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いま、社会の一員として

─ 地域社会との共生をめざす企業と市民団体 ─

大阪府守口市・兵庫県神戸市
(No.65 2004 春)

2004年春号では大阪府守口市と大震災から9年を迎えた兵庫県神戸市を訪ねました。守口市は大阪平野のほぼ中央部、淀川の左岸に位置し、古くは京街道の宿駅として栄えたところ。現在は家電メーカーの工場や関連の中小企業が集積する産業都市であり、大阪市に隣接した住宅都市でもあります。神戸市は1868年(慶応3年)の開港によって近代化の一歩を踏み出した国際都市。前面に瀬戸内海、背後に六甲山系を有する豊かな自然に恵まれています。異国情緒あふれるお洒落な街神戸は、1995年の阪神淡路大震災で甚大な被害を蒙りました。震災10周年を来年に控えた現在は、復興に向けた新しい都市づくりが着々と進んでいます。
今回の訪問先企業は大阪府守口市の三洋電機(株)本社と神戸市に本社のある(株)フェリシモです。加えて多文化共生の街づくりを目指す特定非営利活動法人「たかとりコミュニティセンター」の活動もご紹介します。
三洋電機は1947年に井植歳男氏によって創業され、1950年に設立された企業です。現在は三洋電機グループとして、AV・情報通信機器、電化機器、産業機器、電子デバイス、電池その他の幅広い事業内容で、アジア、北米、欧州を含む世界各地で事業展開しています。社員数は16,167名、連結会社数は118社(国内58、海外60)。大阪府守口市を含め主要製造事業部門の所在する大規模事業所が国内に約10ヵ所あります。フェリシモは1965年に設立されたカタログによる通信販売を事業主体とする企業。フェリシモ通販の特徴は「フェリシモ・コレクション」という会形式で、継続した取引を行う事業形態です。若い女性を対象に「生活者の日常風景」をトータルな形で提案し、生活者一人ひとりの「しあわせ」を、商品やサービスなどの事業活動を通じて提供します。社員数300名の企業ですが、「しあわせ社会学の確立と実践」を経営理念に掲げ、社会性のある独創的な企画力で着実に業績を伸ばしています。
三洋電機の活動はブランド戦略ユニットの宇治収マネージャーと澁谷陽子主任企画員に、フェリシモはマーケティング統括本部長である星正執行役員と広報室の上野友紀係長に伺いました。たかとりコミュニティセンターの活動は、鷹取教会の神父である同センターの神田裕代表と日比野純一専務理事に伺いました。


「人と・地球が大好きです」をコーポレートスローガンとして
三洋電機(株)

三洋電機の創業者井植歳男氏は、叔父である松下幸之助氏の片腕として松下電器で活躍。その後独立して1950年に三洋電機を設立しました。社名の三洋は太平洋、大西洋、インド洋の三つの海につながる世界の国々を表しています。世界を対象に人間・技術・サービスを三本の柱として進むべく事業分野と方針を定め、創業者によって命名された社名です。世界を照らす太陽のように「世界のひとびとになくてはならない存在でありたい」という創業者の事業姿勢を経営理念に掲げ、世界各地で事業活動を展開しています。

文化・スポーツ推進チームと三洋電機ボランティア推進委員会

同社のスポーツ振興の歴史は古く、1960年にラグビー部を、1980年には女子バドミントン部などを創設。社内では「ビッグスポーツ」と呼ばれて目覚しい活躍を重ね、日本のトップチームとしてスポーツ振興の一端を担ってきました。チームの活動拠点がある地域では、スポーツを通じた地域貢献の一環として子ども達の指導や育成、地域交流活動に積極的に取り組んでいます。
社会貢献活動の専門部署の発足は1991年です。現在は文化・スポーツ推進チームがその任を担い、(1)環境保全、(2)社会福祉、(3)文化(メセナ)支援、(4)国際交流、(5)地域社会貢献、(6)社員のボランティア活動支援など幅広い活動を行っています。
同社のユニークな社会貢献活動への取り組みに「三洋電機ボランティア推進委員会」組織があります。この組織は会社側と労働組合が共同して設けた委員会。「中央ボランティア推進委員会」で企業のボランティア活動の基本方針を決め、北海道から沖縄まで全国19の地域で地区ボランティア推進委員会を設けて、各地域で最も役立つボランティア活動に取り組みます。地区だけでは難しい活動に関しては会社全体としての取り組みが行われています。

「Environment for All(みんなの環境)」

「人と・地球が大好きです」というコーポレートスローガンを掲げる同社では、事業活動を通じて地球環境保全へ積極的に取り組むとともに、社会貢献分野でも重要課題のひとつとしています。「Environment for All(みんなの環境)」をテーマに地球環境保全活動キャンペーンを展開。その活動のひとつに1999年から始まったマレーシア・サラワク州でのワークキャンプがあります。サラワク州は森林伐採によって豊かな自然環境が破壊されつつある地域。社員がボランティアとして現地での水供給システム設置活動に参加。自然との共生、森と水の尊さなど、環境問題を身近なものとして捉え、国際協力ボランティアについて学ぶ8泊9日のキャンプです。アジアボランティアセンターの協力を得て、現地NGOとの協同作業で行います。現地ではジャングルの中の川を堰き止めて水溜を作り、溜まった水をポンプで吸い上げ、タンクからパイプで各家庭に水を供給するシステムを設置。地元の人々と力を合わせて行う重労働ですが、毎回25名程度の社員とスタッフがボランティア休暇などを活用して参加、貴重な体験学習を重ねています。ボランティアの募集は社内ネットや組合の機関紙を通じて行い、キャンプへの参加費用は自己負担で約15万円。組合員の参加者には組合から補助金が出ます。ワークキャンプ実施にかかる費用は労使双方で負担。テロやSARSなどの影響で2回中止しましたが毎年実施される活動です。現地での生活は全員ホームステイ。「まさに、テレビの『ウルルン滞在記』の世界ですが、地元の人々との交流や作業を通じて、環境保全の大切さを学ぶきっかけづくりになれば」と宇治マネジャー。女性社員たちも自発的に自分のできる作業を見つけながら、共に貴重な汗を流します。宇治マネージャーは作業の合間に現地の子ども達とバドミントンを楽しみ、地域の人々との交流を深めました。
「ビーチクリーンアップ作戦」は海岸のゴミを拾うとともにゴミの種類と数を調査し、発生源から対策を考えるという国際的な環境保全活動。大阪府・二色の浜では他社と共催し、社員がボランティア参加しました。この他クリーンエネルギーの象徴である岐阜事業所に建設した「ソーラアーク」を一般に開放して環境教育・啓発活動などにも積極的に寄与しています。「ソーラアーク」は次世代を担う子ども達の心を育てる環境教育の拠点として、今後とも充分に活用していく方針です。

注:「ソーラアーク」は科学とエコロジーの心をのせて未来へチャレンジする箱舟の意

芸術文化の向上を目指すメセナ活動

「芸術文化の向上と若手芸術家の育成」を目指すメセナ活動は、社会貢献専門部署を設置した1991年から実施しています。「大阪シンフォニカー交響楽団」への支援もそのひとつで、資金援助と楽団の財務や後援組織など、楽団運営のアドバイスを行っています。楽団の練習場所として三洋電機本社内にある大会議室を提供、社内コンサートもここで開催されます。毎年開催されるふれあいコンサートには特別にウエルカムドリンクも提供され、参加者はゆったりした気分で音楽を鑑賞。演奏後には楽団員を交えての相互交流もあります。会場が200人規模のため、参加者は現在のところ社員のみ。セキュリティーと会場規模の制約で、地域への開放は目下の検討課題になっています。
大阪府と並ぶ同社の大規模な製造事業拠点が群馬県邑楽郡大泉にあります。大泉町スポーツ文化振興事業団からの依頼で1991年から開催している音楽イベントが「大泉文化むらサンヨー・アコーステックスペシャル『古澤巌バイオリンの夜』」です。以来、冠スポンサーとして継続支援を行い、社員もボランティアとして行事を支えています。演奏者と聴衆が一体となる演奏会は毎年大変好評で、地域文化の振興へとつながっています。若手美術家への支援は、美術団体「白日会」を通じて同会の「白日展」に『三洋美術賞』と『三洋美術奨励賞』を寄託し、受賞者の作品を社内に展示するなど、若い美術家の活躍の場と育成を側面から支援するもの。1992年から毎年継続実施しています。国際交流活動に関しては(財)「井植記念会」を中心に、アジアの教育支援をコンセプトとした活動が行われています。

社員のボランティア活動支援

ボランティア活動を通じて社員に豊かな人間性と生活者としての視点が加わることは、企業の貴重な財産であり、組織の発展につながる。この考えを受けて「三洋電機ボランティア推進委員会」では、『ボランティア活動に参加しやすい環境づくり』と『ボランティア活動に参加するきっかけづくり』に積極的に取り組んでいます。ボランティア入門セミナーや体験セミナーを様々な分野ごとに開催。ボランティア休暇制度・休職制度、社員がボランティアとして関わっているNGO・NPO活動を支援するコミュニティ・ギフト制度の導入など、ボランティア活動に参加しやすい環境づくりにも積極的です。
同社のボランティア活動は「中央」ボランティア推進委員会の基本方針に添い、全国の事業所ごとに地域密着の活動を展開しますが、毎年7月に開催される「プロ野球オールスターゲーム交通遺児招待」プログラムは本部が中心となる恒例行事。開催地域ごとに交通遺児と保護者を含め50名を球場に招待します。試合当日は社員ボランティアが座席への誘導やお弁当の配付を行い、子ども達が楽しくゲーム観戦できるよう活躍します。
労使双方が共同してボランティア精神を涵養し、地域社会の一員として様々な活動に参加する。三洋電機が推進する社会貢献活動の原点を感じました。


「しあわせ社会学の確立と実践」を経営理念に
(株)フェリシモの社会貢献活動

「フェリシモ」は、同社がつくった「しあわせ」という意味の造語です。felicityという「至福」を意味するラテン語系英語に、それを強調するssimoを付けて「最大級で最上級の幸せ」としたもの。1989年に経営理念を明確にし、社名を「フェリシモ」へ変更しました。
通信販売は通常、カタログを顧客に届け、選ばれた商品を届けて終わりますが、フェリシモ通販の特徴は取引を通じて顧客と継続的な付き合いを目指す形態です。商品1つ1つを選ぶというより集める、「フェリシモ・コレクション」という会形式の販売システムです。日常生活のさまざまなシーンを考え、生活用品・雑貨、ファッションなどに関するトータルな提案を行い、毎月少しずつ集めることによって「こんな形のしあわせが増えますよ」というメッセージを送ります。フェリシモの顧客は20代から40代の女性が主軸ですが、最も多いのは子育てに関わる30歳代の女性層。カタログはファッション、雑貨、子ども、ビューティーなど6種類で、読者は100万世帯以上になります。フェリシモでは商品を作る生産者の環境に対する姿勢、顧客に届いた商品の行く末など、環境問題に関しても企業・顧客・生産者を取り囲む社会全体を考慮した事業活動を目指します。これを「しあわせ社会学」と称し、その確立と実践を目指す事業活動を通じて多様な社会貢献活動が実践されていました。

「100円基金」から始まった貢献活動

通販企業として、社会全体のしあわせのために何ができるかを考えた結果、お客様の「社会に役立ちたいという気持ちを募っては?」という提案が社内からあがりました。毎月買っていただく中の「100円だけは社会の中に活かしませんか?」という呼びかけをしたところ、大きな反響があったのです。商品ではなく「社会に貢献したいという顧客の良心の組織化、ネットワーク化ができる自信がついた」と、星執行役員。最初の100円基金活動が「フェリシモの森基金」です。地球を大切に思う気持ちを、“森を育てる”という行動で表す基金で、協力を必要としている地域の植林資金として活用されています。1990年の発足以来、約2億1千万円の基金が寄せられ、基金提供をした顧客には植林の様子や樹木の成長を伝えるニュースレターを発行。基金の活用状況を報告します。同様の発想で、貧困や自然災害など厳しい環境下の世界各地の人々への支援基金「フェリシモ地球村基金」も発足。約1億5千万円の基金が寄せられています。

阪神淡路大震災への義援金

1995年の大震災時には、まだ大阪で事業活動をしていた同社に「フェリシモは大丈夫ですか?」と、多数の問い合せが全国各地からありました。震災被害を気遣う沢山の気持ちを具現化すべく、災害義援金の受付窓口になったところ、僅か1カ月余で3900万円が集まりました。フェリシモではこれに同額をマッチングさせて日本赤十字社を通じて被災地に届けました。さらに全国から寄せられる被災地への熱い支援を発展させ「毎月100円義援金」を開始したのです。当初3年間の期限付き募金でしたが2001年3月まで6年間続き、善意の義援金総額は4億円近くに達しました。こうした基金は、時の経過とともに被災した子ども達の育英資金、高齢者やボランティアへの支援、緑あふれる被災地の再生や神戸文化の再興などに活用しています。義援金の活用状況や報告は「もっと、ずっと、きっと」と題するニュースレターにまとめ4年間にわたり支援者に届けられました。この題は、「神戸や阪神淡路地域は、もっと、ずっと、きっと素晴らしい街に再び生まれ変ると確信しています」という、矢崎社長の全国支援者へのメッセージから抜粋されたものです。そして昨年、震災10周年にむけて、神戸の元気を世界に向けて発信していくために、「KOBE HYOGO 2005」プロジェクトが発足。若い人々の夢を応援する夢基金をはじめ、ユネスコ共催の国際デザインコンテスト「デザイン21」の開催等々、淡路島を含む阪神間の街全体をステージに、さまざまなプログラムの開催を予定しています。

トリビュート21プレートプロジェクト

このプロジェクトは「21世紀を担う世界中の子ども達に、夢や希望を贈ろう」との主旨で、ユネスコ本部の協力・後援を得て、1996年から実施しているクリスマスシーズンのチャリティ企画です。主旨に賛同した国内外の著名人からデザインやメッセージをチャリティで提供いただき、それをもとにフェリシモがプレート(皿)を制作・販売します。プレートの価額は1枚1500円、利益相当の200円を基金としてユネスコ本部をはじめ国内外の様々なNGO/NPOを通じて活用しています。今までに集まった基金は7900万円余。昨年のプレートには宇宙飛行士の毛利衛氏やファッション・デザイナーのクリスチャン・ラクロア氏、優勝した阪神タイガースからも6人の有志選手からサインが寄せられました。個性溢れるデザインとともに、子ども達への暖かいメッセージをのせた美しいトリビュート21プレートは、テーブルにしあわせな気持ちも運びます。プレートを購入した人々、デザインを無償提供した著名人、プレートを制作する側、支援を受ける子ども達などすべての人々が喜びを共有するクリスマスの特別プロジェクトとして定着しています。

フェリシモ文学賞

フェリシモでは生活者1人1人の思いをエッセーの形式で表現する機会を提供し『仲間の本』として1980年以来毎年1冊にまとめてきました。これを発展させたのが1997年に創設された「フェリシモ文学賞」です。生活者のいきいきとした暮らしを応援するというビジョンのもとに毎年開催しています。テーマは日常生活に息づく何気ないワンシーンで、『午前7時3分の物語』や『誕生日』など。原稿用紙5枚分の掌編小説を“生活文学”として募集。毎年1500作品余の応募があります。選考は専門家による『作家選考の部』と生活者自身が本当に読みたい本という視点から『一般選考の部』が併設されました。一般選考委員は公募で選ばれた約10名。2部門で審査会を実施し、それぞれ同等の大賞・優秀賞受賞作品を選出するユニークな選考方法を採っています。昨年、優秀作品は単行本にまとめられ電子書籍も同時発刊されました。

事業特性を活かし、善意の循環する仕組みづくりを

フェリシモ経営のキーワードに「事業性」「独創性」「社会性」があります。多様な社会貢献活動はあくまでも事業性を尊重。独創的な商品企画とそれに付帯する独創的な社会貢献の提案を、本業の延長線上で実施します。フェリシモの顧客である多くの消費者は、何らかの形で社会に役立ちたいとの強い問題意識を持ちながら、日常生活の中でそれを表現する受け皿が見つかりません。フェリシモでは通販という事業特性を活かしながら、善意が循環する仕組みづくりを行い「社会性」を重視する経営姿勢が貫かれていました。多彩な社会貢献活動はサンタクロースプロジェクトと称され、継続的な取り組みが行われていました。
フェリシモの社員数は300名で、その60%が女性社員。商品企画から社会貢献プロジェクトまで、全て社員の日々の提案によって実施されています。多くの人々に喜ばれ、未来社会に役立つ生活提案や貢献プロジェクトの提案と実践。中堅企業の大きな夢を乗せた事業活動にNPO的な発想と事業運営を感じました。


多文化共生のまちづくりと人づくりを目指す
特定非営利活動法人「たかとりコミュニティセンター」

「たかとりコミュニティセンター」は阪神・淡路大震災の際にボランティア活動の拠点となったカトリック鷹取教会敷地内の「たかとり救援基地」が前身です。鷹取はいわば神戸の下町。在日韓国・朝鮮やベトナムなど多国籍外国人が全体の10%を占める地域です。震災から5年が経過した2000年、特定非営利活動法人格を取得して現在の名称となり、国籍や年齢、障害などで疎外されることのない「多文化共生のまちづくり」を目指す新たな活動を展開しています。

焚き火から始まった鷹取救援基地

カトリック鷹取教会は長田区の一番西端にあります。震災時に長田区を襲った大火は、カトリック鷹取教会の聖堂を最後に燃やし、両手を広げたキリスト像の背後で鎮火しました。かろうじて原型を留めた司祭館を拠点に教会の神田裕神父は、甚大な被害を受けた人々の救済活動に力を尽くし、廃材を活用して漆黒の真冬の闇を照らす大きな焚き火を燃やし続けました。教会には遠方から安否を気遣い訪ねてくるボランティア、信者であるまちの人々や外国人など、多くの被災者とボランティアが集まりました。その人たちによって「たかとり救援基地」が誕生したのです。外国籍の人々にも行政などからの震災や生活情報を速やかに伝達しなければならない。情報を翻訳し印刷して伝達する活動が即刻始まりました。今も続く多言語コミュニティ放送「FMわいわい」の最初の仕事が翻訳情報の伝達であり活動の原点でもありました。まちの人たちによる血を見るような「まちづくり」は被災直後から始まりました。神田神父もまちづくりメンバーに参加。地域の人々との交流を深めつつ地域に根ざした多文化共生の教会を目指しています。
現在「たかとりコミュニティセンター」の専務理事を務める日比野純一氏は元新聞記者。震災直後に最も被害の大きかった長田区で、公的避難場所から外れた人々の救済活動をしようと現地に駆けつけました。それまでボランティア活動の経験は皆無。当初2〜3週間の支援活動のつもりで来た日比野さんは神田神父と出会い、多国籍の人々と出会い、多文化共生のまちづくりを真摯に目指す人々とのふれあいから、ついにこの地に定住。NGOセンター運営の任を担っています。「たかとりコミュニティセンター」の理事長は神田神父、理事には地域と各NGOメンバー、カトリック教会も加わりました。言葉、文化、民族、国籍が異なっても同じ住民として一緒に新しいまちづくりを目指す。教会の敷地内にある7団体がネットワークを組んでセンターを構成し、力強い活動を展開しています。

7つの団体がネットワークを組んで事業を展開

コミュニティ放送FMわいわいは震災直後から地域の外国人住民に震災・生活情報を多言語で発信し続けました。現在も8つの言語で「多文化共生と人間らしいまちづくり」のメッセージを発信しています。高齢者、障害者、子育て中の親や子どもを対象に自立支援サービスを提供するグリーンリーフは今最も活発に事業活動を遂行中です。ツール・ド・コミュニケーションはインターネットによる多言語情報の提供やビデオを活用し、多文化な子ども達の表現活動を支援しています。多言語センターFACILは地域住民である外国人が必要とする情報の翻訳、通訳派遣などをコミュニティビジネスとして行っています。ワールドキッズコミュニティは外国人の子ども達を取り巻く環境改善に取り組み、家庭教師派遣、サッカーチーム支援、情報誌発行など青少年育成と自立支援を目指します。アジア女性自立プロジェクトはアジア女性の自立生活を促進するための仕事づくりや製品販売等を行い、どんな立場の女性にも生きやすい社会づくりを目指す活動。NGOベトナムin KOBEはベトナム人自身によるNGO。在日ベトナム人が地域社会で共に暮らすための多様な活動を展開、ベトナム食材の販売も行っています。
多様な価値観の人々が、互いの違いを認識しながら相互に学び合い吸収し、豊かな人間性を培う。「多文化共生の醍醐味はそこにあります」と語る、神田神父の行動力と言葉が深く印象に残る取材でした。


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