Action(活動) 週刊 経団連タイムス 2022年7月28日 No.3554  ウクライナ危機と日露投資協定 -21世紀政策研究所 解説シリーズ/21世紀政策研究所研究委員(東京大学大学院教授) 伊藤一頼

ロシアによるウクライナ侵略に対し、欧米や日本は対ロシア経済制裁を科し、また多くの企業がロシア事業からの撤退を図っている。他方ロシアは、制裁を行う国々を「非友好国」に指定し、非友好国の国民が支配するロシア企業の株式、不動産、外貨をロシア国外に譲渡することを制限したり、非友好国に関係する者が有する特許を無償で強制実施できるようにしたりするなどの措置を講じた。また、非友好国で登録され、または主要な活動を行う外国人株主が株式の25%以上を保有する一定規模以上のロシア企業が、ロシアでの事業を停止・縮小した場合、当該企業を「外部管理」できる(企業資産をロシア政府主導で補償なく新会社に譲渡させる)法案も審議されている。これらの措置以外にも、ロシアの侵略行為をきっかけにさまざまな損害を被った企業は多いだろう。

このような損害の賠償請求をロシア国内の裁判所に提起しても、裁判所はロシアの法令を適用するにすぎないため、奏功する見込みは低い。そこで考えられるのが、国際法(条約)に基づく賠償請求である。現在、投資保護協定と呼ばれる条約が二国間で多数締結されており、そこでは、外国投資家である企業や個人が、投資受け入れ国の政府を相手とする訴えを、受け入れ国の国内裁判所ではなく、独立の仲裁法廷に対して提起できると定めている。これは「投資仲裁」と呼ばれ、年間で数十件が実施されている。日本とロシアの間でも2000年に投資保護協定が発効しており、投資仲裁の仕組みが利用可能である。

投資仲裁では、受け入れ国の国内法ではなく、投資協定上のルールに違反したかどうかが審査される。代表的な投資保護ルールとしては、補償なき収用の禁止、「公正かつ衡平な待遇」の付与、内国民待遇・最恵国待遇、国外資金移転の自由などがあり、日露投資協定にはこれらがすべて含まれている。個々の事実関係にもよるが、外国投資に対するロシアの今般の措置はこれらのルールに違反する可能性が高いと考えられる。投資協定違反が認定されれば損害賠償が命じられるため、日本企業がロシア事業において被った損害を回復する手段として、投資仲裁は有力な選択肢の一つとなるだろう。

ただ、投資仲裁を利用する場合に考慮しておくべき点が二つある。第1に、従来、投資仲裁で敗訴した投資受け入れ国は損害賠償に応じるケースが多かったが、ロシアの場合、簡単には賠償を支払わない可能性が高い。例えば、14年に仲裁判断が示されたYukos事件では、ロシアに対して約500億ドルの損害賠償が命じられたが、ロシアは当該仲裁判断の「取消」を求めてオランダの国内裁判所に訴訟を起こしている。投資仲裁の判断に対しては、上訴は認められていないが、一定の限られた理由に基づき取消を請求する余地があり、これは当該仲裁が実施された場所(仲裁地という)の国内裁判所に訴えを起こすことになる。この取消請求は容易に認められるものではないが、それでも国内裁判所で(上訴審も含めて)争われれば、それに対応する時間と費用が必要になる。

また第2に、取消訴訟に勝訴できたとしても、ロシアが損害賠償を自ら支払わない限りは、仲裁判断を強制的に執行する手続きを開始しなければならない。しかし、こうした執行訴訟をロシアの国内裁判所に対して提起しても、そこで執行が素直に承認されることは期待できない。その場合には、ロシア以外の国の裁判所において、その国に所在するロシア政府の資産を対象として仲裁判断の執行を求めることになる。

ところが、国際法では、一般に国家財産は他国における強制執行から免除されるという原則がある。例外的に、執行対象である国家が強制執行に同意するか、当該財産が商業的目的に使用されている場合に執行が認められ得る(国連国家免除条約19条)。実際、ロシアに対して投資仲裁判断の執行を求める訴訟は米国をはじめ各国で起こされており、そこでは、ロシアによる投資保護協定の締結が強制執行の同意をも含むと解し得るかが争点となっている。仮にそれが否定されれば、商業的目的に使用されているという理由に基づく強制執行のみが残された方法になる。この点で、現在主要国はロシアの中央銀行の資産を凍結する措置をとっているが、中央銀行資産は一般に商業的とはみなされず、他の財産を執行対象として探す必要がある。そのようなロシア国外にあるロシアの商業的財産には限りがあるため、先に投資仲裁を提起した企業のみが強制執行により損害を回復できる結果になる可能性もある。

このように、ロシアと投資仲裁で争う場合には、仲裁で勝訴するだけでは十分でなく、その後の取消訴訟や執行訴訟まで視野に入れておく必要がある。しかし、おそらく投資仲裁は現在のところ企業が自らロシアを相手に損害回復を試みるうえで最も実効性のある手続きであり、損害額によっては時間と費用をかけてでもこれを利用する価値はあるといえよう。

【21世紀政策研究所】

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