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月刊 経団連 巻頭言 学生スポーツの意義

進藤孝生 (しんどう こうせい) 経団連副会長/新日鐵住金社長

アメリカンフットボールの大学対抗戦で選手が危険行為を行うという問題があった。母校のラグビー部OB会長の立場で現役大学生を支援する者として、私も多くのことを考えさせられた。そもそも学業が本分である大学においてスポーツをする目的は何であろうか。

「文武両道」「健全な精神は健全な肉体に宿る」。これらが教育の理想ともいわれる。人間は知的精神活動だけでは完成せず、健全な精神を支えるための肉体的な鍛錬も必要だということであろう。これに加えて、スポーツマン(ウーマン)シップ、突き詰めれば「フェアプレーの精神」を身をもって習得すること、これが学生スポーツの目的であると思う。

ラグビーには “For side, On side, No side” という言葉がある。個人の功名心を捨てて自らのチームのために(For side)、ルールを遵守して(On side、すなわちオフサイドを犯さず)、全力で戦う。そして試合が終われば敵味方関係なく相互にたたえ合う(No side)という「フェアプレーの精神」の神髄を表すものである。

われわれが身を置くビジネスの世界もこの精神が息づいている。この世には一人でできる仕事などなく、ほとんどが組織・チームで遂行される。チームワークが大切だ。またコンプライアンスのもとで厳しい競争を戦い抜き、個々の勝負の結果は率直に受け止めて、次のビジネスに立ち向かう。フェアプレーこそ大事である。

過日の問題に関し、新聞コラムで「体育会系の没落」という識者の意見に接した。無批判に上位者の命に従い自分の意見を持たぬ体育会系の人間は今や企業にとって不必要であるとの主張だ。この主張に基本的に異論はないが、すべての「体育会系」(大学等でスポーツを経験した人)がそのような人間であるかのようなくくり方には違和感がある。大切なのは、本分である学業とともに、スポーツを通じて「フェアプレーの精神」を身に付け、しっかりと人格を鍛えた若者こそが企業・社会の求める人材であるということだ。大学も含めた学校教育には、こうした人材の育成という役割も期待したい。

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