月刊 Keidanren 2002年 4月号 巻頭言

日本再生への挑戦を

御手洗委員長 御手洗冨士夫
(みたらい ふじお)

経団連コーポレート・ガバナンス委員長
キヤノン社長

 構造改革は期待が大きい割に実現が思うようには進まず、一方デフレスパイラルの危機的状況下にあって日本の将来に対する不安感はなかなか拭い去ることができない。80年代「Japan as No.1」の誇りも自信も今や影もなく、再生への確かな手がかりを求めて逡巡しつつ、焦るばかりの悲観論が漂っている。

 日本は本当に力を失ってしまったのだろうか? 私は日本が力を失くしたのではなく、ただ力を収束する確かな方向をいまだに見出せないだけだと考える。

 今の日本を見ると、私が米国滞在中であった80年代のアメリカの状況と大変似通ったものを感じる。当時、産業の空洞化による危機的な失業問題と構造的な不況下で米国が陥っていた自信喪失は、「強いアメリカ」はもう二度と帰って来ないのではないかとの不安を支配的なものとしていた。しかしレーガン政権下、強力な政策と国民の強い支持のもとに構造改革を進め、米国は90年代、再び「強いアメリカ」を復活させ、かつてない繁栄を謳歌したのである。

 米国は、航空宇宙産業や情報ハイウェイ、ITやバイオ産業の育成等々、国家主導の強力なプロジェクトを長期的ビジョンのもとに推進し、ハイテク分野で世界のリーダーシップを担う一方、自動車・鉄鋼・半導体などの既存の基幹産業分野についてもSCM(サプライ・チェーン・マネジメント)やシミュレーション技術の導入など、コストダウンと徹底的な生産性の追求による改革、再編を成し遂げ、産業の再活性化を見事に成功させることができたのである。それには産学官の強い連携と国家主導による基礎先端技術への積極的な投資、またその開発成果の民間への移植を容易にする仕組み等の存在が大きく貢献しており、そうしたことが最新技術を迅速に産業化することを可能にして米国再生の活力源ともなっていた。

 同じ自由主義経済とは言いながらも戦後の保護主義的体質から完全には抜け切っていない日本では、数々の規制や慣習の存在が自由闊達な改革を妨げ、また産学官の連携も極めて脆弱である。経済・金融システムの早急な規制緩和と構造改革は、景気回復という短期的な目的のためにも焦眉の急である。しかし将来日本が厳しいグローバル競争に生き残り、独自の繁栄を享受するためには、その優れた技術力・生産力をいかに束ね、集中し再活性化していくかが課題となる。

 「開発技術」と「生産技術」こそが日本が誇れる資源であり、そこから生み出される価値によって日本の再生は可能なのであり、安易な生産移転による空洞化は慎重に避けなければならない。そのためには、長期的な国益を軸に据えて明快なビジョンのもとに国家的なプロジェクトを大胆に導入することが必要であろうし、また産学官の有効で強力な連携を可能にする仕組みづくりの早急な実現が強く望まれる。


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