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いま、社会の一員として

─ 地域社会との共生をめざす企業と市民団体 ─

山梨県
(No.50 1999 December)

 今回は山梨県を訪ねました。「環境首都 山梨」を提唱している山梨県には、日本の最高峰富士山が静岡との県境に、第2の高峰北岳が県西部に聳え、南アルプス、八ヶ岳、富士五湖など、雄大な自然と観光資源にも恵まれたところ。山梨を代表する果物にブドウと桃があります。取材にはサントリーの白州蒸留所と富士吉田市に本社のある富士急行を訪ねました。
 サントリーの歴史はワインから始まっています。創業者 鳥居信治郎氏が1899年、薬酒問屋「鳥井商店」を大阪に開業。8年後に「赤玉ポートワイン」を創製。社名を「寿屋」とした1923年には国産ウイスキーの製造に着手し、「寿屋」から「サントリー」に社名変更した1963年にビール、更に清涼飲料水へと事業領域を広げ、現在では食品、医薬、花、外食、出版、スポーツ、情報サービスへ分野を拡充。人と自然が響きあい共生することを基本精神に、国内外70社のグループ企業が世界18カ国でグローバルな事業活動を行っています。
 富士急行の母体は創業者 堀内良平翁が1926年に設立した富士山麓電気鉄道(株)と富士山麓土地(株)。当時の富士山麓は秀峰富士を仰ぐ大自然の景勝地とはいえ、溶岩流に硬く覆われた未開の土地でした。所によって、そこに土を運び、樹々を植え、自然環境を守りつつ緑豊かな自然を築きました。日本にまだ国立公園法が無かった時代に米国マウント・レーニア国立公園に学び、山麓開発の方針を樹立しています。大月〜富士吉田間に電気式客車が走りはじめたのは1929年です。1960年に社名を富士急行(株)へ変更。「富士を世界に拓く」を企業理念に運輸・交通機関に加え、多彩なアメニティビジネスを手がける総合リゾート・レジャー企業グループとして事業を展開しています。
 サントリーの活動は東京本社の勝田文化事業部部長と広報部菅原氏に、白州蒸留所は千野工場長に伺いました。富士急行の活動は富士吉田市の本社で伊藤総合企画部部長と渡辺不動産部長、広報宣伝課の山中氏への取材です。大切な自然環境の保全につとめる両社の活動を中心ご紹介します。


「人と自然と響きあう」を基本精神に、
 継続性を重視するサントリーの社会活動

社会活動の原点は「利益三分主義」

 創業者 鳥居信治郎氏は「利益三分主義」を信念とする信仰心の厚い大阪人でした。船場商人の昔からの伝統を引き継ぎ、貧しい家庭の子どもに奨学金を自ら出し、年末にはお餅を配るなど慈善活動に強い熱意を示しました。事業で得た利益は、顧客へのサービス、事業拡大の資源、社会への還元、の3分野へ配分する。この信念を持って事業活動を行い、1921年には最初の社会福祉事業として、大阪に「邦寿会」を設立。養護老人ホームや保育園の運営など、社会福祉事業に力を入れました。
 創業100年を迎えたサントリーの社会貢献活動の原点は、創業者の「利益三分主義」の精神に溯ります。そしてこの精神は「人と自然と響きあう」という創業以来の基本精神と共に二代目社長 佐治敬三氏に受継がれ、多様な文化支援や環境保全活動へと繋がり、今も生き続けています。

生活文化の創造を目指す多様な社会・文化活動

 文化活動の第一歩は創業60周年記念に開設したサントリー美術館です。佐治敬三氏が社長に就任した1961年のことでした。きっかけはその前年、佐治氏が欧州視察に出向き、彼地の地元企業がホールや美術館を保有し、地域社会へ文化貢献を行っている姿勢に触発されたこと。日本でも同様の役割を企業が果たす必要があると感じ、その結果が美術館開設になりました。当初所蔵品はなく、日本固有の伝統美を若い人々に伝える「生活の中の美」をコンセプトに展示を行いました。「所蔵品のないことがかえってプラスに作用し、自由な発想と企画力を活かした運営が可能だった」と勝田文化事業部長。創業70周年には音楽財団、80周年に文化財団とサントリーホール、90周年に不易流行研究所、そして創業の地大阪にサントリーミュージアム「天保山」を開館。一つのきっかけが次の出会い生み、佐治敬三氏の時代にサントリーの文化事業や支援活動は大きく広がりました。企業が行う文化支援は主に演劇と音楽分野で、いずれもプロフェッショナルが対象です。そして文化活動を行う上で最も重要な要素が「継続性」。一過性の支援では文化も環境保全も育ちません。継続性を持った活動、これが社会貢献活動の基本になっています。

愛鳥キャンペーンから始まった環境保全活動

 文化支援の活動はサントリーの企業イメージとして広く知られていますが、表舞台にあまり登場しない、もう一つの活動が自然保護への取り組みです。サントリーの基幹事業であるウイスキー、ビール、ワインはいずれも水と麦・ブドウなど農作物が基本。いわば自然の恵みを受けて成り立つ企業であり、企業にとって自然こそが最大の要素です。愛鳥キャンペーンは、高度経済成長に伴う企業の自然破壊、産業公害が大きな社会問題となった1973年にスタートしました。「Today Birds Tomorrow Man」を標語に、今日の鳥の運命は明日の人間の運命ですよと、環境汚染に最も敏感な野鳥をバロメーターに自然保護を訴えたもの。新聞広告による大々的なキャンペーンは、日本鳥類保護連盟の指導を受けての共同作業。10年間にわたり展開しました。そして創業90年周年を機に、愛鳥キャンペーンを更に充実発展させるべく、公益信託「サントリー世界愛鳥基金」を設定。自然保護は国境を超えた人類全体の課題との認識に立ち、野鳥・自然保護の専門団体と専門家を対象に活動資金を助成しています。年間助成総額は1千万円程度。10年目の今年は5団体の活動に対して助成が行われました。

白州蒸留所にバードサンクチュアリを造成

 白州蒸留所は中央線小淵沢から車で10分。甲斐駒ヶ岳の裾野、清冽な水に恵まれた白州峡にあります。25万坪の広大な敷地にはモルトウイスキーの蒸留所、酒樽の貯蔵庫、博物館や事務棟などが豊かな自然に溶け込むように配置され、まさに森林公園工場を思わせます。全国シェアの20%を占める「南アルプスの天然水」もこの敷地内の井戸から汲み上げる地下水が原料です。愛鳥キャンペーンの始まった1973年に開設した白州蒸留所は、企業が自ら自然環境保全を実践する事業所であり、日本の民間企業として最初にバードサンクチュアリ(野鳥たちの聖域)が設けられた所。一般に開放され、木々の間をぬう散歩道の森林浴と、バードウォッチングを楽しむことができます。バードサンクチュアリでの探鳥会は毎月2回、第2・第4日曜日の朝8時から。子どもからお年寄りまで毎回20名ほどの参加者が、日本野鳥の会メンバーのOB社員と共に双眼鏡片手に野鳥を観察。16年間続く探鳥会で記録された鳥は78種です。この他毎年1回、町内の幼稚園児を招いて鳥の巣箱作りと巣箱掛け、バードカービング教室も社員ボランティアの指導で行われていました。マスメディアを使った愛鳥キャンペーンや助成活動と共に、社会の一員として、事業所での環境保全活動も地道に実践されていました。

自然環境を守る環境調査、混成林の維持

 白州峡が蒸留所に選ばれた条件を、千野工場長から伺いました。(1)良質の地下水が豊富にある、(2)周辺が将来にわたって大規模開発されない。従って自然が壊されていない、(3)消費圏へのアクセスが良いの3点です。「開発の手が入らぬように飛び地を確保したり、年1〜2回は独自のチェックポイントを決めて自ら環境調査を行っています。自然は我々にとって生命線ですから」と、千野工場長。
 蒸留所には地下100m位から水をくみ上げる井戸があります。これがパイプラインでウイスキー醸造、ミネラルウォーター製造に使われています。年間100万トンほどの水を毎年汲み上げるため、森林を活性化させ源泉を絶やさない努力が求められます。良質な地下水の保持に重要な条件は、25万坪の森林が涵養林であること。工場周辺の森林はアカマツのほかにクヌギ、ミズナラ、コナラ、アセビ、ヤマザクラといった広葉樹が混った混成林で、野鳥や小動物の棲息に適しています。混成林の維持管理には専門の大学教授からコンサルティングを受けています。自然との共生は生産活動をする上で大変に努力がいることです。1973年の開設以来、たゆまぬ努力で豊かな自然環境を守り再活性させている白州蒸留所。清々しい森林公園工場に立ち、自然環境を守る強い意志と努力を感じました。

企業・行政、市民も参加する地域の環境保全活動

 良質な水に恵まれた白州町には食品、飲料水、ハイテク産業などが集まり、地下水を利用して事業を行っています。町長をはじめ、地元住民の危惧はこの豊かな地下水が枯渇しないかという恐れ。そこで昨年、地元企業5社が中心となり「地下水利用協議会」が発足しました。目的は白州町の地下水を将来にわたり安全に利用できるよう、適性かつ合理的な利用と水質保全を行うこと。地下水の涵養と保全の取り組み、生活用水の確保や地域企業の保全も目的です。年間10万トン以上の地下水を採取する事業者が協議会に加入する仕組み。初代会長は千野工場長です。協議会では、(1)涵養量の調査、(2)観測井戸の設置(5ヶ所)、(3)河川の水生生物の調査、を定期的に行います。水生生物の調査には地元小・中学校の生徒にも参加してもらい、水質保全や自然保護の大切さを体験学習します。これらの事業計画や調査資金は協議会のメンバー企業がすべて負担。企業が資金を出し合って運営する協議会は全国でも珍しい存在です。
 環境保全のためには、企業だけでなく、生活排水や農薬の問題、ゴミ処理、リサイクルも大きな要素です。自然に恵まれた豊かなまちづくりには、企業を含め地域全体の理解と努力が求められます。「環境首都」を提唱する山梨県では県内各ブロック毎に行政・企業・団体・市民が参加する「パートナーシップ会議」を設置。各地域のニーズを踏まえて生ゴミのコンポスト化やリサイクルなど、多数の市民ボランティアが参加して活発な活動を行っています。千野工場長は峡北地区パートナーシップ会議の会長でもあります。地域社会の人々と共に豊かな自然を守り育てる。継続性をもって文化支援や自然保護に取り組む。「人と自然と響きあう」という企業姿勢に触れた取材でした。

「富士を世界に拓く」を企業理念に環境保全に励む
 富士急グループの活動

 豊かな地域社会の発展を願い、富士山麓一帯を世界的な観光地にと創業された富士山麓電気鉄道(株)と富士山麓土地(株)。創業者堀内良平翁の経営理念は「富士を世界に拓く」であり、基本姿勢は「富士山の自然を守り育てる」ことでした。富士急グループの社会貢献活動は、この歴史と伝統を受継いで実践されています。社会貢献の主分野は社会福祉と環境保全。また冬期オリンピックで注目されたスピードスケートへの貢献も挙げられるでしょう。
 富士急行スケート部の歴史は古く、世界を目標に日本スケート界の選手育成をめざして設立されました。部員は女子選手だけで、現在監督以下コーチ1名、選手8名。国会議員の橋本聖子氏もかつて活躍した選手の1人です。1998年の長野オリンピックには4名の選手が出場し、岡崎朋美選手が女子500mで銅メダルに輝きました。富士急ハイランド・コニファーフォレストには公式競技用のスケートリンクがあり、未来のスケート選手をめざす小・中・高校生の講習会や競技会も行われています。指導は日本スケート連盟の強化コーチも務めるスケート部の羽田雅樹コーチ。スケートを通じてスポーツ分野への地域貢献も実施されています。

木を植えるのは部長決裁、木を切るのは社長決裁

 表土の薄い溶岩地帯に土を盛り、苗木を植え、緑を培い自然を創り出してきた同社の開発事業の基本は、環境保全とともに自然を蘇生させ、自然を創ること。富士吉田市にある富士急ハイランドの建設はダンプカー数千台分の土を運び入れることから始まりました。アカマツ、つつじ、白樺など2万本以上を植樹・育成して緑豊かな遊園地を造り、ジェットコースターなどの設計・配置も富士山の景観や騒音防止などを充分に配慮したもの。駐車場に自生する松は伐採せず、夫々を活かし自然の美しさを創りました。ホテルや道路建設の際も、一部ルート変更して大樹を保護したり、移植して、完成後、周辺緑化に活用するなど、自然破壊を避け自然を創りあげる姿勢を貫いています。「木を植えるのは部長決裁、木を切るのは社長決裁」。創業以来のこの方針に環境保全に対する姿勢が伺えます。
 富士山の自然環境に対する強い情熱と貢献は、創立45周年記念事業として1971年に刊行れた富士山総合学術調査報告書「富士山」にも見られます。華やかな記念事業に代わり、富士の自然にまつわる動・植物、地質・気象など、最高の専門学者を動員し、数年の歳月をかけて行われた自然科学的学術調査。学術的に貴重な貢献と高く評価され、これを凌ぐ総合的な調査報告はいまだ皆無です。

「富士山の自然を守り育てる」企業の取り組み

 バス事業をひとつの柱とする富士急行では、早い時期から「より公害性の少ないバスの運行」を責務と考えました。1974年、何とか登山バスの低公害化ができないかと、業界に先駆けてメーカーに研究開発を依頼しています。しかし、富士山5合目までの道路は長距離・急勾配の厳しい条件があり、当時の技術では実用化に至りませんでした。1990年代に入り技術開発が進む中で、東京ガスと日産ディーゼル工業の共同開発による低公害車CNGバス(圧縮天然ガスを燃料とするバス)が厳しい条件を克服。走行性能などのテスト結果を踏まえ更に改良を加えて、1995年に運行を開始。翌年、運輸省の正式な型式認定を得、国立公園内唯一の導入事例となりました。低公害車CNGバスは「緑の資源よ、永遠に」の思いを込めて「エバーグリーンシャトル」と命名され目下15台が運行されています。現在、日光と上高地で低公害のハイブリットバスが運行されていますが、窒素酸化物や硫黄酸化物の黒煙を排出しない低公害車は富士急CNGバスだけ。CNGガスの充填は当初県外からのトラック輸送に頼らざるを得ませんでした。そこで1996年に、富士急ハイランド内のガソリンスタンドの一角にCNGガスを充填する「エコステーション」を建設。地方公共団体保有の業務用CNGガス車両についても、充填の便宜を提供しています。CNGガスはディーゼルエンジンの軽油に比べて3.7倍、低公害車両も従来よりコスト高です。しかし「自然を守り育て」「地域とともに発展」を基本姿勢とする同社では、これを経営コストとして今後とも CNGバスの導入を増やす方針と伺いました。

環境保全を推進する多様な活動

 南富士にある同社の有料道路では低公害車の通行料は4割引です。広く自然保護意識の昂揚をと願うもので、全国有料道路で初の試み。全国各地の道路担当者から問い合わせがあり「最初の一歩を踏み出す意義を感じます」と広報宣伝課の山中さん。「富士急自然の森林」は創立65周年事業の一環として造成。若手社員が中心となって下草刈りや自然に適した樹木を植栽し、今後60年にわたり育てます。「山梨県緑の基金」への寄付活動は、毎夏行われるロックコンサートの収益金の一部に企業のマッチングファンドを加え毎年行う行事です。
 ユニークな取り組みはペットボトルの廃材を用いた素材を制服に導入した試み。これは若手社員が中心となって進めたもの。この素材を扱うメーカーは全国に1社しかなく、コストは1.5倍と割高ですが、富士急ハイランドの制服を更新する時期に30着を作製。いずれ全員がこのフリースを着用することでしょう。

全社をあげて行う「富士山登山清掃美化運動」

 「富士山をきれいに」の思いをこめて実施される富士山美化運動は1964年夏に始まりました。初回は堀内光雄社長(当時)を含め全社員が富士山に登り、ゴミ集めの清掃活動を。全社的な登山清掃活動は社業の節目となる周年記念事業に多く実施され、1992年からは新入社員研修の一環となりました。体験を通して、環境保全に対する企業の理念を学びます。夏期は企業にとって最繁忙期ですが、多数の社員が参加できるように日程が組まれます。一方、社員よるボランティア活動も活発で、富士五湖の釣り糸回収等の水辺清掃、野生生物の保護、植林などさまざま。
 富士急行独自の清掃美化運動の他に、地域の人々と共に行う「富士山環境美化クリーン作戦」には発足時から協力、多数の社員が参加しています。この活動は山梨日日新聞が拠出、富士急行も出資協力した財団法人「富士山をきれいにする会」が主催する環境保全活動。新聞とテレビが広く地元市民に呼びかけ、各市町村・企業・団体・市民が参加して毎年行うもの。昨年は6月から10月末にかけ延べ255団体、37,800人が参加。富士裾野から山頂にかけてのクリーン作戦を展開し、合計105トンのゴミを処理しています。日本の鉄道・バス業界初の環境国際規格ISO14001を取得した富士急行には、社員一人一人の中に環境保全に対する意識が育っています。

財団法人堀内浩庵会から始まった社会福祉活動

 創業者堀内良平翁は信仰心厚く、地域社会と共にを信条とする企業家でした。その遺志を継いで、1961年に財団を設立。高校生・大学生に対する奨学金の無償給付と環境教育の一環として地元中学生を対象に愛鳥の集いを開催、今日に至っています。奨学金は年2回、現在56名の学生に給付されています。社業を通じての福祉活動には富士急伊豆タクシーが運行する2台の福祉タクシーがあります。後部座席が90度回転し、身体の不自由な方々が比較的楽に乗降できる車両。乗務員2名が介護ヘルパーの資格を取得し、乗客への介助も。ヘルパーの有資格者、福祉タクシーの導入ともに増やす方針と伺いました。山中湖畔にある富士ゴルフコースでは、プレイヤー1人から社会福祉協力金として30円を受け、企業のマッチングファンドを加えて、毎年地元の社会福祉協議会と福祉事務所に贈呈しています。’75年からの贈呈金額は約2,400万円です。
 この他にも、毎春、地元の母子家庭の親子を富士急ハイランドに無料招待する活動を10年来続けるなど、地域社会の一員として、歴史に培われた地道な活動を実施していました。特に時代の変化や要請を汲み上げる先駆的な環境保全活動は、21世紀の企業にとって極めて重要な課題と感じる取材でした。

(取材・文責 青木孝子)


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