Action(活動) 週刊 経団連タイムス 2022年7月21日 No.3553  ウクライナ危機とWTO -21世紀政策研究所 解説シリーズ/21世紀政策研究所研究委員(学習院大学法学部教授) 阿部克則

ロシアによるウクライナ侵略は、明白な国際法違反であり、力による一方的な現状変更の試みは、第2次世界大戦後の国際法秩序に対するあからさまな挑戦である。こうしたロシアの暴挙に対して日本は、ロシアとの間の貿易に関する制裁措置として、国際輸出管理レジームの対象品目やロシアの軍事能力強化に資すると考えられる汎用品の輸出禁止、ロシアに対する関税についての最恵国待遇の撤回等を順次実施しており、対ロシア経済制裁を強化している。

こうしたわが国の一連の措置は、米国・EU等と国際的に協調して採用されたものであると同時に、WTOとの関係では安全保障を理由とした例外措置として正当化されよう。物品の貿易に関しては、WTO協定の一部であるGATT21条(b)が、「自国の安全保障上の重大な利益の保護のために必要である」と当該国が考える措置であって、「戦時その他の国際関係の緊急時に執る措置」であれば、例外的に認められると規定する。そして、どのような措置が「自国の安全保障上の重大な利益の保護のために必要」か否かについては、措置をとる国に広範な裁量がある。この条文に照らせば、ウクライナ危機は「戦時その他の国際関係の緊急時」であり、日米EU等は「自国の安全保障上の重大な利益の保護のために必要である」と考え、対ロシア制裁措置を導入したといえよう。

WTOは、冷戦終結後にグローバリゼーションの流れのなかで1995年に発足した後、2001年には中国、12年にはロシアも加入し、自由貿易を推進してきた。欧米諸国においては、中国やロシアもWTO加入後に自由経済が浸透すれば、おのずと民主主義国家となっていくであろうとの見方もあった。しかし実際にはそのようにはならず、近年では、自由経済・民主主義諸国と国家主導経済・権威主義諸国との間の地政学的対立をWTO体制は内包するようになっていた。例えば米国は、ファーウェイ等の通信機器に関する安全保障上の懸念や新疆ウイグル自治区における重大な人権侵害への対応として、中国に対する貿易制限措置を導入していた。

ウクライナ危機は、こうした自由経済・民主主義諸国と国家主導経済・権威主義諸国との間の貿易関係の分断をさらに進める可能性が高く、かつての米ソ対立を中心とした冷戦期の状況をほうふつとさせる。ただし、当時と現在との違いは、冷戦期における自由貿易体制であったGATTに、ソ連や中国はそもそも参加していなかったが、WTOにはロシアも中国も加入していることである。それゆえ、ロシアや中国がWTOにとどまる限りでは、安全保障上の理由に基づく貿易制限措置等はWTO協定の例外条項により容認されつつ、それ以外の場合には他のWTOルールに基づいて貿易関係が維持される状態が続くことも想定される。その場合には安全保障例外条項等が、WTO体制内における地政学的対立に関する、一種の調整弁として機能することになる。また、自由経済・民主主義諸国同士や、いわゆる第三極の国々との関係においては、WTOルールに基づく従来どおりの貿易が当面は行われるであろう。

他方で、WTO全体としての意思決定やルールメーキングには、新たな不透明要因が加わってしまった。そのため、WTO全体でのルールメーキングが相対的に進みやすいのは、地政学的対立と関係性の薄い分野と考えられる。22年6月のWTO閣僚会議(MC12)での漁業補助金ルールに関する合意はその一例であろう。WTOの枠外では、FTA/EPAや米国の提唱するIPEF(インド太平洋経済枠組み)のような取り組みにより、価値観を共有する国々の間において、合意が比較的形成しやすいと思われる。冷戦終結後のグローバリゼーションのなか、WTOを含む貿易ルールについては「政経分離」の状況が続いていたが、地政学的対立の高まりを受けて「政経不可分」の時代に入った。WTOの意義や機能は、こうしたパラダイム転換を踏まえて考える必要があろう。

【21世紀政策研究所】

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