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「活力と魅力溢れる日本をめざして」

時事通信社「内外情勢調査会」における奥田会長講演
2003年1月20日(月)

1.はじめに

ただいまご紹介いただきました、日本経団連の奥田でございます。内外情勢調査会にお招きいただきまして、誠に光栄に存じております。
本日、私がお話し申し上げますテーマは「活力と魅力溢れる日本」をどのようにして実現するか、ということであります。これは、日本経団連が本年元旦に発表いたしました、新ビジョンのタイトルでございまして、今日は、このビジョンに盛り込んだ内容に沿いながらお話し申し上げて参りたいと存じます。
私自身も、1998年、小渕政権の下での経済戦略会議のメンバーとして、いわゆる樋口レポートのとりまとめに参画いたしましたが、率直に申しまして、その後、「いったい何が変わったのだろうか」と考え込まざるを得ないのが、現在の状況であります。
これまで示された改革提案は、いずれも的を射た内容でございました。しかし、その後日本の経済社会は良くなるどころか、むしろ悪い方向に向かっております。こうした改革提案でまともに実現されていることは、極めて少ないのではないかと存じます。
その理由を私なりに考えますと、結局のところ、国民が支持し共有できる、明確なビジョンがない、ということではないか。そのために、個々の改革が体系化されることなしに、いつの間にか既得権を手放そうとしない、官僚や政治家、そして時には既得権益に守られた人たちの手によって、改革が先送りにされたり、骨抜きにされたりしている、ということがあるのではないかと思います。
そこで、純粋に民間の立場から、なぜ改革が実行できないのか、どうすれば改革を実行できるのか、という視点を重視しながらとりまとめたのが、今回の新ビジョンです。2025年度の日本の姿を念頭において、展望や価値観、行動規範を示すとともに、これまでタブーとされ、考えていてもなかなか皆口に出せなかった課題もとりあげております。

2.基本理念

私は、昨年5月の日本経団連総会におきまして、「多様な価値観が生むダイナミズムと創造」、そしてそれを支える「共感と信頼」を基本的な理念として活動して参りたいと申し上げました。
新しいビジョンでは、この考え方をベースといたしまして、国民が新しいかたちの成長や豊かさを実感でき、また世界の人々からも「行ってみたい、住んでみたい、働いてみたい、投資してみたい」と思われるような「活力と魅力溢れる日本」に再生していくために必要な具体的な提案と、日本経団連の行動方針を示したわけであります。
これは、企業や個人がそれぞれ異なる目標を持っていても、お互いの共感と信頼をベースにして、経済社会の発展に貢献していくという、多様性のダイナミズムを重視するということでございます。
本日は、「日本は今どのような状況にあるのか」「21世紀日本はどのような国のかたちをめざすべきか」「改革を実現するために、政治との関係を中心に、日本経団連自らに必要な行動方針とは何か」の3つに分けてお話しを進めて参りたいと存じます。

3.厳しい現実を踏まえ、新しい目標を

まず、日本の現状でございますが、何と申しましても経済の実態が先進国の中でも飛び抜けて悪いということは否めないように思います。
バブルの発生と崩壊、冷戦構造の崩壊から引き続く大競争時代の到来など、日本経済を取り巻く環境は、この十数年の間に大きく変化いたしました。これに加えまして、本年は、米国経済や、イラク情勢、北朝鮮など、国際情勢の帰趨次第でどのような状況になるのか予想できず、非常に不透明感が国中を覆っております。
こうした中で、日本は、これまでの右肩上がりの経済に慣れきってしまい、低成長、あるいはマイナス成長という厳しい現実を受け止めることができないまま、むしろあえてその現実から目を背け、手をこまねいていると言うことができます。
新年早々、大変悲嘆的なことばかり申し上げてしまいましたが、それが日本の現実であります。しかし、私は、日本企業、あるいは日本人そのものが病んでいると申し上げているわけではございません。
決して規模は大きくないけれども、独創的なアイデアを駆使して、世界で大きなシェアを占めているような中小企業は数多くございます。またノーベル化学賞を受賞された田中耕一さんのような頼もしい若い企業人も現れております。
さらに、最近の若者の間では、自分の価値観にあったモノやサービスを求め、他人とは違う生き方を求める。そして他人の価値観を尊重するが、決して真似はしない。そうした多様な価値観をもった若者がどんどん出てきております。そうした時代だからこそ、「多様性」ということが日本の新しい発展の大きな要素になってくるのであります。
若い世代に限らず、国民の各層、各世代の人々が、それぞれの、しっかりとした価値観をもち、自分の個性を活かして生きていけるようにする、そうした多様性のエネルギーあるいはダイナミズムが発揮されるような経済社会をつくっていくことが必要であります。
高度成長時代には、「カラーテレビを買いたい」あるいは「車を買いたい」といった、目に見える、わかりやすい目標がありましたが、もはやそのようなものが見つけにくい時代になったのは事実であります。
むしろそういうものだけ追い求めているようでは、本当に豊かな人生を楽しむことはできないのであります。実は、私もそうなのですが、ゴルフでも、昔はあそこまで飛んだから、今でも飛ぶはずだと思って、クラブをむやみに振り回したり、新しいクラブを買ったりしてしまうなど、現実を無視したことをしてしまいます。
しかし、自分の年齢や体力なりに、もう一度、新しいゴルフの楽しみ方を考えてみるということも、今後は必要ではないかと思うわけであります。今、盛んにスイッチしているところであります。
国民一人ひとりが新しい目標に向けて努力し、それが実を結べば、それが必ずや日本が活力と魅力を取り戻すエネルギーになると思います。
経済大国となりまして、取り巻く環境が大きく変わった日本、あるいは日本人は、新たな目標に向かって歩み出さなければならないと言うことであろうと思います。

4.民主導・自律型システムが新しい成長をつくる

それでは、一体日本はどのような国をめざすべきでしょうか。
まず、日本が直面する最大の課題は、少子化・高齢化への対応であります。
残念なことに、これまで講じられてきた少子化対策では、出生率の低下にはなかなか歯止めをかけられておりません。しかし、これまでのところ、厳しい現実を直視した社会保障制度の抜本的な改革はなされておりません。厚生労働省の推計によりますと、昨年の出生数は過去最低を更新するそうです。2002年に公表された「人口推計結果」の低位推計をとりますと、15歳から64歳までのいわゆる生産年齢人口は、2025年には2000年の83%、2050年には56%にまで減少するということが予想されております。これは、現在、働く者3.5人で1人の高齢者を支えていたものが、2025年には2人で、2050年には1.5人で1人の高齢者を支えなければならなくなるということであります。
これでは、これから高齢者となる人も、働き盛りを迎える人も、将来に対して不安を抱いてしまうのは当然のことでありますし、それが消費の低迷を招いている原因の1つではないでしょうか。
一刻も早く、持続可能な経済、財政、社会保障のグランドデザインを描き、新しい安定的な制度を確立する必要があります。新ビジョンでは、高齢化がピークを迎える2025年度の姿を示すために、大胆なシミュレーションを行いました。
その結果は、少子化・高齢化が進んでも、これに対応した社会保障制度や財政構造などの改革にしっかりと取り組んでいけば、2025年度までに、年平均名目3%、実質2%程度の経済成長を実現できる、というものであります。
その際、重要なことは、まずは公共事業を含め、聖域なしに歳出を削減することであります。
その上で、社会保障の給付水準などを引き下げていくことになりますが、減少する就業人口を補うために、女性や高齢者、あるいは外国人も積極的にその能力を活用し、さらに出生率を高めるために、仕事と子育てを両立できるような環境を整備するなど、あらゆる手立てをし尽くしたとしても、日本の人口構成上、社会保障費は増え続けて参ります。
現在、年金、医療の給付総額は、約70兆円ですが、これまでくり返されてきた小手先の改革では、2025年度には、その2倍の140兆円を超えることになります。それを今のままの所得税や社会保険料で賄うことに無理があることは、火を見るより明らかでございます。
高齢化の進展によって、負担増が避けられない部分については、全世代が公平に負担していく、という考え方が必要であります。
そうした観点から、税体系そのものを「薄く広く」を原則として改革すること、基幹的な税目として消費税を位置づけることが求められます。
それらを通じて、社会保障財源が安定化することにより、老後、一定額の給付は受けられるという安心感も国民の間に芽生えてくると思います。私どもの試算によれば、消費税率を2004年度から毎年1%ずつ引き上げ、同時に給付水準の見直しを行っていけば、2025年時点での消費税率は16%に抑えられます。
また、2025年までに就業者数は約610万人減少すると言われておりますが、これを女性や高齢者、外国人の活用も含め、種々の施策によって補いますと、消費税率を10%にとどめることができ、成長率も、名目で4%近く、実質でも2.6%まで上昇いたします。
しかし、この消費税率の引き上げの提案に対して、マスコミをはじめ様々な意見が寄せられております。その中には、「消費税が上がれば消費は冷え込むのではないか」という声が一番多いわけであります。
確かに、一挙に消費税率を引き上げれば、大きな駆け込み需要が発生し、その後、一気に消費が冷え込むという事態が生ずる可能性がありますが、「毎年1%ずつの引き上げであれば、さほど消費への影響はなかろう」という見方もございます。
新ビジョンでは、1年に1%ずつ、緩やかに引き上げていくこと、そして複数税率を導入すること、すなわち日用品や生活必需品と、そうでないものに税率の格差をつけることなどを提案しております。このような方法をとり、あわせて社会保障制度に対する信頼感を取り戻すことができるならば、消費への影響もやわらげることができると思います。
ヨーロッパ諸国などを見てみますと、どこも消費税は15〜25%であり、スウェーデンのように税率25%でも経済の活力を発揮している国もあります。複数税率の導入など、メリハリをつけた形であれば、消費者は自らの選択を通じて、納税の選択ができるようになるわけです。
一所懸命働いて得た所得に一方的に課税、徴収される所得税より、国民の皆さんも納得していただけるのではないか、税の直間比率を是正するというのは、そういうことではないかと思います。

5.成長の源泉はどこに求めるのか

それでは、今申し上げたような成長の源泉をどこに求めるべきであるか。今や人、モノ、カネ、情報が極めて速いスピードでボーダレスに行き交う時代であります。国や地域という垣根にとらわれていては、企業も国も成長できません。これからは、日本を世界の中の“one of them”として捉え、世界を相手にするという考え方を、これまで以上に強く持たなければならないと思います。
たとえば、いわゆる「勝ち組」といわれている企業は、ほとんどが多国籍企業であり、そうした企業の市場は全世界であります。したがって、国全体の経済も国境を越え、連結経営的に捉えていくという考え方が必要になって参ります。
具体的に申しますと、日本企業の対外直接投資から生じる収益、特許料などの技術料収入を日本国内の経済活動の環の中で捉え、先進的な技術革新に結びつけていくということでございます。
これをビジョンでは「MADE “BY” JAPAN戦略」と呼んでおりますが、日本は世界の力を最大限活用し、科学技術創造立国として、また世界のフロントランナーとして、新技術や新製品を開発し、世界に発信していくことが求められます。
まずは企業が、世界の消費者が買いたいと感じるような財、サービスをつくり出す、そしてそのために、技術革新を促進することが必要であります。「MADE “BY” JAPAN戦略」では、産と学、すなわち企業と大学が相互に協力して新技術の産業化を進めることを提案しております。
そのため、大学に競争原理を導入するとともに、内外の企業が日本国内でリスクに挑戦できるよう、法人税率の大幅な引き下げを求めております。
「消費税を上げて法人税を下げる。これは、企業エゴではないか」との声も聞こえて参ります。
しかし、企業は事業環境の悪い国からは逃げ出してしまいます。それがグローバル競争というものだと思います。企業が強くならなれば、個人の生活も、日本の経済も決して良くはならないわけであります。
法人税率を思い切って大幅に引き下げることにより、国内の事業を活性化させる。その果実は、国内の投資家に対しては配当というかたちで、また従業員、消費者に対しては賞与や賃金、雇用というかたちで還元され、それが再び新規の設備投資あるいは消費に振り向けられ、好循環を生み出していくのであります。

成長の源泉の2つ目は、日本企業の強みである環境技術で世界をリードしていくことでございます。
今や日本の省エネルギー・省資源への取り組みは、世界最高の水準にあります。これは、日本が資源小国というハンディがあったという現実の中から培われたものでありますが、日本の省エネルギー・省資源の技術やビジネスモデル、あるいはノウハウは、まさしく世界の最先端を走っていると自負しても良いのではないかと思います。
例えば、最近、温暖化対策の切り札の1つとして燃料電池の実用化が期待されております。これまでのところ、燃料電池のクルマが注目されておりますが、実は、家庭レベルの小型燃料電池を取り入れた分散型電源もすでに実用化の域に達しており、私たちの生活が大きく変わる時代が目前に迫ってきております。
日本は、こうした環境技術を世界に積極的に発信し、グローバルスタンダード化していく。同時に、世界の環境保全に貢献していくという戦略を持つ必要があります。

新たな成長の源泉の3つ目は、人々の満足度を高める都市・居住環境の整備でございます。
日本は、世界有数の経済大国になったとは言え、住環境は欧米諸国に比べますと、まだまだ見劣りがします。
貧しい住環境に甘んずる中では、豊かな発想も生まれませんし、国や社会の将来について考えるような高い志など決して望めないのではないか。私は、常々、そのように感じているのであります。
特に30代、40代の働き盛り、第一線で頑張らなくてはいけない時に、広くて良い家に住めず、子ども達が独立して、経済的に余裕も出てきた。部屋数がいらなくなったので、やっと“広い家”に住めるようになる。これは何ともおかしな現実であります。父親も勉強しなくてはいけませんから、自分の書斎くらいは欲しい。家族の団欒も、夫婦の会話も必要です。そういうことが十分にできる場としての住宅をベースに、家庭を築き上げる必要があります。
新ビジョンでは、住宅取得支援税制の抜本改革を行い、30代、40代でも、家族一人ひとりが部屋をもち、リビングルームがあって、そこに家族が時々集まって団欒し、心の交流ができるような住宅を手に入れることができるようにする必要があると訴えております。
さらに、成長の源泉として、「都市」を忘れてはならないと思います。ご存知の通り、今年は丁度、徳川家康が1603(慶長8)年2月、江戸に幕府を開設してから四百年目にあたります。昨年、東京駅前に新しい丸ビルが完成したのをはじめ、東京では汐留、日本橋、六本木六丁目など再開発が進行しており、東京は開府四百年を機に、都市づくりの新たな歴史を刻もうとしております。
一方で、オフィスビルが供給過剰になる「2003年問題」が囁かれておりますが、リスクを伴わないプロジェクトには、大きなリターンも決して生まれません。地方を含め、企業が創意工夫を活かした都市開発を行い、それによって都市が生まれ変わり、内外から訪れる人たちに都市再生の成果を肌で感じることができるようになる、という好循環を期待しております。そのためにも、現在、国が進めている構造改革特区と都市再生を重ね合わせる、総合的な取り組みが必須となります。

6.個人の力を活かす社会を実現する

以上、経済について申し上げて参りました。次に、日本がめざすべき社会の姿として、「自立した個人の力を活かす社会」ということについてお話したいと存じます。
これまで戦後の日本におきまして、人々は画一的で横並びの生き方が高度成長のエネルギーになってきたわけですが、これからは、自立した個人の多様な価値観、多様な働き方、多様な生き方を力にする社会を実現していくことが重要となります。
20世紀の日本は、池田内閣の「国民所得倍増計画」(1960年)のように、経済発展の目標を量的に明確にし、欧米へのキャッチアップへの道をひたすら走って参りました。これは、いわば国が公の領域を明確に規定し、隅々まで神経を行き届かせて統治するやり方で、ある意味、「日本が最も優れた社会主義国家だ」などの指摘を受ける所以であります。
新ビジョンでは、自立した個人を中心とした「多様性のダイナミズム」を重視する社会に転換していくことをかかげておりますが、これは、悪しき個人主義、すなわち自分勝手や他人への無関心を許すということではございません。
大切なことは、個人がそれぞれの生き方を求めながら、同時に「社会全体の役に立つ」という心を持つべきだということであります。
そうなりますと、これまでの官と民、あるいは国と地方の関係も大きく変わって参ります。基本は民主導・自律型の経済社会をつくり上げることでありますが、地域の人々が主体となって新しい豊かさをつくり出し、また発信していくことが求められます。
そこで新ビジョンでは、「州制」の導入を提案しております。全国を5〜10の州に分け、広域的な力強い地域の行政体が切磋琢磨しあうというシナリオであります。
この州制のもとでは、いったん国に財源を集めてから地方に配分するという、現行の地方交付税交付金や国庫補助金は廃止されることになります。中央政府と州政府が、たとえば所得税や法人税、消費税などの税を共同で徴収し、双方が合意した上で配分するという仕組みを導入してはどうかと考えております。
これにより、地域は、必要な財源を十分確保することができるようになり、自らの判断で、産業振興やインフラの整備などを行うことができるようになります。また、この州制が実現すれば、国会議員や国の官僚は、国益を重視した仕事に専念できるようになります。
さらに、地域において、生活者に近いところ、すなわち需要サイドの声を活かした行政が実現できるというメリットも出て参りました。
民が公を担うという課題を、企業活動という面で考えてみますと、コーポレート・ガバナンスの確立が極めて大切になります。企業は今後、従来以上に、多様なステークホルダーズに対する配慮、関心をもって経営を行っていかなければなりません。
「自立した個人」を中心とした社会において、個人は、多様な職業能力を発揮する場としての「労働市場」、投資家としての「資本市場」、厳しい評価眼をもつ顧客としての「製品・サービス市場」、そしてNPO、NGOの一員としての「コミュニティ・市民社会」、という4つの市場・コミュニティの中で生きることになります。
企業もこれらを視野に入れ、信頼を基本にして、個人のエネルギーを活かせる事業活動を行っていく必要があります。
しかしながら、昨年は、残念なことに、企業の不祥事が続いたわけでありますが、なぜこのようなことになってしまったのかが、大きな問題であります。
私は、これは、結局のところ、企業活動を担っている、エリートと呼ばれる人たちの問題ということになるのではないかと感じております。こういう人たちの知識の偏差値は非常に高いのですが、個人としてどうなのか、いわば「心の偏差値」あるいは「人生の偏差値」ということになるとどうなのか、ということをしばしば考えるわけであります。単に知識を詰め込んで、一流大学を卒業し、一流企業に入る。この間、挫折ということを知らずに、いってみれば“純粋培養的に”育って来てしまった。その結果、他人の痛みが分からない、思いやりに欠けた人間になってしまう。そういう人がこの頃とても多いのではないかと思うのであります。
そういうエリートたちが企業や国の中心を占めるようになりますと、人間関係や組織もおかしくなって来てしまうのではないかという気がいたします。
企業人には、豊かな人生経験に基づき、高い倫理観や責任感、コミュニケーション能力、幅広い教養、構想力や決断力といったものが求められていると考えております。そうした人材が溢れる企業が業績を伸ばすだけでなく、社会の評価を得ていくことになるのだと思います。
私は、企業人のみならず、国民全体の意識も転換が必要になっていると考えております。日本人は、戦後50年の間に、物質的には欧米に追い着くことに注力し、実際、追い着いてしまった。その間に、右肩上がりの経済を、当然のことと受け止めるようになってしまいました。しかし、現実は、長期の経済低迷です。その中で、日本人は自信を失い、心までも失ってしまったように思います。
時代の変化とともに、我々は、もっと精神的な豊かさというものを追求していくべきではないか。そうした認識の下、新ビジョンでは、「学校教育を受ける」「仕事に就く」「結婚する」「子どもを産み育てる」といった人生の節目節目において、一人ひとりが多様な選択を通じて新しい挑戦を行える、精神的な豊かさが実感できるようにすることを求めております。
その際、重要なことは、結果の平等を求めないことであります。すべての人に公平なチャンスを与え、それぞれの選択に委ねた結果は、選択した本人がきちんと受け止める。たとえ失敗したとしても、再挑戦を可能とする社会としていく必要があります。
例えば、教育に関して申し上げれば、これまで公立学校に通う生徒は、学区制のもと、否応なしに通う学校が決められ、保護者や生徒には学校を選ぶ権利がなかったわけであります。
しかし、最近では、学区を弾力化する地方自治体も出始めており、少しずつ選択の余地も拡がりつつあります。こうした取り組みを積極的に進め、学区制そのものも思い切って撤廃しても良いのではないかと思います。
本人がより良い教育を求めて、希望すれば北海道から沖縄まで全国のどこの学校にも通うことができるようになれば、学校間の競争意識も芽生え、努力した学校や教師の下に生徒が集まり、努力しないところは自ずと淘汰されていきます。公立学校における教育の中で、しっかりとした人間をつくり上げるようにしていくことが大切であり、塾に依存しすぎている現状を何とか変えられればと思っております。
働き方につきましても、「大学進学から就職へ」「新卒採用から長期雇用」という画一的な価値観にとらわれることなく、個人の意志や能力によって、多様な選択肢の中から、自分にあった働き方を選び、また生涯を通じてトータルなキャリアを形成していく時代になりつつあるものと存じます。
もちろん、その中で、女性にとって、出産や子育てが仕事に不利にならないような環境を整えておく必要があります。
日本の県庁所在地の出生率と働く女性の往復通勤時間の関係をみますと、職場と住まいが近接している都市は出生率が高く、離れている都市は出生率が極めて低くなっており、職住近接の重要性が指摘されております。
また、女性が働いている家庭では、日中子どもの世話は、保育所と並んで、保護者の両親が面倒をみているケースが大半であるそうです。職場、住まいに加えて、老人が集う場や保育所も近接した街づくりを進めていくことも効果的ではないかと思います。
さらに、人生の最終局面である「最期の迎え方」についても、平均寿命が長くなると、寝たきりになっても植物状態になっても、尚且つ医学の進歩によって生き続ける人々が増えて参りますが、これが望んだ最期の姿なのか、と思うと、何ともいたたまれないものがございます。そう考えますと、一人ひとりが確固たる死生観を確立する中で、いくつかの選択肢が必要となって参ります。
実は私は尊厳死協会に入っておりますが、こうした選択肢のひとつとして、尊厳死を法的に位置づけることもこれからの課題になってくるものと存じます。
さらに多様性の観点からは、外国人の受け入れの問題を真剣に考える必要がございます。専門的・技術的分野については、日本国内での就労が既に認められておりますが、例えば外国人医師による日本国内での診療などは制限されているなどの実態があり、社会のニーズから見ると、まだまだ門戸は十分に開かれているとは言い難い状況でございます。弁護士、会計士、医師など海外の資格を二国間、地域間で相互認証すれば、人材の柔軟な活用が進むことが期待できます。
また、製造の現場や看護など幅広い職種に就く外国人については、不法滞在者の摘発と排除をしっかりと行い、透明で安定した制度の下で受け入れるシステムを構築していくことを、真剣に考える必要がございます。
この点、興味深いのが、台湾のケースでございます。台湾は、タイ、インドネシア、フィリピンなどと二国間協定を結び、幅広い職種に就く外国人を受け入れておりますが、厳格に制度を運用していることで、台湾人の職場が外国人に奪われたり、不法滞在者が増大するようなことにはなっていないと聞いております。日本でも、こうした事例を参考に、外国人の本格的な受け入れの方法について、本格的な議論を始めるべきであり、日本経団連でも、今回のビジョンの主張に基づいて、外国人の受け入れ拡大について、何らかの検討組織を設けようと考えているところであります。

7.東アジアの連携を強化しグローバル競争に挑む

最後に、国際関係の分野について申し上げたいと存じます。何と申しましても、21世紀の世界を語るうえでは、中国の存在を意識せざるを得ません。とりわけ、その無尽蔵で、レベルは高く、コストは低い人的資源の存在は、日本だけでなく、全世界にさまざまな影響を与えることになります。
したがいまして、日本としても、中国が何をしようとしているのか、どこに向かって行くのかということを、注意深く見つめ、理解する必要があります。
日本は、このままでは発展する中国に呑み込まれてしまうのではないか、という不安も過ぎりますが、そうならないためには、これまで申し上げたように、日本独自の成長戦略を考え、それを実行に移していくということが何よりも重要になって参ります。
そしてより重要なことは、中国を含め、「東アジアの連携を強化しグローバル競争に挑む」という戦略を日本自身がイニシアティブをとって進めていくこと、であります。
もちろん、全世界に対して日本自身を開いていくという姿勢と取り組みが、その前提となりますが、既に日本が事実上、経済的に強く結びついている東アジア諸国と手を取り合って「自由経済圏」を構築し、米州、欧州とともに、世界の重要な三極の1つを形成していく、という戦略であります。
日本は、幕末と終戦の二度にわたり、外国からの圧力によって開国いたしました。しかし今求められているのは、自らの意志で第三の開国を行うことであります。
欧州各国は、政治のリーダーシップのもと、大胆な戦略と不断の努力で、その実現に努めて参りました。その努力が結実し、今日のEUの誕生につながったのであります。
1992年当時の市場統合は、モノ、サービス、ヒト、カネの域内での自由な移動を目標としておりました。しかし、その後の情報革命の進展を考えれば、ハード面ではブロードバンド網など情報インフラを整備していくこと、またソフト面では知的財産の保護・強化などコンテンツを充実していくことなど、情報面の自由化も重要となります。
また、自由経済圏が円滑に運営されるよう、地域インフラの共同整備やアジア通貨基金の創設といった域内協力を進めていくことも不可欠であります。さらに、地球環境問題など、東アジアが直面するグローバルな問題を共同で解決していくための協力体制を整備していくことも求められております。
幸い、今年は「日本ASEAN交流年」にあたり、様々な行事が予定されておりますので、東アジア地域の自由経済圏形成へのモメンタムを高めていく、絶好のチャンスになるものと期待しております。

8.改革を実現するために

以上、経済、社会、国際の各分野における改革提案についてお話いたしました。これらを実現するためには、言いっぱなしではなく、日本経団連自らが行動し、改革に向けた民の動きをリードしていくことが求められます。
また、ビジョンに盛り込んだ改革は、どれひとつとっても、政治のリーダーシップ抜きには実現されません。このため、政治に対しても、あるときには対立し、あるときには協力するという、緊張感のある新たな関係を構築し、改革を実現していきたいと考えております。詳しくは、新ビジョンをお読みいただきたいと思いますが、今後、こうした考え方に立って、具体的な取り組みを進めて参りたいと考えております。

9.おわりに

いずれにいたしましても、本年は、日本経済にとりまして、再生に向け正念場を迎える厳しい一年になるものと存じます。
最近、日本人の間には、「癒し」という言葉があちこちで聞かれます。しかし、今の日本の状況というものは、とても「癒されたい」などといったことを言っている場合ではないと思います。「いま今改革を断行しなければ、日本の新しい発展はない」という危機意識を持ち、それを力に変えて、それぞれ行動してもらいたいというのが、私の願いであります。
日本という船が動力と舵を取り戻すには、一つひとつの企業、国民一人ひとりの力が必要であります。
日本人の能力を信じ、力を合わせて、日本の新しい未来を切り拓いていくことを願って、私の話を終わらせていただきたいと存じます。
ご清聴、ありがとうございました。

以 上

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