Action(活動) 週刊 経団連タイムス 2020年5月 短期集中連載  コロナウイルスへの加盟国の対応とEUにおける立憲主義 -21世紀政策研究所 解説シリーズ/緊急レポート
 21世紀政策研究所研究主幹(早稲田大学教授) 須網隆夫

須網研究主幹

1.コロナ対応と基本的人権の保護

コロナウイルスによる感染拡大を防止するために、通常の市民生活・経済活動を制限することが必要であることは当然である。日本でも、4月の緊急事態宣言後、食料品・生活必需品以外の店舗・飲食店が全国で休業を余儀なくされ、国民一人一人の移動の自由が事実上制限されていることからも、それは明らかである。そして国民も、その必要性を理解し、それらの制限を受容している。日本以上に感染が拡大し、多くの死者が出ているEUでも事情は同じであり、スウェーデンを例外として、日本より厳格な外出制限・営業禁止の措置が適用されている。確かに、それらの措置は、営業の自由・移動の自由・プライバシーなど様々な基本的人権との緊張を生み出す。もちろん、コロナウイルス対策のために人権をある程度制約することは致し方ない。しかし、他方で人権の過度な制約は正当化されないのであり、その程度は対策に必要な範囲に止まらねばならない。この点で、多くのEU加盟国の措置に問題はない。日本より厳しい措置を取っていても、適切な補償がなされ、また内容もコロナ対応に厳しく限定されているからである。しかし、特にハンガリーのコロナ対応措置は、EUによって厳しく批判されている。ハンガリーの措置は、単にコロナ対応に限定されず、ハンガリーの政治体制自体に係る。そのため、立憲主義的な価値を基礎として成立するEUにも影響せざるを得ないのである。

2.ハンガリーとEUの立憲主義的価値

2004年に加盟したハンガリーは、その後、EUと良好な関係を維持していたが、ユーロ危機発生後の2010年の総選挙の結果、第二次オルバン政権が誕生したことにより事態は一変する。政権与党は、憲法改正に必要な国会議員の3分の2以上の議席を確保したことにより、それ以後、頻繁に憲法改正を繰り返し、ハンガリーは、それまでのリベラルな立憲主義体制を清算し、独自の権威主義体制に移行し、EU・欧州審議会との緊張を高めていく。すなわち、ハンガリーでは憲法改正と重要な法改正を結合させることにより、議会権限が絶対的に強化される一方で、憲法裁判所を始め、議会に対するあらゆる対抗権力が弱体化され、法の支配、民主主義、基本的人権に深刻な懸念が生じてきた。特に、司法部への攻撃は顕著であり、憲法裁判所の違憲審査権限を制約するとともに、その裁判官の任命方法・定員を変更し、オルバン政権寄りの裁判官に多数を占めさせた。通常裁判所についても、定年を70才から62才に一気に引き下げて、前政権時代に任命された裁判官を大量に辞めさせ、自らが任命する裁判官に差し替えた。立憲主義の要諦は、独立した司法による行政・立法権力行使の統制である。そのため、世界のどこでも反立憲的な権威主義体制は、司法部の人事を私物化し、自己の恣意的な権力行使を司法部に妨げられないようにする。ハンガリーも例外ではなく、その成果は、2016年に憲法裁判所が、EU法の優位に挑戦的な判決を下したことに示されている。

EUは、民主主義、法の支配、人権尊重という立憲主義的価値に基礎を置く国際組織である(EU条約2条)。以上のようなハンガリーの体制転換が、それらの価値に反することは明白である。そのため欧州委員会は、ハンガリーに対して個々のEU法違反に義務違反手続を開始するだけでなく、基本的価値に違反する加盟国に対する制裁手続(EU条約7条)を開始し、現在もEUとハンガリーの対話が継続している。しかし事態は改善されず、2020年1月に欧州議会は、ハンガリーによる基本的価値違反の危険は変わらないと指摘していた。

3.ハンガリーのコロナ対応措置

さてハンガリーは、EUだけでなく欧州審議会の圧力も受けて、部分的な譲歩をしてきたことで、辛うじて立憲民主主義体制を維持していると評価されてきた。しかしハンガリー議会は、2020年3月末、コロナ危機への対応のために新たな非常事態法を制定した。そして、このコロナ危機への対応措置は、従来のオルバン政権の数々の反立憲主義的措置と一線を画し、これにより、ハンガリーは完全な権威主義体制に転換したと見られている。そのことは、同法成立直後の欧州議会内の動きにも表れた。すなわち、オルバン政権の与党フィデスは、欧州議会において中道右派の最大党派・欧州人民党グループに属していたが、3月以降、同グループ内で、チェコ・スロバキアなど中東欧の加盟国の政党を含めて、フィデスの除名を求める動きが始まった。言うまでもなく、ハンガリーのコロナ対応措置が、リベラル民主主義の基本原則とヨーロッパの価値に明白に違反するからである。

報道によると非常事態法は、立憲民主主義体制を根本的に破壊しかねない内容を含んでいる。第一に、非常事態は期限を切られておらず、無期限に延長可能であり、非常事態の間は、選挙も国民投票も実施できない。野党は、期限を要求したが、与党は、非常事態の延長に対する議会承認の要件を削除して採択した。第二に、非常事態の期間中、オルバン首相の政府には、既存の法に優先する規制を実施できる、前例のない広範な非常事態権限が与えられ、実際に、必ずしもコロナ危機に関連しない緊急命令が出されている。政府は、ほとんど白紙委任を受け、他方、議会による政府の監督機能は著しく弱体化すると懸念される。第三に、コロナ危機に関する虚偽情報の流布に対する刑事罰(5年以下の懲役)が新たに規定されたが、対象行為が明確に特定されておらず、表現の自由を侵害し、このために、ハンガリーのメディアは、自由に報道できない状況に置かれつつある。

ハンガリー政府は、新法による政府権限は、議会がいつでも取り消し可能であると主張するが、政権与党が議会で多数を維持していること、2016年の移民危機の際に決定された非常事態が現在も取り消されていないことから、その説得力は疑問視され、むしろオルバン首相は、自己の権力拡大のために、コロナ危機を利用したと批判されている。欧州人民党グループのトップであるトゥスク前EU常任議長が、法案採択直後に指摘したように、ハンガリーの非常事態法は、目的と手段の均衡を失するばかりか、民主主義を否定し、オルバン首相の独裁体制を確立しかねない。そうであるからこそ、EU内で批判が高まっているのである。欧州委員会フォンデアライエン委員長は、3月以来、加盟国の非常事態措置は、EUの基本的価値を犠牲にすべきではなく、必要な範囲に限定され無期限に継続してはならないと言明している。欧州議会も4月17日の決議で、全てのコロナ対応措置は法の支配と整合しなければならないところを、ハンガリーの措置はヨーロッパの価値と全面的に矛盾すると激しく非難し、欧州委員会に最大限の措置を迅速に取るよう求めている。しかしハンガリーが、現在の対応を改める兆候は見られない。ハンガリーの非常事態法制定は、4月にBBCのハードトーク番組でも取り上げられたが、ハンガリー政府の担当官は、EUの批判に激しく反論していた。したがって今後は、第一に、既に開始されている前述のハンガリーのEUの基本的価値違反に対するEU条約7条手続が、次の段階である理事会による「深刻な違反の明白な危険」の認定に進むのか否か、第二に、EUからハンガリーへの資金移転を停止するか否かが焦点となるだろう。

ハンガリー以外にも、以前から司法の独立を侵害してきたポーランドでも、EUを支えるEU法の適用が危険に晒されている。ハンガリー・ポーランドとEU機関・他の加盟国との対立は、既に相当の年数が経過しているが解消せず、むしろコロナ危機の中で一層深刻化しているのである。

4.ハンガリーはEU加盟国であり続けるのか?

コロナ危機は、国民の健康と生活を守る最後の砦としての国家の役割を改めて浮き彫りにした。感染防止に必要な私権の制限にせよ、市民の生活を支える巨額な財政支出にせよ、国家にしかそれを担うことはできない。EUもそのような国家の役割を前提に制度設計されている。しかし、加盟国のコロナ対応は、EUが基礎とする立憲的原則に従って行われねばならない。ハンガリーの対応措置は、コロナ危機を口実にした人権侵害に止まらず、ハンガリーの加盟国資格そのものに疑念を抱かせている。非常事態法制定直後、イタリアのレンツィ首相は、ハンガリーに対して決定的行動を取るべきであり、EUは行動して、オルバン首相を翻意させねばならず、それができないのであれば、ハンガリーをEUから除名すべきであると述べたと報じられた。Brexitとは別のところに、EU分裂の火種がありそうである。

(5月12日脱稿)

【21世紀政策研究所】

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