(公財)経団連国際教育交流財団日本人大学院生奨学生留学報告

2年間のトルコ留学を終えて

鈴木 伸吾 (すずき しんご)
2015年度奨学生
慶應義塾大学大学院からトルコ共和国/ボアジチ大学に留学

首相府オスマン古文書館入口前で友人の大学院生と
Tahan家の皆と、イスタンブル郊外のカフェで
(右下から2番目筆者、その下は妻)

現在の観察を通じて100年以上前の社会を理解できるほどにコトは単純ではないが、歴史研究者である以上、現地に住み、その社会や風土を肌で感じることが必要不可欠という考えは、この道に進んでから常に持っていた。また現実的な問題として、我々の依拠する歴史資料の大部分は現地にある。いくら史料のデジタル化時代を迎えているとはいえ、長期留学が最善の選択肢であることは間違いない。幸いに私は経団連国際教育交流財団の奨学生に採用され、トルコ共和国イスタンブルのボアジチ大学に2年間の留学をする機会を得た。

私の研究テーマは近代オスマン帝国における公衆衛生と都市行政である。19世紀後半になると当時世界的な流行となっていたコレラの影響もあり、帝国内諸都市で近代都市行政が誕生し、公衆衛生の改善が模索された。今のトルコに住んでみると、老若男女問わずトルコ人はどこでもポイ捨てをするが、市の清掃員が箒と塵取りを両手によく掃除をしており、翌朝にはそれなりに綺麗になっている。道路に捨てて、役所がまとめて綺麗にするというあり方は、19世紀後半から変わっていないようである。また背丈以上の大袋をリアカーに装着しペットボトルやダンボールを回収して生計を立てている下層の人々は、ボロや骨を集めた「屑屋」の21世紀の姿だった。衛生観や公共概念など、特殊なのはむしろ自分の属する日本社会の方であるという発見も多くあり、この2年間の留学は、自身と自身の属する社会を相対化するという意味でも良い機会にもなった。

修士論文では地方新聞を読み込み、「民」の側の史料からこの問題に取り組んだが、留学中は首相府オスマン古文書館に収蔵されている行政文書を中心に、「官」の側の史料を読み漁った。私を含め文書館に毎日通う常連は、同じ博士課程の学生が多く、同世代の研究者とチャイを飲みながら親交を深められたことも、留学通じて得た大切なものの一つである。ここは18時頃には閉まるが、近年トルコでは24時間開館の公共図書館も出てきている。友人と共に文書館から公共図書館や大学図書館に「はしご」して日が変わるまで勉強することもあった。

この二年間、トルコは激動の時だった。相次ぐテロ、クーデター未遂、憲法改正…。特にクーデターから憲法改正に至る一連の政治変動を近くから見ることができたのは、今となっては得難い経験だったと言える。クーデターの際に路上に出て抗議した人々を見たときには、トルコのマンパワーの強さに驚いた。他方、こうした「民意」が、良くも悪くも集権的体制の強化に帰結するという民主主義のジレンマも、現地の政治変動からリアリティのあるものとして感じ取れた。

留学から帰国した現在は、現地で収集した史料を読み進め、論文投稿と博士論文執筆の準備をすすめている。オスマン語史料に加え、英仏の公文書館やギリシアの諸研究所で集めた史資料も併せて、文明の交差する多文化社会の経験した「近代」という時代を炙り出していきたい。最後に、このような貴重な機会を与えてくださった経団連国際教育交流財団の皆様に、心より感謝申し上げたい。

(2018年2月掲載)

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