本格的な少子・高齢化を迎える中で長引く景気低迷を続けているわが国経済は、世界的な大競争にも直面し、産業競争力の強化が喫緊の課題となっている。
こうしたなか、小渕総理大臣は、99年3月、官民の代表者をメンバーとする「産業競争力会議」を設置し、爾来、わが国産業の生産性向上に直結する重要課題について議論が進められてきた。政府は、同会議で展開された議論等を踏まえて、6月に「緊急雇用対策及び産業競争力強化対策」を策定し、それに基づき雇用対策を柱とする平成11年度第1次補正予算の編成、また8月には企業の事業再構築を支援する「産業活力再生特別措置法」の制定を行なうなど、わが国産業競争力の強化に向けた取り組みは本格化しつつある。
言うまでもなく、産業競争力強化の目的は、経済全体でみた生産性の向上を通じて、雇用の創出・安定を図り、豊かな国民生活を実現することにある。このため、企業、個人、政府は、それぞれの役割を踏まえ、自己責任に基づき資源の効率的な配分に努めることが重要であり、主体的に諸分野の構造改革に取り組むことが求められる。
なかでも雇用・労働分野の改革は、将来における国民の豊かさ及び経済成長を左右する最重要の課題である。それは、人材こそが、天然資源の少ないわが国において、経済・産業を支える重要な資源であり、その潜在能力を顕在化させることが、創造的なイノベーションによる生産性の上昇、並びに国民所得の向上を促し、少子・高齢化社会への対応力を高めることになるからである。また、それは、経済活動の大きな制約要因である、わが国の高コスト構造の是正を通じて、構造改革の効果を高めることにもつながる。
以上の認識から、経団連・産業問題委員会では、今般、中長期的な課題として、雇用・労働分野の構造改革問題を取り上げ、産業競争力強化の観点から、創造的で活力溢れる人材立国を目指し、来るべき21世紀に向かって、企業、個人、政府がそれぞれ取り組むべき課題を具体的な提言のかたちでとりまとめることとした。
なお、検討にあたっては、かねてより本問題に取り組んでいる日本経営者団体連盟等と緊密な連携をとった。
雇用・労働を巡る環境が変化するなかで、これまで日本の強みとされてきた雇用・労働システムにも様々な問題点が顕在化しており、その再構築が迫られる状況になっている。
バブル崩壊後10年を経た今日、やや回復の兆しが見られるものの、わが国経済は依然としてデフレ傾向が続いている。その原因としては、地球規模の市場経済化による競争の激化、長期化する国内・アジア地域の需要低迷と供給過剰、金融システム不安などに加え、わが国においても景気動向を読み誤り、性急に国民負担増・公的支出削減を実施したこと、また本格的な政策発動が遅れたこと等がある。いずれにせよ、今回の景気低迷のなかで、思い切った経済構造改革なしに、豊かな国民生活の実現は困難であることが認識された。
70年代初頭までの二ケタ成長や、以降90年代前半までの4%成長といった経済成長率は実現できない状況の下で、地球的規模の競争に対応した経済・産業構造の変革を成し遂げ、再び経済成長のトレンドを回復するためには、これまで、わが国の経済発展に役割を果たしてきた雇用・労働システムを再構築することが求められる。なかでも、年功序列的な賃金・処遇体系は、企業の総人件費の上昇と、業務と能力・処遇のミスマッチをもたらしているばかりか、社会全体でみても人材の円滑な移動を通じた人材の適材適所を妨げているという問題点が指摘されており、早急な見直しが必要である。
こうしたなか多くの企業は、長期雇用を重視しながらも、経営改革の一環として、年功序列的な賃金を成果・能力を重視した賃金体系に移行したり、短期雇用や派遣形態などを活用するなどして柔軟な人員の調整を可能にするなど、人事・労務管理の見直しを進めている。こうした取り組みは、働き方の多様な選択肢を提供するという面において、働く側の多様化する価値観にも対応するものと言える。
しかし、一企業の取り組みのみによって、この問題を解決することには限界がある。特に今後は、働く人が職業生涯を通じてのトータルなキャリアを形成するために、企業の枠を超えて移動することが望ましいケースも増えてくる。こうした点を踏まえれば、社会全体での取り組みが必要となるが、現行の法制度には、次のような問題がある。
わが国の少子・高齢化は、世界に例をみない速度で急速に進んでいる。この結果、生産年齢人口は、既に減少をはじめているが、人口の少子・高齢化は、労働供給の量的側面のみならず、労働力の中核を担うとされてきた20〜44歳人口の相対的な減少を通じて、労働力の質的な側面にも大きな影響を及ぼすものと考えられる。また、少子・高齢化の進展は、医療・年金など社会保障関連費用の急激な増大を通じ、現役世代の公的負担を上昇させるため、勤労意欲の減退につながる惧れがあるが、これらに対するわが国の対応は遅れているのが実情である。
以上の問題点を踏まえれば、雇用・労働分野の課題は次の4点に集約される。企業、個人、政府においては、それぞれの役割を踏まえ、これら課題の解決に向けて積極的に対応していくことが求められる。
個人が自己の知識・能力等から、適切な職業及び納得のいく雇用条件を求める一方で、企業も個人の適性を踏まえ、能力をフルに活用し、市場価値に基づく処遇を行なうという人材の適材適所を図ることは、個人や企業のみならず、経済社会全体にとっても極めて重要である。それは、産業構造の高度化や少子・高齢化の進展を踏まえて、勤労者が社内ベンチャー制度などを活用して、自ら起業することなども含め、その個性を発揮し、専門性を身につけながら、創造的な成果を上げていくことが、企業の発展のみならず、国民の豊かさを左右する鍵となるからである。
言うまでもなく、人材の適材適所を実現するには、労働市場の市場としての機能が重要である。このため、企業、勤労者に対し、多様な選択肢を提供し、それぞれの意見を尊重しながら、円滑な人材移動の実現、勤労者の持つ能力の発揮が図られるよう、社内外の労働市場の機能を強化していくことが求められる。
一方で、経済活動や技術革新の変化のスピードが高まる状況の中では、止むに止まれず失業するというケースが増加せざるを得ない。これに対しては、特に外部労働市場の機能を強化することが不可欠であり、失業者の再就職を支援するという面において、雇用保険制度の果たす役割は重要である。
政府は現在、雇用保険制度の見直しに向けた検討を進めているが、その見直しにあたっては、保険財政の健全化という観点のみならず、人材移動の増加など、経済・社会構造が変化するなかで、費用対効果の観点に立ち、給付と負担の合理化・適正化を行うことが重要である。
勤労者一人ひとりの生産性の向上を通じ、国民の稼得力を高めていくためには、個々人の職業能力を向上させていくことが不可欠である。今後、この課題に取り組むためには、企業における仕事を通じたOJTなどに加えて、個人の自助努力が極めて重要である。このため、個人は自らが人的資本であることを強く意識し、自己啓発に積極的に取り組んでいかなければならない。
近年、勤労者の自己啓発の気運は徐々に高まりつつあるが、これを一層向上させるためには、時間や費用の面での配慮も必要である。また、勤労者が自ら費用を負担し、休日等を自己投資のためにあてても、その成果が企業側の評価に直接結びつきにくいということも、自己啓発への意欲を阻害しているという指摘も聞かれる。
今後、雇用形態が新卒一括採用、長期継続雇用などの従来型のものに加え、人材移動の増加に伴い中途採用、短期雇用なども活用したものに変化していくと考えられるが、このことは、企業が費用負担をして行なう教育訓練の重点がコア業務*1 を担う人材に置かれていくということとともに、勤労者も日頃から自己負担により能力開発を行なうことがますます重要になることを意味する。しかし、個人の自己啓発を支援する社会システムは未だ十分整備されておらず、現状のままでは、経済活動を支える人的資本の価値は高まらず、生産性の上昇に支障をきたす惧れがある。
したがって、企業は従来にも増して人材の育成に注力するとともに、政府も個々人の自己啓発に向けた努力が実を結ぶよう、そのための環境を整備することが求められる。
*1 コア業務とは、企業価値の向上に直結する中核的な業務のこと。このため、企業毎にコア業務の内容は異なる。企業内での教育訓練により育成した人材が当該業務にあたるケースが多い。
少子・高齢化への対応力を高めていくためには、年齢や性別などによらず誰もが制約なく働ける社会を構築し、これまで十分に活用されてこなかった高年齢層や給与所得者の配偶者などに対する雇用機会を拡大していく必要がある。
このため、女性や高年齢層の就労意欲を抑え、能力発揮の機会を阻んでいると考えられる法制度を雇用機会拡大の観点から見直していく一方で、育児負担の軽減、雇用形態の多様化などによって、こうした人々が働きやすい環境を整備していくことが重要である。
また、わが国企業が創造的な事業革新を実現していく上で、世界の優秀な人材の活用は不可欠であることから、外国人にとっても魅力的な環境づくりを進めていくことが求められる。
前述のような雇用・労働分野が抱える課題に対し、個人・企業のニーズ・意向を適切に反映していくためには、雇用・労働行政を巡る行政システムが「政策立案」「執行」「評価・見直し」の各段階で抱える、以下の問題点を解決する必要がある。