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いま、社会の一員として

─ 地域社会との共生をめざす企業と市民団体 ─

滋賀県
(No.61 2002 春)

2002年春号の取材先は近江の国、滋賀県です。周囲を伊吹山地、鈴鹿山脈、比良山地に囲まれ、中央に県総面積の6分の1を占める琵琶湖を有する滋賀県は、畿内に接する交通の要衝にあたり日本史上しばしば重要な舞台となったところ。文化財に富み湖南の景観は近江八景と謳われました。1960年代半ばからは工場立地が進展し、生産額でみた第2次産業の比率が全国一高い内陸工業県として発展。また全国有数の人口増加県の一つでもあります。県のシンボル琵琶湖の環境保全は最重要施策であり、1979年には有リン合成洗剤を規制する琵琶湖条例を制定。環境保全へ積極的に取り組む先進県です。
今回の訪問先企業は彦根市に本店を構える(株)平和堂と、近江八幡市に本社のある(株)日吉です。平和堂は現会長夏原平次郎氏によって1957年に創業され、順調に社業を伸ばして1966年、彦根に衣料、雑貨、食品販売のスーパーマーケットを開設。現在の総合スーパーへと発展しました。全国各地に活躍の場を広めた近江商人と異なり、夏原氏はあくまで地元に密着「地域の人々の、毎日の暮らしを豊かにすることへご奉仕」を社是に事業を拡大。現在は大型店を含めて県内に61、近畿・北陸を含めると84店舗となり、従業員数は約12,000名。早い時期から環境保全活動へ積極的に取り組むとともに、子どもや母親たちの健康と豊かな生活を支援する多様な活動を展開しています。
日吉は環境保全事業を総合的に手がける全国的にも希有な存在の企業です。1958年の設立以来、一般廃棄物の収集運搬や浄化槽の維持管理事業からスタートし、今では上・下水道や廃棄物処理施設等の施設管理、医薬品、工業基礎薬品の販売、大気・土壌・水質・微生物・生化学試験など衛生試験分野、濃度・騒音・振動レベルなどの計量証明事業(環境測定分析)、環境コンサルタントなど、事業登録認可は50業種と多岐にわたっています。また、近年は国際的な視点で環境保全に関する活動も積極的に進めています。
平和堂の取材は総務部三輪益三(みわ ますぞう)取締役に、日吉の活動を三谷豊取締役総務部長と技術部黄俊卿(こう しゅんけい)分析技能士に伺いました。市民団体は企業人によって1994年に設立された「淡海フィランスロピーネット」の松田弘顧問と辻井事務局長、特定非営利活動法人「こどもネットワークセンター天気村」の山田貴子代表理事を訪問して活発な活動内容を伺いました。


「地域社会の豊かな暮らしと文化生活に貢献する」を社是として
● (株)平和堂の社会活動

平和堂の名称は創業者夏原平次郎会長の長男夏原平和(ひらかず)社長の名前に由来します。誕生は終戦の1年前、再度の出征を覚悟していた平次郎氏は「せめて子ども達だけでも平和に生きてもらいたい」と願い「平和(ひらかず)」と命名、戸籍係を説得して付けました。戦後、「平和であるからこそ仕事もでき、 人々も幸せになれる」と痛感して、創業時には迷うことなく「平和堂」を屋号としたのです。シンボルマークは2羽のハトです。対立ばかりでは争いになる。調和ばかりでは進歩がない。対立しつつ調和するところに発展があり繁栄がある。調和と対立の2羽のハトには、「会社の活動こそ社会を豊かするもの」という創業者の哲学が反映されています。地域の暮らしへ奉仕することを理念に事業を発展させ、1971年には年商が百億円を超えました。創業15年を迎えた翌年、平和堂では「売上げはお客様へのご奉仕の成果であり、粗利は皆で知恵を出し合って作り上げた付加価値を示すもの」という理念から、「売上高」を「ご奉仕高」に、「粗利益高」を「創造高」という表現に統一して現在に至っています。同時に奉仕・創造・感謝・友愛・平和を誓う「5つのハトの約束」を制定。地域社会への貢献活動を積極的に実践すると共に、「生産者への感謝」を社風として創業者精神を貫いた企業活動を実践しています。

地域の人々の健康と豊かな生活を願って

地域の子どもや母親たちが健康で元気に日々の生活を楽しめるように。その願いから始まったのがさまざまなスポーツ支援活動と、幼児に夢と感動を届けるミュージカル劇の上演です。最も伝統あるスポーツ支援活動は「滋賀県知事杯争奪平和堂ママさんバレーボール大会」で30年続けています。滋賀県はママさんバレーが盛んな土地柄。125ほどのチームが6カ月にわたり彦根・草津両市で各ブロック予選を経て知事杯争奪の決戦に臨みますが、平和堂はこの試合全てを支援しています。子どもたちの健全育成を願うスポーツ支援は小学生が対象。毎年11月3日、野洲町希望が丘文化公園陸上競技場で開催される「ちびっこ健康マラソン」は18年続く人気イベントで、1年生から6年生までの小学生800名ほどが参加して、男女・年齢別の12レースを元気に走ります。12年続く「少年サッカー教室」の開催は年2回。Jリーグのセレッソ大阪から育成コーチと現役選手を招いて行われ、各地域の少年チームから約150名の小学生が集まります。「滋賀県ドッジボール選手権大会」は3〜6年生が対象。35〜45チームが毎年参加するパワー溢れる行事です。福井県で行う「平和堂カップ福井綱引大会」も地域に根ざした大変人気の高い競技会。北信越、東海、近畿地区、東京、徳島など全国各地から100近くのチームが参加、力と技のバランスを競います。いずれも10〜15年にわたる支援です。
1981年から毎年春休みに続けている「平和堂親子劇場」は、ぬいぐるみ人形を使った楽しいミュージカル。3歳から7歳までの幼児の心に、夢と感動を贈りたいと始まりました。県内の他、石川・福井・大阪・京都など7会場で行われ夫々1,000〜1,800名の親子が楽しみに待つ恒例行事で、入場料は一人700円です。

循環型社会の構築に向けた環境保全への取り組み

循環型社会の構築には行政・企業・市民など、社会各層の有機的な繋がりによる「社会全体のエコシステム」の視点が重要です。滋賀県琵琶湖環境部にはエコライフ推進課があり、官民の協力によって「滋賀県小売店環境保全連絡会」が組織されました。会長を務める三輪取締役が地元小売業に働きかけて現在23社が参加しています。平和堂では1991年に「環境問題特別委員会」を社内に設置、店舗での廃棄物の削減や各種リサイクル活動、省エネルギーなど全社的な取り組みを開始。この年にスタートした「買い物袋持参運動」は年を追って地域の消費者団体や自治体に広がり、2000年には25%を超えるまでになりました。現在は「商品づくり」「店舗づくり」「よき地域づくり」の3つの分野で循環型社会の構築に向けた取り組みを実践しています。

§ 環境に配慮した商品づくり

21世紀はグリーンコンシューマー(環境を優先に行動する消費者)が店舗を選択する時代。この認識に基づいて平和堂は

  1. 容器・包装ゴミを出さない商品、
  2. 人に安全な商品、
  3. 資源を大切にする商品、
  4. 環境にやさしい商品、
を優先して調達し、開発に力を注いでいます。また、環境NPOエコナビエンタープライズが消費者の目で選んだ、環境に配慮した商品群をエコナビ・コーナーを設けて展示。滋賀県を中心に8店舗で販売しています。「買い物が世界を変える」というNPOの考えに共鳴した協力活動が、多くの消費者に支持されるよう願っています。

§ 環境に配慮した店舗づくり

大型店舗から排出されるCO2量を極力削減するために、自家発電の導入や省エネルギー機器の設置、無駄なエネルギー使用をなくす努力、合理的な物流システムの導入などを徹底して実践しています。また早い時期から牛乳パック・食品トレイ回収を全店で実施。牛乳パックのリサイクルで得た収益金は毎年「びわこ会議」へ寄付されています。

§ よき地域づくりに向けて

障害のある方も高齢者も無理なく自然に生活できる社会づくり。この目標に向けてハード面ではバリアフリーの店舗づくりの推進を、ソフト面では全社員への体験学習を中心とした研修を実施。手話通訳のできる社員を各店舗に最低3名、今夏までに配置するなどハード・ソフト両面から人にやさしい店舗づくりを目指しています。現在、ハートビル法認定店舗は17店、車いすと専用の買い物カートは全店にあります。また、地域周辺の環境保全活動の一環として各店舗周辺の駅や道路の清掃活動を定期的に行うとともに、県下一斉に実施される琵琶湖周辺の河川・湖岸の清掃活動にも各店舗から社員がボランティア参加しています。行政・業界・市民団体と連携しながら豊かな環境を維持し、よき地域づくりに貢献する。環境保全に対する平和堂の基本姿勢です。

次世代を担う人づくりのために、平和堂財団を設立

平和堂財団は創業30周年を記念して、夏原会長個人が所有する株式と資産を基本財産として1989年に設立されました。「滋賀県の将来を考えるうえで、何よりも大切なのは人づくり」と考えた夏原会長は、滋賀に生まれ育った若者たちの飛躍を願い、教育・文化・体育分野への助成活動を中心に事業を実施。地域社会の発展に寄与することを目的としています。教育関係は奨学金の給付が中心で、海外からの留学生や海外への留学者を含めこれまでの助成対象者は217名に上ります。文化関係は郷土滋賀に関する文化・児童図書の制作助成、新進芸術家への助成など。体育関係では県内アマチュア優秀選手の海外遠征などの助成や健康増進のための県内各種スポーツ大会への助成などを行っています。
創業以来一貫して地元滋賀県の発展を願い、人々の豊かな暮らしへの貢献を目指す平和堂。地域に根ざした地元小売業の姿勢を見る取材でした。

横の広がりと縦のつながり、「国際協力」「環境教育」を社会貢献の柱として
● (株)日吉の社会活動

各市町村に廃棄物処理を義務づける法律(1954年旧清掃法・1970年廃棄物の処理および清掃に関する法律)が整備された1955年、行政からの委託を受けて廃棄物処理に取り組み始めた日吉は、暮らしの基本となるごみ・し尿など一般廃棄物収集運搬や浄化槽維持管理からスタートし、半世紀あまりを経た今では、バイオテクノロジーや都市環境工学システムなど高度な環境保全技術を駆使し、厚生労働省から水道や作業環境の測定機関、環境省からダイオキシン精度管理機関として認可を受けるなど、総合環境保全企業として活躍している会社です。環境ホルモン、シックハウス症候群、超微量化学物質、さらに遺伝子組み換え食品など環境問題はますますその視野を広げています。それに対応して、さまざまな事業許認可や多岐にわたる資格が必要となります。日吉の社員数は約280名ですが、資格取得者は延べ1,200名を超え、その種類も230種。一人あたりが5つほどの資格を持つプロ技術者集団が、それぞれの部門をしっかり担っているのです。
日吉の社是は「社会立社・技術立社」。会社は社会に貢献しなければ存続できない、またそれを支える技術をもってはじめて社会に貢献できる、という意味です。社会貢献活動にもこの基本が活かされています。同時に環境保全に国境はなく、また次世代まで続くもの。「横の広がりと縦のつながり」が大切なのです。

横の広がり〜環境保全技術を通じた国際協力

日本は大気汚染により発生した四日市喘息や川崎病、有機水銀による水俣病、カドミウム汚染のイタイイタイ病など、過去に類を見ない悲惨な公害を経験しそれを克服してきました。海外への技術移転が進展した1980年代後半。アジアの発展途上国は飛躍的な経済発展を見せます。しかしこのまま走れば必ず公害問題に直面する。「過去の経験で培われた環境保全の技術を並行して伝えていかなくては、我々の教訓も活かされない」、日吉はそう考えました。これに共感した国や公共機関の委託を受けてアジアを中心とする途上国からの技術研修生受け入れが始まることになるのです。
現場を体験できる日吉の研修は予想以上に好評で、これまでに滋賀県、AOTS(海外技術者研修協会)、JEMAI(産業環境管理協会)、AIESEC(国際経済商学学生協会)などを通じ、インド、中国、ヴェトナム、インドネシア、フィリピンなど11カ国から40名以上が技術研修を受け、それぞれの国で活躍しています。そればかりか、インド、バングラデシュ、イラン、ヴェトナムなど研修生の派遣国からの要望で現地のセミナーにも参加。日吉の技術社員が講師として活躍しています。また特に研修生の比較的多かったインドのチェンナイには同窓会が発足。これが中心となって、環境問題に関するスピーチコンテストが日本語、英語、タミール語で開催されています。日吉は優勝した若者たちを2週間招待し、環境について学んでもらいます。横の国際協力から次世代への縦のつながりが生まれたのです。

縦のつながり〜小学生への環境教育

環境問題への関心について国際的な広がりができ、今度は次世代を担う子どもたちへつなぐ必要を感じていた頃、小学校の先生方が訪ねてきました。4年生の「環境教育」の授業で、何を教えるべきか。実際に現場体験をしてみては、との提案に夏休みを利用して作業員とごみ収集車に乗りました。そこで見えたさまざまな問題を生徒に話すと、子どもたちもごみ処理やリサイクルに大変に興味を示しました。作業をしている人に直接話を聞きたい。この申し出を受けて、「環境教育」の授業1時間を担当することになりました。当日は作業員が収集車を運転して学校へ行きます。子どもたちにとって、ごみ収集車を間近で見るのは興味深い体験。作業員からごみの出し方やマナーについて聴きます。その話は帰宅後、早速報告され、時には家族に注意します。子どもの影響力は驚くほど大きかった、と三谷さん。関心が高まった父母や他の学校からも同じような要請がひっきりなし。新聞でも紹介され、作業員による「環境教育」授業は大きく広がりました。
授業を受けた子どもたちは、自分たちが感じたことを絵に描きお礼に届けてくれました。彼等は思いのほか環境保全の中身を的確に掴み表現しています。せっかくだからこの絵をごみ収集車にペイントして走らせよう。作業員の意見から小学生の絵をペイントした車が現在5〜6台、街中を走り回っています。小学校で環境教育を続けて既に10数年。廃棄物処理やリサイクルは子どもたちを通じて、それぞれの家庭から地域へ広がりました。学校に限らず市民グループや団体からも環境学習の依頼が後を断ちません。国際交流と子どもの環境教育を、横糸と縦糸として実践する社会貢献活動です。

化学分析を通じて行う環境保全への協力

ここ数年ダイオキシンが問題になっています。もともとごみといえども90の原子のかたまり。焼却処理の過程で分解され、ある条件のもとで別の形に結合して全く新しい物質になる。その代表がダイオキシンと呼ばれるもので、食物連鎖でどんどん広がり蓄積される危険度の高い毒性物質です。これらは普段我々が使っているもの、身近なものから発生する新しい問題でもあります。これを測るには一般的に公定法であるガスクロマトグラフィ質量分析という化学分析法が使われます。これだと時間とコストが膨大にかかります。遺伝子に作用して悪影響を及ぼすとされながら気軽に測れず、おまけに生物へどう影響するのかまでは評価できません。
そこで日吉ではアメリカとの共同研究により遺伝子組み換え細胞を使い、ダイオキシンが細胞に入るとホタルの発光酵素から光を発する画期的なケイラックスアッセイ(CALUX Assay)を実用化しました。この技術によればダイオキシンのみならず、あらゆる化学物質の検出ができ、新たな毒性情報の発見も可能です。新しい環境評価法としてどれだけ未来に貢献できるか計り知れないのです。生物と環境との関わりを見据え、グローバルな視点から地球環境を見つめる日吉。培われた技術を活かした環境総合企業の活躍に期待する取材でした。

地域社会に真に役立つ、魅力ある活動目指して
● 淡海フィランスロピーネットの地域活動

淡海(おうみ)フィランスロピーネットの設立は1994年。「企業が一市民として地域社会と繋がりをもち、地域の人々の理解を得ながら事業活動を進めねばならない」という意識の高まりの中で、企業人たちの尽力によって設立された組織です。社会貢献元年といわれた1990年代の初め、企業の社会貢献関係者は地域のために益する寄付等の贈呈先を相談するため、県の社会福祉協議会やボランティアセンターをしばしば訪ねました。当時、滋賀県生命保険協会へ事務局長として出向していた松田弘さんもその一人。熱心な企業関係者とたびたび出会うにつれ、これらの人々に呼びかけて企業人による社会貢献組織がつくれないかと考えました。ちょうど県の関係者も同様の考えを持ち、幹事役を松田さんに依頼しました。そこで熱意ある大手企業6〜7社の担当者に呼びかけ、設立趣旨への賛同を得、手弁当による準備会を10回ほど重ねて誕生した組織が淡海フィランスロピーネットです。行政の支援を受けながらも会費・運営などは全て企業メンバーの主導で決めました。発足時のメンバー企業は20社、事務局は社会福祉協議会ボランティアセンターに置き、初期の運営委員長は松田さん。7年を経過した現在、事務局長を務める辻井ボランティアセンター長の努力が実り企業会員は62社に増加。地元企業に加えて経済団体、労働組合、生協も加入しています。松田氏は顧問として今も活躍しています。

地元企業や団体と連携して、有益な地域活動を

淡海フィランスロピーネットは企業の社会貢献活動について考える場です。県内を中心とする企業や関係団体と連携しながら、企業の社会貢献に関する情報交換と普及啓発・調査研究を行い、相互交流を通じて「企業や地域社会にとって魅力的かつ効果的な活動を推進すること」を目的としています。
この目的に添って、隔月に運営委員会を開催。活動等に関する意見交換が活発に行われます。主な行事は毎年1回開催されるトップセミナーと研修会。トップセミナーは62社のトップを対象として開催する「知事を囲む会」で、県の関連部門の部長も多数出席。企業の社会貢献活動による魅力ある地域づくりをテーマに意見を交し懇親する会合です。知事は会終了時まで参加者と懇談し、評価の高い恒例行事として続いています。研修会は企業と市民団体のパートナーシップを考えたテーマ等で定期的に開催され、会員向けニュースレターは年2回発行です。地域に役立つ魅力的な社会貢献を目指して企業人が立ち上げた淡海フィランスロピーネット。今後の発展が期待されます。

あるがままの自然が子どもたちのフィールド
「子育ち」を見守る
● 子どもネットワークセンター天気村

「天気村」は元気な子どもたちの拠点です。天気には雨や風、嵐があってもいつか必ず晴れるからと、代表の山田貴子さんが付けました。設立は1987年、当時中学校教師をしていた山田さんが画一的な学校教育に限界を感じ、退職して始めた活動です。天気村は草津川沿いの閑静な住宅街の中にあり、教養棟(事務室・体育室・喫茶店)と、保育室がゆったりとした敷地に並んでいました。最初は地域の人々が集い語り合うギャラリーと喫茶店を開き、4年ほどのち幼児教室「こんぺいとう」など、子どもと親のための活動に事業基盤を移しました。「こんぺいとう」は豊かな自然の中で自由に遊ぶ自然保育園です。この他小学生たちの「あそび隊」や母親・家族をサポートするプログラムなど、子どもを主体としながら人・まち・環境を視野に入れ、社会との関わりを大切にした多様な活動を展開しています。

「子育ち」を見守る“こんぺいとう”保育園

「子育て」ではなく「子育ち」。15年にわたる子ども教育の現場から学んだ山田さんの信念です。子どもには自分で育っていく力がある。子どもの個性を伸ばしてあげながら育ちを見守る。子育ちしながら、親も育っていきます。自然をフィールドとする「こんぺいとう」の保育は、のびのびと遊ぶ幼児たちの「子育ち」を見守ります。子どもは山里でも街でもごく自然に人々に受け入れられる存在。「子どもこそバリアフリーそのもの」と山田さん。地域の人々との交流から、農家で芋掘りや野菜摘み、馬舎では子馬の誕生も見学、川遊びに鎮守の森など自然保育の現場は無限で、子どもたちは自由に遊び回ります。ここではケガが勲章。子どもは一度危ない目にあうと、自分の身体を通して限度を覚え、返って危険度は減るものです。「こんぺいとう」の由来は「こんぺいとうのように、とんがり(個性)のある元気な子どもに自分の力で育ってほしい」と付けられました。自然保育園は週4日。その日のお天気と子どもの意見で当日の活動を決めるため、スケジュール表はありません。さまざまな場所で遊びと交流を体験し、自ら育つ力を付ける保育です。

イメージする力の大切さ

長年の教育経験から山田さんは、イメージする力を幼児から養うことが大切だと考えています。野外保育は右脳の発達を促し、右脳と左脳のバランスを良くして3歳児でも自分なりのイメージ力を持つようになります。共働きなどで親子の距離が離れていても、子どもにイメージ力があると両親の働く姿のイメージが湧き、共感や共有ができる。勉強も“自分が何をしたいか”のイメージがあると、親や教師に強要されずとも自ら実現に向けて邁進する。自分の目標やイメージがない子に、さまざまな圧力をかけるからキレてしまう。幼児期にイメージ力を育ててあげること。過保護を避け少し距離をおいて子どもの「自分育ち」を見守ることが大切と、話されました。

エココインを使って社会性を持った活動へ

エココインは子どもたちが「地域のイベントや商店街のお使いなどへ積極的にでかけ、社会性が身につくように」と考案されたアルミコインです。ある企業が鉄板の切れ端から作ってくれました。「あそび隊」の活動や天気村の行事、ボランティアへ参加すると1枚、お使いをすると商店街から貰えます。全種類12枚集めると協賛企業から環境グッズが賞品に。子どもたちはエココインを入手する過程で、自分の住む街や人々、自然環境と触れ合う仕組みです。「北海道や九州などで同様な試みが行われ、各地域の子どもたちがコインを通じて交流できると、子どもの夢やイメージがふくらむ」山田さんの発想に共感し、天気村の発展に期待する取材でした。

(取材・文責 青木孝子)


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