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いま、社会の一員として

─ 地域社会との共生をめざす企業と市民団体 ─

岡山県
(No.52 2000 April)

 今回訪れたのは岡山県です。県南は中国地方でもっとも広い岡山平野で、瀬戸内海に面した産業の中心地。中部は吉備高原、北部は中国山地の分水界で鳥取県と接しています。岡山県は古来、吉備の国と呼ばれ、大和に匹敵する勢力を誇ったところ。日本の伝統技術である玉鋼の製造、作刀技術に優れ、国宝の1割を占める刀剣のうち、7割が岡山産の備前刀です。マスカットや桃の名産地であり、多くの史跡や観光地もあります。今回は岡山市に拠点を構える林原グループと県北鏡野町に本社をもつ山田養蜂場を訪ねました。
 林原グループの原点は明治16年、岡山市旭川のほとりで創業された水飴製造業“林原商店”です。麦芽による水飴づくりでスタートした林原は、以来115年余、酵素糖化法によるぶどう糖の工業化、インターフェロンをはじめとする各種生理活性物質の工業的生産技術の確立など、絶えざる新技術開発へのチャレンジ精神で事業を拡大し、確固たる企業基盤を築いています。現在は20社のグループ企業、従業員1,600余名を擁し、食品素材、医薬品素材などの技術開発型企業グループとして、新時代に向けた事業を展開しています。
 山田養蜂場は、現会長の山田政雄氏が在来種ミツバチの飼育を始めた昭和23年の創業。心臓疾患をもって生まれた娘の健康を願って取り組んだローヤルゼリー研究のため、養蜂のスタイルを定置式に変え本拠地を岡山県鏡野町に。量産に成功したローヤルゼリーを主力に、蜜蜂製品・健康食品の開発製造と通信販売部門の両輪で事業を拡大しました。現在は2代目社長に就任した長男山田英生氏率いるミコーグループとして、社員215名、(株)山田養蜂場、(株)ミコー、サンテ(株)の構成で事業を発展させています。
 林原グループの地域活動を(株)林原の村嶋完治 広報企画グループ チーフディレクターに、山田養蜂場の活動を総務部長と社長室の藤善博人・畑玲子両氏に伺いました。また岡山県内の「市民活動の現状」を岡山YMCAの米良重徳氏に取材しましたので、あわせてご紹介します。


文化の創造と継承を支える力でありたい。
独自のメセナ活動を展開する
─ 林原グループの活動

人類と社会に真に役立つために

 林原グループの地域貢献やメセナ活動に触れる前に、同社の歩みと経営姿勢をご紹介します。デンプンを麦芽で分解する水飴づくりからスタートした林原には、創業以来、変わらないことが2つあります。1つはデンプン化学にまつわる酵素や微生物の研究をひたすら続けてきたこと。もう1つは、他社が手がけない困難なことに挑戦するチャレンジ精神です。「独自の発想とそれを実行する勇気と可能にする技術力。短期の利益を超えて、社会が本当に必要とするものを創造しようとする信念」これが同社の基本理念になっています。
 技術開発型企業を目指す林原では研究開発への投資は他社の数倍。短期的成果を求めず、20年、30年のスパンで研究を継続し、その過程で生まれた枝葉の技術は特許として「林原の玩具箱」と呼ばれる箱の中へ。必要になった時、取り出す仕組みですが、現存の設備、人などの面から、そのためにのみ必要となるような投資は避け「餅屋は餅屋」の考えで、その専門企業へライセンスとして供与。末端製品まで自社で手がけるリスクは取りません。現在保有する特許は5,000件。「会社の規模を大きくしない。収益の3割で会社経営を行ない、残りの7割はストックに当てる」。豊かな資金力をもってメセナ活動に取り組む林原グループの経営姿勢です。20社のグループ企業は(1)永続的経営の中枢を担う企業群(コアグループ)と(2)事業プロフィットセンターの企業群(マネジメントグループ)に分けられています。そして中核となるコアグループ8社は非上場です。経営者の決定に基づく長期的な研究開発投資や自主的なメセナ活動を推進するには、株主への気遣いをしたくないからです。

地場企業として「岡山を魅力的な街にしたい」

 地方の中小企業が大企業と同じことをしては決して生き残れないと同様に、地方都市が大都市と同じことをしていても人は集まりません。「岡山県から東京に流出している人口は約60万人。岡山市の人口とほぼ匹敵する数字であり、多くは首都圏の大学を卒業した優秀な人材。地場企業の果たすべき役割の1つは優秀な人材の受け皿になること。魅力ある企業を岡山につくり、地元の若者や大都市に流出した人材を受け入れる。その人たちが文化性の高いことに取り組み、文化活動が活性化されて初めて本当の文化都市が実現するのではないか」と、林原社長は語っています。ご紹介する林原の多様な文化支援活動は地元の活性化をめざす活動でもあります。

「文化とは心の継承」、林原グループのメセナ活動

 林原のメセナ活動の特色はメセナを企業組織の中に取り込んでいること。メセナ活動を社会の変化に対応する柔軟な思考をもつための最良の手段と考えていることです。先にご紹介した「コアグループ」、「マネジメントグループ」と並んで、「メセナグループ」が組織されています。「メセナグループ」の多岐にわたる活動の窓口としてメセナ開発グループが1991年に発足。(財)林原美術館、(社)林原共済会、林原自然科学博物館準備室、漆の館などをまとめ、健全なメセナ活動のコーディネーター役です。コアグループの中核である(株)林原が資金面を含めて全面的なバックアップを行なっています。
 第一回メセナ大賞に輝いた林原の考える文化支援は、先人から受継がれてきた伝統文化を守り育てる“こころ”の継承なのです。メセナ活動の基本理念には、(1)黒子に徹すること (2)オリジナリティーを持っていること (3)持続性があること (4)地域に根ざした活動をすること (5)モノに固執せずソフトを重視すること、が掲げられています。

(財)林原共済会がメセナ活動の第一歩

 こうした林原のメセナへの取り組みは古く“メセナ”という言葉が一般に浸透する以前から。1952年に社内の福利厚生を目的に設立された(社)林原共済会の活動が地域社会の文化・福祉へと拡がり、発展の源になっています。林原共済会は林原家所有の有価証券、関連各社からの寄付金を基本財源として、「地域社会への貢献」を念頭におき、公益的見地に立った福祉・文化活動を行ないます。福祉団体への援助・寄付活動、林原フォーラムの開催、芸術・文化・伝統武芸に携わる伝承者・技能者へ奨学金を支給するスカラーシップ制度、郷土の伝統文化・技術継承の支援など幅広い活動を行なっています。
 事業家として(株)林原の基盤を築いた先代社長(3代目)林原一郎氏は、東洋美術への造詣が深く、備前刀の名品をふくめ優れた美術品の蒐集家。これを地元に還元する美術館建設が念願でした。(財)林原美術館はこの遺志をついで1962年に設立されました。所蔵品は刀剣、甲冑、絵画、蒔絵、陶磁、能面・能衣束等と多岐にわたり、国宝や重要文化財も多数含む約5千点です。独自のテーマ展のほか特別展も開催し、林原グループの事業のひとつとして運営されています。岡山城天守閣を望み日本三大名園のひとつ後楽園に近い美術館は、市民や観光客の憩いの場でもあります。

先人から受継いだ価値にひかりをあてる

 地方には歴史に培われた伝統文化や工芸がありますが、中には経済的側面や後継者問題などで失われようとしているものも多くあります。これらを陰から支え次世代に伝えていく。これも地場企業にとって重要な活動と位置づけ、途絶える前に支援していくことも伝統文化支援の大きな柱です。
 世界に誇る鉄の芸術品、備前刀の復興もそのひとつ。作刀技術を後世に継承するため「刀剣研究室」を設立し、後継者育成を目的に「刀剣鍛練道場」も建設しました。衰退の一途をたどる備中漆の復興にも、岡山県郷土文化財団と共同で1994年から着手。官民一体のメセナ活動として注目されました。1991年に新設された「国際芸術・文化振興奨学金制度」は、世界の貴重な伝統芸術や文化の保存・振興を目的としたもの。現在消滅しつつある貴重な伝統芸術や文化に携わる伝承者を選出して奨学金を支給し、芸術活動を支援するもので、国籍や人数に制限はありません。将来有望な若手を中心にしています。

学術研究の振興と地域文化の向上をめざして

 1985年から毎年開催している「林原フォーラム」は、ノーベル賞クラスの世界的研究者・識者を岡山に招いて開催する国際シンポジウム。海外からの参加者は20〜30名、総勢60名ほどが一堂に会します。期間は約1週間。シンポジウムの企画は林原健社長を含む諮問委員会によって決定され、林原共済会が運営を担当します。地域の人々が世界レベルの知性に触れる機会とするため、期間中の1日を割いて、一般公開の講演会も開催します。15年にわたり継続するフォーラムは、メセナ活動の1つの核となる恒例行事です。この他、優れた医療研究者を表彰する「林原賞」や「林原国際癌研究フェローシップ奨学金制度」など、学術研究への助成活動も着実に実施されています。
 目下、岡山駅近くに(株)林原が所有する約14,000坪の土地の再開発構想が進められています。その中核施設が恐竜の化石などを展示する「林原自然科学博物館」です。開設準備はすでに7年前から進められ、その一環としてモンゴル科学アカデミー古生物センターと共同で地質学、古生物学の学術研究を行なっています。この博物館は、生物の進化過程を振りかえり「人間とは何か」「将来どう生きるべきか」を、入館者が一緒に考える施設を目指しています。21世紀初頭のオープンに向けて、数名の専門家やスタッフたちが日々準備を重ねています。
 メセナ活動に対する40年来一貫した基本方針は「会社の体力に応じたことを行なう」であり、林原が独自に考える自主企画の遂行です。冠イベントへの協賛や外部持ち込み企画への支援は行いません。「人間が主体」をキーワードとする林原。この視点に立って地域社会のために何が出来るかを考え、更に力強くメセナ活動を展開されることでしょう。



ミツバチから学ぶ「自然への感謝と畏敬」。
自然と人間社会との調和に貢献する
─ (株)山田養蜂場の活動

「一人一人の健康を守るために」を創業の精神に

 山田養蜂場は岡山県の北、中国山地の山あいの広々とした田んぼの中にあります。春にはあたり一面にれんげ畑が広がり、花々が咲きそろうと伺いました。数人の家族的な養蜂業からスタートした山田養蜂場は現在、社員215名のミコーグループとして事業を展開しています。
 ミコーの名前は鏡野町を流れる香々美川から「美香」の文字をとったもの。地域に生きる地場企業の郷土への愛情を表わしています。グループの中にハチミツ、ローヤルゼリー、プロポリスなどの製造を担当する(株)ミコーと、販売を行なう(株)山田養蜂場、クロレラなどの健康食品を扱うサンテ(株)があります。サンテはフランス語で健康を表わす言葉。ミコーグループは「広く社会の人々の健康を守るために」を創業の精神に、ミツバチからの贈り物を多様な健康食品や化粧品として全国へ出荷しています。

ミツバチから学んだ「企業理念」

 現社長の山田英生氏は大学卒業後間もなく、父(創業者)の志を継ぐために山田養蜂場(現ミコーグループ)に入社。1994年、36歳で社長に就任しました。ミツバチから学んだ「企業理念」の制定や「自然と人間社会との調和に貢献する」活動への取り組みは、山田英生氏が社長に就任した後から。ダイレクト・テレマーケティングシステムの導入による全国販売方式で、顧客数は数千から数十万人へと飛躍的に拡大。企業利益の拡大と共に組織体制も整い、地域社会の一員として昨年から本格的な貢献活動がスタートしました。ミツバチから学んだ企業理念は社長自らが作成されたもの。ミツバチの「自然との調和の姿」から「自然環境の大切さ」を再認識し、「自然と人間社会との調和に貢献すること」を企業規範とする。ミツバチの「勤勉さ」と「創造性」に学び、「自然の恵み」を人々の「心身の健康」に広く役立てることなどが謳われています。農業を原点とする企業としての貢献活動の柱は、このミツバチから学んだ「自然環境の大切さ」「自然との調和」を次代を担う子どもたちに伝える教育支援活動であり、地域社会の人々の健康で豊かな生活を支援する活動です。そして世界遺産保全の支援活動を行ない、社長自らも現地を訪ねて実践されています。

地域社会への貢献と子どもたちへの教育支援活動

 地域貢献活動のはじまりは、鏡野町社会福祉協議会の要望を受けて、福祉用ワゴン車や車いす対応の自動車を寄贈したこと。昨年は町の要望を活かしてゴミの分別収集車を贈っています。地元の高齢者施設や社会福祉協議会には、毎月寄付金を届け、本社周辺の美化運動として毎朝欠かさず道路清掃を行なっています。雪でも雨でも、10名程度の社員が朝8時からゴミを集め、地域の人々から感謝されています。地元の人々に関心の高い、「健康」「医療」「文化」などのテーマによる「ミコー文化セミナー」の開催は1997年から。それぞれの専門家を鏡野町に招き、今年の2月までに10回開催しました。運営は社員の自主的ボランティアによる手作りで、入場無料です。好評をえて、常に会場は満席となっています。
 子どもたちへの教育支援活動は社員ボランティアも参加する多彩な内容です。「ミツバチ文庫」は、“自然環境の大切さ”“自然への感謝のこころ”を伝える環境学習用の教材図書を、小学校に寄贈する活動。新聞紙上で公募し、岡山県内の全小学校461校と養護学校等11校、県外の小学校178校に10冊を1セットにして寄贈しました。「エコスクール」は子どもたちを山田養蜂場が所有する「ミツバチ牧場」予定地に招き、野外活動を通じて人間と自然の繋がりを学んでもらうもの。先生役は社員ボランティアです。昨年は7回開催し、ミツバチの生態観察や自然観察、採蜜体験など実施しました。8月の終わりには「夏休み親子ミツバチ教室」があり、この他、地域の小学校に社員が出向き、紙芝居などを使ってミツバチの生態から自然環境の大切さを学ぶ「ミツバチ教室」を開催しています。

「ミツバチの童話・絵本コンクール」

 昨年からはじまり21世紀に向けて大きく育てようと取り組む活動がミツバチをテーマとした童話・絵本のコンクール。ミツバチを通じて自然とのつながりや、心の豊かさ等を表現した、子どもたちに夢を与える作品を募集し、作品を通じて子どもたちの“こころ”を育むことが目的です。昨年は全国版の新聞紙上で公募した結果(年齢制限なし、プロ・アマ不問)、海外を含め予想をはるかに上回る4,224編の作品が集まりました。識者による審査を経て最優秀賞を含め10作品が入賞。岡山市内で開催した表彰式には400名を超える人々が出席し、素晴らしい作品群を熱心に鑑賞。回を重ねるごとに子どもたちの心に「命の尊さ」や「他者を思いやる心」が芽生え、人々に共感の輪がひろがることが期待されます。“こころ”に響く作品の出版も予定しています。

「世界遺産保全活動」への支援など

 養蜂業の国際会議や業務など、海外出張の機会も多い山田英生社長自らが取り組む活動に「世界遺産の保全活動」支援があります。この支援活動は「文化に貢献するだけでなく、自分自身の歴史観を育て、地球人として人類共通の視点で物事を捉えられる」と、山田社長は話しています。支援は単にお金やモノを贈るのではありません。専門家と共に社長自身が現地に赴き、そこで活動している現地の人々に会い、本当に必要としているものを提供する活動です。ペルーのワスカラン国立公園では密猟者を取り締まるパトロール車が1台しか無いと聞き、最新の四輪駆動車を寄贈しました。日本からの輸出に当たってはトヨタ自動車と三井物産の全面的な協力があったとのこと。また、自立支援の一助にとネパールに植樹・教育・養蜂支援のボランティア活動も計画中です。企業規模は小さくとも、地球規模で物事を考え、企業利益の一部は地域社会へ還元する。地場企業の心意気を感じる取材でした。



「子ども、環境、国際、福祉」さまざまな市民団体のネットワークを構築する
─ 岡山YMCAの活動

 人口100万都市の広島と60万の岡山。しかし、NPO法人の取得数はほぼ拮抗しているとのこと。1998年に発足した岡山NPOサポートネットワークをはじめ多くの市民団体が集まり、ネットワークを組みながら活動している拠点。それが岡山YMCAです。その求心力は常務理事を務める米良重徳氏のお人柄と志、行動力にあると感じました。
 米良さんは組織強化の命をうけて、1984年に神戸YMCAから岡山へ。神戸YMCAでキャンプや体育活動など青少年活動を担当した米良さんは、香港で勉強する機会やシンガポールYMCAに出向して日本人コミュニティにサービスする仕事も経験。「いつか青少年活動と国際活動を両輪とした仕事を」と望んでいました。小規模のYMCAであれば全体を動かして多様な活動が可能です。岡山ではその志に沿って仕事を推進し、1987年には「南北ネットワーク・岡山」という、ネットワーク型の国際グループを結成。当時岡山にあった14〜15団体のNGOが加入しています。
 目下の課題は自己責任と社会的責任に培われた「NPO社会」の構築です。これを岡山にどう作りあげていくか。既に子どもの健全育成や環境、福祉・介護、国際など、さまざまな市民団体がYMCAに集まり、ネットワークを組んで活動する動きも始まりました。社会福祉協議会や市からの支援も得て啓発活動も活発になりつつあります。企業からの支援は次の課題ですが、NPOが社会性の備わった説得力ある組織になることが第一歩。行政や政治に対しても影響力のある団体に育たないと「NPO社会」の実現は難しいと米良さん。経済界に商工会議所があるように、NPO協議会といったものをつくれないだろうか。NPOに関わる人、関心を持つ人たちの意見や考えが反映されるような社会をと願う熱い思いが伝わる取材でした。

(取材・文責 青木孝子)


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