を展開しています。  当初、アイシン精機が支援した「憩の家」は現在、トヨタ系列70社が資金支援をして支えています。

「ユ−トピア若宮の会」

 96年の2月、「この指とまれ!」の行事に参加したことがアイシン精機との連携の始まり。その後「親子ボランティア教室」で車いすの操作実習も担当しました。アイシン精機からはマッチングギフトの寄付やバザーの支援、社員ボランティアの協力などで交流を深めています。
 若宮の会は障害のある人たち自らが、障害者の自立生活を支援しようと発足した会。「障害の有無に関係なく集まれる場所がほしい!」「障害があっても地域社会の中で一人で自立生活がしたい」という人々をサポートする市民団体です。豊田市駅に近い商店街の一角にあり、もと洋裁店だった場所は明るく車いすでも自由に出入りできます。スタッフは7名。代表の長谷由香さん、事務局長の木本光宣さん共に障害を持ち、副会長の加藤章さんはリットル氏病という重い障害ですが、皆さん明るく前向き。夫々の生活場所からここまで通っています。そして豊田ハンディキャブの会、福祉の店・夢工房、車いすセンターを運営し、障害者が地域に適応して生活できるよう個人に対応する自立生活プログラムやピア・カウンセリング、電話による相談事業も行っています。運営は市町村生活事業支援と事業収入や会費等で賄われますが、より多くの人々の支援をと願っています。

刈谷少年発明クラブ

 少年発明クラブはデンソーにある財団法人豊田理化学研究所の中にあります。場所はビルの1〜2階。工作室や展示室など子ども達が楽しく創作活動できる広い空間です。クラブは昭和49年、全国にさきがけ最初に発足しました。理科教育促進の財団や発明協会が開催する全国大会で刈谷市の小・中学校は毎年、最優秀校に選ばれ、その実績からソニーの井深氏(故人)はじめ教育委員会等の強い要請をうけて、デンソーはじめトヨタ系各社の支援のもとに誕生したのです。現在、小学校3年生から中学生まで1,600名を超える子どもたちが活動しています。この数は刈谷市内の学校の15%にも当たり、全国の少年発明クラブ員総数約6千名の、1/4を刈谷が占めます。理由は優れたスタッフが、自由な環境で子どもたちの創造性を育んでいること。デンソー技術会のメンバーやOBなどがボランティアとして参加しています。地域社会からの信頼が厚く、連携が実にうまくいっていること。加えて企業からの資金支援を得て、常勤職員による行き届いた事務運営ができることも要因と、活動を支える企業の支援を同会の鈴木会長は高く評価されました。

(取材・文責 青木孝子)


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