月刊keidanren 1997年 6月号 巻頭言

21世紀への布石

末松副会長

末松謙一
経団連副会長


クリントン米大統領が本年2月の一般教書において「教育改革」を最優先課題に掲げ、21世紀への行動プランの中核に据えたことは未だ記憶に新しい。わが国でも、橋本首相自らが六大改革の一つに教育を挙げ、改革への強い決意を表明している。

米国の目指す改革の具体的内容はさておき、その基本は「目指すべき教育基準・スタンダードを示し、世界でベストの教育を実施する」ということであり、一方、日本のそれは「画一的な教育から個性・創造性を重視した教育」への転換にある。

この様に、一口に教育改革とはいえ両国の狙いは正反対とも言えるが、この相違は、両国が目指す方向の当否云々ではなく、双方が抱える課題がそれぞれ歴史的、社会的に大きく異なっていることによるものであろう。

ボーダーレス化と情報通信革命が進展する中、両国とも、これまでの成長を支えてきた特色が将来に向けての弱点になりかねないとの危機意識は強い。

先般、わが国では政府の「規制緩和推進計画」が改定され、その中で教育に関しても選択的で柔軟性のあるシステムの実現に向け、改革の第一歩が踏み出された。

わが国の動きが「束ねたものを分散させる」方向だとすれば、米国は反対に「分散したものを束ねる」ことにより国としての新しいエネルギーを生み出そうとしている。そして、その底流にある「次代を切り開く鍵は人材にあり」との強い思いは双方共通であろう。勿論、両国はこの改革を単に日本の米国化や米国の日本化に終わらせるのではなく、それぞれの特性を活かしつつ自らを強化・改革していくことが不可欠であることは論をまたない。

発展への不断の努力を怠った国の衰退は避け難く、未来に向け今必要な改革に躊躇なく着手する英断を持った国のみが新たな時代の成功者となり得ることは、歴史が物語っている。この数十年、世界経済のリーダーとしての役割を担ってきた二国が、期せずして21世紀への布石の一つに教育を置いたことは、誠に正鵠を射たものと言って過言ではないと思う。

(すえまつ けんいち)


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