月刊 keidanren 1998年12月号 巻頭言

戦略的な行政改革で日本経済再生を

古川副会長 古川昌彦
(ふるかわ まさひこ)

経団連副会長
三菱化学会長

第1次臨時行政調査会が発足したのは、1961(昭和36)年池田内閣の時であったから、行政改革は爾来40年近くも歴代内閣による取組みが営々と続けられてきたことになる。その時々において、財政再建や3公社5現業改革、規制緩和等々、それなりの努力はなされたと思うが、率直に言って、部分的な成果に止まり、改革と言うには程遠い現状と言えよう。

何故これ程の時間と努力を重ねながら、行政改革は政府自らが「道半ば」と言わざるを得ない状況に止まっているのか。それはあながち政府の怠慢とばかり決めつけられない事情もあるのではないか。1つは、改革のスピードが日本を取り巻く環境変化の激しさに追い付けなかったことである。規制緩和にしても、既得権を持ったグループとの調整やコンセンサス形成に手間取って、常に微温的・漸進的にならざるを得なかった。世界の金融界が金融ビッグバンで構造的な変化を遂げる中で、わが国の護送船団行政とそれに慣れた関係業界は、‘sense of urgency’が欠けている、と批判されたのはその1例であろう。

第2に、社会や政治の側も、これまで出来るだけリスクを避けて、安全を良しとする意識が極めて強かったために、結果的に行政の過剰介入を招いたことは否定できない。「安全と水は只」という国民性は世界でも異例のものだ、と指摘した識者がいた。常に二番手を選ぶ行動原理はリスクを最小に抑える知恵だったが、冷戦時代が終わり、わが国を取り巻く環境が大きく変わった今、状況対応・追随型の行動原理はマーケットからの厳しいアタックに曝されている。われわれは、リスク覚悟で永年の課題である徹底した諸改革に取り組まなければならない。

今こそ、私権と利権で雁字搦め<がんじがらめ>になった土地問題を解決し、多様なライフスタイルを可能にする住宅政策、それを支える都市政策を突破口にして、日本経済を再生させることが急務である。同時にこの際、首都機能移転を通じて行政改革に戦略的視野からの活を入れることが不可欠であろう。


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