IP時代における通信・放送政策のあり方(中間取りまとめ)概要
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わが国は「e-Japan戦略」の5年間に、ブロードバンド・インフラの整備において世界最高水準となり #1、最先端のマーケットと技術環境を有する世界最先端のIT国家となった。このようなブロードバンド・サービスの急速な普及やデジタル化等の技術革新を背景に、昨今、通信・放送サービスのIP化の動きが急速に進んでおり、新たなイノベーションが進行中である。
たとえば、通信市場においては、従来の固定電話と比較して格安で品質面でも遜色のないIP電話サービスの提供が拡大している。また、パソコンや携帯機器上で、無料で世界中のどことでも通話できるサービスも登場している。企業においては、自社IP網の構築と利活用が進みつつある。さらに、放送分野でも、いわゆる「通信と放送の融合」が進み、従来の地上波、衛星、ケーブルといった手段に加えて、インターネット上で放送コンテンツが配信されるようになってきた。
デジタル化可能なあらゆる情報は、このような技術革新の原動力である「IP(インターネット・プロトコル)」という通信規格により、ネットワーク上で伝送、交換、蓄積することが可能となった。最も身近な利用例はインターネットであり、固定電話、携帯、パソコン、テレビ等の端末間で、音声・データ・画像・映像などのコンテンツが自由に流通する時代となった。今やIPによるコンテンツの伝達と利活用が広く社会に浸透し、本格的な情報化革命とも言うべきIP時代が到来しつつある。
産業革命がそうであったように、イノベーションは経済成長の源泉であるのみならず、経済、社会の構造に劇的な変化をもたらす。また、こうした変化に適応できた国とそうでない国の間には、著しい国際競争力の格差が生じた。IP化という大きなパラダイム・シフトのなかで、わが国がブロードバンド・サービスなどの分野で世界のフロント・ランナーの地位を維持し、国際競争力を強化する上で、世界最先端の情報通信ネットワークの構築を進めるとともに、世界に先駆けてIP時代の新たな通信・放送政策を確立することが喫緊の課題となっている。
IP化を想定していなかった既存の通信・放送制度は現実と乖離をきたしつつあり、米国では96年連邦通信法の見直しに関する法案が議会で審議され、EUにおいても枠組指令の見直しが行われている。日本では、総務省の「通信・放送の在り方に関する懇談会」、「IP化の進展に対応した競争ルールの在り方に関する懇談会」、自民党の「電気通信調査会通信・放送産業高度化小委員会」などの場で、新たな通信・放送政策のあり方が検討されてきた。
「IT新改革戦略」において、その目標年である2010年までにブロードバンド・ゼロ地域を解消するとしたことも踏まえ、それまでに世界最先端のIT利活用国家に相応しい、IP時代の新たな通信・放送制度が軌道に乗るよう、直ちに制度改革の検討に着手し、早急に結論を出すべきである。
IP化による更なる技術革新やネットワークの進化は、情報やコンテンツの加速度的な流通拡大をもたらすのみならず、ネットワークを介して人、企業、サービス、インフラ等を結びつけることによって、新たな社会的・経済的な価値を継続的に生み出す「イノベーションの創出」へとつながっていく。このような中で、企業は従来の情報通信サービスの需要者としてのみならず、今後は、広告宣伝、IR情報等を直接発信するコンテンツ供給者としての立場を強めていくと思われる。本中間取りまとめは、このように多様化する企業ユーザーの視点も踏まえ、通信と放送を包含したIP時代の新たな政策のあり方に関する基本的考え方を提示するものである。
企業のIP化の取り組みと課題
日本経団連情報通信委員会では、IP化に対する企業ユーザーのニーズを把握するため、2006年4月から5月にかけ、各社におけるIP化の取組み状況、IP化に寄せる期待、IP時代における法制度や行政組織のあり方等について、アンケート調査を実施した #2。
その結果によれば、既に、何らかのIPサービスを導入・活用している企業が9割を超えた。主に、事業者が提供するIP電話サービスの活用、IP-VPN #3、広域イーサネット #4、インターネットVPN #5 等の導入による自社IP網の構築、映像配信・テレビ会議システムの導入といった形でIPサービスの活用が進んでいる。IPサービスによって、導入から運用に至るトータルな通信コストの削減、社内外でのシームレスな情報伝達・共有、業務処理の効率化など、様々な点で恩恵を受けているとの声が寄せられた。IPは単なるコスト削減の手段という段階は脱し、IPを使っていかに業務を効率化し、新たなサービスやビジネスの創出につなげるかというステージに入っている。
調査においても、全回答企業が今後、ビジネスや事業においてIPを活用する予定であると答えている。具体的な活用事例として、時間や場所を選ばない情報伝達・共有手段として、音声・データ・映像、有線・無線といったあらゆる情報サービスのIP化を進めると同時に、業務革新、社内教育から、広告・IR等の情報発信、コンテンツ提供、顧客対応、設備制御、調達、生産管理、監視といった様々な面で利活用を行うことが考えられている。このように、今後、企業において、IPの利活用を通じて、業務の効率化や事業革新、新たなビジネスの創造に向けた取り組みが一層加速することが見込まれる。
IP化がもたらす経済・社会の構造変化
従来、通信や放送は、技術的な要因によって、情報やコンテンツの伝送手段、時間や場所、送り手と受け手等が制約されていた。それがIP技術によって、誰もがいつでもどこでも、デジタル化可能なあらゆる情報を伝送、交換、蓄積できるようになる。つまり、誰もがユビキタスでより豊かなコミュニケーション・ツールを手にする。そうなれば、個人からコミュニティ、さらには社会全体に至るまで、あらゆる主体が多様な形態の情報、コンテンツを創造し、それを広く世界中に発信し、皆がその情報を享受し、共有できるようになる。こうして生まれた膨大な情報やコンテンツが広く世界で利活用されることで、さらなる付加価値が乗数的に創り出されるなど、IP技術は無限の可能性を秘めている。このようなIP技術がもたらす知の創造と交流のサイクルが、経済や社会、文化や学問等の世界に与える影響は計り知れないものがある。
また、IP化によって、社会生活、ビジネス、行政活動上の様々なサービスが一つのネットワークで結ばれ、情報の相互共有や有効活用によるシナジー効果が発揮されるようになる。このようなネットワークを活用し、すでにテレワークの導入などに成功している企業もあり、ワーク・スタイルにも新たな流れが生まれている。IPの持つ潜在力を、行政制度をはじめとする社会経済システムの構造改革の手段や企業経営の革新に戦略的に活用できれば、わが国の成長と発展に大きく貢献することになろう。少子・高齢化、安全・安心、産業競争力の強化、雇用、行政改革、地球温暖化、国際連携、国民生活の質の向上といった国家的、社会的重要課題の解決にも大きく寄与する。
その意味で、IP技術は、単なる技術的、経済的なインパクトだけでなく、社会構造、文化、企業活動等に革新的な影響を及ぼし、産業革命に匹敵するイノベーションを生み出すことになる。
もちろんIP化がもたらすものは、このようなプラスの側面だけではない。インターネット・ガバナンス、情報セキュリティ対策、個人情報など行政機関や企業が保有する情報の取り扱い、有害コンテンツへの対応、デジタルデバイドやユニバーサルサービス等の弱者対策といった課題が顕在化している。また、現時点では予想できない新たな問題の発生も考えられる。このようなIP化に伴う負の課題については、政府あるいは国際社会が協力して対応していくことが重要である。
IP化に対応した国家戦略の必要性
IP化に伴い、国境を越えて広く情報やサービスが流通することから、通信分野については、世界最高水準のインフラの整備にとどまらず、その利活用により、わが国の国際競争力向上に資することが強く期待される。一方、通信・放送事業の国際展開という点では、欧州の一部先進国と比べて、わが国の取り組みは遅れている面もあり、政府による途上国の外資規制の見直しなどと併せて、企業のグローバル化に対応した国際展開が期待される。
コンテンツについても、国際的に競争力を持った分野はアニメやゲームなど一部に限られている。情報通信機器に関しては、依然、優位性を持つものの、価格優位性から技術優位性に競争の軸を移しつつあるアジア諸国の動向など、世界市場において競争力を発揮するための新たな戦略を迫られている。
今後、技術、サービス、政策などIP技術をめぐる国際競争が激化することが予想されるなか、わが国の取り組み如何では、世界的な競争に大きく遅れをとるおそれもある。この歴史的転換点ともいえる時期に、わが国が先陣を切る形で、IP化への取り組みを強化すれば、いわば世界最先端のテストベットとして、プラットフォーム、アプリケーション等の様々な面で、世界に通用する製品やサービス、ビジネスモデルが生まれる可能性が高まる。さらに、わが国の情報収集、発信能力の強化にも大きく貢献することになる。
今後、企業ユーザー、端末機器メーカー、通信・放送事業者、コンテンツ業界をはじめ、産業全体の国際競争力の強化に向けて、IP化に対する国をあげた戦略的取り組みが求められる。
レイヤー型の通信・放送市場
これまでの通信・放送市場は、伝送方式等の技術的制約やそれに伴う法制度等によって、(a)有線、無線(地上波)、ケーブル、衛星等のインフラ媒体、(b)音声、データ、映像等のコンテンツ、あるいは(c)地域、長距離、国際等の距離によって事業、サービスが区分され、その区分毎に分断された形でネットワークや市場が形成されてきた。
それが、情報の符号化技術、伝送技術、圧縮技術等の進化により、様々なサービスやコンテンツが、インフラ媒体、距離等に関係なく、IPという共通な基盤の上で提供されるようになった。つまり、固定電話、携帯電話、パソコン、ケーブル、衛星といった伝送媒体の制約を受けずに、1つのネットワーク上で、情報の伝送、交換、蓄積を行うことが可能となっている。従来、放送分野などでは、情報伝送媒体(メディア)とコンテンツは一体的なものとして提供されてきたが、「コンテンツがメディアから解放」され、メディア間での多角的な利用が可能となった。
それに伴い、今後、通信・放送市場は、(a)物理網、伝送サービス、プラットフォーム、アプリケーション・コンテンツ、端末といった各レイヤーの水平的な融合、統合が強まり、各レイヤー内での水平統合型のビジネスモデルと、(b)各レイヤー間を跨ぐ垂直統合型のビジネスモデルが並存する形で展開されることになるだろう。
さらに、多様化するユーザーニーズへの対応や、各種事業の融合による相乗効果の発揮等の観点から、通信と放送の垣根、あるいはネットワーク、プラットフォーム、コンテンツ、端末といった個別レイヤーを越えた事業展開に積極的に取り組む事業者も既にでてきている。従来の固定化された市場から、様々な主体が参入し、健全な形で競争が促進されれば、市場やサービスの多様化、高度化が一層進むことが期待される。
ユーザーを主役とするネットワークの形成
わが国では、これまで、e-Japan 戦略等の下、世界最先端のIT国家を目指し、世界最高水準のネットワーク・インフラの整備に重点が置かれてきた。その過程では、ユーザーに提供されるサービスの選択肢は、通信の安さ、速さといった点に焦点が絞られていた。
しかし、ブロードバンド・インフラの整備、デジタル化、IP化が進み、ネットワークは既存の事業者だけに閉じた世界ではなくなってきた。広く開かれたネットワーク上で、あらゆる主体がコンテンツ、アプリケーション、サービスの提供者として新たに参加し、多様なビジネス、サービスが展開できるようになっている。ユーザーにとって、限られた事業者から所与のサービスが与えられるのではなく、むしろ、多様な端末、伝送サービス、アプリケーション、コンテンツの中から、自らのニーズに基づき、ベストミックスの形で多種多様なサービスを選択できるようになる。特に、物理網より上のレイヤーでは、事業者に代わってユーザー自らがサービス提供者となることも可能であり、従来の供給者(=事業者)と需要者(=ユーザー)という二分法的な世界ではなくなってきた。
IP化に伴い、ネットワーク上におけるユーザーの役割がこのように拡大するなか、今後のIP化に関する政策の検討においては、ユーザーのニーズを十分踏まえ、その反映を図る必要がある。
前述のアンケート調査では、IPネットワークを介して提供される情報伝送サービスを活用する際に、ユーザー企業が特に重視する項目として、セキュリティ、品質、サービス料金、運用コストといった点が挙げられている。これに加えて、シームレスなサービスの提供、緊急時対策、相互接続性、サービスの多様性を重視する意見も寄せられた。
このように、ユーザーのニーズが多様化するなか、利用者利益を最大化するには、ユーザーがIPを利活用していく上で、技術面、制度面等で障害となっている問題を解決する必要がある。
技術面では、安定的なサービス品質の確保、セキュリティ対策、緊急時や障害時の対応、マルチベンダーの相互接続性の確保、海外との通信サービスの向上といった点への取り組みが重要である。制度面では、技術革新のスピードにあった設備更新を行うための償却期間の短縮、先端サービスの普及・拡大、ユニバーサルサービスの確保、各種機器間の規格の統一、関連技術者の育成強化といった対応を強化する必要がある。
これまでの通信・放送政策の評価
これまでの通信・放送政策を振り返ると、通信については、ボトルネック部分では依然として設備競争が十分に進展しているとはいえないが、米国や欧州と比較して、競争政策がある程度有効に機能してきたこともあり、わが国は世界トップレベルのブロードバンド環境を整備することができた。これは、サービスを提供する上で不可欠な設備・機能への公正な競争ルールの適用、反競争的行為の禁止、通信市場への参入規制の緩和などにより、通信市場への新規参入と競争が促進されたことが大きい。いくつか課題はあるものの、総じて通信政策については一定の評価ができる。
一方、放送については、制度発足以来、制度的枠組みについてほとんど手が付けられてこなかった。放送の持つ文化的側面、電波資源の制約などもあるが、地上波放送では、新規市場参入や競争はほとんど進んでいない。IPマルチキャスト放送など技術や市場の新たな動きに対して、コンテンツの権利処理など制度面での対応が遅れているなど、国民がIP化による技術革新の恩恵を十分に受けられる環境にはない。
現行制度の課題
現在、情報通信に係る法制度は、(a)電波法、有線電気通信法といった伝送媒体に着目した法律、(b)電気通信事業法、放送法、有線テレビジョン放送法、有線ラジオ放送法、有線放送電話法、電気通信役務利用放送法といった事業に関する法律、(c)特定の事業体に関する法律など、事業・メディア毎に分かれた数多くの法律により構成されている。これまで、法的な枠組み自体に抜本的なメスを入れることなく、部分均衡型の継ぎ足し的な見直しが行われてきた結果、今や非常に複雑な体系となるとともに、従来型の通信・放送事業者のみを想定した法制度となっている。
しかし、IP化や通信と放送の融合・連携といった新たな流れのなかで、現状の法制度では対処できない問題も発生しつつある。従来の制度的な枠にとらわれない新しいサービスに対して、旧来型の規制がそのまま課されれば、新たなビジネスの芽が摘み取られるばかりか、市場の健全な発展を歪める可能性が高い。
前述のアンケート調査においても、通信・放送政策について、現在の法制度では対処できていない問題があると感じている企業が全体の半数を占めた。具体的には、ネットワークのレイヤー構造下における新たな競争ルールのあり方、通信・放送の融合サービスの法的位置付け、周波数割当の問題、IPマルチキャスト放送の著作権上の位置付け、地上波放送の再送信など、様々な課題が挙げられている。このような状況を踏まえ、現在の通信・放送に関する法制度やその枠組み自体について、何らかの見直しを行うべきとの回答が9割を超えた。
欧米では、既に通信と放送を包含する形で、政府の政策 #6、体制 #7 が整備されてきており、さらにIP時代を見据えた動きが進んでいる #8。今後さらに、通信・放送を取り巻く技術やサービスの進化、市場構造の変化が予想されるなか、わが国としても、このような環境変化に対応した、通信、放送に関する新たな制度的枠組みの在り方について、検討すべき局面を迎えている。
今後、民間の創意工夫により、通信、放送がさらなる発展を遂げていくためには、制度設計にあたって下記の点に留意する必要がある。
自由で公正な競争促進を通じた市場の活性化と利用者利益の確保
IP化のポテンシャルを最大限引き出し、市場の活性化や利用者利益の確保につなげるためには、多様な主体が切磋琢磨し、ユーザーに対して多種多様なサービスが適正な価格でタイムリーに提供されるような環境を整備しなければならない。そのためには、市場への参入促進を図るとともに、市場参加者間で自由で公正な競争条件を確保することが重要である。
また、従来の通信・放送政策は、サービスの供給側に閉じた形で、いわば事業者調整型の政策が展開されてきた。広く開かれ利用者主体で形成されるIPネットワークに対しては、このような手法は適切ではない。利用者利益を確保する観点から、ユーザーニーズに根差した制度へと大きく舵を切らねばならない。
最小限の政府の関与および市場主導型の自由競争の促進
本来、規制・保護・統制といった形で、政府が政策的に関与することなく、市場における自由競争を通じて自律的に競争環境が達成され、利用者利益が確保されることが望ましい。
しかし、インフラ投資が鍵を握る通信・放送分野において、ネットワークのボトルネック性等により、市場支配力を持つ事業者が存在する場合には、市場原理のみでは市場は健全に発展しないことが考えられる。従って、必要最小限の競争ルールや独占禁止法等の事後規制等により、市場の歪みを排除し、市場支配力を有する事業者とそれ以外の事業者との間に公正な競争を有効に機能させる必要がある。
政策の中立性の確保
行政が市場に関与する場合、一部の事業者、技術、サービスに対して、肩入れするようなことがあっては、競争を通じた市場の健全な発展が損なわれることになる。政府の政策は、機能的に同等なサービスについては、公平な条件で競争できるよう「機会の平等」を担保するものでなければならない。
特に、政府の採る規制やルールにおいて、特定の事業者が特に有利または不利に取り扱われることのないよう「競争中立性」を確保する必要がある。同時に、急速な技術革新の流れのなかで、新技術が円滑に市場に投入されるためには、特定の技術が政策上、特に有利または不利に取り扱われることのないよう「技術中立性」を確保することも重要である。
国際的な連携、整合性の確保
IPにより、国境を越えたサービスの提供や、通信・放送市場のグローバル化が進むなか、一国の政策が及ぶ範囲は必ずしも明確ではない。事業の国際展開、スパムやスパイウェア等セキュリティ対策をはじめ、政策や規制に関する国際的な連携、整合性の確保も必要となる。また、IP技術やネットワークのインターフェース等の国際標準においても、官民の戦略的連携によりわが国として主導権を握る必要がある
IP時代の負の課題への対応
IPネットワークは国境を越えたネットワークであり、一国だけでは対処できない負の課題として、サイバーテロや情報セキュリティ面での問題を抱えることになった。また、デジタルデバイドやユニバーサルサービスの確保など、市場における自由競争のみでは、利用者利益の確保が達成されない社会政策的課題もある。このような課題については、むしろ政府および国際社会の連携による積極的な対応が求められる分野であり、政府主導により解決を図るべきである。
制度的枠組みの方向性
以上のような基本的視点を踏まえ、わが国は、来るIP時代の通信・放送のあるべき姿、ロードマップ、行政の役割、制度的フレームワーク等に関するグランドデザインを描いた上で、今後5~10年の技術革新や環境変化を見据えた法制度を一から再設計すべきである。
この場合、従来の事業・メディア毎に区分された法制度の枠組みを根本的に見直し、通信・放送、有線・無線などを包括的にとらえた、分かりやすい法制度、規制、ルールとすべきである。IP化の進展に伴い、ビジネス領域が垂直、水平の両方向に拡大するなか、情報伝送路、アプリケーション、コンテンツを自由に組み合わせたサービスに対応するためには、物理網、情報伝送サービス、アプリケーション、コンテンツ等のレイヤー構造を基にした制度設計が望ましい #9。そのためには、現行の事業やメディア毎の法制度を統合して、ネットワーク(情報伝送路)は通信・放送共通の枠組みとし、コンテンツは原則自由で民間の自己規律に委ねる形とする。また、公正競争を担保するための措置が法的に確保されることを前提に、現在ある事業法等は廃止することが望ましい。
また、将来の技術革新や多様化するビジネスモデルに時宜を逸することなく機動的に対応できるよう、加えて、市場参加者に対して政策の予見可能性を示す意味でも、政府はルールのフレームワークを予め明確にすべきである。その際、政府には、従来よりも、より精緻な市場分析、政策判断の下、必要最小限のルールを適用するとともに、競争状況に応じてルールを柔軟に見直すことが求められる。
レイヤー構造に対応した競争ルールの適用と緩和
ネットワークの各レイヤー及びネットワーク全体においても、利用者利益の確保は、前述の(2) ②の基本的視点で示したように、市場における自由競争を通じて行なわれるべきで、原則、事業者の自由な事業活動を可能とする一方、市場支配力を有する事業者による競争阻害・制限行為等が排除されるよう、公正な競争ルールを設け、運用していくべきである。
そのためには、競争政策の適用対象とするレイヤーや市場の定義を明確にし、その範囲の画定を行う #10。その上で、各レイヤー毎に、サービス・ビジネスモデル・市場等の特性・規模・成熟度、競争状況、参入条件、当該事業者の規模等を総合的に勘案しつつ、各市場の独占性や、市場支配力及びそれを盾とした反競争的行為の有無を検証する必要がある。その結果、各レイヤー及びレイヤー間の競争を阻害し、利用者利益を損なうおそれがある行為や、ボトルネック部分に対して規制を適用するとともに、問題が解消されたと認められる部分については、柔軟に制度を見直していくべきである。
ネットワーク中立性の確保
米国では、レイヤー型の市場構造への移行が進む中で、物理層におけるCATVと通信事業者による寡占化が進んでいる。これに対して、ネットワーク上でコンテンツを提供する企業や利用者から、自由に事業者を選択できなかったり、サービス面で差別的な扱いを受けることになれば、利用者利益が大きく損なわれるという懸念が出されている。
何よりも重要なことは、ユーザーが適正な価格により、多様なサービスを公平に享受できるという意味での「ネットワーク中立性 #11」が確保されことである。レイヤー型ビジネスモデルへの移行に伴い、ユーザーは情報伝送路の選択を通じて、自由にコンテンツやアプリケーションを利用するようになる。わが国においても、ネットワーク上でのコンテンツやサービスを自由に選択でき、不当な差別的取扱いが行なわれないことが必要である。また、レイヤー間のインターフェースのオープン性を確保し、特定のレイヤーにおける市場支配力が隣接、関連レイヤーに及び、当該レイヤーの競争を阻害するようなことがないようにすべきである。特に、下位の物理網・伝送サービスのレイヤーである情報伝送路は、全てのレイヤーにとってサービス提供に不可欠な存在 #12 であることから、全ての利用者が同等の条件で情報伝送路を利用できるようにし、差別的な扱いが生じないようにすべきである。
さらに、映像など大量、大容量のデータがネットワーク上で流通することに伴うネットワーク拡充のコスト負担の問題については、利用者に負担が安易に転嫁されないよう、明確なルール作りも検討すべきである。
技術革新、市場参入、投資の促進に向けた環境整備
これまでの情報通信分野の競争は、ボトルネック設備を有する事業者のネットワークのオープン化によって他の事業者の参入を促進するサービス競争と、競争事業者が自らネットワーク設備を設置してサービスを提供する設備競争の2つの競争を柱として発展してきた。
今後、IP化が進展するなか、持続的に新技術・サービスの普及と市場の活性化を図るためには、引き続き、サービス競争と設備競争を二本柱として情報通信市場の競争促進を図るべきである。サービス競争を促進する観点からは、ボトルネック性のあるネットワーク要素・設備・機能について、公正な競争ルールを整備する必要がある。設備競争を促進する観点からは、特に、ボトルネック性が認められる部門において、競争事業者による設備投資の促進、さらには代替技術・サービスの創出、普及に向けた環境整備を行うべきである。あわせて、ボトルネック性が解消されたと認められる部分については、柔軟に競争ルールを見直す必要がある。政策当局には、市場の競争評価に対する取り組みの強化などを通じて、この両者のバランスを上手にとることが求められる。
また、研究開発への取り組みを戦略的に強化することで、継続的にイノベーションを生み出し、その成果を新技術、商品、サービスの創出につなげ、国内市場の拡大と世界市場への積極的な展開を図ることも重要である。政府としても、ハイリスクな研究開発、実用化促進のためのテストベットの導入を進め、規制緩和等を通じ早期実用化を図るなど、新技術の積極的導入を支援する必要がある。また、IPに関連する機器やソフトウェアについて、他に先駆けて自ら開発した技術を国際標準化に反映させることができれば、グローバル市場で大きな競争力を確保することが可能となる。政府と産業界が一体となって、規格等の国際標準化をリードすることが必要である。
ボトルネック性のあるネットワーク要素・設備・機能のオープン化
わが国において、世界トップレベルのブロードバンド環境が整備された要因は、サービス競争の促進に向けて、ボトルネック性のあるアクセスを含めたネットワーク要素・設備・機能のオープン化のための公正なルールを整備・運用したことが大きい。したがって、今後も、ボトルネック性を有すると判定されたネットワーク要素・設備・機能については、ボトルネック性が解消されるまでの間、最小限の明確な公正ルールを整備し、適用すべきである。また、義務の公平かつ性格な履行を担保する上で必要があれば、ボトルネック性のあるネットワークの要素・設備・機能を明確に分けていくことも検討すべきである。勿論、ボトルネック性がないと判断された場合については、規制の解除を行う必要がある。
ただし、ルールの整備にあたっては、新たな設備投資へのインセンティブが殺がれることのないよう、適正な投資コストの回収が担保されるべきである。一方、OECDの調査によれば、競争的市場環境を整備した国ほどネットワークへの投資が進んでいる事実があり、広く事業者間の公正な競争を有効に機能させることこそが投資の推進力となることも認識すべきである。
IPマルチキャスト放送の普及促進
IT新改革戦略において、地上デジタルテレビ放送への全面移行達成のための方策の一つとして、電気通信事業者の加入者系光ファイバ網や通信衛星といったインフラの利活用が提言されたが、現在、電気通信事業者の加入者系光ファイバ網を利用したIPマルチキャストによる放送は、著作権法上の位置付けが不明確なため、権利者からの同意を得にくく、地上波放送の同時再送信が事実上できない状況にある。
総務省における地上波デジタル放送の普及に関する検討において、地上デジタル放送の同時再送信の手段としてIPマルチキャストの活用が指摘されたことから、今後、IPマルチキャストの本格的活用が予想される。政府は幅広い関係者の参加の下、IPマルチキャストによる放送の同時再送信に関する著作権法上の扱い(「有線放送」同様の位置づけの付与等)、および地域免許との関係について早期に明確化し、本格的活用への道を開くべきである。
ユニバーサルサービス制度
ユニバーサルサービスについては、現在、加入電話、公衆電話、緊急通信等の全国均一サービスの提供を維持するため、各通信事業者が資金を拠出する基金制度が設けられている。現行の基金制度は、通信の中心的担い手が固定電話のみであった状況を前提に設計された制度となっている。しかし、移動電話、ブロードバンド・サービス、IP電話、無線LAN、WiMax、Wi-Fi、衛星通信など通信手段の多様化が一層進むなか、ユニバーサルサービス確保のための最適な形について検討すべき段階に差し掛かっている。
昨今の急速な技術進展、市場環境の変化を踏まえれば、既存の基金制度を超えて、原点に立ち戻る形で、政策自体の抜本的な見直しを行うべきである。すなわち、ユニバーサルサービスの範囲、及び受益者となる対象も含めた精査を行い、誰に対するどのようなサービスがユニバーサルサービスであるか再定義すべきである。具体的には、ユニバーサルサービスの持つ、(a)弱者救済といった社会政策的側面、(b)サービスの普及促進の側面、あるいは、(c)採算性の合わない地域に対するサービスの提供といった側面を切り分けて考える必要がある。
(a)弱者救済としてのサービスの提供については、本来、国、地方公共団体など公的主体がその確保の責任主体となるべきであり、社会政策として公的資金によりそのコストを負担することが望ましい。(b)サービスの普及促進については、サービス提供のコスト、ベネフィットを見積もり、受益者、負担者双方の理解を得られる内容を提示する必要がある #13。(c)採算の合わない地域に対するサービスの提供については、国や地方公共団体から応分の補助を受けつつ、最も効率よくサービスを提供する主体が担うという方法も考えられる。
更なる競争の促進について
わが国は、通信市場の競争促進については、サービス競争と設備競争の二本立てで推進してきたが、実質的には、前者によるボトルネック性のあるアクセスを含めたネットワーク要素・設備・機能のオープン化が中心となってきた。米国では、FCCによるアクセスの開放政策が想定どおりには進まず、その結果、新たなサービスやイノベーションの創出につながらず、通信事業者とCATV事業者による設備競争へと政策転換をした。また、WiMax等の無線通信や電力線通信など、新しい技術による設備競争を期待する声もある。一方、EUでは、支配的な国営事業者を中心として通信ネットワークが整備されてきた過去の経緯もあり、設備競争が機能せず、現在ではサービス競争にその政策の軸が移っている。
わが国においても、国家戦略であるブロードバンドの整備・普及に向けて、これまで軸となってきたサービス競争にとどまらず、新たな設備投資による設備競争を促進する政策も必要である。複数の事業者による次世代網(NGN)の構築が進む一方で、競争事業者が他の事業者のアクセスに依存しながら競争する構造のみでは、本当の競争とは言えない。わが国でも、CATV事業者、電力系事業者等によるアクセスの一層の整備、WiMaxや電力線通信など新たな技術によるアクセスの早期実用化、CATV事業者間や地方放送局との提携による新たな競争軸の可能性を追求していくべきである。
また、携帯電話市場においても、新規市場参入や番号ポータビリティの導入も含め一層の競争促進を図り、料金引き下げなどのユーザーニーズに応えていくべきである。
わが国では、通信、放送、コンテンツ、情報通信機器などの各分野の管轄が複数の省庁に分散している。そのため、通信と放送の融合、産業振興、競争政策、知的財産に関する権利処理、コンテンツ振興等の問題に関して、関係省庁間の調整や連携がうまくいかず、本来あるべき行政機能が十分に発揮されないなど、弊害も多い。
アンケート調査においても、回答企業の約7割が、情報通信に関わる行政組織、役割について、IP化に伴う市場構造の変化に対応する形で何らかの見直しが必要と回答している。なかでも、組織の廃止、統合、新設など、現行の行政組織を再編すべきとの意見が半数近くに上っている。具体的には、電気通信・放送に関する独立規制機関を設置する案、経済産業省と総務省等を再編し情報通信省を新設する案、総務省内の局レベルで再編を行う案等が寄せられた。
情報通信はわが国産業の国際競争力や、国家、社会の安全を確保する上で益々重要な戦略分野となっている。技術や市場の著しい変化に対して、行政組織のねじれが市場発展の足枷となることのないよう、行政組織、役割の在り方について、原点に立ち返った見直しが必要である。具体的には、まず、通信・放送の産業振興、規制、コンテンツなど、現在、複数省庁に跨って取り扱われている政策課題を集約した上で、適切な役割分担を検討すべきである。
IP時代の通信・放送市場において、競争を通じて利用者利益を確保するためには、市場の状況に対応した競争ルールを策定、執行し、競争状況を適切に監視するとともに、事業者間の紛争を公平かつ迅速に処理する機能を強化する必要がある。その役割を担う機関は、可能な限り産業振興に携わる担当部局や事業者から独立した立場から、市場の公正競争を重視し、最終的に利用者利益につながるような活動が期待される。
現在、わが国では、情報通信分野の競争政策の策定、執行、監視は、ほとんど事業者間調整に特化している。しかも、規制と産業振興部門が省庁内で一体となっており、規制が政策的配慮によって歪められるおそれがあり、透明性、公平性、中立性の確保には限界がある。多様な主体が登場するレイヤー型構造の時代において、従来型の事業・サービスの区分を前提とした体制では、上記の競争に関わる機能を担うことは、現実的には難しくなると想定される。
欧米では、英国Ofcom(情報通信庁)や米国FCC(連邦通信委員会) #14 に代表されるように、独立規制機関において、通信、放送を規律するケースが一般的である。特に、英国Ofcomでは、貿易産業省の産業振興部門とは独立した中立的な立場から、競争ルールの策定・執行、紛争処理などを実施しており、結果的に利用者利益の向上や市場の活性化に大きく寄与している。また、通信と放送の規制を一体的に取り扱い、IP化への対応も進めるなど、融合が進む情報通信市場に機動的に対応しており、英国Ofcomはモデルとして参考とすべき機関である。
わが国においても、来るIP時代を見据え、国家行政組織法第3条に基づく独立行政委員会として、電気通信・放送に関する独立規制機関の設置を検討すべきである。本規制機関は、事業者、産業振興部門から独立した中立的な立場から、通信・放送分野の競争ルールの策定・執行、紛争処理、周波数配分などを担当すべきである。