経団連と経済広報センター(十倉雅和会長)は4月12日、東京・大手町の経団連会館でシンポジウム「日系アメリカ人の歴史から学ぶ~DE&I推進への示唆」を開催した。DE&I(ダイバーシティ〈多様性〉、エクイティ〈公平性〉&インクルージョン〈包摂性〉)の推進は、社会全体の生産性向上を図るうえで喫緊の課題である。米国社会においてマイノリティーとして生活してきた日系アメリカ人の歴史に関する講演、日系アメリカ人を交えたパネルディスカッションを通じて、企業にとって、DE&Iを推進するうえで有益な示唆を得ることを目的に、全米日系人博物館と米日カウンシルの協力のもと開催した。
■ 基調講演「日系アメリカ人の歴史」
全米日系人博物館の三木昌子渉外担当ディレクター、および日系4世であるMatchbox Technologiesのスティーブ・サカナシ グローバル推進マーケティング戦略取締役が基調講演を行った。
最初に三木氏が登壇し、日系アメリカ人がたどってきた試練と民主主義への貢献について次の通り語った。
日米開戦後の1942年、ルーズベルト大統領が発令した「大統領令9066号」を受け、12万人以上の日系アメリカ人が日本人の祖先を持つことのみを理由に西海岸から立ち退かされ、強制収容された。自由やプライバシーのない強制収容所の環境は劣悪であった。43年に行われた「忠誠登録」では、米国のために戦う意思の有無などが確認された。同時に、日系アメリカ人から成る隔離部隊「第442連隊戦闘団」が編成された。彼らは米国への忠誠を証明するために欧州戦線で活躍した。戦後、収容所は閉鎖されたものの、その後も日系アメリカ人は差別を受け続け、ゼロからの生活再建という課題に直面した。日系アメリカ人3世は家族の強制収容の歴史について知らないことが多かった。しかし彼らは、公民権運動やベトナム反戦運動などを通じて、アジア系アメリカ人として連帯し、強制収容に対する謝罪と賠償金を求める「リドレス(Redress、過ちを正す)運動」を展開した。88年にはついに「市民の自由法」が成立し、連邦政府は強制収容が過ちであったことを認めて謝罪し、収容経験者に1人当たり2万ドルの賠償金を支払った。
その後、92年に全米日系人博物館が開館した。日系アメリカ人の歴史の教訓を忘れず、包摂的で公平な社会をつくるためには個々人の参加が不可欠であり、その力の集積が、すべての人々の現在と未来をかたちづくるうえで、大きな変化をもたらすこととなる。
続いて、サカナシ氏が登壇。真珠湾攻撃直後にFBI(連邦捜査局)に拘束された曽祖父のエピソードを交え、異文化への理解と共感の重要性を訴えた。
■ パネルディスカッション「DE&I推進への示唆」
パネルディスカッション(モデレーター=飯田香織日本放送協会〈NHK〉報道局ネットワーク報道部長)では、「DE&I推進への示唆」をテーマに、企業におけるDE&I推進の重要性・必要性をめぐり、パネリストらの経験や洞察をもとに議論した。
全米日系人博物館のアン・バロウズ館長兼CEOは、アジア系アメリカ人へのヘイトクライムに触れ、市民社会と政治状況におけるレトリックの変化があると指摘。多様な視点を取り入れることの重要性を強調し、異なる背景や経験を持つ者が協力して、問題解決などに取り組むことで、最大の創造性と革新性が生まれるとの見解を示した。
ナカトミPRのデボラ・ナカトミ社長兼CEOは、新型コロナウイルスのパンデミックと在宅勤務普及の影響により、企業文化や従業員の職場に対する意識が変化した一方、そうした変化を受けて企業もまた経営方針を再考し転換することを余儀なくされたと指摘。米国でDE&Iの重要性が高まるなか、企業も従業員もインクルーシブな職場環境を重視し、その利点を実感しているものの、多くの課題がいまだに残されていると述べた。また、自身の女性起業家としての経験から、マインドセットの転換、企業全体でのDE&Iについての意識の共有、継続した学びが必要だと言及した。
サカナシ氏は、米日カウンシルの活動もあって、若い世代の間で日系アメリカ人の歴史および遺産に対する関心や理解が高まっているとの認識を示した。
パネリストらは、企業において多様性と包容力を育むことの重要性を強調した。多様な新しい視点を受け入れ、互いに学び合い、より包摂的で革新的な未来の創造に向けて、一人ひとりの努力が不可欠であると参加者に呼びかけた。
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シンポジウムは、日系アメリカ人の歴史を学ぶことで、DE&Iの推進に対する理解を深め、企業や個人にさらなる努力を促す機会となった。
【国際経済本部】