(公財)経団連国際教育交流財団日本人大学院生奨学生留学報告

サンゲラジュの思い出

遠藤 健太郎 (えんどう けんたろう)
2010年度奨学生
慶應義塾大学大学院からテヘラン大学に留学

イラン西部・ボルージェルドにある
ジャマーロッディーンの墓前にて

「アジア」という言葉は、私にとって特別な響きを持っている。遊牧民の疾駆するどこまでも続く青い草原、威勢のいい呼び声の飛び交う猥雑な市場、そして迷路のように入り組んだ路地裏に流れるゆったりとした時間…。そんな情景を夢想しながら、アジアへの憧れを強くしたのは、私が小学生のころであったと思う。

高校2年生の時、あの9.11が発生し、私は新たにイスラムにも関心を見出し、その後、紆余曲折を経て辿り着いたテーマがイラン近代史研究であった。現在、私が研究しているイラン立憲革命は、しばしばフランス革命や明治維新と比較されることもある、近代国家イランを形づくるきっかけとなった重要な事件である。私は修士論文以降、特にこの革命で活躍した、改革派のイスラム宗教学者で説教師でもあったセイイェド・ジャマーロッディーンという人物に注目している。彼は、これまで政治の意思決定プロセスから疎外されてきたイランの一般民衆に向けて「世直し」の必要を直接訴えた点で、当時、非常に稀有な存在であった。

留学後、私は、今から100年以上前にジャマーロッディーンが暮らしたのと同じテヘランの旧市街の一角、サンゲラジュ地区にアパートを借りた。高い塀の続く、曲がりくねった細い路地を進んだ先の行き止まりに、我が家はあった。一日の終わり、暮れなずむ中東の下町にアザーン(礼拝の呼びかけ)の声が響きわたる。子供のころ思い描いた、怪しい魅力に満ちたアジアの街に暮らすという夢は、こうしてひとまず達成されたのだった。

しかし、喜びに浸っていられたのは最初だけ。というのも、現在のテヘラン旧市街一帯は、その喧騒と人品の卑しさからイラン人にも敬遠されるような場所なのである。細い道を轟音を立てて突っ走るモーターバイク、毎晩聞こえてくる隣家の夫婦げんか、そして一歩外へ出れば、無遠慮にこちらを見つめてくる人々の「熱い視線」。なかでも耐えがたかったのが、近隣住民のプライバシー意識の低さである。好意とは分かっていても、毎日のように我が家を訪問されては、ようやく家に戻っても心休まる暇がない。

だが、よい点もたくさんあった。まず、常にイラン人に「包囲」されていたために、(イランの殿方が大好きな猥談も含めて)ペルシャ語の会話力が飛躍的に向上したことである。また、バーザールが近かったので、日々の新鮮な食料品にもこと欠かなかった。特に、毎朝パン屋の店先に並んで買い求める、焼きたてのナンの味は、今も忘れることができない。

そして、何よりも、現代の下町に生きる庶民たちの、歴史や政治・社会、宗教についての率直な考えをじっくりと聞けたことがよかった。そんなとき、私はいつも、今から100年以上前にジャマーロッディーンの説教に共感し、立憲革命に加わった多くの名もなき人々も、まさに彼らのような純朴で一本気なテヘラン市民であったに違いない、と思うのだった。この経験は、ある意味では私にとって大学で受けた講義以上に大きな財産となっている。

日本に帰った今、私は留学中に収集した史料や研究をもとに、時々あのサンゲラジュの人々の顔を思い出しながら、博士論文を書き進めている。いずれは、是非ともイランと日本の近代史を比較していくことで、「アジアの近代」という大きなテーマに切り込んでいきたいというのが、私の少し欲ばった、今の目標である。

(2013年1月掲載)

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