一般社団法人 日本経済団体連合会
第12回WTO閣僚会議に期待する
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は未だ世界経済に暗い影を落としている。ワクチン接種の拡大を受けて急速な経済回復を遂げる国がある一方、新興国・途上国を中心に、ワクチンへのアクセスが限られ、財政余力にも乏しいため回復が捗々しくない国も少なからず存在し、格差拡大が懸念される。また、感染拡大による供給不足・途絶リスクは現実のものとなっている。加えて、従前からみられる大国間の対立を背景とした世界の分断傾向は、感染拡大を受けた自国優先の輸出制限措置等によって更に顕著になるなど、自由で開かれた国際経済秩序は大きく揺らいでいる。
一方、2050年カーボンニュートラルの実現は今や120か国以上が掲げる目標となっているなど、持続可能な開発に向け、国際社会が一体となって取り組むことが焦眉の課題である。
こうした中、必要なものが必要とされるところに速やかに供給される世界を実現すべく、ヒト、モノ、カネ、サービス、データ等の国境を越えた自由な移動を制度的に確保するとともに、それらが持続可能な開発にも資するようなルールづくりが不可欠である。
しかしながら、その役割を担うべきWTOは設立から四半世紀以上を経て、当時の輝きを失い、今や、抜本的な改革なくしてはルールづくりや紛争解決を主導できないほど機能が著しく低下しているのが現状である。
WTOは、その設立協定(マラケシュ協定)の前文にあるとおり、自由貿易を追求しながら、経済開発の水準が異なる締約国のニーズ・関心に沿って環境保護にも努めつつ、持続可能な開発の目的に従って世界の資源を最も適当な形で利用することを目的としている。この設立の精神は現状においても決して色褪せてはいない。むしろ今こそ、その原点に立ち返って機能を強化し、再生を図ることが重要である。そのためには、大国の積極的かつ建設的な関与が不可欠であり、また、合意形成にあたってWTO枠外の取組み、有志国による協議・交渉を含めたあらゆるアプローチを追求すべきである。コンセンサス方式を人質にとった自国優先偏重の主張は厳に戒めなければならない。
われわれは、ルールに基づく自由で開かれた国際経済秩序の再構築に向けて、来るWTO閣僚会議(MC12)において、特に下記Ⅰ~Ⅲに関して目に見える成果が挙がること、少なくとも今後に期待を持たせる進捗が見られることがWTOの蘇生に不可欠と考える。この期待に反する結果となれば、法の支配ならぬ「力の支配」や「貿易の武器化」が横行する深刻な事態を招来しかねない。
本年2月に新事務局長を迎え、4年ぶりの閣僚会議を11月末に控えたこの時期に、日本経済界の期待を改めて記し、多角的自由貿易体制の維持・強化を求める次第である。
経団連は、B7、B20、Business at OECD(BIAC)等を通じて、また、欧米アジアの経済団体との対話を深めて、さらには、WTOパブリックフォーラム等の機会を活用して、その実現を働きかけていく。
Ⅰ ルールの策定・現代化
1.地球規模課題への対処
(1)貿易と保健
COVID-19感染拡大防止に貿易政策を通じて貢献すべく、日本を含む有志国の提案に基づき、医療用品に対する輸出制限等に関し、具体的なルールを取り決める必要がある。ワクチンの普及については、知的財産の側面のみならず、原材料の調達から輸送に至るサプライチェーンの整備を含めて包括的に検討し、次なるパンデミックに備えるべきである。
(2)貿易と環境
気候変動問題については、まず、環境物品協定(EGA)交渉を再開し、環境物品の関税削減を通じた普及を促進すべきである。EUが導入を予定している炭素国境調整措置(CBAM)については、WTOにおいても、協定整合性を含めて制度設計のあり方等について十分な検討が求められる。
(3)漁業補助金の規律
SDGsに掲げられている通り、過剰漁獲能力や過剰漁獲につながる漁業補助金を禁止し、違法・無報告・無規制(IUU)漁業につながる補助金を撤廃すべく、MC12までに交渉を妥結すべきである。現在進行中の唯一の多国間交渉である本件が妥結すれば、WTOの存在意義の証左となり、MC12に向けて弾みがつくことになる。
2.市場歪曲的措置への対処
現行のルールでは、市場歪曲的な産業補助金、強制技術移転等への対応が十分ではない。公平な競争条件を確保すべく、日米欧三極貿易大臣会合での議論を基に規律を強化する必要がある。
3.デジタル化への対処
経済活動のデジタル化が進展しているにもかかわらず、それに対応したルールが整備されていない。現在、有志国間(プルリ方式)で議論されている、電子商取引に関する規律について、高いレベルでの合意が求められる。プルリ方式は、非参加国を含め全加盟国がプロセスの情報にアクセスできること(透明性)、全加盟国に門戸を開くこと(開放性)、途上国を含め取り残さないこと(包摂性)を前提にすれば、WTOの機能強化に大いに資する合意形成アプローチである。同協定が成立すれば、プルリ方式での取組みの成功例となり、他分野の合意形成にもプラスの影響を与えることが期待される。
Ⅱ 途上国地位の見直し
WTOにおいて途上国の基準はなく、自ら途上国であると申告した国が「特別かつ異なる待遇」を受ける権利を有しており、もはや途上国とは言えない経済規模が大きな新興国が途上国として地位を維持し、本来負うべき義務を果たしていないのが現状である。途上国としての地位は、経済発展段階および資金的・人的能力に応じて差異化し、発展を遂げた国は相応の責任を負うべきである。また、真の途上国との間の公正な競争条件を確保し、南南貿易を促進するとともに、持続可能な開発につなげることが重要である。
Ⅲ 紛争解決機能の回復
WTOの紛争解決メカニズムは、ドーハ・ラウンド交渉によるルールづくりが停滞する一方、案件が増加・複雑化する中にあっても何とか「最後の砦」としての役割を果たしてきた。しかし、第二審に該当する上級委員会の委員が必要数任命されず、2019年12月以降、上訴案件の審理が不可能な事態が生じている。現状を放置すれば、第一審に相当するパネルの裁定の効力さえ奪いかねず、また、一方的制裁措置等の「力」による解決を助長しかねない。できる限り早期に上級委員会の機能を回復させる必要がある。
* 詳細ならびにその他の論点について【別添1】 【別添2】参照
【別添1】WTO機能強化に向けて取り組むべき事項
Ⅰ ルールの策定・現代化
1.地球規模課題への対処
(1)貿易と保健
目下の最大の地球規模課題はCOVID-19感染拡大防止である。ワクチン・ナショナリズムなどの内向き志向を排除し、世界全体で感染拡大防止に取り組まない限り、どの国も危機から脱することは不可能である。この点、多国間枠組であるWTOは貿易政策を通じた貢献が可能である。
「貿易と保健イニシアティブ」#1に基づき、医療用品に対する輸出制限等についてルール策定が急務である。医療用品の輸出制限については、GATT第11条2項aに鑑み、危機的な不足を防止、緩和する目的で例外的に認められるものであり、可能な限り速やかに撤廃することが求められる。
一方で、COVID-19感染拡大による自国経済への影響を懸念し、主要工業品の関税引上げや食料の輸出制限等を行う国も存在する。このような保護主義的措置は、貿易を縮小させ、世界経済を後退させるという悪循環を惹起しかねない。MC12に先だって開催される、G20貿易大臣会合#2、同首脳会合#3において保護主義的な措置を撤廃することを取極める必要がある。
現在、複数のWTO加盟国が共同でワクチン等に係る知的財産の保護を免除するよう提案#4を行っている。知的財産の開放については、保護義務の免除という形ではなく、TRIPs協定第31条hに基づき、特許権者に対する適切な報酬を伴う形での実施も選択肢の一つである。また、企業が自主的に知的財産権の権利行使を行わない旨宣言する事例#5もあり、各WTO加盟国は、このような企業の取組みも活用すべきである。なお、ワクチンの増産・普及のためには、原材料の調達、生産から円滑な輸送に至るサプライチェーンを整備する必要があり、知的財産の開放のみで可能となる訳ではない点に留意すべきである。
ワクチンの知的財産の保護義務の免除を主張する加盟国は、検査薬、治療薬、 医療機器、防護用品等についても同様の措置を求めている#6。かかる広汎な品目にわたって知的財産の保護義務を免除することは、TRIPs協定本来の目的を損なうことから賛同できない。
(2)貿易と環境
日米欧が2050年までにCarbon Neutrality(CN)を達成すべく、パリ協定に基づく2030年の温室効果ガス排出削減目標を引き上げている中、途上国・新興国を含むすべての国の排出削減に貢献する形で貿易を推進することが求められる。気候変動問題をはじめとする環境問題は、地球規模での取組みが不可欠であり、EPA/FTAだけでは対処できないため、まさにWTOの存在意義がある。
まず、環境保護ならびに気候変動対策に資する物品の普及を促進すべく、2014年7月に開始され、現在中断している環境物品協定(EGA)交渉の再開を求める【具体的品目については別添2参照】。また、サービス貿易一般協定(GATS)の約束表が長年にわたって改訂されていない実情に鑑み、EGA交渉の再開に次いで、「環境サービス協定」(仮称)策定の可能性についても関心国間で検討を開始すべきである#7。
貿易の技術的障害に関する協定(TBT協定)は、国際貿易に対する不必要な障害をもたらす強制規格の適用を禁止する(2条2項)。よって、カーボンフットプリントの公表の義務付けなどの環境関連規制は、正当な目的の達成のために必要である以上に貿易制限的なものであってはならない。
現在、欧州委員会が、特定品目の輸入に際し、当該物品がEUの基準に基づいて生産された場合に生じ得る炭素価格に応じて証書の購入を義務付ける、炭素国境調整措置(CBAM)の導入に向けた準備を行っている。CBAMはWTO整合性が大前提であり、偽装された貿易障壁や特定の国に有利なものであってはならない。貿易上の悪影響を回避しつつ、新興国を含む世界各国が実効性のある気候変動対策に取り組む誘因となることが求められる#8。
CBAMの運用にあたっては、カーボン・リーケージの防止という本来の目的から考えれば、輸入相手国・地域における炭素税、排出量取引といった明示的なカーボンプライシングの有無のみならず、それ以外の排出削減努力についても客観的に評価することが重要である#9。排出削減に資する施策としては、エネルギー関係諸税、FIT(再生可能エネルギーの固定価格買取制度)、省エネ法、企業の自主的な取組みなど多岐にわたる。CBAM導入国・地域は、輸入相手国・地域で講じられるこれらの対策コストや排出削減効果を客観的に検証・評価し、国内法上も国際法上もCBAM賦課の適切性の立証責任を負うべきである。
WTO整合性に関しては、「同種の産品」について、炭素排出量を基準に貿易障壁となり得る証書の購入義務を課すことがGATT第1条の最恵国待遇やGATT第3条の内国民待遇と整合的なのか、特に、国内産業に対しては、「無償排出枠」を付与しつつ、輸入される「同種の産品」に証書の購入義務を課す場合#10、内国民待遇と整合的なのか検討を要する#11。
これらの論点を整理するために、まずは、2050年CNを宣言している日米欧三極が連携し、CBAMに関する対話を開始することが不可欠である#12。併せて、対象製品単位当たりの炭素排出量について、正確性と実施可能性の観点からバランスの取れた、信頼性の高い計測/評価手法に係るルール策定・適用ならびに当該製品に生じ得る炭素コストの検証を行うべきである#13。
(3)漁業補助金の規律
現行の交渉テキストでは、途上国ならびにLDC諸国に対する配慮措置が検討の俎上にある#14。漁業に携わる大多数の国が途上国またはLDCであることに鑑み、配慮措置が過剰漁獲能力や過剰漁獲の防止というSDGs本来の目的を阻害することないよう、制度設計が求められる。
2.市場歪曲的措置への対処
「補助金及び相殺措置に関する協定」(SCM協定)は輸出補助金を禁止している(第3条)のに対し、産業補助金は一概に禁止していない。COVID-19感染拡大を受けて、各国は経済対策、中小企業支援、イノベーション促進等の目的で産業補助金を交付しているが、このような必要な政策に対する必要な限度での補助金は否定されない。他方、過剰生産を助長する等、市場歪曲的な補助金については、SCM協定を改定し、WTO上の規律を及ぼすべきである。
具体的には、際限のない政府保証、大規模な国有企業など過剰生産能力を有する分野への補助金、破産危機にある企業への補助金、一定の債務の直接的な免除などについて、輸出補助金同様、禁止補助金として規定することが考えられる#15。また、現行のSCM協定は、加盟国の利益に悪影響を与える補助金を相殺対象としている(第5条、6条)。しかし、悪影響の存在については、協議要請を行った側に挙証責任があると解釈されている。そこで、市場歪曲効果のある補助金を特定した上で、交付側に挙証責任を転換することも選択肢として考えられる#16。
本件に関しては、日米欧三極貿易大臣会合で議論が開始されており#17、三極がWTOにおいてもクリティカルマスの形成に向け、議論をリードすべきである。
3.デジタル化への対処
(1)電子商取引のルール策定
21世紀に入り、経済のデジタル化が著しく進展している。そうした実態に即したルールを定めた電子商取引に関する規律の締結が不可欠である。現在、国際貿易の90%以上を占める86の加盟国が参加し、「統合交渉テキスト」に基づいて議論が進められており、MC12に向けて目に見える進展を求める。
具体的には、「信頼性のある自由なデータ流通」(DFFT: Data Free Flow with Trust)を実現すべく、自由な越境データフロー、コンピュータ関連設備の自国内設置要求の禁止、ソース・コードおよびアルゴリズム等の開示要求禁止、デジタル・プロダクトの無差別待遇等について定めた高いレベルの規律を目指すべきである。また、デジタル分野において関税障壁が存在しないことが、デジタル経済の急速な発展の基礎となったことに鑑み、電子的な送信への関税不賦課の恒久化が必須である。一方、自由な越境データフローを実現するためにも、信頼性の確保(適切な個人情報の保護、情報セキュリティの確保ならびに知的財産の保護)が不可欠である。
なお、同交渉はJoint Statement Initiative(JSI)の一環として、第11回WTO閣僚会議(2017年12月)において、有志国の採択を経て推進されている。この点について、全ての加盟国による全会一致の意思決定を定めるマラケシュ協定第9条1項などを理由に、一部加盟国がプルリ方式の採用自体に反対を表明している#18。確かに、複数国間協定を最終的にマラケシュ協定上の協定として位置付けるためには、閣僚会議のコンセンサスを要する(同10条9項)。しかし、これはプルリ方式の下で有志国が議論を先行することを妨げるものではなく、一部の加盟国の反対が議論の進捗や有志国間での協定の発効に影響を与えることがあってはならない。現在同交渉への参加を見合わせている加盟国、そして、プルリ方式の採用自体に反対している加盟国も、ビジネスに直接携わる自国経済界の意見を十分踏まえ、将来的に参加することが期待される。
(2)情報技術協定(ITA)の加盟国拡大・物品リスト更新
IT製品の自由な流通を確保し、デジタル社会におけるインフラ整備を推進する観点から、情報技術協定(ITA)の加盟国の拡大、物品リストの更新が求められる。技術が日進月歩であることに鑑み、ネットワークに直接・間接問わず繋がる機器ならびにその周辺機器は広く対象とすることを念頭に、物品リストを更新すべきである【加盟拡大対象国、物品リストに含めるべき品目については別添2参照】。
4.企業活動のボーダレス化への対処
企業活動がグローバル化した今日、大企業のみならず、中小企業が対外直接投資(FDI)を通じて世界中にバリューチェーンを展開している。実際、国境を越えた投資は急速に拡大し、1980年に5.3%であった対内直接投資残高の対GDP比は2020年には48.9%に拡大している#19。対外直接投資を行う場合、ホスト国における国内法の透明性や、迅速な許認可がビジネスを円滑に行う上で重要である。
(1)サービス貿易に係る国内規制の規律策定
サービス分野への直接投資に関しては、64加盟国#20が参加し、国内規制の規律策定に関する議論が大詰めを迎えており、まず、これをMC12までに妥結させるべきである。現在検討中の草案#21に、許認可手続、資格の相互承認に関する対話、 法令実施前の意見提出機会の付与、技術基準を導入する際の透明性確保等が含まれていることを歓迎する。現在の参加国に加え、多くの加盟国が事後的に参加し、GATS第18条の追加的約束としてコミットすることが期待される。
なお、同規律はサービス貿易に係る特定約束を行った分野に限って適用されることが想定されている。しかし、国内規制が不必要な障害となることを避けるべく、特定約束を行っていない分野においても同規律の趣旨に沿った形で国内規制措置を適用することが重要である。
(2)投資円滑化
オープンな投資の促進のため、投資円滑化に関する有志国会合#22において、投資関連規制の透明化・予見可能性向上、投資許可プロセスの迅速化、技術協力、投資相談窓口の充実、オンブズマン制度等について定めた投資円滑化協定(仮称)が検討されており、MC12までに実質的な議論の進展が求められる。なお、策定に際しては、サービス分野の国内規制との重複や齟齬を回避することが求められる。
上記投資円滑化協定は、自由化(外資制限の撤廃・緩和等市場アクセスの改善)、 特定措置履行要求の禁止や投資家対国家紛争解決(ISDS)等が検討の対象外とな っていることから、仮に成立しても、二国間または複数国で投資自由化・保護の両面でレベルの高いルールを形成していくことが引き続き重要である。将来的に、WTOにおいて投資自由化・保護の議論を俎上に載せることも期待される#23。
(3)中小企業
WTO中小企業に関する非公式作業部会勧告#24を歓迎する。同勧告をベースに、中小企業に係る各加盟国の政策に関する情報提供、中小企業のためのヘルプデスクの設置、通関手続の電子化ならびに合理化、貿易に関する規制を導入する際の中小企業への意見照会、関税ならびに市場アクセスに関するWTOデータベースの充実、金融へアクセスに関するベストプラクティスの紹介等に係る議論を推進し、MC12までにある程度議論を収斂させるべきである。また、中小企業の海外での拠点設置によるサービス提供(GATS第3モード)を促進すべく、GATS約束表の改定を通じた自由化を推進することも重要である#25。
Ⅱ 途上国地位の見直し
26年前のWTO発足時に比べ、新興国が急速に経済発展を遂げている。公正な競争条件を確保するためには、もはや途上国とはいえない加盟国が、途上国に与えられている「特別かつ異なる待遇」(S&DT)を享受し続けている状況を見直す必要がある。さもなければ、本来「南北問題」を解決するためのS&DTが「南南問題」を惹起することにもなりかねない。そもそもS&DTは真に必要な途上国に対し、必要な限度において適用すべきであり、世界貿易に占める貿易額の割合やGDP等の基準#26に則して、経済規模が大きな新興国については、WTOの各種協定において、直ちに完全な義務を引き受けることが求められる。
例えば、GATT第24条8項は、経済連携協定(EPA)をはじめとする地域貿易協定の締結に際し、実質的全ての貿易を自由化する旨定める。一方で、途上国間の地域貿易協定では、「異なるかつ一層有利な待遇並びに相互主義及び開発途上国のより十分な参加」(いわゆる1979年の授権条項)の適用により、関税の維持や長期にわたる段階的撤廃が黙認されている#27。経済発展を遂げた加盟国間で地域貿易協定を締結する場合は、WTO上の義務を完全に引き受ける観点から、授権条項の援用は避けるべきである。
先進国も参加するメガFTAが、15年~20年の段階的な関税撤廃を設定している場合、即時撤廃や撤廃の前倒しを通じた是正が不可欠である。
Ⅲ 紛争解決機能の回復
WTO紛争解決に係る規則及び手続に関する了解(DSU)第23条1項は、協定上の義務違反の是正を求める場合、DSUに定める規則および手続による旨定める。同規定によって一方的制裁措置等の「力」によるに解決は排除されてきた。
上級委員会が事実上機能を停止していることを受け、上訴審を維持させながら、現状を打開するための暫定的な対策として、DSU第25条に定められた仲裁を上訴審として活用する「多国間暫定上訴合意」(Multi-Party Interim Appeal Arbitration Arrangement: MPIA)が紛争解決機関(DSB)に通報されている(2020年4月)。MPIAは、提訴された加盟国がパネルにおいて自国に不利な裁定が下された場合に、上訴することで最終解決を拒否する事態(Appealing into the void)を阻止する上で選択肢の一つとなり得る。もっとも、参加国間#28のみで適用されるため、上級委員会の機能停止を根本的に解決するものではない。
他方、同制度の下では、上級委員会について指摘されている問題点を克服する試みも見られる。例えば、上級委員会が紛争解決に不必要な争点に係る勧告的意見や傍論(obiter dictum)を述べる傾向があるという批判を踏まえ、仲裁人は紛争解決のために必要な争点のみを検討しなければならないとしている。また、仲裁手続を簡素化すべく、判決文の頁数や弁論回数を制限できるとしている。上級委員会の機能回復に取り組む中で、これらの点は参考となり得る。
なお、MPIA参加国については、非参加国との間の紛争解決においても誠実に対応することが期待される。例えば、MPIA参加国の間で仲裁の活用に合意しておきながら、非参加国との紛争においては機能しない上級委員会に上訴することで最終的な解決を阻止することは信義則上問題であると考えられる。
機能回復を前提に、上級委員会と一般理事会の定期的な協議の枠組を構築し、上級委員会報告書をレビューするのも一案である。報告書に対して、加盟国のチェック機能が働けば、上級委員会によるオーバーリーチに対する一部の加盟国の懸念を払拭する一助となり得る。
Ⅳ 通報制度の改革
国有企業等に対する産業補助金交付や、COVID-19感染拡大に伴う輸出制限等の措置を実施する加盟国が少なくない中、監視機能の重要性が増している。日米欧三極貿易大臣会合において提案されている通り、WTOへの通報のあり方に係るルールを早急に整備すべきである#29。例えば、通報が遅滞した場合には、その理由の説明と提出予定時期の提示等を要求すると共に、一定期間以上の遅滞にはペナルティを賦課する、また、通常委員会の活動において監視機能を強化するなどの対応が求められる#30。
- COVID-19 AND BEYOND: TRADE AND HEALTH, WT/GC/223, 24 November 2020
- 2021年10月12日 於ソレント
- 2021年10月30日、31日 於ローマ
- Waiver from Certain Provisions of the TRIPS Agreement for the Prevention, Containment and Treatment of COVID-19, IP/C/W/669/Rev.1, 25 May 2021
- 例えば、「知的財産に関する新型コロナウイルス感染症対策支援宣言」(2020年5月)
- Waiver from Certain Provisions of the TRIPS Agreement for the Prevention, Containment and Treatment of COVID-19, IP/C/W/669/Rev.1, 25 May 2021, Annex, Draft Decision Text
- B7 Trade Statement(May 2021) p.10参照
- 日本政府「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」(2021年6月18日)18頁および経団連「グリーン成長の実現に向けた緊急提言」(2021年6月15日)10頁
- 例えば、イエレン米財務長官は「(炭素国境調整措置は)明示的な炭素価格のみに着目するのではなく、各国の気候政策が排出量をどの程度減らすかに注目することが重要」("It's important that any carbon border adjustment system focus on the degree to which a country's climate policies reduce emissions, and hence carbon content, rather than focus only on explicit carbon pricing")と発言(2021年7月9日)
- なお、欧州委員会の提案では、2026年から始まるEU-ETSの無償割り当ての段階的な削減に応じてCBAMを導入し、2035年にはEU-ETSの無償割り当てをCBAMに完全に置き換える予定としている。
- GATT第20条gの一般例外で正当化できるのか否かも論点となり得る。
- 経団連「自由で開かれた国際経済秩序の再構築に向けて緊密な協調を求める」(2021年3月16日)
- 日本政府「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」(2021年6月18日)18頁
- Fisheries Subsidies, Draft Consolidated Chair Text, TN/RL/W/276, 11 May 2021, Article 5, 6
- 日米欧三極貿易大臣会合共同声明(2020年1月14日)参照
- 同上
- 同上
- The Legal Status of ‘Joint Statement Initiatives’ and their Negotiated Outcomes, WT/GC/W/819, 19 February 2021, Annex paras. 5-7
- UNCTAD, World Investment Report 2021
- 参加国は、日本のほか米国、中国、韓国、アルゼンチン、オーストラリア、ブラジル、カナダ、チリ、コロンビア、コスタリカ、EU、イスラエルなど。
- Draft Reference Paper on Services Domestic Regulation, INF/SDR/W/1/Rev. 2, 18 December 2020
- 2021年8月末時点で、107カ国・地域が参加(日本のほか中国、韓国、香港、アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、チリ、コロンビア、メキシコ、カザフスタン、カタール、ナイジェリアなど)。
- かつて日本をはじめとする先進国は、WTOの対象を貿易から投資へ拡大することを推進。ドーハ閣僚宣言(2001年)では、投資について、「第5回WTO閣僚会議(MC5:2003年 於メキシコ・カンクーン)で交渉様式についての明確なコンセンサスに基づき、交渉を開始すること」が盛り込まれた。日本は、投資を含む4分野(シンガポール・イシュー:投資、競争、貿易円滑化、政府調達透明性)全てについて、MC5で交渉を開始することを目指した。しかし、途上国を中心に正式な交渉開始に対する反発が強く、ドーハ・ラウンドの正式なアジェンダとはならなかった。
- Package of declarations and recommendations adopted to help small businesses trade globally, WTO Informal Working Group on MSMEs, 11 December 2020
- B7 Trade Statement(May 2021) p.13参照
- B7 Trade Statement(May 2021) p.7参照
- Differential and more favourable treatment reciprocity and fuller participation of developing countries, Decision of 28 November 1979(L/4903)参照。同パラ2、3は、地域貿易協定が開発途上国の貿易を容易にし、障害または不当な困難をもたらさないように策定されなければならないとしているが、GATT第24条との関係を明示的に定めているわけではない。
- 現在24カ国・地域が参加
- 日米欧三極貿易大臣会合共同声明(2020年1月14日)参照
- 経団連提言「コロナの下での自由で開かれた貿易投資の実現」(2020年7月)
【別添2】環境物品協定(EGA)、情報技術協定(ITA)について
1.環境物品協定(EGA)交渉の対象とすべき品目
- 再生可能エネルギー関連品目(風力、水力、太陽光発電等)
- 省エネ・CO2排出削減関連品目(ハイブリッド車、自動車部品、鉄道車両ならびに関連部品、EV充電器、省エネ家電製品、ヒートポンプ、熱交換装置、産業用インバーター、データアーカイバーならびにこれを構成する半導体、LED照明器具、燃料電池、純水素燃料電池、リチウムイオン電池・蓄電システム、電動コンプレッサー等)
- 高効率発電関連品目(ボイラー、タービン等)
- 高効率製造関連品目(溶接機、溶接ロボット、DDL発振器等)
- 環境計測・分析関連品目(電子顕微鏡、検知器、ガススマートメーター等)
- 大気汚染防止・水処理関連品目(ろ過機、ポンプ、フィルター、オゾナイザー等)
- リサイクル・廃棄物対策関連品目(焼却炉、選別破砕機等)
- その他革新的技術に関連する品目(水素、CCUS等)など
2.情報技術協定(ITA)の加盟国拡大・物品リスト更新
(1)ITAに参加すべき国
- アルゼンチン、ブラジル、チリ、メキシコ、南アフリカ
(2)拡大ITAに参加すべき国
- エジプト、インド、ロシア、トルコ、ベトナム、インドネシア
(3)対象とすべき物品
- TV、モニター、液晶デバイス、OLEDパネル、透明有機ELディスプレイ、プロジェクター、ドラム式洗濯乾燥機、通信機能付き家電製品、移動式冷蔵庫、ノンフロン冷凍機、データアーカイバー、アーカイバルディスク、ドローン、カメラ用交換レンズ、X線カメラ付属品、車載カメラ、ホームネットワークカメラ、インターカム、音響機器、リチウムイオン電池、新世代半導体素材、次世代半導体デバイス、スマートシティや自動運転に関連する物品、医療関連機器など