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トップが語る

1%クラブニュース (No.64 2003 秋)

トップが語る
「企業が果たす社会への役割」

池田守男
Morio Ikeda
(株)資生堂 社長
─朝日新聞の社会貢献大賞、おめでとうございました。社会貢献活動の基本的お考えを伺います。

朝日新聞文化財団の表彰システムが変わる最後の年の受賞であり、大変ありがたく思っています。
私は社長就任後、創業の精神を今日の時代背景の中で見つめ直し、その原点に立ち返る改革を行いました。資生堂は小さな洋風調剤薬局として銀座で創業し、その後化粧品を中心とする会社に変わり131年になります。社会貢献の原点は、創業者の夫人、トクさんにあると思うのです。トクさんは自分にできることで地域社会のお役に立ち、お客様のお役にも立ちたいと思い、ご近所一帯の掃除を毎朝の日課としていました。たえず感謝の気持ちをもって、地域、お客様、そして社会のために自分にできることを常に考えて行動する姿勢が、資生堂の出発点であり、その後の企業活動の精神そのものです。私には経営者として、この精神をさらに深めていく責任があると感じています。社会貢献活動は、企業活動と切り離されたものでなく、むしろ一体であるべきです。私の個人的な信条でもあり、矛盾無く実践しています。

─社長ご就任後、厳しい経営状況だった時期も従来どおり社会貢献活動を継続されたのでしょうか。

経常利益の3%を目安に社会貢献活動に支出する枠組みは、赤字決算の年も、崩さずに続けました。社会貢献活動の内容は、芸術文化支援(メセナ)を中心に、福祉・地域社会活動、学術支援、サクセスフルエイジング活動の4分野です。「サクセスフルエイジング」とは「自分らしくいきいきと生き、加齢とともに人として魅力を深めていくこと」と定義しています。加齢をポジティブな姿勢で捉え、資生堂に蓄積された「美と健康」に関する知的資産を広く社会に還元しようと活動しているものです。

─メセナ活動が社会貢献の中心ですか?

1919年、銀座に「資生堂ギャラリー」を開設して、無名の若手美術家に発表の場を提供して以来、芸術文化への支援を継続していますから、やはりメセナ活動のウエイトは高いですね。社内では1990年に企業文化部を設けました。また、メセナ活動の定着には、企業間のネットワークが必要と考え、企業メセナ協議会の立ち上げに協力しました。当時の理事長(現会長兼理事長)は福原義春社長(現名誉会長)で、私は実務の責任者でした。その頃、最も苦労したのは、特定公益増進法人の申請でした。1994年にようやく認定された時は、目標達成の感慨に浸ったものです。免税措置はメセナ協議会が助成認定した企画が全て対象になりますから、これは大きな成果でした。このように新しい社会に見合った新しいインフラの整備には、行政も前向きに取り組んでほしいと思っています。

─企業の経営戦略の中に積極的に社会性を位置づける動きがありますが、この点に関するご意見を。

経済価値の追求と再生産は企業活動の基本姿勢ですが、同時並行で社会に対する責任を果たすべきものと考えています。それは、当社であれば、美と健康でお役に立つと同時に、環境保全や文化支援さらには、当然ですがコンプライアンスを徹底することと思っています。今日、企業の社会的責任(CSR=Corporate Social Responsibility)が叫ばれていますが、今や企業は、経済的な側面だけでなく、社会性や人間性・文化性などトータルなバランスで評価される時代です。

─企業経営の面では、思い切ったビジネスの構造改革にも着手されましたね。

大きな構造改革の一つに、市場在庫を適正にするため、そして薬事法の改正で原成分の表示方法が変わることもあり、思い切った在庫処分をしました。全国からの回収品は扇島にある物流センターに運ばれ、そこから大規模焼却炉で処分されるのです。ビンやプラスティックなどさまざまな容器に入った商品が、選別されることもなく、無造作に焼却炉に入れられ、重油をかけて燃やされるのです。工場の従業員が心をこめて作り、化粧品として、お客様が美しくなるために使っていただくはずの商品です。経営責任者として、その焼却の現場を視察し、私は目から涙があふれました。過剰在庫は経営上、大きなマイナスであり、大変なエネルギーロスと同時に地球環境から考えても大きな問題です。もう二度と繰り返すまい。焼却現場に立った私は、その決意を固めました。そのためにはビジネスの仕組みを徹底的に変える必要があります。そこで、お客様に商品をお渡しする店頭をすべての出発点にしようと考え、「店頭基点」を理念とした改革に着手したのです。
適正在庫をもち、返品ゼロにするには、受注生産に近い小ロットのセル生産の体制が必要です。私どもの鎌倉の工場では、200名ほどの従業員が、出荷する商品の外箱に自分の名前を入れ、1商品をすべて一人から二人でつくっています。このセル生産体制を、私どもは「匠工房」と称しています。ある時、富山県の小売店のご店主から、箱の名前を見て、匠工房の女性従業員に感謝の手紙が届きました。「あなたのつくった商品は、お客様から喜ばれ、私たちも大変満足している」というものです。工場の作り手が、取引先のご店主から礼状を受け取ることなど、今までは無いことでした。
モノには命と心があるはずです。作り手が命と愛情をこめて作った商品は、ただのモノではなく、生きたモノとして温かさ、明るさを社会に運ぶと思います。工房を視察されたある大学教授は、愛情を込めて大切に商品を扱う人々の姿に、「この化粧品は商品を超え、芸術に通じる作品である」と言ってくださいました。モノを大切にする気持ちや思いは、他者を大切にする心に繋がると思います。それは、人間として持つべき一番大切な精神であり、今日の社会において、その必要性を強く感じています。

─社員の社会活動を支援する制度もございますね

1993年にスタートした「ソーシャルスタディースデー」制度もその1つです。これは社員が会社の動きだけでなく、「社会に目を向け、社会とのかかわりを通じて自らを高めていく」ために導入した制度です。年間3日ですが、社会貢献を目的としたさまざまな活動のため、社員は「会社」でなく「社会に出勤」します。社員が地域社会に貢献できる場面は、数多くあると思います。

─「奉仕と献身」を信条とする、クリスチャンと伺いました。個人としての奉仕活動もございますか?

やりたいことは山ほどあるのですが、今は時間的余裕がなく、資生堂の社長という肩書きで社会的な活動をせざるを得ないのです。現在は、日本経団連や同友会、商工会議所から役割を仰せつかり、社会貢献活動の旗振り役や21世紀臨調の立ち上げ、中小企業の活性化など、社会全体の問題についての役割も担っています。良き社会づくりを目指し、社会的役割をもって献身することも、広い意味の社会貢献ではないかと思うのです。
個人としてもう少し自由があれば、自然環境の保全を自ら実践したいですね。私は四国、高松市で生まれ育ち、海も山も大好きです。今は時々、山小屋で山野草を栽培しておりますが、将来は山野草を増やし自然環境を豊かにしていく運動をしていきたいというのが現在の願望です。

─銀座教会のメンバーとしてもご活躍ですね

創業以来、資生堂と銀座とのご縁は深く、私も銀座に育てられたと思っています。今では銀座教会の会員としてできる限り、日曜日には礼拝に出かけています。そして、会合などでは、私の持論である、サーバントリーダーシップについて話をします。「逆ピラミッド型」の一番下で、社長はサーバントに徹して全ての人を支える奉仕するリーダーシップです。人は、周りの多くの人たちの恩恵を受けて生かされています。このことを自覚すれば自然と感謝する気持ちやお役に立ちたいという思いが生まれます。それは、「受けるより与える喜び」であり、それを各人がもっと自覚すべきだと思っています。私は老若男女すべての人々が参画し、生きる喜びを実感できる社会の実現を切望しています。常に、全員参画型で「与える喜び」に満ちた社会を作っていきたいものですね。

(取材・文責 青木孝子)

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