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いま、社会の一員として

─ 地域社会との共生をめざす企業と市民団体 ─

富山県・福井県
(No.64 2003 秋)

2003年秋号の訪問先は北陸の富山県と福井県です。日本海側のほぼ中央に位置する富山県は、東は立山・剣岳を主峰とする立山連峰、南に飛騨山系、西は石川県との県境丘陵山地、北面は富山湾です。豊富な水に恵まれ、稲作を中心とした農業のほか、明治末期より電源開発が行われた日本海側屈指の工業県。観光資源にも恵まれ、富山の薬やチューリップでも有名です。福井県は北に石川、東南は岐阜、南西は滋賀の各県と京都府に接する日本海沿い。古来大陸文化の窓口として、また北陸・東北から京に通じる要衝の地として発展しました。工業では国内シェア9割を占める眼鏡枠などの地場産業が発達。県内には15基の原子力発電所があり、関西経済圏へのエネルギー供給基地となっています。
今回の訪問先企業は富山県黒部市のYKK(株)黒部事業所と福井県福井市に本社のある三谷商事(株)です。あわせて不登校児など厳しい環境下の子どもたちを対象に活躍する富山県小杉町のNPO法人もご紹介します。
YKKは1934年に吉田忠雄氏によって創業されたファスナーのトップメーカー。吉田工業からYKKへ社名変更し、現在はYKKをYKKグループのマザーカンパニーに、建材事業とファスニング事業、両事業を支える技術の中核としての工機事業を機軸にグローバルな活躍をしています。同社の海外進出は早く、50年代末から60年代にかけてインド、東南アジア、オセアニア、北・中南米、欧州で事業を展開。海外法人は現在59カ国105社に及び、日本を代表するグローバル企業の1つ。黒部事業所は全YKKグループの製造と技術を担う中核拠点です。
三谷商事の創業は1914年、創業者三谷弥平氏によるセメント・石炭の販売から始まりました。1946年に三谷商事を再建設立し、変化する時代の中で幅広い事業に着手。現在は北陸、関東、関西、中部地区を中心に情報システム、建設資材、エネルギー、光学関連など、多岐にわたる事業を三谷商事グループとして展開しています。
YKKの活動は環境グループ長の横倉滋氏と野田太平主事に、三谷商事は山本克典執行役員、島口孝一総務部次長と同社市民文化振興財団事務局長の中山信也氏に伺いました。NPOの活動は新しく小杉町に発足した「子どもの人権センター“ぱれっと”」のセンター長、宮川正文氏から伺いました。


創業者の事業哲学「善の巡環」を原点に、
地域社会との共生を目指す YKK(株)の社会貢献活動

「他人の利益を図らずして、自らの繁栄はない」。創業者吉田忠雄氏は少年時代に感銘を受けたアメリカの鉄鋼王A・カーネギーの伝記を通じてこの考えを学びました。「善の巡環」はこの考え方をもとに、創業者が独自に創り出した事業哲学で、同社の基本精神です。貯蓄や自助努力によって、より付加価値の高い製品を安く提供し、人類社会に貢献を図れば、その利益はやがて巡環して自分に戻り自らも繁栄できる。世界59カ国の各地域に溶け込み、投資から利益の還元まで、徹底した現地主義のもとに事業展開するYKKの原点でもあります。
「会社はそこで働く人たちのもの」という創業者の信念によって、YKKは株式公開をしていません。社員には持ち株制度が実施され、各自の意志で株を購入しています。

企業の社会的責任を表明する事業報告会

1993年、吉田忠裕氏が父の後を継いで社長に就任。創業以来の基本精神を受け継ぎながらも、新たに『更なるCORPORATE VALUEを求めて』という経営理念を策定し、グローバル企業YKKグループの更なる企業価値の向上を目指しています。企業の社会的責任の一環として、黒部事業所では年一回の事業報告会を開催。報告会には地域の市幹部や市会議員を招き、YKKの経営状況などありのままの姿を報告し、市民代表からYKKに対する要望も確認します。各事業所所在地の地域住民代表に対しても同様の報告会を行い、地域住民にとってより身近な問題について意見交換を行い、地域との間で起こりがちな諸問題の事前解消に努めています。
公正を経営活動の基盤とするYKKでは、社長自らが社員に対し年一回、株主総会の前に自社の経営状況を直接報告すると共に、長時間の質疑応答の場を持って、社員との相互理解の浸透を図っています。このようにオープンで公正な経営姿勢が社員のみならず社会への公正さの原点になっていると思うと、横倉氏は話されました。

ゆとりある美しい環境の中で、地域に根ざす

4つの工場群で構成される黒部事業所の敷地は170万平米。豊かな水と緑に囲まれた、広々とした環境の中にあります。YKKの工場建設の基本コンセプトは「森の中の工場」。地域の自然環境を守り、従業員がゆったりと仕事に専念できる環境を目指しています。創業者が理想とした「森の中の工場」を具現化したのは、緑の山麓に点在するアメリカ、ジョージア州にあるメーコン工場。日本国内や世界各地の工場群もこの理想の下に建設されました。
世界59カ国で事業展開する同社では、「各地域社会の一員として」事業活動をすることが鉄則です。従業員の雇用、原材料調達、製品の販売から利益還元まで、徹底した現地主義を採用。創業者の口癖は「土地っ子になれ!」で、海外赴任する社員へ必ず伝えた精神です。その土地に永住する覚悟をもってコミュニティのために働く。これが地域社会に受け入れられる大前提であり「各自がその土地になじむ最大の努力を重ねたからこそ現在のYKKがある」と、横倉氏。日本国内も同様で、各工場・事業所のある地域と共に繁栄することを企業使命と考えて、事業活動を推進しています。

地域社会への貢献活動

地域貢献活動の基本は社員が自主的に行うボランティア活動ですが、寄付を含めた企業としての貢献活動、全従業員参加で実施する活動などもあります。企業としての活動には教育やスポーツ振興、まちづくり協議会等への寄付など地域の一員としての役割があり、創業50周年記念事業では地元への感謝として黒部市と魚津市にそれぞれ3億円の寄付を行いました。これを基に黒部市は『黒部市吉田科学館』を、魚津市は『吉田記念郷土館』を建設。館の運営にはYKKも協力を続け、横倉氏は吉田科学館の運営委員長として青少年への科学振興に尽力するほか、多くの役員・社員が富山県及び黒部市のさまざまな役割を担っています。
長年続く地域清掃は春秋の年2回、始業時間前に全社員参加で行う活動です。当初は黒部事業所の社員が工場外周の清掃活動を自主的に始めたのがきっかけ。継続するうちに、地域の人々が一緒にと加わり、近隣の企業も参加しました。商工会議所の呼びかけで、今では黒部市内1300社の社員が一斉に地域美化を実施する清掃活動へと発展しました。全国のYKK工場でも同様に地域の人々と共に清掃活動に取り組んでいます。
地域公開型の総合防災訓練も黒部や東北工場などで実施。広い工場敷地やグラウンドは安全地区として地域の避難場に提供しています。
緑豊かな工場敷地の維持管理は社内に公園課を組織。敷地面積の広い黒部事業所では数年前に子会社として独立し、樹木や芝の伐採屑をいかにリサイクルするかの研究にも着手。培った技術は市内の公園などから出る伐採屑の有効利用などに提供しています。四国工場の公園課は構内で育てた苗木を地域のチャリティマーケットに出店して、売上げを町内の公園整備事業に全額寄付しています。
地域福祉や青少年のスポーツ支援などは主に労働組合やクラブ組織が中心となり、社員ボランティアによる活動が活発です。スポーツ支援の一環としてグラウンドも開放しています。
世界各国の事業拠点では各国地域のニーズを考慮して夫々独自に貢献活動を実施します。エジプト社では工場敷地内の緑化に努めるとともに、全従業員による植樹ツアーを行い、政府の主導する砂漠緑化事業に貢献。上海社やブラジル社でも植樹や地域緑化、環境保全への啓発活動を積極的に実施し、上海では環境保護信頼企業表彰を受けました。

事業活動の最優先課題は「環境との調和」

製造業という立場で同社は、早い時期から環境保全活動を事業展開の中で推進し、充実を図ってきました。現在は、事業活動の全ての分野において、環境政策を組織的・戦略的に推進する環境経営体制を確立し、循環型経済社会の構築に寄与することを目指しています。具体的な取り組みは次の環境基本政策に基づいて推進されます。

1)エコプロダクツ開発・提供の推進
企画・設計段階から環境負荷低減を配慮したエコプロダクツを顧客に提案し採用されることにより、商品を通じて製造・使用・廃棄の全段階における環境低減に寄与する。
2)環境負荷低減経営の更なる徹底
現在地球規模で課題となっている温暖化対策・ゼロミッション推進はもとより、将来の環境リスクとなる化学物質対策・土壌汚染対策などへ積極的に対応する。
3)世界的な環境マネジメントシステムの構築と活用
地球規模での課題に対して、グループ全体で同一目標のもと同一行動の徹底を図るべく、ISO14001のグループ全域での取得と効率的な運用による各地域への貢献を目指す。
4)環境コミュニケーションの推進
環境意識高揚を図る社内教育やセミナー開催と共に、従業員が環境保全活動・ボランティア活動へ積極的に参画できる機会を設け、地域社会との共生を行う。環境配慮型商品などの情報開示を通じて環境経営を実践する企業姿勢を広く社会に伝える。

企業存続の価値を「環境経営を向上すること」と位置づけ、社会に貢献する環境保全活動を推進するYKK。現地主義に徹して世界各国で事業展開するYKKグループの企業姿勢を強く感じる取材でした。


「心豊かな社会づくり」を目指して、
地域密着の文化活動を実践する 三谷商事(株)の社会貢献活動

三谷商事は1914年、三谷弥平氏がセメントと石炭の販売を福井県で個人営業したのが始まり。その後、三谷合名会社を設立し、1928年に三谷商事(株)に改組するとともに、石炭・セメントを主力商品として福井を拠点に営業網を全国に拡大しました。戦時統制によって会社は一時解散しましたが、終戦直後の1946年に新生三谷商事を再建スタート。セメント・石炭の統制が解除された1949年以後は旺盛な開拓者精神を発揮して事業を大きく伸ばしました。1960年代からの経済成長と時代の要請の中で三谷商事は、創業以来の建設資材関連やエネルギー関連への積極的な事業展開に加えて、1969年に情報システム事業分野に進出。1973年には福井県の地場産業でもある眼鏡事業にも進出してブラジル、アメリカ、イギリス、上海に現地法人を設立。現在は分社化して三谷オプチカル(株)が、卸(米英)、眼鏡フレームの製造(上海)、眼鏡小売チェーン(ブラジル)などの海外事業を行っています。三谷商事では他の事業分野も分社化、現在は三谷商事グループとして既存事業に加えCATV、インターネット、自動車販売、レストラン、リース業などの新しい事業領域に挑戦。コンクリートパイルやその2次製品、砂利・砕石等の事業は三谷セキサングループが担い、三谷グループを形成して総合ネットワーク型の高付加価値商社を目指しています。

創業者の信条は「惜しみなき社会への還元」

三谷商事の礎を築いた創業者三谷弥平氏は、「儲けさせていただいたお金は、できるだけ社会へ還元させていただく」という信念をもつ真宗門徒でした。敦賀セメント社長時代には福井市郷土歴史館や敦賀市文化会館をそれぞれ両市に寄贈し、地元の文化高揚に寄与。個人としても「惜しみなき社会還元」を生活信条として、1930〜40年代には福祉施設等への寄付や共働きの多い福井市に婦人職業訓練施設「三谷館」を設立しました。戦中、同館が戦火で焼失した後は、これを再建して福井市へ寄付。終戦後は4階建ての完備した母子家庭福祉施設にするなどの支援を行いました。
さらに創業者の逝去に際しては、本人の遺志に基づき、福井市では中央公園や芦原駅前に噴水、金沢市には三谷育英会、敦賀市には公民館への寄付が行われています。

「三谷進一育英会」による教育支援

1960年に設立された財団法人「三谷進一育英会」は2代目社長の三谷進一氏の遺志をうけて、現会長三谷宏治氏が創設した財団です。育英会の設立趣旨は「向学心と能力に恵まれながら経済的理由で大学進学が難しい高校生に学資を給費し、郷土の優れた人材の育成を目指す」もの。対象は福井県下の高校卒業生。学校推薦を受けて毎年10から15名ほどの学生を選考し、大学卒業までの4年間、毎月3万3千円の奨学金が継続給付されます。返還義務はありません。進学する大学は国内外を問わず、専攻学科の指定もありませんが、在学中はレポート提出が義務付けられています。財団は年一回、奨学生たちが集う懇親会を開催し、相互の情報交換や交流の機会も提供しています。財団発足から40年余、未来を担う人材育成への寄与を目指した教育支援は今も脈脈と継続されています。

「三谷市民文化振興財団」による地域貢献

創業以来、地域との連帯調和を重んじ地域還元の伝統を受け継ぐ同社では、1994年の創業80周年に向けた記念事業を1年かけて検討。高齢社会の到来やライフスタイルの変化など、物資的豊かさより精神的な豊かさ、より人間らしい生きがいを模索する社会機運を考慮して、財団法人「三谷市民文化振興財団」を設立しました。福井県内唯一の、市民文化活動を支援する企業財団です。理事長は三谷グループ会長の三谷宏治氏。基金は三谷グループからの寄付と会長個人が保有する株式の寄付で、各年度の事業にはグループ企業から寄付金支援があります。
福井県内各地では、さまざまな形態や規模の市民グループによって、多様なボランティア活動や芸術文化活動が行われています。財団の設立目的は、豊かな地域社会づくりを目指すこれらの市民活動を積極的に支援し、地域文化の振興とボランティア活動の活性化に役立つこと。助成の対象は、(1)市民のボランティア活動、(2)スポーツ活動、(3)地域に密着した文化活動で、1件あたりの助成額は20〜30万円。1年間の助成総額は約7百万円です。
助成の募集は5月から6月にかけて、地元のマスメディアや市町村役場等へのポスター掲示などによる公募で行われます。各団体から寄せられた活動内容や事業計画・収支計画書を選考委員会で検討し、7月末に助成事業を決定します。助成対象は事業収入のある組織の大きいNPO法人より、自主的活動を行う小規模ボランティア団体が主で、毎年の継続助成はありません。2年の間をおいて2回助成を受けた団体が過去10年間に8団体ありました。助成対象となった事業については、1年以内に活動報告の提出が義務付けられています。

自主性ある多様多彩な各地域の活動を支援

2003年度の申請書受理件数は47件、助成対象事業は計28件で助成総額は700万円でした。助成を受けた活動は実に多様多彩です。スポーツでは少年野球やサッカーなど、地域の子どもたちの相互啓発と健全育成、親睦を図る活動が主流。ボランティア活動支援では膠原病患者の長期療養生活を明るく前向きにするために発足した会の10周年記念誌と活動記録作成事業、視覚障害者のために楽譜点訳とその指導を目指すサークルの研修会費用、障害者や高齢者向けにパソコンの講習会や相談を行う「ぱそぼらねっとF」のIT普及活動などがあります。助成対象が18件と最も多い地域文化活動では、地区の太鼓保存維持に関する活動などで、青少年の育成を目的に練習を重ね、祭事・イベントに参加する太鼓保存会。組太鼓の演奏を通じて年代を超えた交流と、地域の活性化をめざす地域密着型の活動。村に伝わる青葉の笛を村内外に伝承して、地域の文化発信と活性化を図り他地域との交流を深める活動などもあります。地域に伝わる固有文化の保存・振興には毎年必ず支援が行われます。
文化芸術への支援も幅広く行われています。日韓美術作家交流展は、日韓10名の作家集団によって毎年日韓相互の会場で開催される美術展で、敦賀で今年開催される美術展も助成対象になりました。この他、優れた舞台芸術の鑑賞を通じて地域の芸術環境を創る試み、地域交響楽団の活動、子ども劇場の記念事業、子どもたちに伝える昔ばなしや故郷の環境づくり、市民合唱団やブラスバンドの活動、日本酒愛好家によるお酒と地域文化の関わりを調べた記念誌などの市民活動が助成対象に選ばれています。これら活動の中には社員が参加する市民団体も含まれますが、特別な配慮はなく、あくまでも社会貢献度と地域貢献度、活動の継続性と広がりが選考基準です。
過去10年間にわたる助成総額は約7千万円、280を越すさまざまな市民団体の活動を支援してきました。今後の課題は、助成した多様な活動や市民団体との有機的な横のネットワークづくりです。
財団ではホームページ上で助成した市民活動を紹介するとともに、年1回、地域の風習や文化、助成した市民活動などを紹介する広報誌「遊楽彩祭」を発行しています。発行部数は5千部。主に県内の公民館や図書館に置いて地域文化の啓発に努めています。創業者の「惜しみない社会への還元」の伝統を受け継いだ総合商社の、地域と共に生きる地道な活動に触れる取材でした。


登校拒否など、厳しい環境下の子どもたちを守る
特定非営利活動法人「小杉町子どもの人権支援センター“ぱれっと”」

富山市射水郡小杉町では、今年の4月に「小杉町子どもの権利に関する条例」を施行し、この精神に則って子どもの権利を守り、地域住民を啓発する活動を通じて、地域で子どものすこやかな育成を支援しようと、標記NPO法人を立ち上げました。今夏8月23日にオープンした「小杉町子どもの人権支援センター“ほっとスマイル”」はこのNPOが運営する全国でも珍しい公設民営の施設です。駅前商店街の空き店舗を利用した“ほっとスマイル”は、不登校や引きこもりなど、悩みを抱える子どもたちを対象に、皆が安心してほっとできる居場所。喫茶コーナーや相談室、フリースペース、台所などがあり子どもたちが自由に本を読んだり、勉強したり出来ます。センターの運営には心療内科の医師や弁護士など、相談機能も加わり、パソコンなどを使った相談掲示板(http://www.toyamav.net/‾smile/)も計画されています。

不登校当事者たちで設立した「麦の根」の活動

今回お話を伺った宮川正文さんはこの新設NPO法人の副理事長兼センター長に任命された28歳の若者。中学時代に登校拒否や拒食症になり、自ら不登校で苦しんだ経験があります。不登校という差別の中で青春を送り苦しみながらも自立。21歳の時、ある出会いから中日新聞富山版に「学校に行かなかった僕から」を145回連載し、この頃から不登校問題に正面から向き合い、教育問題に深い関心を持つようになりました。10年経っても登校拒否の子どもたちは同じ悩みを抱えたまま。なぜ不登校になるのか、子どもの心情を知って欲しい。宮川さんが独自の活動をはじめた頃、学校に登校できずにいる人や、その経験者など当事者が立ち上げた「麦の根」から一緒に活動してと、頼まれました。当時、不登校の子どもを持つ親たちがつくる「麦の会」があり、そこに十代、二十代の不登校経験者たちも集まっていました。「麦の会」に寄贈された1台のパソコンを若者たちが譲り受け、「パソコン活用で、親の力を借りず、自分たちだけの会を立ち上げよう」と生まれたのが「麦の根」です。1台のパソコンがきっかけで、不登校などに悩んでいた若者が自らの居場所となる「麦の根」をつくる、全国的にも珍しい取り組みでした。宮川さんはインターネット費用を数人の仲間で出し合い、ホームページを立ち上げるなどパソコン活用に専心し、掲示板を通じて参加者も増えました。更に助成金を得て麦の根・電脳塾も開催。全国教育研究集会の不登校分科会への参加や、朝日新聞富山版に「麦の根・随想ろく」を仲間と共に連載するなど活躍の幅が広がりました。2001年からは富山大学非常勤講師となり、今年からは新設NPO運営の一端を担うなど、悩みをもつ子どもの教育へ一歩踏み込んだ活動です。

ドキュメンタリー映画「不登校の真実」

宮川さんが今、最も力を入れているのは“ほっとスマイル”の運営と、今年4月に完成した映画「不登校の真実」の普及活動。この映画は作家、巨椋修氏の同名の本を基に製作されたもの。巨椋氏が本の取材で知り合った宮川さんと話し合う中で、不登校をテーマとした映画づくりが具体化。2人が個人的に制作費を捻出し残りはカンパで賄いました。脚本・監督は巨椋氏、プロデューサーは宮川さん、出演者やスタッフは全員ボランティアです。映画は地方都市のフリースペースを中心に、そこに集まる若者や親と、家庭、学校、教師がドキュメンタリータッチで描かれ、精神科医や文部官僚へのインタビューを織り込んだ73分の作品。不登校の現実を冷徹かつリアルに描いたこの作品を宮川さんは「不登校児の親と教師たちに是非見て欲しい。考えるきっかけにはなるはず」と語りました。教育熱心な韓国でも上映したいと、韓国語への翻訳も考えています。一過性のイベントに較べ映像による社会への波及効果大きく、子どもたちにも理解しやすいと宮川さん。将来的にはインターネットの掲示板にブロードバンドで劇画の事例集を提供したいと、次の構想が膨らんでいました。

*映画貸出しの基本料金は5万2千5百円です。講演付きの上映も可能で講演料3万円がプラス。
 詳細は宮川さんのEメール: mi@tam.ne.jp へお問い合わせ下さい。

(取材 青木孝子)


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