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いま、社会の一員として

─ 地域社会との共生をめざす企業と市民団体 ─

福岡県福岡市・北九州市
(No.58 2001 夏)

 今回の取材先は九州、福岡県の福岡市と北九州市です。福岡県は玄界灘を隔てて朝鮮半島と対し、大陸文化の流入口として早くから開けた地域。明治中期以降は筑豊、三池などの炭坑産業と北九州八幡の鉄を中心に工業県として発展しました。近年ではソフトウエア産業の進出や国際旅客ターミナル開設など、九州の経済・行政・文化面の中枢機能の集積が進んでいます。福岡市の中心、天神・博多駅地区は九州全体の行政機関が集まり商業・交通のかなめ。アジアとの交流拠点として多様な取り組みを進める活気溢れる街です。北九州市は1963年に5市対等合併で生まれた九州初の100万都市です。素材型産業を基盤とした地域経済構造からの転換を図り、「水辺と緑とふれあいの“国際テクノロジー都市”へ」をテーマに、創造的な産業都市への再生をめざしています。
 取材は北九州市八幡を創業地とする新日本製鐵(株)八幡製鐵所とアウトドア用品の地場産業(株)タカミヤ、そして博多の味、明太子の(株)ふくやを訪ねました。新日本製鐵八幡製鐵所は官営八幡製鐵所として1901年に操業を開始して以来、1世紀の歳月を時代と共に歩んできた歴史ある企業。時代の波の中で官民企業の合併や分割を経て1970年に新日本製鐵が誕生。長い歴史の中で集積された製鉄技術と人の知恵は、最新のテクノロジーと結び人・社会・地球に役立つ新しい時代の企業へと発展しています。タカミヤの創業は1949年、創業者高宮義諦氏が小倉に開いた釣具店から始まりました。不屈の企業家精神と先見性をもって事業を拡大。アウトドアレジャーの将来性を展望してキャンプ・海洋レジャーへとビジネスを広げると共に、地域社会への奉仕や自然環境保全にも積極的な活動を行なっています。ふくやの創業は1948年。焼け野原の博多中洲に、創業者川原俊夫夫妻で開いた小さな食料品店が歴史の第一歩でした。工夫と研究を重ねて完成させた明太子は博多を代表する味覚。以来半世紀、創業当初からの理念「あじ、人、地域、ひとすじ」を継承しつつ、地域全体に貢献する強い企業をめざして事業展開をしています。
 八幡製鐵所の社会活動について総務部の荒牧滋美、入佐純一両マネジャーと労働・購買部の黒川政彦マネジャーに、タカミヤの活動を社長室長の河野彰氏に伺いました。ふくやの活動は取締役の能塚三郎氏に、また福岡市の市民活動の現状をNPOふくおかの古賀桃子さんに伺いました。


一世紀の歳月と共に、地域に生きる企業として
● 新日本製鐵(株)八幡製鐵所の地域活動

明治政府が近代化を推進するにあたってまず求めたもの、それは鉄道・港湾・道路など、国の社会資本整備に欠かせない「鉄」でした。1896年、明治政府は「製鉄所官制」を発布し、日本初の製鐵所の設置場所として、背後に炭田を控えた八幡(やはた)村を選定。1901年に日本初の近代製鐵所「八幡(やわた)製鐵所」が誕生しました。創業以来一世紀にわたり地域と共に生きてきた八幡製鐵所には「地域があって製鐵所が成り立っている」という認識があります。製鐵所を中核として多くの人が集まり、社会基盤が整備されて商業や関連企業が発展したまち八幡。市民の中には八幡製鐵所従業員や関連協力企業の人々も多く、「社会貢献やボランティア活動が云々される以前から、当然のこととして地域とともに生きる姿勢が貫かれていました」と、総務グループマネジャーの荒牧さん(渉外担当)と入佐(いりさ)さん(広報担当)。同所の長い歴史と企業の基本姿勢を最初に伺いました。

市民に開かれたアートギャラリーの開設

いわゆる「企業の社会貢献」としての活動が始まったのは 八幡製鐵所総合センターが旧来の八幡東区から現在の戸畑(とばた)区飛幡(とびはた)町へ移転した1990年から。地域に開かれた企業をめざして、総合センター1階ロビーをアートギャラリーに活用。会社が所蔵する美術品を一般公開するとともに、書道や絵画など、社員や一般市民の文化活動を奨励する場所として91年に開設したもの。一般市民が気軽に来訪するギャラリー運営をめざして、小・中学生を対象とする「港と製鐡所子どもスケッチ大会」を企画。近郊の従業員や関連企業の子どもたち、戸畑区と八幡東区に縁の深い小・中学校に呼びかけて、92年から毎年6月に開催しています。10年目を迎える今年の参加者は、付き添いの父母を含めて300人ほど。子どもたちは思い思いの場所でスケッチに専念し、ランチは当日開放される総合センターの食堂で、親子揃って楽しみます。子どもたちへの参加賞はリサイクル品で作った文房具など。絵の審査は専門の学芸員と同社美術部員が担当。アートギャラリー賞、金・銀・銅賞を小・中学生各1名ずつと入選32名を選び、作品は7月一杯、アートギャラリーに展示して一般公開されます。続いて開催されるのが93年から始まった「新日鉄アートギャラリー飛幡賞展」。これは美術を学ぶ大学生のための奨学金賞で、福岡県在住または出身の美大生が対象です。洋画・日本画・版画作品を公募し、飛幡賞1点に50万円、入選7点に5万円ずつの奨学金を授与。入選作品は7月末から9月上旬の夏休み期間中、ギャラリーに展示公開され、これ等の催しの期間中には市民も気軽に立ち寄ります。

ボランティア活動の表彰制度「地域社会貢献賞」

八幡製鐵所100年の歴史の中には、さまざまな特技・技能を活かして地域貢献活動を実践する従業員の存在があります。「人は、よい企業人である前に、よい市民でなくてはならない」という立場から、1991年に創設された表彰制度が「地域社会貢献賞」です。福祉・スポーツ・文化などを通じて地域社会に貢献している従業員の活動に与えられる賞で、社内外の推薦状に基づき慎重な審査を経て、毎年3件ほどの個人・団体が表彰されます。6年間にわたり保護司として犯罪者の更生指導に従事したOB、北九州市体育委員としてスポーツ振興普及に貢献している社員、ホームステイを通じて世界各国の研修生のお世話をする家族など、関連企業やOBも対象に、昨年の10回目までに29件の個人・団体が表彰されました。審査のポイントは10年以上の継続性や地域との繋がり、共感の有無など、厳しい基準です。市内ホテルで行われる表彰式では、所長から受賞者に表彰状と副賞(団体10万円、個人5万円)が贈られ、続く懇親パーティーには表彰の喜びを分かち合う関係者30名ほどが招待されます。行事を通じて地域の人々とのネットワークも広がっています。

「新日鐵八幡ハートフルスチールの会」の活動

同会は従業員有志によるボランティア活動のグループです。設立の背景や活動内容を副会長の黒川さん(労働・購買部購買グループマネジャー)から伺いました。1993年頃、人事部門で社員教育担当者だった黒川さんは、旧来と異なる社会福祉教育の導入を試みました。この取り組みの中で、地域の社会福祉団体やその関係者との繋がりが生まれ、企業ボランティア活動への進言を受けました。一方、教育を受けた従業員からも社会福祉事業へ参画したいとの要望が起こり、この気運の中で94年、「新日鐵八幡ハートフルスチールの会」が発足したのです。社内同好会など各グループの有志100名でスタートした会は現在500名の規模に。会は自主参加を原則に次の3分野に分かれて活動しています。

(1)「未来児フェスタ」

次世代を担う子どもたちが、のびのびとたくましく育つことを願い、94年から始まったクリスマス行事。障害児童の施設や養護施設、母子寮の子どもたちと、地域の子どもたちが一堂に集まる「ふれあいの場」でもあります。発案者は黒川さん。当初は300名ほどの児童を招待して、社の体育館で実施しましたが、現在はスペースワールド内に会場を移行。各種の手作りゲームや餅つき大会、うどん作り、音楽隊の演奏、そしてスペースワールド提供の乗り物など、盛り沢山の内容です。参加者もボランティア、付き添い、家族を含めると3000名の規模に。子どもたちにとって、年1回の楽しい行事です。

(2)「腕自慢おまかせサービス」事業

「未来児フェスタ」を機に翌95年、北九州市保健福祉局からの協力要請を受けて始まったのが「在宅福祉ボランティア『腕自慢おまかせサービス』事業」です。八幡東・西区を中心に高齢者世帯やひとり暮らしの高齢者のお役に立つべく、大工仕事や粗大ゴミ搬出、重い家具の移動に包丁研ぎなど、2名以上のボランティアがチームを作り力仕事を請け負っています。

(3)「新日鐵杯少年友好サッカー大会」

開かれた製鐵所をめざす地域貢献活動の一環として、社所有の鞘ヶ谷(さやがたに)競技場を地域の小学生に開放。少年の健全な育成と交流を図ることを目的に96年から毎年開催されている大会で、24ほどの地域の小学生サッカーチームが集まります。

一世紀の歳月を地域とともに生きる八幡製鐵所には、よき活動は長く継続して地道に実践する気風が漲っていました。

「人と自然と、コミュニケーション」を企業理念として
● (株)タカミヤの地域活動

タカミヤの創業は1949年。国鉄小倉工場に勤務し、釣りを趣味とする創業者高宮義諦(よしあき)氏が34歳で開いた、たたみ3畳の釣具店が始まり。小売販売業から卸業へ進出し、厳しい経営環境の中で全国初の自動車によるルートセールスを確立して実績を積みました。高度成長時代の波とレジャーブーム到来に乗って63年(株)高宮諦(あきら)商店を設立。68年にはスーパーダイエーにテナントを出店し、躍進の原動力になりました。その後、多様化する時代の変化とアウトドアレジャーの将来性を考えて直営店舗の釣具店「ポイント」による小売展開へ移行。事業分野を釣具中心からキャンプ、海洋レジャーへと拡大して92年に社名を(株)タカミヤに変更し、更なる飛躍をめざしました。そして93年、創業者の遺志を継いで高宮俊諦(としあき)氏が2代目社長に就任すると共に、「(財)タカミヤ・マリバー環境保護財団」を設立。「タカミヤと連携しながら、自然環境の美化保全と自然を通しての青少年育成へ積極的に取り組んでいます」と、財団事務局長を兼務する河野(かわの)さんから伺いました。

企業の活動を支えているのは地域社会

創業者の信念は「ビジネスは自分一人の力ではなく、社員や地域の方々に支えられて発展する。従って企業は地域貢献という形でお返ししなければならない」であり、地域社会への奉仕活動は1967年頃から始まりました。老人ホームや福祉施設、日本赤十字社への支援活動。河川の清掃、釣り人のモラル向上をめざした釣り場浄化・緑化運動などは今も継続する活動です。85年からは、地元紫川(むらさきがわ)への鮎放流や響灘のクロダイ稚魚放流など、魚の保護育成と釣場の清掃活動を通じて青少年の育成にも力を入れ、地域活性化にも努めています。財団設立後は、河川や海岸線の清掃を行う車輌「マリバー号」を駆使しての美化清掃事業のほか、稚魚放流、水生生物の研究やシンポジウム等を通じて、恵まれた北九州市の自然環境の保護・育成に努めると共に、潤いのある環境づくりや身近な自然とのふれあいの場づくり、健全な青少年育成などの諸活動を強化。より積極的な自然保護活動への取り組みを展開しています。

「タカミヤ・マリバー環境保護財団」の活動

財団名の「マリバー」はマリーン(海)とリバー(川)とを合わせた造語で、生き物たちの楽園となる美しく澄んだ水辺に願いを馳せて命名されもの。多様な財団活動の中から、次の活動をご紹介します。

(1)水資源保護及び環境美化への取り組み

財団の目的である水辺環境の保全を図るために、紫川はじめ市域300を越える河川の美化清掃事業を行っています。そこで大活躍するのが、財団所有の清掃車「マリバー号」。毎日市内を駆け回り、市民の環境意識啓発にも一役買っています。また水産資源の保護増殖を目的に、響灘、周防灘、関門海峡へのクロダイやタイ、ヒラメなどの放流、紫川へのアユの稚魚放流も実施。放流に合わせて200キロ以上にわたる海岸線の美化活動も行います。これ等は財団を含むタカミヤ全体の地域活動でもあります。

(2)「マリバー・エイド」による助成事業

環境保全や水生生物保護など、財団の主旨に沿った事業を行う団体や学校に助成金を交付する事業が「マリバー・エイド」です。清掃活動やニッポンバラ・タナゴ等の希少種の調査研究、ホタル・カワニナの飼育放流、またカヌーや釣り大会、水辺教室などを行うボランティア団体・学校等も助成対象です。昨年は37団体、38事業に487万円の助成を実施しました。1件あたりの助成金は5万〜30万円ほどですが、3年〜5年と継続して成果を見ます。財団が毎年開催する「マリバー・シンポジウム」の前半に助成先全員を招集。各団体の活動報告と忌憚のない意見交換を行って、助成の継続や助成額を話し合っています。

(3)水辺の自然と青少年とのふれあい

「子どもたちを自然に還そう」をテーマに実施している事業。子どもたちに呼びかけて「紫川探検隊」を組織、紫川上流の水生生物の研究をできる範囲で行う活動もその一つ。釣りを通じてアウトドア経験と危険予知能力の醸成を図り、自然保護の大切さや環境美化のマナーを学んでもらうプログラムもあります。市内の小学校から毎年2校を選び、学校のプールや河川、海岸線も使いながら子どもたちに体験という形で教える内容です。自然とのふれあいで得た体験を子どもたちに発表してもらう「水辺の楽校(がっこう)」は、「マリバー・シンポジウム」のプログラムの一つに組み入れてここ2年ほど続けています。この他、タカミヤが熊本県南小国町に所有する広大なキャンプ施設「ガイアランド」で、さまざまなテーマの自然教室を年3〜4回開催しています。

地域住民と「M−CAP連絡協議会」を結成

長年にわたる紫川の環境美化活動とアユの稚魚放流が実り、紫川は100万都市の中で全国唯一、アユが遡上する美しい川となりました。現在は地域住民を中心に約13の市民団体が連携して「M−CAP(M:紫川 C:カムバック A:アユ P:プロジェクトで、[紫川へアユをよびもどす会])」を結成しました。将来的には河川敷の遊歩道からアユを見て楽しむ、「アユ・ウォッチング公園構想」を立案、実現に向けた取り組みを行っています。紫川のボランティア清掃やアユ放流祭の時には各団体が一致団結。今年のアユ放流祭には家族連れや高齢者を含め2000名が参加し、上流・中流域の2会場に分けて行われました。

企業も社員も共に「地域社会の一員として」活動

タカミヤの基本理念は「高い生産性」「豊かな深い人間性」「広い社会性」の三つ。経営努力を重ね社会への貢献活動を実践できる企業体質を保つこと、豊かな深い人間性と広い社会性を持つ人材育成をめざし、社員教育と自己啓発にも力を入れています。また「子どもを自然に還そう」という取り組みの一環として、社員がボランティア清掃などの奉仕活動に参加する時、「子ども連れで、家族で参加する」ことを奨励しています。今年は経営方針に0歳から9歳までの子どもを持つ社員への優遇措置である、「0・9運動」を取り入れました。残業の低減や社員旅行への家族参加など、子どもたちが沢山のふれあいの場を通じて豊かに育つことを願う試みです。企業は地域に支えられて発展する。真心を大切に人々と向き合うタカミヤの社風を感じる取材でした。

地域のために、地域に役立つ活動を実践する
● (株)ふくやの地域活動

今や福岡・博多の味として全国的に知られるようになった辛子明太子。この「味の明太子」を、気の遠くなるほどの試行錯誤を重ねて作り上げた人が、ふくやの初代社長川原俊夫氏と妻千鶴子氏(2代目社長)でした。1948年、沖縄県伊良部島で終戦を迎えた川原俊夫氏が故郷に引き揚げ、焼け野原の博多・中洲に開いた食料品店がふくや創業の第一歩。沖縄戦で生還した川原氏の信条は「九死に一生を得た命。これからは自分のためでなく、世の中に役立つ生き方をする」こと。地域で喜ばれる惣菜をと、夫妻が育った韓国釜山の懐かしい味、唐辛子漬けのタラ、ミョンテを思い出し試行錯誤を重ねてできたのが「辛子明太子」です。韓国ではスケソウダラのことを「明太(ミョンテ)」と言います。その子どもなので「明太子(めんたいこ)」と、初代が名づけました。歳月をかけてでき上がった唐辛子漬け明太子の製法は特許を取らずに公開。今では博多名物として多くの製品が売られ、広く知られる味になりました。ふくやでは、苦心の味を「味の明太子」と命名。伝統の味をひとすじに守りながら直営店でのみ販売しています。「株式会社ふくや」としての出発は80年。初代逝去の後を受けて妻千鶴子氏が社長を引き継ぎ、現会長・社長が経営を担った時。企業規模の拡大成長にあわせて経営力・組織力を強化、次の飛躍をめざしています。現在、ふくや社長は4代目の川原正孝氏。従業員は564名。福岡県内に直営店37、東京に2店舗をもち、関連会社6社と共に初代からの味と理念を守りながら企業経営を続けています。

地域活性化をめざして「祭りや地域行事」を支援

博多っ子が「やま」とよぶ「博多祇園山笠」は長い歴史をもつ博多の夏の風物詩です。中洲に生まれ地域の人々に育てられて成長した「ふくや」の創業者川原俊夫氏が、終生全身で力を尽くしたのが地域社会の活性化。人々が心身ともに元気になる行事への支援でした。ふくや創業の1948年、戦争で中断していた山笠が復活。山笠には「流(ながれ)」と呼ばれる独特の運営組織があります。49年、戦前から続いていた7つの流に、新しい5つの流が誕生。この新しい流、「中洲流」誕生の中心人物となったのが川原俊夫氏でした。「山笠のぼせ」と言われるほど山笠に情熱を注ぎ、不況時にも私費を投じて中洲流存続の危機を救いました。現在は川原健会長・川原正孝社長が初代の遺志を継ぎ、今年は川原健会長が「中洲流」の「総務」を務めて山笠の伝統を守っています。山笠の期間中は多くの社員も曳き山に参加、企業を挙げて祭りを盛り上げます。75年には創業者自らが「中洲まつり」を立ち上げ、また「博多どんたく」への支援も行うなど、創業以来一貫して地域活性化へ献身しています。

社員個人の地域貢献活動を制度として支援

地域のために尽力する初代の姿勢は、自然と社員一人ひとりの意識の中に根づいていきました。自分たちができる地域貢献とは何か。自らの地域をよく知り理解することから始まり、町内会長や役員、地域防災に携わる消防団員、学校のPTA役員、スポーツチームの監督など、多くの社員が地域社会で力を発揮、着実な地域貢献活動を実践しています。今回お伺いした取締役の能塚(のうづか)三郎さんは、昨年まで高校のPTA会長を3年務め小学校の3年間を含めると計6年間、PTA会長を務めました。会長職は毎月5〜6回の会合義務があり、社内会議と重なる場合も生じますが、地域優先の社風が活動を支えてくれました。能塚さんは「高校ではPTAと生徒会との懇談会を年2回設け、率直な意見交換で生徒たちに喜ばれました。6年間のPTA会長職は大変でしたが、大いに勉強になりました」と話されました。ふくやでは地域社会のためにボランティア活動を実践する社員に「地域役員手当」を支給、活動を制度的に支援しています。会社を定年退職した後も、いち個人として地域社会に自然体で溶け込み、いきいきと活躍してほしい。社員を通じて会社も地域に寄与する。創業以来の企業姿勢です。

スポーツ大会への支援と高齢者福祉への取り組み

毎秋開催される「福岡市総合市民スポーツ大会」は、3000人を超す老若男女に障害ある人々も一堂に会するスポーツの祭典です。ふくやは大会開催当初からメインスポンサーとして支援を続け、社員もボランティアとして運営を支えています。また、「ファミリーマラソン大会」や平和台陸上競技場から鹿児島県までの32キロを飲まず食わずで歩き通す「かち歩き大会」など、市民が参加するスポーツ大会の支援も続けています。今年の会社スローガンは「元気−心も身体も」。心身ともに元気で地域に役立つ企業をめざしています。
社会福祉分野への支援は1977年、創業者が行った身体障害者福祉施設「やすらぎ荘」への救済金寄託があり、その遺志を継いで支援を続けています。また高齢化が進む中で昨年、社会福祉法人「至誠会福祉会」を設立。高齢者向け施設が不足している実情に鑑みて、特別養護老人ホームの建設に着手しました。親の介護で悩んでいる社員も含めて安心して働ける環境整備のための取り組みです。
「強い会社、良い会社」を経営テーマに、健全経営で利益をあげ、良い会社として企業を取り巻くあらゆる人々を大切にして地域社会へ貢献していく。「ふくやがやらずして誰がやる!」の気概に満ちた社風に、半世紀にわたる伝統の強さを感じました。

NPOを支える、NPOをめざして
● NPOふくおか

福岡県には長い活動実績をもつ市民団体が比較的多く存在します。1960年代後半に始まり全国に波及した「子ども劇場」もその1つ。福岡は全国で5番目にNPO法人が多い県です。この中で、行政・市民・企業の3者がパートナーシップを発揮し得るような“場づくり”の必要性が認識され始め、98年、市民団体のメンバー20名によって「ふくおかNPO支援センター設立準備委員会」が発足。設立に向けた会合を重ねて99年4月、「NPOふくおか」が誕生しました。今回は事務局次長の古賀桃子さんに活動内容を伺いました。
古賀さんは九州大学、大学院ともに法学部で行政学を専攻。卒業後「NPOふくおか」に専従として就職した若人です。古賀さんがボランティア活動に参加したのは大学3年生の頃。その現場で「市民のアイデアの豊富さとパワーを肌で感じ、研究テーマに選びました。そこからこの分野にどっぷり漬かって…」と、古賀さん。大学院の指導教官だった今里滋教授が団体の理事長。事務局長は大学の先輩という環境の中で運営実務を担い、行政・企業・NPOとの連携も積極的に行っています。
主な活動内容は、(1)情報・ネットワーキングサポート、(2)調査研究・政策提言、(3)マネジメントサポート、(4)コーディネートです。今、最も力を入れている事業は(1)の情報交流。毎月1回、テーマ、会場を替えながら20〜30名が集う「NPOサロン」を開催。テーマは“NPO法人の作り方”“助成金申請のイロハ”などの実務的内容から“癒しと元気のでるセミナー”“社会貢献at企業シリーズ”など多彩です。サロンのあと博多で「直会(なおらい)」と呼ぶ懇親会を開き、新たな企画やネットワークづくりに繋がっています。(2)は福岡市市民局等からの委託事業。市内約400のボランティア&市民団体へのアンケートや聞き取り調査を行って報告書を作成しました。調査の過程で人材・資金・組織などNPOマネジメントの現況も見えました。この他“NPO出前講座”“NPO税務相談室”の開催など、多様な活動内容です。
「行政・企業・NPOが互いに垣根を低くして、意欲や知恵を持つ多様な人々と連携を作り、NPOが社会的なパワーになるよう繋ぎの仕事を続けたい」大きな瞳を輝かせながら、市民社会構築への期待を語る爽やかな姿に、NPOの明日を見る思いでした。

(取材・文責 青木孝子)


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