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Action(活動) 週刊 経団連タイムス 2022年7月7日 No.3551 ロシアのウクライナ侵攻と国際訴訟戦線の動向 -21世紀政策研究所 解説シリーズ/21世紀政策研究所研究委員(東京大学准教授)中島啓

ロシアによるウクライナ侵攻に伴う案件がさまざまな国際裁判の場で扱われ始めている。2022年2月24日の侵攻開始のわずか4日後には国際刑事裁判所(ICC)の検察局が戦争犯罪についての捜査開始に向けて動き出し、3月には国際司法裁判所(ICJ)がロシアに対して「特別軍事活動」の即時停止を命ずる仮保全措置を指示した。また、ロシアからのビジネス活動の撤退に起因する紛争が国際仲裁の場に持ち込まれる可能性が取り沙汰され始めている。長期化の様相を呈する戦争の帰趨とともに、これら国際訴訟戦線の動向も注視していく必要がある。

22年2月28日、ICCの検察官はウクライナ領域における戦争犯罪を捜査する意向を表明した。ウクライナはICCの管轄権を認めているものの、ICC設立規程の締約国ではないことから、今般の事態を自ら付託することはできない。そこで、欧州諸国を中心とする39の締約国が共同で、ウクライナの事態を3月2日付でICC検察官に付託した。日本政府も遅れること1週間、同月9日に「捜査への支持を明確化する」観点から、事態をICCに付託している。

時をほぼ同じくしてICJでは、ウクライナ東部ドンバス地域でロシア系住民に対するジェノサイドが起きているというロシアの主張が虚偽であることの確認を求める訴訟をウクライナが提起した。ロシアによる「特別軍事作戦」開始の口実の一つとして、ウクライナ政府によるジェノサイド行為からロシア系住民を保護することが挙げられていたことを踏まえると、軍事活動を正当化する(とロシアが主張する)事実的基礎の不存在を確認する意味を見いだせる。3月の措置はそのための暫定的な保全命令にとどまり、本格的な審理は今後の手続きの進展を待つ必要がある。この点、5月20日には欧米を中心とする41カ国および欧州連合が本件への訴訟参加を検討するとの共同声明を発表した。国際社会が協調してウクライナへの連帯の意を表明する点ではICCへの共同付託と類似する動きであるが、多数の第三国が参加することで手続きの遅延が懸念されることから、共同訴訟参加を実施するに際してはそのねらいや態様を洗練しておく余地がある。なお、日本はこの共同声明に名を連ねながら、そもそもジェノサイド条約を批准しておらず、同条約に基づく本訴訟にどのように参加できると考えているのか注目される。

急速に広まっているロシアからのビジネス活動の引き揚げの動きのなかで象徴的なものが、ロシアからドイツへの天然ガスパイプライン「ノルドストリーム2」の事業停止である。事業承認を停止したドイツ政府を相手取り、事業会社(スイス法人)や親会社であるロシア国営のガスプロムが補償を求めて仲裁を申し立てる可能性が取り沙汰されている。天然ガス取引をめぐっては、ロシアが「非友好国」に対して購入代金をルーブル通貨で支払うよう求めてきており、これを拒絶したポーランドとブルガリアの国営企業へのガス供給が停止されたことから、ガスプロムやロシア政府を相手取った仲裁申し立ての可能性も論じられてきている。周知のとおり、ロシア極東の石油ガス開発事業「サハリン2」からは英蘭シェルが撤退する意向をすでに表明している。日本の出資企業の今後の事業判断のいかんにかかわらず、不測の事態に備えて先行する紛争の動向を把握しておくことが肝要であろう。

このように国際訴訟戦線の拡大が予期されるなかで重要な役割を担うのが、国際裁判・仲裁手続きで訟務代理をする弁護人の存在であるが、侵攻開始以降、ロシア案件の受任撤回や終了を宣言する例が相次いでいる。ウクライナ・ロシア間の複数の国際裁判・仲裁手続きでロシア側弁護人を務めていたアラン・ペレ氏(パリ・ナンテール大学名誉教授)が侵攻開始直後にロシア案件からの辞任を公開書簡で宣言したことは大きな話題となった。14年のクリミア「併合」に端を発する投資紛争や、06年のユコス石油会社の解体をめぐる事件など、ロシアは今般の侵攻以前から多くの国際紛争を抱えている。欧米の弁護士事務所が数多く受任していたが、その解消も相次いで報じられている。こうした動きは、自発的なものにせよ対ロシア制裁の影響であるにせよ、侵攻後の対ロシア包囲網の一環として位置付けることができる。もっとも、複雑かつ高度な専門知識を要する案件においては、国際裁判・仲裁手続きに精通した法律家が関与し続けることでこそ、法に基づく国際紛争処理の理念が貫徹されるとの考え方もあり、法律家のロシア案件への今後の関わり方をめぐってはさまざまな議論が提起されている。

【21世紀政策研究所】

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