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企業人政治フォーラム速報 No.62

PDFファイル版はこちら 1999年11月 5日発行

高村正彦前外務大臣講演会
〜当面の日本外交の課題について〜

当フォーラムでは、去る10月28日に高村正彦前外務大臣を招き、講演会を開催した。

【高村外交総論〜外交に対する基本理念〜】

私の父は、近衛内閣総理大臣の秘書官を務めていた。連日、秘書官である父のもとには、総理との面会を求めて、多くの人がやってきた。父は、それを総理に取り次ぐのだが、近衛総理は忙しいと言って、これを全部断ってしまった。それは、ちょうど日米関係が非常に悪くなっていた頃で、近衛総理は日米関係改善のために、一生懸命努力していた。近衛総理が、面会を全部断ってしまうので、秘書官であった私の父も大変困ったわけである。そして、近衛総理に「外交も大切であるが、内政も大切であり、少しは時間をみて、会ってやってほしい。」と言ったところ、「内政の失敗は一内閣が倒れれば事足りる。外交の失敗は一国を滅ぼす。自分はいま、対米関係の改善のために全力を尽くしている。悪いがすべて断ってほしい。」とおっしゃったそうだ。これだけ一生懸命、対米関係の改善のために努力したにもかかわらず、その対米関係の改善に失敗し、そして戦争に突入し、日本の歴史始まって以来初めて、外国の軍隊に占領されるという事態になったのだ。なぜ父がこのような話を、当時、小学生であった私に話したのかはわからないが、内務官僚であった父が「外交が大切だ」と言ったことは、私の頭の中に残ったのである。
日本の外交は、何のためにやるのかといえば、それは間違いなく日本の「国益」を守るためである。では、「国益とは何か」ということであるが、第一に日本の「平和」と「独立」を守り、第二に「繁栄した」日本をつくり、第三には「尊敬される」日本をつくることである。これが、日本の国益であり、日本の外交の目的であると思う。よく、「国益、国益」と声を大にしている人がいるが、目先の国益ばかりを考える人が多いと思う。しかし、イラクのサダム・フセインや旧ユーゴスラヴィアのミロセヴィッチ、あるいは北朝鮮の例もあるが、私は、目先の国益を追って、「瀬戸際外交」を続けて、成功した国の例を知らない。
ウォール街のことわざに「強気もたまには儲ける。弱気もたまには儲ける。強欲だけは常に損をする。」というものがあるそうだが、外交というものも、あまり「強欲」になってはいけないが、「中長期的な国益」というものを目指してやっていかなくてはならないと考えている。
私は、外務大臣を拝命し、大臣の引継の際に、外務省の職員の前で挨拶した中で、「リーダーシップのある外交を目指す。」ということを言った。私は、この「リーダーシップのある外交」に、「政治家の官僚に対するリーダーシップ」、「政治家の国民に対するリーダーシップ」、そして、これが一番大切なのであるが、「国際社会における日本国のリーダーシップ」という3つの意味を持たせた。
2番目の「国民に対するリーダーシップ」というと、主権者たる国民に対して不遜であるという方がいるが、小村寿太郎の例を挙げるまでもなく、古今東西を問わず、「刹那的な国民感情」と「中長期的な国益」は、時々、相反するものである。私は、このような時にこそ、国益を目指して、プロの政治家が国民に対してリーダーシップを発揮しなくてはならないと考える。以上が、私の外交に対する基本姿勢というか、「高村外交」の総論部分である。だいたいこのような考えに立ち、個々の事態にあたってきた。

【北朝鮮問題】

外務大臣に就任してから約1ヶ月後、昨年の8月31日に北朝鮮のミサイル、テポドンが日本列島を飛び越えていった。政府として、その翌日に、「食糧支援は当面見合わせる」、「国交正常化交渉も当面見合わせる」、「KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)への協力も当面見合わせる」という3つの対抗措置を取った。しかし、最初の2つと、KEDOへの協力を当面見合わせるという措置には、若干違った意味合いがあった。
KEDOというのは、ご存知の通り、北朝鮮のような国に核兵器を持ってもらうのは困るということで、特に、アメリカが中心になって、それを止めさせるために発足した。テポドンが日本列島を飛び越えていった日は、日本をはじめ関係各国がKEDOの協力文書に署名をする日であった。日本はKEDOに対して約1000億円を拠出することになっているが、その当日に何事もなかったかのように、協力文書に署名するなどということはできないという声が一方にあった。一方で、KEDOの協力を停止して、その結果、北朝鮮が黒鉛炉を造って、核兵器も持つということになれば、こんな馬鹿なことはない。KEDOには、EUや南米の国々も入っているが、中心となっているのは日米韓の3カ国であるから、米国、韓国とも話し合って、最終的に、日本としては当面、協力を差し控えることを伝えた。ただし、日本は北朝鮮に核兵器を持たせないという安全保障上の枠組である、KEDOを壊すようなことはしないことを同時に伝えた。
結果として、10月21日にKEDOへの協力を再開することになるが、国民の理解を得るためには、少なくともマスコミの理解が必要であると考えて、記者に対しては、「KEDOというものが単なる協力ではなく、日本の安全保障の枠組である」ということを徹底的に説明した。KEDOへの協力の再開を決定した時には、北朝鮮の核開発を防ぐための唯一の、現実的で、効果的な枠組であるとして協力したわけで、多くの新聞が「釈然としないけれども、やむを得ない」というようなことを書いたが、私は、これはそれなりに我々の説明が成功した結果だと思っている。
日本の対北朝鮮政策というものは、第二次世界大戦後、まだ国交を回復していない、非常に不正常な関係にある国であるので、中長期的には関係を正常化していかなくてはならない。北朝鮮が「瀬戸際政策」を取って、当面の国益だけをはかろうとしている状況で、日本とすれば「抑止」ということはきちんとしていかなくてはならない。それと同時に、まったく対話をしないというわけではなくて、「抑止と対話のバランス」ということを考えなければならない。また、我々が、対北朝鮮問題で一番真剣に考えたのは、やはり日米韓が連携していかなくてはならないということである。
ともかく、「抑止と対話のバランスをとるという、我々の原則は変わらない」、「日米韓の結束も崩れない」ということを北朝鮮にきちんと示したことによって、米朝協議等の場で、北朝鮮側がほんの僅かではあるが柔軟姿勢を示してきている。そのような中で、日本は米朝協議等の進展を見ながら、「日本の事情」のもとに、北朝鮮に対してどのようなことをしていくのかを考えていく必要があるのではないだろうか。

【東ティモール問題】

9月にAPECの外相会議の開かれたオークランドで、東ティモール問題関係21カ国による会議が開催された。「インドネシアの支配下にある東ティモールに、治安を回復するために国際部隊を派遣する必要があるが、あくまでインドネシアが国際部隊の派遣を要請すべきである」というのが、21カ国の全会一致のコンセンサスであった。しかし、英米系の国々は、「決議をして」インドネシアに「圧力をかけて」、国際部隊の派遣を「要請させる」べきだという意見であったのに対して、アジアの国々の多くは、「水面下で静か」にインドネシアを「説得」するべきだという意見であった。その際にフィリピンの外相が「我々は友人に忠告する時に、決議などしない。みんながいない時に、一人で電話をかけて説得する。」ということを言ったが、私は、完全にフィリピンの外相と同じ意見であった。
9月11日に、私が、ハビビ大統領(当時)の代理としてオークランドに来ていたギナンジャール調整相(当時)と2時間にわたって話し合い、その後ギナンジャール氏より電話で、「明日、国際部隊の派遣要請を決定できそうだ。」との連絡があった。そして、9月12日に小渕総理がギナンジャール調整相と話し合った際、ギナンジャール氏から、「今日、国際部隊の派遣要請を正式に閣議決定し、その結果をもってアラタス外相(当時)がニューヨークの国連本部に飛ぶ」という報せを正式に受けた。インドネシアはこのように、12日に国際部隊の受入を決定したのであるが、これは国際社会の予想よりも早かったと思うし、日本も水面下で、それなりの役割を果たせたのではないかと思う。
アジアで問題が起こった場合に、よくいろいろな人から、「日本はアジアの側に立つのか、あるいは先進工業国の側に立つのか」と聞かれるが、私は基本的にはこんなばかな質問はないと思っている。日本はアジアに位置する国であると同時に、先進工業国の一つ、G8の一員である。したがって、私は、G8の会議などでは、極力、アジアの立場を説明し、日本・アセアン外相会議などの場合には、G8、先進工業国がどのようなことを考えているのかということをきちんと説明するようにしていた。いずれにせよ、アジアの立場に立つか、先進工業国の立場に立つかという話ではなくて、日本はアジアに位置する国であって、先進工業国、G8の一国であって、まさに日本の「国益」のために、常にバランス感覚を持って行動することが必要であると思っている。


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