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いま、社会の一員として

─ 地域社会との共生をめざす企業と市民団体 ─

山形県
(No.66 2004 秋)

古くは出羽国と呼ばれ、全国有数の米どころであり、サクランボなど果樹生産地としても有名な山形県が今号の訪問先です。山形県は山形市を中心とする政治・経済・交通等の拠点「村山地域」と、東北部に位置し新庄市を中心とする「最上地域」、南部の米沢市を中心に構成される「置賜地域」、東北部日本海側に位置し、2市11町1村で構成される「庄内地域」の4地域に区分されています。今回は「庄内地域」の中心である鶴岡市と酒田市を訪ねました。鶴岡市は江戸時代、酒井家が庄内藩14万石の領主として治めてきた城下町。新田開発を推し進める一方、藩士教育にも力を入れ、荻生徂徠を教学とする自学自習を重んじた学習は独自の教育文化を創り上げました。「沈潜の風(ちんせんのふう)」と評される庄内人気質と風土は今もこの地に息づいています。酒田市は江戸時代に西回り航路(酒井〜大阪)が開設され、日本海沿岸の交通要所として栄えた歴史ある港町です。大地主本間家や回船問屋鐙屋などの北前船で栄え、「西の堺、東の酒田」といわれました。今も日本海の航路拠点であり庄内米の主産地でもあります。
今回の訪問先企業は鶴岡市に本拠地のある(株)荘内銀行と酒田市余目町で日本一の「地酒」造りに励む鯉川酒造(株)です。市民活動では、酒田市を拠点とする「特定非営利活動法人パートナーシップオフィス」の活動をご紹介します。
荘内銀行は六十七国立銀行として明治11年、庄内藩主だった酒井家が地域の人々の殖産振興を願って創業した銀行です。1941年に地域銀行が合併して荘内銀行を設立。125年にわたる歴史を重ねながら「地域の発展と共にある銀行」として、庄内を中心に地域に根ざした事業活動を行っています。
鯉川酒造は庄内地方のちょうど真ん中、余目町にあります。創業は1725年、現在は11代目蔵元佐藤一良氏が社長を務めます。小規模な蔵元ですが、蔵人自らが米を作り、酒蔵の地下水と地元の杜氏が酒を醸造するなど、徹底して地元にこだわった純米酒の醸造と地域の活性化に取り組んでいます。
荘内銀行の活動は伊藤兵一取締役、皆川陽広報室長と経営企画グループの佐藤琢磨氏に、鯉川酒造は蔵元の佐藤一良氏に伺いました。特定非営利活動法人パートナーシップオフィスの活動は理事長の金子博氏に伺いました。


「地域の発展と共にある銀行」として、地域の良きパートナーをめざす
(株)荘内銀行の社会活動

荘内銀行発足の地、鶴岡には今も江戸時代から引き継がれる独自の文化風土があります。それが「沈潜の風」で、目立たぬよう深く沈み隠れる奥ゆかしさを美徳とする庄内人特有の気質です。庄内では今も「論語を読む会」があちこちにあり、若者も参加するなど、儒教的な精神文化が脈々と生きています。廃藩置県の後、多くの大名家が地元を離れる中、庄内藩主酒井家は鶴岡に留まりました。藩の人々の殖産振興のためには金融機能が必要と、明治11年創業の六十七国立銀行初代頭取に。庄内平野は日本有数の米蔵です。当初は米資本で大きくなり、昭和の大恐慌で地域の銀行を合併しましたが、米経済から商業経済への移行、県の中核拠点が山形市へ移るなどの歴史を経て現在に至っています。同行は庄内で6割のシェアを誇る地銀。支店店舗は庄内に加えて県内各地区に多数あり、県外には仙台、秋田、福島、東京に支店があります。子会社等のグループ企業は6社、荘銀ベンチャーキャピタルと荘銀総合研究所が地域経済の活性化に向けて本業を通じた地域貢献活動を担っています。
「沈潜の風」の庄内気質の一方で、庄内には進取の気性も培われています。学校給食や生協の共同購入システム、農業電化などの先駆的な取り組みは庄内が発祥地。2001年には公設民営の東北公益文科大学が酒田市に設置されました。日本で唯一「公益学部」のある大学で、来年は大学院も開設されます。荘内銀行は同大学への助成と寄付講座の開設を行っています。庄内の歴史・風土、銀行の沿革については伊藤取締役から説明いただきました。

「ふるさと創造基金」を通じて地域社会に貢献

公益発祥の地と自負する土地柄の庄内では、利益を追求するだけの組織は受け入れられません。「地域の発展と共にある銀行」をモットーとする荘内銀行では、長い歴史を通じて絶えず地域社会に益する活動を重ねてきました。「春の交通安全県民運動」に呼応して続けている「交通安全横断旗の贈呈」や鶴岡市と協力して行う清掃活動などは40年も続く活動です。20年以上続けた財団活動は金利の低迷によって、基本財産を全額活用する公益信託とし新世紀と共にスタートしました。地銀で公益信託を持つのは荘内銀行が最初ではないか、と伊藤取締役。
優れた人格・知性を備えた人材育成と、地域文化の伝承と創造を支援し、豊かで潤いのある地域社会の構築に寄与したい。「公益信託荘内銀行ふるさと創造基金」はその願いをもって設立されました。対象となる活動は、(1)学校における教育的な活動、(2)地域住民と一体となった社会教育的な活動、(3)県内に伝わる文化的な活動の3分野。助成総額は年間600万円程度で、東北公益文科大学寄附講座への助成もここから行われ、1件あたりの助成金額は10万円から40万円程度。助成額は決して多くありませんが、地域活動の芽をできるだけ多く広げたいと考えています。16年度は78件の応募があり、22件に助成を行いました。募集は公募で、識者による運営委員会の審査を経て決定されます。助成金の贈呈式は山形市内で開催、受託者が一堂に会し情報交換をしながら懇談する機会を設けています。

県内各地区のさまざまな活動を支援

学校教育、社会教育、文化活動という助成分野は渾然一体となり明確に分類できない活動もありますが、申請者自らの判断で申請します。学校5日制になってからは総合学習というかたちで学校関連の応募が増えました。農作地域などでは、地域の農家の人々の支援を得て、農業を学校教育の中に取り入れるケースも多く見られます。
2002年度の助成先、上山市立山元小・中学校の総合学習は古代米の米作りと5穀の栽培。同校では教育目標「ふるさとに立ち、自ら生きる・共に生きる・豊かに生きる」の達成のため、地域との連携・指導のもとに『食』と『農』に関するさまざまな体験をしてきました。4種類の古代米の種まきから田植え、稲刈り、脱穀までの一連の米作りを体験した小学校では、収穫祭に米作りを指導した農家の「田んぼの先生」を招き、共に収穫の喜びを味わいました。中学校では五穀を栽培し文化祭で保護者や地域の人々に五穀を使ったお餅やお菓子を振舞い、大豆で豆腐作りにもチャレンジしました。この活動は地域を理解し地域を愛する子どもを育成するとともに、地域活性化に向けた好事例でした。
昨年助成した立川町立立谷沢小学校の獅子剣舞の会は、同地区白山神社に伝わる郷土芸能、木の沢獅子剣舞を地域文化として子どもたちに伝えていく活動。演じやすいように舞に工夫を施し、同地区に暮らす子どもたちが演じる子獅子剣舞。これを小学校の生活科・総合学習時間の教材として位置づけて定期的に練習し、国民文化祭や地域の敬老会などにも出演。地域・世代間の新しいコミュニケーションも生まれています。上級生から下級生への引き継ぎも行い継続的な活動を目指しています。
公益信託をもっと大きく育て、地域活性化に繋がる活動へ幅広く対応したい。銀行を中心に公益信託への参加を募りファンド形式で運営できないか。より効果的な公益信託活用を荘内銀行は模索しています。

ボランティア活動は自発的に

櫛引町黒川地区には国の指定文化財で、室町時代から続く郷土芸能黒川能があります。黒川ではその家の役割が決まり代々伝承され、有志による黒川能保存会が伝統文化の伝承と保存を行っています。取材に同席された同町在住の佐藤琢磨氏の父君は、室町時代から伝わる破損著しい台本の復元作業に専心しておられる由。黒川能保存会による第9回蝋燭能にも公益信託基金から助成が行われています。
このほか、庄内地域は古くから伝承される郷土芸能が数多くあり、地域に暮らす同行の社員たちは各地域でさまざまな活動に参加しています。しかし、「沈潜の風」の庄内人気質から、ボランティア活動を自ら積極的に語る行員は誰もいません。「先日も新聞報道で、荘銀従業員組合のある支部が観光シーズンを前に羽黒山の清掃活動を家族とともに行ったことを知りました」と伊藤取締役。地域に根ざしたボランティア活動は各自各部署が自由に自発的に行う。ボランティア活動に対する荘内銀行のスタンスです。

リレーションシップバンキングとして

地域経済の活性化が日本経済の課題としてクローズアップされ、昨年、金融庁は「リレーションシップバンキングに関するアクションプログラム」を公表しました。リレーションシップバンキングとは「金融機関が取引先との間で親密な関係を長く維持することにより、取引先に関する情報を蓄積し、この情報をもとに貸し出しなどの金融サービスを提供することで展開するビジネスモデル」。各地の金融機関はリレーションシップバンキングの機能強化に取り組んでいます。地方銀行の存在理由は「地域の発展とともにある」こと。取引先の99%が個人と中小企業である荘内銀行では、長期に低迷する経済環境の中で地域および地元企業の再生・新生に従来から積極的に取り組んできました。地元の優れた産物を首都圏の小売業へ斡旋するビジネスマッチングや次世代を担うベンチャー企業の創出・育成を支援して地域経済の活性化に貢献する活動は、今後とも積極的に推進する分野です。
2001年に産学官連携で設立した「米沢ビジネスネットワークオフィス」はいわばNPO的組織。設立準備段階から行員1名が出向しています。各セクターが枠を超えて事業創造に結集し、地域のニーズに応え、地域の課題を解決することが事業目的です。新しいビジネスモデルとして今後の展開が注目されます。目立つことを嫌う庄内風土の中で、荘内銀行は地道な活動を着実に実践していました。


真の「地酒」造りを通じて、地域社会の活性化を目指す
鯉川酒造(株)の社会活動

鯉川酒造のある余目町は田圃が町総面積の70%を占める庄内米の生産地です。鯉川酒造がこの地で清酒製造業を始めたのは享保10年(1725年)。戦後1955年に法人に改組した歴史ある酒蔵です。築100余年を越す、がっしりとした瓦屋根の母屋と醸造蔵。稲穂の美しい自作田圃の一角にある昔ながらのたたずまいに、蔵と共に生きる蔵元の心意気が伝わりました。佐藤一良氏は、1993年に急逝された父親の跡を継いだ11代目の蔵元。先代が手がけた地元原種の幻の米「亀の尾」の栽培と、「亀の尾」による純米吟醸酒の醸造を、徹底的に地元にこだわったスタイルで実践し、真の「地酒」造りを目指しています。優れた米の栽培と地酒造りを通じて地域社会の活性化に貢献したい。昔ながらの小規模な蔵ですが、地域に根ざした着実な歩みを鯉川酒造は続けています。

ヨーロッパのワインと日本の地酒

現蔵元の佐藤氏は東京の大学を卒業後、協和発酵に就職。ワインアドバイザーの資格を取り、欧州でのワイン買付けが主業務でした。買付け先のワイナリーであることにふと気づき、「日本の造り酒屋はおかしいのではないか?」と、疑問が湧きました。欧州のワイナリー見学は、まずブドウ畑から始まります。畑の土の質や地域の気象と風向き、ブドウの成熟度がいかに素晴らしいかを充分に説明した後、ワイン貯蔵所でワインの利き酒をします。日本の造り酒屋では、まず醸造現場に入り、酒造りの環境や井戸水を見せますが、酒のもとである「米」、稲作畑の見学はありません。一方、ワイナリーで説明時間が最も長いのがブドウ畑。なぜなら、「ブドウ栽培という農業があってブドウ酒造りがある」という根幹に立っているから。農業重視の考えに立ち、土壌や水、地域環境に大変こだわっています。有名なワインの法律に、フランスが1935年に制定したA・O・C(アペラシオン・ドリジーヌ・コントローレ、「原産地呼称統制法」)があります。格付けランクが上がれば上がるほどブドウ畑のエリアが限定され、同時に政府機関が利き酒による品質チェックを行い、格付けされているワインのレベルを下げないようにしています。
「日本酒も地元の米と地元の地下水を使い、地元の杜氏によって本物の地酒造りに挑戦してはどうか」。佐藤一良さんは父親である蔵元に話しました。余目町には同地原産で姿を消した幻の米「亀の尾」があります。「亀の尾」を復元栽培して純米酒をつくる。先代蔵元の時代から鯉川酒造の挑戦が始まりました。

「亀の尾」の復元栽培による地域の活性化

「亀の尾」は明治期に余目町で誕生した、コシヒカリやササニシキの先祖にあたる米。穂丈が長いため倒伏しやすく、化学肥料で育てると極端に米が脆くなるなど、現代農法に合わずに半世紀近く絶滅していた幻の米です。しかし、地元の杜氏たちに「あの米で作った酒は美味しかった」と語り継がれ、伝説の中で生きていました。鯉川酒造では「亀の尾」の生みの親である阿部亀治氏のひこ孫・阿部喜一氏が奇跡的に保有していた種籾を譲り受けて、1981年から「亀の尾」の復元栽培に着手。ごく僅かな種籾から復元するのは大変な努力が必要ですが、先代蔵元、杜氏、地元の篤農家たちの協力が実り、増やし続けた「亀の尾」で1983年から純米酒造りが始まりました。そして1987年にいよいよ吟醸酒醸造と販売の時期を迎えました。
急逝した父の後を継いだ佐藤一良氏は、地元余目町出身の老練な杜氏と共に本格的な純米吟醸酒造りに取り組みました。良い米作り、質の高い「地酒」造りへの努力を惜しまず、今では純米吟醸酒が7割を占める純米酒醸造蔵として、高い評価を受けています。「亀の尾」発祥の地に酒蔵を営むものとして鯉川酒造は、いかに地域に根づいた「日本酒」を製造していくか考え、「亀の尾」復元栽培による純米酒醸造へ行き着きました。
現在は地元のNPO「創造ネットワーク研究所」と連携し、町内数カ所で新しい栽培者が「亀の尾」づくりに挑戦しています。鯉川の「亀の尾酒」は「余目町の地酒」として地元に根を張り、地域活性化の一翼を担っています。

「全国亀の尾サミット」と「亀の尾・夢ファンド」

「創造ネットワーク研究所」は、1989年のふるさと創生基金を契機にできた「あまるめ21世紀夢会議」が発展的に解散してできたNPO。「土」という地球の財産にこだわり、その副産物である植物「稲」、そしてそれを活用する地域の人間という地域循環をテーマに、自由な発想と絆でさまざまな地域の人々とネットワークを広げてきました。地元米「亀の尾」を中心に据えて、まちの活性化を図る創造ネットワーク研究所と、地元青年会議所トップも務めた蔵元佐藤一良氏の思いが一致。「まちの基幹産業は農業」と位置づける町長も創造ネットワーク研究所に賛同するなど、「亀の尾」を核とした地域活性化に拍車がかかりました。
全国には「亀の尾」を使って酒造りをしている酒造場が数十カ所あります。各地の「亀の尾」を一堂に集めて飲み比べ、情報交換ができないか。そんな発想から生まれたのが「全国亀の尾サミット」です。創造ネットワーク研究所の呼びかけで、1997年8月に開催された第1回サミットには全国から11の蔵元、醸造の権威者をはじめ「亀の尾」にかかわる多彩な人々が余目町に集まりました。
町や農協組織の援助を得て、地元産物による手作りのサミットは、多彩な内容と主催側の「亀の尾」と地域活性化へかける情熱とで大盛況でした。その場で2回、3回開催地が大阪と仙台に決定。毎回自発的に開催地が決まり、今年で8回目を迎えます。創造ネットワーク研究所と余目町、鯉川酒造による地域活性化への取り組みが火種となり、今では全国47カ所ほどの「亀の尾の酒造地域」が、まちおこしや地域活性化に取り組んでいます。
創造ネットワーク研究所は、地域づくりやボランティア活動を支援する基金「亀の尾・夢ファンド」を創設しました。鯉川酒造では創造ネットワーク研究所のメンバーが作付けした「亀の尾」を買付けて醸造し、「亀治の夢」と名づけられた特別限定酒を醸造、その売上金の一部がこの基金に寄付されます。「亀治の夢」は、2001年に再度余目町で開催した第5回全国亀の尾サミットを盛り上げるために醸造・販売されたオリジナル純米大吟醸酒。亀の尾のロマンに魅せられ、愛する人の思いが凝縮されている酒です。基金は民間による自主的な地域づくりの芽を育てるために使われています。

純米酒造りに夢をのせて

地産米による純米酒醸造に力を入れる鯉川酒造は、アルコール添加による本醸造比率を極力抑え、「100%純米酒」の造り酒屋を目指しています。利潤追求よりも農家の人々と共に芸術性を追及した、「これぞ純米酒」という質の高い「地酒」造りが目標です。そしてワインのように、純米日本酒による食前、食中、食後酒にチャレンジしたい。純米酒はぬるめの燗で味わうと、体温に近い温度で体内に入り、アルコール分解がすぐ始まり肝臓も直ぐに動きだす。飲みすぎても悪酔いや二日酔いがなく、もっとも美味しい飲み方だと、蔵元から教わりました。
「日本酒とは純米酒」の信念のもとに、酒造りの技術交流と情報発信を目的とする蔵元交流会も1987年から継続。全国から60を越す蔵元が一堂に会します。一般の日本酒愛好家へ「燗酒」の素晴らしさを啓蒙する集いも本年8月に2回目を開催しました。
鯉川の純米酒は現在、ニューヨークとロサンゼルス、オーストラリアへ輸出されています。日本酒の美味しさを海外にも広めたい。全ての点で地元にこだわり、米焼酎も含めたステイタスある醸造蔵になりたい。蔵元佐藤一良さんの夢は膨らんでいます。


庄内NPOの中間支援組織機能をめざして
特定非営利活動法人 パートナーシップオフィス

「パートナーシップオフィス」は、1999年12月に設立された「出羽庄内地域づくりグループサロン」が前身です。「自分たちの地域は自分たちで創ろう!」とする人々が、仲間や情報、連携を求めて多数集まりました。この市民活動のニーズを踏まえ、具体的な支援体制の充実を計るべく、2001年にサロンを「さかたNPO支援センター」と改称。同時に企業・行政・大学・民間との連携や市町村の枠を超えた協働など、新しい連携の必要性からNPO法人格を取得し「特定非営利活動法人パートナーシップオフィス」を設立しました。現在は「さかたNPO支援センター」の管理運営とともに、NPOの中間支援組織として多様な活動をしています。

オフィスの運営費は事業収益で

酒田市南新町にある事務所は複数の市民活動の共同オフィスとして活用されています。専従スタッフは金子博理事長と事務局次長の岩間さんの2人。東北公益文科大学の学生2名もインターンとして働いています。支援センターは民設民営のため、事務所賃貸料の不足分や運営諸経費など赤字を背負ってのスタートでした。赤字を補填し活動を維持するためには、事業収入を得なければなりません。理事長の金子さんは以前東京で環境系市民団体の立ち上げを含め、3つの環境団体で活動した経験があります。その経験を活かし、受託事業は環境を中心にしています。受託可能な業務は福祉系か環境系という、日本社会の実情もあります。現在の事業内容は (1)受託事業、(2)活動助成、(3)自主事業の3つ。受託事業は行政機関と事業契約して実施する環境系事業、活動助成事業は民間の助成金を申請して多様な人々が関わる活動。自主事業は中間支援機能を発揮する本来の主体的な活動。環境活動がクローズアップされ環境団体と間違われがちですが、相談業務など本来活動も実施しています。自主事業遂行には財源が必要であり、受託事業収入は必須です。「中小の地方都市で、中間支援組織を民設民営で維持運営するには、行政の一部支援制度が望まれます」と金子さん。健全財政による組織運営の厳しさを感じました。パートナーシップオフィスが受託事業として実施する環境活動は多種多様ですが、紙面の制約から一部のみを紹介します。

飛島クリーンアップ作戦と離島ゴミサミット

酒田市は一級河川最上川の河口であり、長い海岸線と離島・飛島もあるという水辺の多い地域です。そこに散乱する「水辺のゴミ」への対策は地域の大きな問題。特に日本海側の海岸線や飛島に漂着する多種多量の越境ゴミは外交問題に発展する可能性もある大きな課題と、金子さんから伺いました。
飛島クリーンアップ作戦は島民の訴えを受けて、2001年に山形県と酒田市の主催で実施され、翌年から実行委員会形式となり、行政の依頼で事務局を担当。NPOや国の関係機関、大学、島の自治組織も加わり、今年で4回目を迎えました。ボランティアは県内外から100名ほどが集まります。クリーンアップ作戦は参加者の関心が高く毎回、島民を含めて300人以上が参加しています。漂着ゴミの大半はペットボトルなどプラスチック類で、韓国・中国・ロシアからの越境ゴミが多く、昨年は家庭用ごみ袋1800個分を回収しました。離島の回収ゴミは現地での埋め立てや焼却ができず、船で本土に運ぶなど輸送手段が難しくコストがかかります。
漂着ゴミへの対処は多くの離島が抱える問題であり、生態系への影響など地球規模の環境問題。この認識から開催されたのが「離島ゴミサミット」です。第1回は2003年飛島で開催され、今年は「島ゴミサミット・つしま会議」として2回目が開催されます。離島のゴミは自治体レベルでなく、国が国際問題として考える課題でもあります。また回収と処理には新たな技術開発も必要で、ボランティアの域を超えた部分については、新しい公共事業として取り組むという姿勢が行政に求められます。「市民団体がきちっとした実績を踏まえて国や自治体に提言し、議論を重ねて新しい社会づくりを目指したい」、印象に残る金子さんの言葉でした。


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