[ 日本経団連 | 1%クラブ | 1%クラブニュース ]

いま、社会の一員として

─ 地域社会との共生をめざす企業と市民団体 ─

北海道十勝
(No.63 2003 春)

2003年春、63号の取材先は北海道十勝平野、その中心都市帯広です。十勝平野は西に日高山脈、北には遠く大雪山系を望む広大な平野。冬の朝、白く輝く日高山脈と整然と並ぶ落葉樹や白樺の防風林、果てしなく広がる純白の大地が織りなす大自然の風景は息をのむ美しさです。同地は明治16年、開拓の父・依田勉三率いる晩成社の一行が静岡県伊豆から入植し開拓のくわが入れられました。幾多の困難を経て、今では日本を代表する酪農と大規模畑作地帯になっています。主な農作物は豆類、ビート、小麦、ジャガイモ、生乳生産をはじめとする酪農など、食料供給基地としての重要な役割を担っています。
今回の訪問先企業は帯広市に本社のある(株)十勝毎日新聞社と和洋菓子の製造販売を行う六花亭製菓(株)です。美しく雄大な十勝平野のエネルギーをバネに十勝・帯広のまちづくりに取り組む若い人々の活動もご紹介します。
十勝毎日新聞社は創業者・林豊洲氏によって1919年に設立されました。豊洲氏は新聞社の他に十勝川温泉で観光事業も経営。新聞人として十勝の産業や文化、スポーツ振興に力を入れる一方、観光産業の育成と自然環境保全にも力を注ぎました。帯広市を中心とした1市19町村で構成される十勝支庁の人口は36万人、14万世帯。「郷土とともに」と「読者本位制」を社是とする十勝毎日新聞社は地方紙の本質を追求しつつ、同地域で9万部強の夕刊を単独で発行。帯広圏では70%の人々が読者という普及率を誇ります。新聞社の他、情報産業やホテルなど7社のグループ企業があります。
花柄の包装紙に包まれ、北海道のお土産としても人気の高い六花亭のお菓子。1933年の創業時は帯広千秋庵の社名でしたが、1977年に六花亭製菓と改名。帯広地区に12店舗、札幌と釧路地区に31店舗を構え、十勝らしさや季節感を織り込んだ和洋菓子の製造販売を行っています。食生活に潤いと豊かさ、文化の薫りをもたらすお菓子作りとともに、児童詩や音楽、十勝を題材とする絵画・写真など地域に密着した多様な文化活動を実践しています。
十勝毎日新聞の活動は林光繁社長に、六花亭製菓では企業文化部総括の松橋弘幸氏に同社のメセナ活動を伺いました。十勝の景観を活かしたまちづくりは、北海点字図書館副館長で(有)プロット代表の場所環境プランナー、後藤健市氏に伺いました。


「郷土とともに」と「読者本位制」を原点に、
地域社会への貢献を目指す (株)十勝毎日新聞社の活動

十勝毎日新聞社(通称:勝毎<かちまい>)は夕刊のみを単独発行する地方紙。1919年の創業以来、一貫して郷土・十勝に根ざし地域発展に益するべく事業を展開してきました。地方紙として大きく発展したのは現社長林光繁氏が4代目社長を引き継ぐため、毎日新聞社を辞し入社した1973年から。時代の変化に対応する電子編集システムを導入し、新聞制作のあらゆる分野でデジタル化を推進。新聞文字の大型化や記事の「原則署名制」も全国紙に先駆けて実施しています。紙面づくりの基本は「十勝」地域ですが、情報チャンネルは広く、国内の新聞・通信社に加え、米国最大の全国紙や経済通信社とも提携。十勝に密着した情報を集めることはもちろん、地域の視点から日本や世界を捉え、世界的視野で地域を見る紙面づくりに努めています。1970年代までは発行部数2万部程度だった勝毎は、年々部数を伸ばして現在は9万部を超え、帯広圏内で70%、十勝管内66%の高い普及率を誇ります。「地域の発展なくして社の発展はありません。十勝管内36万人の生活紙を目標に、利潤の地域還元を図り、地域の発展に寄与することが経営の基本です」。林社長は企業姿勢を明快に語りました。

年間キャンペーンによる地域貢献

勝毎では地域の発展に役立つテーマを選び年間を通じたキャンペーン記事の掲載を行っています。1976年から続く編集方針で、日本国内のみならず海外にも記者を派遣して取材、テーマに関連する先進事例をレポートするもの。地元の人々がお金を出して視察に行かなくても勝毎が問題と状況を報告します。1991年から2年間続けたテーマは環境問題。十勝の総面積が地球総面積の約5万分の1に当たることから、「5万分の1の地球、十勝の自然を考える」をテーマに据え、自然環境や資源は有限という事実を再認識しながら、十勝の住民にとってより良い生活環境のあり方をレポートしました。1997年には「食糧基地は安全か」をテーマに、ダイオキシンによる土壌汚染問題を全国紙に先駆けて報道。少子化問題は1998年に、翌年には「NPOは社会を変えるか」のキャンペーンを実施しました。海外在住の日本人学者からは勝毎はNPOについて最も進んでいるとの評価が寄せられています。2002年のテーマは「農プラス1」。農業技術、収穫量ともに世界的レベルの素材供給型十勝農業に、ITや医療、教育などをプラスし、農業の新たな挑戦を喚起する内容です。農業技術に関する研究成果や先進事例紹介は食料供給基地十勝の地域発展に欠かせない報道使命の一つ。時代の要請をいち早く捉え、多角的な視点から報道する。これが年間キャンペーンの特色であり、中央依存型の北海道経済・社会を自立に向けて体質改善しようと試みる方策でもあります。

「十勝千年の森」による環境保全への取組み

新聞制作には多量の紙を消費します。勝毎が新聞紙として使用する紙は年間約4,400トン、原料である原木に換算すると樹齢60年のトドマツ6,000本を切っていることになります。二酸化炭素の大きな吸収源である森林を、面積に換算してほぼ年間14haも消失している勘定です。針葉樹の炭素含有率は47.3%、新聞用紙の炭素含有量も46.1%とほぼ同量。樹齢60年の樹木を年間14ha消失するとすれば、840ha(60年×14ha)の土地があれば新聞用紙の使用で失った炭素を森林に固定して相殺できる計算です。勝毎は1990年、定款に「育林業」を加え、消費する紙の代わりに木を育て森林として自然に還元する独自の植林活動「カーボン・オフセット=炭素の相殺」構想をスタートさせました。経済活動などで放出した炭素を何らかの手段で吸収し、地球の温暖化を食い止めようという環境施策です。地元十勝管内、日高山脈と十勝平野の接点に約400haの植林用地を確保して森林整備事業に着手すると共に、離農跡地を引き受けて農業生産法人を設立、農場経営にも着手しました。この「カーボン・オフセット」実践の大地を「十勝千年の森」と命名し、この森で地球環境保全を目指す多様な活動を展開しています。
広大な「十勝千年の森」には広葉樹林、カラマツの人工林、牧草地、河川があり、畑作や畜産も行っています。森、畑、家畜を総合的に組み込んだ教育ファーム事業も展開。自然や命の大切さを体験しながら学ぶ環境教育の場にもなっています。植林は北海道在来の樹種を中心に社員ボランティアによって実践しています。活動を始めて12年が経過、「十勝千年の森」を自然環境保全の場として更に充実させると共に、不足用地は、「できれば十勝管内にと思うが、地球規模で環境保全を考えるなら、開発と同時に森林破壊が進むアジアで育林することも考え始めました」。地域にあってもグローバルな視点で問題を捉える林社長の現在の心境です。

NPO法人「十勝グランドワークトラスト」を設立

勝毎では二つのNPO法人を独自に立ち上げました。「十勝グランドワークトラスト」と「十勝文化会議」で、共に林社長が代表を務めます。グランドワークは十勝の自然環境保全と再生を目指す地域活動の支援・推進を目的に、「十勝グランドワーク・トラスト研究会」として1997年に発足。土木・造園・環境調査等の専門家、市民グループなど約50人の専門知識を持つ人々を人材として登録しています。環境保全活動の支援や河川の水質浄化手法の検討、環境情報データベース構築の研究会など、地道な活動を重ねました。2001年にNPO法人の認証を受け、特定非営利活動法人「十勝グランドワークトラスト」として環境劣化の進む札内川の支流、ヌックプ川の河岸改修保全事業に着手。北海道庁の資金支援を受け、建設事業者の協力を得ながら事業に取り組み、大幅なコスト削減で河岸改修を行いました。これは官・民・NPO協働の新しい環境保全手法として注目を集めました。地域河川の環境改善は今後も継続する活動です。「十勝文化会議」には地域の文化人・芸術家が参加、地域文化の発展に寄与する多彩な活動を展開しています。

地域の活性化に向けて

十勝に新しい文化を創りだし、育てあげ、地域を活性化していくことも、地域に根ざす大切な仕事だと勝毎は考えています。文化芸術から教育、スポーツなど、主催する事業は年間200近く、地域で地道に活躍する人々・団体を表彰する十勝文化賞や環境賞、福祉賞などの顕彰事業にも力を入れています。勝毎グループには情報関連の帯広シティーケーブル、エフエムおびひろ等に加え、観光事業を担う北海道ホテル、第一ホテル豊洲亭、地ビールの十勝ビールと農業生産法人ランラン・ファームもあります。ホテル事業は新聞社と共に創業者が興した事業。環境保全に取り組む勝毎の企業姿勢には、地域振興と自然環境保全に全力を注いだ創業者の遺志と伝統が受け継がれています。今年、勝毎が取り組む最大の事業はFTTH(ファイバー・トゥ・ザ・ホーム)。光ファイバーを帯広市内の各家庭に張り巡らせ、情報インフラで全国のトップランナーの仲間入りをする。「郷土とともに」を原点に、地域の発展を使命の一つと考える勝毎の企業姿勢です。

「お菓子は文化のバロメーター」、食文化向上と
地域密着の文化活動を実践する 六花亭製菓(株)の活動

六花亭は和洋菓子の製造販売業として現会長小田豊四郎氏が1933年、帯広市に創業した会社です。創業時の社名は帯広千秋庵、十勝の農産物を活かしたお菓子作りに励んでいました。大きな転機が訪れたのは1951年、北海道十勝支庁主催の経済セミナーで講師が語った「お菓子は文化のバロメーター」という言葉に出会ってから。大きな衝撃を受けた小田氏は「帯広の文化を織り込んだお菓子を作り、文化の薫りあふれる食生活づくりに役立ちたい」と強い責任を感じました。食文化の向上に役立つにはどうすべきか、お菓子メーカーとしてできることは何かを自問しながら、十勝の風土や季節感を織り込み、地域の人々に喜ばれ愛される銘菓を次々と創り出しました。1977年に社名を六花亭製菓(株)と改名しましたが、お菓子作りと同社文化活動の根底には、今も「お菓子は文化のバロメーター」という思想が流れています。

文化活動の起源は児童詩誌「サイロ」

1958年の子どもの日、創業者小田氏の許へ福島県郡山市の同業者から児童詩誌「青い窓」の創刊号が送られてきました。ガリ版刷りの素朴な詩誌でしたが、素直な子どもの詩に強く心を打たれ、「同じような詩誌を創れば、十勝の子どもたちにも役立つのでは」と考えました。「お菓子作りを離れても、地域の人々に役立つことがあれば実行したい」と思っていた時の出会いです。無着成恭氏の「山びこ学校」による生活綴り方運動が脚光を浴び始めた時期でもあり、地元小学校の先生方の賛同と協力を得て1960年1月、文化活動の第一歩となる児童詩誌「サイロ」が発刊されました。十勝平野を彩る「サイロ」は、飼料を蓄え、発酵させて家畜を育てる施設。同じように十勝の子どもを育むという思いを込めて名付けた名前です。「サイロ」は創刊以来40余年間、十勝管内の小中学生の詩を載せて毎月1回の発行を続けています。2001年10月には500号記念コンサートを開催、大きな反響を呼びました。
「サイロ」の表紙絵は開拓生活を送りながら北海道の風物を描き続けた故・坂本直行画伯。小田豊四郎氏の依頼に画伯は、「私は死ぬまで無償で描き続けるから、廃刊しては駄目ですよ」と話し、亡くなる直前まで毎号欠かさず絵筆をとりました。このご縁から、六花亭のシンボルとなるハマナスや水芭蕉など可愛い花柄の包装紙が誕生、社名改名にも繋がりました。

周年記念事業で始まったクラシック音楽と寄席

和洋菓子店として経営の中核となる銘菓も揃い、創業50周年を迎えた1982年、周年記念事業としてスタートしたのが毎月開催する室内楽演奏会と1月と7月に開催する古典落語寄席でした。場所は当時の帯広本店喫茶室。休憩時にはお菓子とお茶がサービスされ、100名ほどで満員になるアットホームな雰囲気も好評でした。当初は1年間の記念事業でしたが、惜しむ声があまりにも多く継続を決定。今年で20年目となりました。クラシックコンサートは現在、改修された帯広本店4階ホールや後述の中札内美術村で年3〜4回、昨年12月音楽ホールとして建設した札幌の真駒内六花亭ホール店(普段は店舗として活用し、演奏会時には120席のホールとなる)では、ほぼ毎月開催しています。帯広本店では大晦日の夜から新年にかけ「ジルベスターコンサート」を5年前から開催。コンサートは大晦日の夜10時半に始まり12時少し前に終え、カウントダウンをしながらシャンパンで乾杯。その後アンコール曲を楽しみ、会場を移して新年を祝うパーティで午前1時半終了です。ジルベスターコンサートには現社長小田豊氏も毎年出席し、参加者と共に新年を祝います。そして元旦には真駒内六花亭ホール店でニューイヤーコンサートが開催されます。古典落語寄席の開催は年3回、正月2日の「おめでとう寄席」、「創業記念寄席」は帯広、「新春寄席」を札幌で行います。音楽、寄席ともに入場料は一律3千円。各店舗で入場券を扱い、不足分は文化活動経費として全て六花亭の負担です。
音楽や寄席に続き、1990年代には公募による「使って見たい北の菓子器展」や俳句の「北の食句展」を開始。1994年には、帯広本社ビル改修に伴い六花亭ギャラリーを新設して地元作家を中心とする企画展も実施しました。これは駅前ゾーンの活性化に繋がるよう期待を込めたもの。これらの活動は10年ほど継続して終了しました。六花亭の文化活動には20年から半世紀近く継続される息の長い活動もありますが、続けることが目的ではなく、必要性の認められなくなった活動はいつでも中止する姿勢が貫かれています。

「地域の社会資本」を目指した中札内美術村

一連の文化活動の更なる広がりが観光スポットとして地域活性化も目指す中札内美術村の開設です。帯広市郊外の広大な小柏原生林6万坪の中に、最初は六花亭と縁深い坂本直行画伯の記念館開設から始まりました。「サイロ」の表紙絵を含む多数の作品を地域の人々に鑑賞してもらい、氏の画業を後世に残したい。自然を愛した坂本画伯の記念館は人と自然が共存できる北海道ならではの場所をと、父・創業者から経営を引き継いだ小田豊社長は考え、自ら十勝中を歩き回って探した場所です。1992年のオープン当初は坂本直行記念館とレストラン・売店棟のみでしたが、その後帯広とゆかりある美術家の作品展示館などを増築し、現在は複数の美術館やギャラリー、レストランなどが点在。1998年から総合名称を「中札内美術村」として今日に至っています。中札内美術村のもう一つの特色は建物へのこだわり。帯広市民に長く親しまれた古い銭湯を移築して蘇らせた美術館、クラーク博士の大農場経営構想のもとに建てられ、重要文化財に指定されている北海道大学内の模範家畜房をモデルとした建物、福井や和歌山から移築された古い民家、廃線となった広尾線の枕木を敷詰めた歩道など、時代と共に歴史を刻んできた古い建物等を、現代に活かして残しています。「すべての美術館の根底に流れるものは、時代を残すという視点です。時間と共に価値が増すような関わりを地域との間に築き、それが無理なく残って、社会資本となればうれしいと六花亭は考えています」と、企業文化部の松橋さんは語りました。
六花亭の文化活動全般を統括する企業文化部の設立は1997年です。松橋さんは美術村の開設準備室から現在の仕事に携わりスタッフは2名。一連の文化活動は社長の意向を踏まえながら、企画・運営のほとんどを手作りで実施しています。

美術村を基点に広がる文化活動

美術村では「座ってみたい北の創作椅子展」と「着てみたい北のTシャツデザイン展」を2001年から公募で始めました。入賞した創作椅子は広い美術村の中に置かれています。Tシャツはプロ・アマを問わず自由テーマでデザイン画を募集。集まった作品は熱転写でTシャツにプリント。大きな青空と広々とした芝生の中で、洗濯物を干すようにTシャツを展示して審査します。2002年は小学2年生の作品が大賞を獲得しました。緑の大地にはためく多数のTシャツは美術村の夏の風物詩です。児童詩誌「サイロ」は年に数回、美術村で写生大会を開催しています。
「十勝ひろびろ音楽祭」も毎年美術村で開催されます。この音楽祭は六花亭のクラシックコンサートを契機に地元ファンが実行委員会を作って誕生したもの。小田社長と松橋さんも委員を務めています。
六花亭にはボランティアを目的とする「公休利用制度」があります。1〜2週間の休暇をえてNPO活動に従事する社員も多く、ボランティア活動も活発です。企業文化部が実施する多様な文化活動の支援には、社員有志がすぐに応じる風土も育まれていました。
六花亭の文化活動の基本は地域の人々に役立ち、喜んでもらうことが大前提。目先の利益や売名行為を避け、景気に左右されず企業体力に見合った活動を継続展開することです。「お菓子は文化のバロメーター」を原点に、食文化への貢献と地域文化の向上に寄与する真摯な姿勢に感銘を受けました。

十勝平野の雄大な自然景観、場所の持つ
エネルギーと意志を活かす 十勝のまちづくり活動

大自然の豊かで美しい環境の中に包み込まれると、疲弊した人間の身も心も癒され、新たなエネルギーが全身に満ち溢れてくる。そんな体験をされた方も多いのではないでしょうか。十勝の若手有志たちがそれぞれの立場で10年近くの歳月をかけて地道に取り組んでいる活動、それがご紹介する十勝のまちづくり活動です。日高山脈を仰ぎ、どこまでも続く広々とした大地。整然と並ぶ真直ぐな防風林と点在するサイロ。活動の中心人物のお一人、(社福)北海点字図書館副館長の後藤健市氏は「十勝平野の雄大な自然、この場所にしかないエネルギーと意志を活かして、十勝全体の活性化と地域の自立を目指したい」と、情熱を込めて語りました。後藤さんは60号でご紹介した1%クラブ「ぴゅあマインドプログラム」の講師を務めた方。本業の場所環境プランナーとして活躍する傍ら視覚障害というテーマを通じて、地域、人、そして自分(心)を見つめ直すプログラムを子どもたちの総合学習として小中学校で教えています。また帯広商工会議所青年部理事として地域の活性化にも熱心に取り組んでいます。

ネット上で十勝のバーチャル住民登録を

後藤さんたちが取り組んでいる大きな構想のひとつは、インターネットを使い多くの人々に十勝の自然と人、農業を知ってもらいネット上で十勝のバーチャル住民に登録してもらうこと。ネット上に地域通貨の口座を開き、住民登録料の支払いや農業への投資、イベントへの参加を推進。自然や農業に関心を持つ人と地元住民との交流を広げる取組みです。事務処理機能としてNPO法人を立ち上げる予定ですが、個々のプロジェクトは自己責任で提案し行動することが原則。
後藤さんが個人として既に実践している「十勝の自然に親しみ、十勝ファンを作る」方法として新しい旅の提案がありました。十勝訪問の連絡を受けると、先方の希望や予算、日程などを確認してホテルや食事、観光&体験コースを決め、帯広空港や駅に出迎えます。案内役は「コミュニティ・コンシェルジュ」と呼ばれる、地元に精通した人々が担当。今までは友人知人の依頼を受けて、ボランティア活動の一環として実行していましたが、依頼者の便宜性を考え新しい旅の形としてシステム化を図っています。「自分たちが思いつくことを、一つずつ形にしていくと、元気が出ます。1つモデルを作ると、他の地域でも同じような状況が生まれるでしょう。地域が元気になれば、日本も元気になれる…」、後藤さんの望みです。

場所のエネルギーと意志を活かして

取材中、しばしば出た言葉に「その時代と場所が持つエネルギーと意志」がありました。十勝平野の持つこのエネルギーと意志を活かして、今年の夏を目標に子どもたちの環境教育の場作りに着手します。北海点字図書館は全盲であった後藤さんの祖父が、ヘレンケラーの北海道来訪をきっかけに設立した社会福祉法人。そこが所有する星山荘(ヘレンケラー記念塔、光と闇、見える世界と見えない世界を体験し、視覚とそれ以外の機能の存在と価値を考える場)の敷地内に、宿泊施設の建設を予定しています。施設は一般にも貸し出し、雄大な自然環境の中で子どもたちのフリースクールを開く計画です。
今冬には雄大な自然の中で「旬」を味わう大型ビニールハウスのフィールドカフェを実験的に開設しました。「旬」と言うと「食」を思い浮かべますが、フィールドカフェの一番の魅力は「場所の旬」と「時間の旬」。季節の移り変わり、時の流れの中でその場所がつくりだす特別な表情(景観)を味わってほしい。カフェの基本設計は早稲田大学石山修武教授が担当、大型鉄骨の躯体など一部をプロに依頼しましたが、床作りから内装まで基本的にはメンバーの手作りです。内部空間は広々と十勝の大地をイメージしたデザイン。床の色は土(茶)、畑(緑)、川(青)の3色、窓枠はトラクターの赤、ドアノブやコートハンガーには台風で折れた落葉松の枝が巧みに活用されます。洗練された美しいテーブルセットに迎えられると、まるで不思議の国のアリスになった気分です。取材に訪れた厳冬の十勝は、凛とした空気と純白の雪世界、心の中まで透き通るかのようでした。白い世界を華やかな色と光のシンフォニーで彩る夕暮れはひときわ美しく、正に「場所と時間の旬」。十勝の食材を活かしたフランス料理の豊かな味わいと共に、至福の時間を味わうひと時です。客人が「わざわざ」十勝に来てくださる。効率優先の世の中で失われがちな「わざわざ来ていただく」という感覚を大切にしながら、自分たちのセンスと価値判断を磨き、十勝のまちづくりを推進する活動に魅了された取材でした。

(取材 青木孝子)


1%クラブのホームページへ