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Action(活動) 週刊 経団連タイムス 2020年5月 短期集中連載 コロナ危機下での人の移動制限とEUの産業 -21世紀政策研究所 解説シリーズ/緊急レポート
 日本大学准教授 太田瑞希子

太田准教授

1.EU域内市場における移動の自由と新型コロナ危機

新型コロナ危機によって、EUおよび加盟国はEU域内市場の根幹である4つの生産要素の自由移動、すなわち「4つの自由(Four Freedoms)」を大幅に制限せざるを得ない状態へと追い込まれた。単一域内市場の創設と拡大は、EU域内の双方向貿易を増大させただけでなく、人の移動のパターンも大きく変化させてきたが、感染の拡大によって多くの国が国境コントロールを再導入し、財(物品)の自由移動も妨げられてきた。EU27カ国のうち22カ国とEFTA4カ国が締結するシェンゲン協定は、観光・出張などを目的とした短期滞在用の圏内共通の「シェンゲン・ビザ」の保持者および日本など免除国のパスポート保持者に対し、圏内では原則出入国検査なしに国境を越える自由を保障する。しかし、今次の危機下で圏内での暫定的国境コントロールを例外(最後の手段)として認める措置をとることが認められた。国境コントロール再導入の判断は加盟国権限であり、加盟国の判断に欧州委員会は意見を公表することはできるが、加盟国の措置に拒否権を発動することはできない仕組みになっている。

EUで最初に深刻な感染拡大に襲われたのはイタリアであった。3月8日にイタリア政府によりミラノやヴェネツィアなどを含む5州14県の封鎖が発表され、当初4月3日までとされた期間は延長、範囲も全国土に拡大され全ての生産・産業・商業活動も禁止された(現在は条件付き再開)。オーストリアやスイスなど、イタリアと国境を接する国々がイタリアとの国境を封鎖しただけでなく、それらの国々に対して国境封鎖を実施する国々、そして全ての加盟国に対して国境封鎖を行う国々が現われた。シェンゲン協定下で過去にはG7やNATO等の各種サミット、ノーベル賞授賞式やツール・ド・フランスなどのイベント開催時、シリア難民問題時など安全保障上の理由から暫定的な国境コントロールが導入された例は2008年以降で延べ200超ある。今回の新型コロナ危機対応としての実施がそのうち80ケース(実施国は17カ国)を超え、例外的な事態を物語る。

2.移動制限と旅行・観光業

感染者数が大幅な減少に転ずるのが早かったオーストリアは4月初めに段階的な経済活動の再開方針を表明、ドイツも飲食店を含む店舗に対し導入されていた営業規制や外出制限などの大規模緩和を相次いで発表した。ドイツでは、5月13日にルクセンブルクとの国境コントロールを15日に終了することが発表されたが、それ以外の他国との国境(陸路)とイタリアやスペインとの空路国境は6月15日まで延長された。第三国からの入国制限については欧州委員会提案(以下)に基づき1ヶ月延長された。

5月13日、欧州委員会は加盟国に対し段階的な旅行制限緩和のためのガイドラインと提言を公表した。既述のように、シェンゲン圏外(第三国)からの入域は6月15日まで制限するよう勧めると同時に、制限緩和による安全性確保のために、疫学的に状況が十分近似する加盟国間での相互的緩和の実施、人の移動を安全かつ段階的に再開するための各種方策、宿泊業においてゲストとスタッフ双方のための保健ルール、旅行をキャンセルした旅行客が払い戻しか旅行券での返金を受けられる権利の保証などが細かく示されている。

新型コロナ危機によって各国が国境閉鎖を導入してから約2ヶ月、EUにはできる限り早い段階で旅行制限を緩和したい事情がある。旅行・観光業はEUのGDPの9.5%を占める。2019年には、EU経済のGDP成長率1.4%に対し、旅行・観光業のGDP成長率は2.3%であり、新規雇用(5年平均)の4人に1人を生み出す成長産業でもある。6月からの本格的な夏の観光シーズンを迎えるにあたり旅行・観光業の正常化への道筋をつけたいという意図がある。

各加盟国にとっても、旅行・観光業の再開は重要である。2019年のこの部門のGDP寄与額(ドル建)世界上位10カ国のうち5カ国がEU加盟国である(ドイツ、イタリア、2020年1月31日に離脱した英国、フランス、スペイン)。GDPに占める割合はスペインが14.3%、イタリアが13%と続き、残りの3カ国は約9%である。スペイン・イタリアは全雇用者の約15%がこの分野で雇用されている。額はこの5カ国に及ばないものの、GDPへの影響がより大きいのが、全労働者の4人に1人が同産業に従事しているクロアチア(GDPの25%が旅行・観光業)、旅行観光業からの収入を大幅回復させてきたギリシャ(同20.8%)、ポルトガル(同16.5%)などの国々である。クロアチアは、2020年の観光収入は少なくとも75%減との試算も出ており、EUの危機対応パッケージの利用が視野に入る。

EU各国の旅行・観光客の半分以上は域内から訪れる。域内の国境コントロールが夏のヴァカンスシーズンの始まりを遅らせる見込みであること、欧州委員会のガイドラインには法的拘束力はなく経済活動の再開で感染の第二波が発生する可能性が否定できないこと、感染者の多いスペインが全面的国境開放が早くとも7月以降になることを示唆しているように、全面的な国境コントロールの解除の見通しが立たないこと、EU域内でも人気のヴァカンス先である国々が感染の中心国であり人々の旅行心理が抑制されていること等から、旅行・観光業の全面的な回復までは時間がかかることが予想され、各国経済への影響は大きい。

3.労働力の移動と農業

人の移動制限によって混乱しているのは旅行関連だけではない。短期移住労働者、特に季節労働者に大きく依存する農業部門も、収穫時期を迎えた農作物の収穫に十分な労働者を確保できないなどの問題に直面している。季節労働者の場合にはヤミ労働も多いため正確な数を把握することは不可能だが、ここでは利用できるデータを引用したい。季節労働者は域内の加盟国間で移動する労働者と、第三国からの労働者に分けられる。前者は東欧諸国が主な送り出し国であり、ルーマニア・ブルガリア・ポーランドなどEUの中でも所得水準の低い国々から短期的に移住し、農業部門の労働に就くことが多い。後者は国によって送り出し国にばらつきがあり、フランスではモロッコから、イタリアでは北アフリカなどからの受け入れが多い。主な受け入れ国は、ドイツ、フランス、イタリア、スペインである。

国境コントロールの導入に伴い、季節労働者の大規模な不足に直面する各国は独自の対応策を模索している。20万人が不足したフランスは、農業大臣が国民に対して地域の農業分野での臨時就業を呼びかけ、それに20万人以上の応募があったと報じられた。10万人が不足すると伝えられたドイツは、4月2日に農業分野の季節労働者に限り入国禁止を一部解除し、4月と5月に最大4万人の入国を認める政策を発表した。離脱した英国は8万人の不足に対して、東欧諸国でリクルートした季節労働者を乗せたチャーター機を飛ばして労働力の確保に必死である。一方で、最大25万人が不足すると試算されるイタリアは一時的な労働許可を証明書の提出なしに発給すると発表、7~8万人が不足するといわれるスペインも急遽新たな受け入れを進めると発表したが、開始は6月30日と他国に遅れを取る。4月から5月はアスパラガス、苺、トマトなどの収穫の最盛期にあたり、ドイツやEU主要国の農業部門はこれら季節労働者なしには産業が立ち行かない。収穫が間に合わず農産物価格が上昇すれば、金融緩和との相乗効果で景気後退局面での消費者物価上昇、すなわちスタグフレーションを導きかねない。

4.EU経済全体の先行きは厳しい

もともと不振だった経済を支えていたサービス業が、今回の新型コロナ危機で著しい打撃を受け、今後の景気見通しは非常に厳しくなった。特に多くの加盟国で成長傾向にあった旅行・観光業に期待できなくなったことが大きい。今後、中小企業の倒産が増加すれば失業率の上昇が起こる。農業など一時的に労働力が不足する部門への就業転換が進むかというと、肉体労働かつ低賃金という悪条件が影響してあまり期待できない。フランスでは現在、部分的失業制度と呼ばれる制度に基づき、休業を余儀なくされた労働者は失業前の手取り額の84%に当たる手当を受け取れることになっている。もともと労働者保護の強い国が多いEUでは、無理をして低賃金労働へ就くモチベーションが高いとはいえない。国によっては必要な労働の8割を他国からの季節労働者に頼ってきた農業モデルが問題を深刻化させている。

(注)データ等出典はEuropean Commission, World Travel & Tourism Council, ILOおよび各国報道資料。

【21世紀政策研究所】

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