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月刊 経団連 “箱からの脱却” ― 建築は社会のOS(Operating System)

『サステイナブルな資本主義を目指して ― 今後の経団連活動への期待』 特別インタビュー

持続可能な社会とは、株主だけでなく、生活者、働き手、地域社会や国際社会、将来世代まで含めた様々なステークホルダーが求める多様な価値を、テクノロジーも活用しながらステークホルダーと「ともに創る」、協創することによって実現すべきである。木造建築、都市づくりでサステイナブルを実現する建築家・隈研吾氏にポストコロナの社会の展望、豊かさについて伺った。

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隈 研吾くま けんご
建築家
東京大学特別教授・名誉教授。1954年生まれ。幼少期に見た丹下健三の代々木屋内競技場に衝撃を受け、建築家を目指す。コロンビア大学客員研究員を経て、1990年、隈研吾建築都市設計事務所を設立。これまで20カ国を超す国々で建築を設計し、国内外で様々な賞を受ける。その土地の環境、文化に溶け込む建築を目指し、ヒューマンスケールのやさしく、やわらかなデザインを提案している。また、コンクリートや鉄に代わる新しい素材の探求を通じて、工業化社会の後の建築のあり方を追求している。
[インタビュアー]
経団連副会長・事務総長
久保田 政一

これからの建築は箱型OSからの脱却

――この1年、ライフスタイルやワークスタイルの変化を余儀なくされました。加えて、環境問題や格差など、これまで潜在的にあった社会課題が顕在化しています。そのような中、経団連では今までの成長戦略を一度見直して、新しい成長戦略を打ち出そうと、サステイナブルな資本主義を目指しています。隈さんは、一貫して環境に配慮したサステイナブルな建築を手掛けていますが、まずはこのコロナで我々は何に気づかされたのか、社会はどのように変わっていこうとしているのか、建築家の立場からどのように感じていますか。

 都市や建築といったフレームで人類の歴史を俯瞰すると、いろいろな転機はあったにしろ、1つの大きなベクトルの流れで動いて来たように感じます。
ホモサピエンスが狩猟採集で暮らしていた時代は、小さな集団で移動していました。しかし、農耕が始まったことで“集中”が起こった。その後、街ができ、街が大きくなり、“都市”ができる。さらに集中が進むと密度が高くなり、高層化が進む。このように“集中”から“都市”へという流れで街ができ、人類は1つの坂道を上ってきました。
しかし、ここでいよいよ折り返す時期に来たということを、コロナが我々に教えてくれたような気がします。実際、今“集中”して大都市の高層ビルの中に詰め込まれて働くことは、IT技術をもってすれば、必然性はありません。ただ、これまでその坂道を懸命に上ってきた勢いがあり、一度同じ方向に上り始めると、人間というのは進路変更したり、折り返したりするのが難しい。
コロナ禍では世界中の人々が、自分の生命の危機としてこの問題を受け止めざるを得ない状況に置かれてしまった。本当に折り返さないと自分達の命が危ない。これは人類の歴史の中でも初めての体験ではないでしょうか。問題は、どのように折り返していくのか。その問いに答えなければならない。建築家としても、そこに責任があると感じています。

――「建築家は社会のOS(Operating System)をつくっている」と発言されていますが、その観点から、今後どのようなOSが必要だとお考えですか。

 そこで社会や人がどう生きるのか、どう生活するのか。その基本システムであるOSをつくるのが建築家であり、これまでは箱のような造形を、社会の基本OSとしてつくり続けてきました。いわば、人類は、箱の中に人間を閉じ込めるOSをつくって進化してきたのです。その結果、この箱というOSが集中化を招いた。実は箱以外にも、これまで人類が歩いてきた中で違うOSがあります。
例えば、遊牧民のテント。箱のように動かない閉じた空間と違い、テントはまるで衣服のように身にまとうようなものです。これからの折り返しの後の社会では、使えるOSの1つかもしれません。
あるいは、日本の伝統建築も、最近の建築とは違うOSを持っていました。日本建築は、固定されている壁がほとんどなく、ふすまや障子のように移動できる建具でできています。さらに、柱さえも動かせてしまう。今の建築だと、そんなはずはないと思われるかもしれませんが、日本の伝統建築は屋根裏がしっかり固めてあるので、大工さんは改築の時に平気で柱を動かします。外部空間と内部空間の風通しがよい日本の伝統建築は、コロナで密を嫌うスタイルには、非常に適しています。ここにも今後新しいOSを探すときのヒントがたくさんあります。

建築家も地方に住み、ともに課題解決する

――我々も一極集中の問題や地域活性化については長年議論しているのですが、なかなか解決策が出ません。ただ、このコロナ禍で地方の活性化については、チャンスが来ているようにも感じています。隈さんも北海道で地域活性化の活動をされていると聞いています。都市と地方の関係については、どのようにお考えですか。

 都市に集中し、箱の中に閉じ込められて仕事をすることは、必ずしも効率がよくなかった。様々な精神的ストレスを人間に与えていたということにみんなが気づき始めた。そのストレスから逃れるために、もう一度自然に戻る。その自然への戻り方の1つとして地方に住み、働くという選択肢もあると思います。
今までの地方創生の議論は、地方を助けようという、都市の上位を大前提にする、上から目線があったような気がします。今回のコロナ禍では、都市が危機的状況に陥り、地方に助けを求めるような上下関係の逆転も起こり始めています。
その観点で見ると、地方は過疎化や消滅を心配していますが、消えていくのは都市のほうかもしれない。今後は、地方が上の時代が来ると、気分的に余裕を持って未来を考えれば、また違う知恵も出てくるのではないでしょうか。

――北海道東川町のプロジェクトでは、旭川家具の「デザインミュージアム」構想や家具のデザインコンペに携わっておられます。それらの活動で、何か気づきはありましたか。

 地方のプロジェクトでは、スタッフが常駐して現場監理をしているのですが、仕事が終わっても、そのまま住み続けて仕事をするケースが出てきました。地方では成功事例が身近にあると、近隣の町からも相談を受け、新しいプロジェクトが生まれることも、よくあります。
事務所の分散、サテライト化が進めば、東京の事務所は小さくていい。自分自身、集中型の今の事務所のあり方しか考えていなかったのですが、完全分散型の事務所もあると気づかされました。他にも地方に住み始めたスタッフが何人かいます。そこでは、地方の人との人間関係が変わったと感じます。今までは、“東京の設計事務所のスタッフ”だったのが、同じ場所に住む自分たちの仲間として、一緒に問題を共有し、解決策を見いだしていく。そういう、温かい目、親しい目で見てもらっています。
この関わり方は、今までの社会とデザイナーの関わり方と違います。デザイナーが上にいて地域社会に図面を提供するのと違い、社会とデザイナーが同じレベル、同じ仲間として課題解決をしていくのです。これは、大発見でした。

――リモートワークの普及にみられるように、DX(デジタルトランスフォーメーション)が進展しています。建築においても、デジタル技術の進展はサテライト化の後押しになっていますか。

 建築の図面を描くデジタル技術は、既に2000年前後からドラスチックに変わっています。小さなパソコンで、しかもソフトは世界共通なので、どこの海外現場にいても図面が描ける。技術的には自由に好きな場所、好きな時間で働くことができる状態にありました。ところが、それが確立していたにもかかわらず、仕事の形態は全く変わらず、東京の事務所で夜中まで働いていました。そのことの不自然に、コロナでみんな気づいた。なぜ、あのような箱の中で働いていたんだろうと。
地方のオフィスでは、空いた時間で手漉き和紙職人とコラボレーションをしている例があります。デザイナーが手漉きの和紙の技術を習得して、自分で漉いた和紙を自分でデザインした現場に使うのです。箱に詰められパソコンに向き合っていたのではできない、自由で創造的なストレスフリーな働き方です。北海道の東川町のプロジェクトをはじめ、このような事例を全国に展開したいと思っています。

教室ではなくコミュニケーションできるキャンパスが大事

――今後ポストコロナの時代を見据えたとき、Well-beingなど、豊かさや幸せの概念が多様化しています。今後どのような社会を目指していくべきか、冒頭「箱からの脱却」が必要だとおっしゃっていました。

 「箱からの脱却」は企業だけではなく、働く前段階の教育の現場でも必要なことだと思っています。学校も箱形の教室に詰め込まれて、順位を付けられる。その箱の場所が学校から企業に変わるだけだと、順位を付けられて選別されるシステムは何も変わらない。子どものときに箱から出ていくことができれば、仕事の選び方も違ってくる。実際には、収入の差はあるかもしれないが、達成感やWell-beingという意味での豊かさを知れば、格差で起きるストレスから解放され、新しい幸せの発見ができるのではないかと思います。

――我々も産学協議会で、創造的な教育について議論を重ねているのですが、学校の設計も手掛けていらっしゃいますね。

 保育所から大学までいろいろ設計しています。コロナで特に感じたことは、学校も校舎に求めているものが変わったということです。これまでは、教室という箱が中心でした。都心の大学はオフィスビルのような形でよいという考えが普通でした。しかし、コロナで、教室の授業はオンラインで代替可能だと分かった。それでも、学生は大学に来たいという。それは、人とのつながりをつくりたいからです。学生同士、あるいは先生と学生、みんな顔を合わせながらのネットワークをつくりたいのです。
では、キャンパスのどこに重きを置くか。それは、庭などのコミュニケーション・スペースです。英国の古い大学では、クアドラングルという四角い庭があり、その庭を中心に教育が行われた。その思想が米国に渡り、アメリカ合衆国建国の父トーマス・ジェファーソンがバージニア大学をつくるときに、回廊を一番大事にした。回廊で学生がコミュニケーションをすることに重きを置き、大学計画の中心としたのです。今、また教室以外のコミュニケーション・スペースを重視して、キャンパスをつくるように、ニーズが変わってきました。このことは、今後の建築物や都市のつくり方に大きく影響してくるのではないかと思います。

人を癒やしてくれる建築

――国立競技場では、木を素材に、自然との共生を意識されていますが、今後のサステイナブルな建築のあり方について、考えをお聞かせください。

 1964年の東京オリンピックの時、我々の世代はコンクリートで様々な建築物が次々とつくられるのを目の当たりにしました。特に丹下健三さんの代々木体育館は、吊り構造の枠に強烈なインパクトを感じましたし、その他、田んぼの中に高架線をつくり新幹線が開通し、首都高ができ、コンクリートで巨大な構造物がものすごいスピードでつくられていった。いわば、右肩上がりの社会を象徴したのがコンクリート構造物です。
しかし今、コンクリートで同じことをしても時代とズレていると感じます。今の時代は右肩下がりで少子高齢化の時代。コンクリートではサステイナブルな社会は実現できない。素材でいうと、質感が柔らかく、人を癒やしてくれるのは、やはり木です。心理的にも環境的にもサステイナブルです。風通しのよい空間、空調に頼り切らなくても気持ちのよい空間をたずさわっていくのが、サステイナブルな建築です。木で風通しを良くするには、庇を重ねるデザインが適しているのですが、これは日本の伝統建築の手法なのです。国立競技場にたずさわっている途中で、結局日本建築の伝統を継承するものをつくっていると気づきました。
また、観客席については、世界のどの競技場も青や赤で一色です。それは、満員を前提としているデザインですが、少子高齢化の時代は、必ずしも満員になるとは限らないと思い、観客が少なくても寂しくないようにモザイク状にまばらな色にしました。土の色、葉っぱの色、緑も何種類かあり、全体的には森の落ち葉のようなデザインです。外苑の杜の中に溶け込むようなデザインにしました。
図らずもコロナの人数制限にも対応できるデザインになりましたが、人が少なくても寂しくないような社会をつくりたいと僕は漠然と感じていたのです。そういう点でも、コロナの前から、新しい生き方を探さなければいけないという空気を、感じていたのかもしれません。

――新しい生き方での「豊かさ」については、どのようなものとお考えですか。

 これからの豊かさは、自然との近さが非常に重要になってくると思います。今までの豊かさは、人工的な尺度で測られていました。お金の多さや家の大きさなどは、ある意味、非常にフィクショナルなものだという気がします。
今、猫の視点から都市での生活を見直すリサーチプロジェクトを進めて東京国立近代美術館でも展示しているのですが、犬や猫といった動物が幸せそうに生きているのは、自然のリズムに合わせ、おいしいものを食べ、気持ちよく眠り、気持ちよく運動しているからです。人も、自然のリズムに合わせた豊かさを見つめ直す必要があると思います。

新しい世界へ向け、経団連がリーダーシップを

――我々も持続可能な社会を目指して、環境への配慮など自然を意識した企業経営を目指しています。そうした中で、ポストコロナの時代、経済界の果たすべき役割についてどのように思われますか。

 戦後、日本の社会はコンクリートと鉄で箱をつくり、欧米に追いつき追い越そうとしました。しかし、その前の日本は木造で街をつくっていました。地域の自然素材を使い、風が抜けるように自然の力をうまく利用した建築でした。それを思うと、今の箱形の大都市型の生活は、そもそも日本人には合っていなかったのではという気もしています。
かつての日本の都市での住み方や働き方は、家とオフィスが一体化しているものが多い。朝ドラによく出てくる、社長の家に住み込みで働くような、温かくてヒューマンな働き方は、日本の都市では普通に行われていた。それを考えると、自然のリズムに合わせて幸せを探すということが、既に日本では行われていて、そこに戻ることもできる。そして、それは世界の新しいモデルにもなれるのではと思います。
リーダーシップのある経団連が、そこに向けて旗を振ると、環境にやさしい、また格差をなくす社会のモデルをつくることができるのではないでしょうか。経団連のリーダーシップに期待したいと思います。

――日本は世界を引っ張っていける、そうした位置にいると。

 世界の国々で仕事をしていて感じるのは、日本的なものに対する憧れが非常に高まっているということです。日本の寿司に代表されるように自然素材をうまく活用し、あまり手を加え過ぎない日本食が、世界中のスーパーで売られています。日本食はサステイナブルだと、世界から見られているのです。同じように、建築、インテリアに関していうと日本は木の使い方が世界で一番うまいと思います。今や世界中の建築家が、木造建築で競い合うという流れが起き、日本は注目されています。寿司ブームと同じように、自然のものを素直に使うことに、世界が憧れを持っているのです。
ただ、日本人自身がそのことに気づいていません。日本は、ブランド力が弱いといわれることが多いのですが、僕はむしろ逆で、世界が憧れる日本というブランドを、戦略的に伸ばしていけば、これから世界が向かうべき方向を示せるリーダーになれるのではないかと思っています。

新しい生き方、作法をデザインする

――建築デザインの最先端にいる、隈さんに伺いたいのですが、企業経営ではデザイン思考が非常に重要だといわれています。具体的に、どのように考えればよいのでしょうか。

 デザインは、これからの生き方、作法をつくることだと思います。僕らが木を使い建築することで、そこでどのような作法で生活するのかを提案しているのです。新しい作法の提案が今こそ求められているのです。
新しい作法は、20世紀的な人工的な生き方ではなくて、自然に近く親しい環境をつくるための作法です。食べ物の世界でも、服の世界でも、建築の世界でも、新しい作法が求められていて、それを我々はデザインと呼んでいるのだと思います。新しい生活のスタイルを、新しい作法として世の中に問う、それが非常に重要なことなのです。

――本日はどうもありがとうございました。

(2021年5月11日 経団連会館にて)
Topic
隈研吾展
新しい公共性をつくるためのネコの5原則
東京国立近代美術館 2021.6.18 - 9.26
世界各国に点在する隈作品の中から公共性の高い68件の建築を、隈氏が考える5原則「孔」「粒子」「斜め」「やわらかい」「時間」に分類し、建築模型や写真やモックアップ(部分の原寸模型)映像作品により紹介。

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