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1%クラブ10年の歩みと21世紀への展望

1%クラブニュース No.54(2000.8) 特集記事より

 1989年に個人会員からスタートした1%クラブは、翌1990年、豊田章一郎経団連副会長(当時)が代表世話人・会長に就任され、法人会員を含む「経団連1%クラブ」として正式に発足、今年で満10年を迎えました。
 去る5月末に行なわれた経団連定時総会で、1994年から6年間にわたり1%クラブ会長を務められた若原泰之氏(朝日生命保険(相)会長)がその任を終え、会長職を伊藤助成氏 (日本生命保険(相)会長)にバトンタッチされることになりました。
 今回の1%クラブニュースは、恒例のシリーズ「いま社会の一員として〜地域社会との共生をめざす企業と市民団体〜」を休載し、「経団連1%クラブの10年の歩みと新しい展望」の特集号としてお届けします。
 若原泰之氏が1%クラブ会長に就任された1994年は日本のバブル経済が崩壊し、社会をとりまく経済・社会環境や価値観が大きく変化した時代でもありました。企業のあり方や社会的意義について問われる中で、1995年1月17日に阪神・淡路大震災が勃発、大災害被災地を支援するボランティア活動の輪が大きく広がりました。1%クラブも法人会員の物的・人的支援、個人会員協力を得て、大阪ボランティア協会等による「応援する市民の会」と共に被災地支援を積極的に推進しました。大震災を契機とするボランティア活動の興隆が特定非営利活動促進法(NPO法)制定へと繋がり、新しい時代の社会づくりにむけて市民団体やNPO・NGOの活動も活発になっています。この1990年代、1%クラブ会長として企業・個人の社会貢献活動の推進にご尽力くださった若原泰之朝日生命会長に6年にわたる活動の軌跡と次代へ託す思いを語っていただきました。また、新たに1%クラブ会長に就任された伊藤助成日本生命会長には21世紀に向けての抱負や展望を伺い、旧新会長のメッセージを巻頭言としてまとめました。
 また、満10年を迎えた「1%クラブの歩み」を世界・日本の社会事象と1%クラブの活動を対比して眺める年表にまとめました。会員各位が、ご自身の活動の足跡と重ねあわせながら、21世紀への活動展開の一助としてご活用いただければ幸甚です。


若原泰之 1%クラブ前会長 インタビュー
実践の中で、理論構築を行なった私の6年間

企業とは社会的価値を増殖する資本体

 経団連1%クラブが正式発足した90年代初頭、国内外における企業行動の望ましいあり方として「共生」論が大きく取り上げられました。経団連会長平岩外四氏(当時)によって提唱されたものですが、企業のありようを財界自ら問う、画期的な提唱だったと思います。私は当時、平岩会長が新たに作られた「消費者・生活者委員会」の委員でした。ある時、月刊『Keidanren』の座談会で企業のあるべき新しい姿に話が及び、大学時代に習った企業形態論に一言足して「企業とは社会的価値の増殖を目的として運用される資本体である」と言い換えました。経団連会長に就任された豊田章一郎1%クラブ初代会長の後を受けて会長に選任されたきっかけには、この発言が影響したのかも知れません。就任は1994年の5月。1%クラブには10名の世話人がおられましたが、私は1%クラブ会長と同時に代表世話人に就任いたしました。

阪神大震災の被災地で、市民活動から感じたこと

 会長に就任して僅か半年を経過した1995年1月17日、あの阪神・淡路大震災が神戸を襲いました。当時は朝日生命の社長を務め、自社の現地視察の任務もあって震災直後に被災現場に飛びましたが、現地は想像以上の惨事。西宮北口までたどり着くのが限界でした。1%クラブでは震災2日後に大阪ボランティア協会などが立ちあげた「被災地の人々を応援する市民の会」の主旨に賛同、事務局は即刻現地に飛んで活動を開始していました。経団連1%クラブの呼びかけに呼応して法人会員企業も企業人もフルに活動を開始。企業は現地の要請に基づき必要な物的・人的支援を惜しみなく行なってくれました。1月25日に被災地のボランティア活動拠点を歩き回り支援対策を立てるべく「市民の会」事務所を訪れました。いわゆる市民団体・NPOの方々との触れ合いはこれが最初でしたが、その感動は大きかったですね。2月に入ってまもなく「応援する市民の会」の事務所は芦屋にある朝日生命の営業所に移転し、ボランティアの拠点として約2年間活用していただきました。当時1%クラブ事務局の中心メンバーは経団連社会貢献部の安斎さんと田代さんで、お二人は企業サイドとNPO・市民団体との間に立ち、明確なルールに基づく見事な協力体制を、まるで東京と現地神戸との二元中継のように、即決即断で作り上げてくれました。大震災に対する1%クラブの支援活動は、具体的な実践の中から帰納的に理論づくりをするという、経団連スタッフの力量に負うところが大きかったと今も感謝しています。行政による支援は点と点を繋いで線にするだけですが、それを面に拡げ迅速に行動できるのが市民団体です。これからの日本社会の進むべき姿だと強く実感しました。

厳しい経済環境下での企業の社会貢献

 会長に就任して間もなく、自社の組織改正を行ない「社会貢献室」を設置して企業の社会貢献活動を体制面でも強化しました。しかし時代はバブル崩壊あと。金融機関は厳しい経営環境にあり、寄付行為は思うにまかせない時代でした。企業のリストラが美徳のように喧伝され、それができない経営者は経営者にあらずといった風潮がありました。私は、人々に雇用の機会を増やし、社員の生活を豊かにするために英知を働かせ、努力するのが経営者だと思っています。日本社会はその時々の時流で変わり過ぎますね。「社会に対する貢献」についても経営責任として、大きな視点から考える姿勢が経営者に求められるのではないでしょうか。
 1%クラブ会長を務めるなかで私なりに考えたことは、ビジネスには「論理と倫理」が必要ということ。論理とは適正な収益をあげて株主には配当を従業員には雇用を確保することであり、一方の倫理とは法的責任をしっかりと遵守するコンプライアンスを根底に、社会的責任にも充分目配りすると共に、社会貢献活動に取り組むことです。このような経営論理と経営倫理をバランス良くしていくことが、これからの経営にとってますます大切になってくると思っています。
 世の中には寄付やボランティア活動・市民活動の重要性を訴えても通用しない人々も少なからずおられます。しかしその大切さや価値観の変化を少しずつでもどう説いていくのか。これが大変重要です。経団連の「企業行動憲章」に謳われている「良き企業市民」の考え方をさらに普及させ、21世紀に向けての長期ビジョンに掲げる「豊かで活力ある市民社会」や今井経団連会長の理念「自立・自助・自己責任」の意義を世の中にもっと広めていきたい。退任するにあたって是非皆さまに申し上げたい事柄です。

NPO法の制定にむけて

 NPO法案は1996年末に議員立法として国会に提出され、1998年3月に「特定非営利活動促進法(NPO法)」として衆議院で可決されました。阪神・淡路大震災の被災現場で市民団体の目覚しい活躍を見聞し、この姿こそ日本社会の進むべき方向と感じた私は、1%クラブ会長として法案の成立には積極的に取り組みました。1996年に「経団連NPO調査ミッション」の団長として、米国のNPOの現状や企業・行政との関係を調査する機会を得ました。これも法案の成立に取り組んだ大きな背景です。
 議員先生への陳情に何回も足を運びましたが、参考人として参議院の委員会で意見陳述もしました。参議院では長老格の政治家から「財界が何故、デモや反対運動をする市民団体を支援するのか」と質問や疑問が出されました。旧世代の政治家の中には市民によるデモや反対運動が強く印象に残っているのですね。日本では「市民活動」に対する独特のイメージがあり、「市民」という言葉に対するアレルギーが強いことを改めて思い知りました。日本社会を変えていくためには市民活動の振興がひとつの視点であり、法案通過には実力者である長老政治家への交渉と説得が必要でした。「特定非営利活動促進法」は98年12月に施行され、既に約2,200団体が法人格を得ています。NPO自身の着実な自助努力が社会を動かし、次の世紀には税制を含む社会システムの新たな変革と展開を期待しています。

寄付の文化を育てる社会システムの構築を

 「隠徳をもって尊しとなす」という東洋哲学がありますが、私は「陰徳」でなく「顕徳」をもって、としばしば話します。「徳」を自慢げに吹聴する意味ではなく良きことの結果を回りの人に知ってもらう。自分だけがいい気持ちにならず、影響力を周囲の人々に与えて、日本の社会全体に広げていくことが大切だと思うのです。市民活動も日本ではまだ途に就いたばかりで平坦な道のりではないかも知れません。NPOが世の中の変革にどう役立ったか、情報公開を常に心がけ周囲に知らせる努力も必要です。米国ではNPO担当補佐官が大統領に動静を報告していると言います。政治を動かす力になっている証ですね。
 日本社会に寄付の文化を育てるシステム、仕組みに欠かせないのが税制です。国政に関わる大きな問題ですが、政府の施策の中に市民活動が重要案件として位置づけられてくれば、税制も変わってくると思います。NPO支援税制を日本の租税体系の中でウエイトを高めていく。これが次の実践でしょう。
 私の時代は企業のあるべき姿を問うことから始まり、阪神・淡路大震災を契機に、実践の中から企業の社会的意義や役割について理論づくりを図ってきた6年でした。1%クラブ会長のバトンを渡す伊藤助成氏の役割の方が更に重要であり、私の時代より難しいかも知れません。しかし時代の転換期には、大きな変革が起こり新しい社会が生まれる可能性を秘めています。古い日本社会の仕組みやシステムが新しい時代に即した制度となり、活力ある市民社会が生まれることを念願しています。


伊藤助成 1%クラブ会長 新任の抱負
活力ある日本社会をつくるために

 去る7月25日に開催された1%クラブ世話人会において、伊藤助成日本生命会長が新しく1%クラブ会長に就任されました。伊藤氏は秋田県のご出身。1989年に同社代表取締役社長に、1997年から同会長に就任されています。1994年から’99年まで経団連副会長を、その後は評議員会副議長として尽力され、1998年からは政府の経済審議会委員としてもご活躍です。1%クラブでは世話人会が発足した当初からの世話人であり、1%クラブニュース31号(1996年10月発行)のトップインタビューにもご登場いただきました。今回は1%クラブ新会長として、日頃のお考えや新任の抱負を語っていただきました。

活力ある日本社会をつくるために

 日本は今、大きな変わり目にきていると思います。バブル崩壊後の90年代を評して「空白の10年」と表現する人もありますが、私は「ドック入りの10年」と考えたい。つまり、官主導による計画経済に守られた体制に歪みが生じて、さまざまな制度疲労がでてきた結果、10年の休養をとることになった。しかし、そろそろ目が覚めてもよい時期ではないでしょうか。規制緩和による変革を恐れず、元気を出してチャレンジしていかなくてはいけない。そして、活力ある日本社会をつくるための最大の課題は、社会全体がその決意を持って行動すること。それには次の3つの要素が基盤になると考えています。

1) 高齢社会を夢ある長寿社会に

 高齢社会の到来はマイナスイメージで捉えられがちですが、私どものニッセイ基礎研究所の推計によりますと、2020年に3,100万人になろうとする高齢者のうち約6割、1,900万人が健康面、経済面で元気なお年寄りです。これらの高齢者たちはそれなりの資産があり、豊かな経験と知恵、時間的なゆとりもあります。この元気印の高齢者が誇りを持って積極的に持てる力を発揮する。若い人々も高齢者に負けずに元気をだし、相互に助け合う「夢ある長寿社会」を作ることが大切です。

2) コミュニティの再構築

 もう1つは、高度成長期の過程で崩壊した地域社会の再構築です。都市部の人口集中、移動が激しくなって、隣人がどういう人かわからないこともある。そのことに対する反省が必要だろうと思います。ただ、心強いことに、暮らしやすい地域づくりの気運も芽生えつつあるようです。介護保険が大きな流れをつくる契機になるかも知れません。今後は介護の充実した自治体に住もうという人々も増えてくるのではないでしょうか。自治体と住民が一体となって「誇れる地域社会を再構築」する。これも重要な基盤です。

3) 生命を育む自然環境を守る

 地球規模の話になりますが、50年前には25億人だった世界人口は今や60億人を超え、これからの50年で30億人増加するそうです。食糧やエネルギーは科学技術の進歩である程度補えるとしても、環境汚染は人類にとって深刻な問題です。豊かな自然を守る環境保全への関心と努力が、国際的に極めて重要な課題になると考えます。私ども日本生命が、「ニッセイ緑の財団」を設立し、「ニッセイ100万本の植樹運動」を始めて今年で8年になりました。現在、累計83万本に至っており、あと2年で100万本の目標を達成します。豊かな自然環境を守る活動が、各地域の活性化に役立てばと願っています。

社会貢献活動の原点とは

 「民主主義」と「市場経済」は、望ましい理念だとよく言われますが、本来、民主主義は一人一票の平等社会であり、市場経済は能力あるものが相応しい報酬を得る、ある意味で不平等な社会といえます。もともと異なった原理なのですが、社会の元気・活力を維持するためには、この二つをどう調和させるかが大切なのです。米国では、成功し資産を築いた者が、多大な寄付をしますね。そういう形で調和が図られているのです。個人はどんどん働き、収入を得て、企業は一生懸命良い商品・サービスをだして、収益を上げる。そして社会貢献を行なう。民間による一種の所得再配分と言えますが、NPO活動が大切になってくる原点もそこにあるのではないかと考えています。

社会の一員としての自覚をもって

 企業は社会の一員であり、その中で守られ発展していくものです。経営者はここをよく意識する必要があります。厳しい経済環境下で社会貢献活動を継続するには、それを守ろうとする強い決意が必要であり、企業としてのあり様が問われます。社会貢献活動を維持・発展させるという経営者の決意が無いとできません。また日本には、個人が社会の一員として役割を果たす余地がまだまだあると思います。個人の社会貢献の幅を広げ、参加しやすくする新しい社会システムの構築をと考えています。

(取材・文責 青木孝子)

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