アジアにおいて求められる人材マネジメント

〜 働きがいのある企業であるために 〜

2008年7月15日
(社)日本経済団体連合会

1.はじめに(問題意識・前提)

経済のグローバル化に伴って、日本企業の海外進出が活発化している。地理的に近く、また今後の市場として有望なアジアには、とりわけ多くの企業が進出しており、地元企業や欧米企業に伍して厳しい競争が展開されている。経営要素には、ヒト・モノ・カネ・情報などがあるが、本報告書は、特にヒトの面から、アジアにおける厳しい競争を勝ち抜くために、日本企業にはどのような現地社員のマネジメントが求められるかについて検討しようというものである。

競争力強化に資する人材マネジメント戦略を築くことは勿論であるが、世界的なCSR(企業の社会的責任)への関心の高まりに伴い、ステークホルダーとしての社員の期待に応え、社員が活き活きと創造的に働ける環境を整備していくことも欠かせない。この2つを両立させ、単に企業の人事労務管理の視点だけではなく、社員が考える働きがいという視点も取り入れ、企業と社員の両者がwin-winの関係になる人材マネジメントのあり方を探っていく。

アジアを舞台とした人材マネジメントを検討するものであるが、人材マネジメントの本質には、アジア向けや、欧米向けなどといった違いはないかもしれない。違いがあるとすれば、人材マネジメントを受け入れる側の、経営インフラの成熟度の違いといったものであろう。したがって、日本企業の人材マネジメント戦略として、単にアジア向けということではなく、最終的にはグローバルにつながるものを目指し、その出発点として、アジアでの人材マネジメントを考えてみたい。

アジアに焦点を当てるとしても、アジアは地理的に広大であり、また民族、宗教、文化、政治・経済体制、経済の発展度合い等、実に多様である。そのような地域の広がりや多様性を認識しつつも、ここでは個々の国の人材マネジメントを検討するのではなく、アジア地域の共通項を念頭に置きながら検討を行うこととする。

検討の対象としては、ブルーカラー層も意識しながら、主に経営管理を担うホワイトカラー層とする。

2.アジアにおける日本企業の経営課題

(1)グローバルネットワークにおける経営の自立化

経済のグローバル化は、世界各地に拠点を持つ日本企業の生産・物流システムに大きな変化をもたらしている。本社を含む、各地の拠点間の関係は、かつての南北の垂直分業から、個々のモジュール(製品などの構成要素)をつなぐ、グローバルな規模のフラットなネットワークに変わってきている。

このグローバルネットワーク化を背景に、それぞれの製造・販売拠点は、ネットワークの一部としてその固有の役割を果たす一方で、従来の本社−現地拠点という縦の関係が変化して権限委譲が進められており、その結果、自立した事業拠点であることが求められている。すなわち、フラット化したグローバルネットワークの中で、各拠点が本社等から支援を受けず自立的に事業運営できることが求められる。各拠点が経営上自立した存在であるためには、資本・技術・ブランド・経営ノウハウ等について、独自の蓄積が必要であり、そのためには現地に根ざした経営が前提になる。

このような経営への要請は、人材マネジメントにも課題を投げかけている。現地に根ざした経営を主に担っていくべきは、どのような人材かという問題である。スタッフの数の制約や現地への理解の深さを考慮すれば、第一に考えられるのは、日本人駐在員・派遣者、あるいは第三国の社員ではなく、現地社員である。こうして、現地の優秀な人材をストックしていくこと、すなわち現地優秀人材の採用・育成・定着が人材マネジメント上の大きな課題となっている。

このような中で、特にアジアにおいてはどのようなことが課題になっているのだろうか。

(2)アジアの位置づけの変化 − 生産基地から消費市場へ

従来、日本企業がアジアに進出した最大の理由は、生産基地としての労務コストの低廉化であった。

近年では、アジア各国は生産基地としての位置づけは維持しつつも、中国に見られるように、消費市場としてクローズアップされるようになっている。日本国内市場が成熟し、今後の大きな成長が期待しにくい中、アジア市場でシェアを握ることが、企業の成長の可否を握るようになった。また、生産基地という点でも、比較的付加価値の低い製品は、中国等の追い上げもあって競争条件が厳しくなっており、日本企業としては、より付加価値の高い製品を生産・販売しないことには採算が取れにくくなっている。

生産基地であれば、人材マネジメントの中心は日常的な賃金や労働時間の管理である。この場合には、日本からの駐在員・派遣者、あるいは第三国の社員を中心とした対応で可能であった。しかし、消費市場対応となると、現地の市場を熟知した上で製品やサービスを開発することが求められ、このためには日本からの駐在員・派遣者、第三国出身の社員などによる対応よりも、現地高度人材による対応が必要になってくる。そこで、現地高度人材の需要が高まっている。 付加価値の高い製品を生産・販売するという点においても、従来よりも高度な専門知識などを持った人材が求められるようになっているのである。

3.アジアにおける「働きがいのある企業」をめざして

(1)アジアの日本企業の人事労務課題

  1. <1> アジアの人材インフラ
    アジアにおいては、学校教育を含めて、必ずしも教育訓練の機会が豊富ではないために、人材マーケットにおける高度人材の層が厚くないと指摘されている。その上、そのようなマーケットから高度人材を獲得するにあたって、人材のグレードによっては、日本企業は欧米企業よりも、報酬設定が低いとされるなどの理由から、欧米企業に対し劣勢に立たされることが多く、結果として、日本企業における高度人材の不足につながっていると言われる。欧米では、高度人材が辞めても外部マーケットから代替要員を確保しやすいという面があるが、アジアにおいては、人材マーケットの層の薄さ、及び日本企業の賃金制度等における競争力の不足が相俟って、外部からの高度人材確保が、他地域に比べて一層困難になっている。

  2. <2> 日本企業の認識
    日本企業は、アジアにおける経営上の課題・問題点として、現地国籍の中間管理職・一般社員の能力不足、人件費の高騰とともに、日本人派遣者と現地スタッフ間の意思の疎通、および現地国籍の中間管理職・一般社員の定着・確保を挙げている。#1
    アジアにおける競争力向上に必要な手段として認識されているのは、「生産品の高付加価値化」、「マーケティングの強化」、「設計・研究開発の強化」であり、それ以上に「人材育成・スタッフの強化」を挙げる企業が多い。#2
    これらから見えてくる日本企業の姿は、競争力向上を図るために、マーケティングや研究開発以上に現地人材の育成に力を入れる必要性を認識しながら、現地社員との意思疎通のしかたなどに課題を抱え、現地社員の定着・確保に悩んでいるというものである。

  3. <3> 現地社員の声
    それでは現地社員の側は、日本企業の外国人材活用にどのような印象を持っているであろうか。特にアジア(インド・中国・タイなど)では「日本企業は、昇進のスピードが遅く、仕事を任せておらず、発展空間が小さい」等と感じている者が多い。#3
    こうした声の背景には、現地法人の人事制度に対して、これまで日本で実践されてきた年功的な昇進・昇格の仕組みが影響していること、また必ずしも現地への権限委譲が充分に進んでいないことなどがあると考えられる。このままであれば、日本企業で働く現地社員のモチベーション低下、ひいては欧米等他の企業への転職につながり、日本企業の現地人材ストックを質的・量的に低下させることになりかねない。
    さらに、現地社員から上がっている日本企業への不満として、以下のような点がよく指摘されている。

    1. 経営方針、将来ビジョン等に関する(英語による)情報の不足
    2. コミュニケーションの不足(現地社員・派遣社員間、派遣社員の語学力)
    3. 昇進・昇格等に関する透明性の不足
    4. 評価スキルの不足(評価項目が不明確、フィードバックがない等)
    5. キャリアパスに関する情報の不足

    アジアの日本企業においては、現地の優秀な人材、特に高度人材の採用・育成・定着が人材マネジメント上の課題となっている。
    その現状は、高度人材をいかに自前で育成していくかという課題を抱えつつ、人材の定着・確保に苦労し、また現地社員は発展空間が小さいと感じて必ずしも仕事に満足しているとは言えないことなどがうかがえる。

(2)働きがいのある企業であることの必要性

上記の状況を踏まえ、逆に社員が仕事に満足している、いわゆる働きがいを感じながら仕事を行うことは、企業経営にどのような影響をもたらすのだろうか。

一般論として、社員が働きがいを持って活き活きと仕事をしていれば、定着率が高まる、顧客サービスの質が改善する、企業の評判が向上するといったことが容易に想像できる。

米国に本拠を置く調査会社のGreat Place to Work® Institute Inc.は、1998年以来毎年、経済誌Fortuneに「最も働きがいのある会社ベスト100」(100 Best Companies to Work For)#4 を発表しており、米国では今やこのリストに選ばれることが一流の証とされるようになっている。このGreat Place to Work® Institute Inc.が「ベスト100」に入った企業を継続的に調査して分かったことは、それらの企業に共通して、(1)質の高い人材の確保、(2)優秀な人材の離職率の低下、(3)顧客満足度の向上、(4)イノベーションの推進、(5)創造性の発揮、(6)リスクテイクできる人材の増加、などが見られたことであり、同社は、「働きがいのある会社」であることは、生産性や収益の向上に寄与すると結論づけている。

働きがいのある企業であることは、CSRの観点から言えば、重要なステークホルダーである社員の期待に応えるという面があり、それと同時に企業の生産性や収益を向上させ、競争力を高めることにつながる。

アジアにおける事業展開において、日本企業に働く社員は、様々な「不満」を抱えているようである。日本企業が、アジアにおける競争力の強化を図るためには、こうした社員の不満を解消するのみならず、よりわくわくするような仕事の面白さなどを与え、働きがいのある企業としてのポジションを確立していくが求められている。

(3)働きがいのある企業であるために必要な方策

それでは、そもそも働きがいとは何によってもたらされるのであろうか。
企業理念をよく理解し、企業活動に対して当事者意識や使命感を持って働けることなど「経営に関するもの」、自分の仕事が公正に評価され、適切な処遇を受け、自分のキャリアのステップアップが明確に提示されているといった「仕事や処遇に関するもの」、上司や同僚とのコミュニケーションが円滑で一体感を持って働ける環境が整っているなど「職場に係わるもの」等々があるだろう。しかし、一つ一つの要素は「経営」、「仕事・処遇」、「職場」のどれか1つに分類できるものもあれば、複数のカテゴリーに跨るものもあるだろう。
このように、働きがいとは、様々な要素が組み合わさった、複合的で多面的なものであると考えられる。

以下では、働きがいをもたらす要素と方策を提示するとともに、駐在員・派遣者の役割や地域・グループとしての対応についても考察する。
各要素と方策の検討にあたっては、国内外の様々な企業のCSR報告書の中に書かれている人事労務施策や、企業の人事担当者からヒアリングした人事労務の実践内容等を抽出して類型化した。
また、要素ごとの実際の企業事例を、別添参考資料として掲げている。

  1. <1> 企業理念の明示
    自社が重視する価値、社会的存在意義、社員との関係性などを企業理念・行動基準として明文化する。
    特に、日本語ばかりではなく、多国籍の社員に理解できるよう、英語を始めとした多言語で明文化することが重要である。
    それを社員ひとりひとりに配布して理解を促進する。配布するにあたっては、携行できるカードにまとめて、社員がいつでも見られるような工夫も必要である。また企業理念・行動基準の理解促進のために、社員に対して研修会を行うことも有効である。
    このような方法により、現地社員に企業理念・行動基準の考え方の共有を促せば、現地社員の経営への参加意識、当事者意識が高まり、企業への一体感強化につながるであろう。

  2. <2> 円滑なコミュニケーション

  3. <3> 的確な業績評価と処遇

  4. <4> 発展空間の確保・提示

  5. <5> 積極的な人材育成
    アジアにおいては、育成した人材の流出リスクが日本より大きいが、人材育成を積極的に行わないと人材を繋ぎ止めておくこともできない。また、現地法人の自立化を促すためにも現地の人材育成は不可欠である。
    基本は、適材適所適時の人材配置を実現するために、必要な訓練を常時実施することである。
    育成の方法としては、OJTをベースとしながらも、Off-JTを適宜組み合わせる。リーダー層を中心とした日本本社での研修・実習は、企業グループ全体の方向性を理解させ、事業への参画意識を促す上で役立つ。また、本社主導の研修ばかりではなく、例えば東南アジア、南アジアといった地域ごとの研修を行えば、その地域固有の問題について認識の共有化を図ることができる。
    現地社員のなかで、人事(HR)マネジャーのみならず、育成も担当する人事・育成(HRD)マネジャーを確保することも必要であろう。
    現地の大学などと連携し、現地経営幹部を対象とした研修コースを設置することも有効な施策である。

  6. <6> 社会的責任の実践
    近年の世界的なCSRへの関心の高まりを受けて、様々なステークホルダーが抱く企業への期待が大きくなっていることから、企業がCSRを果たしていくことが以前に増して重要になっている。その内容としては、法令遵守・企業倫理、情報公開、労働、人権、環境、社会貢献など多岐に亘る。
    社員の働きがいを高めるには、報酬など直接的に企業から得られるもの以外に、自分の働いている企業が、社会的責任を果たし、社会から高い評価を受けていると感じられることも重要である。
    このことが社員に対し、自分は仕事を通じて社会と結びついているという意識、自分が働いている会社は社会に役立っているという誇りを持たせることにつながる。

  7. <7> 駐在員・派遣者の管理能力向上
    駐在員・派遣者は、i) 現地化や技術移転の推進、ii) 現地経営を担う管理者、iii) 本社と現地間の情報交換促進、iv) 派遣経験のフィードバック等の役割を担うべきである。ところが、日本から派遣される駐在員・派遣者の中には、語学力を含む、現地社員とのコミュニケーション能力や異文化への適応力が乏しい、あるいはリーダーシップが欠如している人がいるとの指摘があり、充分に役割を果たせていないことも考えられる。これでは、現地社員のモチベーションは高まらない。
    駐在員・派遣者には、上記の役割を果たしうる能力として、業務知識・業務遂行能力、管理能力、リスクマネジメント能力、CSR等に関する意識等が求められる。そのような能力を高めるために、人選、赴任前、赴任中、帰任までを一貫してフォローする仕組みの整備が必要である。

  8. <8> 地域、グループとしての対応
    拠点ごとの人材マネジメントを検討するばかりではなく、地域単位、あるいはグループ企業まで含めた人事部門のネットワークを作り、情報交換を行って、そこをベースに様々な施策を検討することが、人事処遇制度の整備や人材育成の強化のうえで有効である。
    各拠点で行える人材育成の機会は限られているので、地域単位で実施することで、機会が増える。
    また、各拠点に留まらず、地域やグループとしてのキャリアパスをローカル社員に提示することで、モチベーションの向上につながることが期待できる。

4.おわりに

経済のグローバル化は、国際競争の激化をもたらし、企業はその対応策の1つとして、イノベーションの推進に拍車をかけている。経済学者シュンペーターは、「馬車を何台つなげても機関車にはならない」と述べ、既存の概念の創造的破壊によってイノベーションが生まれると説いたが、そのようなイノベーションを生み出すのは結局創造的な人材であり、従来以上に経営資源としての人材の重要性が増している。

創造性を期待される人材がその力を発揮するには、働きがいを持って活き活きと仕事ができるような制度や環境を整えていく必要がある。日本企業は進出しているアジア各国を含む世界の各拠点において、先に考察した1つ1つの方策を実行していくことで、働きがいのある企業になるとともに、競争力確保への対応策の1つを見出せるであろう。

このような方策は、いわゆる日本的人材マネジメントの特徴とされる、人間尊重の経営、日常的なコミュニケーションに基づくチームワーク、OJTを始めとする積極的な人材育成などと相通じる点が多い。しかしその一方で、日本的人材マネジメントがアジアの各国などで受け入れられるには、責任の所在があいまいにならないよう、チームワークの中でも個々人の責任の所在を明確にすることや、暗黙知に頼り過ぎないよう、OJTにおいても明文化・標準化・視覚化をしていくことなどの修正が必要になってこよう。

日本企業にとって、企業としての競争力と社員にとっての働きがいを両立させた、アジア、さらにはグローバルに通用する人材マネジメントの仕組みを構築することが、世界の厳しい競争に対応するためのインフラの整備につながるであろう。

以上

  1. 労働政策研究・研修機構(JILPT)「第4回日系グローバル企業の人材マネジメント調査結果」
    (2006年10月)から
  2. 日本貿易振興機構(JETRO)「在アジア日系企業の経営実態」
    (ASEAN・インド編 2005年度調査)から
  3. 経産省「グローバル人材マネジメント研究会 報告書」
    (2007年5月)から
  4. 調査方法:企業と従業員の両方にアンケートを行う。企業に対しては、基本的な企業データや企業文化、制度・方針についてのアンケートを行い、従業員に対しては、ランダムに選出された者に、「働きがいのある会社」定義に基づいた57の設問により認識を調査する。収集された結果を評価委員会が精読し、企業順位を決定する。企業の言い分ばかりではなく、従業員の生の声が大きく反映されるところに特徴がある。

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