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いま、社会の一員として

─ 地域社会との共生をめざす企業と市民団体 ─

新潟県
(No.62 2002 秋)

2002年秋号の取材先は新潟県です。日本海側のほぼ中央にあり、北東から南西に長い新潟県は、北、東、南を山形・福島・群馬・長野・富山の各県と接し、北西側は日本海、海峡を挟んだ佐渡島と粟島も含みます。県境は全て山に囲まれ、朝日岳・飯豊山などの越後山脈、谷川岳を中心とする三国山脈、南西部は妙高などの火山、西端は飛騨山脈が富山との境を限っています。肥沃な新潟平野は「コシヒカリ」に代表される全国有数の米作地帯であり、同時に典型的な日本海型気候の豪雪地帯としても知られます。
今回の訪問先企業は三条市に本社を構える(株)コロナと、越路町朝日に本社のある朝日酒造(株)です。加えて、上越22の市町村を対象に「地域の応援団」を目指して情報発信する(株)上越タイムス社と、同地域で活躍する特定非営利活動法人くびき野NPOサポートセンターを訪ねました。
1937年創業のコロナは、石油コンロの製造発売を起点に、1955年には日本初の加圧式石油ストーブを完成・実用化。この新しいタイプの暖房器具は全国に普及して、当時の生活様式を変革・向上させました。以来、絶えざる石油燃焼技術への研鑚と技術開発に力を注ぎ、現在は石油関連機器から住宅設備機器等の分野へ参入。快適で健康な住環境をトータルに提供する企業として発展しています。3つの生産工場と技術開発2拠点はすべて県内にあり従業員は約2,000名。地域に根ざし、地域に役立つ企業活動をモットーとして事業展開しています。
朝日酒造は1830年、現在の越路町に屋号「久保田屋」として創業、1920年に株式会社に組織変更した由緒ある酒蔵。創業以来、ふるさと越路の自然の恵みを守りながら地元に根を張る朝日酒造は、伝承の技と心を磨き、時を超えて人々に親しみ愛される酒を醸し続ける酒蔵を目指しています。清冽な水と空気、良き米に恵まれた地域の自然環境を守り、次世代の子どもたちに引き継ぐために、地域と共生した環境保全活動を実施しています。「地域に育てられながら地域に貢献していく」、これが朝日酒造の企業姿勢です。社員は約180名、米作りと販売の2つの関連協力会社があります。
コロナの取材は総務部猪浦賢治部長と広報室高橋邦雄副部長に、朝日酒造は平澤亨社長と安藤正芳広報課長に伺いました。上越タイムスとくびき野NPOサポートセンターの活動は、山田護編集局長と秋山三枝子事務局長にそれぞれ伺いました。


創業の精神「誠実と努力」を理念に、
生活文化向上への貢献を目指す (株)コロナの社会貢献活動

コロナの創業者、内田鐵衛氏は1904年三条市生まれ。大学で電気技術を学び、電気事業主任技術者の資格を取得。その技術と知識を活かして活躍中に父親に呼び戻されて、家業であるガソリンコンロの販売を手伝いました。コンロの販売や修理を通じて燃焼効率や操作性など、さまざまな改良点を発見した内田氏は自らの独創力を活かすべくオリジナルコンロの研究をスタート。寝食を忘れて研究に没頭した結果、2年後の1933年に灯油を燃料とした「加圧式液体燃料コンロ」の開発に成功し、特許2件と実用新案1件を取得。更に実用化に向けて開発を進め1935年に「コロナ」の商標を登録。そして1937年、自宅裏に10坪ほどの工場を建て石油コンロの製造販売を開始したことが、今に続くコロナの創業になりました。
そして戦後、(株)内田製作所を1950年に設立。本格的な生産に入ると共に、更なる研究を重ねて「加圧式石油コンロ」と「加圧式石油ストーブ」を相次いで開発・発売。従来の暖房様式を大きく変えたこのストーブは日本全国に普及して社業は大きく飛躍しました。商標の「コロナ」は創業者が石油コンロの研究に没頭中、暗がりで見つめたコンロの青色炎が、皆既日食の神秘的な太陽コロナの放射状放電と似ていることに気づき、その美しいイメージと重ねて付けたものです。
1992年に(株)コロナに社名を変更。人々の生活文化の向上に貢献したいという理念のもとに、多様な商品を開発・販売し、現在では暖房・空調・給湯・温水暖房システムなどの機器に加え、施工・リフォーム等、暮らしに関わる住環境を総合的にサポートしています。また、昨年発売した世界初の自然冷媒給湯機「エコキュート」は、冷媒にフロンではなくオゾン層破壊係数0、温暖化係数約1/1700というCO2を使用し、地球環境と省エネルギーに大きく貢献する商品としてコロナ住宅設備事業の核とすべく積極的に展開しています。

90年代から始まった企業の社会貢献活動

地域社会への貢献を目指す活動の始まりは、2代目社長内田力氏が社業を引継いだ1990年代から。社会福祉や文化・スポーツ支援のほか1994年には科学技術振興の財団を設立しました。
社会福祉支援の一環として行う「独居老人宅の暖房器具点検」は、三条地域消防本部が毎年実施する「秋の全国火災予防運動」にあわせて、電気、ガス、老人福祉の各機関と協力実施する活動です。2日間にわたり一人暮らしの老人世帯を巡回訪問して、暖房器具・家電製品などの配線状況やコンセントを点検・補修。火災の原因となる家屋回りのゴミ処理など火災予防への指導を行うもので、20年来継続しています。1992年からは福祉施設へ自社製品を寄贈する「コロナ快適住環境福祉増進制度」を設け、春秋の2回実施しています。また高齢化する地域社会のニーズを踏まえ、安全・快適な住環境の提供を目指して「社会福祉法人太陽福祉会」を設立。理事長は内田社長です。この目的にそって老人福祉施設「ケアハウス・サンホーム」を建設し、県内の病院・福祉施設と協力体制を持ちながらきめ細かな運営を行っています。

地域の人々に都会の風を運ぶ音楽を

コロナの本社、生産工場、技術開発センターはすべて県内(三条・柏崎・長岡)にあり従業員のほとんどは地元の居住者です。多くの企業が海外に生産拠点を移す中、コロナは国内生産にこだわり、地域に役立ち人々に利する企業姿勢を貫いています。地域に根ざした企業として、地元への感謝を込めて始めた行事が「コロナスペシャルコンサート」です。一流のミュージシャンを招き、内容の濃い生のステージを地域の人々に味わっていただく。音楽文化振興の一助として、1990年以来毎年秋に開催しています。21世紀の幕開けとなった昨年は加藤登紀子さんを迎えてのスペシャルコンサート。当日のため特別に構成されたプログラムと洗練されたステージ、心に響く素晴らしい歌声に、会場を埋めた多様な年代の市民たちは深い感動と興奮を味わいました。会場は県央地場産業振興センターにある1,500名収容の多目的ホール。働く人々の参加を考慮して平日の午後7時開演です。入場料は有料ですが、コンサート経費の約半額をコロナが負担し、安価な料金設定です。
もう一つの文化支援は社会的に意義のあるスポーツ振興です。毎年開催される「日本海駅伝」への協賛、地元新潟を基盤に活躍するプロバスケットボールチーム「新潟アルビレックス」のオフィシャルスポンサーとして、チーム発足時から支援しています。1998年の長野オリンピックではオフィシャルサプライヤーとなり、1,800台の暖房機器を各会場へ設置。厳しい気象条件下で安全・快適な環境を提供する役割を果たしました。

内田エネルギー科学振興財団を設立

研究開発に対する創業者の絶えざる研鑚と志を受け継ぐコロナは、1994年に(財)内田エネルギー科学振興財団を設立。新潟県におけるエネルギー資源に関する科学技術の向上のために助成事業を行い、地域の工業振興へ寄与することが目的です。事業内容は (1)エネルギー資源各分野の研究者に対する試験研究費の助成、(2)同分野で研究を実施する団体に対する施設・整備費等の助成、(3)知識普及のために公開講座等を開催する個人・団体への助成で、すべて公募で行われます。本年度は62名の研究者と団体、知識普及事業等に対して助成を実施しました。近年の助成対象には地元の環境NPOや、ヒマラヤ山脈北面の高冷地で太陽熱利用の農作物栽培技術の開発研究を行っているネパールムスタン地域開発協力会(理事長は近藤亨元新潟大学教授)など、新しい分野への支援も行っています。理事長は内田力社長、理事・評議員・選考委員は学界、研究・行政機関を中心に県内有識者で構成されています。

活力ある明るい地域社会・職場を築くために

コロナ本社には社長室がなく、代わりに各職場に社長デスクが置かれています。創業者同様、技術畑出身の内田社長は生産現場に出向くことも多く、各工場には部署毎にデスクがあります。公的任務や関連企業、財団活動など多忙な中を各工場や事業所へ出勤し、社会貢献に関わる行事にも積極的に臨みます。「明朗で活力ある職場、地域社会を築くことが、美しく平和な社会を建設する礎となる。」倫理研究所が提唱する活動を実践する内田社長は、昨年「三条市倫理法人会」の会長に就任。その活動の一環として「掃除に学ぶ会」が主催した三条市内小学校のトイレ清掃活動にも参加、「清掃で自分の心を磨く実践」を率先して行いました。コロナでは毎朝7時半に社員が出勤、部長クラス以下全社員で社屋、近隣の清掃活動を行っています。地域に根ざした活動と共に、「人々の暮らしに喜びを」を企業コンセプトとして新世紀の暮らしを提案するコロナ。地道な地域貢献活動が印象に残る取材でした。

美しい自然環境を次代に引き継ぐために
地域に根ざし、地域と共に歩む 朝日酒造(株)の社会貢献活動

米と水から造られる酒。お神酒とも呼ばれる日本酒は、古来より繁栄や豊穣の祈りと共に神前に供えられ、さまざまな行事・祭事をはじめ、人々の暮らしの中に溶け込み親しまれてきました。酒造りに欠かせないもの、それは豊かな自然環境が育むよき米と水、空気、そして蔵人たちの伝承の技と心です。現在の越路に久保田屋として生まれた朝日酒造は、170余年にわたる伝統を受け継ぎながら、地元に根ざした酒蔵として、地域社会と共に歩んでいます。「真の地酒とは地域の環境とその中で育まれた自然の財産から生まれる」という考えのもとに、農業生産法人「(有)あさひ農研」を設立。高品質の酒造好適米の栽培に取り組み、美しい豊かな地域の自然環境を守る活動を続けています。

1984年から始まった「蛍の里づくり」

自然環境を守る活動を進めるためには、ただ漠然と「自然環境を守りましょう!」と訴えても効果がありません。そこで朝日酒造は、自然環境の指標昆虫としてホタルを選び、自然をはかるシンボルと位置づけました。そして (1)環境のホタル、(2)教育のホタル、(3)鑑賞のホタル、というテーマで始めた自然保護活動が「蛍の里づくり」です。提唱者は当時工場長だった嶋悌司氏。活動の第一歩は1984年、社内でのホタル飼育から。社員によってホタルチームが編成され、生息調査やホタル水路づくりにも着手しました。1986年には社内から町の取り組みへと発展させるべく「越路町ホタルの会」を発足させ、事務局を朝日酒造に設置。越路町の全小中学校に飼育水槽を贈呈して、各学校でも飼育観察が開始され学校ホタル部会が発足しました。翌年には越路町全戸と各小中学校に向けて会報「ほたるの里」の発行を開始、現在も年一回の発行を続けています。1989年には環境庁から「ふるさといきものの里」に越路町が認定されました。この取り組みを県内全体に発展させるべく「新潟県ホタルの会」を発足させ、朝日酒造に事務局を設置。1994年には越路町に「全国ホタル研究会」を誘致、開催しています。翌年、朝日酒造の酒蔵建設に伴い「ホタル研究室」を蔵内に設置して活動を継続。朝日酒造から始まった「蛍の里づくり」活動は子どもや地域の人々、各市町村を巻き込みながら新潟県内に大きく広がり、豊かな自然環境を守る活動として各地で着実に継続されています。

モミジの苗を育て植樹する「もみじの里づくり」

朝日酒造の蔵に近い「巴が丘」に旧庄屋の別荘とモミジの庭園があります。さまざまな種類のモミジを巧みに配置した庭園は、紅葉の見事さばかりでなく四季折々に美しさに溢れます。越路町は1985年にこの古い屋敷を地主から譲り受けて、庭園整備を始めました。朝日酒造は株式会社設立70周年を迎えた1989年、記念事業として朽ちた別荘の修復を実施。庭園整備も終わったこの年に一般公開され、新たに「もみじ園」と命名されました。朝日酒造の社員たちはボランティアとして庭園の清掃を行い、庭園内に自然に芽生えたモミジの幼苗を採取して育苗を始めました。これがホタルに続く「もみじの里づくり」のスタートです。採取した種や幼苗は社内に設けられた植栽場で育苗します。苗畑の草取り、夏の水やり、苗畑の冬囲いなど、小さな種から苗木に育つまでには5年の歳月を要す作業です。育った苗木はポットに入れ、毎年、町内の新中学生に記念樹として贈呈します。1993年に最初の贈呈を受けた当時12歳の中学生たちは、昨年20歳を迎えました。「さまざまな経験を積みながら、もみじと共に成長していきたい。」記念樹に寄せた思いです。
朝日酒造ではこの活動も広く越路町全体の活動として継続すべく、町民に呼びかけ1997年に「越路もみじの会」を発足させて事務局を社内に設置。ホタル同様に会報を年1回発行しています。1999年には県主催の「にいがた緑の百年物語」事業に参加。越路町の中学生が贈呈されたもみじの苗木を、地域の方々と共に山に植樹する活動を行い、毎年継続されています。モミジは町民によって「越路町の木」に選ばれ、植樹を続けながら自然豊かな地域づくりに貢献しています。朝日酒造の社員は全員「蛍の里づくり」あるいは「もみじの里づくり」チームの一員となって、環境保全活動へ取り組んでいます。

子どもたちの健全育成をめざす「かぎろひ塾」

越路町の教育委員長として教育問題に携わった平澤社長は、子どもを取り巻くさまざまな問題に直面。子どもが健全に育つ教育環境を、学校と家庭だけでなく地域社会も協力して築きたいと考えました。次世代を担う子どもたちと本気で向き合い、地域の自然環境の中で心身ともに健やかに育つ。この目的で始めた活動が「かぎろひ塾」です。「かぎろひ」とは朝日が昇る直前に紅色に染まる大空のたたずまい。平澤社長の命名で1994年に開塾しました。塾生は小学校3年から6年生までの男女20名。毎年町内外の小学生から募集します。3年生から6年生まで4年間通う子ども、兄弟姉妹で参加する子どもなど、現在までに100余名が卒塾しています。学習内容は米作りを通じて自然環境を学ぶ「農業体験」と季節折々の「アウトドアスポーツ」を組み合わせたもの。4月の開塾式のあと、田んぼ打ち、田植え、草取り・ヒエ取り、稲刈りを体験。収穫した米で餅をつき、稲藁で藁草履を作るまで体験します。春夏秋の登山やキャンプ、12月のスキー合宿で1年間12回のプログラムが終了です。運営と講師は朝日酒造の社員が主に担当し、塾長は広報課長の安藤正芳さん。平澤亨社長も登山とスキーの講師を務めます。「かぎろひ塾」も今年で9年目。卒塾した子どもたちが、やがて地域の自然環境を考えるリーダーとして育つことを願う体験学習です。

財団法人「こしじ水と緑の会」を設立

蛍やもみじの里づくり、そして次代を担う子どもへの環境教育の他、朝日酒造は里山のパトロールや地域河川の水質調査などの環境保全活動・啓発活動も続けてきました。しかし環境保全活動の質と内容を高め、地域全体の幅広い活動へと発展するには、一企業の取り組みでは限界があります。そこで財団法人の設立準備を目指し1995年に「自然環境保護の会」を発足。着実な活動を積み重ねると共に、企業と社員が力を合わせて基本財産を積み立てました。そして2001年6月、新潟県を主務官庁として財団法人「こしじ水と緑の会」の設立となりました。財団は里山や水辺に代表される水と緑の身近な自然環境の保全活動や研究活動、普及啓発や環境教育活動への助成を行います。自らも自然環境を守る活動を行い、豊かな自然を次世代へ継承すべく環境保全に寄与することを目的としています。財団の活動を企業だけでなく、目的に賛同する多くの人々が会員として支え参加してほしい。環境保全活動を広く市民運動として展開することを目指し、着実な活動を重ねています。
「本業を発展させるには社会への貢献は必須条件です。社会に認められないような会社は、生き延びられるはずがないのですから。社業と社会貢献が車の両輪のように上手に回転するよう、堅実経営に励んでいます。」平澤社長の言葉が心に残る取材でした。

地域の応援団を目指す地域紙「上越タイムス」と、
新しい社会の担い手を目指す
特定非営利活動法人「くびき野NPOサポートセンター」の活動

上越タイムスは1980年に上越地域の地元紙「上越新聞」として創刊されました。地域の行政・経済関係記事を中心に全国紙と同じスタイルでニュースを提供し、地域新聞としての役割を果たしましたが、1990年に経営が悪化。地元紙の灯を消すまいと経営・組織の再編成が行われ、「上越タイムス」として再出発した地域新聞です。1997年からは紙面をタブロイド版に変えカラー写真を入れてスタイルを刷新、「地域に根ざした新聞」を目指しました。外枠を変えても長年積み上げたジャーナリストの意識変革はそうスムーズに進まず、地元に根ざした新聞を模索しながら業績低迷が続きました。
「上越タイムス」が大きく変革したのは、父親である2代目社長の後を引き継ぐべく現社長大島誠氏が執行役員に就任した1999年から。大島氏は上越地域を中心に複数の企業経営を担う父親のもとで、経営手腕を磨いた若手企業家。上越青年会議所のリーダーとして強い信念と先見性をもつ大島氏は、社内の意識改革に取り組むと共に、地域で暮らす人々や企業を真に応援する「地域の応援団」を社のモットーに、新たな紙面づくりを遂行しました。読者が朝一番で手に取る新聞の一面トップは、爽やかな気分になれる内容の記事とカラー写真で飾る。スポーツも県代表になった地元出身選手や全国大会に選抜されたチームを思い切りバックアップする。地域に役立つ細やかで多様な情報を掲載して、全国紙や専門紙との差別化を図りました。同時に読者拡大を目指して販売部を社内に設置し、「自分で売る自信がなければ、真に良き新聞づくりにはならない」と、全社員33名も拡販に参加しました。現在の発行部数は低迷期の倍、1万8,000部です。「地域の中に埋もれているいい話」など掘り起こすのが難しいネタも、読者から直接、情報提供されるようになりました。心の温もりが通う「ホッといい話」は市民の反響が高く、昨年募集したコミュニティ懸賞作文には小学生から成人までの多数が応募。優秀入賞作品20点は今年1月から毎日紙面に掲載しました。
そして昨年から始まった新企画がNPO紹介のページです。世の中の新しい動きであるNPOを、地域の人々に解りやすく正しく伝える。新聞記者が客観的に整理した内容で紹介するのではなく、NPOへ紙面を提供し地域の動きや現場の活動をNPOの視点で直接伝えます。紙面は今年4月から毎月曜日、2ページに拡充され、記事の制作編集は「くびき野NPOサポートセンター」が行っています。「最初は少々心配しながらの企画でしたが、もはやNPOに紙面を提供しているという感覚はありません。刺激や感動・共感と、新しい知識や動きをNPOから受けるほうが大きいですね。」山田編集局長の率直な感想です。NPOに加え昨年は環境問題に取り組む地元3校の小学生にも紙面を提供しました。率直な感覚で書いた子どもたちの記事はNPOページと共に大きな反響を呼びました。温もりのある紙面づくりで地域に根ざし、地域の応援団を目指す上越タイムスは市民の支持を徐々に広げています。

「くびき野NPOサポートセンター」の設立は、1997年に上越青年会議所が呼びかけた地域NPOの定期懇談会がきっかけ。集まったNPO有志がネットワークや情報の拠点を持ちたいと設立準備を重ね、1998年12月にNPO法人を申請。翌年、認証を得て特定非営利活動法人「くびき野NPOサポートセンター」として活動を始めました。主な活動は、頚城野(くびきの)22市町村でよき地域づくり・社会づくりの担い手になろうと活動するNPO団体との情報交換とネットワークの構築、NPO法人設立を目指す団体への支援と相談業務です。理事長は上越青年会議所でNPO懇談会を呼びかけ、上越タイムスの社長も務める大島誠氏。事務局長の秋山三枝子さんは、地域の子ども劇場の運営に携わりながらセンター設立当初からボランティアとして活動を支え、更に充実した活動展開を願って、一昨年自ら常勤事務局長を引き受けました。理事はNPO団体と企業人、歯科医、陶芸家などバラエティに富む13名で任期は2年。会員数は現在、NPO30団体の他、企業・個人が半数ずつ合計150ほど。9名のスタッフがシフトを組みながら、多様な活動を担っています。
毎週上越タイムスに掲載する「NPO通信」のページを企画制作するのは秋山事務局長の他、3名のスタッフで編集を担当しています。今年の7月、くびき野地域で1年以上の実績がある5つのNPO法人の決算報告をまとめ、事業内容を添えて紙面に発表しました。それぞれの資金源を分類し、目的実現に向けての方向性を探る記事は、NPOの活動を具体的に理解し評価する手法として読者の関心と反響を呼びました。今年の4月からNPOページが2頁に拡充されたことを受けて、同ページ下段に掲載される広告料収入が編集経費としてセンターへ移管されました。貴重な収入源として活かすべく、企業等への広告依頼はセンターのスタッフが勧誘に回っています。
2000年からは、地域各層の幅広い支援を受けようと、各市町村の首長や議員各氏への働きかけを始めました。「NPOが担う役割と活動」への理解促進に向けて、大島理事長を講師に“市町村議員へのNPO講座”や“自治体への出前講座”を実施。秋山事務局長は市町村長を巡回訪問してNPOへの理解を深める活動を実行しました。交流・ネットワーク活動の主事業は2000年8月から始まった“くびき野市民活動フェスタ”。くびき野地域一円で開催されるフェスタは年々充実し今年は56企画59団体が参加、約2週間にわたる行事には多数の市民が集い活動の輪が広がりました。この他、上越市NPO・ボランティアセンターの管理・運営を受託、NPOフォーラムの開催など、活動内容は大きく飛躍しています。活力ある豊かな地域づくりに向けて積極的な活動を展開する「くびき野NPOサポートセンター」。さらなる発展に期待する取材でした。

(取材・文責 青木孝子)


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