月刊・経済Trend 2003年2月号 巻頭言

「米百俵」と「ぼた餅」

西室副会長 西室泰三
(にしむろ たいぞう)

日本経団連副会長
東芝会長

戦後の荒廃からの復興に始まる日本国民の営々たる努力の集積は、世界第二の経済大国をつくり上げるに至った。この右肩上がりの成長を可能にし、国の発展に寄与してきた構造そのものが機能不全に陥り、抜本的な改革を必要とするようになったという時代認識が共有され始めている。

特に国土の均衡ある発展を目指すと称して増殖してきた中央集権的な諸制度が、地方の自主的、自立的な判断と行動を阻害し、創意工夫の発揮を妨げてきたことは否めない。日本経団連が最近発表した「活力と魅力溢れる日本をめざして」の中で「補完性の原則」を、国と地方との関係の抜本的見直しに当たって提言している理由も、このような認識に基づくものである。また、同様の見直しは、国と個人との関係においてもなされるべきであろう。

教育関係の会議で、義務教育費国庫負担削減が話題になったときに、ある教育関係者から、「米百俵の精神を標榜する小泉内閣で、教育費の国庫負担の削減が議論されることは、全く考えられない」との発言があった。これに対して私は「米百俵の物語は、長岡藩窮乏の時に送られた援助米を、将来を託すべき子弟教育の基金としたというもので、これこそ地方での教育の原点であろう。国からの画一的な指導や過剰介入を排除するためには、義務教育国庫負担金の見直しは避けられない」と反論したものである。

神戸で重度障害者の自立支援事業をやっておられる竹中ナミ女史は、その体験を基にして、国の現在の諸制度は、社会的弱者といわれる人たちの自立を助けるよりは、いたずらに保護救済を行って、自立性のない「天からぼた餅が落ちてくるのを待つ人たち」を増やしてしまっているのではないかとの問題提起をされている。まさにわが国の諸制度の変わるべき方向、すなわち、保護救済型から、自立支援型への転換を示唆する至言であろう。

新しい「国のかたち」を論ずるに当たって、「米百俵」や「ぼた餅」の議論をさらに深めていきたいものである。


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