新型インフルエンザ対策に関する提言

−国民の健康と安全確保に向けて実効ある対策を−

2008年6月17日
(社)日本経済団体連合会

新型インフルエンザ対策に関する提言 概要版 <PDF>

はじめに

鳥インフルエンザウイルスが変異し、ヒトからヒトへと感染伝播する「新型インフルエンザ」が出現した場合、その感染力の強さや強毒性から、世界的に流行し、社会生活に甚大な影響を及ぼすと指摘されている。現在、鳥インフルエンザのトリからトリへの感染が拡大していることに加え、トリと接触したヒトへの感染事例もアジア諸国で増加しており、その致死率は60%にも及んでいる。海外にいる在留邦人の健康・安全確保はもちろん、人と物が短時間に大量に移動する今日にあって、わが国にとっても対岸の火事ではない。
こうした事態を受けて、政府にあっては、新型インフルエンザ発生時の感染拡大防止と社会機能の維持のために、新型インフルエンザ対策行動計画ならびに各種ガイドラインの策定、ワクチンや抗インフルエンザウイルス薬の備蓄、水際対策の公表など種々の施策を展開している。
経済界としても、政府の動きに呼応し、パンデミック(新型インフルエンザの大流行時)に備え、「社員・家族の安全確保」と「社会機能の維持・事業継続」という2つの課題を両立させるべく、対策マニュアルや事業継続計画の策定などに取り組んでいるところであるが、これまでに示された政府方針のみを拠り所として課題を達成することは極めて困難と言わざるを得ない。
国家の危機管理は最重要な政策課題である。政府の新型インフルエンザ対策に対し、国民の健康と安全確保の観点ならびに社会機能の維持・事業継続の観点などから、一層の充実、強化が早急に図られるよう以下の点を要望する。

1.国民の健康と安全確保に向けて

新型インフルエンザの拡大防止と感染者の重症化を避けるためには、ワクチン(パンデミックワクチン #1 あるいはプレパンデミックワクチン #2)の接種による「予防」と抗インフルエンザウイルス薬 #3 の投与による「治療」が不可欠であるが、現段階での国家備蓄や製造体制では十分とは言えない。

  1. ヒト−ヒト感染する新型インフルエンザウイルスから作られたワクチン。新型インフルエンザはまだ発生していないため、パンデミックワクチンを製造することはできない。新型インフルエンザ発生後、ウイルスを特定しワクチンを製造・製品化するまでに、現在の製造方法(鶏卵による製造法)では最長で1年半程度を要するとされる(第7回新型インフルエンザ専門家会議資料)
  2. トリ−トリ(まれにヒト)感染する鳥インフルエンザ(H5N1)ウイルスから作られたワクチン
  3. インフルエンザウイルスの増殖を阻害することによって、インフルエンザ症状を軽減する治療薬(経口内服薬のタミフル、経口吸入薬のリレンザ)。予防に用いることもできる。

(1) 国民すべてにパンデミックワクチンを早期に接種するための環境整備

新型インフルエンザの予防と感染拡大の防止のために最も優先すべき施策は、パンデミックワクチンの早期開発・製造である。新型インフルエンザウイルス株の特定後、全国民にパンデミックワクチンが供給されるまでの時間を可能な限り短縮することが求められる。政府においては細胞培養によるワクチン製造技術の確立、製造設備への投資を支援するなど、国が国民の健康と安全を確保する観点から、国家安全保障として早期接種に向けた環境整備を推進することが必要である。また、ワクチンや各種の新薬の研究開発、サーベイランス(新型インフルエンザの発生状況の把握及び分析)にも一層注力すべきである。

(2) 抗インフルエンザウイルス薬の国家備蓄の促進

現在の抗インフルエンザウイルス薬の国家備蓄は2400万人分であり、全国民の2割程度をカバーするに過ぎず、第1波で3200万人と予想される新型インフルエンザ流行時の患者の治療分にも及ばない。人口の50%超分の備蓄を有する英仏などに比していかにもわが国の備蓄規模は小さく、抗インフルエンザウイルス薬の国内の備蓄を促進すべきである。また、海外の在外公館における備蓄規模は10万人分にとどまる。流行時には現地の医療機関が混乱することも予想されることから、海外での備蓄の拡大も必要である。抗インフルエンザウイルス薬が行き渡らずに感染による死亡が増えれば社会がパニックに陥る可能性もあり、円滑な物流をも考慮した十分な抗インフルエンザウイルス薬の備蓄が望まれる。

(3) プレパンデミックワクチンの接種対象者の拡大

政府は、検疫所職員などを対象とするプレパンデミックワクチンの事前接種を行い、その有効性・安全性を評価した上で、医療従事者や社会機能維持者 #4 への事前接種を検討する方針を明らかにしている。
政府にあっては、海外ワクチンとの比較研究などプレパンデミックワクチンの開発・改良に一層注力すべきである。また、プレパンデミックワクチンの接種対象者については、(1)社会機能維持者の家族をも含めた予防措置が必要であること、(2)社会機能維持に関わる事業は、直接的に事業を行う企業だけでは成り立たず、関連するサプライチェーンの事業者や下請・委託先を含めた従業員の確保も必要であり、一概に社会機能維持者と言っても、その特定は現実的には非常に困難であること、(3)社会機能維持者に含まれない場合でも、技術的に事業停止が難しい製造施設の維持、工場の警備や事業所のネットワーク管理などの目的から事業停止後にも出社を命じざるを得ない場合があること、(4)新型インフルエンザ発症の可能性が高い上に、抗インフルエンザウイルス薬が十分に流通していない国や企業備蓄が認められていない国に駐在する社員も多数存在すること、などから、プレパンデミックワクチンの有効性・安全性を確認後、社会機能維持者以外の希望者にも接種可能とする環境を速やかに整備するよう求めたい。その際、副反応リスクも含めワクチン接種に関する情報を広く国民に知らせる必要があることは言うまでもない。

  1. (1)治安維持、(2)ライフライン、(3)国又は地方公共団体の危機管理、(4)国民の最低限の生活維持のための情報提供、(5)輸送、などに携わる者

(4) 抗インフルエンザウイルス薬の企業備蓄ならびに予防目的での特例的投与の許可

現状では、薬事法上の規制で、抗インフルエンザウイルス薬を企業が直接購入すること(以下、企業備蓄)はできない。また、予防目的・治療目的のいずれにおいても、その投与にあたり医師の処方が必要とされている。一方、新型インフルエンザ発生の可能性が高いとされる地域に社員を出張させる場合に、社員の安全確保の観点から予防的に抗インフルエンザウイルス薬を持参させたいとする声は強い。
国家備蓄を最優先とすることを前提とした上で、抗インフルエンザウイルス薬の企業備蓄(グループ会社なども含む企業の従業員と家族分)を許可するとともに、海外出張の折には医師の処方箋なしで、予防を目的とする抗インフルエンザウイルス薬の投与を可能とすべきである。こうした措置は、結果として、国家備蓄分の節減にもつながる。

(5) 新型インフルエンザ症状のある者への対応方法に関する情報提供

地方公共団体において保健所などが中心となり新型インフルエンザ患者が発生した場合の搬送方法や搬送先の医療機関の受け入れ体制、濃厚接触者への対応方法などを検討することとされている。しかしながらその取り組みの進捗状況にばらつきが見られる。地方公共団体の感染症対策の機能拡充を図るとともに、各地において早急に方針を取りまとめることが期待される。その上で、社内で新型インフルエンザ症状のある者が発生した場合の連絡先・搬送先、あるいは自宅療養時の注意事項などについて各地域の事業者に対する情報提供、周知を求めたい。

2.社会機能の維持と事業継続に向けて

政府は、新型インフルエンザが発生し、政府としての対策を総合的かつ強力に推進する必要がある場合には、内閣に総理を本部長とする新型インフルエンザ対策本部を設置することとしている。いかなる事態になろうとも、国としての機能が麻痺することは避けなければならず、同本部が司令塔としての役割を十分に発揮し、感染拡大防止と社会機能維持に向けて迅速かつ正確な情報発信を行うとともに、国としての対処方針(地方公共団体、事業者、国民に求める行動など)を速やかに示すことが不可欠である。そのためにも、平時から以下の取り組みを進めるよう要望したい。

(1) 産学官の連携による検討体制の創設

パンデミック時においても国民生活の基盤が維持されるためには、ライフライン事業者のみならず、これに関連した行政機関、関連するサプライチェーンの事業者など幅広い関係者が連携することが求められる。各主体が整合ある実効性の高い対策を推進する上で、平時から、共通の条件・認識の下に、産学官が連携して対策を検討することが必要である。また、社会機能維持者はもとより一般の事業者が事業継続計画を策定する上でも、公式に社会機能にかかわる被害想定(欠勤率、食料供給や物資流通・交通インフラなどの社会インフラの機能状況など)を明らかにすることは不可欠である。
大規模地震・水害などの自然災害に関しては、中央防災会議においてそれぞれの専門調査会を設け、産学官が被害想定やこれに基づく対策のあり方について検討する場が設けられている。新型インフルエンザ対策についても、同様の検討体制を整備することが必要である。
このほか、企業が新型インフルエンザ対策を検討する上での相談窓口を政府内に整備すべきである。

(2) 事業自粛要請や帰国勧告の発動要件の明確化

国内で新型インフルエンザの発生・拡大が認められる場合において、事業を継続するか否かの判断は基本的には各社の自主的な判断にゆだねられる。海外に駐在する社員の扱いも同様である。
状況次第では、事業継続は感染拡大を助長しかねないが、企業間の取引は非常に重層的であり、一社の判断で事業を休止する、あるいは独自判断で社員を帰国させることは実際には難しい。
政府において、事業自粛要請や帰国勧告などの具体的な発動要件を明確化し、一定の条件下においては企業に事業縮小(あるいは停止)や社員の帰国を求めることを周知し、関係者間で共通認識化しておくことが求められる。

(3) パンデミック時の法令遵守の考え方の明確化

パンデミック時には欠勤者が増加し、少人数による業務遂行を余儀なくされることが予想される。その中で、ライフライン事業者など事業継続が求められる企業では、労働基準法が規定する時間外労働や休日などの規程の遵守、ガス事業法や電気事業法などの保安規程に基づく巡視・点検・検査などの遵守が困難になると考えられる。また、ライフライン事業者以外の企業も含め、全ての企業において業務の絞り込みや繰り延べが必要となり、これに伴う商取引の中断や遅延が生じることも想定されるが、こうした場合の債務不履行責任も問題となる。このような観点から、パンデミック時において、法令の弾力的運用が行われるよう、事前に政府の具体的な方針を明らかにすべきである。
このほか、事業所内で感染者が発生した際の情報提供のあり方について、個人情報保護の側面からの整理も必要となる。

(4) 事業者の安全配慮義務についての考え方の整理

社会機能維持者に該当しない会社においても、最低限の機能を維持するために社員に出社を命じることが想定される。やむをえない事情で出社を命じる場合の対策のあり方について判断基準を明らかにするなど、企業が事後的に社員の安全配慮義務違反に問われるといったことのないよう、考え方の整理を求めたい。

(5) 食品製造・販売に際しての注意事項などの明確化

パンデミックに備え食料などを備蓄することが基本とされているが、流行は複数回にわたると考えられ、事業所や家庭での食料備蓄での対応では限界がある。円滑に食料供給を行う上から、想定されるウイルスの特性を踏まえ、食品製造・販売の際に具体的にどのような点に配慮すべきか、明確化することが必要である。

(6) 政府の新型インフルエンザ対策の国内外での説明、周知

海外派遣社員などの安全確保のために企業が対策を立てる上で、各在外公館の説明が必ずしも統一されておらず、どの程度の対応をベースにすべきか困惑しているとの声がある。水際対策をはじめとする政府の新型インフルエンザ対策について国内外で統一的な説明を行い、周知を図るよう求めたい。

3.海外にいる在留邦人への配慮

政府は、海外にいる在留邦人の健康と安全確保のために、新型インフルエンザをめぐる動向などについて状況把握に努め、早期に正確な情報提供と的確な指示を出すことが求められる。また、新型インフルエンザ発生時に駐在員やその家族が円滑に帰国できるよう、空港付近に設けられる停留施設の確保を進めることが必要である。このほか、帰国した子女の学校などでの受け入れ体制について政府方針を明らかにするよう求めたい。

おわりに

新型インフルエンザの出現は避けられず、感染者の発生は時間の問題ともされている。流行をできる限り小規模に抑え、国民の健康と安全確保、社会防衛を図るべく、関係者一丸となって強い危機感を共有し、対策に取り組んでいく必要がある。政府にあっては、国家安全保障の観点から、鋭意対策を推進するよう強く求めたい。日本経団連としても、会員企業に対し新型インフルエンザ対策の重要性、緊急性を呼びかけるとともに、情報提供などを通じて各社の対策に資する活動を行っていきたい。

以上

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