[ 日本経団連 | 会長からのメッセージ ]

日本経団連の課題

−日本記者クラブにおける奥田会長講演−

2002年7月22日(月)12:30−14:00
於 日本記者クラブ 10階 ホール

1.はじめに

ただいまご紹介いただきました奥田でございます。本日は日本記者クラブにお招きをいただき、まことにありがとうございます。
日本経団連の会長に就任いたしましてから2ヶ月が経過しようとしておりますが、その責任の重さを痛感する毎日であります。もちろん、トヨタ自動車の会長、経済財政諮問会議の議員という立場もありますが、日本経済が厳しい困難に直面している今日、経済界の先頭にたって改革を推進することが、私に与えられた最大の使命であると考えております。
本日、日本記者クラブという伝統ある場で、私の考え方の一端を述べさせていただくことは、誠に光栄でありますとともに、日本経団連会長としての責務でもあると思い、参上した次第であります。
私には、(ご紹介にもありましたように)「日本経団連の課題」というテーマが与えられております。ご承知のとおり日本経団連は、主として経済・産業政策を扱ってきた経団連と、人の問題を扱ってきた日経連が統合した団体であり、与えられました30分という時間では、すべての課題についてお話しすることはできません。
そこで今日は、最初に私の時代認識と申しましょうか、今の世界、そして日本をどうとらえているかを申し上げたいと思います。その上で、新しい団体である日本経団連の運営にあたる理念をご紹介し、取り組むべき具体的な課題の中から、特に経営改革の推進と、持続可能な社会保障制度の構築に触れさせていただきたいと思います。

2.時代認識

まず、今の時代をどうとらえるか、であります。経済の世界に身を置いている者としては、「資本主義」「市場経済」のグローバル化から申し上げなければなりません。
ベルリンの壁が崩壊したのは、もう一昔前になりました。世界経済を規律するルールが、壁の崩壊によって「資本主義」と「市場経済」に収斂したことは、言うまでもありません。これは、ある意味で当然のことだったとも思います。人々を抑圧から解き放ち、人間が人間としての本能に従って豊かさを追求できる制度的枠組みが、資本主義市場経済だったからであります。
そして、さらに重要なことは、国単位からEUやNAFTA、東アジアなどの地域へ、そして地球単位へと、「市場」そのものが急速に拡大したことであります。このリージョナル化、グローバル化の現象は、市場経済に生きる企業や個人にとって、大きなチャンスであります。国境を越え、市場が拡大することは、とりもなおさず活動範囲の広がりを意味するからであります。
もちろん、市場経済は競争による優勝劣敗を前提としていますから、競争に敗れた者には厳しい現実が待っています。しかし、そうした敗者が、再びチャンスを得て挑戦する機会を得ることができるのも、また市場経済であります。勝者は事業を拡大し、敗者は再起に挑む。そして、いつ勝者と敗者が入れ替わるかわからない。それが市場経済の鉄則であります。
もう一つ、これからの時代の特徴として挙げられるのは、多様化であります。経済の世界で、資本主義市場経済がグローバル・スタンダードになったとはいえ、この地球上には、さまざまな民族があり、考え方や習慣を異にしております。経済の国境線がなくなっても、そこにはいろいろな特徴をもった市場がモザイク模様のように広がっているわけであります。
日本国内に目を転じてみても、この「多様化」が進んでいることは明らかであります。80年代半ばには、戦後、日本が目標とし、手本としてきた欧米へのキャッチアップを成し遂げ、日本は、50年前には想像もできなかったような経済的成功をおさめました。
この成功が、私ども国民の一人一人に物質的な豊かさをもたらしました。白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機の「三種の神器」、カラーテレビ、自動車、クーラーの「3C」の時代を経て、日本はすでに大量生産・大量消費の時代から、多品種少量生産・多様な消費の時代へと移りつつあります。豊かさしか知らない世代も生まれ、消費行動は多様化し、個性を追求する傾向が強まり、生活スタイルも多様化しております。市場というキーワードでみれば、国内でもモザイク模様が拡がっているわけであります。そして、「civil society」という言葉に現れているように、多様な価値観を追求するグループが、社会的に重要な役割を果たすようにもなっております。
ただし、こうした豊かさに慣れた社会が、少子高齢化という現実に直面し、不安を抱えていることも事実であります。この春に発表された人口推計によれば、日本の人口ピラミッドは、団塊の世代が生れた1940年代後半までの富士山型から、現在の釣鐘型を経て、将来は逆三角形のツボ型に姿を変えることが明らかになっております。このため、マクロ経済的には、近い将来において貯蓄と投資のバランスが逆転するのは明らかと言われております。
そして、高齢化社会という避けがたい現実が、止まらない少子化の進行と、外国人の活用について消極的な日本の政策と相まって、社会保障制度の持続性に大きな影を落としております。制度改正は不可避でありますが、なかなか社会的な合意が得られません。この点については、後ほど少し触れたいと思います。
このような時代の変化は、さらに加速度を増しているように思われます。この時代に生きるわれわれは、こうした変化に機敏に対応しなければなりません。自ら環境変化の潮流を敏感に感じ取って変わらなければ、生き残ることすら難しい時代なのであります。十年一日のごとくでは、企業は衰退いたします。労働組合も同様であります。本日お見えのマスメディアの皆さんも、インターネットという速報性に優れた巨大な情報源にどう対応するか、今後の戦略を練っておられることと思います。
この時代の最も大きな特徴は、変化のスピードにあり、その変化に前向きに対応できないものは、消え去る運命にあると言ってもよいと思われます。

3.日本経団連の発足と課題

こうした時代の中で発足した日本経団連について、少しお話ししたいと思います。2000年の1月、私は日経連の会長でありましたが、経団連の今井会長は恒例の経済4団体長の記者会見で「歴史や伝統が違うからといって、経済団体が統合できない理由にはならない」と発言され、二つの団体が表舞台で統合に走り出しました。私もぐずぐずしているのは性に合いませんので、同じ年の8月には日経連でも統合の方針を了承していただきました。事務的な手続きで発足は今年になりましたが、経団連と日経連の統合決定そのものが、すでに他の経済団体や業種団体などの統合の契機ともなっております。
戦後長らく、経団連と日経連は、中小企業の代表である日本商工会議所、経営者が個人としての資質を高める経済同友会とともに、経済4団体と並び称されてまいりました。
この間、経団連は、日本の経済産業政策に対して物申し、企業活動の環境を、主にルールの面で整備することに力を尽くし、最近ではNPOの活動支援などを通じて、市民社会との交流にも尽力してきました。そして93年までは、日本における民主主義、自由市場経済を支える保険として、自民党に対する政治資金を斡旋してきたのも事実であり、それが過去においては「財界総本山」や「財界総理」といった言葉を生んだ土壌にもなっておりました。
これに対して日経連は、戦後の復興期に吹き荒れた労働争議に対し、経営者が一丸となって対抗する「城」となり、「生産性基準原理」あるいは「人間尊重」という指針を提示して企業経営をリードしてきました。
この二つの団体が一つになった理由は、一言でいえば、経済・産業と社会・労働を分けて考えることができなくなったという、環境変化への対応であります。大きく変わり、変化のスピードも増してきた時代に対応するということであります。
そもそも経済団体の本来の役割は、企業が活力を最大限発揮するための基盤の整備にあります。二つの団体は役割分担で50年を過ごしてきたわけでありますが、最近では社会保障制度や雇用制度などが、企業の競争力を考える上で大きな課題、関心事項となっております。こうした課題について、経済界の声を一つにして、スピーディーに提案し、改革の実行を求めていく。これが統合の最大の理由であり、歴史や伝統の違いを乗り越える原動力になったものであります。
また、歴史と伝統の違いは、統合してみますと強みになりうるものであります。それぞれが集積してきた経験、築いてきたネットワークは、新しい団体である日本経団連にとって大きな財産であり、これを統合し、最大限に活用して経済団体としての役割を果たしていくことが大事であります。
私は、この新しい団体の初代会長に就任するにあたって、「多様な価値観が生むダイナミズムと創造」、それを支える「共感と信頼」を基本的な理念として提起いたしました。
日本は、明治維新や第二次大戦などに匹敵する、歴史上の大きな転換点を迎えております。欧米へのキャッチアップを達成する一方で、グローバル化や少子高齢化の急速な進展、さらには地球環境問題の高まりといった大きな変化が、同時並行的に進展しております。
その中で日本は、自ら国のあり方を模索し、また新たな発展の道を見出さなければなりません。新しい経済・社会の発展の原動力は、精神面の豊かさを求めるエネルギー、つまり人々がそれぞれの多様な個性を活かし、自分らしく生きることを通じて得られる充実感ともいうべきものに求めるべきであります。多様化が個人のレベルでも進む今日、発想を転換して、これを新たな発展の原動力にすべきであると思うのであります。
それをさらに後押しし、精神的な豊かさを追求することを通じて、日本人をこれまでの画一的な生き方から解き放ち、さまざまなかたちで個の確立、自立を促す社会を築いていくことが求められるのではないかと思うのであります。それが、ひいては、経済的な豊かさの中にあっても、それに堕することのない、確固たるアイデンティティを持った精神をはぐくむことにもなると考えるのであります。
そうした経済社会を目指す時、その土台として、他者が自分と異なるものを求め、生きていることを理解し、尊重する心、そうした「共感と信頼」が国民の間に形成されていなければなりません。同様に、日本が真に開かれた国として、国際社会のなかで生き、貢献していくためには、日本自らが「共感と信頼」を寄せられる存在となることが重要であります。
20世紀を物質の時代とすれば、はじまったばかりの21世紀は、多様な価値観を育み発展させる「こころの世紀」にしたいと思うのであります。そして、それを担うのは内外に開かれた、活力と魅力ある国を創りあげていこうという「志」であると考えております。日本経団連も、「志」を高く掲げ、この国の発展に尽くしていくことをお約束したいと思います。
その具体的な取り組みとして、今年の総会では6つの事柄を挙げて決議しております。第1が「経営改革の推進」、第2が「新たな雇用・事業機会の創造」、第3が「簡素で効率的な政府の実現」、第4は「地球環境問題への取り組み」、第5は「戦略的な対外経済政策」、そして最後が「政治との新たな関係の構築」であります。
時間の制約もありますので、第1の「経営改革の推進」について若干触れた後、第3の「簡素で効率的な政府の実現」に関連して社会保障制度改革について申し上げたいと思います。

4.経営改革の推進

経営改革とは、一言でいって「競争力の強化」であります。
企業にとっては、事業を再編し、経営資源を高収益部門に効率的かつ重点的に投入することが、まずもって重要であります。金融機関も不良債権を早く処理し、金融仲介機能の回復と産業の再生を図らなければなりません。また、労働分野では、安定した労使関係を継続するとともに、国際的な視野を持った次世代のリーダーを育成し、従業員の職業能力も向上させ、雇用形態の多様化にも対応する必要があります。さらに、生産性や成果に応じて賃金を決定することも重要でありますが、極めて残念なことに、この10年ほど、生産性の伸びを上回る賃上げが行われて労働分配率が上昇し、それが企業にとっての足かせとなり、日本経済の回復を遅らせる一つの要因となってしまいました。
政府にも多くの課題があります。企業が国際競争力を一層強化し、柔軟かつ機動的に意思決定や組織再編ができるよう、高コスト構造を是正し、商法や税制などを国際的なルールに整合化させ、金融システムの安定化と資本市場の整備を図らなければなりません。また、円滑な労働移動の確保に向けて、規制改革、職業能力開発の推進、雇用のセーフティー・ネットを充実することも必要であります。
こうした課題は、過去に言い尽くされた感がありますが、未だに課題として残るのは、提言だけで実行が伴わなかったからであります。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とビスマルクは述べました。改革の成功に強いリーダーシップが必要であることは、歴史が証明しております。時代が大きく変わるとき、世界でも、日本でも、強烈な個性をもったリーダーが存在していたことを、われわれは知っております。
では、そのリーダーの条件とはなにか。私の考える、リーダーの要件をいくつか申し上げたいと思います。
まず第1が、改革に取り組む信念であります。立ち向かわなければならない困難が、いかに大きなものであれ、リーダーは確固とした信念をもって改革に取り組まなければなりません。そして、一つの方策でだめなら別の道を探して、決して投げ出したりしない。約束したことは必ず守る。こうした柔軟な粘り強さが、人々を行動に向かわせ、改革の果実を手にすることにつながるのであります。
第2は、説得力あるビジョンの提示であります。改革への取り組みは、多くの困難や痛みを伴うものであり、改革の先に明るい未来が開けているのでなければ、人々は困難に立ち向かい、痛みに耐えることはできません。国民が不安を感じている今こそ、説得力のあるビジョンが必要であります。なお、日本経団連としても、年度内に経済界が考える将来ビジョンを示したいと考えております。
第3は、敗者への配慮を欠かさない責任感であります。リーダーが、自分の率いる集団から敗者を出さないことに最大限努力するのは当然でありますが、優勝劣敗の市場経済では、勝者と敗者が生れるのは避けられません。そして、この勝者と敗者は、いつ入れ替わるかわかりません。敗者を生んでしまった場合には、一時的にセーフティー・ネットで救うことも含めて、敗者復活を支援することが求められます。敗者を切り捨てたまま放置するのは、リーダーとはいえないのであります。
第4が、率先して行動することであり、これが最も重要なリーダーの条件であります。民間企業が経営改革に取り組む際に、経営陣が率先して痛みを受け入れなければ、従業員は行動しません。ましてや国家の改革においては、指導的な立場にある人が、自ら率先して痛みを受け入れる姿勢を示さなければ、国民の行動を促すことはできないのであります。
以上の4つが、私の考えるリーダーの条件でありますが、あえて「倫理性」ということにも触れたいと思います。アクトンは「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」と述べました。一方で、「ノブレス・オブリージュ」という言葉があります。高い地位、高貴な身分には、それ相応の責任が伴うという意味であります。経営者、政治家、中央官僚、オピニオン・リーダー、マスコミのいずれも、自らを律し、置かれた立場に見合った責任を果たさなければなりません。
さらに、企業経営にあたる者については、株主の利益だけを考えていればよいわけではありません。株主が重要であることは当然でありますが、そのほかにも、企業にとっては債権者、取引先、従業員、地域社会、NPOなど、すべてのステークホルダーに心をくだかなければなりません。結局のところ、ステークホルダーとの良好な関係を維持発展させることが、企業の行動原理である長期利潤の極大化に最も近い道だと思うのであります。

5.持続可能な社会保障制度の構築

さて、最後は社会保障制度についてであります。年金・医療・介護を指して一般的に社会保障と呼ばれますが、現在の制度に持続可能性がなくなってきていることは、誰もがよく知っております。国民の将来不安の最大の原因の一つが、社会保障制度であることは明らかであります。そしてまた、企業にとっても大きな重石となってのしかかってきております。
年金について申し上げれば、春に発表された新しい人口推計で計算すると、2025年の年金保険料率は年収の約25%にも達すると試算されております。医療などを加えた社会保障負担の国民所得比は、実に33%近くにまで高まるといわれております。
5年ごとの見直しとはいえ、そのたびに年金の見通しは悪化し、国民の将来不安をあおってきたことは否めません。しかも、その対応は彌縫策に終始し、先送り先送りで現状を糊塗してきたといわざるを得ないのであります。それが、年金制度の持続可能性に対する国民の不安を一層助長し、公的年金への未納・未加入者の増大や消費の手控えにつながっております。
国民負担の観点から言えば、受益と負担のバランスをはかり、不公平の是正に取り組む以外に道はありません。誰が受給し、誰が負担するのか、という視点が重要であります。パート労働者の年金適用、第3号被保険者制度の見直し、そして長寿社会の中での受給年齢の引き上げと負担、若年層にもわかりやすい年金制度など、具体的に取り組まなければならない課題もみえております。
医療についても同様であります。高齢者医療への対応が一つのキーになりますが、長寿社会の中での医療制度はどうすべきか。さまざまな場で議論はなされていますが、なかなか結論は出ません。医療保険についても、持続可能性と医療の技術進歩を考えれば、公的な医療保険の範囲は必要不可欠な分野に限定し、それを超える部分は個人の選択に委ねて、自己負担で賄う以外にありません。混合診療、民間保険の活用といったことになるわけであります。
さらに、医学の進歩にともなって、終末医療、ターミナル・ケアの問題が、人間の尊厳との関係から、大きな問題となっていることにも思いをいたさなければなりません。欧州やアメリカの一部で尊厳死あるいは安楽死が合法化されているのは、皆さんもご承知のとおりであります。日本においても、貧しさゆえの村の掟とはいえ、70歳の冬、子に背負われて楢山の頂に向かう「楢山節考」の世界があります。子を捨てるか、親を捨てるかに苦悩する長男の心情にはあまりあるものがありますが、一方で、楢山の神に召されることを望む老婆の死生観も、私は一概に否定することができないのであります。
人間の死生観というものは、国や民族、文化によってさまざまに異なるものであり、なかなか一律に論じることはできません。ターミナル・ケアの問題は、「豊かさの中での人間の尊厳とはなにか」という問を提起しております。深く考えさせられる問題であると思います。
さて、狭い意味での社会保障には入りませんが、雇用の問題に触れないわけにはまいりません。先ほど、自分が率いる集団から敗者を出さないようにするのがリーダーの責任と申し上げましたが、どうしても避けられない場合もあります。その際に重要となるのがセーフティー・ネットであり、制度的には雇用保険ということになります。
忘れてはならないのは、新しい職場を早く見つけること、言い換えれば労働移動を容易にすることこそが重要だという点であります。しかし、現在の雇用保険や事業は拡散しすぎていて、それがどの程度、再就職につながっているのか、判然としません。
厚生労働省は、雇用保険の財政状況が悪化しているために保険料を引き上げようとしておりますが、まずはさまざまな事業を見直し、給付も本当に必要としている人に限定していくことが重要であります。保険料を引き上げる前に、現在行われている事業を厳しく評価し、効率性を高め、成果をあげるようにすることが先決であることを申し上げておきたいと思います。
また、国民負担の増が避けて通れない以上、個人の家計レベルでも対策は必要であります。隣が買ったから、隣の子も塾に行っているから、友達がフランス料理を食べに行くからといって、真似をするのは、個性の薄い大量消費時代の行動パターンであります。全部をかなえるのは、よほどの金持ちでもなければできません。多様化の時代は、限られた所得の中でも高い満足度を得ることが可能な時代でもあります。自分にとって、あるいは自分の家族にとって、最も満足度の高いものは何か。新しいライフスタイルを構築するのが、一つの対策になり得ると思うのであります。

6.おわりに

最後に、私が日本経団連の事務局に指示したことを、一点だけご紹介させていただきたいと思います。それは「官庁用語」を使うな、ということであります。閣議決定や審議会答申では、「見直す」とか「検討する」という用語をよくみかけます。中には「見直しを検討する」とか、「措置することに努める」とか、やるのかやらないのかもわからない表現が、少なからずあります。これらが、改革を遅らせるツールとなっていると言っても、過言ではないと思います。
この変革の時代に求められているのは、意思をはっきりと伝え、時間を区切って、決断した改革に取り組むリーダーであります。小泉総理のリーダーシップに期待し、経済界としてもバックアップしていく所存であります。
私は日本経団連会長として、こうした決意のもとに、全力を挙げて改革の先頭に立ちたいと考えております。マスコミの皆様のご支援、ご鞭撻をお願いいたします。

ご清聴ありがとうございました。

以 上

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