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いま、社会の一員として

─ 地域社会との共生をめざす企業と市民団体 ─

武蔵野・多摩地区
(No.46 1999 April)

 武蔵野市に本社・工場を構える横河電機と日野市に本社・日野工場のある日野自動車工業。今回は、東京近郊の武蔵野と多摩地区にある2社を訪ねました。
 横河電機は計測・制御・情報という分野でビジネスを展開している企業です。経営環境の構造的変化に対応し、経営戦略そのものを再構築して、常に革新し続けることを基本姿勢としています。グループ経営による事業展開を行う同社は、世界23カ国に海外関連会社を持ち、日本国内と合わせ113社がグローバル・ネットワークを構成。世界を舞台にビジネスを展開しています。
 日野自動車は各種ディーゼルエンジン、ディーゼルトラック・バスのリーディングカンパニー。日野工場のほか羽村市と群馬県新田町に工場があり、都内に2事業所、茨城と北海道にテストコースがあります。海外事業はアジア・アメリカを中心として、販売・生産のネットワークは世界140カ国に及んでいます。ディーゼルエンジンのトラック・バスを生産する同社では特に環境保全と安全性の追求へ力を入れ社会的使命として取り組んでいます。1991年には「日野自動車グリーンファンド」を設立、都市環境の整備や自然環境の保全につとめています。
 横河電機の社会貢献活動について、横河グループ福祉センターの笹田理事長に、日野自動車の活動は総務部社会貢献グループの寺西さんにうかがいました。市民団体は横河電機がグループとして支援している国際医療支援機関NGO「プロジェクトHOPEジャパン」と、日野自動車が財団とともにサポートしてきた八王子市にある「浅川サバイバルレース実行委員会」を訪ねました。地域に根ざした企業の貢献活動、企業を含め幅広い市民の賛同と支援によって、着実な活動を重ねる市民団体の姿をお伝えできれば幸いです。


“良き市民”として地域の発展に貢献する
 横河電機グループの活動

企業も社員も「良き市民」の自覚をもって

 横河電機には創業以来、「人」を中心に考える基本精神があります。「すべて(会社)は一人(社員)のために、一人はすべてのために」。横河電機で働く従業員はすべてファミリーであり、横河人としての自覚を持って行動すること。これが規範のひとつです。変革する時代を見据え1991年に新しく策定された企業理念には、「計測と制御と情報をテーマに、より豊かな人間社会の実現に貢献する」とあり、続いて「横河人は良き市民であり勇気をもった開拓者であれ」と謳われています。「横河人」とは「横河電機もそこに勤める横河人も」という意味。
 グループ経営を進める同社ではグループ各社の従業員の福利厚生を目的とする「福祉センター」を91年に設立しました。「生涯福祉人事政策」は人を中心に考える横河電機の重要な施策であり、グループ各社社員と家族を対象に「生涯福祉」の安定と向上をめざす役割を担って誕生したのです。

「福祉センター」が推進する社会貢献活動

 横河グループ福祉センター理事長として活躍されているのが、横河電機人事部長の笹田学氏です。笹田氏は明治大学ラグビー部主将として活躍されたあと横河電機に入社。人事部を皮切りに営業部門で経験を積み、再び人事部門へ。人事、厚生、採用、労務を課長として歴任後、人事部長に就任しました。厚生課長時代に「福祉センター」の設立プロジェクトに参画されたと言います。現在は3代目の理事長として、心の豊かさや充足感へのサポートなど、第3フェーズに入ったセンターの活動に力を注いでいます。その一つが社会貢献活動。何かのかたちで社会貢献をしたいと考えている社員が増え、その支援を積極的に行うこと。もちろん、寄付など、横河電機本体としての貢献活動は地域振興、社会福祉、国際交流、教育学術・文化、自然環境保護の分野で行っています。福祉センターでもテレカ収集、中古パソコン160台の寄贈などを実施していますが、社員のボランティア活動支援に本格的な取り組みを開始したのは97年4月から。ボランティア活動に関する情報提供や啓発活動のほか、ボランティアを行う側と受け手、ボランティア同士の出会いの場づくりにも力を入れています。
 福祉センターがボランティア支援に関わり始めた背景には、(1)与えられる福祉から主体的に関わる福祉、(2)自己実現の楽しさへの目覚め、(3)高齢社会を迎えての生涯福祉と生きがいづくり、(4)地域社会でともに豊かに生きる風土づくり、などの基本的な考え方があげられます。昨年からは実際にお金や物の寄付を行う場づくりとして、「100円募金」も開始しました。これは募金に賛同する社員の給与から申請口数に応じてお金を引き落とすシステムです。1人平均6〜7百円程で募金賛同者は320名ほど。まだまだ少ない人数ですが、主体的に参加するよう広く呼びかけて育てていきたいと笹田理事長。寄付先は募金者からの推薦も入れて理事会で決定されます。100円募金による最初の寄付はもう少し資金プールができてからになるとのことでした。また横河では途上国への医療支援を行うNGO「プロジェクトHOPEジャパン」の活動に協力。グループ企業や多数の社員が賛助会員として資金面から支援しています。

「いきいき牧場」を通じて知的障害者支援を

 笹田氏が人事部門に戻り、積極的に関わった仕事に障害者の雇用問題がありました。’91年当時の法定雇用率は1.5%、しかし横河電機は0.9%。「これでは、企業として社会的責任を果たせない。何としても雇用率をクリアしなければ」と、プロジェクトを立ち上げ、障害者雇用を一気に拡充させました。僅か1年で1.5%をクリア。しかし障害者が働き続けられる職場環境が大切と、社内に雇用定着推進委員会を設置。最も多い聴覚障害者のために手話サークルを作るなど精力的に取り組みました。
 一方、障害者の中には企業内雇用が難しいレベルの人もあります。特に知的障害の場合、授産施設で働く方が本人にとっても無理がないケースも多いのです。盛岡市にある「いきいき牧場」は社会復帰の難しい知的障害者を受け入れ、果物や野菜を生産しハーブティーやクッキーを作っている授産施設。牧場を訪ねた笹田氏は、「彼らの生産物を定期的に購入することによって利益が出れば、知的障害者へのサポートにつながる」と考えました。商品の開発やパッケージづくりを手伝った『いきいき牧場〜ハーブクッキー&ティーセット』は横河電機の社外贈答品として社内の売店で販売されています。

地域社会の一員として、防災協定からお祭りまで

 横河電機では民間企業では初めて、防災対応型太陽光発電システムを本社5工場の屋上に設置しています。このシステムは震災などの緊急災害時のライフライン停止時にも独立型のエネルギー源として年間6万キロワットの発電量を持ちます。横河では武蔵野市と防災協定を結び、災害時には地域の人々に向けた電力供給や、本社内にある井戸ポンプを稼動させ、生活用水の供給を行います。また医療センターや体育館、グランドなどの施設を市民に開放すると共に、社員ボランティアの派遣も約束しています。
 毎年夏には、大勢の市民が集まる「武蔵野まつり」があり、同社のグランドで行われています。ファミリー精神を大切にする横河電機では毎年7月に「横河まつり」を開催しています。このお祭りは社員がお客様。社長をはじめ管理職がそれぞれの屋台を出して日頃の部下の働きに感謝するおまつりです。特設ステージでは各種のイベントで大変な盛り上がり。横河まつりは社員・家族をはじめ地域の人々も参加する大イベントなのです。この日ばかりは2万5千人に及ぶ人々でグランドも大賑わい。そして武蔵野まつりは、金曜夜の横河まつりの翌土曜日、横河電機が設営した屋台やステージをそっくりそのまま活用して行われるおまつりです。
 横河電機は武蔵野市のボランティアセンターや企業ボランティア委員会の運営にも参加。地域と共に歩む企業として行政、市民団体との連携による豊かな地域づくりに積極的に関わっています。

“世界の恵まれない人々に健康を…”
 NGO「プロジェクトHOPEジャパン」

 プロジェクトHOPEは“世界の恵まれない人々に健康を”キーワードに途上国で医療支援活動を行う米国のNGO。第二次大戦中、米国の若い軍医だったウイリアム・ウォルシェ博士の博愛心とアイゼンハワー米大統領の好意で40年前にスタートしました。HOPEはHealth Opportunities for People Everywhereの略。ボードメンバーには世界の製薬会社のトップ企業やGE、HP(ヒューレット・パッカード)などの大手医療機器メーカーが名を連ね、活動の基盤をバックアップしています。
 アジア地域への支援を目的とする「プロジェクトHOPEジャパン」の設立に当たっては横河電機と関係の深いGE、HPの両トップから直接社長あてに協力要請が入りました。社会貢献をうたい、グループ企業にGE横河メディカルシステムもある横河電機は、本社工場の一角を事務所として無償で提供。1997年の設立当初から支援を開始しています。現在スタッフは8名。代表の柴田廉氏は元横河電機役員、アメリカ駐在時に社長から代表就任を要請された方。初体験のNGOで、最も有り難かった企業サポートは、「財務や法制上の問題が出た場合、社内にいる専門家からすぐアドバイスを得られ、輸送の場合には物流センターに行けばいろいろなノウハウを教えてもらえます。無形の支援はものすごい価値」と話されました。NGOの活動基金は賛助会員制度による募金活動で賄われます。横河電機は企業会員としてグループ企業と共に財政基盤をバックアップ。個人会員には600名にのぼる横河ファミリーが支援し、武蔵野市の協力によって、市民からのサポートも大きいとのこと。現在、企業会員約200社、個人は1,500名ほど。経済環境の厳しい昨今ですが、募金依頼で訪問する企業は「有り難いことに、約8割が賛助会員に入ってくださる」と柴田氏。98年度の募金総額は1億円に達しています。
 プロジェクトHOPEジャパンの主なプログラムの一つが「HOPE Partner Project」です。日本の支援者が病院に行けない子どもたちにパートナーとして月3千円の医療支援金を送る一種の里親制度。現在はタイの子どもたちを対象に実施されています。もう一つが日本政府のODA活動とのパートナーシップ。ODAで高額な医療機器を途上国に供与しても、修理のフォローがされず、放置されているケースも多い現状を踏まえ、医療機器の修理・調整を部品や技術者を派遣して行うプロジェクトです。すでにインドネシアで実施して病院機能を回復させ、今後の活動が期待されています。

企業市民として、社会の良き存在をめざす
日野自動車工業(株)の活動

創立50周年を機に新時代に向けた活動へ

 1992年5月、創立50周年を迎えた日野自動車では、大きく変革する時代を見据え、新たな企業理念を策定しました。「豊かで住みよい地球を目指し、新たな価値を創造し続ける」です。企業だけでなく、社員全員の課題としています。50周年記念事業の一環として設立されたのが、1991年設立の「財団法人日野自動車グリーンファンド」と、1993年に総務部に新設された社会貢献グループ。企業としての貢献活動は高校生を対象とした課題論文のオートスカラシップ(1968〜)や大学・研究機関への支援など教育・学術を対象に実施されていました。社会貢献グループの設立とともに、国際貢献・協力や社会福祉、自然環境、地域社会、ボランティア活動支援など、分野が広がり社員ボランティアも参加して厚みのある豊かな内容になっています。特に自然環境保全に関わる分野では、財団と企業が車の両輪として協力し、着実な活動を重ねています。社会貢献グループ長の小川はるみさんは財団の事務局長も兼務。企業のリソースを有効に活用しながら、プラスの相乗効果を生みだそうと活躍しています。

地域社会への活動には、子どもたちや市民も参加

 日野市、羽村市、茨城県新田町などに工場、施設を持つ日野自動車では地域社会の一員としての活動に力を入れています。その一つが工場見学。日野市では小学校の社会科目の一環として昨年、190校、1400名が日野工場とオートプラザ21と呼ばれる博物館を訪れました。市民の方々の見学要望にも応えます。社会貢献グループは小川さんを含めて現在5名。このうち3名が施設見学関係の担当です。工場見学の小学生にはバスをデザインした小さな木製の鉛筆立てが配られます。この製品は市内にある知的障害者の授産施設で作られたもの。日野自動車のデザイン部が作製に協力しました。毎年2千個ほどの鉛筆立てを購入し、知的障害者の社会参加活動を側面から支援しています。この他、夏休みを利用して茨城のテストコースや那須高原の保養所で行うサマーキャンプや自然探求ツアーなどに、市内の小学生や母子家庭の子どもたちを招待しています。行事には社員ボランティアが参加して子どもたちと一緒に遊び、世話係を務めます。
 社会福祉分野では地域の障害者施設「友愛学園」とのボランティア交流会や'95年から支援しているKIDSディズニーランドプログラムがあります。社員ボランティアが多摩地区の障害者を大型バスで送迎、朝から一日を共に過ごします。
 ボランティア活動に関する情報提供は、電子メールのほか情報誌「かわらばん」、社内報などのさまざまなメディアを使って広く社員に呼びかけています。緊急災害支援で現地サポートに赴く社員には旅費が支給され会社も支援しています。現在は170名ほどの社員がボランティアとして登録されているとのことでした。

自然環境保全の活動はグリーンファンドと共に

 財団の主な活動に身近な日常生活圏の自然環境保全や植樹・緑化、自然環境を守る草の根の市民団体活動への助成があります。多摩周辺には豊かな自然が残り、自然保護の市民団体が地道な活動を実践しているところ。財団の助成対象は全国規模で実施されますが、社会貢献グループは多摩地域の自然環境保全活動にスポットを当てて財団と協力体制をとりながら活動を推進しています。
 そのひとつが春と秋に開催される「森に親しむ集い」です。財団は裏高尾に8haの育成林を所有。森林育成に関わる経費を負担するかたちで東京営林局に協力をしています。「集い」は育成林で行われ、森林のクリーンアップ活動や自然観察会のあと、昼食を共にしながら自然に親しむもの。日野市の公報で広く市民の参加を呼びかけます。また社員や家族も参加して自然環境を守る大切さを実感してもらう試み。財団と企業とが一体となって行っています。
 自然環境を守る市民活動の中に八王子市・日野市を流れる浅川の水辺空間を考える市民団体があります。「浅川サバイバルレース実行委員会」もその一つ。財団で3年間の継続支援を実施した後、活動の意義と広がりを考慮して企業サイドで支援を行いました。環境問題では市行政にも協力してセミナーや環境市民団体との懇話会などに積極的に参加、社会ニーズを支援活動に生かす努力を重ねています。

小学校の校庭で米栽培。ユニークな試みを支援

 日野グリーンファンドの笠井専務理事から、財団のユニークな助成活動を紹介されました。日野市南平小学校の校庭で行われているお米づくりです。校庭に280m2の2面の田んぼを作り、体験学習の一環として栽培。田植えは4年生と5年生、刈り取りは6年生の役割です。田んぼに適温の水が流れ込むよう、池や自然庭園を校庭に配置。子どもたちは植物や水辺の小動物に親しみ観察しながら生きた勉強ができるのです。米づくりの指導は先生だけでは難しく、近隣農家のお年寄りがプロとして手伝っています。苗を植え、育て、刈り取りをして食べるまでの一連のサイクルを通じて、子どもたちは生態系のさまざまなことを学ぶとのこと。この一連の流れの中で、子ども、先生、お年寄りのコミュニケーションが重ねられ、現在の学校教育に不足しがちな側面を補っているようです。
 地域の自然環境を保全し、より良い社会をめざす活動は財団と企業との連携によって力強く推進されていました。

「よびもどそう浅川に清流を」を合い言葉に
 浅川サバイバルレース実行委員会

 現在、同会の事務局長を務めるのはオム設計事務所社長の大津和文氏。八王子市にある氏の事務所が実行委員会の事務局になっています。今年で10周年を迎えるこの会の発足は、八王子青年会議所がまとめた21世紀ビジョン「合流都市八王子」がきっかけでした。浅川は八王子市の東西中央を流れて日野市へ。両市は浅川の水辺にできたまちです。当時の青年会議所メンバーは浅川を「文化の源・母なる川」、「八王子市の背骨」と位置づけて街づくりビジョンを発表しました。当時このビジョンづくり委員長を務めたのが大津氏でした。
 この大胆な構想には多く市民や自然保護市民団体から異議や意見がだされました。しかしこれが契機となって、立場の違う者同士が互いに意見交換する機会や共に活動する行事も生まれました。浅川サバイバルレースは身近な自然環境に多くの人たちが目を向けてくれるように、との思いから出発したイベントです。年1回のレースだけではなく「源流ウォッチング」「身近な川の水質一斉調査」「環境フォーラム」を開催したり「浅川わくわくマップ」を作成するなど、市民、環境市民団体、行政、企業とのネットワークを広げる活動も実施しています。
 サバイバルレースは川の水量が最も増える7月に行われます。子どもから大人、お年寄りまで幅広い市民が多数参加、スタートの八王子市鶴巻橋から日野市の万願寺歩道橋まで11キロを趣向をこらした手づくりいかだ、既製カヌーボートで挑みます。同時に行われる「オープンかんとりレース」は空缶を拾いながら川を下り、拾った数を競うもの。レース参加者は参加料を支払うのが第1回からの決まりです。(中学生以上が一人¥1,500、小学生¥500)1994年には前夜祭に「平和祈願・浅川灯ろう流し」も開催され、参加者も倍増。市民、行政、企業が協力し身近な自然環境を考え行動する場としてさらに大きく広がっています。

(取材・文責 青木孝子)


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