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月刊 経団連 「。新成長戦略」というクイズ

『サステイナブルな資本主義を目指して ― 今後の経団連活動への期待』 寄稿

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玉樹 真一郎
わかる事務所代表/八戸学院大学学長補佐
東京工業大学・北陸先端科学技術大学院大学卒業。任天堂「Wii」のコンセプトワークから企画・開発に横断的に関わる。同社退社後、青森県八戸市で独立・起業。自治体・企業向けのコンセプト立案、効果的なプレゼン手法、デザイン等の講演、コンサルティングのほか、人材育成・地域活性化に取り組む。NPO法人プラットフォームあおもりフェロー/三沢市まちづくりアドバイザー


問題:西暦0年は存在しない。○か×か?
答え:○ 西暦において、西暦0年は存在しない。西暦1年からはじまり、その前の年は「紀元前1年」となる。

DXが進まない問題の元凶

デジタルのデの字も無かったころ、人類がまだ完全にアナログで生きていた紀元前のころに、社会ができた。その後いろいろあって、西暦1977年に生まれた僕は、アナログ時代の終わりかけに少年時代を過ごした。壁時計をにらみ、家族とのチャンネル争いに勝ち、怪しげな教祖に扮して太鼓を叩く志村けんを見て笑っていた。

その後、遅ればせながらデジタルが生まれた。携帯電話で時間を見て、インターネットで友人と連絡を取り、パソコンで作曲した曲をバンドで弾いた。

結局のところ、この順番こそがDXが進まない問題の元凶だ。本来ならば、デジタルが存在することを前提にして、新しく社会を作ればいいだけ。それがDXの本質だ。しかし面倒なことに、アナログで作った社会のかたちが既にあるものだから、折り合いをつけながら作業を進めなければならない。

例えば、既存の会社のかたちを壊さないように、かつ諸先輩方の機嫌を損ねないように注意しつつ、新しいシステムを導入しなければならない。想像するだけで面倒だ。

だからDXは足が遅い。悪役が誰かは明白だ。僕と僕より上の世代、つまり「アナログな社会を知っている人」だ。デジタルがない時代に青春を過ごし、人格を形成し、この世界の美しさや楽しさをデジタルなしに知ってしまっている。表面的には「DXこそ肝要なのだ」と口にするが、腹の底では「そんなのいらん、知らん、なんぼのもんじゃ。俺の目の黒いうちは…」と思っている。

そんな人達を、どうやって社会の作り直しに巻き込めるだろうか?

「つい」が生まれるとき
~アナログの大樹にデジタルの枝を接ぐ

ところで、僕はかつて任天堂に勤めていた。創業三代目の山内溥社長からバトンを受け取った岩田聡社長は「過去を否定してはいけない」と言った。過去、先輩達が懸命に努力した結果として、今の会社や社会がある。過去を否定することは、先輩方の人生を否定することになる。否定された先輩方は、きっと悲しむ。皆で手を取り合って、より良い未来を作るためには、過去を否定してはいけない。先輩方に分かってもらえるよう、コミュニケーションを尽くすべきだ。

ゲームを作ることも、これに似ている。説明書を読まずにゲームを遊び始めてしまったユーザーが、ゲームのルールが分からずゲームを楽しめなかったとしたら、それは誰の責任か? 当然、ゲームを作った人間の責任だ。ここで「説明書を読まなかったユーザーが悪い」と思ってしまう人は、ゲーム作りに向いていない。どんなユーザーが遊んでも自然とルールが分かって、つい遊んでしまうようにゲームは作らねばならない。

現在の僕は任天堂を辞め、青森県八戸市で地方創生に関わる仕事をしている。当然DXに関わる仕事もあるが、率直に言えば、地方のお年寄りはアナログの極地に生きている。こちらが少しでもデジタルな話をすると、どうしても拒否反応が出る。しかしそこで批判してはいけない。手を取って、腰を据えて、話を聞く。目の前の人が歩んできた人生、長い時間をかけて腹落ちした理解や信条が、誰もの心の中に大樹のように茂っている様子を見上げる。そんな人生の大樹にデジタルという枝を「生きてくれ」と願いながら接いで、命が通うのを待つ。デジタルという枝は、アナログの大樹から栄養をもらって、初めて育つ。どんな人生を歩んできた人にでも使えるように、むしろ人間なら誰でも「つい」使ってしまうようにデザインする。それしか解決策はない。

とどのつまり、DXにおいて大切なのは、技術そのものではない。様々な人生を全て尊重する敬意であり、目の前の人に寄り添うやさしさであり、相手の記憶や知識や心の動きを推測する時の解像度の高さである。そこから「つい」が生まれる。「DXすべし!」という号令は必要ない。直感に従って自然と行動するユーザーが、自発的にDXを推し進める。

一方、ダメなDXは技術そのものを謳う。ユーザーを画一的なものと決めつけ、寄り添わず、そもそもユーザーを知ろうとしない。「DXすべき!」という号令ばかりうるさい。勉強しなさいと言われて勉強したくなる子どもがいないように、命令が物事を推し進めることはない。

「。新成長戦略」において、Society 5.0実現の原動力となるDXの推進は、直感と命令どちらの道をたどるのだろうか?

コンセプトとは、プロダクトに込められたクイズのようなもの

断るまでもないことだが、「。新成長戦略」を掲げ、一致団結することは素晴らしい。しかし、この内容はユーザーに伝えるものではない。そもそもユーザーには、この内容を理解し実行する義理も責任もない。「。新成長戦略」を掲げた者こそが、義理と責任を持つ。この戦略を実現するための商品やサービス、仕組みや決まりを作り、その成果物のみをユーザーに届けるべきだ。

ユーザーはそういった成果物を自らの直感で手に取り、理解し、使い、受益し、喜びを自らの言葉で語る。誰からの命令も入れ知恵もないまま「そうか、デジタルで世の中はこう変わるってことなんだね」とユーザーが口々に語った時、DXは初めて成功する。

西暦0年が存在しないのと同じように、真の社会変革は目に見えない。それはたくさんのユーザーの手によって静かに進んでいく。コンセプトはユーザーに伝えるものではなく、プロダクトに込められたクイズのようなもの。ユーザー自らが気付くべきものであり、答えを先に伝えてはならない。

「。新成長戦略」という答えは決まった。この答えから、どんなクイズが生まれるのだろうか? 回答者としても、問題作成者としても、胸を高鳴らせている。


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