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いま、社会の一員として

─ 地域社会との共生をめざす企業と市民団体 ─

沖縄県
(No.56 2001 冬)

 21世紀の幕開けを飾る今号の訪問先は、日本の最南端、最西端に位置する沖縄県です。東西1000km、南北400kmに及ぶ広大な海域に点在する大小160の島々で構成されている島嶼県の沖縄。最も大きな島は沖縄本島、次に西表島、石垣島、宮古島の順で人の住む有人島は42ほど。台北、上海、香港、マニラなどアジアの主要都市、中国、東南アジア、オセアニアにも近く、14世紀から16世紀にかけて海外との交流・交易が盛んに行なわれました。この地理的、歴史的特性を活かして、日本の南における国際交流の拠点として県づくりを進めています。また同県は、第二次世界大戦で全県民の3分の1に相当する人命を犠牲にするという、厳しく悲惨な地上戦を経験した土地です。沖縄では、他人の苦しみに対して「かわいそう」といった言い方をせず「肝苦しい(チムグルサン)」と表現します。「胸が痛む、心が苦しい」ということ。国や人との交流にも「こころ」を尊び、相手を思う気風が培われています。県土の11%が米軍基地であり、第3次産業が全産業の7割を占めます。昨年開催のサミットを通じて、沖縄の歴史文化と「こころ」が広く世界に発信されたことでしょう。
 取材先は琉球銀行と沖縄電力、そして地場産業の大東(だいとう)エンジニヤリングです。琉球銀行は米軍統治下の1948年、米国軍事政府布令に基づき、中央銀行的色彩の強い特殊銀行として設立され、本土復帰後に普通銀行としてスタートしました。沖縄のリーディングバンクの1つとして、厳しい経営環境下においても地域社会への貢献活動を継続しています。沖縄電力の設立は1972年。島嶼県という厳しい条件を抱えながらも、発電所や海底ケーブルによる電力流通網の整備などに取り組み、39の有人島に24時間の電力供給を行なっています。「地域とともに、地域のために」をモットーに、地域社会への貢献にも積極的です。大東エンジニヤリングは総合建設コンサルタントとして、公共土木事業などの企画立案から調査・設計・施工管理等を行なう従業員50名の地場企業です。大城榮篤(おおしろ えいとく)社長の強い理念のもとに、小規模ながらアジア、特にベトナムとの交流に尽力しています。市民活動については、2000年2月に発足した「那覇市NPO活動支援センター」を訪ねて現況を伺いました。


地域社会とともに、「温かく、なが〜いおつきあい」をスローガンとして
●(株)琉球銀行の地域貢献活動

沖縄の本土復帰日から、銀行法にもとづく普通銀行としてスタートした琉球銀行は、1983年に県内企業として初の株式上場を実現。「ふるさと沖縄と共に歩む銀行」として、県内各所の支店ごとに地域に根ざした社会活動を実践してきました。創業40周年の1988年には、記念事業の1つとして「りゅうぎん国際化振興財団」を設立するなど、社会貢献活動にも積極的に取り組んでいます。
1997年に総合企画部内に「地域貢献室」を設立。地域貢献活動に対する地元の要請を受け入れる窓口と、社内への情報発信機能を1本化して全社的な取り組みを始めました。今回の取材は、地域貢献室の照屋(てるや)室長を中心に、財団担当の総合企画部玉盛(たまもり)調査役、営業統括部の石川次長、人事部の西銘(にしめ)調査役から具体的な活動内容を伺いました。

「りゅうぎんユイマール助成会」の活動

取材を通じて、必ずと言っていいほど聞いた言葉に「ユイマール」があります。「相互扶助」の意味合いで、沖縄社会には古くから「ユイマールの精神」が根づいていることを実感しました。
「りゅうぎんユイマール助成会」は琉球銀行で働く社員が自主的に参加して、募金協力や助成を行なう社内組織です。地域社会への貢献活動の一環として1993年に設立されました。助成会は趣旨に賛同する全役職員で構成され、会員は毎年2回、賞与時に役職に応じた会費(役員5千円、役付者3千円、行員2千円が1回あたりの目処)を納めます。1回に集まる金額は300万円から400万円ほど。またこの金額と同額が銀行から助成会に拠出され、同会の口座に積み立てられます。助成会の事務局は地域貢献室。地域社会から要請される支援依頼に対して「ユイマール助成会運営委員会」の審議を経て寄付や物品等の助成が行なわれます。支援分野は社会福祉と環境保全で、公共的な役割の有無が判断基準。現在は福祉関係への支援が中心です。毎年行なわれる「赤い羽根」への寄付、各市町村の社会福祉協議会への寄付・助成のほか、各地域の小さな社会福祉団体や市民活動団体からの依頼にも応えています。

沖縄の国際交流の振興に貢献する財団活動

沖縄県にある「国際化」を標榜する財団法人は2団体。ひとつは県の「国際交流財団」。「りゅうぎん国際化振興財団」は民間唯一の「国際化」財団です。創設以来12年に及ぶ活動の中で沖縄県の国際化振興に大きな役割を果たし、特に観光を基幹産業とする沖縄に益すべく、継続的な事業活動(自主事業と助成事業)を実践してきました。自主事業は、(1)異文化交流に関する出版。外国人のための「日本語会話本」、日・米語併記による「沖縄社会・経済要覧」「観光ガイド」「民話」など。要覧は最新統計データが項目別に分類整理され、内外から評価の高い沖縄社会経済概観書です。(2)日米2カ国語で学ぶ国際教養講座の開催。(3)産学共催セミナー海外研修。「観光リゾート・国際セミナー」の開催などで、1993年からはハワイ大学観光産業経営学部と共催で実施し、財団は1週間の研修授業料、テキスト翻訳料、講師料などを負担します。助成事業は個人、グループ、団体などが実施する国際交流事業への支援で、応募資格を限定しない門戸開放型の助成を行なっています。
沖縄の国際化に多くの足跡を残した財団活動ですが、自主事業は20世紀をもって一応の区切となりました。次年度以降は、新世紀に向けた財団のあり方を模索して助成を中心とした活動が検討されます。

伝統文化・技術の継承保存をめざす活動

沖縄の伝統文化である「紅型(びんがた)」への認識を深め、伝統技術の継承とデザイン力の向上など、創造的な場を提供する。「りゅうぎん紅型デザイン公募展」はこの目的をもって1992年に始まった貢献活動で、担当部門は営業統括部です。県内のマスコミ等を通じて毎年7月に作品を公募。回を重ねるごとに応募者が増え、紅型の専門家ばかりでなく高校生から主婦までの幅広い層から作品が寄せられます。9回目の公募は74点の作品が集まり、専門審査員の審査を経て、大賞、技術賞、デザイン賞、奨励賞が決定。100万円から30万円までの賞金が授与されました。昨年の大賞は初めて男性が受賞。作品は沖縄の伝統芸能である「エイサー」をモチーフとしたもので、躍動感に溢れ、伝統と斬新性がマッチした見事な出来栄え。応募作品は県内会場で一般公開され、受賞作品は銀行のカレンダーや広報誌、通帳・カードの図案として活用して広く紹介します。紅型の素晴らしさを更に多くの人々にも知ってもらうべく、ホームページ(http://www.ryugin.co.jp/)を通じて全国に紹介し、その普及にも努めています。

スポーツを通じた地域貢献活動

バレーボールと卓球は沖縄で大変ポピュラーなスポーツです。スポーツを通じて地域社会への還元を図りたい。琉球銀行は1980年に女子バレーボールチーム(9人制)を人事部に設立して活動を開始しました。監督は人事部の西銘さん。現在、部員は10名の少数精鋭でそれぞれ本店営業部や支店などに勤務しています。練習は終業後や土日休日が原則。大会や競技会への参加は職場ごとに上司の了解を得てから。地域社会への還元活動は地元の要請を受けて、ママさんバレーや小学校のバレーチームと一緒に練習しながらの指導です。昨年からは障害者と健常者が共に交流する「バリアフリー・バレーボール」の趣旨に賛同し、年3回開催される大会を銀行が共催・支援しています。大会の運営・会場設営、競技への参加はバレー部が積極的に行ないます。「りゅうぎん卓球スクール」は青少年の健全育成と地域社会のスポーツ振興への寄与を目的に1998年から開校。毎週末に開催されるスクールは大人から小・中学生まで60名を超す市民が参加。指導は卓球部の現役とOB、大学の卓球部員で、地域の人々と親睦をはかりながら、健康増進に寄与しています。

音楽を通じた文化面での貢献活動など

沖縄県立芸術大学音楽学部のオペラ公演を特別協賛したことから、音楽を通じた貢献活動が始まりました。4回目の昨年11月には音楽学部開設10周年記念のオペラ公演「魔笛」を支援。公演前日の公開リハーサルには、日頃音楽会へ出掛ける機会の少ない障害のある方々や、福祉施設の人々、中・高校の音楽部員などを招待。生の音楽に触れ、舞台制作の臨場感を味わう場を提供しています。また社員ボランティアが会場整理に協力するなど、人的支援も行ないました。さらに本・支店のロビーを開放しての「ふれあいコンサート」開催など、文化的で豊かな地域社会を願う活動にも力を注いでいます。
同社のボランティア休暇制度は1997年に始まりました。地域社会でのさまざまな活動や長野オリンピック時の通訳ボランティアへの参加もありました。業界を取り巻く厳しい環境の中にも地域とともに歩む銀行として幅広い地道な活動が継続されています。



「地域とともに、地域のために」をモットーに、豊かな地域づくりをめざす
●沖縄電力(株)の地域貢献活動

1972年に設立された沖縄電力の本店は牧港火力発電所に隣接する広大な敷地の中にあります。発電用ダムの無い沖縄県では、水力発電の導入が困難なため電源のほとんどが火力(石油や石炭)発電です。多くの島々で構成される沖縄の地理的条件は、社会基盤である電力の供給面で大きなハンディキャップ。沖縄電力ではこの悪条件を乗り越えて、沖縄本島以外にも12の島に発電所を設置し、周辺離島に海底ケーブルで電力供給を行なっています。また円滑な事業活動の推進には地域社会の理解・協力が不可欠であり、創設以来「地域とともに、地域のために」をモットーに「地域社会への貢献」へ積極的な取り組みを行なっています。具体的な活動内容については、総務部の島袋(しまぶくろ)次長と大田係長、営業部の赤嶺次長、立地環境部の津嘉山副長から説明を受けました。

地域社会への奉仕活動「おきでん対話旬間」

最も歴史のある、また、地域貢献の原点となる活動が1978年から継続されている「おきでん対話旬間」です。営業部が中心となって離島を含む全ての事業所で実施しています。近年は11月1日から10日までを旬間として、地域の人々との多様な交流を通じて相互にふれあい、豊かな地域づくりをめざす活動です。主な内容は、(1)各地域の企業・団体・施設への訪問対話や懇談会、野外コンサートや映写会の開催による「ふれあい活動」 (2)「地域奉仕活動」として各地域の清掃や街路灯、福祉施設、独居高齢者世帯の電気設備の無料点検・修理など (3)発電所の見学会や電気工作教室などを通じた「メッセージ活動」 (4)少年野球やサッカー教室などの心身の健全をめざす「スポーツ交流活動」など。これらの活動は対話旬間中に全社をあげて一斉に実施されます。20世紀の最後を飾る昨年の対話旬間には卓球界の小さなエース、福原愛ちゃんを招き「ふれ愛卓球」を開催。1700名もの人々が模範練習や交流試合を楽しみました。

青少年の健全育成をめざす科学教育とスポーツ

沖縄県の小・中・高校生を対象とする「沖縄青少年科学作品展」も対話旬間と同様、歴史ある貢献活動です。青少年の科学に対する関心と興味を喚起して、沖縄県の科学教育振興と地場産業の人材育成に役立つことを願い、23年間にわたり毎年開催しています。開催日はエジソンデーにちなむ2月第2週の週末。当初、44作品の応募で始まった作品展は、年々規模が拡大。最近は120を超す作品が県内の小・中・高校から寄せられます。16回目からはアメリカンスクールからも作品が出展され、子どもたちを中心とした国際交流も深まっています。作品展会場には全応募作品が展示され、審査委員による審査を受けて、優秀作品には沖縄県知事賞をはじめとする賞が授与されます。展示会場では理科教育研究会の先生たちによる公開実験コーナーや工業高校のロボットコンテストなどもあり、来場者も2万人を超えて規模・内容ともに充実した作品展へ発展しています。1994年からは「沖縄県高等学校ロボット競技大会」への協賛支援も始まりました。科学する楽しさを経験する機会も広がっています。
また、少年たちが心身共に健全でたくましく育つことを願い、少年野球への支援も積極的に実施しています。「おきでん旗争奪」沖縄県学童軟式野球大会への特別協賛は1995年から継続しており、少年野球のレベル向上に寄与。子どもたちの夢と希望を育み、心身両面のバランスの取れた育成をめざしています。

芸術・文化への支援
「おきでんシュガーホール新人演奏会オーディション」

地域文化の振興と発展に寄与する活動が、(社)企業メセナ協議会から昨年「メセナ大賞2000」新人育成賞を受けた「おきでんシュガーホール新人演奏会オーディション」です。若手音楽家をオーディションによって発掘し支援する演奏会は、県内クラシック音楽界の登竜門的な存在となっています。「シュガーホール」は1994年に県南部佐敷(さしき)町のサトウキビ畑に建設された音楽専用ホールでこの開館を記念して発足したもの。佐敷町・沖縄電力・沖縄タイムス社の共催で毎年開催しています。対象は声楽、ピアノ、弦楽器、管・打楽器。当初「沖縄県出身者および在住者」が対象でしたが、1998年から実力本位の国際的新人オーディションへ発展。アメリカやアジア諸国からの応募もあります。テープ審査に合格した若手演奏家たちは、公開演奏で技を競い、グランプリ・優秀賞・入選が決まります。グランプリ受賞者には奨学金が授与され、シュガーホールでの演奏会も支援。新人育成に寄与しています。

地球環境保全への積極的な取り組み

地球環境保全を最重要課題に位置づけている沖縄電力では、社長を委員長とする「地球環境対策委員会」が環境行動に関する方針を策定し、地球環境問題に対する考え方や社内体制、行動内容を明確化。全社的体制での取り組みです。国際的な環境規格である「ISO14001」の認証を沖縄本島の全汽力発電所(3地点)が取得し、地域環境への貢献も積極的に推進しています。地域環境保全の活動は、(1)自治体等の植樹祭へグループ企業全体で参加。地域の人々と共に緑豊かな地域づくりに励む (2)環境月間や対話旬間中に「クリーン作戦」を展開して海や川、国道などをきれいにする清掃活動 (3)環境行動パネル展を通じて企業の環境行動を広く一般に紹介する、などです。
循環型社会の構築をめざす活動の1つに「古紙リサイクル・システム」があります。オフィスで表裏両面を使いきった古紙を集め、製紙会社に委託して「沖電トイレットぺーパー」をつくり、各事業所で使用するもの。コストは多少割高ですが、環境への負荷を考慮して実施しています。

社員によるボランティア活動と寄付活動

ボランティア休暇は1993年、休職制度は1996年に制度化して、社員のボランティア活動を積極的に支援しています。沖縄サミットでは社員6名が通訳ボランティアとして活躍しました。阪神・淡路大震災では約60名の社員ボランティアが現地で炊き出し活動を実施。第2次支援隊隊長として20名の社員ボランティアと参加した営業部の赤嶺次長から、トラックの荷台に野営して行なった当時の活動を伺いました。ボランティア隊は社員が自主的に手を挙げて組織されたものですが、会社も資金や物資の提供を行ないました。
外部からの募金依頼は総務部が内容を検討。公共性を考慮し必要に応じて社内の各部店所に回覧。各職場毎に社員が自主的に寄付額を申請し募金され、総務部が統括します。「年々、依頼件数が増加し事務の合理化を如何にするかが課題」と島袋次長。社員1人あたりの年間寄付金はかなりの額。ユイマールの精神はここでも活かされていました。



人と人、心と心をつなぐ国際交流をめざして
●(株)大東エンジニヤリングの活動

自己の価値観と理念を貫く企業経営を

新幹線や高速道路建設が行なわれた1960年代に入ると、それまで行政の直轄であった橋梁や道路建設に伴う調査・設計・管理業務が民間に委託されるようになりました。戦後、外地から引き揚げてきた優秀な土木・建築・鉄道の技術者たちが行政機関の嘱託として活躍していましたが、公共事業が全国的に広がった「日本列島改造」時代に入ると、飛躍的に増大する仕事量に人材が不足。優秀な嘱託技術者たちは民間人として独立し、建設コンサルタント会社を創設したと、大城榮篤社長から伺いました。同氏が「大富建設コンサルタント」を創業したのもその時代。同社は優れた業績を収め沖縄県の業界リーダーとして活躍し、現在も事業活動を継続しています。13年間社長を務めた大城氏は、「企業経営の中に自己の理念を明確に貫きたい」と同社を後任に託し、1980年、新たに「(株)大東エンジニヤリング」を創設しました。沖縄の自然と文化を尊重する「ヒューマン・テクノロジー」をコンセプトに、地域社会との共生をめざす企業経営を実践すると共に、アジア、特にベトナムとの友好・交流に尽力しています。

ベトナムハイフォン市に「日本語学校」を建設

「沖縄ベトナム(略:沖越)友好協会」の副会長も務める大城社長は、協会が受け入れたベトナム留学生の援助を他1社と共同で負担。継続した支援活動を行なっています。ベトナムとの交流は1992年の旅行から始まりました。長い歴史の中で、他国の侵略・支配を受けながらも独自の民族性・文化を失なうことなく、平和への希求心のもとに経済発展を続けるベトナム。厳しい戦禍を味わった人々に、同じ経験を持つ沖縄人として何か役立ちたいとの強い思いがありました。多い時は年6〜7回、ハノイから100kmの港町、ハイフォン市を訪問。現地「日越友好協会」の意向も確かめて、同市に日本語学校の設立を決意。年間40名程度の学生であれば、自社でも資金支援が可能と判断して1994年、同市に初の日本語学校を開校しました。その翌年、大手日本企業による大規模な日本語学校設立の構想が出され、最初の学校はそちらと統合して、志は生き続けています。学校の運営資金として予算化した財源は、ハイフォン市に設立された「沖越友好協会ハイフォン支部」に毎年継続して寄付。沖越の友好交流資金に活用されています。

ベトナム建築「シドマス・イン」を友好のシンボルに

同国との交流が深まる中で大城氏は、「ベトナム・沖縄両国の技術者による共同作業で宿泊施設を建設し、国際交流と平和を願うシンボルにしたい」と考えるようになりました。ベトナム様式の宿泊施設「シドマス・イン」はその願いを込めて完成した施設です。建設にあたってベトナム国営企業から60名の技術者を1年間沖縄に招聘。地元の技術者と共同で建設作業が始まりました。地方の一小企業が多数の外国人技術者を招聘して行なう建設事業は前例がなく、完成に至るまでには幾多の厳しい規制や障壁がありました。シドマス・インは、その苦難を乗り越えて昨年4月、県北部国頭村(くにがみそん)安田(あだ)の東海岸を臨む豊かな自然の中に誕生しました。「シドマス」とは、1816年に沖縄へ来航した英艦艦長バジルホールが、安田岬を息子の名前にちなみ「シドマス・ポイント」と呼んだ故事に由来します。国際交流のシンボルとして付けた名前です。「国際交流や協力は物の交流とそれに関わる人の交流が伴って初めて価値が存在し、そこに継続性が生まれる」。その信念から誕生した施設が、新世紀の国際交流のシンボルとして多くの人々が集う場になることを願う取材でした。
大城氏個人が実践される活動には沖縄ライオンズクラブメンバーとしての寄付活動、在沖アジア留学生への支援、自宅を開放してのパーティーやホームステイ受け入れ。地域の清掃活動や街頭募金にも自ら参加し、福祉施設の子どもたちと野球もします。多忙な日常の中で幅広い活動を自然体で実行される姿勢に、ユイマール精神を見る思いでした。



市民・企業・行政のパートナーシップをめざして
●那覇市NPO活動支援センター

那覇市は「第3次総合計画」の基本構想の中で、市民・企業・行政のパートナーシップによる「協働型まちづくり」を提唱しました。「協働型まちづくり」を促進するためには、市民が活動しやすい状況を作りだすことが課題です。そこで、那覇市民の自主的で、営利を目的としない社会貢献活動を支援するための「那覇市NPO活動支援センター」を昨年2月に開設。行政直営によるスタートを切りました。今回は、那覇市役所に隣接する一角にあるセンターを訪ね、那覇市企画調整室の横山芳春さんから活動状況を伺いました。
センター開設にあたって、最初に手がけた仕事が「市民活動データブック」上・下2冊の作成でした。市が把握する600余の市民団体に情報公開を前提としてアンケート調査を実施。約230団体からの回答を基礎資料としてまとめたもの。各分野の市民活動が相互に交流するデータとしても活用されています。この資料をもとに地元新聞社は「広がれ!NPOの輪」をシリーズで掲載し、多様なNPO活動を広く紹介。またケーブルTVでも毎週1回「NPO情報コーナー」を提供し、よき地域づくりに向けた活動の紹介と啓発に協力しています。
「那覇市NPO活動基金」は市の出捐によって、1999年から始まりました。行政のNPO基金は高知県に次いで那覇市が2番目。助成金は総額250万円で、公開審査を経て50・20・10万円の3段階の助成を決定します。2回目の昨年は16団体が資金支援を受け、市民活動の活性化に役立てられました。
この他、センター内にある会議室やコピー・簡易印刷機の利用ができること。セ.ミナーやワークショップ研修なども提供され、広報誌「ユイマール・ねっと」も発行。市民・企業・行政の協働による良き地域づくりにむけた地道な活動が推進されています。「センターの立ち上げは行政が行ないましたが、いずれ市民団体に委託する予定です」と伺いました。

(取材・文責 青木孝子)


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