Action(活動) 週刊 経団連タイムス 2016年3月3日 No.3260  イスラム国とグローバル・ジハードの行方 -昼食講演会シリーズ<第30回>/東京大学先端科学技術研究センター准教授・池内恵氏

■ イスラム国の成立条件とアラブの春

イスラム国の勢力を地図上でみると、(1)イラクやシリアを中心に地方を拠点として特定領域を支配する側面(2)不安定化した紛争地域でまだら状に勢力拡大を図る側面(3)国際政治に影響を与える世界各地のさまざまなテロを触発して引き起こす側面――とがある。ここではイスラム国が成り立つまでの条件と、その根拠となる理念“グローバル・ジハード”をみていく。

2011年のアラブの春は、各地の独裁的統治を揺るがす大きな変動ではあったが、その後、各国で頓挫と政治的混乱が続いている。また、以前の独裁政権が武力行使せずに長期に政権を維持できたのは、情報を統制し国民を分断統治できたことによるが、もはやそのような環境でもない。アラブの春は、若い世代を中心にインターネット・SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、衛星放送、携帯電話・SMS(ショート・メッセージ・サービス)などを通じ他国から情報を得て知見を広げてつながるなかで、政権への異議申し立て行動が拡大していった。これに対する各国政権の反応は軍との関係性によりさまざまで、エジプトやチュニジアのような独裁体制の退陣、リビアやシリアのような内戦突入など、各国で政権動揺や崩壊が続いた。政権崩壊後、民主的手続きによる新体制構築が試みられ、選挙を通じてイスラム穏健派が台頭するもののクーデター等により短期間で失墜していくという国も多く、その過程において、イスラム法のもと選挙や議会制民主主義そのものを否定するイスラム過激派が相対的に一定の社会的な信頼を得る結果となった。

■ 軍の多元化と地域大国

また、アラブ諸国では、クーデターに備え政権内の有力な血縁や部族や宗派の結束・忠誠を紐帯とした精鋭部隊を国軍とは別に編成するなど、軍の統制がもともと多元化している国が多かったため、政権が崩壊すると国家対反体制勢力という二元化ではなく、複数に分裂した各勢力が独立した軍事力を持ち、各主体がサブ国家主体として民兵化していった。また、これらの主体は国境を越えて共通の帰属意識を持つ同胞・同盟者を持つことがあり、逆にイスラム主義のようにグローバルな主体が各国の内部対立に介入してくることもあり、各地の内戦は必然的に国際化する。加えて地域大国であるトルコ・イラン・サウジアラビアの3国の影響力が増し、各地の紛争に関与していった。イスラム国はこのような多元化した状況下で成立することになったのである。

■ グローバル・ジハードの拡大と拡散

イスラム主義思想には、異教徒との闘い“ジハード”という理念が古くから確かにあるが、グローバル・ジハードという概念は、1979年のアフガニスタンへのソ連侵攻を契機に理念として確立していった。その後、ジハード戦士はコソボ、ボスニア・ヘルツェゴビナなどの紛争に転戦し、再びアフガニスタンのタリバン政権のもとで集結し米国を攻撃した。これに対して米国は徹底した対テロ戦争を行った。その結果として、過激派勢力の組織は壊滅したが、中枢・拠点を設けず、世界各地で象徴的なテロを行う小規模な組織を分散させるようになった。

04年前後に、これに理論化して、分散型のネットワークの末端が自発的に呼応して各地でテロを起こすメカニズムが定式化され、インターネット上で公開され読まれていった。この組織原理から、グローバル・ジハードの理念に共鳴する組織がテロを起こし、ネット上でイスラム国の旗を掲げて宣言し、有力者がそれを承認するというかたちで、イスラム国は現象として拡散している。共通の組織はなく、グローバルなメディア・情報空間で公開の場として情報のやりとりを行い、各人・各組織が自発的にテロを実行していくことで、全体として巨大な脅威と感じられるようになった。昨年11月のパリのテロは、グローバル・ジハードの理念に感化された人たちの自発的なテロと、シリアでの戦闘訓練を経て帰還した者たちによる軍事行動に近い作戦が組み合わさったもので、特定領域の支配拡大による支援と世界各地での自発的なテロ拡散が融合したハイブリッド型テロということができ、その対策が非常に困難になっているのが現状である。

※本稿は「経団連昼食講演会」(1月29日)の講演を要約したものです。

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