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報告書
「地域経済の活性化を担う地元企業の役割」

添付資料 地域活性化の事例


(1) 地域資源の発掘と活用―新潟県「かんずり」の事例―

各地域には首都圏にはない独自の地域資源が散在している。それを発掘し、地域の名産品として売り出すことが地域活性化の一助となる。しかし、その周辺地域のみをターゲットとした販路開拓では、その市場規模の小ささから、波及効果は期待できないため、地域における繊維、食品等の生活関連製造業や一次産業を域外市場産業として強化発展させる視点が必要となる。ここでは、新潟県の「かんずり」を紹介する。

新潟県妙高市では古くから唐辛子を使った香辛料を手作りしている家庭があり、上杉謙信も兵糧食としていたといわれる。有限会社かんずり現社長の東條邦昭氏の父、邦次氏はさまざまな事業を行なっていたが、1960年にこれを「かんずり」として商品化し、新潟地域で販売を始めた。邦昭氏は、1965年に渡米した経験から、今後日本でも食事が欧米化すれば、この種のスパイスが売れると考え、1966年に有限会社かんずりを設立し、販売を始めた。当初から「かんずり」を商標登録したことから、何度かの商標の侵害を受けてもこの名を守ることが出来た。1969年に新潟県の推奨品に認定されたことから、全国で行なわれる物産展に出品されはじめた。

製法は試行錯誤を行ない、独自の品種の唐辛子数種をブレンドし、塩漬け、雪さらし、柚子・米糀・塩等の調合、3年間の醗酵などを行なう独自の製法を10年近くかけて確立した。唐辛子は、20軒ほどの地元農家の生産組合に栽培を委託し、全量買い上げている。唐辛子の雪さらしは、もともとは単に屋外で乾燥させていた唐辛子が風で飛んで雪の中に埋もれ、それを捨てずに使用して試作したところ、アクが抜けて美味であったことから工程に取り入れられた。雪さらし作業は、色のコントラストの美しさから、新潟の冬の風物詩となっている。3年間の醗酵は、当初販売が伸びなかったことからそのまま保管していたところ、3年で品質が安定することがわかったことによる。しかし、長期の保管は在庫として課税されてしまい負担ともなった。

当初はかんずりの販売が伸びず、会社は地元の農家が作る民芸品(スゲ・ワラ細工)の販売で持ちこたえたが、1980年ごろからは、かんずりの販売が軌道に乗り始め、生産設備を一新して、かんずりだけで営業を始めた。しかし、出荷後も醗酵するため、ガスが発生し、蓋が飛んだり、中身が飛び散ったりするトラブルが増加した。その対応として加熱して菌の活動を止める工程を取り入れたことが幸いして、遠方への出荷が可能となり販路が拡大した。

各地の物産展では必ず出品されるほか、インターネット販売も始め、土産物や辛口珍味として雑誌などでも取り上げられるようになった。辛いものブームや辛党、辛口ファンが増えてきたこともあり、現在では全国のスーパーマーケットなどでも販売され、和洋中華料理の隠し味として認知されつつある。特に冬の鍋物の薬味として、また夏場のスタミナ料理(焼き鳥、ステーキ、鰻等)にもひろく利用されるようになり、最近は少量ながらも輸出商談もある。マスコミ等の取材も多く、テレビなどで見た消費者が小売店へ、小売店から問屋へと問合せがあるという形で拡がり、各大手問屋に出荷するようになった。

(2) 都市と農山漁村の共生・対流―グリーンツーリズムの活用・山形県飯豊町の事例―

都市と農山漁村を行き交う新たなライフスタイルを広め、それぞれの地に住む人々がお互いの地域の魅力を分かち合い、『人、もの、情報』の行き来を活発にする取り組みを紹介する。

グリーンツーリズムとは、農山漁村地域において、自然、文化、人々との交流を楽しむ滞在型余暇活動のことをさす(農林水産省)。その目的はゆとりある国民生活の実現と農山漁村地域の活性化を図ることで、1994年に「農山漁村滞在型余暇活動のための基盤整備の促進に関する法律」(略称「農山漁村余暇法」)が制定されて、都市住民を受け入れるための条件を整備するための土台がつくられた。さらに、農林漁業体験民宿業者の登録制度の一層の活用を図ることなどを目的として、2005年6月に法律が改正された。

この共生・対流を推進するのは、「都市と農山漁村の共生・対流 関連団体連絡会(通称、オーライ!ニッポン会議)」で、活動に賛同する企業、NPO、市町村、各種団体が結集し、国民運動を展開している。また、発足以来、全国の都市と農山漁村の共生・対流に優れた取り組みを表彰し、国民への新たなライフスタイルの普及定着を図ることを目的として「オーライ!ニッポン大賞」を選出している。

日本通運株式会社は、山形県飯豊(いいで)町とジョイントで、2006年度の農林水産省のモデル調査としての実証実験にグリーンツーリズムの形で参画した。

実証実験では、「企業ふるさと」をコンセプトに社員やその家族が参加して、2泊3日の旅行パック形式のツアーが行なわれた。企業としてのCSRの実践とグリーンツーリズムビジネスモデル構築(双方向のキャッシュフローの創出)を指向し、春・夏・秋・冬の4回のツアーを実施した。当初は、受入れ側(飯豊町)が参加者(日本通運側)をお客様扱いしすぎたためうまくいかず、運営方針は「おもてなし」から「体験」へ、「観光」より「講習」へと徐々に改善されていった。また、運営の中心も、町(行政)主体から地区の農家が組織する推進協議会へと移っていった。

4回のツアーを通し、体験田で田植えから整備、稲刈りを行なってその米を社内販売したほか、そば打ち、芋煮といった料理や農家の畑・雪作業、植林、地元の祭りなど四季の生活体験が実施され、今後の新たなライフスタイル提案に向けた検討が行なわれた。

なお、当実証実験は、東京農工大学大学院教授にアドバイザーとしてコーディネートを依頼して実施された。

その後の運営においては、町と企業の二者だけではなく、第三者としてのコーディネーターが入ったことで、より双方の役割や目的を明確にすることができた。

また、2007年1月には、飯豊町でグリーンツーリズムをテーマとした講演会も開催し、町民など250名が詰めかけた。

今後、日本通運は、「企業の杜づくり」をテーマとして飯豊町との連携を検討している。

(3) 人材育成を地域資源とした事例 ―地元工業高校と企業との連携・山形県長井市の事例―

地域の大学等をパートナーとしたいわゆる産学官連携に留まらず、地元教育機関と地域の企業との協働は、地域活性化の重要な鍵となりうる。とりわけ、ものづくりの現場の第一線を担う人材を育て上げる工業高校は、地域の製造業をヒトの面から支える役割が期待される。工業高校を中心とした地域活性化の事例として、山形県長井市の長井工業高校を紹介する。

長井市は人口約3万1,000人の地方都市である。同市は従来、大手電機の系列会社の企業城下町であった。しかし企業の親会社による売却により、長井市からの撤退が取沙汰されることとなった。

そうした状況の中、長井市は地域振興のための最大の資源は人材であると考え、学校、産業界、市が一体となって長井工業高校の人材育成に力を注いだ。技能検定の取得を目標に設定し、教育・育成が熱心に行なわれる一方、地元企業からも測定器が寄贈される等、ものづくりの現場の主役となる人材を育てるべく支援が行なわれた。1998年には山形県内で初の技能検定3級合格者を出すという快挙を成し遂げた。その後も技能検定合格者を毎年数十人単位で輩出しており、同校はいまや日本の工業高校のモデル校となっている。

卒業後の進路としては就職者の地元就職率が90%を越えており、地元企業を背負う人材の供給源となっている。その一方で、長井工業高校の卒業生を新卒採用した在京の企業が、毎年同校からの卒業生を採用するようになり同校出身者が増え、さらには長井市に工場を進出させることとなった、ということもみられた。これは言うなれば、工業高校が企業誘致をもたらした事象である。グローバル化が進み、コスト削減を目的とした立地という観点からは地域が優位に立てなくなった一方で、人口減少により優秀な人材が一層希少化していく今日、人材のいるところに企業が進出する「人材立地」の考えは今後の地域振興のヒントとなりうる。

(4) 地域ブランドの展開 ―長野県の事例―

長野県の産業は、電気・電子・精密・機械など加工組み立ての下請け型で輸出依存度が高く、90年代からの経済のグローバル化の影響を大きく受けて低迷した。その再生のために長野県の産業界では、中央に依存する体質から脱却し、地域が自立性を発揮していく必要性への意識が高まった。

地域独自のデザイン力を高めるため、2002年7月に長野県経営者協会のリードで県下関係5団体を統合し、それを核に「長野県デザイン振興協会」を設立した。同協会は地域経営者のよきパートナーとして、これから重要性が高まるデザイン他の知的創造業種を民間主導で活性化し、ブランドづくりを促進して地域の自立に貢献することになった。

このようなデザイン振興団体は既に全国に存在している。しかし長野県がユニークなのは、他の多くの都道府県では地方自治体がヒトやカネを出している中で、行政依存ではなく民間主導であるということ、さらに、デザインが地域経営者の近くでその資源となることを強く意識する団体であることがあげられる。

具体的な活動としては、03年に「長野県のブランドづくり推進にむけた提言」を発表。04〜06年は提言を具現化するために、長野県下独自のブランドづくり促進にむけたコンセンサスの場として「信州ブランドフォーラム」を産学官共同で主催した。講演会、パネルトーク、研究発表、展示会が長野県下から集合し、独自のブランドづくりに取り組んでいる。同じく04〜06年であるが、長野県の優れたブランドを選考・表彰する「信州ブランドアワード」を立ち上げた。

また、04〜05年にかけて、産学官の連携による「信州ブランド戦略」を策定するプロジェクトが始まり、産業界を代表して長野県経営者協会と共にデザイン振興協会が参加した。06年6月にブランドづくりに要する知的創造業を集め、要請に応じて県下個別のブランドづくり実践を支援する「ブランドづくりネットワーク信州」を結成した。

地域活性化の実現には、各々の地域がおこなう独自ブランドづくりが大変重要な鍵になる。そのためには、産学官が協調して役割を分担し、地域主体で取り組める仕組みを構築するのが望ましい。たとえば地域基盤をつくる際には官の力が必要となるし、学術研究の専門性については学の力が必要となる。地域単独でいきなり実施するにはかなりの困難がともなうが、長期的には各地域が自立してやっていくことが絶対に必要になる。

個々の商品やサービスごとにブランドづくりをしたいという動きがある。しかし、こうした個別の事情でバラバラに動くだけでは十分ではなく、同時に地域や県全体とも最適化を図るようにしなくてはならない。そうすることで、個々の商品やサービスとその後ろ楯となる各地域や県のブランド価値が同時に高まる相乗効果が生まれ、結果、地域経済の自立的な発展を進めることができる。

(5) 芸術による地域の活性化 ―新潟県越後妻有(えちごつまり)の事例―

地域の資源を活用したイベントは、域外の人々を地域に呼び込む契機であるとともに、地域の人々を活性化させる起爆剤になる。

新潟県十日町市及び津南町において、アートディレクターの北川フラム氏がディレクションした「大地の芸術祭−越後妻有アートトリエンナーレ」は過去3回開催されてきたが、いずれも大きな成功を収めてきた。

トリエンナーレの成功の要因としては、以下のものが挙げられる。

  1. 里山の魅力 〜地域の強み、地域資源の活用
  2. 都市と地域の関係性 〜地域外のニーズ、連携の模索
  3. 人と人との関わり方 〜地域外からのヒトの流入
  4. 地元を理解する姿勢 〜地域資源の掘り起こし
  5. ディレクターの存在 〜プロデュース人材の活躍

(6) ICT(情報通信技術)の活用 ―いわきテレワークセンターの事例―

ICTの発達は、大量の情報を瞬時に処理し、送信・交換することを可能にし、テレワークという、働く場所と時間にとらわれない柔軟なワークスタイルを可能にした。そして、働く意欲や能力があるのに働くことができなかった、介護や子育てをしている女性、障害者、高齢者などの就労を可能にし、新しい雇用を創出した。特にフルタイムでは働くことが出来ないが、就労に対する意識の高い、子育て中の高学歴な女性は潜在的に多く、これらの人々の就労を可能にしたことの意味は大きい。

いわきテレワークセンター(福島県いわき市)は、在宅勤務を中心に仕事を行なうテレワーカーに対して、テレワーカーが集う場としてテレワーカーのための活動拠点(テレワークプラザ)を設け、ICTスキル・業務ノウハウを習得するためのトレーニングを実施したり、テレワーカー同士が情報交換したり、インターネットや具体的な仕事を体験したり、納品の確認作業に使えるようにしている。テレワーカーは業務と連動した教育相談の場を強く求めていることから、中心市街地や商店街の一角だけでなく、中山間部にも仮設で設置し、各拠点をIP電話やインターネットで有機的に繋ぎ、テレワーカーネットワークを拡充してきた。結果として、テレワークセンターは仕事の受発注を行なうマネジメントの機能・役割だけでなく、地域コミュニティの場としての役割も担い、潜在的な雇用の発掘と地域の活性化にも寄与した。

また、働く人の意識を変革した点においても、テレワークは地域の活性化に寄与した。テレワーカーは、働くことで社会を支え、地域の連帯を担っていくといった社会貢献に対しての意識を高め、地域活動への参加指向性を高めたのである。

(7) 産学官の連携 ―島根県の事例―

地域活性化の手段として、産学官の連携がその一つとして考えられる。「学」は研究開発によるシーズの提供やコンサルティング等の専門的側面からの支援を、「官」は意識高揚や連携・協調を促す社会基盤構築支援を、そして、「産」はその社会基盤を土台に、「学」の提供したシーズを市場のニーズとリンクさせることで、生産・販売活動を実施して付加価値を産む。産学官連携の事例として、島根大学の取り組みを紹介する。

島根大学では年間約100件の企業との共同研究がなされており、共同研究の相手先には中小企業や県内の企業が多いことが特徴として挙げられる(2003年度実績でいずれも約6割)。中小企業は産学連携の面においても資金・人材等の経営資源が限られており、また開発段階、事業化段階で連携を行なえる能力が不足している等、課題が多い。そうした中、島根大学では地域産業の活性化、さらには地域イノベーションを創出すべく、産学連携に取り組んでいる。

大学側が基礎研究を中心とした産学連携を期待・実行しているのに対し、中小企業では、開発・事業化を期待しており、活動領域が重ならず連携が困難になっている。このため、まずニーズ先行型の研究開発を促進するよう、学が産の側に歩み寄り、活動を展開している。産学連携により事業化した成功事例を紹介したり、研究開発・事業化フローマップを作成する等、中小企業と大学間の心理的な壁を無くすための取り組みがなされている。

また、研究から事業化までのステップを理解し、全体を俯瞰して各段階をマネジメントする能力を持った人材を育成するため、MOT(=技術経営:技術が持つ可能性を見極めて事業に結び付け、経済的価値を創出していくマネジメント)教育も実施されている。MOT教育は講義形式のセミナーに加え、ケーススタディを通じたグループ討議によるMOTの模擬体験の形式となっており、より実戦的な人材の育成が目的とされている。

2004年10月には「産学連携センター」が設立された。産学連携センターは地域産業共同研究、地域医学共同研究など4つの部門で構成されており、医学系に産学連携の専任教員を配置していること、そして産学連携のリエゾン活動から知財の活用までを一つの組織で推進していることを特徴としている。主な活動内容として、(1)冊子等による情報提供や交流会の場を設定する等の、大学と企業との情報交換・人的交流をすすめるリエゾン活動、(2)科学技術相談の実施、(3)ニーズ=シーズマッチングによる共同研究の企画・推進や、都市エリア事業、コンソーシアム事業などの研究プロジェクトの企画・提案・獲得支援、(4)特許などの知的財産の創出と活用、などがある。産学連携の入り口である情報提供・交流活動から、共同研究、研究成果の保護、実用化支援という出口まで、きめ細やかな支援を行なうべく活動が展開されている。

(8) 企業間連携の推進 ―産業クラスター・浜松地域の事例―

産業クラスター計画は、立ち上げ期(2001〜05年)、成長期(06〜10年)、自立的発展期(11〜20年)の3段階の政策目標レンジが定められている。現在は第II期中期計画の時期にあたり、5年間の累計で新事業開始件数4万件を目標として掲げ、統廃合の結果、17のプロジェクトが実施されている。

浜松地域では、かねてから輸送用機器・一般機械機器を中心として産業を発展させていたが、平成5年に浜松市の製造品出荷額が前年比7.8%も減少(1兆9,986億円)したことをきっかけに、地域産業の空洞化に対する危機感が強まり、次世代新産業への取り組みがはじまった。新産業の柱として、以前から浜松地域に現存した「光」に着目し、同事業を高付加価値化し、オプトロニクス産業として拡大、発展していく浜松地域オプトロニクスクラスター構想が推進されることとなった。

同地域では、経済産業省の産業クラスター計画、文部科学省の知的クラスター創成事業・地域結集型共同研究事業の指定を受けることで、オプトロニクス産業の「知」と「技」の一大集積拠点を形成。現在、静岡大学や浜松医科大学をはじめとする学術研究機関と、高度な技術を有する研究開発型企業、静岡県浜松工業技術支援センター等の公設試験研究機関が、「光」の新技術や新製品開発等に向け積極的に産学官連携に取り組んでいる。また、それらの産学官連携をサポートするため、行政機関や浜松商工会議所、(財)浜松地域テクノポリス推進機構等の産業支援機関が密接な連携体制を構築している。

こうした強固で充実した産学官連携体制を活かし、「三遠南信バイタライゼーション(産業クラスター計画)」をはじめとして、新技術・新産業創出に向けたプロジェクトを積極的に推進する一方、光技術関連をはじめとした産業集積を促進するため、「地域再生計画」の認定を受けるなど地域産業のクラスター化にも注力。先端的高度技術企業の集積を目指す浜松地域は、高い技術力と豊富な労働力、そして何事にも積極果敢に取り組む地域独特の気質である「やらまいか精神」のもと、産業集積による新産業創造で地域産業の活性化を目指している。

産業クラスター政策のこれまで(第一期)の成果としては、産業クラスター形成を担う中堅・中小企業や大学、公的機関などが発掘されたこと、問題意識の共有化と情報伝達によって、「顔の見えるネットワーク」の形成が図られたこと、ビジネスマッチングや産学官連携によって、クラスター参加企業による新規事業創出にむけた取り組みが促進されたことなどがあげられる。

以上

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