1. トップ
  2. Action(活動)
  3. 週刊 経団連タイムス
  4. 2017年10月5日 No.3333
  5. 欧州情勢とBrexit交渉の現状

Action(活動) 週刊 経団連タイムス 2017年10月5日 No.3333 欧州情勢とBrexit交渉の現状 -21世紀政策研究所 解説シリーズ/21世紀政策研究所研究主幹(早稲田大学大学院法務研究科教授) 須網隆夫

2016年6月の国民投票によるEU離脱の決定を受けて、イギリスはEU離脱に向けて歩み出している。イギリスのEU離脱(Brexit)は、イギリスがEU域外に去るだけでなく、09年以降、ユーロ危機、ウクライナ危機(14年)、そして難民危機(15年)と度重なる危機に直面してきたEUの将来をも揺るがしかねず、その結果次第では、欧州で事業展開する日本企業だけでなく、日・EU自由貿易協定に期待する日本経済にもさまざまな影響が生じる。

そこで21世紀政策研究所では、昨年末、Brexitによる影響の包括的検討のために、政治・経済・法律各分野の研究者による研究会を組織し、今年1月から活動を開始した。本連載はその成果の一端として、今号から12月初旬まで行う予定である。

■ EUのあり方を問う加盟国の政治イベント

年初からの欧州の政治情勢を振り返ると、離脱交渉に臨むEUの足元を揺るがしかねない政治イベントが続いた。3月のオランダ総選挙、4~5月のフランス大統領選挙、6月のフランス総選挙である。

選挙結果をみる限り、近年顕著であった反EUを掲げるポピュリスト政党の伸長は頓挫し、EUは小康状態を保っている。もっとも、ポピュリスト政党を後押しした政治・経済状況は変化しておらず、EUへの支持はなお流動的である。他方、難民危機への対応等をめぐり、EU加盟国間で意見対立が顕在化し、EUの結束を損なっている。

このような情勢を背景に、今年3月29日、イギリス政府はEU離脱を正式に通告し、イギリス総選挙後の6月後半、交渉が開始された。離脱には、離脱協定、将来の自由貿易協定、暫定協定という3つの協定締結が予定されるが、当面の交渉課題は離脱協定である。

現時点での主な争点は、(1)イギリス・他の加盟国間を移動したEU市民の権利保障(2)アイルランド・北アイルランド間の陸上国境(3)イギリスによるEUへの離脱清算金の支払い――である。離脱交渉が十分に進展しなければ、将来のEU・イギリス関係の交渉に入らないのがEUの立場である。

イギリスは上記の争点は将来関係にかかわると主張し、より柔軟な対応を要求する。これまでの交渉は順調とはいえず、10月下旬の欧州理事会が、将来関係の議論開始を認めるかは微妙である。

■ EU市民の権利と法的な課題

離脱清算金の支払いとともに、離脱後のEU市民の権利の取り扱いの解決も容易ではない。EU域内における自由移動の権利を利用して、イギリス・EU間で多くの市民が居住地を移動し、イギリスに他の加盟国国民が350万人、他加盟国にもイギリス国民100万人以上がそれぞれ居住し、永住も可能であった。これらの人々に、離脱時のEU法による地位・権利を相互的に保障することが最優先課題であることについては、EUもイギリスもほぼ一致している。

しかし、両者の立場には隔たりがある。EUは離脱後もEU法を引き続き適用して、離脱時のEU法上の権利をそのまま保護することを主張するが、イギリスはEU市民の権利を、離脱後は国内法上の権利として保障することを予定する。EU法と同内容の権利を、国内法を制定して保障するという趣旨であるが、国内法の内容がEU法上の権利と一致する保障はなく、実際にもイギリス提案にはすでに相違が表れている。

EU法か国内法かは、紛争が生じた場合の判断者にも関係する。イギリス在住のEU市民、EU域内のイギリス国民双方に生じる紛争は、それぞれEU域内・イギリスの裁判所に係属する。そして、両者の判断が矛盾した場合には、政治的または司法的な解決が必要となる。

EUはEU法上の権利である以上、EU司法裁判所による一元的解決を主張するが、他方イギリスは国内にEU司法裁判所の直接的な管轄が及ぶことを否定して対立する。何らかの司法的解決が必要との認識は共有され、新たなEU・UK合同裁判所の設置やEFTA(欧州自由連合)裁判所の利用等の解決策が提示されているが、その落ち着き先は依然として不透明である。

■ Brexit交渉の難しさ

EUは欧州の平和と繁栄という政治的目的を、市場統合・通貨同盟という経済政策を媒介にし、EU法という法的手段を利用して実現しようとする組織である。そして、そのプロセスのなかで、個々の市民・企業に法的権利が与えられている。そのため、加盟国が離脱するだけで問題は解決せず、市民・企業に与えた権利の処理が不可欠になる。それを考えれば、離脱が決して容易ではないことが理解できる。

交渉の困難さから、2年間の交渉期間内に合意が成立しない「ハードBrexit」の可能性もささやかれる。確かに「ハードBrexit」を選べば、多くの問題を解決する必要はない。

しかしそれは、EU・イギリス双方にとって、また企業・市民双方にとって、予測可能性がない世界に踏み出すことを意味し、大きな痛みを伴うことにならざるを得ない。そのような痛みを引き受ける覚悟がEU・イギリス双方にあるのかも明らかでない。総じて、交渉は開始されたものの、その行く末は不確実性に満ちているといわざるを得ない。

【21世紀政策研究所】

「21世紀政策研究所 解説シリーズ」はこちら

「2017年10月5日 No.3333」一覧はこちら