極めて危機的な経済情勢のなかで、政府は、金融システムの安定化や個人消費などの需要喚起のための対策を講じつつある。しかし、日本が21世紀に向けて持続的かつ安定的な経済成長を実現していくためには、国内産業の生産性向上、とりわけ日本経済を支える製造業の国際競争力の強化が不可欠である。
米国では、マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究グループがまとめた“Made in America”(1989年刊)の冒頭の有名な一節にあるように、「一国の繁栄は、その国の優れた生産力にかかっている」という認識のもと、1980年代から官民が一体となり、戦略的に国内産業の競争力強化に取り組んできた。
わが国において、製造業は、名目GDP・就業者数で4分の1を占めている。また、財とサービスをあわせた日本の全輸出入額に占める製造業の製品の割合は、約7割を占めており、製造業は、貿易立国日本にとって基幹産業である。また、産業連関表における中間投入等からみて、非製造業に比べて裾野が広く、生産性も高いことから、今後も経済成長をリードする役割を果たすことが強く期待されている。
しかし、製造業の国民経済における地位は、近年低下する傾向にある。事実、名目GDPに占める製造業の比率は1970年の36%から95年には25%にまで低下した。
製造業の国際競争力を高めるためには、まず企業自らが様々な面で主体的に取り組むことが重要であるが、それを行なった上で、なお、わが国の高コスト構造をはじめとするハンディキャップから、国内生産を維持し、雇用を確保することが困難な状況に追い込まれている。この点は、資本調達や人材確保などの面において基盤の弱い中小企業にとって、特に深刻な問題となっている。
このため、経団連では、1998年5月に産業問題委員会(委員長:瀬谷博道 旭硝子会長)を新設し、製造業が直面する課題について、実態調査・分析を含めた検討を進め、順次具体的な解決策を提示していくことにした。
今回の第1回提言においては、産業の競争力強化の重要性を強調するとともに、先進諸国をはじめとする諸外国との国際競争上のイコールフッティングの実現を訴える。具体的には、エネルギー、物流、租税、社会資本、労働などの高コスト構造が、製造業の国際競争力を低下させ、本来ならば国内において比較優位をもつ産業までもが海外への移転を余儀なくされるなど、製造業の基盤を脆弱化させているという認識から、その是正策を提示する。
そうした状況を踏まえ政府は、製造業の国際競争力の強化こそ、天然資源に乏しい日本が大競争時代を生き抜いていくための最重要の戦略であると認識し、効果的な施策を展開していく必要がある。このために、総理大臣直轄の組織として、「産業競争力戦略会議」(仮称)を設置し、官民が相協力して、既存産業の競争力強化と戦略的産業の創出を図るという観点から、より総合的な施策を確立することが重要である。
わが国の将来を展望すると、他の先進国に例をみないほど急速に進む少子・高齢化が、経済成長の新たな制約要因として働くことが強く危惧される。
まず、少子・高齢化に伴う労働力人口の減少と労働力率の低下により、労働供給量は減少していく。15才〜64才の生産年齢人口は、既に1995年の約8,700万人をピークとして急速に減少している。また、それと入れ替わるように、65才以上の老年人口が今後急増していくことが予想されている。
また、高齢者比率の増加に伴う貯蓄率の低下が、資本面での制約となる惧れがある。ライフサイクル仮説等に基づく試算(通産省)によれば、高齢化の進展に伴い、家計貯蓄率は、1994年の13%から2025年には8%に低下することが予想されている。こうした貯蓄率の低下が、金利上昇を通じて投資を抑制するとともに、貯蓄・投資バランスや経常収支の構造を大きく変える可能性が高い。
今後、労働供給量の減少と資本蓄積の鈍化が予想される中で、豊かな国民生活を実現していくためには、これらの供給制約を産業の競争力強化によって克服していかなければならない。しかし、1990年代に入って、産業の競争力は脆弱化しており、楽観を許さない状況となっている。スイスに本部を置く「国際経営開発研究所」(International Institute for Management Development)は、国または企業が国内の基盤を用いることによって生み出すことのできる富の量、すなわち国全体の競争力を主要な46ヶ国について比較し、それに基づきランクづけを行なっているが、日本は1993年の総合2位以来、年々ランキングを落とし、97年には9位、98年には18位に後退した。
他方、米国は、引き続き1位の座を保持しているが、近年の米国経済の好調ぶりをみると、国内産業の活力がその原動力となっていることは明らかである。
欧米諸国では、国内産業の活力こそ、国民生活の豊かさを確保できるかどうかを左右する最も重要なファクターであるとの認識が、既に常識となっている。そのフロントランナーは米国であり、レーガン大統領の時代、ヒューレット・パッカード社のヤング社長を委員長とする「大統領産業競争力委員会」(the President's Commission on Industrial Competitiveness)を設置して、1985年1月、産業競争力を強化するためのシナリオなどを盛り込んだ、いわゆる「ヤングレポート」をとりまとめた。また、1989年には、MITの研究グループによる“Made in America”が発表された。米国はこれらの提言をもとに、日本をはじめとする諸外国と競争を行なっていく上での優位性を確保するため、産業技術、国家プロジェクト、税制、知的財産制度、通商政策、経済・ビジネス外交などを総合的に駆使して、官民が一体となって産業競争力の強化に取り組んできている。
天然資源に乏しい日本において、製造業は、高度な技術力により、付加価値の高い魅力ある製品を生産するとともに、輸出を行ない、あわせて雇用を維持しながら、国民所得の拡大に貢献してきた。今後とも、製造業は、貿易立国たる日本において、経済成長と生産性向上に重要な役割を果たすとともに、アジアをはじめとする諸外国の経済発展に対して貢献していくことが強く求められる。
このため、製造業の持つ高い生産性と国際競争力こそ日本の強みと認識し、国内に生産拠点を置く製造業が国際競争を凌いで、今後とも生産性を向上させていくという視点から、具体的かつ思い切った施策を展開することが重要である。
今日、各産業の活力の実態をみると、高い技術力・生産力を有しながら、技術力・生産力のみでは、高コスト構造のハンディキャップを克服するには限界があるという困難な立場に直面している業種が増えつつある。
企業が国を選ぶ時代といわれる中で、日本の事業環境、とりわけ生産拠点としての立地環境は、高コスト構造などから、企業にとっての魅力が薄れ、むしろ国内に生産拠点を置いていること、それ自体が国際競争上の大きなハンディキャップとなっている。諸外国と比較して日本の製造業のコスト競争力は劣位にあり、このため、本来であれば日本に残るべき比較優位産業までもが、海外への移転を余儀なくされている。
日本の製造業の海外生産比率は、1992年の6%から97年には13%に上昇した。この水準は、米国やドイツの20数%と比較して決して高いものとはいえない。また、企業が最適な事業環境を求めて国際展開を図ること自体は合理的な行動であり、かつ相手国経済の発展に寄与することも事実である。
しかし、わが国の立地環境の魅力が薄れているために、外国企業による国内への直接投資が一向に増えていないこと、また新規投資の担い手として注目される新産業・新事業も十分に育っていないこと等の状況の中で製造業の国際展開が過度に進むことは、国民生活の豊かさとその裏付けとなる経済成長を確保する上で極めて問題である。
具体的な問題としては、第1に、中小企業などを中心に転廃業を加速化し、雇用不安、失業者の増大をもたらすばかりか、製造業が長年培った技術や技術開発力が根絶えてしまうことである。事実、廃業率が開業率を上回る逆転現象がこの10年間続いており、この傾向は特に製造業において顕著である。
第2は、より生産性の低い産業へのシフトが、国全体の生産性低下をもたらし、中長期的な経済成長に少なからぬ悪影響を及ぼすことである。
第3は、外資系企業の進出による雇用機会の拡大も期待できなくなることである。
国全体の生産性向上が図られるべき中で、企業も自ら産業競争力の強化に向け、横並び体質を排し、主体的に取り組んでいくことが何にも増して重要である。具体的には、企業戦略の確立や組織・マネージメントの効率化、経営資源の有効活用、製造・販売・物流コストの削減、流通構造や商慣行の見直し、技術革新等を通じた高付加価値製品の開発、非価格競争力の強化、情報化の推進などに取り組んでいくことが不可欠である。
しかしながら、企業自らの取り組みにもかかわらず、わが国の高コスト構造をはじめとするハンディキャップは極めて重い。
わが国が有する国際競争上の強みを伸ばしていくとともに、弱みを克服し、企業の国籍や製造業、非製造業の如何を問わず、企業にとって魅力ある立地環境を国内に整備することによって、国内産業を活性化し、豊かで活力溢れる経済社会を再構築していかなければならない。
競争力を規定する要因は様々であるが、とりわけ、本提言の実施による高コスト構造の是正は、先進諸国をはじめとする諸外国との国際競争上のイコールフッティングの実現に寄与するばかりか、海外からの投資拡大や既存産業の活性化を通じ、新産業・新事業の創出など産業構造の高度化をも促進することから、産業競争力強化の出発点と位置づけることができる。
そうした観点から、政府等は以下の課題に重点的に取り組む必要がある。
天然資源に乏しいわが国では、電力の安定供給と品質確保、環境保全など公益的課題に留意しつつ、効率的な需給構造を構築し、諸外国並みの料金での電力供給を実現していくことが必要である。そのためには、新規参入の促進、自家発電設備の有効活用などにより競争を促進する一方で、原子力発電を積極的に推進するとともに、料金メニューの多様化・弾力化によるピークカット、夜間電力の活用など、ディマンドサイドマネジメントの強力な推進を通じて、負荷率の改善を図る必要がある。また、電力事業の場合、法人事業税の課税標準が収入金額となっており、この負担が大きいことが電力料金のコストアップ要因の一つとなっている。地方法人課税の見直しの中で、税負担の軽減を図っていくべきである。
新規参入の促進、自家発電設備の有効活用
原子力発電の一層の推進
ディマンドサイドマネジメントの強力な推進を通じた負荷率の改善
法人事業税を含む地方法人課税の軽減
石油製品の安定供給に留意しつつ、効率的な生産・供給体制を構築していくためには、石油業界自らが経営効率の向上に努める必要があるが、政策面からも競争原理がより一層働くよう、消費地精製方式といった従来の発想にとらわれることなく、需給調整規制をはじめとする政府規制の撤廃・緩和、関税制度の見直し等を早急に推進していくべきである。とりわけ、ハイサルファーC重油は、他の石油製品の輸入自由化が進む中で、高率関税が維持されており、その早い段階での見直しを図るべきである。また同時に、石油製品の場合、過度の保安規制、石油諸税及び備蓄義務が高コスト構造を助長している面があり、これらについても見直す必要がある。
政府規制の撤廃・緩和
関税の見直し
保安規制の見直し
備蓄のあり方の見直し
石油諸税の負担軽減
物流の効率化を進め、内外価格差を是正・縮小していくためには、産業界自らが中長距離輸送における複合一貫輸送や積合せ輸送・復荷確保、共同配送、一貫パレチゼーション等の推進による輸送効率の向上、情報システム化などに主体的に取り組み、あわせて、コスト高につながるような取引・労働慣行の見直しに努める必要がある。また、わが国における道路などの物流関連施設は、特定財源制度・有料道路制度等により全国的に進められてきたが、これが道路運送事業等物流事業のコストアップ要因となったことも事実であり、事業者・荷主の負担軽減を図ることが必要である。あわせて、ボトルネック解消に資するインフラの重点整備や政府規制の撤廃・緩和を図るべきである。
インフラの整備
政府規制の撤廃・緩和
物流効率化への政策支援
日本が、国内外の企業のみならず個人にも選ばれる魅力ある国になるためには、小さく効率的な政府を目指して、国・地方を通じ聖域なく歳出構造を見直すとともに、経済活力の維持・向上の視点から、個人と法人の所得課税に依存した税負担構造を消費課税にウェイトを移す方向で是正していく必要がある。とりわけ、過重な負担となっている法人所得課税は、高コスト構造を助長しており、国内企業の海外移転を加速化する一方で、海外からの対日投資を妨げる要因にもなっていることから、国税・地方税をあわせた法人所得課税の実効税率を一刻も早く国際水準なみの40%へ引下げる必要がある。なお、法人事業税の外形標準課税は、税負担の固定化につながり、高コスト構造を助長するものである。むしろ、複雑な地方法人課税を簡素化する見地から、法人事業税を廃止し、法人住民税に一本化することが望ましい。
また、企業が経済環境や構造変化に対応して、柔軟に組織改編を行なうことができるよう、税制面から、企業経営形態の多様化に応じた制度を整備することも重要である。
法人所得課税の実効税率を国際水準なみの40%へ引下げ
所得税・住民税をあわせた最高税率65%の50%への引下げ、各所得層の税率の見直し
企業組織再編に係る税制の整備
新産業・新事業の創出に資する税制の見直し
用地保有コストの軽減に資する固定資産税の見直し(税率、土地評価方法等)
増加試験研究費税額控除制度の拡充
国の経済効率向上が強く求められる中で、社会資本の整備のあり方は、製造業をはじめとする企業の生産性に大きな影響を及ぼす重要な要素である。しかし、わが国の社会資本整備は、国土の均衡ある発展という政策課題が重視される中で、多くの事業が、費用対効果の視点からの精査を受けることなく、国主導による硬直的な予算配分のまま全国的に行なわれてきた。このため、わが国の公共投資は、GDP比でみて諸外国に比べ高い水準が維持されてきたものの、投資効率の高い重点分野・重点箇所におけるインフラは依然として不足状態にある。加えて、主に地方工事の入札段階において、中小建設業が優遇されたり、地域要件など過度の規制が課せられてきたため、社会資本は、その整備費用のみならず利用料金においても割高なものとなった。
社会資本整備においても、受益に対して適切な負担を求め、市場原理を貫いていけば、投資効率の高いところに資源が重点配分されるばかりか、民間による効率的な整備・運営も可能となり、高コスト構造の是正は実現できる。その際、事業の事前・事後評価、評価内容の公開が必須の条件となる。
因みに英国では、行財政改革の一環として、1992年に公共事業にPFI(Private Finance Initiative)が導入された。PFIの導入により、これまで公的部門が必ず提供するものと考えられてきたサービスやプロジェクトの建設・運営を民間に委ねることに成功しているが、こうした例も大いに参考にしていく必要がある。
社会資本整備の重点化
政府規制の緩和
PFIの推進
産業競争力を規定する重要な要素のひとつである労働力の生産性を高めるためには、わが国における雇用・労働の環境や風土のあり方を見直していくとともに、人材の有効活用や労働移動の円滑化を進めることが不可欠である。
(1)人材の有効活用労働の担い手たる国民の高齢化は急速に進んでおり、近い将来、労働力人口の減少が確実視されている。こうした中で、高齢者・女性等の活躍の場の拡大・整備を進め、労働力を量的に確保する一方で、改正労働基準法により認められた裁量労働制などを積極的に活用することを通じて労働者の意欲を高め、労働者が効率的かつ創造的に持てる能力を発揮し得る雇用・労働環境を整えていく必要がある。
高齢者・女性等の活躍の場の拡大・整備
裁量労働制・変形労働時間制などの積極的活用
少子・高齢化が進展する中で、円滑な労働移動と就労形態の多様化を支える労働力需給調整システムを整備することが不可欠である。
現行の職業安定法では、専ら公共の職業安定所が労働力の需給調整、失業者等への職業紹介を行なうものとされており、民間の職業紹介事業は、限定的にしか認められていない。また、職業紹介以外の労働力需給調整システムについても、広範に規制が課せられている。今後、労働力人口の減少が見込まれる中で、労働力の供給ルートとして重要な役割を担っていくことが期待される労働者派遣制度は、対象となる業務が製造工程業務を除く26業務に限定されているなどの問題がある。さらに、第三者に労働者の募集を委託する委託募集についても、許可要件が厳しく規定されており(報奨金の上限等)、事実上禁止されているといっても過言ではない。
労働力の需給調整は国家独占という考え方によってたつ職業安定法をはじめ、時代遅れとなった労働関係法制を、民間の職業紹介所など民間活力を積極的に活用していく観点から抜本的に見直し、新たな状況に即した労働力需給調整システムを整備していく必要がある。また、労働移動の円滑化を進めていくためには、終身雇用を前提とした退職金を含めた賃金体系およびその税制を見直すとともに、企業年金のポータビリティーを確保する制度への移行が不可欠である。
労働者派遣事業の自由化
有料・無料職業紹介事業の自由化
委託募集の規制緩和
直接募集に係る届出制の廃止
終身雇用を前提とした退職金を含めた賃金体系およびその税制の見直し
企業年金のポータビリティーの確保
わが国経済社会システムが大変革を迫られている中で、国全体の生産性を向上させていくことは喫緊の課題である。
経団連では、既に金融システムの安定化や企業の資金調達の多様化、新産業・新事業育成のための環境整備、戦略的な産業技術政策の展開など様々な産業競争力強化策について意見をとりまとめている。今後、経団連としては、今回の提言で訴えた課題の実現を含め政府等に強く働きかけていくとともに、産業問題委員会を中心に、