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いま、社会の一員として

─ 地域社会との共生をめざす企業と市民団体 ─

兵庫県神戸市
(No.55 2000 秋)

 今回の訪問地は阪神・淡路大震災から5年を経過した兵庫県神戸市です。復興事業によって神戸の表舞台は見違えるように整備されています。しかし一歩路地裏に入ると、震災による爪痕がまだあちこちに見受けられました。
 本州のほぼ中央に位置する兵庫県は、近畿圏経済の推進力として大阪府と共に大きな役割を果たしているところ。古くは摂津(現・阪神)、丹波、播磨、但馬、淡路に分かれ、歴史的・文化的にも特長のある地域です。
 取材先は神戸を発祥の地とする(株)ダイエーと六甲アイランドに本社・テクニカルセンターのある外資系企業P&G(プロクター&ギャンブル)ファー・イースト・インクです。
 ダイエーの創業は1957年、大阪千林駅前にオープンした「主婦の店・ダイエー薬局」が1号店でした。当時としては画期的な安売り商法で事業を伸ばし、薬品から食料品、生活関連商品へと分野を拡大。1958年には神戸市に主力店舗「三宮店」をオープンしてスーパーマーケットのチェーン化第一歩を踏み出しました。流通革命の旗を掲げ、企業理念である「For the Customers−お客さまのために」をモットーに事業活動を行なっています。
 P&Gは米国オハイオ州シンシナティに本社のある家庭用一般消費材メーカーです。ウイリアム・プロクターとジェームズ・ギャンブルの両氏によって1837年に創業されました。社名は創業者のラストネームからつけられたもの。「世界の人々の、より良い暮らしのために」をスローガンとしてグローバルな事業を展開しています。現在、世界70カ国以上に事業所を持ち、販売活動は約140カ国。日本での事業開始は1973年です。1993年、神戸六甲アイランドに本社屋を建設。現在、国内の従業員は約5,000名で、本社には外国人約300名を含む1,600名の社員が働いています。
 ダイエーの社会活動を地球環境・社会貢献課の高田かおりさんと宝塚中山店次長の友成好男さんに、P&Gの活動を広報・渉外の岩原雅子渉外マネージャーと大津美留さんに伺いました。また、震災直後から「震災・活動記録室」で活動され、現在は「市民活動センター・神戸」の代表を務める実吉威さんにセンターの活動内容や大震災後の地元のNPO活動について伺いました。


「For the Customers〜お客さまのために〜」を企業理念として
ダイエーの社会活動

お客さまのライフラインを守る

 ダイエーグループのチェーン店が最も多く、「ダイエー村」と呼ばれた神戸三宮。そこを直撃した阪神・淡路大地震によって殆どの店舗が被災しました。ダイエーのお客さまである地域の人々にとって、水や食料品は欠かせないライフラインのひとつです。震災の現場で、被災者が一番必要とする商品を提供する。これが流通業の使命と考えたダイエーは、大震災直後から行動を開始しました。創業者中内会長自らがヘリコプターで現地入り。全社一丸となって商品と物流を確保。あらゆる手段を駆使して神戸へ商品を輸送し、被災した人々へ商品を販売する努力を続けたのです。店舗が全壊し販売ができない場所でも、電気だけは点けました。寒々と暗い被災地に煌煌と電気を灯す。それだけでも被災者の心に灯かりが点り、希望の光になるかも知れない。「お客さまのために」を企業理念とするダイエーの企業姿勢の表明でした。
 全社体制による阪神大震災現場への物資補給の支援経験は、その後「災害時マニュアル」の大改定へ繋がりました。「全国どの地域で震災があっても、そこに私どもの店舗さえあれば、商品を提供できる仕組みだけはできました」と高田かおりさん。この経験は北海道有珠山噴火災害時にも活かされ、噴火終息時までローソン伊達店の営業を継続し、地域の人々に喜ばれました。

地球環境部・社会貢献部の発足

 1992年に新設された地球環境部と社会貢献部は「消費者サービス室」から発展的に独立した部署です。高田さんは「消費者サービス室」在籍時代から、高齢社会を視野に入れた店舗づくりを提案していました。個人で参加した北欧視察のスーパーマーケットで、楽しそうに買い物をする車いすのご婦人たちに出会い、目から鱗の衝撃を受けたといいます。ダイエーでも是非こういう光景をつくりたい。高齢者・障害者が自由に買い物できる店舗を日本全国に広げたいと、会社に働きかけました。その結果1991年、ダイエー全店(当時360店舗)で既存施設の調査を開始。各地域の障害者・高齢者を各店舗に招いての実態調査の結果は、山のような課題。高齢社会に対応するには店舗施設の改善が必須でした。「既存店では難しくとも、新設店舗は是非ともバリアフリー設計で」。提言書はトップの承認を得、社会貢献部新設へ繋がり、現在の人にやさしい店づくりがスタートしました。

本業を通じて、社会と会社に貢献できる活動を

 社会貢献に対するダイエーの基本方針は「本業を通じて」行なう活動です。消費者に一番近い流通業の特性を活かし「売場」「商品」「店舗」「従業員」の4つを通じて活動することが基本原則になっています。企業によっていろいろな考え方があり、本業以外で行なう活動を社会貢献と位置づける向きもありますが、ダイエーでは「社会にも利益があるが、会社にも利益がある」が社会貢献活動の基本。「厳しい経営環境下にあっても社会貢献活動への予算が確保され、活動が継続されています。本業を通じて、社会への貢献と共に会社にも利益があるところをきっちり掘り下げていく。これが担当者の役割だと思います」。高田さんの答えは明快でした。

人にやさしい店づくり

 高齢者・障害者の方々による全店調査の中で、最も多い改善要望はトイレでした。古い店にも洋式を取り入れ、新店舗は全面的に洋式を採用。また「車いす専用トイレ」は「多目的トイレ」に名称を変更し、誰でも使えるように変えています。
 今回訪問したダイエー宝塚中山店は97年のオープン。車いす用の駐車スペースから楽楽と店内に入れます。広々とした通路と買い物スペース。各入口にはインターホンがあり、必要に応じて介助を受けることができます。歩行困難な方のための電動スクーターや車いす。買い物用カートも6種類あり、ゼロ歳児・幼児連れの顧客用、車いす用、多・少量の買い物用など、ニーズに合わせたきめ細かさ。電話機や自動販売機の使い勝手等、優れた施設整備でした。
 人にやさしい店づくりには、ハードとともにソフト面の対応も重要です。このための教育研修には特に力を注ぎ、障害者・高齢者への応対に関するマニュアルやハンドブックを作成。採用時に行なう社員研修の中でマニュアル、ハンドブック、VTRを活用した教育が実施されるほか、全店舗のパート雇用者を含めて全従業員必須の社員研修です。ハード・ソフト両面でのバリアフリーが実践されていました。
 お客さまの声を聞くという企業姿勢にもとづいて店舗毎に「店長直行便」の投書箱があり、毎月1回、「お客さま重役会」が開かれています。重役会はお客さまの応募で、毎月8〜10名が参加。企業と顧客による意見交換や情報提供が行なわれます。お客さまの声は全店で集計され現場に反映されます。

地域社会の要請を受けて

 兵庫県では、中学2年生になると「地域に学ぶ・トライやるウィーク」として、一週間学校を離れた体験学習が行なわれます。将来自分がやりたい仕事や、日頃興味を持っていることに全員がチャレンジする機会で、交通機関や工場、商店、福祉施設で仕事を体験する企画です。宝塚中山店でもオープンの翌年から中学生の受け入れを始めました。今年は宝塚市の3校の中学生が来店。毎回10名ほどの生徒たちが作業服に着替えて商品の補充、値づけ、パック詰め作業などを経験。生徒たちは、体験を通じて学んだことを作文で発表します。
 地域の養護学校からの要請による研修受け入れは各校の先生方と連絡を取りながら、生徒達の障害度に合わせて仕事現場の体験研修が実施されています。古くから継続されている研修で、障害があっても働きやすい職場環境が整備されてのこと。障害者雇用率は約2.1%(5月末現在)。知的障害を含めさまざまな障害を持つ社員が各職場で活躍しています。

介助犬を伴うお客さまへの対応も

 盲導犬には法的認知がありますが、聴導犬や介助犬にはなく、公共の場に自由に出入りすることができません。ダイエーでは '93年に盲導犬を、'97年に聴導犬、'99年から介助犬の受け入れを始めました。介助犬受け入れの第1号がこの宝塚中山店です。一人でも多く人々にワーキングドッグを理解していただこうと、ふれあい教室も開催しています。
 宝塚市には介助犬シンシアと共に介助犬の法的認知に向けて活動する木村佳友さんがおられます。木村さんはオートバイの転倒で頚椎を損傷。車いす生活を余儀なくされ、両手も不自由で物を取ることも拾うこともできません。シンシアは木村さんの言葉60種類を聞き分けます。コンピュータ技術者として三菱電機の在宅社員である木村さんの身体の一部であり、良きパートナーなのです。
 木村さんとシンシアの活躍で宝塚中山店から始まった介助犬受け入れ。今は地域一体に広まり、殆どの商店に介助犬受け入れのステッカーが貼られています。ダイエーの「人にやさしい店づくり」が「人にやさしい街づくり」へと発展し、地域全体が障害者・高齢者・健常者の分け隔てなく「やさしいまち」になる。環境に負荷を与えないダイエーの3R(Reduce=減量、Recycle=再生利用、Reuse=再利用)活動と共に、暮らしやすい豊かなまちづくりの一端を担いたい。社会貢献活動を推進する高田さんの願いが心に響く取材でした。



「世界の人々の、より良い暮しのために」地域社会の繁栄をめざす
P&Gの社会活動

「地域社会の繁栄と発展に寄与する」を基本姿勢に

 米国オハイオ州シンシナティに本社のあるP&Gは、同地を代表する企業。160年の歴史を持つ同社のコミュニティへの思い入れも格別です。多くの市民が働く職場であり、地域住民との相互信頼も培われてきました。国土の広い米国で優秀な人材を確保するためには、地元出身者に限らず、さまざまな大学の卒業生に定住してもらうことが必須要件。魅力的なまちづくりは地元企業にとって重要課題です。教育・文化・レクリエーションの場が整備され、社員と家族が質の高い、文化的な生活を享受できる。企業は魅力あるコミュニティづくりに貢献し、自治体や市民と共存共栄をめざす。これが米国企業のコミュニティに対する基本姿勢であり、「日本と米国では事情が異なりますが、基本は同じです」と、コミュニティ担当渉外マネージャーの岩原雅子さん。「しかし企業は、健全なビジネスを維持発展させる社会的責任があります。社員・株主そしてビジネスパートナーの発展に寄与し、そして地域社会の繁栄にも貢献する。これがP&Gの基本的な考え方です」と続けました。

国際都市神戸をアジアの拠点として

 日本での事業開始は1973年、大阪からのスタートでした。神戸六甲アイランドに日本本社・テクニカルセンターが完成したのは1993年です。この20年間、P&Gは日本の消費者の品質に対する要求水準の高さと共に、国内メーカーとの競争という厳しい試練を経験しました。しかし世界を視野に入れた国際企業にとって、日本市場は魅力的であり、日本の消費者を満足させる製品の研究開発は大きなチャレンジでした。現在も、さまざまな国籍の多様な研究者によって、グローバルな視点からの研究開発が行なわれています。
 P&Gが神戸を日本の拠点に選んだ理由は次の3つです。(1)交通の便が良いこと。新幹線駅や国際空港に近く国内外の出張に便利。(2)社員に良き生活環境を提供できること。P&Gには約20カ国、300人に及ぶ外国人社員が働いています。神戸には住居、学校、病院、教会など英語で暮らせる環境があり、日本人社員にとっても通勤や住宅取得などの利便性があります。(3)神戸の持つインターナショナルなイメージが、「発展を続ける国際企業」というP&Gのイメージに繋がること、です。日本のP&Gが取り組む地域社会への貢献は、これらのポイントを基本に実施されています。

阪神・淡路大震災を経験して

 六甲アイランドに30階建ての日本本社・テクニカルセンターが完成した2年後、阪神・淡路大震災に見舞われました。幸い社員は全員無事。本社の建物の構造には損傷はありませんでしたが、内部の修復と徹底的な安全点検のため5ヶ月ほど大阪の仮オフィスに移転しました。
 震災直後から被災社員へのサポート体制を確立するとともに、地域への支援活動もスタート。混乱の中で被災地からの企業流出が懸念された中、1週間後に「P&Gのホームタウンは神戸。オフィスの整備が終わり次第戻る」と発表。と同時に地元被災地支援のために100万ドルの基金を設立しました。基金は震災遺児への奨学金、教育機関への寄付、緊急避難場所への生活物資の提供などに活用。自社製品の生活用品の配布には社員ボランティアが活躍しました。震災後にできた地域の復興委員会にも参加。震災を乗り越えた強い連帯感を持って、現在は「地域振興会」に参加しています。
 震災を契機に、ボランティアに対する理解や災害で被害を受けた人々を思う気持ちが、社員全体に深まりました。トルコや台湾の地震、インドのサイクロンに対する支援も自主的な社員募金によって行なわれています。受付に置かれた募金箱に、「10万円入の封筒もあり、びっくりした」と岩原さん。被災経験は社員の意識にも変化を与えています。

公益信託「神戸まちづくり六甲アイランド基金」

 神戸に根を張る企業市民として、積水ハウス(株)と共同で1996年に設立したのが「神戸まちづくり六甲アイランド基金」。これは国際的で文化的な神戸の地域環境づくりに貢献しようというもの。当初1億7千万円(積水ハウス 1億円、P&G 7千万円)の信託財産で始めましたが、その後両社から同額の追加信託や、関係各方面からの寄付によって、現在の基金は7億5千万円。最終目標額は10億円としています。
 基金から国際性豊かで文化的な神戸のまちづくりに寄与する活動へ毎年助成を行なっています。対象は(1)国際的なコミュニティづくり、(2)文化的な都市環境づくり、(3)これらに関する広報・調査・研究活動です。例えば、外国人への日常生活や医療情報のガイダンス活動、日本人と外国人の子どもたちの交流活動、地元の人たちが自主運営している国際性豊かな「コミュニティライブラリー」等への資金助成で、通算100件ほどの活動を支援しています。

地域社会に役立つ活動を

 また、芸術・文化振興の一助として、本社屋の一角をギャラリーとして開放しています。ひとつは「神戸市民文化振興財団」の推薦による作品を展示する「タウンギャラリー」で、神戸にゆかりのある芸術家の作品を地元の人々に楽しんでいただくもの。2ヶ月ごとに入れ替え展示されます。もうひとつはP&Gが独自に企画運営する「P&Gギャラリー」。六甲アイランド内にある芸術専門学校の生徒や地元小学生など、アマチュアの作品を紹介する場。地の利の良い屋外ギャラリーは地域の人々に大変喜ばれ、2年先まで展示予約が入っているとのことでした。
 また昨年は、近隣の企業や学校、住民と協力し、六甲アイランド・コミュニティとして、コソボ難民への支援活動を行ないました。P&G本社ロビーを支援物資の受付場所に提供。社員がボランティアで物資を仕分けし、梱包をし、募金活動で寄付金を集めてコンテナ3台分の物資を送りました。地域のボランティア活動や福祉活動を企業の力で支え、より充実した内容にしようとの試みです。
 P&Gが日本社会の意識変革の一助にと進めている運動のひとつが、「女性がより働きやすい社会へ」の啓発活動。同社の女性比率は50%近く、意欲ある女性が仕事と家庭を両立し、能力に合わせてキャリアを伸ばす仕組みが作られています。「少子化の進む日本社会の中で、意欲ある女性たちが子育てをしながら社会で活躍できるよう、情報発信型の支援活動を展開したい」。岩原さんの瞳が輝いていました。



震災の市民情報ボランティアから、市民活動のセンターへ
市民活動センター・神戸

 「市民活動センター・神戸」代表の実吉威さんは大震災直後、震災ボランティアの活動記録の収集と被災者への情報発信を行なう「震災・活動記録室」で活躍。3年後に「震災しみん情報室」に名称を変えて、被災市民だけでなく、一般市民にも情報提供をする情報ボランティア活動へ。その過程で、市民団体の『グループ名鑑』の作成も手がけ、市民活動を行なう人々への活動支援へと発展しました。そして昨年、3回目の飛躍で市民活動の支援組織「市民活動センター・神戸」として、新たな船出を行ないました。
 「大震災から5年を経過して、ボランティアの姿は大きく変化しています。震災直後の緊急救命的な活動から、被災者の生活支援や破壊されたコミュニティの再構築支援へ。この過程で専門性と継続性を持った組織が徐々に成熟してきました。今は被災者支援というテーマから平常時の助け合いやまちづくりと言う普遍的なテーマへと変化しています。閉塞感に満ちた既存のシステムに新しい風を吹き込む。これが新しい市民活動のあり方です」と実吉さん。
 コンセプトを市民活動のセンターと明快にした直後から、活動内容も大きく変化。現在は自治体の委託事業や自主事業を柱に寄付・会費・助成金を駆使して組織運営を行なっています。スタッフは有償の専従5名とパート2名。いずれも20〜30代の優秀な女性です。委託事業は緊急雇用対策事業の一環として行なわれている神戸市の人材派遣事業と兵庫県の生活復興支援事業。人材派遣は神戸市が1期6ヶ月間、給与を負担。専門性ある人材を市民団体に派遣し組織のレベルアップと強化を図るのが目的です。県の事業も期間限定で2年間継続。生活復興の枠の中で雇用対策につながる事業提案を行なうもの。実吉さんはこれまでに培ったネットワークを活かし、生活復興事業では33団体による27種類の事業企画を提案し受託しました。この経験をもとに事業開発を強化して、市民活動のプロフェッショナルの育成に力を注ぎたい。相互扶助の精神に培われた豊かな市民社会の実現に尽力される実吉さんの情熱が伝わりました。

(取材・文責 青木孝子)


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