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企業人政治フォーラム速報 No.67

PDFファイル版はこちら 2000年 2月24日発行

「自自公連立政権に至る道
〜選挙と選挙の間の政党政治をどう考えるべきか〜」
佐々木毅東京大学法学部教授

衆議院においては10月の任期満了に向けて、今年最大の政治日程である解散・総選挙が控えている。そこで、96年の総選挙以降の政治動向を振り返り、日本の政党政治の問題点、今後の課題等について、東京大学法学部の佐々木毅教授を招き、講演会を開催した。

■ 96年総選挙後に起こった事態について

今年が総選挙の年に該当することを念頭において、96年の総選挙後の政治動向を整理したい。まず、この間の政治動向には大きく分けて二つの流れがあったように思う。一つ目としては、政治システムの見直しを含む諸改革の実施が挙げられる。特に、諸改革の実施にあたって、「政治主導」という言葉がかつてないほど頻繁に使われるようになった。必ずしも、「政治主導=政治が良くなる」というわけではないが、「政治主導」という言葉が定着したことは重要である。
もう一つの動向としては、一連の改革と時期を同じくして、政党政治の混乱が見られたということである。とりわけ、新進党の解党は日本の政党政治における大きな汚点であったように思われる。総選挙において、国民から多数の票を獲得した政党が、国民に「無断」で解党してしまったわけであり、これはある種の信義違反である。この新進党の解党以降、与野党間の区別が分かりづらくなってきた。
また、98年の参院選では、大方の事前の選挙結果予想が外れて、自民党が大敗を喫した。近年では、いわゆる政治の「プロ」達も民意を読めなくなってきていることを示している。これは、ある意味で、自民党の強大な地盤が徐々に脆弱化しつつあることをも意味しているように思われる。恐らく、自自公連立政権の誕生も、これとは無関係ではない。いずれにせよ、野党新進党の解党と、与党自民党の弱体化という二つの要素が政党政治の混乱を招いたと考えられる。
このように、前回の総選挙以降、政治主導を掲げながら、政党政治の基盤が固まっていない状態が続いており、一種のパラドックスが生じた。そのために、国民の側からは、「政党政治は分かりにくい」という感じが出てきたのである。また、金融危機等の出来事が事態をさらに分かりにくくし、国民の間には、政党政治に対する不安さえも出てきた。小渕政権というのは、このような国民の気持ちに乗じて「何でもやる」ということをセールスポイントにしてきた。「どのような政策を選ぶのか」ということ以前に、「とにかくやる」ということが意味を持つようになってしまった感もある。
また、政党政治の混乱に加えて、参議院の問題が事態をより複雑にした。日本の二院制においては衆議院の優越がうたわれてはいるものの、政権の運営に対しては参議院の動向が重要になっている。自自公連立政権の発足にあたっても、参議院での過半数確保に焦点が当てられたのである。いろいろと批判はあるものの、国会内でのあり方としては、自自公連立政権の発足によって「行き着くところ」へ到達したという感じがする。

■ 「新永田町政治」について

政党政治の現状は、我々が4年前の総選挙の際に描いたものとは大きく離れてしまい、当時の与党と野党が一緒になって政権をつくるところまできてしまった。私は、このような現象を「新永田町政治」であると捉えている。かつての「永田町政治」は自民党による派閥政治であったが、現在では政党が派閥のようになってしまった感があり、さらに、それぞれの政党が右往左往を始めたのである。55年体制の時代には、政党政治は固定的で、まったく揺るがなかった。その代りと言っては何だが、自民党の派閥の間でいろいろと動きがあったわけである。しかし、今度は、まるで政治全体が派閥政治であるかのような感を呈しており、各政党がひたすら権力の「分け前」をめぐって争っているようなイメージを拭い去り難い。
政党政治の基本的なあり方は、とにかく「選挙の際に掲げた方針を次の選挙まで守り続ける」ことにある。そういった意味で、新進党の解党は最大のルール違反であった。新進党の解党を機に、政党政治は「場当たり」的な事態となっていった。政党は政治的なポジションを始終動かしておきながら、「政策」をその時々の自らのポジションを正当化するための道具として利用しているかのようにさえ見える。政党政治の混乱は、政党のポジションをも流動化させることになったが、政党政治においては、政党のポジションと政策がセットにならない限り、その政策は国民からの信頼を獲得することはできない。

■ 政治の計画性は可能か

介護保険制度の見直し論に見られたように、現状では、政界・政党政治の混乱によって、政策が安定せず、政策の「システマティック」な運用も困難になっている。これに加えて、連立政権内での議論が政策自体の体系性をさらに損ねることになっているのだ。そもそも、政策というものは一定の「時間」の中で成果が上がってくるものである。昨今の、いわゆるポピュリズムでは、政策の中から「時間」の観念がなくなってしまっており、国民が「その場、その場」で喜ぶかどうか、が重要になってきている。ギリシアの時代から、「民主政治は迎合政治である」と言われてきたが、政治にとっては、「時間」というパースペクティブの中で、「計画性」を持って政策を実施し、成果を刈り取っていくというメカニズムこそが重要である。

■ 「政治主導」の明暗

今までは、政治主導の「量」的な面を取り上げていれば政治が動いているかのような感じがしたが、今後は、政治主導の「質」の面が重要になってくる。政策と時間を組み合わせて、それをいかにパッケージとして提示するのか、という点が重要になってくる。
2001年には中央省庁の再編が予定されている。また、副大臣や政務官の新設、あるいは政治任用の増加等の一連の動きは、政治の側で思いのままに官邸を組織し、自由に政策を立案することを可能にし、まさに政治主導の体制の「コア」部分が形成されることになる。一方で、政治に「党派性」が認められている中で、いかに「政治主導」と「行政の中立性」とを両立させるのか、という問題も出てくる。
政治任用は人的資源の面から政治主導を支える重要なシステムである。しかし、政治家以外から人材を登用するにあたっては、問題点が二つある。一つ目には、政権が安定しないために、「政治家しか付き合いきれない」面がある。ある意味で、ここにも「時間」の問題が存在しているわけである。二つ目は、伝統的に、日本では、政治の世界に雇用保障がない点である。ただ、この点については、政治以外の世界においても、従来のような手厚い雇用保障がなくなりつつあることも事実である。いずれにせよ、政治の世界に人材を「吸引」するためには、政党政治が「選挙結果を基盤」に、その「軸足を動かさず」に、「時間の概念を定めて政策を検討」する、という体制を確立することが重要なのだ。

■ 96年総選挙後の政策の推移

政策には大きく分けて二つの類型がある。一つは、「今起こっている危機にどう対処するのか」という「危機管理に対応した政策」である。もう一つは、「中・長期的な視野に立ったプランをベース」にした「プランに基づく政策」である。橋本首相の「六大改革」には、「プランに基づく政策」というイメージがあったように思えるが、一方で、小渕首相の政策は、基本的に「危機管理型」である。我々は、この4年間にこの両極端なタイプの政党政治を見てきた。どちらか一方のタイプに偏るのは、それはそれで問題である。今後、「振り子」は現在の小渕首相のスタイルから中期的な視座の方へ振れていくはずである。実際に、いろいろな世論調査の結果においても、国民はそれほど短期的な視座で物事を考えているわけではないようである。しかし、現状では、政治のパースペクティブはどんどん短期の方に寄ってきているのも事実である。

■ 次期総選挙の焦点

予算案通過後に、もし自自公の体制で総選挙に臨むということになると、「ポスト景気対策」的な、新たな「政治のスタイル」や「政策目標」を掲げる必要がある。景気の動向次第であるが、総選挙の時期が遅くなるほど、景気対策以外の問題を掲げなくてはならなくなる。つまり、自自公の体制を継続するのであれば、「今後、自自公連立政権はいかなる目標に基づいて政策を実行するのか」ということを明確に示さなくてはならないのだ。


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