企業人政治フォーラム速報 No.35

1998年 5月 8日発行

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米国の政治情勢と政治資金改革
/トーマス・E・マン ブルッキングス研究所ディレクター
(4月8日米国政経セミナー)

米国の政治および政治資金問題の専門家であるトーマス・マン博士が日本国際交流センターの招きにより来日したのを機に、同センターと企業人政治フォーラムの共催で標記セミナーを開催した。

[マン博士]

●米国の政治情勢
冷戦の終結は、日本の政治に大きく影響したが、米国でもそれは同様であり、経済がグローバル化し、情報技術が急速に進展する中で、米国では市場の重要性が強調され、国際貿易が進展し、景気が長期にわたって拡大している。この結果、政治的な自由や個人の自由が拡大したが、反面、社会的な不均衡・不平等の増大や伝統的な価値観の侵害も起きている。
こうした状況が政治にも影響して、議論が二極分化の傾向、特にエリート層における中道の穏健路線をとる人たちの減少や米国の民主主義が国民の意見を洗練させる「代表制」から「直接民主主義」を指向する傾向が強まっている。ただ、そうは言っても、政治に対する全体的な視点が失われ、政治が危機的状況にあるというわけではない。最近は、様々な社会指標も改善され、一般世論の政治に対する怒りも緩和されつつある。
従って、政治に対して、どのような力が作用しているかを的確に捉えることが重要である。
米国の民主党と共和党は相互に拮抗する競争力を有している。そして、今年11月の中間選挙に向けて、選挙運動に力を入れており、両党とも政治資金集めに懸命になっている。

●96年連邦選挙における政治資金の実態
96年の連邦選挙は、政治資金をめぐっての法律違反や外国からの献金疑惑、ホワイトハウスのティーパーティー問題など、ニクソン大統領の再選キャンペーンの時以来、最も問題が多い選挙だった。様々な抜け穴を通した資金集めが横行したが、中でも大きな問題になったのが、ソフトマネーであった。
「ソフトマネー」とは、連邦公職選挙法の規制の対象外の資金であり、支出の上限もなく、誰がどの議員に出してもいいことになっている。このソフトマネーは、本来、州や各地域の選挙のための資金であるが、ソフトマネーを集めることが、大統領や政党幹部の重要な任務になっている。このソフトマネーは、主に「イシュー・アド」といわれる政策広告のためのテレビ広告に大量に使われており、これも規制の対象になっていない。

●米国における政治資金規制の歴史
米国では、第2次大戦後、政党の資金集めは、一部の金持ちからの寄附という形が主だった。こうした個人からの寄附を規制しようという試みもあったが、失敗した。そして、政党中心ではなく、候補者中心のテレビによるキャンペーンが拡大した結果、事態は深刻化した。その後、ウォーターゲート事件やニクソン大統領の再選を狙ったスキャンダラスな選挙運動があり、包括的な政治資金規制改革が検討された。しかし、部分的に寄附の上限額の規制が導入されただけで、支出の上限を十分に規制することができなかった。さらに、「イシュー・アド」という政策広告が行われるようになり、事態は惨澹たる状況になった。こうした中で、政治資金集めには大変な労力がかかるようになり、政治家を目指す候補者も少なくなってしまった。

●国際比較からの教訓
こうした状況を改善していく参考とするため、各国の政治資金状況を調査しているが、その結果いくつかの教訓が得られた。
1つには、政治資金の存在自体が悪の根源というわけではなく、重要なのは、もっと大きな観点から、政治における秩序を形作り、その中で政治資金のあり方を考えなければいけないということだ。
もう1つは、政治資金に関して全ての国にあてはまる唯一の望ましいモデルといったものは存在しないということだ。すべての民主主義国家において、政治資金については様々な問題を抱えており、不祥事やスキャンダルを契機に、改革の努力が行われている。肝心なことは、すべての人たちの声が政治に届くように民主主義を構築していかなくてはならないということだ。

●改革に向けた取り組み
米国では、政治資金制度の改革に向けて、2つの選択肢が議論されている。1つは、「クリーンマネーオプション」と呼ばれるもので、私的な資金は禁止して、政治資金をすべて公費で賄うという考え方である。しかし、これを実際に実現した国はないし、完全に公費に依存するとなると現職が極めて有利になってしまう。
もう1つは、自由主義的な発想で、政治資金を完全に自由化し、その代わり、資金の流れを完全に開示するという考え方である。有権者は、開示された情報を見て、何が正当かを判断するというものだが、これはアイデアとしてはすばらしいが、実際には、規律が働かないし、有権者にも十分な情報が行き渡らない。その結果、乱用や悪用がはびこるだろう。
2つの案は、いずれも完全にはうまくいかない。従って、米国としては、米国なりの規制体系のもとで、少しずつ改善を進めていく以外にない。
改善すべき点としては、第1に、無料のテレビ放送を認める必要がある。憲法修正法により、誰かが有料でテレビ広告を行なう場合に、それを止めさせたりすることはできない。しかしながら、候補者に無料のテレビ放送を提供すれば、ある程度は費用を削減できる。
第2に、公的助成の一環として、個人寄附に対する税額控除を設けるとともに、候補者がパンフレットやディベートなど、有権者に有用な情報を提供する際には、小額でできるようにするべきである。
第3に、大口献金によるソフトマネーは禁止し、また、イシュー・アドを規制の対象に取り入れるべきである。さもないと、政治資金規制の全体の仕組みが崩壊してしまう。
第4に、政党をもっと活用して、政党中心の政治としていくべきである。この点では、米国よりも他の国の方が政党を活用していると言えよう。
政治の世界から政治資金を消し去る必要はなく、必要な政治活動には資金が供給されるような仕組みにすればよい。政治的な平等の観点から、候補者の主張を誰もが聞ける制度が望ましい。

[質疑応答]

フロアー発言:
日本の方が米国より政治資金規制が厳しいと言えるのではないか。

マン博士:
日本の政治資金規制が非常に包括的であることに、実は驚いている。特に、選挙期間も短く、選挙資金に対する規制が厳しいようである。日本では、国会議員一人当たりの経費は年間約100万ドルかかると聞いているが、そのうち、政府から出るのは一部に過ぎず、残りは自分で調達しなければならない。これは非常に大変である。
政治資金を規制する基本的な理由は、民主主義をよくしていくためであり、多様な意見が政治に反映されるように金を使うというのが、政治資金の意味合いである。従って、米国でも政治資金の改革を主張する人たちが、狭量な見方で民間からの資金はすべて権益にからんだ金であり、禁止すべきだと主張しているが、これはあまりに独善的で、現実にはうまくいかない。

フロアー発言:
日本では、政治資金の支出面での透明性の低さが問題になっているが、米国ではどうか。

マン博士:
日本には、一見、政治資金の公開制度のようなものがあるが、実際には、情報はほとんど開示されていないに等しい。政治資金収支報告書のコピーもとれないし、インターネットへの掲載など、幅広く情報を活用できる体制になっていない。政治資金の透明性の向上は、日本の政治改革の重要な課題である。
一方、米国では、一部例外はあるが、政治資金の公開に関して効果的なシステムが存在する。収入、支出の両面について、選挙管理委員会が適切に管理し、インターネットなどで公開している。

フロアー発言:
米国の政治資金の内訳はどうなっているのか。

マン博士:
96年連邦選挙における政治資金の総額は24億ドルで、そのうち、2億1,100万ドルが公的助成、小口の個人寄附(200ドル以下)が7億3,400万ドル、大口の個人寄附(200ドル以上)が5億9,700万ドル、PACが2億4,300万ドル、ソフトマネーは2億6,200万ドル、候補者自身の資金が1億6,100万ドルである。全体の中では、個人寄附の割合が大きい。企業PACの寄附は1億ドル程度だが、企業は実際には4億ドル程度出している。そのほとんどは、企業役員の個人寄附である。労組は、ほぼすべての金額をPACを通じて寄附するか、自前のイシュー・アドとして資金を拠出している。
こうした数字を見ると、米国の選挙資金については、非常に多くの個人が出しているというイメージを持つかもしれないが、実際に寄附をしている国民は全体の4%に過ぎない。他の国でも言えることだが、ごく一部の人々しか政治に関心を持っていないと言える。投票率も低下している。

フロアー発言:
米国の議員は、ワシントンと地元で20人位のスタッフを有していると聞くが、これらはどのように賄われているのか。

マン博士:
これも公的助成の重要な一側面である。スタッフの給料、オフィスの経費、議員の旅費などに対して、公費から100万ドル程度支出されている。


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